取り巻きCとアルバイト
取り巻きC・エリアル視点
エリアルが中等部二年生
前話で出て来た学則改正の前後のお話です
ちくちくちく
小さな針を布に刺して、球状に縫い合わせる。縫い目に耳やしっぽ、ストラップのパーツを挟むことも忘れない。ワタ代わりにおがくずを詰め、きっちり口を閉じて、目と口を刺繍する。
「あ、あの、サヴァン先輩」
「はい、どうかしましたか?」
ちょうどひとつ完成させたところで、声を掛けられて顔を上げる。
すこしおどおどとしながらわたしの前に立つ女の子を、怖がらせないように穏やかな笑みと声を心掛けた。
お裁縫中にこんにちは。手芸も出来ちゃう取り巻き令嬢、エリアル・サヴァンです。
わたしは中等部二年生。けれど今いるのは一年生の教室。
なぜかと言えば理由は簡単。アルバイトで一年生の刺繍の授業を見ているのだ。
どうして中等部の生徒が中等部生の授業の面倒なんて見ているのか。
それには大きく深い理由はなく、単に腕を認められただけだ。
刺繍は貴族令嬢のたしなみ。多くの貴族令嬢が通うクルタスには、当然のように刺繍の授業がある。けれど男子生徒には刺繍の知識なんて不要なわけで、刺繍の授業の裏コマには剣術の授業が置かれていた。
初等部のはじめの方では大人しく刺繍を選んだわたしだったが、既に修めた知識のオンパレードに馬鹿らしくなって、男装化を機に剣術へ鞍替えし、まんまと教師から呼び出しを食らった。刺繍を蹴って剣術を選んだ女生徒なんて、前代未聞だったらしい。
なぜ刺繍の授業を取らないのかと問われたわたしは、たしなむ程度の刺繍ならもう出来るから授業を取る必要がない、と答えて、ならば見せて見ろとその場で裁縫道具を渡された。
認められる腕なら授業免除で刺繍の単位をやる、言ったな有言実行しろよ、と言う売り言葉に買い言葉の末、前世知識フル活用の刺繍を見せて教師に実力を認めさせた。と言うか、心を折った。
…若気の至りだ。許して欲しい。
わたしの実力を認めた刺繍の先生は初等部飛び越えて高等部までの刺繍の単位をわたしに与え、中等部二年に上がる直前、とある申し出をして来た。
来年度一年生の刺繍の授業を、見てくれないか、と。
いやいやわたしだって授業があるのになにをと呆れて問えば、通常授業ではなく、刺繍が苦手な生徒のための補習授業だと言う。隔週で水曜日の放課後に行われていて、今までは非常勤の女性講師が見ていたが、その講師が急に来られなくなってしまったため、代わりの指導者が見つかるまでの繋ぎが欲しいらしい。
補習なのできっかりと教える必要はなく、刺繍の先生が各自に出した課題をこなせるように手助けするのが主な仕事だそうだ。
迷った挙げ句、わたしはその申し出を受けた。もちろんツェリの了解は得て。
王立学院だけあっての高額謝礼と一年間の授業料減額に、臨時とは言え王立学院の講師をしたと言う箔が付き、指導のためだからと一流の道具や素材を支給される待遇は、魅力的だった。
…出来るならば、あまり家には頼りたくないから。
そんなわけで現在、その授業中と言うわけだ。
女の子が持って来た布地を見ながら話を聞く。
この子はそれなりに刺繍の出来る子らしく、与えられた課題の難度が高めだ。
難しいステッチのオンパレードで、詰まってしまったらしい。
「こちらのステッチ、難しいものですが綺麗に出来ていますね、すごいです。ここで使うステッチも似た技法のものですから、すぐ出来るようになりますよ。お手本を見せますから、一緒にやってみましょう」
見本用にとセットしてあった布に、ゆっくりと針を走らせる。
何度か見せてから、自分でもやって貰う。はじめはこんがらがってしまったが、少しのアドバイスで、すぐ出来るようになった。
「そうです、良く出来ました。頑張りましたね」
褒める言葉は惜しまないのが、わたし流の指導法だ。
出来なくても叱らないのもポイント。
ただでさえ苦手なものなのに、怒られたら嫌いになってしまうからね。
微笑んで頭をなでれば、女の子は嬉しそうに微笑んだ。
ふと、机の一角を指差して言う。
「それは、なんですか?」
目を付けたのは、わたしがさっきから作っていた丸っこいマスコットだ。
講師と言っても基本的には自習監督のようなもので、たまに教室内を見回って困っている子がいないか確認するが、それ以外は手が空く。常に見回っていては、緊張してしまう子もいるからだ。
なにかあれば遠慮なく相談するように声掛けはしてあるので、見回りは質問も出来ないような内気な子を気にするだけで良いのだ。最低限で大丈夫。
そんな空いた時間を有効活用するために、そして、うっかり居眠りしたりしないために、わたしはわたしで内職をしていたのだ。
別に隠すものでもないので、ころんとしたマスコットをひとつ手に取って見せる。
「小さなぬいぐるみに紐を付けて、鞄や鍵などに付けられるようにしたものです。可愛いでしょう?」
球形に顔やしっぽを付けただけと言う、大胆にデフォルメしたぬいぐるみは、自画自賛ながら可愛いと思える出来だ。なにより作るのが簡単なのが良い。
「はい。可愛いです」
異世界だろうが女の子は可愛いものに弱い。
女の子はきらきらした目でマスコットを見つめた。
チャームポイントは組み紐や飾り結びを利用したストラップ部分。
金属チェーンは高価なので、安カワを目指して工夫してみたのだ。
細い紐や糸の組み合わせで丈夫かつ可愛い紐を作れる組み紐や飾り結びの技術は、素晴らしいと思う。
「たくさん作っていますが、なにかに使うのですか?」
こんもり積まれたマスコットに目を向けた彼女の目が、欲しいと言っているのはわかったけれど、残念ながらこれはあげられない。
「売り物なのです」
「え?」
「街で仕立屋さんをやっている方のご好意で、そこで売って貰っているのです。このぬいぐるみ以外にも、何種類か小物や装飾品を置いて貰っています」
平たく言ってしまうと、小遣い稼ぎ、である。
仕立屋で出る端切れを貰って作っているので、低い原価でそれなりの儲けが出せるのだ。このマスコットに詰めているおがくずも、仕立屋のおば…おねーさまのツテを借りて知り合った大工さんから、無償で貰っているものだし。
「街の仕立屋…そこに行けば、これが買えるんですね?」
「ええ」
「仕立屋の、店名を訊いても?」
「ゾフィーの仕立屋、ですよ」
もしや行って買うつもりだろうか。
気の良いおかみさんと彼女の養い子三人で切り盛りする、こじんまりとした庶民向けの仕立屋だから、貴族のご令嬢が顔を出すようなところじゃないのだけれど。
「ゾフィーの仕立屋、ですね」
「はい。ただ、わたしが作っていると公表していませんので、内緒にして下さいね」
国殺しのサヴァンが作った品なんて知られて、売れなくなったら困るのだ。
目の前の彼女との会話に集中していたわたしは、そのとき教室にいた子たちの耳がどこを向いていたかなんて、気にしていなかった。
お礼を言って立ち去る女の子を見送ってから、手元の布を見下ろす。
綺麗な真っ黒の布。
これで猫を作ったら、買ってくれるひとはいるだろうか。
山のように作ったぬいぐるみをゾフィーの仕立屋に持ち込んだあと、ヴィクトリカ殿下主導の学則改正が始められ、生徒会役員の仕事が忙しくなったわたしの足は、しばらく仕立屋から遠のいた。
在庫は大量に渡してあったので問題ないだろうと思っていたその予想が裏切られていたと知るのは、学則改正が成って時間が出来、久し振りにゾフィーの仕立屋を訪れてからだった。
「こんにちは、ゾフィーさん」
ひょんなことから出来た縁で、ゾフィーの仕立屋には年齢一桁のときからお世話になっている。もはやわたしの大事な収入源だ。
勝手知ったる馴染みの店と軽い気持ちで扉をくぐったわたしは、この店の店主であるゾフィーさんことゾフィーアさんに、ぐわしと肩を掴まれた。
鬼気迫る表情に、びくっと身を振るわせる。
「ど、どうかしましたか…?」
「商品、どのくらい持って来たんだい?」
「え、あ、かなり貯まっているのですが、置き場がないですか?」
学則改正中も刺繍の授業はやっていたし、地味に自分の授業中に内職したりもしていたので、来なかった分かなりの品数が貯まっていた。
ひとつひとつは小さいとは言え貯まれば場所を取るので、もしや受け取り拒否されるかと思ったのだが、ゾフィーさんは顔をしかめて否定した。
「逆だよ逆。全部売り切れちまって困ってたんだ」
「え?」
足が遠のいたとは言え、二ヶ月くらいの話だ。
二ヶ月では売り切れるわけがない量の品を、渡してあったはずなのに。
「だって、けっこうな量を渡してありましたよね?」
ゾフィーの仕立屋はそれなりに繁盛したお店だ。繁盛したお店だけれど、その片隅に置かれた小物が二ヶ月で山のようにはけるほど、お客が来たりはしない。街の住民が固定客になっているからもっている、土着のお店なのだ。
「あんたの作ったもの目当てのお客が来て、ひとりで何個も買ってったんだよ。それも、ひとりやふたりなんて話じゃない。数十人もさ」
「…口伝いで有名にでもなったのですかね?」
変わったものを作っている自覚はあるので、口コミで流行る可能性は否定出来ない。
買った人から噂になって、どこかで流行したのかもしれない。
模倣品とか、出ないと良いのだけれど。
「なんでだかなんてアタシが訊きたいくらいだけどね、もう入荷待ちのお客までいるんだよ。どんなに多くても構わないから、どんどん作って持って来ておくれ」
頭を掻き混ぜるゾフィーさんに、とりあえず今日の分を詰め込んだ箱を手渡す。
さっそく開けて中を覗いたゾフィーさんが、すぐ顔を上げてわたしを見る。
「今日、時間は?」
「どうしてもやらなければいけないことはないです」
「そうかい。じゃあ、上でもっと作ってくれ。黒猫の商品が人気なんだ。黒い布も紐も糸も用意してあるから、作れるだけ作りな」
言うが早いかゾフィーさんは、上-作業部屋へとわたしを追いやる。
「黒猫が人気って、呪いでも流行ってるのですか?」
黒猫は不吉の象徴だ。普通なら好き好んで持ったりしない。
階段に押しやられながら問えば、ゾフィーさんは大げさに肩をすくめて首を振った。
「知らないよ。でも、来る人来る人、黒猫はないかって訊いて来るんだ。黒猫なんて、アンタが気まぐれに混じらせた分しかなかっただろう?すぐになくなって入荷待ちさ」
だから作れ、と命令を下される。
ゾフィーさんには並々ならぬ恩義があるので、断れるはずもなかった。
素直に従って上へ行くと、ゾフィーさんの養い子、経理と力仕事担当のヴィリーくんことヴィリバルトさんが、帳簿を覗いてそろばんを弾いていた。
「ああ、アルくん」
「こんにちはヴィリーくん」
わたしに気付いたヴィリーくんは、立ち上がって棚を漁り、それはもう大量の黒い素材を、作業台に積み上げた。
おがくずや糸、裁縫道具もぱぱっと準備される。
「とりあえず、このおがくず分はぬいぐるみを作ってね。黒猫模様の、ミサンガも、作れるだけ作って。ほかも、黒猫ならなんでも良いから作って貰える?」
うん。疑問系だけど訊ねてないね。決定事項として言っているね。
「今ならきっと、作れば作るだけ儲かるよ。波に乗らないなんてあり得ないよね?」
「わかりました。集中するので反応しなくなると思いますが、良いですか?」
「良いよ。いーーーーーーーーっぱい、作ってね」
にこっと笑うヴィリーくんは十八歳。真面目そうな好青年なのだが、不思議と少し可愛らしい表情も似合う。と言うか、なぜか可愛らしい雰囲気が漂っている。
元は孤児で、孤児院にいたところをゾフィーさんに引き取られたらしいが、変なところに引き取られなくて良かったと思う。下手な貴族や豪商にでも引き取られていたら、慰みものにでもされていたかもしれない。
本人も自覚はあるらしく、彼はとてもゾフィーさんに感謝している。その結果が経営方針に現れていて…うん、まあ、儲け話にびっくりするくらい鼻が利くひとだ。
別に守銭奴ってわけじゃないし、正攻法しか使わないから、嫌なひとではないけれどね。儲かる、と思うと結構こうして笑顔でえげつない要求をしてきたりする。と言っても、それでわたしも儲けさせて貰っているからお互い不満はない。
「鋭意努力します」
ヴィリーくんに笑みを返して、さっそく作業に取り掛かる。まずはぬいぐるみに取り付ける、ストラップを作らないと。
ゾフィーの仕立屋は元々、ゾフィーさんの旦那さんが経営する仕立屋だった。
けれど、ゾフィーさんの旦那さんは流行病で早逝してしまい、お針子をしていたゾフィーさんは旦那さんに代わって仕立屋を切り盛りすることにした。
女ひとりで仕立屋の経営は大変だったと思うが、それでもゾフィーさんは諦めずに努力を続け、なんとか商売を軌道に乗せた。
そこでゾフィーさんは孤児院から女の子をひとり引き取る。現在は立派なお針子として働いている、ゾフィーさんの初めての養い子、ニナさんだ。子供のいなかったゾフィーさんは、旦那さんの仕立屋を潰さないために、後継者を欲したのだ。
ゾフィーの仕立屋は女性のみで運営される仕立屋として女性たちの評判を呼び、忙しくなった仕立屋を回すために、ゾフィーさんはさらにひとり女の子を引き取ることにした。これが、現在売り子兼家事を担当しているゼルマさん。
しばらくはこの三人でお店を回していたそうだが、女性だけだとやはりいろいろ不都合はあるし、三人とも計算は得意でないと言う理由で、新たに引き取られたのが、ヴィリーくんだ。
わたしがここ、ゾフィーの仕立屋と関わるきっかけになったのが、この、ヴィリーくん。
街中で悪い輩に絡まれていたヴィリーくんを、わたしが助けたために、知り合いになった。
出会った当時、わたし八歳。ヴィリーくん十二歳。ヴィリーくんはゾフィーさんに引き取られて、四年目だったらしい。当時のヴィリーくんは、それはそれは愛らしい少年だった。殿下やテオドアさま、アーサーさまみたいな美形ではないのだけれど、こう、雰囲気美人なひとなのだ。
年齢と性別的に、役割がおかしい?
ふふ、平民相手でも、国殺しのサヴァンの脅しは有効なのだよ…。そもそも、お貴族さまと言うだけで、平民相手なら十二分なアドバンテージを得られるしね。
しかし、助けたわたしはそのとき、甚く眠かった。ちょうど、わんちゃんのところで首輪を更新した帰りだったのだ。
眠いと目をこするわたしを、ヴィリーくんはお家である仕立屋に保護。
ひと眠りしてすっきりしたわたしが目を覚ませば、素晴らしい仕立ての腕を見せるゾフィーさんが目に入り、思わず褒めちぎったことからわたしの特技が手芸であることがバレ、お金を欲していることもバレ、なら試しになにか作って売ってみないかと提案された。
ゾフィーさんたら、八歳の幼女に商売を持ち掛けたのだ。チャレンジャー過ぎる。
駄目元だからやってみようと端切れを貰い、その場でパッチワークの小物をいくつか作って預ければ見事売れ、以来ゾフィーさんにお世話になっている。
可愛さと安さを追求した商品が街のお姉さん方に受け、最近は自分の食費を賄える程度の儲けは出せるようになった。まあ、食費を極力節約した上で、ではあるけれど。
でも、こんなに売れるほどの需要はなかったはずなんだけどな。
ちくちくと針を動かしながら、首を傾げる。
一定の出入りがあるのは、リボンや三角巾と言った安価な装飾品や、布巾やたわしなどの日用雑貨だ。ぬいぐるみやミサンガなんて、そんなに出て行かないはず。
平民が裕福になっているのか、別の理由なのか。
平民が潤うのは良いことだ。国を支えているのは平民層で、彼らが不自由なく生活出来てこそ、良い国だと言えるのだから。
だが、別の理由、たとえばもし、地方からの手稼ぎが多く来ていて、そのお土産として選ばれた、とかだったなら、まったくもって望ましい話ではなくなる。
地方民が出稼ぎに来ている=地方の財政が上手く行っていない可能性が高いと言うことなのだから。
財政破綻で国家転覆なんて、政権交代より洒落にならない。
少し、調べた方が良いのかな。
でも、地方財政の破綻がわかったとして、わたしに出来るのなんてわんちゃんにチクるくらいだし…。
ステルスして監視を続けている、灰色斑の蝙蝠くんを見遣る。
…わたしがうだうだ考えるより、とっととわんちゃんに相談した方が早いか。
今度行ったときに相談しようと決めて、そこからわたしは縫い物に集中した。
日が暮れてからの帰りがけ、ほくほく顔で商品を受け取ったヴィリーくんから、水車小屋の粉挽き機みたいだったと言われた。
要は機械みたいに淡々と黙々と作業していたってことなのだろうけれど、それは、褒めているの、ヴィリーくん?
お土産代わりに黒い布やミサンガ用の紐をどっさり渡される辺り、お針子としては大いに認められてるのだろうけどね…。
たんまりとノルマを貰って帰ってしまったので、寝る前に魔法の訓練がてら作業を進めることにする。ヴィリーくんやゾフィーさんの前では、絶対に出来ないやり方だ。
手作りの簡易機織り機に糸をセットし、六台同時に動かす。これで、ミサンガやミサンガ系のストラップはハイテンポで作れる。アクリルではないが、似た質感の毛糸で作るたわしや、布製コースター、小さな巾着用の布なんかも、作れる。今日作るのはミサンガとストラップだけだけれどね。
コンコン
ガチャ
「アル?戻ったの?」
作業に集中していたせいで、部屋に近付く足音を聞き逃した。
いや、聞き逃しても、普通ならノックして返事を待ってくれるはずなのだけれどね。
しばし、無言で見つめ合う。
「…とりあえず、扉を閉めて貰えますか?」
ほかのひとに見られても嫌なので、とにかくそれを最優先にした。
扉が閉まるのを確認し、開き直って作業を続けながら言う。
「ええ、戻りましたが…返事を待ってから扉を開けましょうよ、ツェリ」
「アルにしかやらないから大丈夫よ」
「わたしでもやめてくださいよ。着替えていたらどうするのですか」
「あなた、居間で着替えたりしないじゃない」
クルタス王立学院学生宿舎。宿舎と言っても貴族の子弟用の宿舎なので、ワンルームふたり部屋なんてことはなく、全室個人用で最低でも寝室付きだ。
多くの生徒が侍従や侍女を連れて来るので、日本で言う世帯用マンションを広くしたような間取りが普通である。食堂が完備のため、キッチンは付いていないことが多いけれど。
わたしの場合は子爵家令嬢と言うことで比較的質素な部屋だが、簡易ながら調理場が付いている。もちろんお風呂とトイレも付いていて、部屋もリビング・ダイニングキッチン・ベッドルームの三部屋。
で、あるからして、ツェリの言う通り応接間にもされるリビングで着替えたりはしない。着替えたりはしないけれど、
「そうだとしても、親しい相手にも礼儀を尽くすことは大切ですよ。着替えてはいませんでしたが、寝間着ではありますし」
帰って軽く食事して、即、お風呂に入ったので、現在の格好はパジャマだ。ちなみにツェリもネグリジェにガウン姿。
着替えシーンほどではないにしろ、無防備に見せて良いものではない。
親しき仲にも礼儀あり。至言である。
じゃあお嬢さまを前に作業を止めないお前はなんなんだと言われると、答えに詰まるのだけれどね。中途半端にやめると、続きがこんがらがるのだ。
「…怒ってる?」
「いえ。見られたくないことを居間でやっていたわたしが悪いですから。鍵も掛けていませんでしたし」
部屋に鍵は掛かるし、ベッドルームにも机はある。
誰も来ないだろうと、油断していたわたしが悪いのだ。
早くも織り上がったミサンガの端処理をしながら、肩をすくめた。まず六本。
黙って手早く糸を掛け直し、作業を続ける。結局今日、仕立屋ではぬいぐるみしか作れなかったから、早いとこ一定数のミサンガを持って行きたい。
ヴィリーくんの言葉ではないが、儲け話を見逃す手はないのだ。
黙々と、ミサンガを量産する。それはもう、黙々と。
機織り工女が乗り移ったように、一心に。
「…悪かったわよ」
「………」
「アル?」
「………」
「ちょっと、聞いてる?」
「………」
「ねぇ、アル…?」
本当は同じ模様を淡々と作る方が早いし手間も掛からないのだけれど、それだとおもしろみも手作り感もなくなるので、二回ごとに模様を変える。同じ模様のものは、十二本のみと言う計算だ。同じ黒猫モチーフでも、地色を変えたりポーズを変えたり、別のモチーフも混ぜたりね。
大事なことを忘れていたと気付いたのは、それから一時間は経ってからだった。
さすがに集中のし過ぎで目がしょぼしょぼして来て、少し休もうと顔を上げたわたしの視界の端で、ツェリがしゃがんで丸まっていた。
あ…忘れていた…。
ツェリが来ていたのにもかかわらず、うっかりミサンガに気を取られて放置していたことに気が付いて、慌てる。
「も、申し訳ありません、ツェリ」
「…っふぐ、そ、そんな、怒らなくたって、良いじゃない…っく」
やばいガチ泣きだ…!
「いやあの、怒ったわけではなくてですね!」
一日中作業部屋にこもっていたせいで個人作業モードになっていただけで、悪気は一切ない。
食事も忘れて作業していて、飯を食えとゾフィーさんにげんこつ落とされたくらいなのだ。
「ごめんなさい、作業に集中すると、ほかのことに目がいかなくなるのです。なにか用事だったのですよね?お時間を取らせてしまって申し訳ありません、っうにゃっ」
謝罪しつつそばに屈めば、飛び付いて来たツェリもろとも床に倒れた。
仰向けに倒れたわたしの上にツェリが乗って、まるで押し倒されたよう。
馬乗りでわたしを見下ろすツェリの大きな金眼から、宝石のような大粒の涙が落ちて、わたしに降り掛かる。
「…怒ってない?」
「怒っていません」
赤くなった頬をなでて、微笑む。
天下の悪役令嬢ツェツィーリアさまが、取り巻きC如きに相手にされなくて泣くなんて、前世どころか今世でも信じて貰えないだろう。
こんな弱いツェリを知っているのは、今はまだわたしだけ。
強さの中に危うさを秘める彼女を、幸せにするのがわたしの役目なのに、なにを泣かせているのか。
お嬢さまを乗せたまま起き上がり立ち上がり、糸を一掴み取ってソファに向かう。
紅茶色と黒に山吹、赤の糸を選んで、端を堅結びにする。
その先を、膝に座ったツェリに差し出した。
「持っていて貰えますか?離さないように、しっかりと」
ツェリが無言で頷いて、糸の端を握る。
その糸を編みながら、ツェリへ語る。
「今日は、仕立屋に行っていたのです」
「仕立屋?」
「ええ。街の仕立屋に知り合いがいて、そこで少しだけ、小物作りを任されているのですよ」
ツェリが、机の上のミサンガに目を遣った。
問うように戻った視線に頷いて答える。
「ご推察の通り、あれがその商品です。このところ行けていなくて久し振りに行ったところ、大量にお仕事を渡されてしまって、今日は一日仕事をこなしていたのです」
「仕事…」
「仕立屋の作業部屋で、延々と小物作りを。街で魔法を使うわけにも行きませんから、すべて手作業で黙々と。一日そんなことをしていたので、その状況が頭から抜けきっていませんでした」
「私に怒って、無視したわけじゃないのね?」
ぐす、と鼻をすすって、ツェリがわたしを見上げる。
頷いて、心からの謝罪を口にする。
「はい。失礼なことをしてしまい、申し訳ありませんでした」
「…今日はね、アーサーと一緒に家に帰っていたのよ」
「はい」
わたしの謝罪にはなにも返さず、ツェリは話し始めた。
「ミュラー公爵家の家令の娘さん夫婦、娘さん夫婦も公爵家で使用人をしているんだけどね、その夫婦に数日前、子供が産まれたのよ。その、お祝いに行ったの。赤ちゃん、男の子で、小さかった」
「可愛かったですか?」
「ええ、とても。その子のお父さんもお母さんも、幸せそうで、赤ちゃんを、すごく愛おしそうに見てたわ。この子が幸せになってくれさえするなら、ほかはなにもいらないって」
ツェリが唇を噛んで、うつむく。
「ミュラーの義父上さまも、義母上さまも、義兄上さまたちも、アーサーも、使用人たちだって、みんな私をミュラー公爵家の家族として扱ってくれるわ。とても、良くしてくれて、娘として、愛してくれている。今日だって、会うなり抱き締めて頭をなでてくれたわ。帰る前も、抱き締めて、別れを惜しんでくれた」
ツェリの両親は、乳飲み子の娘がいるにもかかわらず、叛乱に身を投じた。
国家叛逆で捕まれば、乳飲み子だろうと関係なく、一族郎党総死刑になると知りながらだ。そして実際、ツェリはギロチンの刃を落とされている。
ツェリが生き残っているのは、奇跡のような偶然でしかない。
一瞬でも、魔法の開花が遅ければ。あるいは彼女の魔力が、もっと弱いものであったなら。
目の前で目を腫らす少女は、ここに存在していなかった。
糸を掴んでいない手で、ツェリがわたしの服を握り締めた。
「でも、アルに会いたくなったの。明日にしようと思ったけど、どうしても今日、アルに会いたくて会いたくて仕方なくて、別に、あなたを軽んじていたわけでも、秘密を暴こうと思ったわけでもないのよ」
会いたくて気持ちがはやって、返事を待たずに扉を開けてしまったの。
…最愛の可愛い女の子にそんなことを言われて、許せないひとがいるだろうか。いやいない(反語)。
ツェリの頭にこつんと額をぶつけ、すり、と擦り寄せた。
「わたしは、ここにいます」
親を失ったツェリに、初めて手を差し伸べたのがわたしだった。
親猫がするように毛皮で守り、生きる術を教えた。
「あなたがなんであろうと、なにをしようと、愛し続ける人間は、ここにいます。なにを捨ててもあなたの幸せを願う人間は、ここにいます」
ぱちんと糸を切り、端を結ぶ。
ツェリの手から糸を引き抜いて、出来上がったものをツェリの左手首に巻いた。
赤い縁に、山吹の地、紅茶色の猫と黒猫が寄り添った模様の、ミサンガ。
「…なぁに?これ」
「ミサンガと言う、装飾品…願いを叶えてくれるお守り、ですよ」
十把一絡げに作った売り物ではなく、ツェリのために、ツェリの幸せを願って作った、特別なお守り。
「自然に切れて外れるまで付けておくと、願いごとが叶うとか」
「売り物じゃないの?」
「ツェリのための、特別製です。あなたの幸せを願って。非売品ですよ」
ツェリがそっと、ミサンガをなでた。
「…ずっと、一緒よ」
「あなたがそれを望むなら」
運命が、ふたりを引き裂くその日までは。
ミサンガの付いた左手を取って、口付ける。
「なにがあろうとわたしだけは、ツェリ、あなたの味方です」
だから安心して欲しい。
思いを込めて見上げた少女は、泣き腫らした目で小さく微笑んだ。
その後泣き疲れたのか眠ってしまったツェリの枕になりながらミサンガを織り続け、気が付けば空が白んでいた。
「…さすがに自分でもどん引くわ」
食事やツェリを忘れるだけでは飽きたらず、睡眠も忘れるとか。
夜なべで作った甲斐あって、もっさりと山になったミサンガとストラップ用の紐を見遣って、ふふ…と呆れ混じりの笑いを漏らす。
ヴィリーくんではないが、金の亡者になった気分だ。
せめてもの救いは、ツェリもわたしも寝間着姿なことだろうか。泣き腫らした目も、ツェリが自分で水を出して冷やしている。
もし、泣き腫らした目のツェリをお風呂にも入れず目も冷やさず一晩眠らせたとかだったら、自己嫌悪で一日落ち込むところだった。
「にゃふ…」
漏れたあくびに時間を確認すれば、二時間くらいは眠れる猶予がある。
ツェリを起こさないようそっと抱き上げて、ベッドルームへ向かった。
たまにツェリを入れることのあるベッドなので、ケチらずダブルベッドをチョイスしている。
ツェリを寝かせて自分もベッドへ潜り込めば、伸びて来た細い腕にしがみ付かれた。
「大丈夫。ここにいますよ」
小さな少女を抱き締めて、わたしは目を閉じた。
後日大量のミサンガに、ぬいぐるみも作り足して向かったゾフィーの仕立屋にて、また商品が売り切れたと言われ、わたしは即、わんちゃんに相談を持ち掛けた。
「ああ、そのことなら問題ねぇ。心配すんな」
「ですが、」
「周りをよく、見渡してみな。そうすりゃわかる」
わんちゃんにすげなく流され、でもわんちゃんが言うなら大丈夫かと引き下がったしばらくあと、わたしはわんちゃんの言った意味を、理解することになる。
「それは…」
「あっ」
刺繍の授業で偶然見えた生徒の手首に、見覚えのある物体を見つけて思わず声を漏らす。
わたしの目線に気付いた女の子は、頬を染めて手首を押さえた。
「あの、サヴァン先輩、刺繍、上手なので、憧れて、サヴァン先輩みたいに、なれたら良いなあって…」
見回してみればほかにも結構な人数が、わたしお手製のミサンガを付けていた。
…わんちゃんが言っていたのは、こう言うことか。
平民ではなく、貴族が顧客になっていたのだ、恐らく。
恥ずかしそうにうつむく女の子たちを見渡して、微笑む。
「わたしも最大限協力致しますから、一緒に頑張りましょうね」
「「「はい!」」」
とても良い返事は、補習を受ける生徒全員の口から帰って来た。
この後、良い新任講師が見つからなかったとかで、結局一年間わたしは補習授業を受け持つことになった、どころか、わたしの補習の評判が良かったとかで、次の年からも中等部一年生の補習を見ることになった。
補習に出ていた後輩たちはみんなわたしに懐いてくれて、補習授業がなくなったあとも、わたしに刺繍や授業の相談を持って来る。
みんな素直で良い子たちばかりなので、わたしも時間が許す限り、相談に乗ってあげている。
「よくわかりました。ありがとうございます、サヴァン先輩」
「ミーナさんが頑張ったからですよ。また、なにか困ったら遠慮なく来て下さいね」
「はいっ。では、サヴァン先輩、ごきげんよう」
「ええ、さようなら」
高等部に上がってからも変わらず続く水曜放課後の補習授業、終わるのを待って質問に来たわたしの最初の教え子のひとりを見送ると、なんの気まぐれか迎えに来ていたツェリが呆れ顔をした。
「あなたって本当…」
「なんですか?」
「いえ。あのこ、あなたのミサンガ付けてるのね」
彼女の腕に付けられたミサンガに、目ざとく気付いたらしいツェリが呟く。
「ええ。気に入ってくれたみたいで、確か、あれで四代目ですよ」
ミサンガを切れるまで付けているのは意外に大変だと思うのだが、わたしの教え子たちは根気強く付けてくれているらしい。
ミサンガとサヴァン先輩のお陰で刺繍が上達しました!と笑顔で報告してくれて、とても可愛い。
「四代目…。鞄に、ぬいぐるみも付けてたわね」
「あれ、人気みたいですね。製作者冥利に尽きます」
ストラップ付きぬいぐるみはクルタス内で人気を博し、結構な人数が購入してくれている。
なんで多くのひとが黒猫チョイスなのかは、正直謎なのだけれど。
まあ、わたしは儲かるので文句はない。
「人気なのは…いえ、いいわ。儲かるのは、良いことよね」
「はい。助かります、とても」
刺繍の授業は他学年との交流にもなるので、コネ作りにも良い。
教師役と言うことで、無条件に好かれやすいしね。
微笑むわたしの手を取り、ツェリが肩に擦り寄った。
「ねぇ」
「はい、なんでしょう」
「私にも、また作って、ミサンガ」
なんだか甘えたい気分、みたいだ。
握られた手を握り返して、微笑む。
「もちろん、お嬢さまのためでしたら、いつでも喜んで」
いつだってわたしは、お金儲けよりお嬢さまだ。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
みなさまのアクセスのお陰でPVが10万超えましたっ(ノ≧Д≦)ノ
超えてますよね?わたしの見間違いじゃないですよね?
たくさんのアクセス本当にありがとうございますっm(__)m
なにかお礼を出来たら…とは思ったのですが
思い付かなかったので←
あとがきで謝辞を述べさせて頂きましたー<(_ _)>
これからもお読み頂けると嬉しいです




