悪役王子と眠り猫
王太子・ヴィクトリカ視点/三人称視点
エリアル中等部二年生
隠し撮り寝顔写真が出回ったお話
いつものサロンへ入ると、中にはエリアル嬢だけだった。
窓際のソファで昼下がりの温かい日差しを浴びながら、うつらうつらしている。
「でんか」
私の入室に気付いて顔を上げるが、なんとも眠そうな顔だ。
少し潤んだ瞳と舌足らずな言葉が、普段とはまた違った雰囲気で愛らしい。
「私のことは気にしなくて良いよ。待ち合わせで来ただけで、待つ間は本を読むつもりだから」
なにも言わなければ眠い身体に鞭打って紅茶を淹れたり、私の話し相手をしてくれたりするであろうエリアル嬢に、先んじて気にしないで欲しいと伝える。
昨日グローデウロウス導師の許へ行ったと聞いた。今日辺りはとてつもなく眠い日だろう。
「まちあわせ…ておどあさまと、ですか?」
「うん。そう。テオと」
本当は待ち合わせなんてないのに、私の口はそう言っていた。
誰かいたら今日出された課題について意見を訊こうと思って来たが、彼女の眠りを妨げてまですることじゃない。
自分の手で紅茶を淹れて、エリアル嬢の隣へ座る。
エリアル嬢の膝には本が開いて置いてあるが、読書が進んでいるようには見えない。
とろとろと、眠たげに目を細めている。
眠くて意識も定かでないのだろう。私が本を読まずに眺めていても、エリアル嬢は気付いていない様子だった。
次第に深く眠りへ誘われて行くエリアル嬢の手から力が抜け、膝の上の本が落ちそうになる。
とっさに手を伸ばして、落ちる前に本を取り上げた。
「ん…もうしわけ…ありませ…」
「大丈夫。眠いなら、ゆっくり眠ると良いよ。ほら、横になって」
誘えば膝に来るはず。
ツェツィーリア嬢の言葉を思い出して、試しにと腕を引けば、小さな黒い頭が、ころんと膝に収まった。
あっけないほど簡単に望みが実現されて、思わず笑ってしまう。
膝に乗ったことはあったかもしれないが、膝にひとを乗せるなんて初めてで、与えられた温かさにくすぐったい気持ちを覚える。
自分に身を委ねて安らかな寝息を立てる黒猫のような少女が、この上なく愛おしい。
起こすのは忍びないと思いつつも、自分の欲望に従ってエリアル嬢の髪を梳く。
闇から紡ぎ出したような漆黒の髪は、極上の絹のようにすべらかで柔らかかった。
これが自分と同じひとの一部だろうかと、不安になるような手触りだ。
長く伸ばせば良いのにと思うが、この長さこそ彼女らしいとも感じる。
顔に掛かる髪を払おうと触れた頬も、なめらかできめ細かく、自分とは明らかに違う触り心地だった。
白い肌に映える薔薇色の唇が漏らす吐息が、なんとも悩ましい。
「ねぇ、エリアル…?」
誰もいないのを良いことに、本来ならば許されない呼び方を口にする。
男はともかく女性を、迂闊に特別扱いは出来ない。
気軽にアルなんて呼べるテオが、本当はうらやましかった。
「エリアル」
呼び掛けても、エリアル嬢は目覚めない。
髪をすくって、口付けた。
「こんな風に誰にでも、気を許してはいけないよ?」
幼く愛らしい黒猫を、食べてしまおうと思っている悪い狼なんて、いくらでもいるのだから。
「きみをどこかに閉じ込めて、私だけのものに出来れば良いのに」
奔放な黒猫は好き勝手に動き回り、その妖艶な愛らしさでたちまち人心を捕らえてしまう。
きみを見つめる人間なんて、私ひとりで十分なのに。
ため息を吐いて、エリアル嬢から手を離した。
これ以上触っていたら、勢い余って壊してしまいそうだ。
彼女の時を止め、首輪に鎖を付けて、無理やりにも私だけのものにしてしまう。
「本を読むって、言ったからね」
待ち合わせは嘘でもそれくらいは真実にしようと、荷物から本を取り出す。
堪えきれないほどの欲望から、目を逸らすために。
静かな空間にエリアル嬢の寝息と、本を捲る音だけが響く。
ひどく穏やかで、この上なく幸せな時間だった。
このまま時を止めてしまおうか。
叶わない願いが、頭をよぎった。
扉が開く音で、顔を上げる。
時計を確認すると、すでに一時間も経っていた。
幸せな時間は、憎たらしいほど過ぎるのが早い。
入って来たのは初等部生のはずのアーサーで、私たちを見留めると少し微笑んで写真機を構えた。
写真機?
首を傾げる私に構わず、アーサーは写真機を鳴らした。
ぱしん、と魔法が弾ける音が響く。
まさか無言で取られるとは思わず、不意打ちに唖然とする。
今が幸せ過ぎて、完全に気を抜いていた。
「アーサー?」
「すみません」
かすかに険の混じった呼び掛けを投げれば、苦笑して謝られた。
悪びれもせず写真機をしまう辺り、反省はしていないと見える。
「父と兄と母からの、指令でして」
「指令」
「ええ。絶対に流通していないようなアルねぇさまの寝顔写真を撮っておいでと。ちょうど良かったです。ヴィックの膝枕なんて、このサロンへ入れる人間でないと撮れないでしょう?」
確かにそうだけど。
「絶対に流通していないような寝顔写真って…ん?アーサー、それはもしかして、エリアル嬢の寝顔写真が出回っていると言うこと?」
「らしいですよ」
アーサーが荷物から、写真を三枚取り出す。
受け取って見れば、なるほどどれもエリアル嬢とわかる寝姿だった。
二枚は図書館で、一枚は机に突っ伏して、もう一枚は窓枠に腰掛け寄り掛かって眠っている。どちらも離れた位置からの写真だし、突っ伏した写真などほぼ顔は見えないが、そもそも黒髪の生徒なんてひとりしかいないのだから、顔が見えなくとも誰の写真かは自明だ。
残りの一枚は校内のバラ園らしき場所の写真で、ベンチに横たわるエリアル嬢に、数匹の黒猫が集っている。大きさからして子猫で、丸まって眠ったり手や髪にじゃれついたり、不吉とされる黒猫ながらたいへん和む光景だ。こちらも遠目から撮られていて、エリアル嬢の顔ははっきり写っていない。
ツェツィーリア嬢に聞いてはいたけれど、本当に無防備に眠っているね。
私の膝の上で平和そうに眠る顔に、少し悪戯でもしたい気持ちになった。やらないけどね。
「これは?」
「どこから入手したか知りませんが、父上が持っていました。どうやら中等部を中心に出回っている写真らしいですよ。誰かが売り歩いているとか」
「エリアル嬢は知らないんだろうね」
「でしょうね」
無防備に眠っているからと言って、勝手に写真を撮って売り歩いて良いと言うものではない。
中等部生にもなって、それくらいの分別もないとはね。
ため息を吐いて、アーサーを見上げる。
「生徒会で対策を取るよ。この写真、借りても良いかな?」
「もちろん。そのために僕も来ましたから。それでこのこと、アルねぇさまには?」
エリアル嬢も生徒会役員だ。
生徒会役員だ、けれど。
「教えるわけないだろう?エリアル嬢は、知らなくて良いことだ」
「わかりました。ではそのように」
「待った。アーサー、さっきの写真」
それだけ伝えたいだけだったらしいアーサーが立ち去ろうとするのを、呼び留める。
「悪用はしませんよ、勿体ない」
「そうじゃなくて、いや、それも重要だけどね」
やはり隠し撮りを反省する気はないらしいアーサーに、にっこりと笑って言う。
エリアル嬢を知らなければ、私が男子生徒に膝枕しているようにも見える写真だ。悪用の方法はいくらでもあるだろう。
けれど、それよりはるかに重要なことがある。
「隠し撮りをしたことは黙っていてあげるから、私にも焼き増しを回すんだよ」
「…ヴィック」
「なんだい?」
「いえ。わかりました」
アーサーは苦笑すると、頷いて出て行った。
膝の上のエリアル嬢をなでて、呟く。
「あまり迂闊に出歩くようなら、本当に閉じ込めてしまうからね」
「んぅ…」
単なる寝言。けれど了承と受け取って、私はゆるりと微笑んだ。
エリアル嬢の不足を補うために、風点の役員をしていたリリアンヌ嬢に声を掛けた。
オーレリア嬢とアーサーには、エリアル嬢の視線を逸らして貰えるよう頼む。
エリアル嬢への執着は、ひと一倍高い面々だからね。エリアル嬢の隠し撮り写真、それも寝顔が売られているなんて言えば、怒らないわけがなかった。
いつにない気迫とやる気のお陰で、たちまち写真が回収され、犯人も判明する。
このやる気を常に出せば良いのだけど、まあ、出さなくても優秀なんだから、とやかく言う必要もないかな。
テオもリリアンヌ嬢も容赦なく所有者から写真を没収した。お金で買ったと言われても、返金もせずただ取り上げる。
「こんな写真こそこそ持ってたなんて知ったら、アルはどう思うだろうな」
「エリアルだって女の子ですから、知らない間に自分の写真が売られていたなんて、恐ろしく思うでしょうね」
テオやリリアンヌ嬢の言葉に、ほとんどの人間は大人しく写真を差し出した。
写真を買ったのは少なからずエリアル嬢に好意を持つ生徒たちだからね。エリアル嬢に嫌われるかもしれないと思えば、従うほかなかっただろう。
可哀想だとは思うが罪悪感はない。私のエリアル嬢の写真に、勝手に手を出したのだからね。
「大人しく出すなら学院内のことだし、私も見逃そうと思うけどね。きみたちのやっていることは、れっきとした犯罪だよ?」
それでも渋る生徒には、私が直接お話に行った。
写真機が発明されたときに写真に写るひとの権利を明文化し法律を作ったひとに、感謝したいと思う。
個人的に楽しむならともかく、本人の了解を得ずに撮った写真を本人の了解なくばらまくのは犯罪だ。まして売買を行った場合、売り手も買い手も罪に問われる。この場合、知らなかったでは許されない。買い手にも、肖像権の重要性を理解させるためだ。
この法律がある以上、写真売買について正式に罪に問える。
あまり実用例はない法律ではあるが、エリアル嬢に関して言えば写真一枚でも重要な情報だ。エリアル嬢自身が許したとしても、国が許さない。宰相からアーサーに声が掛かり、私に伝わったと言うのは、つまりそう言うことなのだろう。
さすがに犯罪とまで言われれば、みな従わないわけには行かなくなって、しぶしぶながら写真を差し出した。
「これが原画よ。こちらは没収した売上金。原画は私保管にするわね。売上金は、生徒会と風点の予算に回しましょう」
ひとり犯人に会いに行っていたツェツィーリア嬢が、結構な金額を持ち帰った。
犯人のところへ行くと言って出て行ってから、一時間ほどしか経っていなかった。
「…どうやって脅したんだよ」
「あら、少しお話しただけよ?ものわかりの良い相手で助かったわ」
にこやかに笑うツェツィーリア嬢に、誰もそれ以上は問い掛けなかった。
「ふふ。良い手駒が増えて良かったわ」
小さく呟かれた一言に、テオは少し引いていたようだけれど、私はむしろ頼もしさを感じた。
こうして問題自体は呆気ないほど簡単に収束したけれど、そのあとが大変だった。
再発防止と別な問題の発生を防ぐために、学則を徹底的に洗い直して改正したのだ。
この件に関しては理由を変えてエリアル嬢にも協力を頼んだけれど、初等部から専科までの生徒会と風点、教師陣も巻き込んでの大々的な学院改革になって、発起人として主軸になった私は、激務に追われることになった。
その甲斐あって、学則はかなり改善されたし、学院内で私の実力が認められ統治者として支持を得ることにも繋がったけれど、学業をしつつの大改革は、たかが学院ひとつのこととは言え、かなりつらい課題だった。
さらに大規模な国の改善を日々こなしているのだと思うと、父や宰相をはじめとする国政を支えるひとびとに頭が上がらなくなる。
いずれ、自分も。
はじめはエリアル嬢の写真がばらまかれたことへの怒りが原因とは言え、改めて身を引き締める、良いきっかけになった出来事だった。
ようやく、終えた。
学長との話し合いを終えて学則改正にやっと目処が着いた。
これから生徒に周知して施行して、と言う重要な段階は残っているが、会議に会議を重ねての改正案決定に比べれば、はるかに楽なものだ。
肩の荷が下りた気持ちになりながら、サロンの扉を開く。
宿舎に戻って休めば良いのだが、あまりに疲れていてそのわずかな移動ですら億劫だった。
少し休もうと、重たい足をサロンまで運んだ。
頭痛がする。
この程度で音を上げてしまうなんて、情けない。
額を押さえてため息を吐いた私の背に、そっと温かい手が触れた。
「殿下?ソファまで、歩けますか?」
痛む頭にも優しい、女性にしては低く穏やかな声。
温かい手が私の片手を取り、背中を支える。
「エリアル嬢…」
「顔色が悪いです。ソファまでお支えしますから、お休みになって下さい」
密着するように支えられて、細心の注意の下、ソファまで先導された。
歩けない親を労るような、丁寧で心のこもった扱いだった。
サロンには彼女以外に人影はなく、彼女が飲んでいたのであろうお茶の香りが漂っている。
夕暮れ時の日差しが、サロンの中を朱く染めていた。
私をソファの端に座らせると、エリアル嬢はてきぱきとした動きで温かいお茶を淹れた。
「疲れを癒やすお茶です。飲めますか?」
そっと手渡されたカップを持つ手まで支えられると、なんだか自分が重病人にでもなった気分になる。
そんなにも、酷い顔色をしていたんだろうか?
情けな、
「殿下のご尽力で、無事学則の改正が行えそうですね。わたしとは比べものにならないほどの激務、本当にご苦労さまでした」
情けないなと考えかけた私の思考を遮るように、エリアル嬢が微笑んで言った。
「いや、王太子として、これくらいは当然の、」
「王太子さまとは言え、殿下はまだ十四歳ですよ?専科や高等部生、教師陣までいる中で、王太子殿下で生徒会長とは言え中等部二年のヴィクトリカ殿下が陣頭指揮を取ったと言うことは、誇るべきですよ。誰にでも出来ることではありません」
まだ十四歳。
そんなことを言われたのは、初めてだった。
王太子に求められる資質は高い。まして学生の身分とは言え、二年後には成人だ。
未熟で良いのだ、なんて、誰も言うものはいなかった。
返答に詰まった私がカップを口に運べば、それを支えながらエリアル嬢は続けた。
「なにもかも完璧に、なんて、誰にも出来ませんよ?意外と誰でも欠点だらけで、ただ装うのが巧いだけなのです。わざわざ欠点をひけらかす人間なんていないのですから、自分以外は良いところばかり見えて当然です。どれが出来なかったかを反省するのも大切ですが、どれが出来たかを褒めることも、忘れてはいけませんよ。まずは、放り出さずにやり遂げた自分に、ご褒美をあげましょう?」
温かく芳しいお茶と、落ち着いた声が、私の心を溶かす。
張り詰めた心を弛め、解してしまう、麻薬のような、
「完璧でなくても、きみは許すの?」
「完璧な人間なんていたら、殺したくなりますよ」
「ふふっ」
肩をすくめて呟かれた言葉に、思わず笑いが漏れる。
ずっと、完璧であれ、と教えられて来たのに、この猫はなんてことを言うんだろう。
黒猫は真面目な顔をして、とんでもないことをのたまう。
「例えば誰にでも好かれる、完璧な人間がいたとして、わたしはそんな人間嫌いですから、わたしにとってはその人間は完璧ではありません。評価なんて立場や状況で変わるものなのですから、完璧なんて目指すだけ馬鹿馬鹿しいですよ。結局、自分が満足出来るかどうか、それに尽きます」
「苛烈な意見だね」
「わたしは自分勝手な人間ですから。駄目だったことを考えて暗い気持ちでいるよりも、良かったことを拾い集めて笑っていた方が、人生楽しいですよ。…それくらいの気持ちでいないと、やっていられません」
あ、と思って、エリアル嬢の頬に手を伸ばす。
遠くに奪われる前に、黒猫の視線を引き戻す。
「私は、頑張ったかい?」
「ええ、とても、頑張っていらっしゃいましたよ」
すっと目を細めて微笑まれて、それなら少し、自分を甘やかしても良いかと思った。
どこまでも堕落したりはしない。でも、いまこのひと時は。
お茶を飲み干して、カップを置く。
「うん。少し、疲れた」
目を閉じて呟けば、休んで良いのですよ、と、甘い誘いを掛けられる。
黒猫らしい、悪魔のような誘いだ。
「少し、眠っても、良い?」
「ええ。よろしければ、わたしの膝を使いますか?」
「うん。ありがとう」
誘われるままに、柔らかな膝に頭を預ける。
少し高めの体温と、甘い日溜まりの香りが眠気を誘う。
温かい手が、そっと頭をなでた。
「たくさん、頑張りましたね。大変でしたね。ご苦労さまでした」
なでる手と落とされる声に、おとされて、いく、
「おやすみなさい」
その声を最後に、私の意識は途切れた。
ё ё ё ё ё
なかなか宿舎に帰らないヴィクトリカを探してサロンへとやって来た一同は、暗闇に飲まれていた室内に明かりを灯すと、しばし無言でソファを、正確にはソファで眠るふたりの人影を、見下ろした。
窓の外はもう、完全に日が落ちている。
ソファに横たわるヴィクトリカと、彼の頭を膝に乗せ、ソファの肘掛けに寄り掛かって眠るエリアル。
ふたりとも寝顔は安らかで、年相応以上のあどけなさを感じさせた。
テオドアが唸るような声で、口火を切る。
「…これは、どう言う状況なんだ」
「ヴィックに膝を貸して寝かしつけたあとで、自分もつられて寝たんじゃない?」
「とりあえず、写真ですね」
義姉弟ながらエリアルの寝穢さについての認識は一致しているらしいツェツィーリアとアーサーが、さして驚いた様子もなく答えた。
アーサーに至っては当たり前のように荷物から写真機を取り出し、ぱしん、と鳴らす。
「「アーサー」」
ふたり分の声は、同時だった。
アーサーが苦笑して頷く。
「もちろん焼き増しますよ、義姉上、レリィ」
「アーサーさま、」
「ヴルンヌ先輩にも焼き増しますね。ちなみに立場が逆の写真もあるんですが」
「お願いしますわ」
「れりぃにもね!」
アーサーの語尾に食いつき気味で重なる、リリアンヌとオーレリアの声。
明後日の方向に飛んでいく会話に、テオドアが待ったを掛ける。
「そうじゃなくて」
「ん?テオは要らないですか?」
「いや、要る。じゃなくて、なんでヴィックをアルが膝枕してんだ」
テオドアが眉間にしわを寄せ、不服げに髪を掻き上げる。
対する四人は、顔を見合わせ、
「アルだからでしょ」
「アルねぇさまですから」
「アルねぇさまだものー」
「エリアルですからね」
当然のように答えられて、テオドアの眉間のしわが深くなる。
「アルだからなんだよ」
不機嫌な声に、ツェツィーリアが苦笑した。
「アルは膝枕への敷居が低いのよ」
「簡単に借りるし貸すのよね」
「…ヴィックは男だぞ?」
「でも、この前はヴィックの膝を借りて寝ていましたよ?」
「アーサーにも貸してたわよね?」
「れりぃもこの前してもらったもんねー」
「え、テオドアさまは借りたことも貸したこともないのですか?」
「え?」
「え?」
見つめ合う、テオドアとリリアンヌ。
しかしふたりの間に甘い空気は一切ない。
ホー、と、どこかでふくろうが鳴いた。
テオドアが固い声で答える。
「ないけど」
「え?」
「…リリア、さり気なく抉るのやめなさいよ」
見かねたツェツィーリアが諌めるが、天然か計算か、リリアンヌはさらにテオドアを抉りに行く。
「ですが、エリアルって、よくここで誰かに寄り掛かって眠っていますよね?」
「まあ、そうね。私もよく枕にされるけど」
諌めたくせに肯定する辺り、ツェツィーリアも大概だ。
「ですよね。最近は無意識にわたくしを枕にしてくれるようになって…」
「ツェリかリリアが枕にされやすいわよね」
我が意を得たりと頷くリリアンヌの言葉を、オーレリアが補強する。
アーサーも否定せず、頷きを返した。
「気を許しているんでしょうね、同じ歳で同性で、アルねぇさまと一緒にいる時間も多いですし」
「鐘楼ではよくアーサーと寝てるわよね」
「…条件反射で眠くなるんですよ」
「どんな条件反射よ」
ツェツィーリアの突っ込みにアーサーが答える前に、テオドアが口を挟む。
「猫は枕にしてたが、人も枕にするのか?」
「テオドアさまは枕にして貰えないのですか?」
「…」
「リリア、もうやめてあげなさい」
ついに閉口したテオドアに、ツェツィーリアがタオルを投げる。
オーレリアとアーサーが、明かりを点けられても周囲で会話されても目を覚まさないエリアルとヴィクトリカを見下ろした。
「起きないねー」
「よく寝てますね」
「疲れているんでしょう。ヴィックもかなり気を張っていたし」
「今日くらいは、まあ、仕方ないですわね」
少し悔しげながら、誰も起こそうとはしない。
「つか、ヴィックがここまで気を抜いてんのも驚きだけどな」
しみじみと呟いたテオドアの言葉に、ツェツィーリアが少し諦念の滲む声を出す。
「…アルだもの」
その場に、ああ、と言う納得の空気が漂った。全員の総意だった。
オーレリアがため息混じりに笑う。
「その一言で納得出来るのが不思議だわぁ」
「でも、エリアルですものね」
「アルねぇさまですもんね…」
「ヴィック役得!ずるい!」
オーレリアが唇を尖らせる。
ツェツィーリアがオーレリアの頭をなでた。
「健闘賞、かしらね」
「ん…」
小さな唸り声と共に、エリアルが目を覚ます。
全員の視線が、いっせいにエリアルへと向かった。
「あら、アル、起きたの?」
「おじょ、さま?おはようございます」
「もう夜よ」
「では、こんばんは。みなさま、お揃いで、どうかしましたか?」
まだ眠りの余韻が残る緩慢な動きで、エリアルが首を傾げる。
ツェツィーリアが淡く笑って、ヴィクトリカへ目線を向けた。
「話し合いがどうなったか、訊こうと思ったのだけどね」
「今日は、」
「ええ。やめておくわ。せいぜいあなたがいたわってあげてちょうだい」
「かなり、顔色を悪くなさっていたのです」
眠るヴィクトリカを擁護するように、エリアルが言い訳を吐く。
エリアルがなでたヴィクトリカの目許には、かすかながら隈がうかがえた。
端麗な顔に陰を差す隈が、痛々しい。
ヴィクトリカの努力を否定する者は、ここにはいなかった。
「そうね。少し、頼り過ぎたわ」
「ヴィックは少し、頑張り過ぎるんですよね」
「自分に厳しいのは良いけど、厳し過ぎは駄目よね」
「もう少し、俺たちも頑張らないとな」
「殿下に頼って頂けるように、ならないといけませんね」
優しい言葉を受けて、エリアルが微笑む。
ツェツィーリアがエリアルの頬に手を伸ばして、言う。
「先に戻っているから、ヴィックが十分に眠ってから帰っていらっしゃい」
「エリアルも、ゆっくり休んで下さいね」
「またな」
「アルねぇさま、またね」
「また、お話ししましょうね」
「はい、また」
出て行く面々を見送って、エリアルはヴィクトリカの頬をなでた。
「ほら、殿下、みなさま完璧でないあなたでも、幻滅したりしませんよ。もっと、頼って、良いのです」
穏やかに囁き掛ける声が、眠るヴィクトリカに届いたかはわからない。
ひとの減ったサロンの中で、かすかな寝息の音だけが響いていた。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
もうやめて、テオのライフはゼロよ!
と本文に入れたくなりました
割烹ではご連絡しましたが
作者の事情により更新速度が下がる可能性が高いです
すみません(´・ω・`)
亀更新でもエタりはしないので
見捨てずお読み頂けると嬉しいです




