取り巻きCとお昼寝の時間
視点が変わりまくります
テオドア/オーレリア/リリアンヌ/三人称/
ヴィクトリカ/ツェツィーリア/エリアル視点
エリアルが中等部時代のお話
とにかくエリアルが寝ています
ほのぼのしたお話…にしたかった orz
それは、とある、うららかな午後のお話。
いつものように中等部のバラ園へ食料を持って行くと、そこにはすでに先客が、
「…寝てる、のか?」
大きな黒猫を枕に、眠っていた。
親猫を枕に眠るアルの顔をはさむようにいっぴきずつ、肩にいっぴき、お腹にいっぴき、ももにいっぴき、子猫が眠っている。
アルも含めた猫たちは、それはそれは気持ちの良さそうな寝息を立てて、安らかに眠っていた。
近付いても、起きる様子は…、
「ああ」
そもそも、近付けなかった。
手の届く距離まで近付こうとすると、なにかに身体が押し戻される。
原理はわからないが、アルの魔法だろう。
無防備に眠っているようで、その点は抜かりなかったようだ。
起きないのを良いことに、存分に楽園を観察させて貰う。
たとえばアルが眠りの呪いを掛けられた姫君で、運命の相手の口付けで目覚めるとしても、俺は口付けをためらったと思う。
可愛いは、正義だ。
しばらく見ていてもアルが起きる気配はなく、俺は持って来た食料だけ置いて、その場をあとにした。
「アルねぇさ、」
扉を開けて声を掛けかけたレリィの声が途中で止まる。
首を傾げてレリィの視線を追えば、アルねぇさまはふかふかのソファの真ん中に身を埋めて眠っていた。手元には、開いたままの本が置かれている。
よく眠っているらしい。
ずり落ち掛けた本を取り上げても、アルねぇさまは起きなかった。
レリィとふたり、しばしアルねぇさまの寝顔を観察したあとで、顔を見合わせた。
言葉は出さないまま、頷き合う。
僕らが両脇に座っても、アルねぇさまが起きることはなかった。
弛緩した身体に身を寄せれば、相変わらず彼女の身体は温かい。
心地良い体温と健やかな寝息につられるように、僕たちは眠りに誘われた。
隣で本を読んでいるエリアルは、先ほどからたびたびうつらうつらと揺らめいています。
どうやら、眠いようですわね。
「眠っても、構いませんよ?ツェツィーリアさまが来たら、起こしますから」
用事で席を外しているツェツィーリアさまを待っているのですが、まだまだ来ないご様子です。
眠いのでしたらお昼寝しても大丈夫だと思いますが。
とろん、とした瞳で、エリアルがわたくしの方を向きました。
「だいじょぶ、です」
気丈に答えて見せますが、明らかにろれつが怪しく、挙げ句、ふにゃ、とあくびを漏らしています。
「無理に起きていなくても…なんでしたら、わたくしの膝をお貸しいたしますよ?」
妹に膝枕、と言う夢を見て、下心混じりで言った言葉でした。
まさか叶えられるとは思っていなかったわたくしの膝に、ぽすん、と重みが掛かります。
「え?」
いつの間にか本を置いたエリアルの頭が、わたくしの膝に収まっていました。
わたくしが状況を理解するよりも早く、穏やかな寝息が聞こえ始めます。
どうやら本当に、眠くて仕方がなかったようですね。
ただでさえ濃く長いエリアルのまつげは、瞳を閉じると余計に目立ちました。
呼吸がなければ、人形かと思うようなお顔です。
あどけなくも美しい寝顔に、思わず鼻を抑えました。
愛らし過ぎます。なんですかこの天使は。
欲求に逆らえずに、わたくしは柔らかそうな髪へと手を伸ばしました。
そっと頭をなでても、エリアルは目覚めません。
結局その後ツェツィーリアさまが来たのは一時間後で、ずっとエリアルの頭を乗せていたわたくしの脚は完全に痺れておりましたが、それはとても幸せな痺れでした。
「…なにを、やっているのです」
宰相は、華奢な少年を抱き締めた青年に声を掛けた。
国家トップの男に敬語を使われるには若過ぎる外見の男が、顔を上げる。
「寝てんだよ。静かにしてろ」
男、宮廷魔導師ヴァンデルシュナイツ・グローデウロウスが若いのは見た目だけで、実際は宰相より年上だ。
そして少年、エリアル・サヴァンも着ている服こそ男物だが、実際は少女。
良い年した男が、明らかに血縁のない年端も行かない少女を膝に乗せて抱き締めている光景を想像してみて欲しい。
犯罪である。
「寝てるって…」
言われてみれば確かにエリアル・サヴァンは安らかな寝息を立てていた。
グローデウロウスの服を掴んで、安心しきった顔で身を委ねている。
「少し…取り乱したんだよ」
ずり落ちそうになったエリアル・サヴァンを抱き直して、グローデウロウスが言う。
「落ち着かせようと抱き上げて、そのまま寝たんだ」
「ん…にゃ…」
「ん…?どうした?俺はここにいるぞ。もう少し、寝てろ」
なにやら呟いたエリアル・サヴァンが、眉を寄せてグローデウロウスの首元にすり寄る。
グローデウロウスが声を掛けて頭をなでると、安堵したように表情を弛めた。
警戒の欠片もない顔で眠る少女は、実際の年齢以上に幼く見えた。
「あなたは、そんな顔も出来たんですね」
宰相が言う“あなた”は、エリアル・サヴァンではなくグローデウロウスだ。
自分の腕に収まり眠る少女を、愛おしそうに見つめてなでている。
「こいつにとっちゃ俺は、親代わり、だからな。こいつはただでさえ常に気を張ってる上、契約の更新なんて負担の上乗せでしかねぇもんされてんだ。回復のためには、寝れるだけ寝た方が良い。余計な気を張らなくて、良いところでな」
呟いた言葉を、グローデウロウスはどんな気持ちで吐いたのか。
返す言葉を失った宰相に、グローデウロウスがにっと笑みを向ける。
「つーわけで、俺は取り込み中だ。用事なら余所へ回せ」
しっしと追い払う如く手を振るわれて思わず怒鳴り返しそうになった宰相が、グローデウロウスに睨まれたのは言うまでもない。
三人掛けソファの左端に座って読書していたツェツィーリア嬢が、私を見上げてそっと唇の前で指を立てた。
静かに、と言う無言の指示に、黙って頷く。
本を読むツェツィーリア嬢の右肩に、エリアル嬢が寄り掛かって眠っていた。
「まあ、一度寝たらそうそう起きないのだけどね」
ツェツィーリア嬢が微笑んで、抑え気味の声で言った。
「グローデウロウス導師のところへ行ったあと数日は、いつもこうなのよ」
「それは、体調が?」
「いいえ、本人は、眠いだけ、と言っているわ」
エリアル嬢の場合、眠いだけと言う言葉がどれだけ信頼出来るかわかったものではないけれど、顔色を見る限りでは、具合が悪そうには見えない。
安らかに、健やかに、愛らしい寝息を立てている。
「眠いだけ、ね」
「授業中は普通に起きているから、生活に支障があるわけではないわよ?むしろ無防備にうたた寝してる姿が、猫っぽいとか可愛いとか普段と違ってときめくとか、かなり好意的に受け止められて、アルの人気に拍車を掛けてるわ。…寝るだけで人心掌握って、なんなのかしらね。ずるいわ」
普通、貴族、特に女性貴族がこんな風に無防備にうたた寝するなんてあり得ない。
顰蹙を買ってもおかしくない行動なのだが、エリアル嬢の場合、寝顔があどけなさ過ぎて、微笑ましく見えてしまう。
…学校と言う場所も影響しているのかもしれないな。眠りの魔法でも使ってるんじゃないかと思うような、素晴らしい授業に太刀打ち出来ない生徒も多いから。
授業中の居眠りに比べたら、休み時間や放課後のうたた寝なんて、可愛いものだ。
可愛いものだけれど、
「無防備にうたた寝って、教室で、かい?」
このいとけない寝顔を教室でみんなにさらしているのかと思うと、少し、おもしろくないかな。
「教室では、休み時間に眠そうにしているくらいよ。たまに机に突っ伏しているけれど、熟睡はしていないわ」
うとうとはしてると言うことだろうか、それは。
「ひとに見られるところだとしたら、まあ、図書館くらいかしらね。ほかはあまりひとの来ない庭園とか、鐘楼とか、このサロンとかだから、ひとには見られないわ」
「…いっそ寮の部屋で寝れば良いのに」
「眠くなったその場で眠るから気持ち良いのよ、うたた寝って。この前はリリアの膝枕で眠っていたし、その前はオーリィとアーサーに挟まれて、ソファに三人並んで寝ていたわ」
リリアンヌ嬢の膝枕と、エリアル嬢を膝枕。
希望者を募ったら、どちらに多く手が上がるだろうね。
なにをしたのか知らないけれど、リリアンヌ嬢はずいぶんエリアル嬢に心を許されているね。ひとりだけ、エリアル嬢から愛称で呼び捨てにされているし。
私は未だに、殿下、としか呼ばれないんだけどな。
「ツェツィーリア嬢はしないのかい、膝枕」
「膝枕って、足が痺れるのよ。リリアはそれが良いって言っていたけれど、私は理解出来ないわ」
リリアンヌ嬢の意見が凄く男性寄りに思うのだけれど、どうしてだろうね。
我が国では同性婚は認められていない。けれど、リリアンヌ嬢には年の近い弟がふたりいたね。
…警戒、しておこうか。
ひと知れずリリアンヌ嬢への警戒を強めた私をよそに、ツェツィーリア嬢が言葉を続ける。
「アルに至っては涼しい顔で何時間でも膝枕してくれるから、実はアルって人間じゃないんじゃないかって、たまに思うわ。人の頭って凄く重いのよ。十分だって乗せてられない」
「膝枕への夢を壊すような裏事情は、あまり大っぴらに言わないでやってね」
ツェツィーリア嬢の美貌に夢見る男子生徒が聞いたら、絶望しそうだ。
誰もが羨む美貌に、小柄ながら女性らしい凹凸のはっきりした身体付きをしたツェツィーリア嬢を、密かに想っている男子生徒は意外に多いのだから。
ツェツィーリア嬢とエリアル嬢、リリアンヌ嬢にオーレリア嬢の四人は、実のところかなり男子生徒に人気の女子なのだ。
よく一緒にいる私やテオ、アーサーは、羨ましがられている。
ツェツィーリア嬢やエリアル嬢への嫌がらせも、実は気を引くための不器用な方法だったりすることも、あるくらいだ。完全に悪手でしかないけどね。
好きな子に嫌がらせなんて、馬鹿だよね。幼稚過ぎる。
勝手に悪手を打って、勝手に自滅すれば良いと思う。
で、ツェツィーリア嬢?
「つまりツェツィーリア嬢はすでにエリアル嬢に膝枕をしてあげたことがあって、あまつエリアル嬢の膝を枕にしたことすらある、と?」
いや、エリアル嬢ならツェツィーリア嬢に頼まれれば、膝枕くらい喜んでやると言うのは、予想が着くのだけれど。
あまりにも、羨まし過ぎる待遇だよね。
「…私だけじゃなく、オーリィやアーサーあたりも膝枕してると思うわよ、アルは」
アーサー…っ。
「なんと言うか、年下に甘いのよね、アル。妹に嫌われてるから、かしら?」
ツェツィーリア嬢が苦笑して、呟く。
本人から口にすることはないが、エリアル嬢とエリアル嬢の生家、サヴァン家との折り合いは悪い。同じ力を受け継ぐ祖父君や大叔母君が生きていれば、また違ったのだろうけれど、持て余している、と言うのが正直なところなのだろう。
「だからって、アーサーは甘え過ぎじゃないかな?」
「頼めばヴィックもして貰えると思うわよ?」
ツェツィーリア嬢があっさりと言って、絶句した。
「…え?」
「ああ勿論、なんでもないときに突然言っても戸惑われると思うけれど、例えば明らかに寝不足とか、体調が悪そうなときね。なんだかんだ弱いものには優しいし、さすがに親しくもない男子生徒には無理でも、ヴィックならある程度親しくしているから、膝くらい貸してくれるわよ。ほら、貧血で倒れた女生徒をお姫様抱っこで運んだり、具合が悪くて嘔吐した子の吐瀉物を、とっさに上着脱いで見えないように受け止めてあげたりとか、あったでしょう?鼻血や怪我にも、真っ先にハンカチを差し出すのがアルだし。びっくりするくらい、ひとへの奉仕にためらいがないのよ、アルって」
言われてみれば例に出された以外にも、階段から落ちた生徒を受け止めたとか、ボールが当たりそうになった生徒をかばったとか、令嬢の重い荷物を代わりに運んだとか、木の枝に引っ掛かったハンカチを取ってあげたとか、エリアル嬢がひと助けをした話は絶えない。
でも、だからと言って、膝枕は…。
信じていないことを、表情から読み取ったのだろう。
ツェツィーリア嬢は苦笑すると、ぱたんと本を閉じた。
「逆より簡単だと思ったのだけれど。と言っても、逆も難しくはないわね。このサロンだとアルも、比較的気を抜いているみたいだから」
本をソファ脇のテーブルに置いて、ツェツィーリア嬢がエリアル嬢の頭をなでる。
「隣に座ってうとうとしてるときに、膝を貸すと申し出たらあっさり従ったそうよ、リリアの場合。アルはいつ寝たか覚えていなくて、リリアに謝っていたけれど」
ツェツィーリア嬢が腕を引けば、簡単にエリアル嬢は肩からずり落ちてぽすんと膝に収まった。
私を見上げたツェツィーリア嬢が笑う。
「ね、簡単でしょ?こんなことされても起きないのよ、アルって」
「んん…」
体勢を変えられて寝心地が悪くなったのだろう、唸ったエリアル嬢がかすかに身じろいだが、起きる様子はなかった。
ツェツィーリア嬢がくすくすと笑う。
「本当に、猫みたいね、あなた」
こしょこしょと指先で頬をくすぐられて、エリアル嬢が眉を寄せる。
くすぐるツェツィーリア嬢の指を掴んでどけて、掴んだまま、変わらぬ寝息を立て始める。
起こすのが忍びないくらい、堂々とした寝穢さ加減だ。
童話の眠り姫だって、ここまで無心に眠りを貪りはしないだろう。
こんな姿でも幼い子どもや子猫のようで愛おしく思えてしまうのだから、なるほどエリアル嬢はずるい。
もう少し眠らせたい。
その気持ちは、ツェツィーリア嬢も同感だったらしい。
「ちょっとアル。手を掴まれたら本が読めないじゃない」
文句を言うも声は穏やかで、寝る子を起こす響きはなかった。
ツェツィーリア嬢に苦笑を向けて、問い掛ける。
「お茶にしようか。私が淹れるよ」
使用人を呼んで、この空間を壊すのは無粋だ。
首を傾げたツェツィーリア嬢は、少し驚いたようだった。
「淹れられるの…?」
お茶会も仕事のひとつの女性貴族と違い、男性王族である私が、お茶を淹れられるとは思わなかったのだろうね。でも、
「正しい動きを知らないと、間違った動きに気付けないからね」
茶器を取り出しながら、説明する。
「目の前の女性が、お茶を淹れるのに必要のないものを入れたときに、それを指摘出来なければ、危ないでしょう?」
「…なんだかお茶を飲む気が失せる説明を、どうも」
「理由はどうあれ教えた教師は一流だから、味は保証するよ」
どうせ覚えるならきちんと使えるものを。
そう言って丁寧にお茶の淹れ方を教えてくれたのは、父に仕える侍従長だった。
「最大の理由は異物混入の指摘だけれど、正しい形さえ知っていれば、例えば凄く手際が良いとか、丁寧に淹れてくれているとかもわかるから。お茶を淹れてくれる人間がどんな教育を受けたとか、どんな気持ちでお茶を淹れているかとかも、推測することが出来るんだよ」
例えばエリアル嬢は、使う茶葉はもちろん、そのときの気温や湿度、飲ませる相手やお茶菓子で茶葉の量や抽出時間を変えている。手付きは丁寧で、そのとき出せる最高のものが相手の口に入るように、とても気を使ってくれている。
対して、私の側付きをしている侍従はまだ若いからか、教科書通りな几帳面なお茶の淹れ方をする。母より年上な侍女たちは、さすが経験豊富と言うべきか、常に一定の質の紅茶を淹れる。
そんな違いもきっと、お茶の淹れ方やかすかな味の違いを知らなければわからないだろう。
「アルと同じことを言うのね」
「エリアル嬢と?」
振り向いて問い掛ければ、ツェツィーリア嬢はこくりと頷いた。
「相手のやっていることを理解することは、相手を理解することだって。なにも知らなければ漠然と眺めるしか出来ないことも、知識を得れば着眼点が見えて来るし、楽しみ方や受け取り方にも幅が生まれるからと」
私にその言葉を与えたのは、お茶の淹れ方を教えてくれた侍従長だった。
ならば、エリアル嬢にその言葉を与えたのは、いったい誰なのだろう。
「紅茶も、銘柄を知らなければ語れないからね」
ツェツィーリア嬢の前に、淹れた紅茶を置く。
「どうぞ。お茶請けがないのが、申し訳ないけど」
片手でカップを取ったツェツィーリア嬢が一口飲んで、
「美味しい」
と微笑んだ。
お茶や料理の場合、結局どんな蘊蓄も賛辞も、このひとことと笑顔にはかなわないのだけれどね。
「お褒めに預かり光栄だよ」
自分の分の紅茶を持って、エリアル嬢がよく見える位置に座る。
カップを置いてカバンをあさったツェツィーリア嬢が、なにやら小さめの巾着袋を取り出した。
「紅茶のお礼に、特別よ」
器用に片手で巾着を開けたツェツィーリア嬢が取り出したのは、
「クッキー?」
「に、見えるでしょう。でも、しょっぱいのよ、これ」
手のひら大の茶色い焼き菓子のようなものだった。
焼き色は薄く、白っぽい。
「小麦じゃなくて、お米で作った焼き菓子なんですって。お米クラッカーって、アルは言っていたけど」
渡されたそれからは香ばしい匂いがした。
「もしかして、エリアル嬢が?」
「ええ。アルの手作りよ。あんまり広めたくないらしいから、内緒ね」
アルが起きる前に食べちゃってちょうだい、とツェツィーリア嬢は笑った。
力が抜けたのか、エリアル嬢に掴まれていた指をするりと逃す。
「ありがとう。じゃあ、見つからない内に」
かじってみると意外に歯ごたえがあり、ほのかな塩味がした。
少し油も使ってはいるみたいだが、味付けは塩だけのようだ。バターの風味も香料や香辛料も感じない。
飾り立て工夫を凝らすのが義務みたいな宮廷料理では、ほぼ存在しないような、簡素なお菓子。
「…こう言うの、好きだな」
「あら、気が合うわね」
ツェツィーリア嬢が微笑んで言って、ぱりっとお菓子を小さく割ってから口に入れた。
味付けは素朴だが歯ごたえがしっかりしているので、お腹に貯まる。
甘いクッキーよりこちらを好むひとも、かなりいるのではないだろうか。
ぱりぱりと音が立つから、一般的なご令嬢は嫌厭するだろうけれど、気に入ると止まらなくなりそうなお菓子だ。あっという間に、一枚平らげてしまう。
「私が甘いものをあまり好まないからって、いろいろ工夫してくれるのだけれど、その中でも特に好きなのよね。でもアルったら、ケーキやマカロンが似合う顔のくせにって、文句を言うのよ。自分で作ったのに」
「でも、文句を言いつつ作ってくれるのでしょう?」
羨ましい限りだ。
エリアル嬢に手料理をねだれるなんて、ツェツィーリア嬢くらいのものだろう。
「ひとりのときに食べるように、再三念押しされるけれどね」
ヴィックにあげたなんて言ったら、怒られるわと肩をすくめる。
「それなのにくれたのは、どうして?」
「保険よ」
「保険?」
「そう、保険。胃袋を掴んでおこうと思って」
お菓子を平らげたツェツィーリア嬢が、ハンカチで丁寧に指を拭く。
「お米クラッカーって、アルの創作料理なのよ。どこからの知識か知らないけれど、アルは独自に独特の料理を作るわ。もし、アルがいなくなれば、二度と食べられない料理だから、もしまた食べたければ,アルに作って貰うか、アルに作り方を訊くかしかないの」
「魔法以外の付加価値を、エリアル嬢に付ける、と?」
「そう言うこと。次期国王が味方なら、安心でしょう?味方してくれるならまた、私のおやつをお裾分けしてあげるわ」
ツェツィーリア嬢はそう言って、巾着をぽんと叩いた。それが、おやつ袋なのだろう。
ツェツィーリア嬢が常におやつ袋を携帯しているなんて、周囲に知れたら愛らしさに悶える一部人間がいそうだ。
「そんなことしなくても、私は味方するつもりだけれどね」
「わかってるわ。だから、保険よ。万一あなたがアルを嫌いになっても、あなたがアルを守ってくれるように」
エリアル嬢を見下ろすツェツィーリア嬢の瞳は、まるで母親が愛しい我が子を見るようだった。
「…きみは、エリアル嬢に守られているんだと思っていたよ」
「守られているわ。アルが自分より私を優先するから、私はアルが大事にしないアルを、大切にするのよ」
「それは、」
私が止めた言葉の先を、ツェツィーリア嬢はどう思ったのだろうか。
にっこりと微笑むツェツィーリア嬢に、続きを言わぬまま頷いて見せた。
「味方するよ。美味しいお菓子が、また食べられるようにね」
「ありがとう」
ツェツィーリア嬢は巾着をしまうと、なにごともなかったかのように紅茶を口にした。私も同じように、カップを手に取る。
エリアル嬢は、変わらず穏やかな寝息を立てていた。
懲りないわね。
どんな裏工作があってか知らないけれど生徒会役員になって、だいぶん私への嫌がらせは減った。
それでも完全には消えない陰口や嫌がらせ、呼び出しは、エリアルが見つければ丁寧に潰して行くのだけれど。
このところなかったために油断して、ひと気のない場所でひとりになったら、たちまち周囲を囲まれた。
わざわざ私がひとりになる隙を、うかがっていたのだろうか。ご苦労なことだ。
男子生徒ばかり五人。一面を大木にふさがれ、三面を立ちふさがれているので、逃げ場もない。
めんどくさくなったら、魔法で吹っ飛ばせば良いわよね。
か弱い女の子相手に男が五人掛かりなんて、明らかに向こうが悪いのだし。
か弱い女の子とは思えない思考を巡らせながら、白い目で男子生徒たちを見返す。
なにやらごちゃごちゃとわめいているが、聞く気にもならない。
なんだか、エリアルに影響されて私まで性格が悪くなった気がする。あとで文句を言っておこう。
「おい、聞いて、」
しらけた顔で見返すだけだった私が気に障ったのか、ひとりが私に手を伸ばした、そのときだった。
がさがさっ
たんっ
頭上で大木の葉がこすれる音が響き、そのあとに軽い着地音が聞こえた。
「んぅー…」
少し眠たげな声と、男子生徒たちの後ろに覗く黒い頭。
のん気に伸びをする、私の黒猫がそこにいた。
「こんなところにお集まりで、なにごとですか?」
頭の後ろの癖を気にしながら、エリアルが訊く。
どうやら昼寝をしていたらしい。木の上で。
あなた本当に猫なんじゃないの。
心の中で呆れた声を漏らす。
たまにテオに猫じゃないと反論しているけれど、反論するならもっと行動に気を使うべきだと思う。
木の上で昼寝するような猫娘は、猫と呼ばれても文句を言えない。むしろ猿と言われないことに感謝すべきだ。
「…エリアル・サヴァン」
「?はい、エリアル・サヴァンです」
寝起きのせいかエリアルの頭は今ひとつ冴えていないようだ。
怯んだ男子生徒の言葉に、首を傾げて肯定を返している。
男子生徒の垣根越しに、奔放な黒猫を呼ぶ。
「アル」
「ああ、お嬢さま、おはようございます」
「今はお昼よ」
午後におはようはない。
無駄ににこやかで爽やかさに溢れているからと言って、私は騙されない。
「授業さぼってなにやってるのよ、あなた」
「午前中に用事があったのです」
「もう午後よ」
「思ったより用事に時間を取られて、戻ったときには授業が始まっていたのです」
「だから、昼寝して時間を潰していたと?」
「ええ」
いけしゃあしゃあと頷くエリアルに、今度は現実に呆れたため息が漏れた。
「真面目に学生やりなさいよ」
「出席日数は計算していますよ」
「それを真面目とは言わないわ」
真面目に不真面目な学生をやって、どうするのか。
こんなに不真面目な上に試験で手を抜いて、そのくせ学年四位かと思うと、不条理に思える。
エリアルはくいと首を傾げると、私を囲む男子生徒たちを見回した。
つつかれたくないことは話を変えてはぐらかす。エリアルの常套手段だ。
「それはともかくお嬢さま、男子生徒を五人も侍らせて、悪女ごっこですか?」
「人聞きの悪いこと言わないでくれる?歩いていたらいきなり囲まれたのよ」
「でしたら英雄ごっこですかね?悪漢に襲われたご令嬢を、颯爽と現れた英雄が華麗に救い出すのです。そこからご令嬢と英雄の切ない恋が…!テオドアさまでも呼んで参りましょうか?」
「なんでわざわざテオを呼ぶのよ。あなたが助ければ良いでしょう」
常套手段とわかりつつ乗ってしまうのは、エリアルが選ぶ話題が乗らずにはいれないものだからだろう。
特にテオのことに関しては、地道に否定しておかないと外堀から埋められそうで怖過ぎる。
気付けばテオの婚約者になっていたとか…あり得る。エリアルならやる。
エリアルの旦那枠を狙っているほかの人間たちが、喜んで協力するさままで思い浮かべられた。
テオのことは嫌いじゃないけれど、今のところ旦那にする気はさらさらない。
次男とは言え公爵子息だ。顔も良い。そんな競争率の高い相手の妻なんて、ごめんだ。
他人を蹴落としてまで王子妃や公爵夫人になりたいと思う気持ちは、私にはわからない。
もし、エリアルが男だったなら、エリアルがどんな立場だろうと誰を蹴落とそうと、その最も近い場所に立つ権利を勝ち取っただろうけれど。
今にも走り出しそうなエリアルを止めれば、不満そうに見返された。
あなた私を守るんじゃないの。
「せっかくの好機なのに」
「あなたが上から降って来た時点で好機もなにもぶち壊しだから、諦めなさい」
「こんなひと気のないところで五人掛かりで女の子囲むような意気地なしだから、ちょうど良いかと思ったのですよ。危険もなさそうですし。助けなど不要だったのでは?」
ようやく目が覚めてきたのか、エリアルの発言が切れてきた。
媚びを売るべきご令嬢がいないからか、毒舌が冴え渡っている。
「…助けは、まあ、要らないわね」
「そもそもどうして囲まれたのですか?」
「さあ…。なにかわめいていたけれど、聞いていなかったわ」
エリアルからも私からも馬鹿にされて我慢が限界に達したらしい。と言うか今まで、唐突なエリアルの出現に驚いて呆然としていただけかもしれないけれど。
エリアルと私を隔てる垣根から、声が挙がった。
「無礼も、」
「礼儀知らずはどちらですか」
皆まで言わせず、エリアルが静かに言い放つ。
おもむろに垣根を割ると、私を背にして立った。
長身のエリアルが前に立つと、私はすっぽり隠れてしまう。
まだ成長途中であろう男子生徒たちは、全員エリアルより背が低かった。
「小柄で非力な女性が、自分より大きく力も強い男性たちに囲まれて、どれほど恐ろしく感じるか、想像も出来ませんか?どんな理由があるにしろ、このように大人数で女性を囲むものではありません。悪漢が女性を襲っている、そう取られても、仕方のない行為ですよ」
見下ろす視点から見上げる視点になったことで、エリアルの言葉の説得力は増すだろう。
見下ろす相手と、見上げる相手。受ける圧力は明らかに異なる。
「子どもなら無分別もまだ許されましょうが、中等部に上がってまでこのような行為を続ければ、あなた方の評価が落ちることになりますよ。特にお嬢さまは養子とは言えミュラー公爵家のご令嬢です。ミュラー公爵家に対する侮辱あるいは害意と取られる可能性を、あなた方は考えましたか?」
相手に女生徒が混じっていたなら、咎めはせずに遠回しに問題を伝えるだけだったと思う。
けれど男子生徒だからか、ひさびさの嫌がらせだからか、エリアルははっきりと、彼らの落ち度を罪とあげつらった。
「私は何度も、お嬢さまはミュラー公爵家のご令嬢ですと、お嬢さまは国王陛下に認められて公爵家の養子となったのですと、お伝えしたはずです。その言葉の意味を、いまだに理解出来ませんか?お嬢さまは罪人の娘ではなく、“ツェツィーリア・ミュラー公爵令嬢”になったのだと言うことを、いまだに理解して頂けませんか?」
エリアルの言葉は向けられた男子生徒たちだけでなく、私の心にも刺さった。
罪人の娘であるツェツィーリア・シュバルツではなく、公爵令嬢ツェツィーリア・ミュラー。
過去に囚われるのはやめろ、両親を忘れろと、言われた気がした。
私の雰囲気に気付いたのか、ちらりと振り向いたエリアルが、しまった、と言いたげな顔をした。
それでも気を取り直して、前を向く。
失敗に取り乱さず、優先すべきものに迷わず手を伸ばせる。
それが、エリアルの強さであり、同時に危うさでもある。
男子生徒に目を向けたまま、エリアルが私へ問い掛ける。
「お嬢さま、嫌がらせを受けたと、ミュラー公爵閣下にお伝えすることは可能ですが、いかがいたしますか?」
明言されたことはないが、エリアルは私の監視を命じられているらしい。
エリアルの報告はグローデウロウス導師に伝わり、必要とあらば宰相であるミュラー公爵に伝わり、さらに上にまで伝わることすらあり得る。
さすがに国王に至るパイプを持つことをひけらかす気はないようだが、宰相に伝わると言うだけでも、彼らにとっては十分な脅しだろう。
見えはしないが青ざめているであろう男子生徒たちに溜飲を下げて、私は小さく首を振った。
見えないはずの動きだけで通じただろうけれど、口にも出す。
「今日は囲まれただけだから、そこまでおおごとにしなくて良いわ。義父上さまもお忙しい方ですし、いたずらに騒がせたくないもの。…次があったら、容赦はしないけれど」
「さすがお嬢さま、寛大なご処置ですね」
笑みを含んだ声で、エリアルは言った。
温度がこもった声はそこまでで、男子生徒たちに向ける声は冷たい。
その落差は、私でさえぞくりとさせられるほどだった。
「お嬢さまの寛大さに免じて、今日のところは見逃しましょう。気が変わらぬうちに、お行きなさい」
走り去る足音が、遠ざかって行く。
足音が完全に消えてから、エリアルは私を振り向いた。
「申し訳、ありません」
なにがとは言わず、エリアルは呟いた。
「いいえ。気にしてないわ」
声が震えたのが、嘘を吐いた証拠だろう。
エリアルが少し目を伏せて、自分の片手を持ち上げる。
「守るためとは言え、私はツェリから名を取り上げました」
シュバルツ伯爵家は叛逆罪により、一族郎党すべて打ち首にされた。
叛乱当時乳飲み子だった私まで、ギロチンに掛けられたのだ。
生き残りは、私だけ。
ただひとりの生き残りである私も、ミュラー公爵家の養子に入る形で、シュバルツの名を棄てた。
私が名を棄てたがために、シュバルツ伯爵家は完全に断絶したと言えるのだろう。
私が養子になれるよう仕向けたのは、エリアルだ。
けれど、エリアルの手を取ったのも、養子縁組みを受け入れたのも、私だ。
私はいつかのように、エリアルに手を伸ばしてその手を取った。
「私が、選んだのよ。あなたを拾うことも、ミュラー公爵家に入ることも、私が、自分で選んで決めたの」
温かい手が、私の手を握り返す。
この温もりのためなら、私はなにを棄てたって構わないのだ。
エリアルの手を引っ張って、日溜まりの香りがする胸に、顔を埋めた。
空いた片手で、エリアルが私の頭をなでる。
「忘れなくて、良いのですよ。悪いことだけ忘れて、大切な思い出は、大事に握っていて、良いのです」
低く耳に優しい声が、頭の上に落とされる。
実の両親についてどう思うのか、問われても、答えられない。
気付けば牢獄だったのだ。
何度も何度も謝罪されたのは覚えているけれど、薄暗い牢獄で、五年間を共に暮らしたはずの両親の顔は、ろくに覚えていなかった。
母は手が冷たくて、父は手が大きかった。私の髪の色は母譲りで、瞳の色とつり上がった目は父譲り。それくらいしか、覚えていない。
他家に入ったのにこんなおぼろけな記憶を握り締め続けることを、エリアルは咎めないのだろうか。
「愛された記憶を、忘れる必要はないのです。それはあなたが、誰かを愛するために、必要なものですから」
幼いころ、エリアルはよく私を抱き締めた。
寂しい夜は、隣で眠ってくれた。
いまだにこうして、頭をなでる。
ミュラー公爵家の家族たちは、触れ合いを大切にしている。
月に一度は家族みんなで晩餐会をするし、ことあるごとに抱き締められたりなでられたり、抱き上げられたりする。
特に義母上さまは娘が出来たことが嬉しいのか、なにもなくても抱き締めたりなでられたり着せ替え人形にされたりする。
私が彼らの触れ合いを戸惑わず受け入れられたのは、エリアルが教えてくれていたから、だったのだろう。
愛しいから触れるのだ、大切だから抱き締めるのだと、言葉ではなく行動で、エリアルはずっと示してくれていたのだ。
片手は握ったまま、もう片手でぎゅうっと、細い身体を抱き締める。
「…眠いわ」
「すぐ授業ですよ?」
ぼそりと呟いた私へ、エリアルが苦笑混じりに返した反論は、エリアルにだけは言われたくないものだった。
「私はアルと違って真面目だから、いちど休んだくらいで困らないわ」
「具合が悪いとお伝えしましょうか」
「なに言ってるのよ」
離さないとエリアルの服を握り締めて、私は傲慢に言い放つ。
並みの人間なら怒り出すようなわがままも、エリアルは私に許す。
甘えさせられているのか、堕落させられているのか。
「あなたも休むのよ。でないと枕がないじゃない」
小さなため息と共に、ひょいと身体を抱き上げられる。
「かしこまりました。場所は、サロンでよろしいですか」
「ええ」
エリアルの肩に顔を埋めて、頷く。
サロンに行く道のりは、人目に付く。
うつむいて運ばれていれば、勝手に体調不良と判断されるだろう。
体調不良のお嬢さまのためにエリアルが授業を休んでも、不思議に思うひとはいない。
エリアルの手を握り膝を枕にして、私は贅沢に、午後の惰眠を堪能した。
木の上で眠るのはどうかと思う。
ツェリにはそう文句を言われたけれど、お昼寝に木の上はちょうど良いのだ。
まずひとが来ない場所な上に、葉が姿を隠してくれる。
わたしの場合落ちる心配もないし、木の枝に囲まれるのは安心感がある。
適度に風も日差しもあって心地良い。
だからツェリの苦言にもめげずに、わたしは木の上でお昼寝していた。
怒られるなら見つからなければ良い。ツェリは木登りが出来ないから、見つかる心配はない。
良く晴れた穏やかな陽気で、絶好のお昼寝日和。
たっぷり惰眠を貪って、わたしは木から降りようとした。
「…」
ひとの気配を感じて、降りようとした動きを止める。
こちらの気配は、完全に消していたはずだった。
「だれ、か…いる、の…?」
−おやおや
現実と、脳内、ふたつの声が、同時に響いた。
つたない声と、愉しげな声。
いちど目を閉じて、わたしは木から飛び降りた。
見開かれた翡翠色の瞳が、着地にしゃがんだわたしを捉える。新緑のような美しい黄緑色の髪が、風にそよいでいた。
「…こんにちは」
わたしは笑みを浮かべて立ち上がり、こちらを見上げる少年に、声を掛けた。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
ツェリの出したお菓子は
お米クラッカーと言う偽名を名乗らされていますが
おせんべい(サラダ味)です
醤油未取得のため塩味でつくっています
続きも読んで頂けると嬉しいです