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取り巻きCと理想の兄貴

取り巻きC・エリアル視点


前話続きの時間軸です

未読の方は前話を先にどうぞ


模擬戦の描写にて軽い怪我・出血があります

苦手な方はご注意下さい

 

 

 

 剣戟をまともに受けて、思いっきり吹っ飛ぶ。

 無理やり減速をかけたせいで派手に転んだが受け身は取ったし、ぎりきり場外は防いだ。


 審判の先生が止める前に、立ち上がって剣を構える。


「…けほっ」

「棄権した方が、良いんじゃないのか?」


 咳き込むわたしに向けられた言葉は、上級生としての優しさなのかもしれない。

 わたしは唇を引き結んで、首を振った。


 さすが八強に勝ち残る相手だけあって、速さも力も技術も優れている。

 背もわたしより頭ひとつ以上大きくて、肩幅なんて倍はあるかもしれない。

 でも、それは勝てない理由にはならない。


「試合放棄はしません。わたしが試合場から出るのは、先輩に勝ったときです」

「はっ、生意気だな。嫌いじゃない。男じゃないのが、残念だ」


 わたしの前に立ちふさがる対戦相手は、そう言って愉しげに笑った。




 熱血試合からこんにちは。

 戦って取り巻ける男装令嬢、エリアル・サヴァンです。


 現在剣術の授業で模擬試合のトーナメント戦をしていて、ただいま準々決勝です。


 これまでの試合は速さでどうにか勝って来たけど、今回は大苦戦。

 でかくて強くて速いって、もう反則だよね。

 うまく避けていたのだけれど、とうとう真っ向から受けてしまった。


 あ、受けたと言っても、剣でね。ノーガードで喰らうへまはしていないよ。

 結果、完全に押し負けて吹っ飛んだ、と言うことだ。


 こうなるのがわかってたから、極力避けたりいなしたりしてたのだけどね。

 うーん、強い。追い込まれて、受けるしかなかった。


 彼がラース・キューバーと当たっていたら、ラース・キューバーの方が負けていたかもしれない。


 わたし?さて、勝てるかな。

 言えるとすれば、まだ、勝負は決していなくて、わたしは勝ちたいと思っているってこと。

 諦める気は、さらさらない。




 わたしが反論したからだろう。

 回復を待たずに、先輩は追撃をかけてきた。


 襲い来る攻撃の横をすり抜けて、試合場の真ん中に立つ。


 吹っ飛ばされて場外なんて、笑えない。


「まだ走る体力があるのか」

「腕力で負けて持久力でも負けていたら、お話にならないでしょう」


 速さと持久力を、徹底的に鍛えたのだ。

 最終手段は、逃げるが勝ち、である。


 でも、この先輩は、速さを封じに来るから、タチが悪い。


 はは。どうしようね。


 え?楽しそう?

 うん、楽しいかもしれないな。


 だってこのひと、スターク・ビスマルク伯爵子息さまは、わたしたちの味方だから。

 ああ、と言っても、彼はゲームに関係するひとじゃないよ。




 ゲームの裏の政権争いに気付いてから、わたしは勢力図に関わる人間関係を洗い直した。

 ゲームに登場するしない関係なく、どんな勢力があって、誰がどの勢力に付いているのか。末端の枝葉に至るまで、わたしに調べられる範囲は徹底的に調べた。


 もちろんわたし如きで調べられることには限界があるから、リリアや、わんちゃんなんかにも協力して貰った。


 わんちゃんには睨まれたけど、祖父の二の舞を演じたくはないと言ったら、ため息を吐きつつも情報を流してくれた。


 そうして集めた情報に照らし合わせれば、いまの対戦相手であるビスマルク先輩のお父さまは、アクス将軍、テオドアさまのお父さまの補佐官をしている、王太子派の武官だと言うことがわかる。


 それだけで信頼するわけにも行かないけれど、彼の場合は先ほど決定打があった。

 下らない言い掛かりを受けたわたしを、庇ったのだ。




 女が騎士科に入ることについて反感を持つ人間は、一定数存在する。

 増してわたしの場合、なにもせずともヘイトを溜め込んでいるから、女のくせに男装して騎士科など、おもしろく思われなくて当然。


 わたしが魔法持ちであることも、今回は災いしたのだろう。


 一回戦で当たった上級生は年下の女に負けたことを認められず、わたしが不正をしたと主張した。

 剣術の試合で不正に魔法を使用し、不当に勝利を収めたのだ、と。


 当然のことながらわたしは不正なんてしていないし、そもそも魔法を使っていないかは、審判がしっかりチェックしている。


 わたしがその旨を指摘すれば、相手はわたしの耳元を指差して騒いだ。


 その魔導具が魔法利用をごまかすためのものでない証拠はあるのかと。


 幼稚な主張に呆れると同時に怒りが湧いた。

 わたしが不正したと主張する、すなわち、わたしが模擬試合程度で不正をしてツェリの顔に泥を塗るクズだと主張しているにほかならない。


 わたしが貶されるのはいっこうに構わないが、ツェリまで貶される状況は許し難い。


 そんなに言うなら今すぐこの魔導具の作成者を呼び出してやろうかと思ったとき、馬鹿を諌めたのがビスマルク先輩だった。


『エリアル・サヴァンがツェツィーリア・ミュラー公爵令嬢の顔に、泥を塗る真似をするはずがないだろう』


 と、親しくもないわたしを、庇ってくれたのだ。


 それでも反論しようとする馬鹿に、先輩が言った台詞は辛辣だった。


『エリアル・サヴァンが不正をしたと言うならば、その時点で即指摘すれば良かっただろう。なぜ負けてから指摘する。不正した時点で指摘できなかったのだから、お前に不正を指摘する権利はないし、お前が本当に騎士として実力があるならば、相手が魔法を使おうと勝たなければいけなかったんだ。負けたお前が今さらなんと言おうと、それは負け犬の言い訳でしかない』


 思わず、兄貴…っ!と叫びたくなる格好良さだった。

 と言うか、結構な人数の下級生が、ビスマルク先輩を心酔の眼差しで見ていた。


 気持ちは、とてもわかる。


 しかも先輩は反論を封じられて悔しげにうつむく馬鹿の頭を軽く叩き、言ったのだ。


『今日負けたなら次は負けないよう強くなれば良い。敗北はお前の努力を否定するものではなく、これから強くなるための激励だ。負けた相手を恨むのではなく、自分の不足に気付かせてくれた相手に感謝しろ。正しい型は覚えられているし、力ならお前の方が上だ。あとは速さを身に付ければ、今日負けた相手にだって勝てる可能性はある』


 どこの名コーチだよ、格好良過ぎるだろ…!


 うつむいていた馬鹿は顔を上げて、涙目ながら頷いた。

 一生ついて行きます!と言う声が、聞こえた気がした。


 わたしには、出来ない場の収め方だった。

 わたしでは、論破しか出来なかったと思う。


 しかもビスマルク先輩はその後わたしのところにも来て、下級生相手に下らない言い掛かりを付けて悪かったと、謝罪までしたのだ。

 化け物扱いすら受ける、年下の女に、謝罪だ。しかも、ビスマルク先輩が言い掛かりを付けたわけじゃないのに。


 王太子派には素晴らしい味方がいるのだと、とても心強く思った。




 ゆえに、ビスマルク先輩が強いことは大歓迎なのだけれど、だからと言って負けて良いかと言えば、まったくもって良くないわけでして。


 どうにか勝機を見出せないかと、激しく立ち回りながら必死に考えている。


 ほんっとーに、厄介な相手だ。


 何回かの撃ち合いのあとで、横跳びに逃げて間合いを取る。

 知らぬ間に、試合場の境界線間際へ追いやられていた。


 少しの油断が、命取りだ。


 深く息を吐いて、意識を集中させる。


 切り掛かってきた先輩の剣が振り下ろされるのに合わせて、自分の剣を先輩の剣に沿わせて絡み付ける。

 先輩の剣が彼の手から飛ぶのと、わたしの剣が折れるのが、同時だった。

 もともとこれは剣を傷める行為だし、使っているのは練習用の模擬刀だ。強度が足りなかったのだろう。さっきまともに受けたときに、ひびでも入っていた可能性もある。


 剣を失っても攻撃を諦めない先輩に舌打ちし、剣を棄てて攻撃を受け流す。


 繰り返し練習した動きは、身体が変わっても呼吸するように自然と出せた。


 相手の勢いを殺さぬまま倒して、うつ伏せにさせて、片腕を締める。


「負けましたと、言って下さい」


 力で負けるなら、力を使わせなければ良い。自分に力がないなら、相手の力を利用すれば良い。


 そのための方法を、前世のわたしは知っていた。


「動けない、ですよね?このまま、降参して下さい」

「お前も動けないだろう」


 確かにわたしの両手は、先輩の拘束に従事させられている。

 動けないのは、わたしも同じ。むしろ外面的に見れば、片手しか封じられていないビスマルク先輩の方が優位に思えるかもしれない。

 もしも柔道の試合なら、そのうち審判に止められるだろう。


 けれど、いまは柔道の試合じゃない。


「動けなくても、腕は壊せますよ」

「−ッ」


 痛んだのは肩か肘か。

 先輩がかすかに、顔を歪めた。


「降参して下さい」


 膠着状態のわたしたちを見かねて、審判が寄って来る。

 降参してくれないなら、腕を折るしかない。

 わたしの剣は、すでに折れているのだから。


 大丈夫、腕を折っても医務室に治癒魔法使いが…、


「は、」

「降参する」


 審判が離れるよう声かけするのと、わたしが先輩の腕を折るの、そのどちらをも止めるように、ビスマルク先輩が宣言した。


 それでも腕は拘束したまま、審判を見上げる。


「そこまで、勝者サヴァン」


 審判の声を聞いてからようやく先輩を解放し、地に伏す彼に手を差し出した。


「ありがとうございます」

「まさか本気で折りに来るとはな。ますます、女なのが惜しい」


 先輩はわたしの手を取って立ち上がると、からりと笑って言った。

 負けたと言うのに、清々しいひとだ。


 お互い剣を拾い、一礼して試合場を出る。

 模擬刀が折れてしまったのだけれど、どうしようか…。


 試合場を出た先で模擬刀を見下ろしていたら、ぽんと頭を叩かれた。


「ほら、これ使え」

「あ、え?」


 刀に似た造りの曲刀は珍しい品で、わたし以外に使っている人間は極めて少ない。と言うかいない。

 だから、目の前に差し出された曲刀の模擬刀に、驚いたのだけれど、


「去年卒業した先輩のものだ。もし同じ形の剣を使うやつがいたらと、遺して行って下さった。ほかにも何本かあるから、お前が使うと良い」


 ビスマルク先輩がわたしの手から折れた模擬刀を取り、代わりにひびひとつない模擬刀を握らせる。


「ありがとう、ございます」

「いや。先輩だって使って欲しくて遺したんだし、良い後輩が入って、俺も嬉しい。また試合しような。次は負けない」


 兄貴は負けても、兄貴でした。

 さすが兄貴。格好良過ぎるぜ。そこに痺れる憧れるぅ!


 頭をなでる大きな手が、わんちゃんを彷彿とさせる。

 思わず、頬が弛んだ。


「はい。よろしくご指導お願いします」


 模擬刀を抱き締めて、先輩を見上げる。

 先輩は瞬間目を見開いたあとで、からりと笑った。


「おう。まかせとけ」


 ひらひらと笑って立ち去る姿も、文句なしに格好良かった。

 思わず見惚れていると、ぺしんと肩を叩かれた。


「お前、スー(にぃ)相手に素手でとか、無茶し過ぎ」

「テオドアさま」

「しかもスー兄に勝つとかな。…俺だって一度も勝てたことないのに」


 テオドアさまはそれだけ言って、試合場に入って行く。

 次はテオドアさまの試合だからだ。


 あいにくと殿下は三回戦で負けてしまったが、テオドアさまは健闘し、準々決勝まで勝ち進んだ。

 準々決勝二回戦、A面はテオドアさま対三年生の試合で、B面はラース・キューバー対二年生の試合だ。ちなみにさっきまでは、わたしとビスマルク先輩の試合の横で三年生同士の熾烈な争いが繰り広げられていた。


 八強のうち三人が一年で二年生はひとりと言う、上級生的には情けないと言える結果なのだが、テオドアさまも言うとおり、ビスマルク先輩は強い。テオドアさまのお相手の三年生や、さっきまで試合をしていた三年生たちも。

 試合を見た限りビスマルク先輩や八強に残った三年生たちと当たった相手も、かなり強い方ばかりだったと思う。

 一年生が多く残り二年生が残れなかったのは、完全にトーナメントの配置運だろう。


 わたしだってビスマルク先輩級と連戦だったら、四強に残れた自信はない。


 で。

 スー兄ってなんですかテオドアさま。スー兄って!

 ずるいわたしも兄貴って呼びたい。

 今度会ったらビスマルク先輩に、兄貴…はさすがにまずいから、スー先輩って呼んでも良いか訊こう。そうしよう。


 テオドアさまの場合きっと、ビスマルク先輩と幼いころからの知り合いなのだろう。

 なにせお父さまの補佐官の息子で、年も近い。しかもどちらも、騎士志望だ。

 きっと小さいころから鍛錬を共にした、兄みたいな存在なのだろう。

 ビスマルク先輩はテオドアさまのお兄さまと同い年のはずだから、そのつながりもあるかもしれない。


 考えながら歩いていると、ぽすん、とタオルを渡された。


「お疲れさま。準決勝進出おめでとう」

「殿下、ありがとうございます」


 汗が冷えると身体も冷えてしまう。

 ありがたくタオルを使わせてもらいながら、テオドアさまの試合へと目を向ける。


 テオドアさまのお相手の三年生は、王太子寄りの中立派だ。ラース・キューバーのお相手も、王太子派の家の息子。

 いまのクルタスには、王太子派の家の息女が多い。

 王太子殿下そのひとが、クルタスに通っているからだろう。


 けれど、今年度入学者からは異なる。

 第二王子の側近たるラース・キューバーが入学し、来年には第二王子自身も入学して来るはずだ。


 なぜ、本来王族が通うはずの王都の王立学院ではなく、王都から近いとは言え違う街に存在する、クルタス王立学院なのか。


 その理由には、ツェリとわたしの存在が、関わっているのかもしれない。


 第二王子派の勢力が、わたしに手を出すとすれば。


 それは彼らが本気で、王太子を蹴落としに掛かった証明にほかならないだろう。


「大丈夫?」

「−はい?」


 考えごとに夢中になっていたために、殿下の言葉を聞き逃した。

 殿下がわたしの顔を、心配そうに覗き込んでいる。


「さっきの試合、派手に転んでいたでしょう?怪我はない?」

「ああ」


 言われて身体を見下ろせば、みすぼらしいほど土埃まみれだった。

 ぱたぱたと服を叩く。右腕を叩いたときに、じくりとした痛みを感じた。擦り剥いたようだ。


 ほかの箇所は心配していなかった。崩れ気味とは言え受け身は取ったし、とりさん、邪竜トリシアを封印した呪印は、呪印以外の傷を許すほど寛大ではないのだ。打ち身も切り傷も、身体の表面を汚す怪我はたちまち消されてしまう。


 右袖をまくれば、上腕から肘にかけて、広範囲に血がにじむ擦り傷が出来ていた。

 怪我を見た殿下が顔を歪めた。


「治癒師を、」

「いえ、これくらい大丈夫ですよ」


 水で適当に洗って拭いて、わんちゃん特製の軟膏を塗る。くるくると包帯を巻けば、手当完了だ。

 薬も魔導具も作れる宮廷魔導師わんちゃん。たまになにするひとかわからなくなる。

 いや、宮廷魔導師なのだけどね。


「器用だね」

「そうですか?ありがとうございます」


 袖を戻しつつ首を傾げる。

 利き手に自力で包帯を巻けるのは、器用と言って良いかもしれない。


「ほかに怪我はない?」

「肩から転びましたから、ほかは大丈夫です」


 怪我がないとは言えないが、残りは持病だ。


「無理はしないようにね。怪我人なんだから、棄権しても、」

「それは今まで対戦して下さった方に失礼ですよ。このくらいの怪我なら、問題ありませんから。それに、」


 ふと気付いて、殿下に時計を示して見せる。

 もうすぐ、お昼の時間だ。


「おそらく今日の試合は準々決勝までですよ。続きは次回です」

「そうみたいだね。帰ったら、もっとしっかり手当して」

「はい」


 微笑んで、殿下と並んで座る。


「テオドアさま、苦戦していますね」


 やはり、八強に残るような三年生は強い。

 騎士科と言っても殿下のように、剣もたしなむ文官志願者もいるけれど、八強に残っているのはわたしとラース・キューバーを除き、全員武門貴族だ。

 未来のエリート武官だけあって、技のキレも込められた力も段違いに優れる。


「そうだね。さすがにテオでも、彼に勝つのは難しいかな。先生方も、テオはここで負けることを、想定しているだろうね」


 殿下の呟いた言葉に、やっぱりそうなのかと納得する。

 実力に配慮して配置したにしては、強者が偏っていたのだ。


「やっぱり、思惑のこもった配置だったのですね」

「だろうね。実力のある一年生に鍛錬の足りない上級生を当てて、慢心を捨てさせる。勝ち上がった一年生には実力の高い上級生を当てて、慢心を持たないようにする。先生方としては、スターク先輩辺りに優勝して欲しかったんじゃないかな。あのひとは模擬試合で優勝したくらいで、鍛錬を怠るようなひとじゃないから。上には上がいるんだって、ちゃんと理解しつつ腐りもしない。すごいひとだよ」


 やっぱりすごいひとなのか、さすが兄貴。


 無意識にビスマルク先輩から貰った模擬刀をなでて、頷く。


「格好良いですよね、ビスマルク先輩。憧れます」

「え?」


 よくよく思い返せば声も良かった。文句の付けようのない兄貴ボイスだった。

 あの肩幅、大きな手、包容力。まさに理想の兄貴だ。


「スターク先輩みたいなひとが好きなの?」

「ええ、素敵ですね」


 模擬試合はおそらく班分けもかねている。

 三学年合同だけあって、一堂に授業は難しいからだ。

 ビスマルク先輩と同じ班に、なれれば良いのだけれど。


「…そう」

「はい。わたしの兄上たちはひ弱げな方々ですから、ビスマルク先輩みたいなお兄さまがいたら良いなと、憧れます」

「え?」


 やっぱり兄貴って呼んだら駄目かな。

 駄目だよな。


「憧れるって、兄として、ってこと?」


 あれ、なんでわたし、真剣な顔した殿下に詰め寄られているのだろう。


「そうですよ?」

「ああ、そうなんだ。スターク先輩のことはテオも、兄として慕っているね」


 どこかほっとしたように頷くと、殿下はテオドアさまへ視線を戻した。

 やっぱり、苦戦している。


 先の試合でわたしもああして、追い詰められて見えたのだろうか。


「勝ったことがないって、おっしゃっていました」

「うん。正直に言うと私も、エリアル嬢が負けるだろうと思っていた。体格差があり過ぎるし、スターク先輩は動きが速くて正確だからね」

「そうですね。速くて大きくて力も強いなんて、ずるいと思います」

「それを言うなら、魔法が使えて剣術も得意で試験も上位なエリアル嬢も、なかなかにずるいと思うよ?」


 言われてみれば、


「確かに?」


 ツェリと自分のためとがむしゃらに頑張った結果でしかないけれど、客観的に言われるとなるほどずるい気がする。


「あ、いえ、でも、なんの努力もしないで今の実力になったわけではないですよ?魔法は才能としても、ほかは努力して勝ち得たものです」


 前世の記憶があったから、どうすべきか知っていた。

 それはやはり、転生チートなのだろうか。


「うん。エリアル嬢の努力は、私も知っているよ。同じように、スターク先輩が努力を続けて来たこともね」


 ああ、そうか。


「ずるいなんて言っては、先輩に失礼ですね」


 体格や男女差はともかく、ビスマルク先輩の実力はビスマルク先輩が努力して手に入れたものだ。


 頷いたわたしを、殿下は優しい目で見返した。


「もともと、剣術の才能もあっただろうけれどね。それでも才能だけでは、ビスマルク先輩のような強さは得られないよ。信頼や、尊敬もね」

「そうでした。強さだけではなく、ビスマルク先輩の在り方を見て、わたしは格好良いと思ったのです」


 伯爵位なのが、惜しい。

 せめて侯爵位なら、テオドアさま並みにツェリを預けたい人材なのに。


 小柄なツェリと、大柄なビスマルク先輩。

 まるで美女と野獣のようで、可愛らしい組み合わせだ。


 けれど伯爵位では、ツェリの守りには弱過ぎる。

 稀代の天才であるツェリを狙って来るとすれば、国単位だろうから。


 いつかリリアに聞いた通り、西の帝国ラドゥニアがこの国を狙っているのだとすれば、政権なんて争っている場合じゃ、ないと思うのだけれどな。

 テオドアさまたちの試合から目を離し、ラース・キューバーへと目を向ける。


 ちょうどラース・キューバーが決定打を放ち、相手の剣が飛ばされた。

 文門貴族ながら武門貴族の上級生に勝つ。

 その実力は、素晴らしいと思う。


「…ラースが勝ったんだね」

「そのようですね」


 殿下も気付いたらしく、ぽつりと口にする。


 殿下が王太子の座を譲れば、政権争いは終わるだろうか。


 あり得ないな。

 あまりにも幼稚な仮定に、笑いそうになる。


 殿下ひとりの話ではないのだ。

 ミュラー家とキューバー家。アクス家とボルツマン家。カム教とヤヴェラ教。

 さまざまな争いや思惑が入り混じって、大きなひとつの争いを、形作っている。


 殿下が退けば次に祭り上げられるのは、第三王子かもしれない。

 当人の意志を無視して争う大人たちが、殿下に自分は替えが利くなどと、言わせたのだろうか。


 カンッ、と、模擬刀が弾かれる音が響いた。


 もうひとつの試合場で、テオドアさまが剣を弾き飛ばされていた。

 気を乱すことなく距離を取り、剣を拾おうとするテオドアさまだが、それを許す相手ではなかった。


 すぐに追撃し、テオドアさまの喉元に模擬刀を突き付ける。

 無駄な足掻きはせずに、テオドアさまは負けを認めた。


「ヴィクトリカ殿下」

「?なにかな、エリアル嬢」


 唐突に、普段呼ばない名を呼んだからだろう。

 少し驚いた顔をしながら、殿下がわたしを見る。


 殿下の方は向かないまま、わたしは言った。


「三人いらっしゃる王子殿下の中で、ツェツィーリア・ミュラーに手を差し伸べた方は、ヴィクトリカ殿下ただおひとりです。そこに、どんな思惑があろうと、あなたはツェツィーリア・ミュラーに近付き、友人として付き合いを持ち、ツェツィーリア・ミュラーから愛称で呼ばれることを許しました」

「うん。そうだね」

「わたしは、エリアル・サヴァンは、ツェツィーリア・ミュラーのために生きています。それを変えるつもりは、ありません」

「うん」


 突然なにをと、止めることも出来ただろう。

 けれど殿下は止めることなく、頷いてわたしの言葉を待った。


「ですからわたしは、王太子殿下にではなく、“ツェツィーリア・ミュラーの友人であるヴィクトリカ殿下”に、お力をお貸しします。最優先はお嬢さまですが、お嬢さまの友人であり、わたしの友人でもあるヴィクトリカ殿下も、わたしにとっては大切です」


 片手で、模擬刀を構える。


「この剣は、お嬢さまのために。けれど我が身が作る陰は、お嬢さまだけでなく、お嬢さまが大切にする、すべてのものを守るために」


 キューバー公爵子息さま如きに、わたしは負けませんよ。


 わたしの宣誓を聞いた殿下は呆気に取られた顔をしたあと、少し泣きそうに微笑んだ。

 それは、王子さまらしくはない、けれど、とても綺麗な表情だった。


「エリアル嬢も、スターク先輩と同じくらい格好良いよ」

「それは、嬉しい褒め言葉ですね」


 微笑みを交わすわたしたちの許へ、テオドアさまがやってくる。

 わたしの想像通り、すぐに集合が掛かった。


「戦わずしてテオドアさまよりわたしが強いと証明されましたね」

「三年首位の実力者に勝つ、アルがおかしい」

「負け惜しみですか」

「そうだよ悪いか。…次は、負けない」


 ビスマルク先輩と同じ台詞に驚き、ついつい笑ってしまう。


「な、わ、笑うなよ。なんだよ」

「いえ、ビスマルク先輩と、同じことを言われたので」

「っ、スー兄には、よく面倒見て貰ったからっ」

「実の兄に対してより、懐いてるもんね、テオ」


 わたしにつられたのかくすくすと笑いながら、殿下が言う。


「ビスマルク先輩が兄とか、羨まし過ぎますよ、テオドアさま」

「いや別に兄貴みたいってだけで、実際兄なわけじゃないし」


 兄貴って言った!ずるい!


 テオドアさまの一言を受けて、わたしは心に決めた。


「次も、負けません。テオドアさま、次の試験はあなたが四位ですから」

「け、剣術関係ない!」

「だってビスマルク先輩を兄貴とかずるい」

「なんだよその言い掛かり」

「スターク先輩が憧れなんだって、アル」

「はぁ!?」

「そこ、黙れ!!」


 剣術の先生は体育会系だけあって、王子とか公爵とか関係ない。

 先生の注意+ビスマルク先輩のお叱りの視線を受けて、わたしたちはぴたっと口を閉じた。


 憧れの先輩のお叱りは、先生のお説教の百倍威力がある。


 神妙に先生のお言葉を聞くわたしに、憎悪の視線がちくりと刺さった。


 心配しなくても、逃げたりしないさ。


 お茶目心を出して視線にウインクを返したら、なぜか隣に立つテオドアさまに足を踏まれた。なんでだ。

 ウインクの効果か苛烈さを増した視線は黙殺しつつ、なぜか滑った足がテオドアさまの膝裏にクリーンヒットした。

 テオドアさまが、かくんっと体勢を崩す。


 熱戦で疲労していたのだろう。テオドアさまはそのまま綺麗に尻餅を突いた。

 おお、膝かっくん成功、じゃなくて。


 わたしなにもしてませんと言う顔で、テオドアさまへ手を差し伸べる。

 転んだ友人を助け起こすなんて、わたし優しいわー。


 あらあら、大丈夫ですか?

 え?蹴ってないですよ?いやいや、そんな。

 足が当たった?ああ申し訳ありません、今疲れているので、ちょっとふらついて足が滑ったみたいてすね。


 睨んで来たテオドアさまと、視線でそんな会話を交わす。

 先生にも睨まれたが、悪いのは転んだテオドアさまだ。


 なにごともなく授業を終えて、汗と土埃で汚れた服を着替えようと動き出したところで、テオドアさまともどもビスマルク先輩に捕まった。


 猫を掴む要領で、首根っこを掴まれる。


「ふにゃ!」


 おおう。変な声出た。


「猫だ」

「猫がいる」

「猫だな」


 周囲の反応は、黙殺。

 お叱りモードな兄貴を、そろりと見上げる。


「お前らは授業中に、なにをじゃれ合っているんだ。猫か」

「猫ではないです!」

「いや猫だろ」

「猫だよな」

「猫以外のなにものでもない」


 ちょっとそこの部外者!勝手に合いの手入れないでよ!


「猫でないなら、師の話は大人しく聞け。出来るな?」

「はい」

「わかれば良い。以後気を付けろ」


 良い子に返事すると、頭をなでられた。わたしだけ。


 初犯なのでお叱りがイージーモードだったようだ。


 ついでとばかりに、振り向いてビスマルク先輩を見上げる。


「先輩先輩」

「なんだ?」

あにっ、むぐ」


 兄貴って呼んで良いですかと言おうとした口を、テオドアさまに塞がれた。


「お前一応女なんだから、兄貴はやめろ兄貴は」

「なんの話だ?」

「エリアル嬢いわく、スターク先輩が理想の兄らしいです」


 首を傾げるビスマルク先輩に、殿下が補足を入れた。


「兄?」

「ええ。それで、スターク先輩を兄と呼ぶテオに嫉妬して、喧嘩してたんですよ」

「それは…」


 困った顔も格好良いです兄貴!

 じゃなくて。


 テオドアさまの手をべりっと剥がして、必殺、捨て猫顔をビスマルク先輩に向けた。


「わたしもスー兄さんと、呼んでは駄目ですか…?」


 これで駄目だと言われたら次はスー先輩だ。

 まず難度の高いものから見せる。セールスマンの手法である。


「…いや、その、な?」

「すげー、あの猫ビスマルク先輩を圧してるぞ」

「さすが黒猫」

「ああ、あれが噂の黒猫か」


 外野、わたしを猫で話を進めるな。

 ノー、猫。イエス、ひと。


「こら、共に学ぶ生徒を猫呼ばわりするな」


 兄貴…っ!


 わたしの代わりに周囲を注意してくれたビスマルク先輩に、感激の眼差しを送る。

 最初に猫発言したのは兄貴とか、そんなの気にしたら負けだ。


「兄さんが駄目でしたら、せめて、スー先輩、と。駄目ですか?」

「ああ。それなら、構わん。俺も、エリアルと呼ぼう」

「ありがとうございます!」


 っしゃあ!と内心ガッツポーズしながらお礼を言う。


「あの猫、最初からそれ狙いだったんじゃ…」

「今、ぴんと立った耳としっぽが見えた気がしたの、俺だけか?」

「なにあの満面の笑み。計算だったら怖過ぎ」


 まだ猫と言うか。しかも外野さり気なく鋭い。しかしスー先輩の言質は取った。


 ドヤァとテオドアさまを見ると、無言で頭をなでられた。なんだよう。

 と思ったら、スー先輩にもなでられた。え、なに?


「スー兄、みな同じ、騎士科の生徒ですからね」

「だが、」

「同じに扱って下さい。でなければ、不公平です。同じ生徒で、きちんと覚悟を持って騎士科に入ったんですよ」

「…善処する」


 それって前世だと、いいえって意味だったんですけど。

 テオドアさまは特別可愛がる(角界的な意味で)と言うことですか?


 首を傾げていたら、ついに殿下にまでなでられた。

 わたし、ビリケンさんでもおさわり地蔵でもないよ。足を掻いても幸福は訪れないし、頭をなでても良くはならないよ。


「テオはスターク先輩とお話があるみたいだから、私たちは先に着替えてしまおうか。急がないと、昼食の時間がなくなってしまうからね」

「はい。では、スー先輩、お先に失礼いたします」

「ああ。またな」


 今日の昼食はツェリと食べる約束だった。

 時間の都合上少し早めに授業が終わったけれど、もたもたしていれば待たせてしまう。


「え、あ、おい」

「それで、テオドア?師の話中に転ぶとは、どう言う了見だ?」

「それは、アルが、」

「エリアルになにをされようと、転ぶのはお前の注意不足だ。違うか?」


 …ドS兄貴だ。ドS兄貴がいる。

 そうかテオドアさまはスー先輩と言う偉大なる兄貴に育てられて、ゲーム時にあれほどM心をくすぐる存在になるのか。


 テオドアさまとスー先輩の会話は気になったが、わたしが優先すべきはお嬢さまだ。

 急いで着替えて(騎士科の授業時は女子更衣室を独占だ)待ち合わせ場所、と言うかいつものサロンを目指したのだが、わたしは途中でお嬢さまへ通信を入れることになる。


-申し訳ありません。わたしを待たずに昼食を摂って下さい


 と。






拙いお話をお読み頂きありがとうございます


名前すら出さないちょい役のつもりだった先輩を兄貴キャラにしたら

作者のテンションが上がって

名前出しの上に出番が大幅に増えました

兄貴って良いですよね!

今後もきっと兄貴の活躍が…あるかどうかは未定です


続きも読んで頂けると嬉しいです

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