取り巻きCと異国の姫君 上
取り巻きC・エリアル視点
エリアル高等部二年六月
「ふんふふんふふーん♪」
バスケットを抱えて、るんたったーっとわんちゃんの部屋へ向かう。
今日のご飯はおうどんの予定。ご飯なのに、おうどんとは、これいかに?でも美味しいから良いのです!
なんて、馬鹿なことを考えながら、ぽやぽや歩いていたからだろうか。
服を掴まれるまで、近付く人影に気付かなかった。
[あなたっ!]
「にゃんっ!」
飛び上がって振り向けば、鮮やかな緋の衣。
[あなた、お出汁の匂いがするわ]
「にゃっ、あ、はい、え?」
取り巻きC、ただいま未知との遭遇中です……?
春過ぎて、衣も干したくなる今日この頃、今日も元気に取り巻く令嬢、取り巻きCことエリアル・サヴァンです。
今日は三ヶ月に一度の封印更新日。わんちゃんこと、ヴァンデルシュナイツ・グローデウロウス導師に料理を差し入れるのは毎度のことだけれど、今日は先月引き取られた子猫の様子を見に行く許可も欲しいので、いつも以上に気合いを入れて準備した。出汁からこだわっためんつゆさまに、全力で存分に捏ねたおうどん、ぷりっぷりのえびちゃんと、豆から作った油揚げまで用意した、豪華天ぷら付きのきつねうどんだ。
油揚げはね。なんと、わんちゃんのお知り合いさんが、大豆とにがりと藁束をセットでくれました。もちろん、豆腐も納豆も作りましたとも。美味しかった……。
今回はそんな手作り豆腐へさらに手間をかけた油揚げを、あまじょっぱいつゆで煮て来ました。単体でも美味しければ、酢飯を入れてお稲荷さんにしても良い、肉厚油揚げを、贅沢にもおうどんに乗せようと言う魂胆です。もう媚びに媚びていますね!
え?油揚げ作りにかかる手間ひまなんて、食べる方にはわからない?自分が食べたいだけじゃないかって?
それはもちろんそう!わたしが食べたい!わたしが嬉しい!とても!!
でも、食事を共にしてきた経験上、わんちゃんの食の好みはわたしに近いと見ている。だから、わたしに嬉しいこの献立は、わんちゃんにだって嬉しいはず。
と言うわけで、美味しいおうどんに思いを馳せながら、一路わんちゃんのお部屋へと、歩みを急がせていた、わけ、なのだけれども。
たっぷりと布を使った緋の衣の裾をからげて。壺装束、と言うのだったか。
それは、今世では、見たことのないもので。
「ええと、あの?」
どちらさま?
[お出汁!お出汁の匂いだわ!確かにする。あなたから。ねぇあなた、その手に持っているものはなに?]
殺気すら感じるほどの真剣さで、緋の衣の小柄な女性が見るのは、わたしの抱えたバスケット。
とても小柄な女性だ。足元はずいぶんと底の厚い草履を履いているのに、それでもツェリほどの身長しかない。草履を脱げばさらに小さいだろう。顔も、バルキア王国基準ではかなり幼い部類。ただ、前世の祖国基準で言うなら、おそらく、女子大生くらい。
そんな女性がわたしの服をぎゅっと掴み、獲物を狙う目をバスケットへ。
お出汁の匂いも当然だ。だってこの中には、めんつゆさまと、お揚げちゃんが鎮座ましましてあらせられるのだから。
[申し訳ありません、すぐ食べられるものはなにも]
あえて言うならお揚げちゃんだけれど、それにしたって明らかに高貴な女性に、はいどうぞと差し出せる代物ではない。大豆はアレルギーもあって、迂闊に食べさせてアナフィラキシーでも起こしたらことだし。
[お出汁を、持っているのね?]
話しているのはバルキア語、ではなく東の帝国、エスパルミナの公用語。それも、少し、おぼつかない発音だ。まあわたしも、読み書きはともかく会話はピアに教わってどうにか覚えたばかりだから、おぼつかないのはお互いさまだけれど。
[お出汁、と言うか、あの]
めんつゆって、エスパルミナの言葉でなんて言うのだろうね?そもそもバルキア語でもわからないよ。
[お出汁から作った、スープなら]
少女の顔は前世の東洋人風だが、膝ほどまである垂髪の、髪色は夕日のような朱色だった。瞳の色も、真昼の太陽を思わせる金。
ああそうか。この世界では、黒色を持つ人間なんてそうそういないのだものね。ほかの生きものだって、双黒はまずいない。
黒猫や烏なら身体は黒いけれど、瞳までは黒くない。牛も、黒ではなく茶褐色だった。
この、漆黒の髪と目は、特殊な血筋の証だ。
[まあ!なんてこと!!こんな異国で……!少し、少しで良いので、分けて貰えないかしら!?]
うん。これは、あれだな。
長い旅行で故郷の味が、恋しくなっているやつだ。バルキアはもちろんのこと、エスパルミナもその周辺国も、和食とは全く異なる食文化だ。出汁も味噌も醤油もないし、炊いた白米もない。そんななかをはるばる旅して来れば、それはお出汁とお米を渇望したくもなるもの。
気持ちはわかる。わんちゃんに和食材を貰う前の、わたしの気持ちだ。
気持ちはわかる。わかるけれど、こんな王宮を闊歩している、異国の女性、しかも見るに服は上等、と来れば、どう考えても高貴なお方なわけで。
そんな方に、素人それも国殺しの犯罪者の孫が作った料理なんて許可なく食べさせようものなら、下手をすれば国際問題になる。
と言うかそもそも、なんでこの方は、ひとりでこんなところにいるのか。案内や護衛、付き人はどうした。
[ええと、とりあえず、ここではなんですから、どこか座れるところにでも]
騎士の詰め所にでも送り届けた方が良い。
そう思って王宮の地理を思い返し、さりげなく手を取って誘導する。
この辺は王族の居住区からも離れた位置で、わんちゃんを訪ねて度々訪れているので、地理にも明るい。
[わたしは、エリアルと申します。お名前をお伺いしても?]
気をそらせるようにと、話し掛ける。
[サチコ、いえ、ショウシ、よ]
ショウシと読む、サチコ。ならば、祥子、だろうか。
祥は幸せ。めでたいきざし。幸せに満ちた人生になるようにと、願いが込められた名前なのだろう。
[祥子さま、良いお名前ですね]
[!]
目を見開いて、祥子さまがわたしを見上げる。
〔言葉がわかるの?〕
それは、前世で耳慣れた。
〔……少しだけ。発音、おかしくないですか?〕
〔少しもおかしくないわ!まさか、話せるひとがいるなんて、思わなかった!〕
わたしも、文化が似た国の、言葉まで同じとは思っていなかった。
〔あなた、この国の方ではないの?〕
〔いいえ、バルキア王国の生まれです〕
〔そうなの?外つ国の方でこんなに綺麗に我が国の言葉を話せる方なんて、初めて会ったわ〕
上手に話せるのは当然だ。だって、かつては母国語だったのだから。いや、もちろん、全く同じとは思わないけれど。
〔お褒め頂き、身に余る光栄です。祥子さまとお呼びしても?〕
〔許します。わらわも、えりあるさまと呼んでも良いかしら〕
〔敬称は要りませんよ。親しい者は、アル、と呼びます。どうぞ呼び易い呼び方で〕
おそらく、この国の名前は言い慣れないだろうと思って告げれば、それなら、と祥子さまは言う。
〔えり、と呼んでも良いかしら。国に残して来た、乳母子の名なの〕
〔ええ。構いません〕
〔ありがとう。えりはね、とても料理が上手なの。この旅もえりがついて来てくれていたら、食事に困らずに済んだかもしれないのだけれど、あのこは身体が弱いから〕
意識して、笑みを深める。
〔ではきっと今頃、お国で祥子さまの無事を祈っておいででしょうね〕
〔そうね。優しいこだもの。だからわらわは、〕
〔あ────っ!〕
鋭く場を割ったのは、第三者の甲高い声。
〔お嬢さま、お嬢さまお嬢さまお嬢さまああああっ!こんなところにいらっしゃった!!〕
下げ髪を揺らしてぱたぱたと掛けて来る、いまにも泣きそうな少女。
〔おひとりで、勝手にどこかへ行かないで下さいまし。珠は、心配のあまり心の臓がつぶれる心地でございました!〕
祥子さまの衣を握り締めて訴えるのは、おそらく中高生くらいの歳の少女だ。やはり、祥子さまははぐれていたらしい。
〔祥子〕
次いで歩み寄って来たのは、小柄な、と言っても祥子さまと比べれば頭半分ほど大きい青年。顔立ちが祥子さまと似ているから、兄弟かもしれない。
〔よその国の、それも王宮で勝手なことをしてはいけないよ。迷惑だろう〕
青年が私へと目を移し、手元を見て眉を寄せる。誘導のために取った祥子さまの手は、まだわたしの手の中だ。
[あなたは]
〔声を掛けられ、おひとりのようでしたので、事情のわかる者がいそうな場所までお連れしようとしていました〕
会話なら、エスパルミナ語より前世慣れ親しんだ母国語の方が得意だ。もう祥子さまにばれているので開き直って告げれば、目を見開いた男性がそれは、と言葉に迷う。
〔親切は、ありがたいが、我が国では、親しくない異性にそうみだりに触れるのは〕
〔あら兄さま〕
祥子さまがころころと笑う。
[皇子、まもなく騎士が、って]
そんななか現れる、聞き慣れた声と顔。
「エリアルぅ?なんで、ショーシ皇女と一緒にぃ?」
思わぬ再会を果たした相手に、苦笑を見せて首をかしげる。
「どうしてでしょうね?」
「いや、僕が訊いてるんだけどぉ?」
元騎士科の聖女たる、るーちゃん、ブルーノ・メーベルト先輩は、呆れた声を返しつつも、優しい笑みを浮かべてくれた。
それから、ひとまずどこかに落ち着こうと移動するかたわら、国ごとに状況説明をする。わたしが祥子さまに会った経緯を話すと、るーちゃんは自分の立場を説明してくれた。
祥子さまたちは極東にある瑞穂国と言う国からやって来た特使で、これまであまり他国と国交を結んで来なかった瑞穂国が交流を行う相手国を探すために、国々を回っているそうだ。るーちゃんはフリージンガー子爵の部下として、特使の護衛に就いているとのこと。顔立ちも雰囲気も優しく、治癒に長ける、るーちゃんは、瑞穂国特使一行にもなじみ、バルキア王国側の側付きとして受け入れられている、と。
そんなざっくりとした情報共有が終わる頃、着いたのは豪奢な応接室。おそらく国賓用の部屋なのだろう。当然ながら、わたしは初めて入る部屋だ。
〔女の子を男性と間違えるなんて、とんだ無礼を……〕
祥子さまの兄上だと言う至仁皇子は、祥子さまからわたしが女だと聞いて、いたくかしこまって謝罪を口にした。
〔いいえ、髪も短く、服装も男装ですので、仕方のないことですよ。お気になさらず〕
[エリアル、瑞穂国の言葉が話せたんだね]
[少しですが]
[そんなことないわ!]
曖昧な笑みでるーちゃんに答えれば、勢い込んで否定した祥子さまに片手を両手で掴まれた。
[発音も文法も敬語も完璧だもの。外つ国のひとだなんて思えないくらい]
母国語でしたからとは、間違っても言えないので、恐れ入りますと笑って首を傾げる。
[僕も挨拶くらいなら言えるけど、会話は無理だなぁ]
そう言うるーちゃんはけれど、おそらくここにいる面々でいちばんエスパルミナ語が上手い。わたしのは転生チートなので、すごいのはるーちゃんの方だ。
[それで、ショーシ皇女がエリアルに声を掛けたきっかけの件だけど]
るーちゃんの目が、わたしの抱えるバスケットに向かう。
[「導師」と食べるための昼食の材料だよねぇ、それ]
"導師"がバルキア語だったのは、単語が出なかったからだろうか。
[はい]
[そう、だよねぇ、うぅーん……でもなぁ……]
困り顔で唸ったるーちゃんが、ちらりと瑞穂国特使ご一行を見る。
そうして意を決したように、至仁皇子へ向き直る。
[少し、私の上司も含めて、彼女と相談させて頂いてもよろしいですか?]
[ええ。構いません]
頷く至仁皇子と、その横に控える祥子さまを見る。祥子さまに付き添う女性がひとり。それから至仁皇子の付き人らしき男性がふたり。護衛らしき男性が四人。皇族ふたりの道行きとしては、ずいぶんと少ない供だ。それだけ国を出ると言うことは難しいことで、物資も限られたなか、はるばる旅して来たのだろう。
息を吐いて、るーちゃんへ目を向けた。
[お待ち頂くあいだに飲めるよう、お茶をお出ししても?]
[うん。お願い出来るぅ?よろしいでしょうか、皇子]
[え、ええ。ありがとうございます]
応接室にはバルキア王宮の侍女も複数人が控えている。そんななかで、男装のわたしがお茶を出すと申し出たことに、至仁皇子は驚いたようだった。
苦笑しつつ、バスケットとは別に持っていた荷物から、おやつ袋を取り出す。袋をあさって出すのは、茶葉とお茶菓子だ。部屋の隅に用意された茶器に向かい、ちょっとお値段については考えたくないティカップに、お湯を注ぐ。るーちゃんが事前に連絡していたのだろう。熱々のお湯が用意されていた。
ティポットに茶葉を入れ、カップに入れたことで少し冷めたお湯を注ぐ。
横に控えていた侍女たちに、何をやってるんだと言いたげな目で見られたが、この茶葉はこれで正しいのだ。
少し待ってからカップにポットの中身を注げば、紅茶とは少し異なる、青みの強い香りが広がる。
〔それ!〕
思わず立ち上がったらしい祥子さまに歩み寄り、微笑んでカップを置く。祥子さまの侍女と、至仁皇子とその侍従にも。
〔どうぞ。毒味がいります、〕
〔美味しい……〕
毒味がいるかと訊く前に、祥子さまはカップを口に運んでいた。
〔これ、緑茶よね、どうして〕
〔少し、伝がございまして〕
笑って言い置き、部屋の隅でお茶菓子を小皿に並べる。
〔こちらもよろしければどうぞ〕
〔!、これ、お団子?しかも、みたらしとあんこ!〕
フォークを添えて出せば、目を丸くした祥子さまが小皿を手に取った。金柑大のお団子をフォークで小さく切って、口に運ぶ。
〔んんーっ!〕
くしゃ、と目を細めて頬に手をあてる姿は、言葉などなくとも口に合ったと伝わって来る。
国殺しの手料理であることに違いはないけれど。そもそも会うと想定していなかった相手に、たまたま持っていたものを、大勢の目があるなかで、ほとんど手を加えずに出したのだ。警備担当と至仁皇子の許可も取っているし、問題度はかなり下がっているはず。
〔こちら置いて行きますので、よろしければご自由にお取り下さいね。お茶もお代わりを用意して置きます〕
皇族相手に二番煎じを出すわけにも行かないので、ポットの茶葉は捨てて、新しい茶葉を入れる。もったいないが仕方ない。丁度良く冷めたお湯をポットに注ぎ、良い濃さになったら茶葉は出しておく。
ポットを机に置き、
〔では、一旦失礼致しますね〕
ぺこりと頭を下げてからるーちゃんに向き直る。
[お待たせしました]
[うん。それじゃ、行こうか。少し離れますが、代わりの護衛は付いておりますので]
[……わかった]
至仁皇子はもの言いたげな顔だったが、結局なにも言いはせず見送ってくれた。
応接室を出て、るーちゃんが向かったのはすぐ隣の部屋。なるほど国賓ともなると、お付きが多すぎて控えの間が必要になるのか。
るーちゃんの先導で部屋に入り、肩越しに見えた黒薔薇色に、う、と唸りたい気持ちを堪える。
上司、そうだよ上司って言ってたもんね。
「お久し振りです。場所が違っても問題児であることは変わらないようで」
「お久し振りです。お褒めに預かり光栄の至りです」
「そうですね。褒めたつもりですよ、今回は」
ソファに腰掛け待ち受けていた黒薔薇色の髪の主、ジャック・フリージンガー子爵は、組んだ脚に頬杖を突いて首を傾げた。
「食材と調味料は入手出来たものの、料理人がおらず困っていました。まさか鳩が小麦を運んで来るとは」
鳩が小麦を運ぶ。鴨が葱を背負ってやって来ると、同じような意味で使われる慣用句だ。
それにしても、食材と調味料は入手出来たとは、さすがフリージンガー家。わんちゃんと言う伝を持っていなかったら、すがり付いてお恵みを求めていたかもしれない。わんちゃんさまさまだ。
「許可は私が取りましょう。材料も好きに使って構いません。経費で賄います。調理場は」
「出来れば使い慣れたところが……」
「となると、筆頭宮廷魔導師どのの専用調理室ですか。背に腹は変えられませんね。良いでしょう、許可を取ります」
話が早い。
「あの、宮廷料理とかは作れませんよ?家庭料理程度で」
「それで構わないと言う言質は取ります。それで?どれくらいで作れますか?」
「……ふたり分で構わなければ三十分もあれば」
下ごしらえは済んでいるので、あとはおうどんを茹でてえびちゃんを揚げるだけだ。……わたしとわんちゃんの、おひるごはんを捧げることになるけれど。
「なぜそんなに悲壮な顔、ああ、その腕の中身を出せばと言うことですか」
「はい」
「それは筆頭宮廷魔導師どのの怒りを買いそうなのでやめておきましょう。瑞穂国一行九人と、食事を共にする王太子殿下、王女殿下に、毒味役の分も含めて合計十二人分。今晩の食事に間に合うように、献立を組んで材料を指示し、調理。出来ますか?」
今が昼前。ささっと献立を考えて、材料手配を依頼してからわんちゃんのところに行って、昼食を食べてから封印の更新。それから、届いた材料で調理。
材料の到着と夕餉の時間にもよるけれど、出来なくはないな。すでにフリージンガー子爵が用意しているものや、バルキアでも一般的に食べられているものを使えば、おそらく材料手配はすぐ出来るだろうし。
「夕食の時間は?」
問い掛ければ、上出来とでも言いたげな笑みを返された。
「午後六時半を予定しています」
「それでしたら間に合わせられるかと。手配済の食材の目録を見せて下さい。食事を摂る方々の食べられない食材があればそれも、教えて頂けますか?」
「食材の目録はこちらです。出せない食材については、」
フリージンガー子爵が顔を上げると、ちょうど扉が開いた。
「調理人の申し送り事項、写して来ました」
「こちらへ。どうぞ、エリアル」
「ありが、〔新巻鮭〕!!」
目録に書かれた品目に、思わず声を上げる。
「おや、なにか欲しい食材でもありましたか?」
新巻鮭、椎茸、舞茸、榎茸。白菜に大根、小葱に山葵まである。
欲しいかって?欲しくないわけがないだろう!!
「味見も必要でしょうから、あなたが食べる分も作って良いですよ。それから、瑞穂国一行が喜ぶ食事を提供出来、今後の瑞穂国との国交活発化に寄与したならば、フリージンガーの名にかけて、あなたが望む食材を手に入れると約束しましょう」
「瑞穂国との国交に、それだけの価値があると」
「ご一行の、あの服、すべて絹です」
フリージンガー子爵は、商人の目をしていた。
「特に帯です。皇子殿下の帯は金を使っているのでしょうが、どのような技術によるものか皆目見当もつきません。皇女の帯も、あの緻密な柄。刺繍なのか、別の手法なのか、なんにせよ、恐ろしく高い技術です」
どちらも織物で、金の模様の帯はおそらく金箔を貼り付けた紙を細く切って糸代わりに織り込んでいる、なんて迂闊に言えば恐ろしいことになるのは目に見えていたので、賢いエリアルちゃんは貝になりました。
「綺麗な服でしたね」
当たり障りのない感想を述べるに留める。ワタシハナニモシラナイヨ。
帯も見事だったが、祥子さまの着物は、染めも素晴らしかった。絞り染めにさらに色を乗せ、刺繍や摺箔まで施した、あれはおそらく、前世では幻とまで言われた染物技法ではないだろうか。
失われた技術を再現したと言うものや、ずいぶんと色褪せた博物館所蔵品なら見たことがあったが、本物の、それも時を経て痛む前のものなんて、当然ながら初めて見る。許されるなら触ってみたいくらいだ。
「ええ。服と言うより芸術品の域です。しかもおそらく、あれはあくまで外出着。儀式などではさらに豪華な装いとなるのでしょう」
まあ、十二単で海を渡りはしないよね。
「驚かないのですね」
「海を越えて旅するのに、豪華な服は不向きでしょう。人数も少ないようですし、運べる荷物は限られるはず。略式の衣装になるだろうと言う、予想は出来ますから」
実際は知識があるからだが、予測によるものだととぼける。
「その優秀さ、部下に欲しいくらいですよ。それで、いかがでしょう。ああもちろん、食材で報酬を済ませたりはしませんよ。食材はあくまでお礼のお気持ちです。別途、料理人としての対価は払います。そちらは、成果如何にかかわらず」
それとこちらは相談ですがと、フリージンガー子爵は付け足す。
「どうやらショーシ皇女はすでにあなたを気に入ったご様子。滞在中、お話相手になって差し上げては頂けませんでしょうか。もちろん、学業に支障のない範囲で構いません。もし、ショーシ皇女があなたの料理も気に入るようなら、何回か食事もお願い出来ればなおありがたいです」
「食事は口に合うかどうか」
文化が似通っていたとしても、服装から言って、前世のわたしとは数百年の隔たりがあるであろう方だ。わたしが作れるのはあくまで、文明開化を通り過ぎた現代の食事。獣肉や卵、牛乳の使用が一般化されてからの料理だ。
「少なくとも」
会話中にもフリージンガー子爵のもとには、報告やら書類やらが舞い込んでいる。
その一枚に目を落とし、フリージンガー子爵は口許を歪めた。
「あなたが出したお茶とお菓子は、ショーシ皇女のみならず、皇子も含めた瑞穂国一行全員にいたく好評のようですよ。あっというまに平らげて、残念そうにしているようで」
「茶葉はこれです。紅茶と違って少し冷めたお湯で煎れた方が美味しくなります」
目録の下の方にあった項目を指差して伝える。
「おや、こちらではなく?」
「こちらは美味しく立てるには、専門の道具と技術がいるので、お勧めしません。失敗すると飲めたものではなくなりますよ」
わたしが指したのは緑茶。フリージンガー子爵が指したのは抹茶だ。
「そちらは今日の晩餐に使いましょう」
「晩餐に?これはお茶の一種と聞いていますが?」
「まあ本来の用途はそうですが。紅茶だって、料理やお菓子に使うでしょう?」
言えば、驚いたように目を見開かれる。
そんなに驚かなくても。
「遠い異国の方とは言え、同じ人間ですよ?そう身構えなくても、味の好みや普段食べる食材が多少違うだけで、大きな差はありません」
「ですが、この国の料理では、食が進まない様子で」
体質が違うから、それはそうだ。
「体質的に、唾液の分泌量が少ないのです。パンは柔らかく水分量の高いものにするか、スープに浸して食べるよう勧めるかして下さい。それから、あまり脂っこいものや、香辛料の強いものは、苦手なのではないかと」
幼い頃の記憶を呼び覚まし、前世の知識も思い起こして語る。国賓のための晩餐。おそらく贅を凝らした料理が並ぶのだろう。それはたぶん、祥子さまたちには重過ぎるのだ。
「昼食の準備はまだでしょうか。今から献立を変えることは?」
「内容にもよりますが、おそらく可能かと。確認を」
フリージンガー子爵に命じられて、ひとりの騎士が足早に部屋を出て行く。
「作り方を伝えるだけですぐ用意出来るもの、となると……」
思案しているあいだに、目の前に紙と筆記具が用意される。
簡単に献立をスケッチし、料理人が見れば作れるようにレシピを書き込む。
「これでお願いします」
「雑穀入りのトマトスープとほぐした茹で鶏に、温野菜と、茹でた葉物。これだけですか?」
「蒸し鶏にはこちらのソース、葉物にはこれを少しかけて、それから、食卓にこれを乗せておいて下さい」
非常食袋を取り出して、エリアルさん秘伝の味噌ダレに、小分けにした削り節と、醤油の小瓶を取り出す。
「なんでも出て来る魔法の鞄だねぇ」
「なんでもは出て来ませんが、魔法の鞄ではありますね」
なにせ筆頭宮廷魔導師どの謹製の輸送用保管袋を、横流しして貰っているから。
「これは、調味料、ですか」
「ええ」
「ふむ、ショーユ、ですかね」
くん、と匂いをかいだフリージンガー子爵が頷く。
「スープは固形コンソメ、温野菜は、塩だけ?これで問題ないと?」
「バルキア産の野菜は美味しいので塩で十分ですよ」
「スープは?味付けを寄せた方が良いのでは?」
いやいや。食べたことのない味付けの正解を、文章で伝えるのは無理だよ。
それなら慣れた味付けの、方向性を伝えた方が美味しいものが出せる。
「余計な油は足さず、素材の味を活かした単純な味付けにする。これで十分、瑞穂国に寄せた味付けになりますよ」
「そうですか。まあ、エリアルがそう言うなら信じましょう。これを厨房に」
信じるのか。
調味料と削り節も含めて運ばれて行くレシピを、少し驚いて眺める。
「えっと、良いのですか?」
国賓に出すにはあまりに質素な料理だろうに。
「責任は私が取りますから。瑞穂国一行は、はるばるバルキア王国まで来たのです。途中の国は、国交を拓くに足る決め手がなかったのでしょう。ならば、駄目で元々、あなたの案に乗るのは悪くない」
黒薔薇色の髪を揺らして、フリージンガー子爵は艶やかな笑みを浮かべた。
「なにせ新たに増設された隊ですから、落ちる名声は未だなく、上手く功績を上げれば実績となります。零か一かならば賭けない手はありません、し」
ふふっと、細められた目がわたしを見据える。
「せっかく小麦を運んで来てくれたのですから、美味しいパイにして差し上げないと」
「……」
フリージンガー子爵はともかく、るーちゃんには大変お世話になっている。似た文化の国をかつての母国とするので、祖国の味を渇望する気持ちもわかる。
息を吐いて、頷いた。
「わかりました。各所の許可が取れるなら、協力はしましょう。どこかから文句が出ないようにお願いします」
「ありがとうございます」
お礼を口にしたフリージンガー子爵は、さっと立ち上がると、では話を通して来ましょうかと告げ、るーちゃんにあとを任せて立ち去った。
ふたり掛けの長椅子に並んで座ったるーちゃんが、眉を下げる。
「ごめんねぇ、突然こんなこと頼んで」
「いえ、報酬がきちんと払われるなら仕事として受けますから」
「助かるよぉ。病気や怪我なら治してあげられるし、気持ちの問題なら晴らしてあげることも出来るけど、食の好みの問題だと僕じゃぁお手上げでぇ」
ああそうか、それもあって、るーちゃんが抜擢されたのかと納得する。思い返せば祥子さまの手は、少し痩せ過ぎていた。道中の食事が合わず、痩せてしまったのか。
「なにか日持ちするお菓子も、用意しますね。あとは、そうですね」
わんちゃんの許可が降りれば、だけれど。
「作り置きを出すことが問題ないなら、主食と主菜は用意しておく、などであれば」
わんちゃんの部屋の温蔵庫と冷蔵庫は保管袋と同じく、中に入れたものの劣化を遅らせる。さすがに九人分の作り置きは場所的な問題で無理だが、
「祥子さまと皇子殿下の分くらいは、用意出来るのではないかと。わん、ヴァンデルシュナイツ導師の了解が得られればですが」
まあ国の要請があれば、授業は休めるだろうけれど、いつまでなのかわからない瑞穂国一行の滞在中ずっと休め、とは言われないだろう。フリージンガー子爵も、学業に支障のない範囲でと言っていたし。
「ありがとぉ。その辺は、あとで相談かなぁ。お菓子はお願いして良い?」
「はい。と言っても、大したものは作れませんが」
答えながら、改めて、食材の目録に目を通す。ひとまずは今日の晩餐だ。
「お出汁。お出汁、ねぇ」
おもてなし料理の定番と言えばお寿司だけれど、故郷の味に飢えている相手に出す品としては違うだろう。魚の生食は当たる危険も高いし。
例えばめんつゆさまはあらかじめ作っておいて、うどんも打っておいて。茹でて具を乗せるとかならば、宮廷料理人の方々がやってくれるだろうな、なんて思考が滑る。
料理上手で身体の弱い、えりさん、か。
「大丈夫ぅ?」
不意に、るーちゃんに顔を覗き込まれた。
「嫌なら嫌って言って良いんだよぉ?エリアルには、なんの義務もないんだから」
「え、あ、いえ!献立に悩んでいただけで、嫌なわけでは」
「そう?お願いしておいて言うことではないけど、無理はしないでねぇ」
それからるーちゃんは、耳に掛けていたイヤーフックをいとおしそうになでた。
言外に、瑞穂国一行よりも大事だからと告げられた心地がして、顔に熱が昇る。
「あ、の、わたしにとっても、十二分に見返りのあるお話、なので」
どうにかそれだけ告げて、目録に目を戻す。鮭は朝食と言う固定観念はあるけれど、やっぱり主菜は新巻鮭にしよう。主食は白米。これは譲れない。汁物をお吸い物にするかお味噌汁にするかが悩みどころだけれど。
〔……滑子〕
「うん?」
見逃し掛けていた項目に、お味噌汁にすることが確定する。なめこのお味噌汁は正義だ。
あとは里芋と人参の煮物に、わかめとキュウリの酢の物。それからだし巻き玉子で、一汁四菜だ。
時代的に卵は一般的な食品でない可能性があるけれど、だからこそ心尽くしの料理に見えるし、なにより卵は栄養価が高い。食が進んでいないと言うなら、栄養価の高いものを食べて欲しいのだ。
あ、そうそう。デザートも付けないとね。数ある抹茶のお菓子のなかでも、わたし的に至高の存在である、抹茶アイスと致しましょう。わんちゃんの調理器具なら作れる。
必要な材料を紙に書き出して、るーちゃんに渡す。
それからいまいちど目録に目を通して、作れるお菓子を考える。羊羮とお饅頭、すあまと求肥は作れそうだ。ちょっと早いけれど若鮎も良いかもしれない。好評だったらしいお団子も、追加で作ろう。あとは、おやつではないけれど、あれも仕込みたい!
さらさらと別な紙に書き出せば、覗き込んだるーちゃんが問う。
「そっちはお菓子の材料?」
「はい」
「そっか。……これ、瑞穂国の言葉だよね?話すだけでなく、読み書きも出来るんだぁ」
指摘されて初めて、無意識に前世の祖国の文字で書いていたことに気付く。やばいさっきのレシピ、は、バルキア語で書いた!ヨシ!
「す、みません、この目録が」
「うん。わざと瑞穂国の言葉で書かれた目録を渡して、エリアルが読めるかどうか確かめたんだろうねぇ」
新巻鮭に釣られて、まんまと情報を抜かれた、と。
「書き直、」
「もう遅いよねぇ」
部屋を見渡してるーちゃんが言う。残念ながら部屋にいるのは、るーちゃんとわたしだけではない。
へちょ、と机に懐けば、こら、と軽く頭を小突かれた。
「だらしないよ」
「んん゛ー」
「はいはい可愛い可愛い。これはフリージンガー隊長に渡しておくから、エリアルはグローデウロウス導師のところに行って良いよぉ。お腹空いたでしょぉ?」
るーちゃんの声に答えるように、くるるとお腹が鳴く。
「うんうん。ショーシ皇女には僕から状況を説明するから安心して。残ってるとたぶん、捕まっちゃうだろうからねぇ」
「ありがとうございます」
お礼を口にし、よろりと立ち上がる。自覚すると、空腹が響いて来た。おなかすいたぁ……。
「うん。今度は誰かに捕まらないように、ごめんなさい、導師のところまで、付き添ってあげて貰えますか?」
「はっ。承りました」
「え、いや、そこまでは」
断ろうとしたが、笑顔のるーちゃんに押し切られ、ひとりの騎士と共に廊下に出される。
「申し訳ありません、お忙しいでしょうに」
「いえ!その、自分はまだ王城勤めに慣れておらず、こう言った随行の経験が浅いのです。おそらくメーベルト隊長補佐は、自分に経験を積ませるために指示されたのかと。なにか気になる点があれば、遠慮なくおっしゃって下さい!」
「そうですか、ではとりあえず」
わたしより拳ふたつほど小柄な、元気一杯に話す青年と並んで歩きながら、助言を口にした。
「お歳を召した方でない限り、王城の静かな廊下ではそんなに声を張らなくても聞こえます。声量は今のわたしくらいで、少しゆっくり話すように心掛けて下さい」
「声の大きさと、話す速度、ですか?」
「はい。フリージンガー隊長の隊は、主に高貴な女性に付く隊として新設されたと聞いています。女性のなかには、大きな声や乱暴な言葉が苦手な方もいますから、威圧感を与えないよう、穏やかで丁寧な話し方を心掛けて下さい」
その点、るーちゃんは強い。相手に合わせて最適な口調を瞬時に選んで話せる上に、生来の柔らかい雰囲気があり、老若男女問わず安心させてしまう。
あれは才能と経験によるものなので、一朝一夕に体得は無理だ。だから伝えるのは、一般論。
「ええと、このくらいの早さ、でしょうか」
「はい。とても上手です。貴族女性は男性と比べてゆっくり話しますから、少しゆっくりを意識するだけでも、親しみやすさが変わります」
「なるほど」
「この速度で話すことに慣れて来たら、今度は相手をしっかり観察して、相手の話す声量と速度に合わせて話してあげて下さい。ただし、話し方が特徴的な方を真似し過ぎると、相手を馬鹿にしているように思われてしまうこともあるので、注意して」
実際のところ、対人の接遇に絶対の正解はない。同じ行動を取っても、相手の考え方や気分で、受け取られ方は変わってしまうからだ。
「難しい、ですね」
「ええ。結局は、どれだけ相手のことを考えられるか、です。例えば、声の大きいご老人がいたら、耳が遠いのかもしれませんから、出来るだけ低めの声でゆっくり、はっきり伝えるようにする、とか」
「低い声、ですか?」
はい、と頷いて説明する。
「歳を取ると、高音が聞き取れなくなって来るそうです。声を張ると声が高くなりがちですが、ご高齢の方相手の場合は、高くならないように気を付けて。それから、言葉は簡潔に。出来る限り短く伝えます」
「では、若い方相手では?」
「相手にもよりますが、貴族女性相手でしたら、直截な物言いは好まれませんね。多少婉曲でも、柔らかい伝え方を心掛けて下さい」
微笑んで、続ける。
「経験がなくとも選ばれた、と言うことは、あなたに適性があると判断されたのでしょう。大柄な男性と比べて、あなたならば小柄で、顔立ちも愛嬌がおありなので、女性に恐怖心を与えにくいと思います。女性に安心感を与える話し方や立ち振舞いが出来るようになれば、きっと活躍出来ますよ。頑張って下さい」
ぽかん、と見返されて、首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「えっあ、あの、ずっと、チビの上に、女みたいな顔って、馬鹿にされて来たので、それが、長所になるなんて、思ってもみなくて」
「そうですか?フリージンガー隊長だって、小柄ですし、顔立ちも女性寄りでは?」
「いっ、言われてみれば?」
「女性らしさのある男性は、女性に親しまれやすいですよ。自信を持って下さい。あとは、そうですね」
接遇に大事なのは、相手の立場を理解すること、だ。
「可能であれば、女装で王城を歩いて見ると良いですよ。コルセットをしっかり絞めて、ピンヒールを履いて。胸に重りを付けるとなお良いですね。どんな場所が危ないか、どう手助けされると助かるか、身をもって理解出来ますから」
「そっ、れは、さすがに」
「あはは、冗談です。隊員以外には見られない、訓練場でやってみて下さい。護衛対象がどこまで動けるかは、把握して置いて損はないですよ。ドレスの女性を抱き上げたり背負ったりする訓練も、同じ隊員相手の方が遠慮なく出来るでしょうし」
前世では道徳の時間に、老人体験とか、妊婦体験とかあったなぁなんて思いながら言う。
ドレスは想像以上に重いし行動を制限されるのだ。相手は日常的にドレスを着ているので、諸々心得ているとは言え、護衛する立場として、ドレスを着ている状態がどんなものなのかは、知っておいた方が良いに決まっている。
「うっ、た、確かに、そう、です、ね」
女顔を馬鹿にされて来た身としては、女装に抵抗があるのだろう。納得しがたい顔をしつつも、小柄な騎士は頷いた。
「ドレスを着て歩いてみれば、この速度が速過ぎることもよく理解出来ますよ」
「えっ!?あ、申し訳ありません、速かった、ですか?」
「わたしは男装ですから大丈夫ですが、女性相手なら速過ぎますね」
歩幅を狭め、足を動かす速度も下げる。
「この速度と歩幅です」
「ゆっくり、ですね」
「ええ。ゆっくり歩きますから、目的地に着くまでの時間も変わります。時間には余裕を持って、急がなくても間に合うように」
もちろん、ドレスにヒールでも速く動くことの出来る女性はいる。だが、スカートや髪が翻るような速度は見苦しいと言い聞かせて育てられるのが貴族令嬢だ。余裕を持ってゆったりと歩かせてあげるのが、紳士の嗜み。
「そんなところまで気配りを……」
「突然全部出来るようにはなりませんよ。焦らず、相手のことを考えて動くように心掛けていれば、だんだんと身に付いて行きます。戦い方と同じですよ」
「え?」
「相手をよく見て、どう動くかを予測して、それに合わせて自分の動きを決める。ほら、一緒でしょう?」
意表を突かれたらしい小柄な騎士に微笑みを向け、さて、と呟く。
「目的地に着きましたのでこれで。付き添いありがとうございました」
「あっ、こ、こちらこそ!」
声が大きくなりかけたのに、静かに、と身振りで伝える。
「はっ、こ、こちらこそ、ありがとうございました。勉強になりました」
すぐに気付いて声量を抑えた青年に、笑みを深める。
「ご活躍を祈念しております。では」
扉をくぐって、閉める。
はぁ、と溜め息が漏れた。
「遅かったな」
「わんちゃん、申し訳ありません。少し、なんと言うか、その」
「聞いてる。まあ、悪い話ではねぇだろ」
フリージンガー子爵は、早々とわんちゃんに話を通したらしい。それもそうか。国賓を別にすれば、いちばん気を遣うべき相手だ。
「瑞穂国との国交が拓かれれば、お前の好きな食材も自由に手に入り易くなる。美味いもんの材料が増えんなら、お前の料理を食う俺にとっても得だ」
「そう言って頂けるとありがたいですが、本当にご迷惑お掛けして……」
「迷惑っつぅんなら、いちばん被ったのはお前だろ。嫌なら俺の気が変わったっつぅことで断んぞ」
ああみんなしてわたしに甘い。
「大丈夫ですよ。引き受けたからにはやります。しばらくここを騒がせてしまいますが、あっ、せっかくなので、わんちゃんの分も一緒に作りますね!」
「もちろんその条件で引き受けてる」
「ふふっ」
それならわたしは、わんちゃんと食べよう。その方がきっと美味しい。
「エリアルと一緒に食うって言ってあっから」
なんて気遣いにあふれるお言葉。
「わかりました。ありがとうございます」
ほっとして、バスケットを掲げる。
「それじゃあ、まずはおひるごはんを作りますね!今日は力作なのですよ!」
「そりゃあ楽しみだ」
言って頭をなでて貰って、つい、日溜まりの猫のように目を細めてしまった。
それから、わんちゃんと美味しくおひるごはんを食べて。封印の更新をして。
海老天入りきつねうどんは、我ながら絶品だったよ!わんちゃんからお揚げさんを褒められて鼻高々。作った甲斐がありました。食事中の会話で、当初の目的だった、子猫宅訪問許可も貰えたし。
そうだよ元々の目的はそれだったのだよ。ずいぶん寄り道してしまったけれど。
そうこうするうちに、るーちゃんがやって来て、わたしが渡したレシピで作った料理が好評だったことと、正式な夕食作成依頼が伝えられた。わんちゃんにも、書面で調理室使用の許可願が届けられる。
夕食作りに関しては、追加項目があった。
「食材は、ふたりの了承が取れ次第運び込まれます」
わたしとわんちゃんの了承待ち、と。
「エリアルが良いなら俺は構わねぇよ」
「わたしも、構いません」
「ありがとうございます。では、食材を持って来させますね」
正式なお仕事としての依頼だからか、るーちゃんが敬語。ちょっとそわそわするね。
「エリアルには自由に使う許可をやってるから、俺は仕事に戻るぞ」
「はい。突然の依頼にもかかわらず許可を下さりありがとうございます」
「べつにお前のためじゃねぇから礼ならエリアルに言え」
言い置いて出て行くわんちゃんと、入れ替わりに運び込まれる食材。
〔新巻鮭……っ〕
切り身でも半身でもない、一本ものの新巻鮭に、ときめきが口を突く。
「アラマキジャケって、このお魚のことだったんだねぇ」
そんなわたしに呆れてか、思わず敬語も抜ける、るーちゃん。
「でもこれ、大きいね、どうするの?」
「切って焼きます!」
「それならだいぶ余るのかなぁ?お魚の余った分はエリアルの好きにして良いって言っていたよぉ」
なんて太っ腹な。新巻鮭一本だよ?十数人分の切り身を厚切りで取っても余りは出るはず。
つまり余った鮭で鮭おにぎりと鮭茶漬けが出来ると言うことだ。鮭おにぎりと鮭茶漬け。いやっふぅ!
鼻歌でも歌いたい気持ちでお米を研ぎ、浸水させておく。里芋と人参を剥いて一口大に切り、水と調味料を加えて火にかけたら、鮭をさばく。鱗を落とし、切り身にしたら、丁寧に骨を抜く。自分で食べるならそんなことしないけれど、相手は国賓だし、鮭なんて食べ慣れていないひともいる。骨は危ない。骨の除去が終わったら、料理酒をまぶしてしばし放置。厚みは指の太さくらいにした。塩抜きの時間がないので塩が辛いから、厚くしない方が良いと思って、って、余りを多くするためじゃないよ?違うからね!?鮭のお世話が終わった頃には、煮物が良い感じになっているので、いったん火を止めて味を馴染ませる。抹茶アイスの下準備をして、冷凍庫に。ついでに水出し緑茶も仕込む。浸水していたお米を水から上げ、土鍋に移して新しい水を加える。
この土鍋も、わんちゃんのお知り合いさんから譲り受けたものだ。普段はこの土鍋に一回炊けば十二分で夕御飯に明日のお弁当まで作れるくらいだけれど、今回は人数が多いので二周炊く。温蔵庫があるから出来る荒業だ。
と言うわけで、土鍋を火にかけた横で、二周目のお米を研いで浸水。絹さやを下処理して湯がいて急冷。なめこの下処理もして、お米を火から下ろす。お米を蒸らしているあいだに、乾燥わかめを水戻し。わかめ待ち中に、キュウリをスライスして、と。
〔手際が、よろしいですね〕
不意に後ろから投げられた声に手を止める。幸い、火は使っていないタイミングだ。振り向いて、微笑む。
〔幼い頃から、やっておりましたので〕
背後にいるのは、るーちゃんに加えてふたり。至仁皇子の付き人の男性と、祥子さまの付き添いの女性、確か、珠さまと言ったか。話し掛けて来たのは、珠さまの方だ。
このふたりは、わたしが毒を入れたりしないか監視する役目。るーちゃんがいれば十全ではあるが、さすがに他国の人間に全幅の信頼を置くわけには行かないと言うことだろう。
〔わたしも、えりさまのように料理が出来れば良かったのですが……料理は経験がなくて、お役に立てず。わたしではなく、えりさまがついて来られた方が、きっと〕
この"えりさま"はきっと、国に残して来たと言う、祥子さまの乳母子のことなのだろう。料理が得意だと言う"えりさま"が一行にいれば、なるほど食で困ることはなかったのかもしれない。けれど。
綺麗に手入れされた、祥子さまの髪を思い浮かべる。あの、美しい髪も、丁寧に着付けられた服も。
〔料理が出来ずとも、ほかのことで十分お役に立っていらっしゃるでしょう〕
長い髪も豪奢な衣も、ひとりでは美しく保てないものだろう。彼女は立派に、祥子さまを支えている。
〔祥子さまが美しいお姿でいられるのは、あなたさまのお力添えあってのことでしょう?女性にはお辛い旅路でしょうに、それでも付き添われていらっしゃるあなたさまのことを、きっと祥子さまも支えに思っていらっしゃいますよ〕
〔そうでしょうか。わたしは、不甲斐ないばかりで。今日だって、祥子さまに置いて行かれてしまって。えりさまなら、そんなことはないのに〕
それは、きっと、違う。
〔長い時間を共に過ごさなければならない相手に、信頼の置けない方は選びませんよ。祥子さまがあなたを振り返らないのも、あなたならばひとりでも大丈夫と思ってのことでしょう〕
少し話しただけの印象ではあるが、祥子さまは、猪突猛進なところはあれど、気遣いのある方だと思う。だから"えりさま"を置いてけぼりにしないのは、身体の弱い"えりさま"を気遣ってのこと。気にせず置いていく珠さまをこそ、信頼し、その愛情と忠誠に甘えているのだろう。
さて、そろそろ蒸らしは十分だ。
〔さて、申し訳ありません。少し、調理に集中しても〕
〔あっ、も、申し訳ありません、お邪魔して〕
〔とんでもないことです〕
微笑んで首を振り、調理に戻る。あとはるーちゃんが、良いように取り成してくれるはずだ。
蒸らし終えたお米は、ほぐして御櫃に移す。これも、わんちゃんのお知り合いさんから。土鍋を軽くすすいで、二周目のお米と水を入れて、火にかける。戻したわかめを一口大に切り、お酢で和えてと。鍋に水を入れ火にかけたら、固形出汁を投にゅ、あ。
「…………」
国賓相手になにを手抜き料理しようとしているのか。いや。ある意味これは最先端技術の披露だ。手抜きではない。手抜きではないったらない。うん。ないしょね。
何事もなかった顔で鍋は沸くまで放置し、そのあいだに鮭の水気をよく拭き取る。水気を拭いた鮭はオーブンシートを敷いたフライパンに並べる。数が多いのでこれも一度で全部は焼けない。沸いた出汁入りのお湯になめこを投入し、再沸騰したら火を止めてお味噌を溶かして、お米は火から下ろしてと。
さて、鮭との戦いだ。グリルはないのでフライパンで焼く。片面が焼けたらひっくり返し、お酒を加えて蓋をして蒸し焼きにする。火が通ったらバットに乗せ、温蔵庫に。……温蔵庫がなかったら、ひとりで十四人分は無理だったと思う。わんちゃんさまさまだ。一周目が終わったら、フライパンをすすいで拭いて二周目。三周目でやっと人数分焼けた。いったん全部温蔵庫に逃して、煮物とお味噌を温め直しつつ、めんつゆさまで味付けた卵を焼いて切る。
さて、ここで問題があります。和食用の食器がありませ、
「ああ、間に合いましたね」
食器問題に直面しかけたところで、フリージンガー子爵が顔を出す。
「こちら、どうぞ。洗ってあるのですぐ使えますよ」
「用意のよろしいことで……」
フリージンガー子爵が運ばせたのは、漆器の膳と食器だった。文様が揃っていないのが惜しいけれど、それでも十二人分。
「残念ながら、エリアルと筆頭宮廷魔導師どのの分までは手配出来ませんでしたが」
「わたしとヴァンデルシュナイツ導師は適当に食べるので大丈夫ですよ」
肩をすくめて答えて、さっさか料理を配膳して行く。この調理室の机では、一気に十二人分は並ばないので、数人分ずつ盛り付けては、運び出して貰う。十二人分、終わらせて。
「ヴィクトリカ殿下と王女殿下には、カトラリーも一式お出しして下さい。飲み物はこちらを」
水出し緑茶のピッチャーを出せば、抜かりないですねと、恐らく褒め言葉らしいものを頂いた。
「食後に氷菓を用意してあります。食べ終わるくらいに取りに来て下さい」
「この調理室は、氷菓まで作れるのですね」
「ええ、まあ」
使うのは、わんちゃんとわたしだけなのに、贅沢なと思われただろうか。だが、わたしはともかく、わんちゃんは筆頭宮廷魔導師なので、それくらいの贅沢は許されると思う。そもそもここにある魔道具は、ほとんどがわんちゃんの作ったものだし。
フリージンガー子爵が、壁際にるーちゃんと並ぶふたりをちらりと見やる。
「これがバルキアの標準と、誤解されないと良いのですが」
「るーちゃん、メーベルト隊長補佐が説明していたので、大丈夫だと思いますよ」
「そうですね。ブルーノを信じましょうか」
告げて、フリージンガー子爵がるーちゃんたちに歩み寄る。
〔調理は終わったようです。移動しましょう〕
さすが、騎士とは言えフリージンガーの人間。多少の片言感はあるが、問題のない発音と文法だった。
出ていく五人を見送って一息吐いていると、見計らったようにわんちゃんが戻って来る。いや、わんちゃんのことだから、いないことを把握して戻って来たのかもしれない。
「ごはん、すぐ並べますね」
「ああ」
適当な食器に料理をよそって出す。いつの間にかお箸の使い方をマスターしていたので、わんちゃんもわたしもカトラリーはお箸だ。
「見たことねぇ魚だな」
「かなり塩気が強いので、気を付けて下さい」
新巻鮭は塩抜き推奨だ。
久し振りの、本当に久し振りの鮭なので、わたしにとっては塩辛かろうとなんだろうとご馳走だけれど。
手を合わせて、まず、なめこ汁をひとくち。美味しい。これだよこれ。食べたかったあの味と食感。
うんうんと頷いて、わかめの酢の物と煮物、だし巻き玉子もひとくちずつ。問題ない味、だと思う。久し振りに食べた里芋のねっとりした食感が美味しい。美味しい。
そして念願の主菜!新巻鮭!!お箸で割って、口に。しょっ……ぱい!でも、胸が震えるくらい美味しい嬉しい。鮭だ鮭。焼き鮭のあの味だ。
わんちゃんが鮭を口にして、眉を寄せている。しょっぱかったのだろう。でも、お箸が止まらないのが嬉しかった。鮭、美味しいでしょう、わんちゃん。
夢中で食べて、満腹のお腹をなでる。美味しゅうございました。
「食後に氷菓があるのですよ」
「ほぉ」
「でも、監視役が来ないと開けられないですね」
冷凍庫を横目に息を吐く。仕込んだ抹茶アイスは入れ物に封印の紙が貼ってあって、開けたらばれてしまう。潔白の証明とは言え、早く食べたいときは恨めしい。
「とりあえずお茶を煎れますね」
せっかくなので焙じ茶にしようかと、緑茶のお茶っ葉をフライパンで焙じる。
「ごはん、美味しかったですか?」
フライパンを揺すりながら訊けば、美味かったぞと返事が返る。
「魚はもう少し、塩気が薄い方が好みだが」
「そうですよね。余ったお魚、くれるそうなので、次はちゃんと塩抜きして食べましょう」
「ああ、楽しみにしてる」
微笑んで言ってくれたので、しょっぱかっただけで鮭自体は気に入ったのだなとわかる。
「芋も茸も、食感が独特だったな。あと、キュウリと一緒に酢で味付けていたやつ」
「〔わかめ〕ですか?」
「あれも食べたことのない味と食感だった」
「乾燥させた海藻を、水戻ししたものです」
「海藻」
ぱちりと目をまたたくわんちゃんに笑う。海藻、食べないのだよね、バルキア王国では。種類も豊富だし美味しいし健康にも良いのにな。
「たまに出している、海苔や青海苔も、海藻ですよ」
「そうだったのか」
わかめがあるなら昆布もあるのかな。でも、フリージンガー子爵の食材目録にはなかったな。
香ばしい香りになった茶葉を火から下ろし、少し冷ましてから、温めたティポットに入れる。熱湯を注いで少し蒸らしたら、自家焙煎焙じ茶の完成だ。自家焙煎って言うと、なんだかちょっと美味しそうに聞こえない?聞こえないかあ……。
わんちゃんにお茶を出したところで、調理室の扉が叩かれる。高貴な方々は、わたしみたいにがっつかず、ゆっくり食べたようだ。
「氷菓を貰えますか」
「はい。少し待って下さいね」
フリージンガー子爵と一緒にやって来た、るーちゃんと珠さまに、抹茶アイスの入れ物の封印を確認して貰ってから開ける。
うん。良い出来だ。
ちなみにこの器は魔法を込めてある準魔道具で、中に入れたものを常時撹拌し続けてくれる。つまり、ソフトクリームマシーンみたいなもので、材料を入れて冷凍庫に入れておけば、美味しいアイスクリームが出来上がると言う手抜き、じゃない、画期的な調理器具だ。アイスクリームの手作りって、大変だからね……。
アイスディッシャーなんて便利なものはないので、大きいスプーンで良い感じにすくって冷やしておいた陶器の器に手早くよそう。
「すぐ溶けてしまうので、急いで運んで下さい」
「わかりました」
受け取って使用人に運ばせるフリージンガー子爵の目が、あとで詳しく聞くと言っている気がしたが、気付かなかった振りをして送り出す。
焙じ茶を飲んで待っていたわんちゃんが、カップを持ち上げて目を細めた。
「香ばしくて美味いな、これ」
「あれ、やったことありませんでしたっけ」
首を傾げるが、そう言えばない気がする。普段は紅茶だからなあ。
「火を通すだけで、味が変わって面白いですよね」
笑って答えながら、抹茶アイスをよそって、わんちゃんの前に置く。
「アイスクリーム、か?初めて見る色だが」
「〔抹茶〕と言うお茶を混ぜているのです」
「マッチャ?こんなに緑なのか?」
「はい。粉末のお茶で、こんなに綺麗な緑色をしているのですよ」
わんちゃんにはアイスクリーム提供済みだ。だから、アイスクリームと言う存在への驚きはなく、緑色の見た目への感想になる。話を聞いて、抵抗もなくひとさじすくって口に入れて、見開かれた目が、すぐに細められる。
好みに合ったらしい反応に安堵しつつ、わたしも抹茶アイスを口に運ぶ。口に入れると鼻に抜ける、抹茶の香り。甘味とほのかな苦味が絶妙で、濃厚なアイスクリームなのに、さっぱりとした後味。美味しい。抹茶の甘味適性の高さは素晴らしい。さすが、甘味に使われることで甦った存在。
「いままで食ったアイスクリームのなかで、これがいちばん好きだな」
なんと、わんちゃんからも高評価です。
「アイスクリーム以外のお菓子にも合いますから、〔抹茶〕が手に入ったらいろいろ作りますね」
「アイツに送れって言っとく」
「あ、それなら」
これを言ったら、図々しいだろうか。
「いえ、やっぱり、い、」
「頼みがあるなら遠慮せず言え。アイツが聞くかは知らないが」
「〔抹茶〕用の、茶道具が欲しくて」
茶碗と茶筅があれば、抹茶を立てられる。わたしは抹茶が苦手でないから、シェイカーや泡立て器で溶いても飲めるけれど、どうせならちゃんと立てたものが飲みたい。
「茶道具か。言っとく」
「ありがとうございます。無理にとは、言いませんし、高いものでなくて良いので」
高い茶器は本当に、金銀財宝と同等の価値だったりするから。
「気が向いたら余ってるのをよこして来るだろ」
筆頭宮廷魔導師の知り合いの持つ余りもの、かぁ。恐怖しかないね!
「どうせ貰ったやつを余らせてるだけだから気にすんな」
顔に出ていたらしくとりなす言葉を返される。
「このあと菓子も作るのか?」
「そうですね。ただ、ひとりで作ると警備上問題があると思うので」
「面倒この上ねぇな。ま、ここは好きに使え」
「ありがとうございます。わんちゃんの分も作っておくので、食べて下さいね」
「ん」
頷いたわんちゃんが食器を手に立ち上がる。
「あ、わたしが」
「いい。監視役が来るまでに、ちったぁ休んどけ。眠ぃんだろ」
言って魔法でささっと食器洗いを済ませてくれる。わんちゃんの半分は優しさで出来ているのかもしれない。
「ほら、来い」
調理室の端の長椅子に腰掛け、膝を叩いて見せる。ここに長椅子があるのは、わんちゃんが仕事をサボっ、じゃない、仕事の休憩中にここでお茶を飲みつつ休むからだ。
「え、でも」
「誰か近付いたら起こしてやるから」
ここは廊下の奥で、この区画は全部わんちゃんのための場所だ。執務室を筆頭に、作業室に書庫に倉庫に調理室に仮眠室。筆頭宮廷魔導師だけあって、特別待遇。だから、ここには基本的にわんちゃんに用事のあるひとしか来ない。
「おいで」
好きな声にそう言われて逆らえるひとがいるだろうか。いやいない。
吸い込まれるように長椅子に向かい、骨張った脚に頭を預ける。決して寝心地は良くないが、どこより安心出来る寝床。
「良い子だ。おやすみ」
頬に口付けを受ければ、すぐに意識は落ちてしまう。
わんちゃんが寝ているわたしを起こしたりしないことを思い出したのは、次の日の朝に仮眠室で目覚めてからだった。
つたないお話をお読み頂きありがとうございます
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