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パラレル808  作者: 五十鈴 りく
壱・蛇の花
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壱 ~四~

 その場の空気がどろりと淀む。

 莉々(りり)はいつも陽気なはずの鳴雪(めいせつ)が放つ禍々しさと、狸たちの赤く光る目に身震いした。

 鳴雪の声は低く、腹の底に響く。


「おぬしの恨みもつらみも莉々殿には関わりなきこと。罪のない莉々殿を害そうとしたおぬしのことは、決して許さぬ」


 真蛇しんじゃと呼ばれるものになったとしても、もとはただの人間だ。鳴雪と妖狸たちを前に、蛇は強がりさえも保てなくなっているように見えた。

 莉々のために鳴雪は憤ってくれている。それがわかっても、莉々は嬉しくなかった。

 怖い顔をして、手下(てか)の狸たちと蛇を追い詰める。そんな鳴雪は嫌だった。

 莉々は(てん)の後ろからつぶやく。


「やめて……」

「へ?」


 そのひと言に、鳴雪は敏感に振り返った。戸惑う顔に、莉々は思いきって言った。


「大勢で苛めてるようにしか見えないから」


 鳴雪はその途端に、莉々の知るいつもの鳴雪に戻った。慌てて両手を大きく振る。


「い、苛めてっ? いや、あの、私は莉々殿のことを――」

「怖い顔」

「ええっ!」


 怖いと言われてショックを受けたらしく、鳴雪は自分の顔をぺたぺたと触った。天と砕花(さいか)がますます呆れた目を向けているけれど、それには気づかない。

 蛇は天の後ろの莉々に鋭い視線を投げつける。


「お前はどこまでも私を惨めにする。お前に情けをかけられることが、私にとって幸運なことだとでも思うのか?」


 そんなことはわからない。莉々は思うままに口を開いただけだ。

 莉々に情けをかけられることが、死ぬよりも嫌だと蛇は思うのか。

 すると、砕花のため息が聞こえた。


「妄執がお前を蛇にしたのなら、その恨みを一度捨て去ってみたらいい。新たな道を踏み出すことができるのは、お前自身なのだ」


 凛とした、場違いなほどに清らかな声だった。

 蛇は瞠目したのか瞳孔を狭め、それから砕花を睨みつけた。


「そう易々と捨て去れるものではない。お前のような者には何もわかるまい」


 誰にも自分の気持ちはわからないと言う。悲しみに閉ざされた心は硬い殻に覆われ、何人なんぴとをも拒んでいる。

 砕花は不意に柔らかな眼差しを蛇に向けた。


「当然だ。俺にわかるわけもないが――そんな姿になってまで捨て去れなかった苦しみを、馬鹿馬鹿しいとは思わぬよ」


 だからこそ、と砕花は言った。


「俺はただの行きずりに過ぎぬが、次の生こそお前が幸せになれるよう、その苦しみに終止符を打って解放してやろう。それが俺にできるせめてもの手向けだ」


 砕花は流れるような所作で腕を振るい、青い火を放った。その火は油を注いだほどの激しい業火となり、蛇を焼き尽くす。炎に包まれた蛇を目の当たりにし、声をなくした莉々の前に天は間に立ち続けた。

 そんな時、鳴雪が莉々のそばにやってきてささやいた。


「あの炎はまやかしだ。熱さを感じぬだろう? 砕花は、そうしたやつだから……」


 炎は次第に色を変え、桜色の花吹雪になって散った。その中に残ったのは、一人の老婆だった。赤い着物は蛇のもの。ざんばらの真っ白な髪の老婆は、はらりと涙をこぼして倒れた。砕花は歩み寄って膝をつくと、そっと老婆に声をかけた。


「時に、名はなんと言う?」

「――たえ、と」


 老婆はしわがれた声でそう答えた。砕花は静かにうなずく。


「そうか。覚えておこう。呼び名が『蛇』ではあんまりだからな――たえ殿」


 砕花の優しげな声に名を呼ばれ、彼女はほんの少し口元を綻ばせて瞑した。

 その顔を垣間見た莉々は、彼女の最期は心安らかであったと感じた。

 名を呼ばれることは存在を認められること。人生の終焉に彼女がそう思ってくれたのならいい。

 砕花は立ち上がると、哀愁漂う声音で言った。


「妄執を解けば、真蛇もただのヒトに戻る。歪んだ生よりも安らかな死が救いであればいい」


 たえの体は砂のようにサラサラと崩れ、消えた。砕花の瞳には哀悼の意があった。

 その時、莉々は自分が着ている着物の柄が彼岸花ではなく菊になっていることに気づいた。本当にもう、蛇の力は消えたのだ。


 なんとも言えないしめやかな空気の中、マイペースであったのは鳴雪だ。ニコニコと砕花に笑顔を向けると、感動の再会を仕切り直すつもりなのか、両手を広げて駆け寄った。


「砕花!」


 砕花はそんな鳴雪を一瞥すると、真顔でその無防備な腹を蹴りつけて抱擁を避けた。肩にかかった長い髪をサッと払いながら吐き捨てる。


「このボケが。お前には俺たちの上に立つ自覚が足らん」


 先ほど蛇に見せた慈愛はどこへやら、手厳しいことこの上ない。けれど、鳴雪はそんな扱いに慣れているのかへこたれなかった。


「早々に会えてよかった。色々と積もる話があるのだ」


 そのひと言に、砕花はピクリとフサフサの耳を動かした。


「……それは皆が散り散りになった()()衝撃と、この歪んだ世界のことだな?」


 砕花はある程度の事情を察している様子だった。話が早い。

 ただ、鳴雪は適当に返事をした。


「ああ、うん、それもあるが」

「ん?」

「そんなことより」


 世界の大事を『そんなこと』で片づけ、鳴雪は喜々として語った。


「私はこの莉々殿を将来の伴侶として迎えたいと思うのだ。砕花の理解と協力があれば心強いのだが」


 あまりに堂々と言うので莉々は赤面し、天は顔をしかめた。砕花はというと、


「ああ、そうか」


 絶対零度の眼差しで流した。空気を読めない総帥に嫌気が差していたのかもしれない。

 それでも鳴雪は、


「そうなのだ」


 と普通に答えている。この温度差は傍目には明らかなのだが、鳴雪は気にした様子もない。


「……お前、本当に偉いのか? まるで敬われてないような」


 思わず天が言う。莉々も少し思った。

 砕花は友人のように気安い間柄だとは言っていたけれど、友情が一方通行に見えた。


「砕花は照れ屋なのだ」


 ポジティブな鳴雪の発言に、砕花がイラッとしたような気がしたけれど、もう二人は突っ込めなかった。

 とりあえず、助けてもらったのは事実だ。莉々は礼儀正しく頭を下げた。


西原(さいばら)莉々です。砕花さん、助けてくれてありがとう」


 天も霊力で形作った刀を消して砕花に向き直る。


「莉々の兄の天だ。妹を助けてくれてありがとう」


 すると砕花は莉々よりも天が気になるらしく、じっと見つめた。そうして、かすかに柳眉をひそめる。


「修験者というわけでもなさそうだが、強い霊力を感じる。俺たち妖狸とは真逆の存在だな」


 そのひと言に、鳴雪は慌てて言った。それを理由に莉々のことを反対されたくないのかもしれない。


「天殿はよいヒトだ。ここへ続く蛇の道を嗅ぎつけたはいいが、今の私には切れ目を入れることができなくてな、天殿に頼んだ。いてもらって助かったのだよ」


 あはは、と笑う鳴雪に、天は呆れた様子だった。


「ついてこれなかったら置いていくとか、偉そうに言ってたくせにな」

「うぐ。思った以上に力が出なかったのだ」


 砕花はこれ見よがしに嘆息する。


「それはうちの馬鹿総帥が迷惑をかけたな。こいつは、なんせ手がかかるのだ」


 年齢は砕花の方が下に見えるのだが、まるで保護者だ。しかも、言動から苦労が滲み出ている。


「そ、そんなことはない」


 莉々の手前、鳴雪は落ち着きを見せようとするものの、今さらである。けれど、莉々は先ほどまでの怖い顔よりも、そうした愛嬌のある鳴雪の方がいいと思った。莉々がクスリと笑うと、鳴雪は自分も嬉しそうに笑った。

 デレデレと笑いながら、鳴雪はとあることに気づいたらしく、砕花を見遣った。


「あ、砕花、大事なことを言い忘れておった」

「ん?」


 砕花が小首を傾げると、鳴雪は綺麗に微笑んだ。けれど、その時、目だけが笑っていなかったように思う。


「莉々殿の前で狸型になるのは禁止だ」

「は?」


 呆然とした砕花の様子から、それが大変なことのように思われた。それでも鳴雪は堂々と言う。


「莉々殿にナデナデされたり抱き締められたり、そういうことをされていいのは私だけだ」

「そんな理由か!」


 砕花が憤るのも無理はないけれど、そこは腐っても総帥狸なのか有無を言わせずごり押しした。


「そうだ。そこは理解してくれ」


 フルフルと震える砕花に、天は出会って間もないというのに思わず声をかけた。


「お前も大変だな」


 と――


 ただ、この時、狸たちは大切なことを失念していた。

 ゴゴゴ、と地獄からの地響きのような音と振動によってようやくそれを知る。


「この空間はもう限界だ」


 ここは蛇が作り出した空間である。その蛇がいない今、いつまでも保っていられるわけではない。

 パラリパラリと岩肌がめくれ出す。天井からその欠片が降る中、天が莉々の頭を抱えて庇う。鳴雪は羨ましそうな目を天に向けていたけれど、砕花が鳴雪の尻を蹴って急き立てた。


「さっさと行け! 崩れるぞ!」


 そう言うと、砕花は腕を振るって小さな穴を空間に作り上げた。そこへ、百匹の妖狸がすかさず飛び込んでいく。最後の一匹が入ったことを確認すると、砕花は拳を握り締めてその穴を閉じた。

 莉々たちにここから逃げろということではないらしい。あれは狸しか潜れない穴なのかもしれない。これも『百匹頭』としての能力なのだろう。

 最初、鳴雪と天が抜けてきた切れ目に戻ろうとしたけれど、砕花は自分が来た方を指さす。


「あっちから出ろ」


 わけもわからずに促されるまま、皆でその場所を抜けた。光が溢れる先は、緑の豊かな自然の中だった。鳴雪はキョロキョロと辺りを見回すと砕花に訊ねる。


「砕花、ここはどの辺りだ?」

せつの国の西の森だ」


 摂か、と鳴雪はつぶやく。


「私たちがいたのははりの国だったから、まあ隣か。この地があの者にとっては思い出深い土地なのやもしれぬな」

「多分な」


 砕花はすっかりと閉じてしまった空間の名残を眺め、ぽつりとつぶやく。こう見えても砕花は情が深いのだろう。

 けれど、気持ちに区切りをつけたのか、砕花は切り出した。


「この摂の国で実は一度青畝(せいほ)に会った」

「ん? あいつはどこへ行ったのだ? 私を捜しに向かったのか?」


 鳴雪の様子から、その青畝というのも狸なのだとわかる。しかし、砕花は嘆息した。


「真蛇の念による異変に気づいて、俺がこちらに向かった隙に逆方向に駆け出していった。追いかける暇がなくてな」

「ああ、青畝らしいな」


 鳴雪がのん気に笑っていると、砕花は彼を睨みつけた。


「とにかく近くにいるはずだから探さねば」


 天は不思議そうにしながら鳴雪に問う。


「長のお前が呼んでも出てこないのか?」


 鳴雪は自信たっぷりに大きくうなずいた。


「来ないな」

「嫌われてるんだな」


 はっきり言われてしまうと、鳴雪はやや傷ついた様子で情けない顔をした。


「や、そういうことではない。青畝は気ままなのだ」

「鳴雪が呼んで駆けつけるのなんて、水巴(すいは)秀真(ほずま)くらいか」


 フォローになるのかならないのか、よくわからない情報だった。莉々はふぅんと小さく声を上げる。


「でも、早く会えるといいね」


 せめてもの慰めに莉々が言うと、鳴雪は笑ってうなずいた。


「皆に莉々殿を紹介しなければな」


 あはは、と莉々は笑ってごまかす。その笑顔が強張っていても、鳴雪はあまり気づいたふうでもない。

 砕花は嘆息し、ボソリと言った。


「なんて言うかは想像できるがな」


 話が逸れがちになって、天は狸たちの話に割り込む。


「とりあえず、当座の目標はこの近辺でその『青畝』ってやつを探し出すことだな?」

「まあ、その前に誰かが先に駆けつけるかもしれないが。むしろそうであってほしいな」


 そう言って、砕花は改めて兄妹に向き直る。


「まあ、当分は行動を共にすることになりそうだ。よろしく頼む」

「ああ、こちらこそ」

「お願いします」


 仲良く会話する三人を、鳴雪は嬉しそうに眺めていた。やはりのん気である。


「莉々殿」

「え? 何?」


 鳴雪に呼ばれ、莉々が顔を向けると鳴雪は莉々の手を取った。


「慌ただしくて言う暇がなかったのだが、その着物もよう似おうておる。やはり莉々殿はどんな装いでも麗しいな」

「あ、ありがとう」


 褒めてもらえるのは嬉しいけれど、熱のこもった視線と外れない手に莉々が困惑していると、隣で天がボソボソとつぶやいた。途端に輝く錫杖が現れる。

 それをいきなり、ブン、と振るったので鳴雪は悲鳴を上げて後ろに飛んだ。


「て、天殿! 私は己の気持ちを正直に伝えただけで――」

「伝えるだけなら手を握るな」

「えぇっ!」


 逃げる鳴雪と追う天とのやりとりが森の中で繰り広げられる。

 莉々はおろおろしながら砕花を見やったけれど、砕花は我関せずを貫いた。

 当分は騒がしい旅になるのかもしれない。


     【 壱・蛇の花 ―了― 】

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