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パラレル808  作者: 五十鈴 りく
壱・蛇の花
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壱 ~三~*

 小さく呻いて莉々(りり)は目を覚ました。ヒタヒタと、かすかに水音がする。

 背中が痛かった。莉々が寝かされていたのは、剥き出しの岩肌の上だった。生ぬるい気温でも、岩肌はひやりと冷たい。


「ここは……」


 頭をさすりながら莉々は体を起こす。

 気を失う前の記憶をぼんやりと思い出した。


 着物に着替えるため、(てん)鳴雪(めいせつ)と別れて一人、奥の座敷に通された。そこには選んだ着物とは違う、彼岸花の着物しかなかった。仕方がないのでそれに袖を通した。みっともなくない程度には着られたと思う。

 けれど、その部屋には鏡がなかった。とりあえず店主に鏡を見せてほしいと頼もうとした。

 障子戸を開けてみたところ、近くに店主の姿はなかった。莉々は諦めて部屋に戻り、脱いだ制服を畳んでから天と鳴雪のところに戻ろうとした。


 その先が思い出せない。畳の上に正座した、そこから途切れている。

 誰かが莉々の気を失わせ、ここまで運び込んだということだろうか。そう考えてゾッとした。

 莉々を浚ったのは妖怪か。だとするなら、化け猫の時のように食われそうになっているのかもしれない。


「お、お兄ちゃん」


 とりあえず呼んでみたけれど、近くにはいないようだ。鳴雪もいない。

 代わりに何かをズルズルと引きずる音がした。


「おや、気がついたようだねぇ」


 その声はしわがれていた。

 かすれていても婀娜あだっぽい口調から女性であると思った。莉々はハッとして振り向く。

 そして、後悔した。

 背を向けたままでいた方がよかったのではないかと――

 恐怖のあまりその場にへたり込んだ莉々に、『彼女』は苛立ちを含んだ声で言う。


「醜い我が身がそんなにも恐ろしいかぇ」


 莉々は震えるばかりでとっさに返事ができなかった。

 大きな岩の上から莉々を見下ろしていたのは、蛇である。正確には、蛇の顔をした何かだ。

 耳がなく、口は大きく裂け、そこから鋭利な牙と赤く細い舌がチロチロと覗く。鱗と皮に覆われた頭部に髪は生えておらず、般若(はんにゃ)の角が二本生えている。


 蛇の顔から続く長い首の下は人間のようであり、それでも足元は蛇のものである。赤く艶やかな着物がかえって恐ろしく感じられた。袂から覗く手は人の形ではあるけれど、蛇の肌だ。蛇と人とが混ざり合っている。

 この異形の姿を見た者は、まず莉々と同じ反応をしたことだろう。しかし、蛇はそれを否定したいのか、莉々を責めるように言った。


「私とて、何ももとよりこのような姿であったわけではない。私はヒトであった。ヒトの――女であったのだ。お前と同じように」


 そうして蛇は莉々の着物を指さす。


「その着物の柄がなんだか知っているのかぇ?」


 莉々は張りつく喉でなんとかして声を漏らす。


「ひ、彼岸花?」


 すると、蛇はクツクツと笑った。


「そう、いくつかの呼び名がある。そのうちのひとつが、『蛇花(へびばな)』さ」


 その絡みつく声に、莉々はヒッと短く悲鳴を上げて口を押さえた。

 そんな莉々に、蛇は笑う。


「その着物には私の念を込めた。お前はそれとは知らずに袖を通したねぇ」


 ズルリ、と岩肌と着物の擦れる音が響く。莉々は凍りついたように体が動かなかった。

 蛇はゆるゆると近づいてくる。


「私はね、昔から美しいと言われて育ったんだよ。美貌が何よりの自慢だった。けれど――」


 言葉が切れたのは、今なお薄れない憎悪がたぎるからであったのかもしれない。蛇は口惜しそうに牙を剥いた。


「けれど、花の色は褪せるもの。肌は乾き、髪は痩せて白いものが混じり、老いて衰える容姿を嘆いても、若さは戻らぬ。そうして夫は若い妾を囲い、私を顧みなくなった」


 蛇は黄色に黒い筋の入った眼を、憎らしげに莉々に向ける。まるで莉々がその妾でもあるかのように。


「恨んで憎んで毎日を過ごしているうちに、気づけば私はこのような姿になっていた。この奇怪な姿に」


 強い嫉妬と憎悪がただの女性を蛇に変えてしまった。それほどまでに強い恨みを抱き続けた彼女は、どんなにかつらかっただろう。

 だとしても、憐れだと思う以上に恐ろしさが先に立つ。

 莉々がろくに口も利けずにいると、蛇は息がかかるほど近くで言った。


「娘、お前は若く美しい。私の心など少しも理解はできぬだろう」


 カタカタと震える莉々から蛇は顔を離した。そして、きっと笑ったのだろうと思う表情になる。


「このような姿になって嘆き続けたが、ひとつだけ良いこともあった。ヒトでなくなった私は、ヒトにはできぬことができる。私には強い力がある」


 細く冷たい指が莉々の頬を撫でた。莉々がビクッと体を強張らせると、蛇は莉々の顔を乱暴につかむ。


「お前の体を私と取り替えてやろう。そうしたら、お前にも私の心がわかるだろう」


 莉々は愕然とした。

 憐れだ可哀想だと口で言えたとしても、代わってやれるかと言えば、それはできない。家族や友達でさえ、莉々が蛇の姿になれば離れていくだろう。

 まず、誰も蛇が莉々だとは気づいてくれないのではないだろうか。莉々の姿をした蛇が()()なのだ。

 やはり、姿は大事だ。綺麗事だけでそんなことはないとは言えない。

 あんなに莉々が好きだと言う鳴雪でさえ、莉々が蛇になれば嫌な顔をして突き放すだろう。


 彼女は老いたこと以上に、夫が自分に興味をなくしたことに、ひどい孤独と絶望を感じたのだ。

 共に老いてそばにいてくれる夫であれば、彼女は皺の分だけ幸せを感じられたはずなのだ。

 莉々はぽろりと涙をこぼした。


「涙を零したところで救いなどない」


 蛇の言葉は、泣き続けたからこその言葉だった。そう思うとより悲しい。

 そうした時、岩の切れ目から声がした。光と共に差し込んだ声に聞き覚えはなかった。


「取り込み中にすまぬがな――」


 そう、淡々と言う。この状況と蛇の姿に臆した様子もなく、その声は美しく澄んでいる。

 突然のことに驚いて莉々の涙も止まった。


 逆光になったその姿は、どちらかといえば細身で小柄だった。トン、と軽い音を立てて上から降りてきた人物に光が降り注ぐ。細かな埃が舞う光の中で、その人物は輝いて見えた。それは美しい少年だった。

 艶やかで癖のない薄茶色の髪をひとつに束ね、着流しに羽織という、どこかの若旦那のような風体。中性的に整った面立ちの澄んだ眼が莉々と蛇に向く。


 少年は小首をかしげた。その時、サラリと耳の辺りにかかる髪が揺れ、その下が見えた。それは、獣の耳の一部であった。フサフサの毛に覆われた耳である。蛇もそれに気づいたようだ。


「……獣?」


 ただ、目の前の少年は品が良く、耳の一部だけでは判断ができなかった。鳴雪は完璧に化けるのだが、どこか抜けた性質が狸である。この少年は落ち着いていて、それとは真逆に感じられた。狸の逆といえば――


「狐さん?」


 莉々はつぶやいてみる。けれど、少年はそのひと言を無視した。答えてやる義理はないとでも言うのだろうか。


「ここは私が作り出した場所だ。一体何をしに来た? この娘の知己か?」


 すると、少年ははっきりと言った。


「いや、面識はない」


 優しげな顔立ちではあるけれど、この少年は淡白な様子だ。それに肝が据わっているのか、蛇を前にしても平然としている。

 急な闖入者を蛇も扱いあぐねている様子だった。そうしていると、少年はふぅ、と嘆息した。


「本来ならば、蜘蛛の巣にかかった蝶を助けるような真似は趣味ではない。けれど、その娘には少しばかり訊ねたいことがある」


 莉々はハッとした。一見して狐っぽいけれど、彼はもしかすると――


「狸、さん?」


 恐る恐るつぶやくと、少年は無表情のままでうなずいた。


「正解」

「もしかして、鳴雪さんの?」


 その名を聞くと、少年は毛に覆われた耳をぴくりと動かした。


「やはりその名を知っておるか。ヒトだというのに、かすかに鳴雪のにおいがすると思った」


 蛇を挟んで会話をする二人に、蛇は苛立たしげに唸った。


「化け狸風情に指図される謂れはない。このまま去るのなら見逃してやるが、この娘を連れ去るというのならその皮剥いで、四肢を引き裂いてやろう」


 シャァと大きく裂けた口を開ける蛇に、少年狸は目を細めてみせた。


真蛇(しんじゃ)、か。深く濃い恨みを持つ者の成れの果て。そんな生は苦しかろうに」

「黙れ。私はこの娘と入れ替わって生き直す。次こそは幸せに暮らすのだ」

「ほう」


 まともに論争するつもりもないのか、少年狸はあっさりと会話を打ち切った。そうして、蛇を無視してその後ろの莉々に訊ねる。


「鳴雪は近くにいるようだが、そばには誰かおるのか?」

「わたしのお兄ちゃんが一緒だと思うけど……」


 莉々が答えると、少年狸は柳眉を顰めて首をかしげた。


「お前の? それはヒトの子だろう? 我らの同胞(はらから)は誰もおらぬのか」

「あ、うん。狸さんは誰も。探してたところ」


 それを聞くと、少年狸は盛大に嘆息した。


「そうか。ではここで悠長に時間を潰している場合ではないな」


 そうしてようやく少年狸は蛇に目を向けた。


「――というわけだ。悪いが先を急ぐ故、その娘は連れてゆくとしよう」

「偉そうな狸めが。娘は渡さぬ!」


 莉々にとってはこの少年狸が頼みの綱である。祈るような気持ちで先を待った。

 蛇の執着に、少年狸はゆらりと首を傾けた。


「そうなると力ずくということになってしまうが、致し方ない」


 そう言ったかと思うと、ポゥッと彼を囲むように五つの青白い狸火が現れた。蛇はその火を見て一瞬だけ怯んだ。莉々は慌てて下がる。

 透明感のある少年狸のまとう空気が、どこかどす黒いものに変わったような気がした。莉々はふと上を見上げる。小さな石のかけらが落ちてきたのだ。

 そこを見上げてぎょっとした。赤く光る眼がぎっしりと暗がりの中にある。これも鳴雪の手下(てか)の妖狸たちだろうか。狸たちに囲まれていることに気づいた蛇は憎々しげに吐き捨てる。


「狸など、何匹そろっても蹴散らしてくれる!」

「こちらとしては平和的な解決がしたいというのにな」


 少年狸は面倒くさそうにつぶやく。一触即発――そんな状況に横やりが入る。

 莉々のそばで聞き慣れた声がした。


「オン・ヂリタラ・シュタラ・ララハラバ・タナウ・ソワカ」


 その直後、岩の一角が鋭い音を立てて切り崩された。切断された岩が斜めにずれ、それらが崩れた際に粉塵を上げる。

 けれど、その粉塵の中のふたつの影を莉々が間違えることはない。


「お兄ちゃん!」


 涙声で呼ぶと、天よりも先に飛び出してきたのは鳴雪だった。莉々の無事な姿を見て、パッと顔を輝かせる。


「莉々殿!」


 両手を広げた鳴雪を、うっすらと輝く日本刀を手にした天が背後から押しのける。力一杯押された鳴雪は、ぎゃんと声を上げて横に吹き飛んだ。


「莉々、無事だな?」

「うん!」


 天が持つ日本刀は、いつもの錫杖のように霊力で作り出したものだろうか。

 莉々は立ち上がって天の胴に抱きついた。ギュッと腕に力を込める莉々の頭を、天は優しく撫でてくれた。鳴雪はその様子を羨ましそうに眺めている。そんな鳴雪を慰めるように、そばにわらわらと妖狸が群がる。そこでようやく鳴雪は少年狸の存在に気づいたのだった。


「あ、砕花(さいか)!」


 少年狸――砕花は、眉間に深い皺を刻み、顔をしかめて嘆息した。気づくのが遅いと呆れたのかもしれない。

 鳴雪はうきうきと砕花に駆け寄る。そんな時、蛇の怒りが爆発した。


「うっとうしい狸どもめ! 根絶やしにしてくれるわ!」


 シャアシャアと唸る蛇の声。鳴雪はおもむろに蛇に顔を向けると、冷たい目をして言い放つ。


「おぬしが莉々殿を攫った蛇だな。莉々殿に恐ろしい思いをさせたこと、後悔させてやらねばなるまいな」


 さわり、とその場の空気が変わった。

 天も莉々を背に庇うと、刀を構え直した。

挿絵(By みてみん)

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