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パラレル808  作者: 五十鈴 りく
壱・蛇の花
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壱 ~二~

 (てん)は普段から道着に身を包んでいたため、袴がかえって落ち着く。三重襷(みえだすき)の柄も嫌いではない。着てみて、こんなものかと自分でも思う。


「さすが天殿。莉々(りり)殿の兄上だけあってよう似合う」


 鳴雪(めいせつ)の褒め方は気に入らないが、ここの支払いは鳴雪が持つようなので、文句は言わなかった。


「あとは莉々殿だが、こうして待つのも楽しみだ」


 うきうきとそんなことを言う。見た目は天よりも年上であるのに、無邪気なものだった。

 丁稚でっちに出された座布団の上に座りながら、天は鳴雪に訊ねる。


「なあ、お前みたいに人間のフリをした妖怪って、どうやって見分けるんだ?」


 鳴雪はどこから見ても人間である。こうも完璧に化けられたのでは見分けがつかない。天は霊力が高いらしいけれど、だからといって見分けられるものではなかった。

 すると、鳴雪はふむ、と言って首をかしげた。


「力の強い妖怪ほど上手く化けるのでな。相手が隠そうと思えば察知することは難しいやもしれん」

「……それで行くと、お前は力の強い妖怪だろ?」

「まあそうなるのだが、ここまで手下(てか)がおらぬ状況に陥ったことがないものでな、改めて考えてみると、いつもはどうしていたのかわからぬのだよ」


 ははは、と能天気に笑っている。なんて使えない狸だと天は内心で落胆していた。


「いや、しかし、その時になったら見破れるのではないかと思うのだ」


 行き当たりばったりである。本当に大丈夫なのだろうか。

 天がそんな不安を感じたのも仕方のないことだった。



 そうして男二人、顔をつき合わせていても次第に会話が途切れた。

 そんな間も鳴雪はどこか楽しげにしていたが、天は楽しくもなんともなかった。落ち着かない心境で莉々を待つ。


 ただ、少し遅いと思った。

 莉々もたまにしか着ないとはいえ、着物の着つけは習っている。手間取っても着られないことはないだろう。着替えを済ませた後、どこかで店の者と話し込んでいるのかもしれない。


「莉々殿、遅いな」


 退屈そうに言った鳴雪を天は睨みつける。


「呼びに行くとか、様子を見てくるとか言うなよ」


 図星だったのか、鳴雪は少し狼狽えた。


「い、言わぬよ。ただ、まだかと思うただけで……」

「大人しく待て」

「うむ……」


 しょんぼりとした鳴雪に、天は嘆息する。

 けれど、確かに遅い――



     ❖



「……なあ、天殿」


 どれくらいか時間が経って、鳴雪が再び口を開く。


「さすがに遅すぎるのではないか?」


 この店に入ったのは朝一番だった。それがゆうに正午を越えたのではないだろうか。腹も空く。

 天はそばでビクビクと身を縮めて座っていた丁稚に声をかける。


「おい」

「あ、あい!」

「店主はどこだ?」


 莉々を案内した店主もあれから戻ってこないのだ。


「て、手前にはわかりませんが、すぐに捜して参ります」


 青ざめた丁稚は、きっと何も知らないのだろう。天は今になって騒ぐ胸を押さえた。

 鳴雪の顔からも笑顔が消えていた。


「……天殿、我らも行こう」


 鳴雪の提案に、天もうなずいた。

 丁稚が向かった先は奥の座敷であった。普段は廊下を走るなと躾られているはずの丁稚も、この時ばかりは無作法なものだった。天も鳴雪もそんなことは咎めない。

 閉じられた障子戸に手をかけ、天は呼び声と共に開いた。


「莉々!」


 その間はガランと物悲しく無人であった。けれど、そこには脱ぎ捨てた莉々の制服があった。それが目に留まった時、天は身震いした。


 畳まれずに脱いだままの制服――

 祖父と母はこうしたことに厳しく、莉々が脱いだ服も畳まずに放り出してどこかに行くとは考えられなかった。

 これは習慣だ。無意識に畳む癖がついているはずなのに、それをしていない。

 つまり、畳む暇もなく何かが起こったということを意味している。


 その他に気になったことと言えば、いけられた花が数本散っていること。畳に擦れた跡があること。

 気にするほどのことではないと言われればそれまでのような、些細なことだ。

 けれど、いなくなった莉々を思うと、すべてに関連づけたくなる。


 天が呆然と立ち尽くしていると、隣の鳴雪から何か妙な空気が流れてきた。驚いて顔を向けると、鳴雪はピリピリと張り詰めた威圧感を発していた。さっきまでの能天気さはそこになく、むしろ妖怪らしく思えて、天ですらも緊張した。丁稚は廊下で腰を抜かしている。


「……においがする」

「におい?」


 天が眉根を寄せると、厳しい面持ちの鳴雪は言った。


「蛇のにおいだ」


 蛇。

 そのひと言に天は唖然とした。鳴雪は腰を抜かしている丁稚を鋭く見下ろす。


「おい、蛇と聞いて何か思い当たることはないか?」


 丁稚には鳴雪の正体など見抜けなかったはずだが、表情の険しさにカタカタと震えた。


「ご、ございません」


 ふぅ、と鳴雪は嘆息する。


「では、この店や店主を不審に思うことはなかったか?」


 そこでようやく、丁稚はまくし立てるように早口で言った。


「て、手前はこちらに来てまだ日が浅いのですが、こちらのお(たな)は男児しか雇い入れぬと言われておりました。旦那様にお子もなく、天涯孤独の身の上ですから、養子となる男児をとのことではないかと思いきや、そのような様子は見受けられません。それと――」

「それと?」


 天が先を促すと、丁稚はようやくひと息ついてから続けた。


「それと、旦那様はお客様が若い娘さんの時、ほんの少し様子がおかしいような気が致しました。特に華やかな着物が似合う見目麗しい娘さんの時です。でも、いつも何事も起こりませんでした。こんなことは初めてなのです……」


 鳴雪はその言葉を静かに聞いていたかと思うと、不意に障子戸に添えていた手に力を込めた。メキ、と障子紙だけでなく枠までも砕く。丁稚はヒィッと声を上げた。

 鳴雪は低く唸り声を上げる。


「蛇であろうとなんであろうと、莉々殿をかどわかすようなやからには灸をすえてやらねばなるまいな」


 凍てつくような眼に、天も困惑した。この狸はやはり油断ならない。

 けれど――

 莉々のことを真剣に案じている。それだけは間違いのないことだろうか。



 こうなっては店主の許可も何もあったものではない。天と鳴雪は店の中を捜索するのだった。

 そう広い建物ではない。怪しい場所は限られていた。


「店主の部屋はどこだ?」


 連れ回している丁稚に天が訊ねると、丁稚は慌てて言った。


「あちらの南向きのお部屋です」


 二人はいっせいにその観音開きの障子戸の左右を開いた。パアン、と音を立てて開いた奥の部屋は、なんの変哲もない和室のように思われた。しかし、鳴雪には何かを感じ取ることができたようだ。迷いもなくその中へ足を踏み入れる。


 そうして部屋を横断すると、さらに奥の障子戸を開ける。そこは縁側と小さな庭であった。ここで店主はひなたぼっこをしながら茶でもすすっていたのではないかと思われる。

 天の目にはのどかな場所に感じられたけれど、鳴雪は足袋のままで庭に降り、そしてその木々の間にあった古びた戸板の前にしゃがみ込む。

 天も鳴雪に続き、上から覗き込んだ。


「収納庫か?」


 そうつぶやいた天に、鳴雪は振り向かずに押し殺した声を出す。


「いや、これは――」


 その取っ手に手をかけ、鳴雪はその戸板を持ち上げた。その中は薄暗かったけれど、鳴雪は狸火を出して中に放った。鳴雪の力による火は、燃え広がることはなく辺りを照らす。丁稚がヒィィとまた怯えたけれど、構っていられなかった。思えば気の毒な丁稚だ。


「階段が……」


 石でできた階段が続いている。けれど、そう奥深くはないようだ。

 鳴雪は中へ身を滑り込ませた。天もそれに続く。丁稚は来なかった。

 中は鳴雪のおかげで明るい。だからこそ、見たくもないものが見えるのだった。


 そこは座敷牢であった。

 薄汚れ、顧みられることもなかったであろう、うち捨てられた場所。

 その牢の格子戸が開いている。ぐしゃぐしゃにひしゃげた錠前が、申し訳程度にぶら下がっていた。

 天は信じがたいその光景を目にした。あの錠前は鉄だ。それを玩具のように曲げてしまう力は、ただの人間のものではない。

 そうして、牢の中に放り込まれていたのは、苦悶の表情で横たわる店主であった。生きているようには見えなかった。


「殺されたのか……?」


 平穏な暮らしをしてきた高校生の天が、遺体を目の当たりにしたことなど、数えるほどしかない。天の父や祖母の死は、清潔な白に守られ、悲しくとも、もっと荘厳なものであった。だから、この投げ捨てられたに等しい店主の死はひどい冒涜に感じられた。

 衝撃を受けて立ち尽くす天とは対照的に、鳴雪は落ち着いたものだった。


「心の臓が止まってしまったのだろう。まあ、この中にいた『何か』のせいでそうなったのなら、殺されたという表現もあながち間違いではないのやもしれぬが」

「……中にいたのは、お前が言う『蛇』なのか?」


 天は平静を装いながら訊ねる。鳴雪はうなずいた。


「そうだ。ここは蛇のにおいに満ちている。天殿、外へ出よう」

「あ、ああ」


 二人は陽の差す庭に戻った。丁稚に事情を伝えるのは酷であるけれど、仕方がない。事情を説明しつつ、鳴雪は問う。


「おぬしはこの座敷牢のことを知らなかったのか?」


 丁稚は歯が噛み合わないほどに泣いて、それでもしゃくり上げながら答える。


「ぞ、存じませんでした」

「店主が自ら食事を運んでいたのか?」


 そんな天のつぶやきに、鳴雪はかぶりを振る。


「いや、食事など必要なかっただろう」

「え?」

「妄執によってヒトではないものになった。それが蛇なのだ。餓死することができたならば、まだ救いはあっただろうに」


 妄執。

 ヒトではないものに変わるほどの思いとは、一体なんなのか。

 まだそう長くを生きてはいない天には想像がつかなかった。


「店主なりに蛇を押さえ込もうと必死であったのだろう。今回もそうだ。店主の手に握られているのは退魔の札だ。……このようなもの、育った蛇には効かぬがな」


 けれど、と鳴雪は言う。


「蛇であろうとなんであろうと、そんなことはどうでもよい。ただ莉々殿を巻き込んだことは許せぬ」


 ひしひしと伝わる鳴雪のどす黒い怒りに、丁稚の涙も止まった。

 莉々のことはもちろん気になるが、天はこの丁稚のことも少しだけ気がかりだった。目線を合わせて声をかける。


「頼れる大人はいるか?」

「あい。旦那様にも遠縁の方々なら親類がいらっしゃいます。手前もこうなったからには、親元へ帰りますので」


 それを聞き、天はほっと息をついた。


「そうか、それなら安心だ」


 天は一度座敷牢を顧みると、蛇に翻弄されてその人生の幕を閉じた店主に黙祷を捧げた。

 それを邪魔せずにいたことが、鳴雪にとっての最大の譲歩であったのかもしれない。


「天殿、私は莉々殿を連れ去った蛇を追う」

「莉々は俺の妹だ。俺も当然一緒に行く」


 すかさず天が言うと、鳴雪は少しだけ表情を和らげた。


「天殿、蛇の道は天殿には少々厳しいものであるやもしれぬ。私だけならば行けようとも、天殿のことまでは構っていられぬ。そうした時は置いてゆくことになるが、そこは承知してもらえるだろうか?」


 何故蛇が莉々を攫ったのか、理由は未だにわからない。

 莉々に危険が迫っているのなら、そんなことは構わない。怯えている妹のそばに駆けつけてやりたかった。

 天はうなずいた。決意した天の面持ちに、鳴雪は小さく微笑んだ。


「では、行こうか――」

 

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