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パラレル808  作者: 五十鈴 りく
拾・野干〈後編〉
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拾 ~三~

 むせ返るような血の匂いがする。

 襲いかかってくる妖怪どもは、どうあっても鳴雪めいせつたちを阻みたいらしい。そうする理由は、やはり封印絡みだろう。

 こうも襲われるのは、裏で狐が絡んでいると考えて間違いない。


 石とも違う、濃鼠の色をした地面が土の中から露出する。白く太い線がところどころに入ったそれは、この世界のものではなかった。草履から伝わる足場の据わりの悪さに、狸たちも閉口しつつも応戦する。


 普羅ふらの刀が小鬼の腕を飛ばした。妖力のこもる刀身は、並の刀以上の切れ味を誇る。

 山神に仕える狗賓ぐひんと戦った時、普羅は手心を加えていた。まともに戦うと、普羅の武力は百匹頭の中でも一二を争う。しかし、敵の数の多さに次第に普羅の息も上がっていた。

 その背中で青畝せいほは狸火を出しては援護している。幼くとも戦うすべは身につけているのだ。

 秀真ほずまは矢を射るように通力を放ち、妖怪を鋭く撃ち抜く。きゃうんという犬のような悲鳴と共に獣の足に風穴が空いた。


 無機質な地面は血もろくに吸わず、ただ黒い染みを作る。

 相貌が変わるほどに険しい顔つきをした鳴雪に、林火(りんか)は嘆息しつつ声をかける。


「鳴雪様ったら、そんな顔ばかりされちゃ莉々(りり)ちゃんが見たら怖がりますよ。水巴すいはてんくんも無事なのはわかっています。大丈夫、皆すぐに再会できますから、ここは笑って切り抜けましょう」


 皆を和ませようと、場違いなほどに柔らかな声を出す。どんな状況でも焦りは禁物だ。鳴雪は少しだけ眉間の皺を和らげた。


「うむ。そうだな……」


 しかし、そんな林火の腕からは止め処なく血が流れ落ていた。鳴雪がそれに気づいたのは、砕花さいかが林火の腕を取ったからだ。さすがの林火も痛みに顔を歪めた。


「余計なことばかり構っているからこんなヘマをするんだ。下がって傷を治せ」


 言葉は冷たいけれど、砕花の手は通力で血止めをするように触れる。傷を塞ぐことは砕花の得手ではない。しかし、自分の怪我を後回しにしてしまう林火がもどかしくあるのだろう。


「大丈夫、落ち着いたらちゃんと手当てしますったら」


 へら、と笑ってごまかそうとした林火に、砕花は苛立ったように言った。


「先にしろ」

「でも、今はねぇ――」

「俺の言うことが聞けないのか?」


 いつになく強い口調だった。場が場であるだけに優しく諭している場合でもないのだろう。とっさに踊りかかってきた大蜘蛛を砕花は腕を振るって妖力で弾き飛ばす。砕花の目も、戦いの気に染まっていつもより鋭い。


「本気で俺と添うつもりがあるのなら、俺が下がれと言ったら下がれ」

「……はい」


 林火はうつむくと、後方に下がった。それを見て納得したのか、砕花は再び戦いに身を投じ、鳴雪の背を護るようにして立つ。


「おぬしは不器用だのぅ」


 こんな時なのに、鳴雪は背中を預けた友に苦笑してしまった。もっと優しくささやいてやればいいものを、あんな言い方をする。

 砕花はうるさい、と不機嫌に言った。

 冷たく聞こえるけれど、気にかけているからこそかけた言葉なのだ。少なくとも、そんな砕花を好む林火ならば、それもわかっているのだろう。


 とにかく、今はこの無駄な争いを早く終わらせたい。

 鳴雪は改めて莉々のことを想った。


 こうしている間にも莉々が心細い思いをしている。その身に危険が迫っている。

 愛しい娘一人さえ満足に護ることができないとは、八百八の妖狸を束ねる大妖として、あまりに情けなかった。

 その苦しみを襲いくる妖怪にぶつけた。向かってくるのだから、ぶつけてくれと言っているようなものだ。

 焼け焦げたにおいと悲鳴が、鳴雪をさらに残酷な気持ちにさせる。


 もし莉々に何かがあった時には、邪魔をしたすべての命は滅べばいい。

 この手で根絶やしにしてやろう。そうして、その魂を莉々に捧げるのだ。


 あの気の優しい娘はそんなことを望みもしなければ、さらに悲しませるだけだと思うのに、いざそうなった時には自分を抑えきれない。

 この荒れた心を鎮められるのは、最早あの柔らかな微笑みだけだというのに、思い起こせる莉々の面持ちは恐怖に満ちている。


 鳴雪は不安な心を押しやると、狸火を業火のように操り、妖怪たちをあぶる。水巴と利玄りげんが欠けているとはいえ、妖怪たちも鳴雪の神通力に太刀打ちするほどの力は持たない。数を頼みにする戦法にも限界がある。じりじりと下がる妖怪たちを鳴雪の炎が絡めるように迫る。

 その時、冷徹な気分になった鳴雪の袖を砕花がつかんだ。そこで鳴雪はハッとした。


「鳴雪! 火を消せ!」


 砕花に言われるまでもない。今ここで感じた気配は莉々のものであった。

 莉々がそばにいる。狐たちの気配もある。けれど、それ以上に何かがおかしかった。


 鳴雪が燃え盛っていた炎を幻と見紛うばかりに消し去ると、妖怪たちはさざなみのように退いた。

 そうして――妖怪たちが退いた後の道の先に莉々がいた。その背後にはヒトに化けた狐たちが控えている。


「莉々ちゃん……?」


 林火の声が震えていた。莉々の顔に表情はなかった。

 鳴雪は弾かれたように愛しい名を呼んだ。


「莉々殿!!」


 けれど、その声に答える莉々の声は冷淡であった。


刑部ぎょうぶ狸、この娘の体は我が支配下にある。返してほしくば我が願いを叶えよ』


 これは莉々に化けた狐ではない。莉々に狐が憑いている。最悪の状況だと、鳴雪は否応なしに認めた。

 背筋に悪寒が走った。莉々の中と外とを渦巻く妖気に、鳴雪は怒りを越えて一時感情を失った。愕然とした鳴雪に、莉々の蔑むような眼が向けられた。


『まずはお前の屋敷の中へ我らを案内せよ』


 鳴雪の屋敷の跡地に利玄が再び屋敷を建て、『やしろ』の力を借りて害意のあるあやかしの侵入を防いでいることは鳴雪にも感じられた。そこへ入れろと言う。

 鳴雪たちにとっての本陣を押さえられては困るとはいえ、狐が何を考えてそれを言うのかは測りかねた。

 動けずにいる鳴雪に苛立ったようで、莉々に憑いた狐は手をもたげた。


『永い歳月を待たされた私は、すでに気が長いとは言えぬ。早くせねばこの娘の眼のひとつくらいはえぐり出すやもしれぬぞ』


 莉々のつぶらな黒目に、莉々のほっそりとした指先が向かう。その冷え冷えとした面持ちに、鳴雪には悪夢でも見ているかのような心境だった。


「やめろ……」


 思わず呻くと、莉々はクスリと笑った。


『お前にはこの体に憑いている私を祓うことも、攻撃することもできぬだろう。さあ、この娘の無事を願うのなら、我が望みを叶えることだ』


 鳴雪の傍らで、砕花が狐に声を荒らげた。


「おぬしたちの目的はなんだ!? 我らを根絶やしにでもしたいのか?」


 すると、莉々は冷ややかに鼻白む。


『お前たちのこともこの世界も、どうなろうと知らぬ。……さあ、要求を呑むのか、呑まぬのか、どうするのだ?』


 そう吐き捨てると、莉々はふと表情を和らげた。そして、見る見るうちに涙を浮かべ、恐怖に顔を引きつらせた。喉からかすれた声が零れる。


「鳴雪さん、お願い言うことを聞いて、わたしを助けて……」

「莉々殿!!」


 思わず踏み込んだ鳴雪の腕を砕花がつかむ。


「鳴雪! 落ち着け! 狐の企みがわからぬのに下手に動くな!」


 落ち着けなどとは無理なことだ。この状況で落ち着いていられるほど、鳴雪は冷淡ではいられない。


「眷属の長として相応しくないとしても、私には莉々殿が傷つけられることなど考えられぬのだ」


 聞き分けのない子供のように鳴雪が砕花の手を振り払おうとすると、反対側を普羅がつかんだ。


「鳴雪様、どうか!!」


 その様子を冷ややかに眺めていた莉々は、チッと舌打ちした。




 鳴雪の悲痛な声を、莉々は亜浪あろうに押し込められた精神の檻の中で聞いていた。

 真っ暗な闇の中、亜浪の心に憐憫を感じて同調してしまった莉々は、亜浪に抗う術を自ら手放してしまった。亜浪はそんな莉々を封じたのだ。鳴雪が苦しんでいるというのに、莉々自身は声のひとつも届けることができない。

 ごめんなさい、とどれだけ嘆いても檻は開かない。


「鳴雪さん」


 名を呼んでも虚しく掻き消える。

 けれど、それでも名を呼ぶことしかできないのだ。


「鳴雪さん! 鳴雪さん!!」


 泣きながら繰り返すけれど、亜浪の心がそれを覆い尽くした。亜浪が白蔵主を想う心の強さに勝てない。

 いつも、弱い自分は兄の背に庇われてきた。立ち向かう力が、莉々にはない。

 項垂れてすすり泣くと、莉々のそばにひとつの気配があった。


『そなたは自分が思うほどに弱くはない。すこぅし気が優しすぎるのだ。他者を思い遣る心は尊いが、そればかりではいけない』


 それは、どこかで聞いた男性の声だった。何か懐かしいような気さえする。


「あ、あなたは……?」


 気配はすれども姿は見えない。けれどその気配は優しく笑ったような気がした。


『私はそなたと共にある。さあ、そろそろ行こうか』

「でも……」


 ここから抜けることができない。しょげた莉々に、その声はなんでもないことのように豪胆に笑う。


『私の力は()にすべて受け継がれてしまったから、私がそなたにしてやれることは何もない。けれど、ここから出るのに特別な力は要らぬ。自分を信じ、想いを貫け』


 自分を信じる。

 何も持たない自分を。


 昔から、天のように優秀にはなれなかった。ごく普通の女の子でしかない莉々だ。

 けれど、そんな莉々を好きになってくれた存在がいる。

 それだけで自分の価値が変わったと、そう思ってもいいだろうか。自分は特別な存在なのだと。少なくとも、鳴雪にとっては唯一無二の存在であるのだと。


 莉々は涙を拭うと、一度だけ力強くうなずいた。

 そして、まぶたを閉じて心を落ち着けてから、改めて手の平を見つめた。手の平に、すうっと人差し指で五芒星を描く。いつかの海女見習いの子が教えてくれたセーマンだ。無事に戻るという意味がそこにはある。

 あの時、鳴雪は莉々の手の平にセーマンを描くと口づけを落とし、


『莉々殿が必ず私のもとへ戻ってきてくれるまじないだ』


 そう言って微笑んでいた。

 莉々はその中央に唇を寄せ、そうして願った。


「必ず戻るから」


 亜浪の境遇は可哀想だと思う。大切なヒトに会いたい気持ちも痛いほどにわかる。

 けれど。


 それらをすべて押しのけて、傲慢なほどに願う。それでも、鳴雪のもとに帰りたい、と。

 自分のことだけを。自分の気持ちだけを優先して、強い想いを貫く。


 パリン、と硝子細工のように砕けた檻は、闇の中でキラキラと儚く散ってゆく。

 立ち上がった莉々のそばで、莉々を奮い立たせてくれた存在が優しく笑っているような気がした。顔も知らないというのに、そんなことは些細に思えた。


『それでよい。さあ、行け』


 視界が、眩むほどに明るく開けた。この光に目が慣れた時、目の前には鳴雪がいると確信した。


 苦悶の表情でこちらを見る鳴雪に、莉々は何も考えられず転げるようにして駆け寄った。


「鳴雪さん!!」


 鳴雪はハッと目を剥くと、それでもその声が莉々のものであると気づいてくれた。両脇の砕花と普羅の腕を振りきると、莉々に向けて駆け出した。


「莉々殿!!」


 体が軋むほどに力強く抱き締められ、莉々もそんな鳴雪の背に腕を回した。誰の視線も気にならず、何もかもが頭から抜け落ちるほどに鳴雪のことが愛しく感じられた。こうしていられることを幸せだと。


 鳴雪もそれは同じであったのだろう。勢いのままに莉々の口を塞ぎ、息もできないほど貪るように口づける。この時、鳴雪は何かの力を送り込んでいたのかもしれない。莉々が眩暈を覚えると、崩れ落ちる前の莉々の体からするりと何かが抜けた感覚があった。


 鳴雪に支えられながら息を整えて目を向けると、そこには不機嫌極まりない、不快感をあらわにした人型の亜浪がいた。美しい顔を歪め、吐き捨てる。


「おのれ……」


 けれど、鳴雪は愛しげに莉々をギュッと抱き締めて、先ほどまでの苦悶を綺麗に忘れ去ったかのように平然と言った。


「フン。愛の力の前にはなす術もなかろう」


 向こうの方で狸たちまで嫌そうな顔をしている。あまりの恥ずかしさに、莉々はなるべくそちらを見ないようにした。

 莉々を放さないまま、鳴雪は打って変わって勝ち誇ったように言った。


「さて。莉々殿も無事に戻ったことだ。おぬしたちには少々仕置きをしてやろう」


 ザッ、と草履を鳴らし、亜浪が鳴雪から距離を取った。改めて対峙する狐狸の両勢力。莉々は鳴雪の腕の中で慌てて言った。


「あ、あの、鳴雪さん、鳴雪さんの領地に白蔵主はくぞうすさんってお坊さんはいない? 亜浪さん、そのヒトに会いたいだけなの。会わせてあげられないかな?」


 すると、何故か鳴雪は莉々の額に軽く口づけて髪を撫でた。


「こうも恐ろしい目に遭わせた狐にまでそのような慈悲を。莉々殿はどこまでも優しいのぅ」


 うっとうしい、と遠くで砕花が顔をしかめてつぶやいていた気がする。

 そこで鳴雪は嘆息すると、亜浪に鋭い視線を投げて言った。


「莉々殿がそう望むのならば――と言いたいところだが、彼の者はおらぬ。……いや、過去には()()()とでも言うべきか」


 相手はヒト。儚きヒトの身に、その歳月は永すぎた。

 気高い亜浪の美しい顔がまるで童女のように歪んだ。わあわあと人目も憚らず泣き出した亜浪と一緒に莉々も鳴雪の腕の中で涙を流した。

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