表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
パラレル808  作者: 五十鈴 りく
玖・野干〈前編〉
39/46

玖 ~二~

 早朝、てんは小さく呻いて目を覚ました。

 何かの夢を見ていた。それは幼い頃、誰一人欠けることのない家族の日常であった気がする。


 のそりと起き上がり目を擦ると、すやすやと幸せそうに眠る鳴雪めいせつに目が行った。なんとなく、踏んづけてやりたいような気持ちになったけれど、そこは我慢した。

 男部屋の方が数が多く、ほとんど雑魚寝のような状態なのだが、贅沢も言っていられない。


 後一匹。


 利玄りげんが合流すれば日常に戻れる。こんなふうに狸たちと合宿のような生活をすることもない。

 いつの間にかこんな生活に馴染んでしまっている自分もいる。それが少しおかしかった。


 ただ、莉々(りり)のことについては鳴雪といずれ話をしなければならない。それは父がいない今となっては、天の役目のように思う。こちらの世界に莉々を置いて帰るわけには行かないから、そこだけははっきりとさせなければならない。

 莉々を交え、三人で話せたらと思う。天と鳴雪だけで話すと感情的になってしまいそうなので、三人で話すべきだろう。


 寝起きで乱れた浴衣を軽く直し、天は部屋を出た。

 玄関先に出て朝日を浴び、ひとつ伸びをする。ようやくしっかりと目が冴えてきたと思えた時、慌しい足音がした。軽い、女のものだ。

 天が振り返ると、玄関の扉がガラリと開いた。


 そこには起き抜けと思われる様子の水巴(すいは)がいた。白地の浴衣の無防備さに天はドキリとしたけれど、水巴はそんなことに気を取られている場合ではないようだった。何か必死の形相で戸口につかまりながら天に問う。


「天、鳴雪様は?」

「ぐうぐう寝てるぞ?」


 その答えは予測できたのかもしれない。水巴の顔からスッと表情がなくなる。

 そうして、改めて口を開いた。


「……では、莉々を見なかったか?」

「見てないけど……」


 そう答えてから、天も全身から冷や汗が噴き出すような感覚がした。


「いないのか?」


 恐る恐る訊ねた天に、水巴はゆっくりとうなずく。


「いつから?」

「……わからん」


 そうして、水巴はその場に崩れ落ちた。


「水巴っ」


 天はとっさに水巴のそばに膝を突いた。すると、水巴は切れ切れに零す。


「わ、私と林火りんかもついていたというのに……。鳴雪様に、なんと言ってお詫びすればよいのか……」


 莉々の性格からいって、皆を心配させるような行動を自発的には取ることはない。戻れない何かが起こっているということだ。

 生真面目な水巴は、自分が気づけなかったせいだと思い詰めてしまったようだ。青ざめたその顔を見て、天は莉々のことと同じように水巴のことも心配した。


「思い詰めるな。まだ近くにいるかもしれない。皆を起こして探してもらおう」


 水巴は天の言葉に潤んだ眼を向けた。すがるような表情を天は凝視できず、少し目を逸らしてしまう。


「もし莉々に何かあったら、私は……っ」

「大丈夫だから、しっかりしろ」


 立たせようとして触れた水巴の肩の震えに、天は落ち着かない気持ちになった。水巴と共にいると、どうにも据わりの悪い気持ちになる時がある。


「うむ、すまない」


 天の手を借りて立ち上がった水巴は、力なく微笑んだ。その様子に、やはり心がざわつく。

 今はその理由を突き詰めている場合ではない。天はそう考えてかぶりを振った。



     ❖



 居間に皆を集めると、水巴と林火は事情を話した。特に鳴雪はぽかんと口を開けていた。

 その様子を水巴はビクビクと窺っている。


「莉々殿が?」


 鳴雪はそれだけつぶやいた。

 秀真ほずまの方がよほど慌てて腰を浮かせる。


「め、鳴雪様、すぐにでも莉々様の捜索を――っ」


 その時、ぶわ、と部屋中が重い空気に押し潰されるようだった。その威圧感は鳴雪から放たれている。無言の鳴雪の強張った顔に、天ですらも言葉を呑み込んだ。

 こんな時の鳴雪に声をかけられるのは砕花(さいか)くらいだった。


「落ち着け、鳴雪。誰にも察知できなかったということは、莉々は自らの足で持って出て行ったということになる。これをどう考える?」


 どろりとした気が一瞬にしてしぼんだ。鳴雪は情けないような弱気な顔を砕花に向ける。


「攫われたのではないと?」


 そこに普羅(ふら)が口を挟んだ。


「いえ、やはり攫われたのではないでしょうか? けれど、攫われることを承知で莉々殿は外へ出たということになりますが」

「そんなことがあるのでございますか?」


 困惑して首をかしげる青畝(せいほ)の頭に普羅は優しく手を添えた。

 その時、どこからともなく黒い影――月斗げっとが天の背後から声を発した。


「莉々様をおびき寄せる餌があればよいのです」


 驚き、天は肩を跳ね上げて振り向いた。月斗の言葉に思い当たることがあるのだ。


「餌――紫緑(しろく)か?」


 天と莉々の幼なじみの少年、紫緑。

 紫緑の消息を知るのは、紫緑に化けたとある狐だけだ。

 だとするなら、莉々をそそのかして攫ったのは狐ということになる。


「……狐か。ありそうだね」


 林火も眼鏡を押し上げながら言った。

 鳴雪はふぅ、とひとつ嘆息すると厳しい声音で告げる。


「わかった。では狐の尻尾をつかんで引きずり出してやろう――」


 誰もが異議を唱えることなどできないような冷たさだった。

 それでも、砕花はあえて言った。


「鳴雪、莉々はお前に対する切り札だ。そうそう傷つけられることはないだろう。だから、俺は先に利玄と合流すべきだと思う」

「砕花!?」

「相手がもし本当に狐だとするなら、なかなかに厄介だ。八百八の眷属すべてでお前の神通力を完全に戻して挑まねば確実ではない」


 砕花の言うことは間違っていないのかもしれない。

 しかし、責任を感じる水巴は苦しそうに声を絞り出す。


「けれど、莉々は心細い思いをしているはずだ。一刻も早く駆けつけてやらねば……」

「それも承知だ。だからこそ急がねばならない」


 ぴしゃりと厳しい口調で砕花は言う。

 感情があるからこそ冷静な判断を失いがちな場で、砕花だけは大局を見据えていた。莉々を案じていないわけではないとわかるけれど、天は容易にうなずいてはやれなかった。


「俺は……」


 何も言えなくなった天を気遣うように普羅が言う。


「鳴雪様の神通力が戻れば、空間の転移すらも可能にございます。利玄殿と合流できれば時間の浪費にはなりますまい」


 その言葉に、鳴雪も静かにうなずいた。


「……わかった。利玄のもとに行く」


 ただ、そう言った声には必死で自分を保っているような苦しさがあった。だから、他の者はその決断に異議を唱えなかった。天でさえも鳴雪の判断を信じることにしたのだ。


「利玄はの国――急ぎましょう」


 姿の見えない月斗の声がした。


「目指すは屋敷跡、ですね」


 林火の言葉に鳴雪がうなずき、皆それぞれに気を引き締めた。

 天は焦る気持ちと手の震えをごまかすように拳を太ももに叩きつけた。



     ❖



 淡の国から伊の国へ抜けるため、一向は関所を目指す。子供の青畝の足が一番遅いけれど、気づけば普羅が抱えて歩いていた。

 鳴雪が言うには、やはり地形は徐々に変化しているらしく、気をつけながら進んだ。


「伊の国はお前の領地だって言ってたな?」


 天が強張った鳴雪の横顔に声をかける。鳴雪は一瞬だけ表情を和らげた。


「ああ、私が引き継いだ土地だ」


 その関所は峠の途中にある。けれど、どれくらいか坂道を行った先で旅装の青年に出会った。その脚絆の浅葱色が目に鮮やかだった。青年は困り果てた様子で天たちに言う。


「お前さん方、関所を越えて伊の国へ行くつもりかい?」

「そのつもりですが?」


 天が答えると、人のよさそうなその青年は苦笑した。


「それなら諦めた方がいいぜ。この先はとても通れやしないよ」


 皆、思わず顔を見合わせた。


「どういうことだ?」


 砕花が眉根を寄せる。青年は嘆息した。


「いや、俺も伊の国へ行くつもりだったから困っているんだが、あれではどうにもならんよ。でも、まあこんなことを見ず知らずの俺に言われても、見てみないことには納得もできないか」


 この青年は狐が化けているわけでもなさそうだ。本当に善良な人間なのだと思う。

 天はちらりと鳴雪を見遣った。鳴雪は目を細めて思案している。


「我らはどうしても伊の国へ抜けねばならぬ。なんとしても通ってみせよう」


 そのひと言に、青年もこれ以上の忠告は無駄だと感じたのだろう。青年は深々と息をつくとうなずいた。


「そうか、頑張れよ。じゃあな」


 そうして淡の国へと引き返していく。その背中を見送りながら普羅はつぶやいた。


「関所が通行不可とは一体……」

「けれど、主の鳴雪様の帰還です。関所を通れぬ道理などございません」


 秀真がまなじりをつり上げて言った。鳴雪は静かにうなずく。


「もちろん通るさ。莉々殿が待っておるのだ。こんなところに時間を費やせぬ」


 その声は冷え冷えと響いた。



 そうして到着した関所は、山肌が壁のように聳え立っていた。その山肌にトンネルを空けて向こうへ通れるように作ったのだろう。

 手前にある瓦屋根のついた門は閉まっていた。何人かの旅人が顔に諦観を浮かべて引き返してくる。

 一行がそちらに近づくと、二人いた番兵の片割れが言った。


「すまんが、この先は通行止めだ」


 その番兵に、鳴雪は冷ややかな目を向けた。


「私が誰かわからぬか?」

「へ?」

「隠神刑部、伊の国の領主だ。我が国に戻るのに誰の許可が要るという?」


 目の前の青年は化け狸の総帥である。名乗られた番兵たちは顔を蒼白にした。連れている手勢の耳を見れば嘘偽りではないとすぐに知れる。ぺこぺこと頭を下げ、それでも番兵は言う。


「も、申し訳ございません! しかし……我らも困っておるのです」

「何?」


 今の鳴雪は普段のような陽気さもなく、恐ろしい神通力を備えた妖狸の長という肩書きに違和感がない。番兵たちはビクビクと鳴雪に怯えていた。


「そういえば、一刻ほど前に輿を引いた者たちも止めるのも聞かずに先へ向かったのです。それから引き返してこなかったのですが、無事に通れたとも思えません。先で立ち往生しているのではないかと……」

「よくわからんが、この異変は狐たちの仕業か」


 ふぅ、と砕花が嘆息する。天は厳しい声音で言った。


「ここで立ち止まってる場合じゃないだろ」

「もちろんだ」


 鳴雪は深くうなずくと番兵に目を向けた。


「我らは行く」

「は、はい」


 押し留めるわけにも行かず、番兵たちは一行に道を譲った。そして、閉ざされた門を開く。

 その先に狐が何かを用意してあるのかもしれない。

 天はその先に待つものに対し、拳を握り締めて戦う心構えをした。皆が同じように気を引き締めて後に続く。

 けれど――


 関所を越えた峠の道のすぐそこに、天にとっては見慣れたものが鎮座していた。あまりのことに呆然と口を開けていると、秀真は至極真剣な様子で『それ』を睨みつける。


「なんでしょうか、この奇怪なものは。異界の化物ですか?」

「あたしも初めて見たよ、こんなの」


 林火もピリリとした警戒の空気を発しながらつぶやく。


「なんであれ、踏み越えていくまでだ」


 鳴雪がゾッとするような声で言った。ぽぅっと狸火が灯る。その横で天は深々と嘆息した。


「大丈夫だ。行くぞ」

「天!?」


 水巴が不安げに声を上げる。

 天は一人スタスタと歩むと、『それ』の横倒しになった細い竿状のものの下をくぐった。皆がざわざわと騒ぎ立てる中、天は向こう側から冷静に言った。


「これは『踏み切り』ってヤツだ。この棒が下りている時は渡っちゃいけない」

「渡ってるじゃございませんですか!?」


 青畝が怯えたような目をして叫んだ。

 ここには線路も電車もない。なのに、踏み切りが下りている時には『通ってはいけない』という概念だけがこの混在世界の人々にはあるのだ。

 天はこんな状況だというのに少しだけおかしくなった。踏み切りの向こう側から苦笑する。


「これは『電車』っていう乗り物が通過する時にだけ、人の進行を止めるための装置だ。でも、ここにその電車は来ない。だから無意味なんだ。潜ってこいよ」


 皆、顔を見合わせるとズルズルと後に続いた。

 あっさりと越えてしまえば妙に馬鹿らしい事態だった。


「……関所のヤツに知らせてやるのも説明が面倒だ。とりあえずは先を急ごう」


 砕花は何か疲れたように言って嘆息した。


「ああ、これで我が国へ戻った。急がねばな」


 鳴雪は奥歯を噛み締めてつぶやいた。


「そういえば、先へ向かった輿なんてありませんでしたね?」


 秀真がぽつりと言った。普羅もうなずく。


「その輿、もしかすると狐の一行だったのやもしれませぬな……」

  

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ