表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
パラレル808  作者: 五十鈴 りく
捌・古杣
36/46

捌 ~三~*

 その翌朝のこと。

 目を覚ました莉々(りり)たち女性三人は身支度を整えて居間へと移動した。

 そこにいたのは、鳴雪めいせつてん秀真ほずまだけであった。まず林火りんかが小首をかしげた。


「あれ? 鳴雪様、砕花さいかはどこですか?」


 月斗げっとはまたどこかに潜んでいるのかもしれないが、普羅ふらの姿もない。水巴すいはもすかさず訊ねた。


「普羅も見当たりませんが?」


 鳴雪たちの面持ちは厳しかった。嘆息すると、鳴雪はぽつりと言う。


「普羅は青畝せいほのこととなると冷静さを失う。どうにも朝まで待てなんだのだろう。普羅の気配が山へ入ってしまった。砕花と月斗が追ってくれている。我らも合流するとしよう」


 落ち着いた大人に見える普羅だが、やはり我が子の窮地とあっては冷静になりきれなかったようだ。不安を顔に出した莉々に、鳴雪はそっとささやく。


「まだ神域に達したわけではない。そこへ至る前に砕花たちが普羅を止めてくれるだろう。そう心配は要らぬよ」

「あ、うん……。青畝ちゃんも大丈夫だよね?」

「ああ、もちろんだ」


 そうして皆で普羅たちの後を追うのだった。



     ❖



 遠目には豊かで美しい山だ。

 けれど、近づけば近づくほど、痛いくらいに澄んだ空気を感じる。来る者を拒絶する冷たさは、山神の心の表れなのだろうか。

 莉々たちは山の麓に立つ。鬱蒼と茂る木々の間にある道の手前で、莉々は息を呑んだ。踏み込んだら最後、易々とは戻れないような気になる。莉々の隣で天が言った。


「何かで読んだことがあるんだけどな、山の神は女を嫌うって。俺たちの世界でも山は昔、女人禁制だったらしいし」


 すると、鳴雪はにこりと笑った。


「我ら縄張り違いのあやかしとて歓迎はされぬよ。だから、どの道同じ。気にせず行くだけだ」

「い、いいの?」


 思わず莉々が鳴雪を見上げると、鳴雪はことも無げに微笑んでいる。水巴も嘆息した。


「馬鹿正直に従えば、山神のもとへ辿り着けるのは天のみではないか。そうしたことにこだわっている場合ではない」


 すでに青畝や普羅が踏み入ってしまっている。水巴が言うように、気にするだけ時間の無駄なのかもしれない。

 そんな時、山の上方からトーン、トーンという音が聞こえてきた。莉々は小首をかしげる。


「この音は何?」


 けれど、それに答えられる者はいなかった。


「まあ、進めばわかるんじゃないかしらねぇ」


 嘆息し、林火も表情を引き締めた。

 まずは普羅たちとの合流することを目指さねば。



 登り始めた頃はなんの変哲もない山だった。鳥たちが枝に止まり、美しくさえずる。けれど、それを先ほどの音が遮るのだった。


「また……」


 枝から飛び去る小鳥に目をやりながら莉々はつぶやいた。

 そうして、ひたすらに山を登る。傾斜はゆるいと思っていたけれど、上に行くほど急になってきた。


「莉々殿、疲れたら疲れたと言ってくれてよいのだ」


 鳴雪が心配そうに言う。莉々は少し笑ってかぶりを振った。


「大丈夫。急がないとね」


 弱音をはかない様子をいじらしく感じたのか、鳴雪は莉々をぎゅっと抱き締めた。暑苦しい。

 狸たちと天の視線が突き刺さったその瞬間、莉々と鳴雪の隣に黒い影が湧いた。

 あまりに唐突だったので、莉々はヒッと悲鳴を上げてしまった。そんな莉々を抱き締めたまま、鳴雪は神妙な面持ちになる。


「月斗、普羅はどうした?」


 言われてみると、その黒い影は人型の月斗だった。重々しい黒い衣を頭から被った月斗は光る眼を向ける。


「はっ。普羅は発見致しました。砕花が普羅と共におりますが、只今戦闘の真っ最中にござりまする」

「山の神とか!?」


 天が問うと、月斗はゆるゆるとかぶりを振った。


「否。相手は狗賓ぐひん――天狗にござりまする」

「天狗!」


 莉々と天が異口同音に叫ぶと、鳴雪は眉を顰めた。


「山の神の使いか。どうやら山の神は我らを受け入れるつもりはないようだ」


 山への侵入を拒まれているらしい。月斗は重々しく言った。


「狗賓を倒してしまっては、山神の逆鱗に触れてしまいまする。狗賓とて、鳴雪様ならば蔑ろにすることもできぬでしょう。砕花に鳴雪様をお呼びするようにと言われまして……」

「わかった。すぐに参ろう」


 もしかすると、あの得体の知れない音は狗賓との戦いで立てた音なのかもしれない。

 莉々はどうしようもなく胸騒ぎがした。



     ❖



 月斗にいざなわれるままに先を急ぐと、そこは日中だというのに木々に覆われて薄暗く感じた。木々がまるで壁のように道を隠している。

 ガサガサ、と枝葉の揺れる音がして、木の一本が急に傾いた。


「倒れる!」


 秀真がそう叫んだけれど、木は向こう側に倒れたために逃げる必要はなかった。傷つけられた木が、時間をかけて傾き、今になって限界を迎えたのだろう。それでも、ドシンという振動が足元から響き、莉々は思わず目を閉じた。


 そうして、砂埃が落ち着いた頃、その先にいた存在に、狸たちは緊張を走らせた。

 それは、鋭い目をした狼だった。背には黒いからすに似た羽を持ち、頭には山伏のような烏帽子えぼしを被っている。


「お、狼?」


 天がつぶやくと、鳴雪がうなずいた。


「あれが狗賓――山の神の使いなのだ」


 狗賓は鳴雪を鋭く見据えた。その狗賓の前足が踏みつけているのは――


「普羅!!」


 真っ先に気づいた水巴が甲高く叫んだ。駆け寄ろうとした水巴を林火が押し留める。

 普羅は、満身創痍であった。手に刀はなく、着物も肌もズタズタに裂かれ、ぼろ布のような有様だった。それでも、かすかに動いている。息はあるようだ。

 いつの間にやら砕花が鳴雪の隣に立っていた。


「すまない、普羅を止めきれなかった」

「お前の助太刀を普羅が拒んだのか」

「ああ。普羅に戦うつもりはなかった。ひたすら通してほしいと頼んでいただけだ……」


 バツが悪そうな砕花に、鳴雪は苦笑する。

 そうして単独で数歩前に出た。狗賓は鼻面に皺を刻む。そんな狗賓に鳴雪は凛とした声で語りかけた。


「我は隠神刑部狸いぬがみぎょうぶだぬき(たかむら)鳴雪(めいせつ)と申す。その者は我が手下てかなのでな、私が代わって詫びる故、その者を返してもらえるだろうか?」


 すると、狗賓は普羅の背から足を退け、低く唸るような人語を発した。


『この先へ通せと聞かぬので、少々手荒な真似をすることとなった。刑部殿の手下とて、山神様の棲まう神域に力づくで進入するなど、あってはならぬ』

「そうか。それはすまなんだ。時に、私が頼んだとしても通してはくれぬのだろうか?」


 鳴雪は感情の読み取れない笑顔を狗賓に向ける。

 皆、成り行きをハラハラと見守ることしかできなかった。


『今、山神様は誰の来訪も喜ばれぬ。引取り願おう』


 簡素な、感情のこもらない声が作る言葉。それが普羅の耳にも届いたのか、普羅が身じろぎした。

 鳴雪はそんな普羅を悲しげに、気遣うように見遣り、それから狗賓に言った。


「ここへ仔狸が迷い込んでおらぬだろうか? それはこの者の子でな、無謀な振る舞いも子を想う親心から来るものなのだ」


 狗賓は、仔狸、とつぶやいた。

 そうして、すぐにそれを突っぱねるように言った。


『知らぬな』


 それが嘘であることは、狸たちにはすぐに知れた。


「ここにはその仔狸――青畝のにおいがする。我らにはそれがわかるのだ」


 鳴雪がそう言っても、狗賓は聞く耳を持たなかった。まなじりをつり上げ、冷淡な声を発するだけだった。


『知らぬと申しておる』


 そこでスッと場の空気が変わった。


「そうか」


 短く零すと、鳴雪はうつむいた。その途端に、木々がさわさわと揺れる。鳥たちがいっせいに飛び去った。

 不穏な空気をかもし出し、鳴雪は押し殺した声を上げた。


「私は礼節を持って接した。それでも我が眷属の者を返さぬと言うのならば、力で奪い返すのみ。汝と我が神通力、どちらが勝るのかを試してみよう」


 この時になって、莉々はようやく鳴雪の激しい怒りに気づいた。子を想う普羅を痛めつけ、青畝を捕らえたこの山に憤りを感じている。

 背筋が寒くなるような、あやかしとしての顔。

 狗賓も鳴雪の妖力を前に体を強張らせたように見えた。


「皆、下がっておれ」


 鳴雪は振り向かない。きっと、怖い顔をしている。それがわかるから、莉々は心配になった。


「鳴雪さん!」


 どうすべきかもわからないままに莉々が声を上げても、鳴雪は振り返らない。


「莉々、危ないから!」


 と、天の背に庇われる。

 前へ進んだ鳴雪の気に押されるようにして狗賓は下がった。鳴雪はそのまま進み、普羅の隣へ立つ。


「め……せ、つさ、ま」


 苦しげな普羅の唇から音が漏れる。鳴雪は眉根を寄せてつぶやいた。


「案ずるな」


 鳴雪の気がそれた刹那、狗賓は木の上に飛び上がり、そこから風の刃を放った。それを鳴雪は指の一本も動かさずに顔を上げただけで霧散させた。どす黒い色をした気が浮かび上がる。

 ポッ、と狗賓のそばに狸火が灯った。その火はいくつか点在し、狗賓を取り囲むと、輪を狭めて狗賓を追い詰めた。狗賓はその火を消そうとするも、風でも水でも消せない薄青い火は狗賓の毛と肌を焼いた。

 その苦悶の声から莉々を遠ざけるようにして、天が莉々の頭を抱え込んだ。


 莉々は鳴雪を止めたい気持ちと、青畝を取り戻すためには仕方ないという気持ちとの間で心が張り裂けそうだった。鳴雪は山神も含めたこの山すべてを滅ぼす覚悟を決めてしまったのかもしれない。莉々が涙を浮かべてそちらを見遣ると、鳴雪の顔が下へ向いた。

 鳴雪の袴の裾を普羅が引いたのだ。それから普羅はズタズタの体をゆっくりと起こす。


「普羅っ」

「どうか、ここ、は某に……」

「私にも手を出すなと言うのか?」


 苦悶にしかめた鳴雪の顔に、普羅はうなずく。


青畝あれは、我が子にござい、ます……」


 だからこそ、自分が取り戻すと言うのか。

 ひゅうひゅうと風が抜けるような息遣いが普羅の口から漏れる。鳴雪は狗賓を苛む狸火を消し去り、普羅の傷口に手を重ねた。ぽうっと淡い光が漏れる。


「少しはマシだろう」


 神通力で傷口を塞いだのか、普羅は先ほどよりも楽そうに見えた。


「はい、ありがとう存じます」


 立ち上がった普羅に、それでも鳴雪は厳しい面持ちを向けた。


「青畝はお前の息子であり、私の手下でもある。青畝奪還のためにお前に与える機会はあと一度だけだ。できなければ再び私が出る」

「はっ」


 頭を垂れると、普羅は痛々しい足取りで火傷を負った狗賓へと歩み寄る。狗賓の見事であった漆黒の翼も毛並みも無残に焼け焦げ、神々しさよりもおどろおどろしさが勝る。

 不倶戴天の仇でも見るかのような狗賓の鋭い眼光に、普羅は真摯に語りかけた。


「どうか、息子に会わせて頂きたい。息子を返してくだされ」

『くどい!』


 激昂する狗賓を前に、それでも普羅は諦めなかった。


「どうか――」


 そんな時、唐突に思えるほど不意に、青白い光が降った。幻想的なその光に包まれている存在がある。

 天女さながらに長い髪と衣をはためかせて舞い降りる美しい女性。その腕の中には、眠る一匹の仔狸の姿があった。

挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ