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パラレル808  作者: 五十鈴 りく
漆・傀儡子
32/46

漆 ~三~

 夜、波音を聞きながら皆が寝静まった頃、布団を並べる男部屋でてんはふと覚ました。

 体に僅かな痺れを感じる。自分は健康体だと思っていたけれど、どこか悪いのだろうかと慌てた。

 しかし、痺れはすぐ嘘のように消えた。ただ、それが何かの嫌な予兆のように感じられて落ち着かない。


 鳴雪めいせつは幸せそうに寝言で莉々(りり)を呼んでいた。叩き起こしてやろうかと思ったけれど、夢の中くらいは勘弁してやることにした。邪魔をして現実で続きを、なんてことを言い出したら余計に嫌だ。

 砕花(さいか)秀真(ほずま)は静かな寝息を立てている。

 天は浴衣の襟を直し、布団を抜け出す。夜風に当たりたくなったのだ。


 外に出ると、いっぱいに広がっていたのは、自分たちの世界では滅多に見ることのできない見事な星空だった。時折、流れ星がきらりと落ちる。夜は更けたけれど、星々のおかげで明るく感じられた。


 砂浜を歩くと、夜気が素肌に冷たく感じる。サラリと髪を撫でる風を受けながら暗い海を眺めると、波打ち際の方に小さな背中があった。白い浴衣が闇に浮かんでいる。

 いつもは凛としている体を丸めて海を見つめていた。天はためらいながらも声をかける。


水巴(すいは)?」


 その途端に、水巴はビクリと肩を震わせた。とっさに振り向いた顔が暗がりの中でも見えた。水巴はこの星の明るさを恨めしく思ったかもしれない。


「天か……」


 涙の跡が光る。

 何故、水巴が独りで泣いていたのか、天には心当たりがなかった。けれど、見てしまった以上は放っておけない気持ちになる。天は水巴の隣に腰を下ろした。

 水巴は天に顔を向けず、再び海を眺めた。天は言葉をかけずにただそこにいた。

 何も訊ねない天に、水巴の方が痺れを切らした。


「何も訊かぬのか?」

「俺にできることがあるなら聞く。でも、ないなら言わなくていい」


 素っ気ない口振りの天に、水巴は苦笑した。


「そうだな、天にぼやいても仕方のないこと。これは私の心の問題だ」


 天は不思議な気持ちだった。初めて会った日、弱りきっていても毅然と振舞った水巴が、こうして人知れず泣いている。

 心の問題だと言うけれど、何がそんなにも心を苛むのか。


 思えば、一度だけ水巴の涙を見たことがあった。あの時も、水巴の涙の意味を深く考えることをしなかった。気にならないわけではないけれど、踏み込むには柔らかな場所で、まだ若輩の天では何もしてやれないと常に弱気になる。

 そうして沈黙が続くと、水巴は再び口を開く。


「時に、天はどうしてこんな時間に外へ?」

「寝つけなくてな」

「そうか」


 会話はあっさりと途切れるかと思えた。けれど、水巴は天に顔を向けないままでつぶやく。


「天、お前はまだ鳴雪様と莉々のことを認めるつもりはないのか?」

「……そう簡単なことじゃない。俺は、莉々には幸せになってほしいんだ」


 たった一人の妹だ。それに、父がいないのだから、父の分まで天は莉々を護らなくてはならないと気負っている。

 苦々しく言った天に、ようやく水巴は目を向けた。目の縁が赤く、潤んだ眼にドキリとした。動揺を隠す天に、水巴は艶やかな唇で告げる。


「莉々の幸せを願うのなら、莉々が自ら選んだ時にはちゃんと認めてやることだ。鳴雪様は誰よりも莉々を大切に想うてくださるのだから」


 他の誰かに同じことを言われたなら、それでも天は聞く耳持たなかっただろう。人間と化け狸が一緒になるなんて馬鹿げてる、と。

 けれど、天は出会いの日から水巴には弱いのかもしれない。突っぱねるようなことは言えなかった。

 水巴はどこまでも鳴雪を大切に思っているのだと、それも伝わる。ただ鳴雪の幸せを強く願っている。だから、そんな水巴にはひどいことを言えない。

 そんな時、ふと隣の水巴の体がビクリと痙攣した。


「水巴?」


 ガクガクと体が震えている。表情も苦しげで、まるで発作のようだった。突然のことに天は林火を呼びに戻るべきか迷った。

 身を折る水巴の肩に天が手を伸ばすと、水巴の震えが止まった。

 ほっとした天の腕の中に水巴の体がしなだれかかる。気を失ったのかと驚いたものの、水巴の意識はあるようだった。


「今日はもう休め。そこまで支えていくから」


 きっと、疲れているのだろう。

 両肩を支えて体を離すと、水巴はうつむいたまま天の手を振り払って胸元に顔をうずめる。細い指先が天の背に回った。


「す――」


 薄い浴衣から水巴の体温と柔らかな感触が伝わる。それを感じた自分に天は疚しさを覚えた。

 ドクリドクリと脈打つ天の心音に、水巴は耳を傾けているように見えた。そうして、低い声で笑うのだった。


『ヒトと狸とでは相容れぬと? それならば、この鼓動はなんだろうな。お前自身で確かめてみるがいい』


 それは水巴の声ではなかった。どこか禍々しいまでに低く陰湿な声だった。

 天がゾッと身を震わせると、水巴の手が彼女自身の浴衣の合わせ目に添えられ、襟をずらす。スルリ、と肩を滑り落ちかけた浴衣を、天は心臓が縮むような思いでとっさに押えた。


「おい、お前は誰だっ? 水巴をもとに戻せ!」


 目的はわからないが、水巴は何かに操られている。

 思い浮かぶのは、例の狐だ。幼なじみの紫緑しろくに化けて天たちを翻弄した。だから、今回もまた――

 戻せと言っても、相手は薄く笑うだけだった。天はムッとして唱えた。


「オン・マカシリ・エイ・ソワカ」


 パァッと光輪が天たちの周囲を広く照らす。その光の中に、黒く小さな影があった。


「そこか!」


 天は右手で一握の砂に自らの霊力を乗せ、その影に向かって放った。ぐえ、と蛙が潰れるような声がして、そこに伸びていたのは黒々とした狸だった。


「げっ」


 天が思わず顔を引きつらせたのも無理はない。生きてはいるはずだが――

 ちらりと水巴を見遣ると、水巴は術から醒めたようで、呆然としていた。ただ、天が手を離してしまったせいで浴衣が肩から半分ほど滑り落ち、柔肌があらわになっている。


「わ、わざとじゃ――」


 慌てて弁明した天になど構わず、水巴は乱れた浴衣も直さずにそこで伸びている狸に手を伸ばした。尻尾を乱暴にぐい、と引っ張って逆さ吊りにすると、押し殺した声で凄む。


月斗げっと!! お前はまたふざけた真似を!」


 まさか味方が操っているとは思わなかった。月斗の意図が、やはり天にはよくわからない。

 体を勝手に操られた水巴が怒るのは無理もないことで、天は月斗に助け舟を出してやるつもりもない。水巴は文句を言っていたけれど、月斗はすっかり伸びていて返事もしない。ただ、捕獲には成功したと言えるのだろうか。


「天、お前からも何か言ってやれ」


 水巴は憤懣遣る方ない様子でぽい、と狸型の月斗を天の方に放る。とは言っても、伸びているのだから何を言っても無駄だろう。


「いや、俺に実害はないから……」

「何を甘いことを!」


 と、水巴は天のそばにしゃがみ込んでドン、両手をつく。砂の上では手ごたえもない。


「そ、そんなことよりも……」

「なんだ?」

「その……」


 歯切れ悪く顔をそむけた天に、水巴は肩を寄せる。


「だからなんだと言っているのだ」

「……浴衣、直したらどうだ?」


 そこでようやく、水巴は浴衣がはだけていることに気づいた。しかし、うろたえていたのは天ばかりで、水巴はああ、となんでもないことのように浴衣の襟を正した。羞恥を感じる箇所が人間とは少しずれているのかもしれない。

 水巴は深々と嘆息した。


「まったく、天におかしな悪戯を仕掛けたと知れたら、月斗のやつ、鳴雪様に大目玉だぞ」

「いや、俺よりも水巴の方が被害者のような……」


 口ごもると、水巴は意外そうに目を瞬かせ、それから何故かにこりと笑った。


「私か? そうでもない。天はヒトだからな」


 当たり前のひと言に、何故か天は言いようのない複雑な気持ちになった。心が曇るのはどういうわけなのか、天自身にもわからなかった。

 ふと、鳴雪のことを考えた。


 ヒトはヒト。狸は狸。

 そんなことは互いのせいではない。生まれた瞬間にそれは決まったのだ。

 けれど、ヒトではない狸ではない互いは、最早別の存在で、そうであった場合に惹かれたかどうかもわからない。

 天が考え込んでいると、水巴は軽く首を振った。


「いや、ヒトだからということはないな。ヒトにも色々とある。天は誠実だ。それくらいは私にもわかる」


 その微笑に少し見とれた自分に、天はさらに複雑な気分だった。複雑なのに何故か、言われた言葉が胸の奥に沈み、ふわりとあたたかな気にもなる。

 水巴の滑らかな指が天の手を取った。霊力のこもらない左手だ。サラリと手を撫でる仕草に天は胸が騒いだ。

 あんなことの後だからだ、と疚しさを打ち消そうとする。

 けれど、心臓はうるさく騒いでいた。

 その時、ポン、と鼓を打つような音がして、天の手首に鎖が巻きついた。


「!!」


 その鎖の先に、月斗の前足が繋がれた。


「仕置きだ。それから、また逃走されても困る。天、頼んだぞ」

「…………」


 乾いた笑顔を向ける天に、水巴はあっさりと背を向けて戻った。

 何故水巴が泣いていたのかなど、もう些細なことに思えた。



     ❖



 翌朝、天はぐうぐうと眠る鳴雪の隣で、砕花と秀真に詰問されるはめになるのだった。


「……で、これはどういうことだ?」


 月斗は起きてはいるものの、まだぐったりしていた。鎖に繋がれているせいか、人型になる気配もない。


「どう、というか……」


 なるべく水巴のことを語らずに説明しようとしたけれど、それは無理なことであった。

 砕花が急に天に顔を近づけ、ボソリと言った。


「水巴のにおいがする」

「へっ」

「私たちはお前たちヒトに比べて鼻がいいからな」


 秀真も目が据わっている。


「え、や、それは……」


 しどろもどろな天を助けるどころか、鳴雪は起きる気配がない。砕花は盛大に嘆息した。


「月斗、お前何か知っているな?」


 キュウ、と月斗が野太い声で鳴く。途端に砕花は月斗の後ろ足をつかんで吊った。


「知らんはずがないだろう。お前の仕業か」


 どうやらすっ呆けたらしい。砕花はイラッとした様子で言った。


「いい加減人型になって説明しろ!」


 逆さ吊りの月斗は、それでも懸命にかぶりを振る。かと言って、それで勘弁してくれる砕花ではなかったが。

 キューンキューンと月斗が鳴くと、そこでようやく鳴雪が眼を擦りながら起き上がった。寝癖がついている。


「おや? 月斗ではないか。そうか、来てくれたのか」


 寝ぼけたまま、鳴雪は怪しい呂律ろれつで言った。そうして、逆さ吊りの月斗を砕花から救い出す。


「月斗、昨晩はその、世話になったな。やり方はともかくだな……」


 鳴雪は意味不明なことをつぶやきながら月斗を抱き締め、締まりのない笑顔を浮かべている。まだ寝ぼけているのだろうか。

 天、砕花、秀真は鳴雪の不気味な笑い声に顔を引きつらせた。それでも鳴雪はお構いなしである。


「おや? 月斗、この鎖は……うん? 水巴か。水巴のにおいが……」


 はた、と鳴雪の目が天とかち合う。そこで鳴雪の顔からサッと血の気が失せた。


「おい、月斗」


 キューン、と精一杯の猫なで声で鳴く月斗を、鳴雪は逆さ吊りにした。


「まさか、天殿に()()()をかけたのではないだろうな?」


 プリプリプリ、とかぶりを振る月斗に鳴雪の雷が落ちた。


「早く人型になって説明せんか!!」


 バム、とおかしな音がして、真っ黒な塊が大きくなった。それが黒い布を頭から被った、月斗の人型であると天が気づくまでに時間が要った。黒魔術師さながらの月斗がうずくまって顔も上げずにぼそぼそと言う。


「あ、操ってはおりませぬ。この御仁、ワタシの妖力では傀儡子くぐつしの術も効きませぬ」

「効かんということは、一度試したな?」

「は、はい」


 天は気が気ではなく、その先を真剣に遮ろうかと思った。けれど、それよりも先に月斗が口を開いた。

 黒衣の隙間からちろりと光る目だけを天に向ける。なかなかに不気味であった。


「この御仁が狸に心惹かれてしまえば、鳴雪様が動きやすくなるのではないかと思いまして、水巴のことを操って誘惑してみようかと。水巴は狸の中でも特に美しい娘故、この御仁もまんざらでは――」

「わ――!!!」


 騒ぎ立てる天に、他の狸たちは目を丸くした。莉々には見せられないような取り乱しようである。


「ち、違っ……」


 じっとりと狸たちに見つめられ、天は身の置き場がなかった。けれど、砕花が小さく嘆息した。


「まあ、天のことだから、な」


 何もしてないだろう、と言いたいのか。それはそれで複雑な心境である。

 鳴雪は深々と嘆息した。 


「水巴は私の妹のようなものだ。あれは真面目な娘故、天殿に不埒な行いなどするわけがない。それはすべて、月斗が操ってのこと。そこは誤解せぬよう頼む」


 鳴雪は手下の狸たちをとても可愛がっている。だからこそ、水巴は、身を挺してまで鳴雪を護るのだろうか。

 妹のような、とは言うけれど、もし、莉々が現れなければ、水巴のような娘が鳴雪には相応しかったのかもしれない。

 天はそんなことをぼんやりと考えた。

  

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