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パラレル808  作者: 五十鈴 りく
肆・不夜城
19/46

肆 ~三~*

 鳴雪(めいせつ)手下(てか)である水巴(すいは)を捕らえたのは、この雲行(うんぎょう)である。その当人が莉々(りり)(てん)に水巴を見せてやると言うのだ。

 まるで珍しいペットを見せびらかしたがっているといった具合だった。


 例え化け狸であろうと、人型をしている水巴をそのように扱う雲行に、莉々はいつになく嫌悪感を覚えた。とても聖職者とは思えない。

 けれど、まずは水巴の居所を突き止めることが先決だ。雲行の機嫌を損ねては元も子もない。


「ぜひ――」


 天もそう判じたのだろう。莉々を庇いながら言うと、雲行は満足げにうなずいた。


「この上の階だ。来るといい」


 衣の裾を捌き、雲行は先を行く。

 最上階に向かうことで退路を絶たれる不安もあった。それでも、行くしかない。

 二人は雲行の後に続いて階段を上がる。そのさらに後ろに楼閣の主がついた。


 最上階は階段を上ってすぐのところに豪華絢爛な唐紙の(ふすま)があった。雲行が手をかけ、襖を勢いよく左右に押しやる。

 遮蔽物がなくなり、莉々と天は部屋の中に目を向けた。座敷は広く、三十畳ほどだろうか。その奥の方に、曇りガラスに似た質感の半球に閉じ込められた少女がいた。


 ぐったりと手をつき、上半身を起こすのが精一杯に見える。

 赤い着物と、短い髪に牡丹の髪飾り。きりりと締まった麗しい顔立ち。

 砕花(さいか)たちと違って、耳まで完璧に人間に化けている美少女だ。


 水巴は弱りきっていても尚、雲行を憎らしげに睨んだ。

 雲行はゆっくりと水巴に近づき、そして畳の上で莉々と天を振り返る。


「この娘、こう見ている分には人間の娘にしか見えぬだろう?」


 傲慢な雲行のおもてを前に天は歯を食いしばり、莉々は口元を押えて息を飲んだ。


「それなら、人間と同じように心があるとは思わないのか?」


 天の言葉を雲行は嘲笑った。


「心? 化生(けしょう)の者は化生の者だ。おかしなことを言う」


 くつくつと嗤う雲行の声の方がよほど奇怪に聞こえた。天は拳を握り締める。

 この会話が聞き取れているのかはわからないけれど、水巴の眼が天に向いた。水巴は今、何を思っているのだろう。


「まあよい。あの娘はそこそこの力を持ったあやかしであるのだが、私が妖力を封じた。この二重の結界の中にいる以上、ただの人間よりも非力だ。ここは楼閣でもあることだ。あれを敵娼(あいかた)にという物好きがいるならば、客でも取らせてみようか」


 その下卑た笑いに、堪忍袋の緒がプツリと切れたらしい。天は牙を剥くような低い声を絞り出した。


「坊主が聞いて呆れる。この結界をあんたが張ったって言うなら、あんたを叩きのめせば結界は消えるんだな?」


 年若い天が神通力を備えた僧侶に挑むなど、笑止千万。身の程知らずとしか映らなかったのだろう。楼主までもが声を出して笑った。


「お前のような小僧が雲行御坊に勝つ気でいるのか? これは傑作だ」


 けれど、天は鋭い視線を主に向けた。


「ゴボウだかニンジンだか知らないが、ゲスはゲスだ」

「なっ……」


 主が言葉を失うと、雲行が暗い目をして笑みを浮かべた。


「活きのいい若造だ。おぬしが言うように、私の霊力でこの結界は保たれている。それを知ったところでおぬしが私に勝てるというのか?」

「ゲスに負ける気なんてしない」


 はっきりと言い放った天を前に、雲行がまだ笑みを絶やさないのは、自尊心だろう。


「ならば、相手をしてやろう。おぬしが勝てば結界は解け、この化生の娘は解放される。それでいいのだろう?」


 天はただうなずいてみせた。水巴は向こうから成り行きを見つめている。

 雲行は口元を歪めてみせた。あんな人間をありがたがる人の気が知れない、と莉々でさえも思う。


「私が勝った場合はなんとする? おぬしをあの化生の娘の代わりに閉じ込めてやろうか? それとも、そちらの娘を私に差し出すか?」


 濁った雲行の眼が莉々を捉える。怯えた莉々を庇いながら、それでも天は、言葉が意志を左右すると信じているのか、明確に言うのだった。


「俺は負けないからな。そんな取り決めは必要ない」

「フン、大口を叩く。おぬしからは霊力を感じないでもないが、永きに渡り修行を積んだ私に敵うとは思わぬことだ。まずは格の違いを見せてやろう」


 雲行がそう言い放った瞬間に、楼主が部屋の隅に引いた。天は莉々の方を振り返ってささやく。


「莉々、安全なところに避難してろ」


 莉々は天を見上げ、それから素早く言った。


「お兄ちゃん、信じてるから」


 そんな妹に、天は柔らかく微笑む。


「負けない。お前にもちゃんと約束するから」

「うん」


 大きくうなずいて、莉々は着物の裾を踏まないように手でつまみ、部屋の隅――楼主がいる方とは反対の右側に移動した。

 座敷の真ん中に残った天と雲行は睨み合う。雲行は懐から何かを取り出した。

 中央の柄の上下に湾曲した槍のような刃がついている。あれはきっと法具だろう。


「これは御仏の加護を受けた神聖なる独鈷(とっこ)だ。私の霊力を増幅してくれる。これを手にした私に敵はない――」


 天はそんな雲行の言葉に耳を貸すでもなく、右手の拳に向かって唱えた。


「ナウマク・サマンダ・ボダナン・ボラカンマネイ・ソワカ」


 光が形となり、天の手に錫杖となって残った。構え直した錫杖がシャンと音を立てる。

 雲行は一瞬、目を疑った様子だった。身の程知らずの若造が、それほどの力を持つことを認めたくはないのだろう。独鈷に手を添えて前に構えると、腹に響くような重低音で唱える。


「オン・バサラ・チシュタ・ウン !」


 その途端、独鈷からいかずちがほとばしる。その眩い閃光が天を襲った。

 けれど、天は落ち着いてその雷を錫杖で受け止めた。むしろ力を吸収するように雷を消し去る。

 雲行は小さく唸ると、第二、第三と続けて攻撃を繰り出した。


 天は数々の修羅場を潜ってきた武者さながらに落ち着き払っている。ついこの間までは普通の高校生として生活していただけだというのに、背負うものの重みが天を強くするのだろうか。


 ぼうっと戦いを眺めている場合ではない。莉々は天を信じて動いた。

 水巴の捕らえられている結界へと駆け寄る。水巴はハッとして近づいてきた莉々に目を向けた。


「水巴さん、だよね?」


 名を呼ぶと、水巴は色素の薄い目を見張った。何かを言ったけれど、その声は莉々にまで伝わらない。もどかしくて莉々は結界に触れた。

 すると、結界は思いのほか脆く、破れた。雲行が天との戦いに力を使いすぎているせいかもしれない。


「水巴さん、立てる? 一緒に行こう!」


 身を乗り出して莉々が手を伸ばすと、水巴は麗しい顔を歪めて眼を潤ませた。


「鳴雪様のにおいがする。鳴雪様が近くに……」

「そうだよ、砕花さんと林火さんもいるよ。わたしたちは鳴雪さんたちに頼まれて水巴さんを助けに来たの」


 水巴は零れそうな涙を拭いながら言った。


「お前の言葉に嘘はない。鳴雪様のにおいが物語っている。共に行こう」


 弱りきった水巴は歩くのもつらそうだった。


「水巴さん、歩くのつらかったら狸になっていいよ。そしたらわたしでも抱えていけるから」


 一瞬躊躇った水巴だったけれど、背に腹は代えられない。小さくポンという音を立てて狸の姿になった。

 ほっそりとした小柄な狸だ。可愛いというよりも綺麗だと思う。


 莉々は壊れ物を扱うように慎重に水巴を腕に抱く。

 そうして天を見遣る。すでに勝敗は明らかだった。

 美しかった座敷は雲行の放った雷が飛び、ところどころが焦げて黒ずんでいる。

 雲行の独鈷を持つ手がカタカタと揺れていた。


「我が力がまるで通じん……いや、むしろ我が霊力を糧にしているかのような……。おぬしは、一体何者だと言うのだ」

「そんなの、俺が知るわけない。こっちが訊きたいくらいだ」


 それは天の本心だ。急に手に入れた力の説明などできない。

 鳴雪が、天はこの世界を閉じていた結界の霊力を体に宿していると言った。推測の域を出ないけれど、雲行の霊力に対しても同じように吸収できてしまうのかもしれない。

 あやかしには絶大な効果があった力でも、人間の天に同じだけの効果があるわけではない。雲行は己の力を過信しすぎたのだ。


 大きな力を持ちながらも、天の無頓着振りが雲行には歯噛みするほど悔しかったのだろう。努力は才能には敵わないと明言されているようで――

 雲行は滝のような汗を流しながらうわ言を繰り返していた。


「私は、私は、修行を重ね、ようやくここまで辿り着いたのだ。だというのに、こんな若造に敵わぬと言うのか? そんなことがあってよいはずがない。私は、私は……」


 懸命につらい修行の日々に耐えたというのは本当かもしれない。けれど、だからと言って何をしても許されるというわけではない。安易に気の毒だとは思えなかった。

 雲行の驕りを見て怒った神様が、天と雲行を出会わせたのではないだろうかと莉々には思えた。


 天は軽く錫杖を振るい、雲行の放った雷を跳ね返す。自らの雷に痺れ、その痛みに悶絶する雲行の手のうちで、独鈷は脆く崩れ去った。彼の力を増幅する法具も無尽蔵ではなかったのだろう。

 天はひと息つく。


「勝負はここまでだ。俺たちはもう行く」


 莉々は意識のない水巴を抱いたまま、慌てて天のもとへ駆け寄った。狸の姿の水巴を目にし、天はほっとした様子だった。


「ちゃんと生きてるな?」

「うん、大丈夫」

「よし、戻ろう」


 そんな二人を見遣りながら、楼主はどうしたものかと慌てふためいている。

 天たちの戦いの音が下の階まで鳴り響いていたのか、他の客や遊女たちがぞろぞろと様子を見に来た。そんな中を堂々とやってきたのが、鳴雪たちである。

 雲行の霊力でできた結界が弱まっていたのだろう。砕花と林火もいつもと変わらず平然としている。

 鳴雪は莉々の無事な姿と腕の中の水巴を認め、そっと微笑んだ。


「莉々殿、天殿、水巴を救ってくれてありがとう」


 天はゆるくかぶりを振る。


「もうここに用はない。さっさと行こう」


 すると、鳴雪は一度笑った。それは先ほどまでのあたたかみのある微笑とはまったく質の違うものだった。

 莉々はその変貌振りを何度か目の当たりにしているが、今回は鳴雪の怒りも相当なものである。

 鳴雪は鋭い視線を雲行に向けた。


「よくも私の手下にこのような仕打ちをしたな」


 ぶわ、と一瞬にして部屋の空気が重たくなった。

 部屋の燈台がいっせいに消えた。野次馬たちは声を上げて逃げ惑う。

 鳴雪は青白い狸火を放ち、凍てつくような口調で言った。


「私は隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)。私の手下におぬしがした仕打ちを決して許さぬ。その身を持って償わせてやろう」


 鳴雪はひどく怒っている。それがひしひしと伝わった。

 普段から鳴雪は、砕花や林火を大事にしている。水巴のことも家族のように思っているのだろう。

 その大切な手下を傷つけられ、怒らないわけがなかった。


 ヒッと雲行が声を上げる。天との勝負で疲弊した今、大妖である鳴雪の相手などできないのだろう。楼主も身動き取れずにその場にへたり込んだ。

 莉々は腕の中の水巴をキュッと抱き締める。

 水巴を傷つけられたと怒る鳴雪の心は間違いではない。けれど、鳴雪が怖い顔をしているのは悲しかった。

 どうしたらいいのかもわからずにいた莉々とは違い、天ははっきりとした言葉で鳴雪に言った。


「鳴雪、水巴は無事だ。この坊主は俺が痛めつけた。お前の気は済まないかもしれないけど、これ以上は駄目だ」

「天殿――っ」


 鳴雪は歯噛みしながら怒りを持て余している。それでも、天はさらに言った。


「水巴がもし死ぬようなことになったら、お前がこいつを殺しても俺は何も言えない。でも、水巴は無事で生きてるから、痛めつけただけで我慢してくれ。やりすぎは駄目だ」


 鳴雪のそばで砕花も嘆息する。そうしてボソリと言った。


「次があったら誰も止めないからな。命が惜しければ余生は大人しく過ごせよ」


 誇りも威厳も失って、これからの彼の人生は一変するかもしれない。しかし、それは自分で撒いた種だ。他の誰でもない自分の驕りが引き起こしたこと。

 心を入れ替えてほしいものだと、莉々は横目に雲行を見遣りながら横を通り過ぎた。

 そうして皆で遊里を後にするのだった。

挿絵(By みてみん)

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