参 ~四~*
「――で、皆ちゃんと捕まえてきたんだろうね?」
麓で待っていた林火が眼鏡を押し上げながら皆を迎えた。砕花は静かにうなずく。
「ここで出してもいいが、集落が近い。騒がしくならない場所にしよう」
「それもそうだね」
二匹はそう言って納得し合った。一見手ぶらに見えるのだが、何かの術を使って捕らえてあるのだろう。
莉々は二匹の収穫を、どうしても見たくなかった。ブルリと身震いする莉々を気遣わしげに眺めつつ、鳴雪は言う。
「よし、では休めるところへ移ろう。そしてそこに虫を集めて様子を見るか」
「……そんなことで本当に引っかかるのか?」
どこまでも疑わしげな天に、林火は苦笑した。
「あの子、興味のあるものへの嗅覚はすごいからねぇ」
「すっかり暗くなっちゃったけど、大丈夫?」
莉々が訊ねると、砕花は軽く笑った。
「俺たちは暗がりでも、人間ほど不自由しないからな」
そう言われてみればそうだった。
納得すると、一行は落ち着ける場所を探した。そして、大樹の下に決めた。
いつものごとく砕花が家を出す。何もないところから茅葺の家が現れる。何度見ても不思議な光景だった。
それから砕花は大樹を指さした。
「とりあえず、虫を木に吊るしておくか?」
「ああ。それなら目立つしな」
うなずいた鳴雪の隣で莉々は身構えた。けれど、なんとかして自分を落ち着かせる。
虫は蛍だ。夜なら光っていて綺麗なはず。だから、そんなに怖くない、と。
天は風呂敷包みを眺め、それから砕花に差し出した。
「これ」
「ん? ああ」
砕花はあっさりと風呂敷を取り払った。その下から現れたのは、蛍でもなんでもなかった。
後ろ手に縛られた人間のような形をした、薄気味悪い虫である。莉々はほんのりと光っていたことから蛍だと思い込んでいたため、心の準備がまったくできていなかった。
「!!!」
頭の中身が綺麗に吹き飛んで、莉々は盛大に悲鳴を上げていた。のみならず、そばにいた鳴雪に力一杯抱きついてしまった。涙目で抱きついてきた莉々を嬉しそうに受け止める鳴雪に、天のこぶしが降った。けれど、よほど嬉しかったのか、鳴雪はそれでもニヤニヤしていた。二匹の狸は口を挟むつもりもないようだ。
莉々はあらためて天にしがみつき直す。この虫は常元虫と言うらしい。
砕花はその常元虫の入ったかごを通力で木の枝に吊るした。かなり長い紐で低くまで下ろす。青畝が仔狸で背が低いせいだろうか。
それから、恐ろしいことを言った。
「じゃあ、今度は俺のだな」
莉々がギクリとしたことなどお構いなしに、砕花が腕を振るうと、ブラックホールのような空間が開いた。前にあそこから妖狸を出し入れしたのを見たことがある。今回そこからゴロリと転がり落ちたのは、なんとも言えずおぞましい生き物だった。虫なのかもすでにわからない。けれど、林火は感心した様子で言った。
「へぇ、野守虫だね。さすが砕花。これなら青畝も飛びつくよ」
野守虫というけれど、虫というよりも爬虫類に近かった。緑の鱗に覆われた長い胴にトカゲのような手足が六本。爛々と輝く目と鋭い牙。獰猛そうなその生物を二十匹ほどの妖狸たちが必死で押えている。
そんな狸たちが可愛かったので、莉々は目が離せなかった。
「時に、林火は何を?」
鳴雪が訊ねると、林火はあっさりと笑顔で言った。
「あたしは大百足ですよぅ。すっごくでっかいのがいたんです」
ヒッと莉々が青ざめたのも無理はなかった。天がそんな莉々を気遣う。
「莉々、お前は家の中にいろ」
「で、でも……」
「夜、気持ち悪くて寝れなくなるぞ」
「あ、莉々殿が眠れなくなったら私が相手を――」
とすかさず言った鳴雪に、天は拳を握り締めた。鳴雪は笑顔を貼りつけたままその先を呑み込む。
「さて、じゃあ大百足も出しちまうけど、いいかい?」
林火が軽く首を揺らした。莉々は慌てて天が言うように家の中で待たせてもらおうと決めた。
「林火さん、ごめんなさい。ちょっと待って――」
するとその時、野守虫を押える妖狸たちに紛れて、いつの間にやらおかしな影があった。その影は妖狸たちよりは大きいけれど、明らかに子供だった。
「青畝!」
あまりに自然に紛れていた手下に、鳴雪はあんぐりと口を開けた。けれど、青畝は鳴雪に見向きもしない。
「野守虫にお目にかかれるなんて……」
うっとりと漏らした声は幼く舌ったらずだった。そして、皆に向けている後姿にはフサフサとした尻尾がある。それが左右にユサユサと揺れている。そんな様子が堪らなく可愛くて、莉々は虫の恐怖を忘れて見入っていた。
「ちゃんと記しておかないと」
何やら帳面のようなものに書き込んでいる。特徴などを書き留めているのだろう。
無視された鳴雪は切なそうだった。林火の時もそうだが、彼の手下はどうにも鳴雪を敬っていないように思われる。
そこで青畝はああっ、と大声を上げた。ようやく皆に気づいたかと思えば、それは大間違いだった。
「こんなところに常元虫が! うわぁ、すごい! 初めて見た!!」
なんともマイペースな仔狸である。放っておいたらずっとこのままかもしれない。
砕花は苛立たしげに、虫の観察に没頭していた青畝の首根っこをつかんで吊るし上げた。
「おい」
「ふひゃ?」
そこでようやく青畝は見慣れた三匹と見慣れない二人に気づいたのだった。まだ上手く化けられないのか、耳は砕花たちよりもはっきりと狸そのものだった。耳のついている位置も頭の上の方である。ボサボサ頭とどんぐり眼の青畝は、両手両足を垂らして吊るされた。
「サ、サイさん? リンさんと、メイ様まで……」
「緊急事態だって言ったよな?」
と、砕花は青畝に顔を近づけて凄む。青畝はうひゃあと声を上げた。
「い、言われましたようなどうでございましたか」
「言った」
有無を言わせぬ砕花に、青畝はタジタジだった。手足をパタパタと動かしている。
「言われましたそうでございました」
「緊急事態に単独行動とはいい度胸だ」
「ふわぁ、単独行動はおいらだけではないでございますよ。見えない顔がいっぱいでございますよぅ」
などと言い訳した青畝に、砕花は青筋を立てて雷を落とした。
「いい加減にしろ、このド阿呆が!」
「ぶえっ」
吊るされたままで頭を抱えた青畝に、砕花は容赦しなかった。
「子供だと思ってなんでも許されると思うなよ。お前は子供だろうと力を認められた百匹頭だ。お前の軽はずみな行動が、他の八百七の同胞の迷惑になると知れ」
叱られた青畝は、どんぐり眼にいっぱいの涙を溜め、そうして大声を上げて泣き出した。
莉々はそんな姿が可哀想でハラハラした。天や林火は口を挟まないことから、砕花の言い分を支持しているのだろう。
もちろん間違ってはいないのだが、少し言い方がきついのではないかと莉々は心配するのだ。
鳴雪もそう感じたのだろうか。そっと砕花を止めに入る。
「砕花、それくらいにしておいてほしい」
おろおろとした鳴雪に砕花がムッとした表情を向ける。
「きつく言わねば青畝は懲りぬ。お前もそれはよくわかっているだろう?」
「そ、それはもちろん。ただ、そうではなくて……」
鳴雪の言葉が、ポンという音に遮られた。大声で泣いていた青畝は、人型を保てなくなったのか、急に狸の姿になった。小さくて丸っこい仔狸の姿に。
もちろん、莉々はひと目で心を奪われた。虫のことはすっかり忘れて砕花の手からもぎ取るようにして青畝を抱き締めた。
「可愛い!!」
鳴雪は目に見えてショックを受けていた。
「ほら、やっぱり!」
わけがわからないのは青畝だ。見ず知らずの人間に抱き締められ、ぬいぐるみのように固まっていた。
「青畝は妖力は高いけれど、まだ化けるのが苦手だから、こうして集中を途切れさせるとすぐに狸型になっちゃうのよねぇ」
と、林火が呆れて言った。鳴雪が狸型禁止令を出す暇もなかった。
青畝は次第に危険を感じなくなったのか、莉々の腕の中で気持ちよさそうに撫でられている。じっとりとした視線でそんな青畝を眺めていた鳴雪は、横から手を伸ばして青畝の首根っこをつかんで莉々から引き離した。
「あっ」
「莉々殿、青畝との話が残っているのでな」
もっともらしく言うけれど、事実はどうであったのか。
「青畝、人型になんなさいな。大百足も出してあげるから」
林火がそう言うと、青畝はポンッ、と間髪入れずに人型に戻った。しかし、尻尾はやはり引っ込められないようだ。
「大百足!」
喜々とした青畝とは裏腹に、莉々が軽く悲鳴を上げて下がった。あんなにも足がある生き物とは生涯出会いたくない。
砕花は嘆息して切り出す。
「青畝、お前、俺たちが散り散りになったあの時のことと今の世界のこと、どれくらい理解している?」
「ん~? 最近、見たこともない不思議な虫を見る機会が増えましてございます。世界の異変は感じておりましたでございます」
「で、珍しい虫がたくさんいたから、鳴雪よりも虫を探してフラついたってことか」
天がそう言うと、見知らぬ人間に青畝は再び警戒の色を見せた。尻尾があるだけに他の狸よりも感情が読みやすい。
「メ、メイ様を呼び捨てにするなんて、サイさんくらいかと思ったら、なんなのでございますか、このヒトは?」
すると、鳴雪はにこりと笑った。
「天殿といって、この莉々殿の兄上だ。莉々殿は私の伴侶にと考えている。礼節は弁えるのだぞ」
「ぶぶぇ?」
莉々は毎回この紹介のされ方をするのかと、恥ずかしくなった。
人間の娘を伴侶になどと言う総帥に、青畝はどうリアクションしたものか迷った挙句におかしな声を上げていた。天は冷ややかに鳴雪を睨むが、鳴雪はお構いなしである。
「そういうわけで、二人とはしばらく共に旅をすることになる。仲良くな。……ちなみに、莉々殿の前で狸型になるのは基本禁止だ。お前の場合は仕方ない時もあるが、できる限りは人型を保て」
「うあぁ、メイ様ご無体でございますよぅ」
うろたえる青畝を林火はよしよしと宥めた。
「諦めなさいな。あんたもやればできるから」
「あうぅ……」
がっくりと肩を落とした青畝が少しだけ憐れだった。
そうしてその晩、食事の席では岩魚の塩焼きと蕎麦、夏野菜の糠漬けが出された。莉々が青畝に構うので、鳴雪は自分も構ってほしかったのか、やたらと莉々の視界に入ろうとしたが、莉々は鳴雪には構わなかった。
が、青畝はそんな鳴雪が気になって嫌な脂汗を流していた。
晩になっても莉々は青畝と一緒がいいと言い出してみたが、そこは林火に諭された。
いつも通り男女に分かれた部屋割り。男部屋は四人になり、雑魚寝の端に青畝がいる。青畝は常元虫や野守虫、大百足を妖狸たちを収めている空間に入れていた。また時間がある時にじっくり観察するのだという。
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皆が寝静まった丑三つ時、青畝は目を擦りながら起き上がった。隣にいた天が上半身を起こした青畝に気づいた。
「どうした?」
一応声をかけると、青畝は照れたように言った。
「ちょいと厠へ……」
トイレに行きたくなったと。思えばお漏らしをしても仕方のないような年だ。起きただけ偉い。
一人で行けるかと訊くのはいくら子供でもプライドに傷がつくだろうと思い、天はうなずいて見送った。
青畝は少し夜気の冷たい中、外に設置されている厠で用を足した。厠を出ると、晩夏の風情が広がっている。虫の声に耳を傾けると心が落ち着く。
「やはり虫はよいものでございますな」
そう独り言つ。
すると、青畝の鼻先を大きな蛾がかすめた。他の者ならば慌てて避けるところだが、青畝は狸火を出してよく見ると、喜んでその蛾を追う。
「ああ、あの紋はまるで顔のようだ! 面白い!」
虫の声に混ざり、青畝の軽やかな足音と鼻歌が夜の野に響いた。
翌朝、もぬけの殻になった青畝の布団を前に、一同は唖然とした。
【 参・鬼求代 ―了― 】