生ける伝説、我らがお母さん
~時は零葉が2人を打ち上げた直後まで遡る~
「一瞬マジで姉様に殺されるかと思った」
一仕事終えて木から降りた零葉がまず目にしたのは、ひと段落したために再び思い出してしまったのか狩葉が空をボーッと見上げてうわ言のように「単位が…単位がぁ…降ってこないよぉ…」と亡者のような虚ろな目をしながら体育座りの状態でひたすらブツブツと呟いている姿だった。
彼はその隣に腰を下ろすと、2人を打ち上げた方向を眺める。
2人の帰ってくる気配が未だに無いため、暇潰しがてら、本当のところは隣にいる亡者の独り言が物凄いウザいので気分転換させるつもりで零葉は質問を投げかけて反応を見てみることにした。
「姉様…あんな楽しそうな顔してどこ行ったんだ?」
「さぁ…お母さんも帰ってこないし、単位も取れないし…も、どーでもいいよぉ…」
相変わらず虚ろな目で答える狩葉に、零葉は隠す事なくヤレヤレと首を振ってため息を吐く。
普段の彼女ならば「何そのため息、アタシのせいなのかしら?」という一言と共に蹴りが飛んでくるのだが、案の定何もしてこないため零葉は質問を続けてみる。
「姉様、何か見つけたみたいだったけど、姉さんは見えたか?」
「ぜーんぜん。あの様子だと、お母さんも分かってなかったみたいだし」
「だよなー」
「そもそも、木の上にいたアンタに見えないモノが下にいたアタシに見えるわけないでしょ…ま、アタシの場合は既に明日が見えませんけどねぇ…」
しかし、狩葉は次の質問も最終的には自嘲しながらヘラヘラとした様子で答えてくるので、彼女のウザさによりストレスの限界値を余裕で振り切りそうになり零葉の表情が引き攣り始める。
「かっ…母さんが飛びながら泣き叫ぶ様が目に浮かぶよな」
「お母さん、高いところ嫌いだもんね…ところで話は変わるけど現役時代のお母さんってどんな人だったんだろ…」
「何だよ姉さん急にそんなこと。つか、俺に聞いても知ってるわけないだろ」
零葉が引き攣った表情のまま炸裂しそうなイライラを無理やり押さえ込みながら次の質問をぶつけた辺りでようやく現実逃避という名の亡者モードから戻ってきたのか、ようやくイライラせずに済むとホッとした零葉は狩葉の突然の疑問に首を傾げて考えるが、自分が知っているのは引退した後の主婦になった百葉だけだった為、彼女の昔の事は何一つ知らないのであった。
「聞く話だと凄かったって聞くけど…アレからじゃ想像できないよね」
「そうだよな。物心ついた時にはもう普通の主婦だったしな」
そう言って2人の頭には毎朝朝食を作るためにエプロンをかけて、キッチンで調理をするのだが、背が足りないので台に乗りながら調理する百葉の姿が思い浮かぶ。
「っていうか、今でも普通では無いわよ。主に外見が」
「確かに普段はあんなだし、とてもじゃないけどアレが成人してるとは初対面だったら誰も思わないだろうな」
そう言った狩葉が思い出したのは小学校の授業参観の思い出。
当然のように後ろで狩葉の授業の様子を眺めていた百葉が「狩ちゃんガンバレッ‼︎」と大きな声を出した際、先生から「狩葉ちゃんのお姉ちゃん、ちょっと静かにしててねー」と言われ、狩葉は恥ずかしさ半分、先生に訂正したい気持ちがごちゃ混ぜになり、その後の授業は解答を間違えたり、百葉が再度応援してきて先生に怒られるといった感じの事が繰り返して散々なものになってしまった。
それは百歩譲って良いとして、次に彼女が思い出したのは中学校の授業参観。
似たような状況で先生に言われたのは「魔殺さん、お母さんはどこですか?妹さんしかいないみたいですけど」と、母である百葉の方が妹に見られてしまい、「あれがうちの母です…」と真っ赤な顔で訂正する羽目になってしまったことを苦々しげに告白した。
「俺も似たような経験あるわ」と口を開いた零葉が持つ母関連の思い出は、ある日零葉と百葉が一緒に買い物していたのをクラスメイトに目撃されたのであろう、その翌日に周囲から「彼女いたのか?」「いつから付き合ってんだよ」「なんで零葉なんかに彼女がいるんだよ」などと質問攻めされ、否定しようと「あれは俺の家族だ」と発言したところ、更に勘違いをしたのか、「妹さん紹介してくれ」とか、「妹さん彼氏いんの?」などと結局、質問攻めは収まらずに勘違いされたまま訂正すら出来ずに揉みくちゃにされたことだった。
「挙句の果てには誘拐されちゃうし。でも結局、犯人たちはお母さん1人で病院送りになるくらいボコボコにされた上に、全員が小さい子を見たらその時の事がフラッシュバックしてパニック障害起こすくらいのトラウマ植え付けられたとか聞いたけど」
「アレってもう詐欺だよな…存在自体が違法レベルだよあの人は」
雑談、もとい愚痴や不満や不自由だったこと(主に母に関して)を爆発させ頭を抱える2人だったが、ふいに彼らの頭上から泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
咄嗟に上を見上げた2人の目に映ったのは泣き叫びながら自由落下真っ最中の百葉だった。
そんなパラシュート無しのスカイダイビングをしているパニック状態の母に2人はどうしたものかと焦り始める。
「びぇぇぇぇぇぇっ!!死ぬ!!死んじゃうぅぅぅっ!!」
「姉様、母さんの着地方法考えてなかったの⁉︎」
「さすがにアレをキャッチは本当に文字通り骨が折れるわよ⁉︎」
何か狩葉が上手いことをいってドヤ顔をしているのが視界の端に映った気がしたが零葉はそれを華麗にスルーした。
そしてこの状況に、ハッとして何かを思い付いた様に口を開く。
そんな零葉を見た狩葉は無事に百葉を着地させる良案を閃いたのかと期待したが、次の瞬間その考えが淡い幻想であったことを思い知らされる。
「親方ぁ!!空から女の子がぁ!!フッ…まさか、これをリアルで使う日が来ようとは…」
「んなことやっとる場合かぁ!!」
ふぅ…と、やりたかったことをやり切ってご満悦の表情に零葉に思わず狩葉もさっきの自分の放った一言を棚に上げてツッコミを入れる。
そうこうしているうちにも百葉の落下スピードはぐんぐん加速していく。
「もうダメかも…あれ?お花畑が見える…あ、お義母様がおいでおいでって…」
そして泣き喚き過ぎて、とうとう思考回路がショートしたのか、物凄いスピードで落下しながらワケの分からない事を口走る百葉。
「「いや、ばあちゃん死んでないし!」」
そんなパニック状態の百葉にツッコむ零葉と狩葉だが、その間にも百葉の目の前に地面が迫っていく。
「びゃあぁぁぁぁ!!地面!!近い!!あぁ…川の向こうでお母さんが手を振ってる……かたない…」
「それもっ!…あ、いや母さんの方のばあちゃんは3年前に死んじゃってたわ…」
「ていうかもう間に合わない!」
激突寸前、百葉が何か呟いたような気がするが母同様にパニックになっている子供たちの耳にそれが届くはずも無い。
そして狩葉が叫んだ次の瞬間、ズガァンッという凄まじい衝撃と音と共に砂煙が舞い上がり辺りを包む。
「げほっ…けほっ…お母さん、大丈夫!?」
「スッゲェ土煙…げほっ…」
あまりの事態に、百葉の無事を確認しようと目の前の砂埃を手で払い除けながら狩葉と零葉は前へと進むと、前方で人影が立ち上がるのを見つける。
「全く斬のヤツ…手足がビリビリしてるぞ。アタシだってこんな強引な着地すりゃ痛いものは痛いし。つーか、アタシがこんな無様な状態になることまであのサド娘のシナリオ通りだとしたら考えただけで腹が立ってくる」
しかし、砂煙の向こうに見えた影は小柄な百葉の姿とは似ても似つかない長身の人物。
その頭部から風に靡く影から長髪であり、線の細い体型からは女性という事が判断できた。
そして、2人はその人影に向けて半信半疑で呼びかけてみる。
「お母…さん…?」
「母さんなのか?」
その呼びかける声に気付いたのか、謎の女性は零葉と狩葉の方へ顔を向けたのが砂煙越しでも分かった。
その瞬間、零葉と狩葉が感じたものは「恐怖」。
斬葉に見つめられた時とは比べ物にならない程の威圧感と殺気、冷たい手で心臓を鷲掴みにされるような感覚。
幾つもの修羅場を乗り越えてきた2人でさえそれを感じさせる圧倒的な存在感。
謎の女性の何気無い動作で、一瞬にして2人は凍りつき身体が勝手に震えた。
「狩ちゃーん!!」
その直後、ボフッと土煙から飛び出してきたのはいつもの百葉。
狩葉はその小さな身体をしっかりと受け止めるが、先ほどの事もありキョトンとした表情を浮かべ困惑しているのが見て取れた。
あの威圧感、そしてあの女性は何だったのか、ようやく辺りに立ち込めていた砂煙が捌けたので、零葉は百葉が現れた方へと再び目を向けるがそこには当たり前のように誰もおらず、その代わりに地面にはクッキリと獣のような4つの足跡が残されていた。
「お母さん死んじゃうかと思ったよぉ…怖かったよぉぉぉぉ…」
そして当の本人である百葉はというと、号泣してその可愛らしい顔を涙と鼻水でクシャクシャにしながら狩葉の柔らかそうな胸に顔を埋めていた。
「こんなところで姉さんのムダにデカい胸が役に立つとは…」と零葉は心の中で呟く。
それでもやはり、色々と置いてけぼりをくらって茫然とするのを隠せない零葉と狩葉だった。
「零葉…アンタは後で殺すから…」
「わーお、バレてーら」
そして、再び心の中を読まれ狩葉からサラッと殺害予告を受けた零葉は表情を引き攣らせて頰を掻くのであった。