黒の獰乱
「やはり此処にも魔神は居ませんね」
「それどころかトツカさんも居ないですね。この間私たちが倒しちゃいましたし当然といえば当然なんですけど…」
狩葉が死闘を繰り広げる数刻前、斬葉とフィーナは迦楼羅の地下深くにある付喪神トツカの研究施設に再び足を踏み入れていた。
「それにしても斬葉さん、よく通気孔なんて見つけられましたね。一般人の住居の縁の下にあるなんて普通誰も気付きませんよ」
「これだけ地下深くの施設です、空気を取り入れる設備がなければダメでしょう?まぁ、そもそも彼女はあんなナリでも神ですし、その必要はなかったかもしれませんが。ですが私たちがあれだけ暴れても問題なかったということはその可能性を否定することになりましたからね」
研究所の瓦礫を退けながら斬葉が話を続ける。
「それとセレネさんに前以て研究所の構造図を見せてもらっていたので通気孔の存在は知っていました。後は研究所と迦楼羅の座標の照合と通気孔の位置の逆算だけすれば済みますから」
「あ、情報収集の為にと街をぶらついていたのはそういう理由もあったんですね?」
「さすがフィーナさんです、理解が早い」
そう、迦楼羅国内にいたはずの2人がどうやって門番や衛兵の監視を抜けてこの施設に来ることが出来たかと言うと迦楼羅国内に設置されていた通気孔を通ってここまで降りてきたのだ。
途中垂直落下しかけたり、換気用の大型ファンに巻き込まれかけたりと楽な道中ではなかったもののその甲斐もあってか誰にも見つかる事なく辿り着けた。
しかし彼女たちが見たのは数週間前と同じ、レプリカたちの残骸と無残に破壊された壁や研究設備が放置されたかつて研究所であったはずの廃墟だった。
当然生き物の気配は2人のもの以外無く、当てが外れたと肩を竦めた斬葉がその場を後にしようとした時、ヒビ割れて使い物にならないだろうと思われていたモニターの一つが勝手に起動する。
「……どなたか…いらっしゃいますか…」
「斬葉さん、これ!」
それに気付いたフィーナがモニターを慌てて指差す。
そこに映っていたのは斬葉の記憶が正しければトツカのサポートをしていたプロトタイプの機甲人の内の一体。
「貴女は確かプロト・Ⅰ…でしたか?」
「斬葉…様でしたか…ザザッ……ザッ…コアを…体に…続…プツッ」
モニターは壊れる寸前なのかノイズ混じりに何かを伝えようとするプロト・Ⅰだったがその途中で完全にブラックアウトしてしまった。
斬葉はそれでも彼女が伝えようとしている事を理解したのかモニター脇に接続されていた玉虫色のコアを外し、壁に凭れ掛かっていたプロト・Ⅰの本体に取り付ける。
「……何も起きませんね」
「斬葉さん、何をしようとしたんですか?」
「いえ、彼女がコアを本体に接続してくれと頼んできたので何かしら知っているかと思い起動させようとしたのですが…」
斬葉の行動をようやく理解したフィーナはふと彼女たち機甲人の特徴を思い出す。
「あ、起動のための魔力が足りてないんじゃ?」
「なるほど、そういう事ですか。試す価値はありますね」
フィーナの一言に合点がいったようで斬葉は左手をコアに添えて指先に魔力を集中させる。
10秒ほど魔力を送り込むとコアの輝きが増しプロト・Ⅰのボディから機械音声が流れる。
-魔力供給を検知、新規供給元の魔力を供給源として登録、起動
その音声が途切れると共に閉じられていたプロト・Ⅰの瞼がゆっくりと開かれ、斬葉とフィーナを交互に見やる。
「起動させていただいた事、感謝致します斬葉さま」
「二、三聞きたい事が。まずはトツカの現在の居場所を教えて欲しいのですが」
人間同様、機甲人も寝ぼけるのか初めはボーッとしていたプロトだったがトツカの名前が出た瞬間目を見開いた鬼気迫る表情で詰め寄る。
「そうです、マスターが!」
「ッ⁉︎」
ガッと肩を掴まれ不意の痛みに顔を顰める斬葉、プロト・Ⅰも試作品とはいえ機甲人その握力は常人の数倍はあり、斬葉も骨の軋む音を聞くほど。
しかしその手を払い除けるような事はせず優しく諭しながら質問を変える。
「…落ち着いて下さい、その様子だと私たちが去った後にトツカは戻って来たんですね?」
「…ハッ…申し訳ありません…その通りです」
優しく宥められてようやく彼女を掴んでいる手に気付いたのかそれを離して俯きがちに答えるプロト。
その様子からしてトツカの身に何かが起こった事は想像に難くなかった。
あれほどの実力者であるトツカを激しく争った痕跡すら残さず撃破できる存在。
そして今起こっている事とを繋げる事は斬葉にとって難しいことではなくすぐに結論に辿り着く。
「魔神…ですか」
その一言に無言で頷くプロト。
そしてしばらく間を置いて口を開いた。
「皆様に倒されたマスターの分霊の代わりにこちらにやって来た本物のマスターがヘブラムという魔神に神核ごと破壊されて消滅してしまいました…」
あれほど零葉、狩葉、斬葉を苦しめ追い詰めたトツカがただの分霊、トツカの力の一部だった事を知り眉を動かす斬葉。
それよりも彼女が耳を疑ったのはトツカの神核が破壊された事。
それは神にとっての死だと斬葉は剣術の師であったトツカから聞かされていた。
神が消滅したところで当然その信仰が無くなるわけではないが本来在るべき神は…。
思っていなかった出来事に斬葉でさえ言葉を失った。
無言の時間が少し続き、唐突に斬葉は立ち上がるとプロトに背を向けて歩き出す。
「斬葉さんどこへ⁉︎」
「魔神探しを再開しましょう」
その場を去る斬葉の背に縋るようにプロトが頭を下げて懇願する。
「……斬葉さま…身勝手な願いと承知してお願い致します…ですが、どうか…どうかマスターの仇を…」
「…彼女はあの世界では傾国のテロリスト、つまり私が捕まえるべき犯罪者…その報いが今来ただけです」
涙ながらに訴えるプロトに肩越しに振り向いた斬葉はあまりにも酷な一言を言い放つ。
その一言に再び嗚咽を漏らすプロトだったが斬葉は言葉を続ける。
「…ですが、本来私の倒すべき獲物を横取りされたのは気に食わない。それに、彼女がいなければ今の私は居ません…アレでも私が戦えるようになった恩人ですから、相応の返礼はするつもりです」
「斬葉さん…」
「ありがとう…ございます!」
斬葉の言葉にプロトは大粒の涙を零しながら深々と頭を下げて斬葉とフィーナはその場を後にした。
「斬葉さん、次はどこに向かいますか?」
「次は城に向かいます。城壁にヘブラムがいればあの2人が向かっているでしょうし、万が一でも遭遇して戦っていればすぐに分かりますからね。ですが、誰よりも先に彼女を見つけたいとは思っています」
再び通気孔を進みながらフィーナがこれからの行動を尋ねる。
すると斬葉はすぐに答えたがその言葉には隠し切れない怒りが滲み出していた。
「…何か危ない事を考えたりしてませんよね?」
「……」
斬葉の心情の変化を感じ取ったフィーナは不安げに声を掛けるが、斬葉はその質問に答えなかった。
「フィーナさん、手を」
「ありがとうございます」
無事、通気孔から這い出すと外はすっかり日が傾いてしまっている。
刻一刻とタイムリミットの迫る中、焦るそぶりも見せずに斬葉は後ろに続くフィーナへと手を差し伸べている。
すると2人の姿を大きな影が覆い隠し、頭上から声が聞こえてきた。
「おぉ、やっと見つけたぞ。ネズミのように床下をチョロチョロと這い回っていたようだな!」
斬葉の2倍はあろうかという巨躯の男はガハハと豪快に笑うと背負っていた戦斧を斬葉に向ける。
その戦斧も刃の部分が斬葉の胴体ほどもある巨大なものだったが、男の巨躯と斧を簡単に振り回す姿のせいでその大きさと重量感を一切感じさせていない。
「面倒そうなのが出て来ましたね」
男の暑苦しい言動の一つ一つに早くもげんなりとしている様子の斬葉は一瞬で肉薄すると男の胴体に幾つもの斬撃を叩き込む。
「今の私は機嫌が悪いので早々に片付けさせてもらいます」
「ぐおっ…っとぉ、んなツレないこと言うなよネーちゃん!」
「ッ⁉︎」
黒椿を納めようとした斬葉が驚いたように目を見開いてその場から飛び退くと、彼女が今しがた立っていた場所へ横薙ぎに斧が振り抜かれた。
「妙ですね…再起不能とは行かないまでも何事も無く動けるほど手を抜いたつもりはなかったのですが?」
空中で器用に体を捻り反転した斬葉は着地しながら地面を滑ると男を訝しげに見つめて首を傾げる。
男は彼女の斬撃を受けたとは思えないほどの快活な動きで斧を再び振り回す。
「ガハハ!今のが攻撃か?撫でられただけだと勘違いしたぞ」
挑発しているのか遠回しに斬葉の攻撃を弱いと言い放った大男、しかし斬葉もそんな安い挑発に乗るほど対人経験が無いわけもなく冷静に状況を判断する。
「ふむ、妙に手応えが薄いですが流石に一手ではカラクリは分かりませんね…だったら手数で圧倒するまで!」
「甘いなぁ、オレのことを見くびって貰っちゃ困る。ちょっとばかし動きが早い程度じゃオレの攻撃は躱せないぞ」
「ガハッ⁉︎」
一瞬考える様子を見せたもののすぐに攻撃態勢に切り替えた斬葉は、踏み込むとあっという間に男の懐に潜り込む。
普通の動体視力では到底捉えられないような人間離れした間合いの詰め方を見せたが、驚く事に男は視界で彼女を捉えていないにも関わらずニヤリと笑って斧ではなく男自身の拳を真っ直ぐに繰り出してきた。
男の予想外の反応速度に対応出来ず、斬葉の腹部に男の拳が突き刺さるのではないかという程深くめり込み、堪らず斬葉は20mほど後方に吹き飛ばされてしまう。
何度か地面を跳ねながら既に避難が終わり空き家になった民家の一つを大きく破壊して崩れた民家の瓦礫の下敷きにされてしまう。
「斬葉さん…キャッ⁉︎」
「おっと、獣人のお嬢ちゃんはこっちに来な。下手に抵抗しなけりゃ何もしやしねぇよ」
ほんの数秒の出来事に呆気に取られていたフィーナもあれ程の強烈な一撃を受ければ流石の斬葉でもタダでは済まないだろうと思い急いで駆けつけようとするが男に腕を掴まれ無理やり引っぱられてしまう。
「離してください!」
「大人しくしなって、お嬢ちゃんもあのネーちゃんみたいになりたくないだろ?」
「邪魔しないで…」
「お?」
男の力は凄まじく、獣人であるフィーナが必死に抵抗しているにも関わらずその手を振りほどく事が出来ない。
最後の手段として残していた真獣覚醒を発動しようと黄金の輝きを纏おうとするフィーナだったが、それよりも先に瓦礫が弾け飛び男の横っ面が殴られる。
何が起きたか流石の男もすぐには理解出来なかったのか思わずフィーナを掴んでいた手を離す。
「キャッ…⁉︎」
「無事ですか?」
急に男の手が離れた事で体勢が崩れたフィーナを抱き止めたのは斬葉。
しかし彼女の服は民家に突っ込んだせいか、あちこちボロボロになっており、そこから覗く肌にもいくつもの切り傷や擦り傷が見受けられる。
「斬葉さん無茶しないでください!」
「っ…呼吸するだけで痛むとなると肋が何本か折れましたかね…。とはいえこの程度無茶の内には入りません…ッ…よ?」
当然フィーナはボロボロの斬葉を心配するが、彼女は心配されていることも気にした様子もないまま肩が外れているのかダランと力無く垂れ下がっている左腕を地面に付けると短く息を吐いてゴキッという嫌な音を鳴らして無理やり外れていた関節をはめる。
そしてまだ痛みがあるはずの左手を何度も動きを確かめるように握り拳を作っては解く事を繰り返し、問題がないと分かると鼻から溢れる血を乱暴に拭った。
「おー、今のは効いたぜネーちゃん。そういや名乗ってなかったな…オレは教会で大司教を務めるガンドルフ・ローゼンガンプっつーモンだ」
斬葉の拳の一撃を受けて尚、よろめく様子すら見せない男は大きく腕を広げてようやく名乗る。
「こんなのが大司教とかどんだけ脳筋な宗教なんですか」
「大司教クラスがこんなところに…斬葉さん気を付けて下さい、あの人の所属する教会は獣人族の間では"戦狂師の巣窟"と呼ばれる傭兵集団、彼はそこの幹部クラスの人物です!」
誇らしそうに名乗りを上げたローゼンガンプだったが"教会"が何なのかを知らない異世界人の斬葉には一切伝わらず、宗教派閥の一つだと勘違いして呆れ顔を浮かべているが、一方で男の正体を知ったフィーナが慌てて斬葉の勘違いを訂正する。
「今頃お前らの仲間も他の大司教が相手してるはずだ。無意味な抵抗はしないに越したことはないぞ?」
「大人しく投降しろと、随分と自分の力に自信があるのですね。その自信、粉々にブチ壊したくなる!」
何が気に食わなかったのかいつも冷静な彼女からは想像もできないほどの明確な殺意を剥き出しにさせてローゼンガンプに斬りかかる斬葉。
そんな彼女の様子にフィーナは再び違和感を覚えるが、その考えが纏まるよりも先に交わった2人の剣戟の音が街中に鳴り響く。
「ガハハ!ヤるなネーちゃん良い殺気だ!だが…」
「かはッ!」
「オレを仕留めることに執着し過ぎて隙だらけだぜ!」
速さでローゼンガンプを翻弄しようとする斬葉だが攻撃を与えようとする度、彼女のスピードを上回る反応を見せて一撃一撃が重すぎる拳打を的確に打ち込んでくる。
「2対1ならば!」
衝突する度一方的にボロボロになっていく斬葉を目にしてとうとう我慢しきれなくなったフィーナは真獣覚醒するとローゼンガンプに飛びかかる。
「まだ足りん!」
斬葉と真獣覚醒したフィーナを相手にしても一切引けを取らない身体能力、普通の鍛え方では到底到達出来ない次元。
ローゼンガンプが戦いに関して言えば斬葉を遥かに上回る天性のものを持っていることの証明でもあった。
「このヒト本当に人類ですか⁉︎」
「この世界の人間にも一握りの規格外が存在するということですか…厄介極まりない…」
「そりゃアンタも同じだろうネーちゃん。アンタの動き、ヒトを斬る為の動きなんて次元じゃねぇ…だが、その程度じゃあ俺を斬ることはできねぇぞ」
その言葉を耳にして眉が微かにヒクついた斬葉は何を思ったのか黒椿を地面に突き立てて頭を掻き毟る。
「…ヒト如きがどこまでも癪に触る…だったらお望み通り、ここからは殺す気でやらせて貰うか」
そう告げた斬葉の足元に魔法陣が浮かび上がる。
初めは彼女の能力である無限の武器庫を発動させたのかと攻撃の手を休めるフィーナ。
しかしいつもと様子が違い、魔法陣に黒椿が呑み込まれ代わりに長い柄が飛び出す。
「…黒鎌・禍ツ薔薇」
彼女が呪詛を吐くように呟き、引き抜いたのは漆黒の刃を持つ鎌。
しかしそのサイズは彼女の身の丈の倍以上はあろうかという長大なものであり、まさしく死神の鎌と呼ぶに相応しい禍々しさを放つ一振りである。
「貴様を斬り刻む事にここからは一切の手加減はしない、ヒューマン風情がどうやって最期の刻を前に無様に抗うのか見せてもらうとしようか」
普段は冷静沈着な彼女らしからぬ、怒気を交えた雰囲気で言い放つ斬葉。
フィーナはそんな彼女の豹変に本能で恐ろしいものを感じずにはいられなかった。