崩壊の序曲
「何だ⁉︎」
突如轟いた爆発音に、驚いて外に飛び出した零葉。
周囲を見回すと、城のある方角から煙が立ち昇っている事に気が付く。
少し遅れて出てきたヴァルと百葉も煙を目にして表情が一変、険しいものになり口を開いた。
「あれって城がある方じゃねぇか?」
「零くん、お城が攻撃されてるみたいよ?外から砲撃されてるみたい、それよりも被害が街にまで出てるのは少しマズイわね」
猫のような軽い身のこなしで屋根に登った百葉、そこから見える景色は凄惨なものだった。
城と美しい街並みは今、黒煙と炎に包まれ、逃げ惑っているのであろう住民たちの悲鳴が時おりここまで届くほど。
あまりの突然の出来事に唖然とする零葉だったが、そうしている間にも爆発音と砲撃のような轟音は絶え間なく続いていた。
「クソッ、思ったより早かったな…完全に後手に回っちまった。急ごう、フィーナだけじゃなくライゾットさんも危ないかもしれない」
荷物をまとめようと3人が家に戻った直後、ドアが勢い良く開け放たれる。
襲撃かと思い身構える3人だったが、そこにはライゾットの城で見かけたヒョウ耳のメイドが肩で息をしながら立っていた。
思ってもいなかった訪問者に眉をひそめる3人。
「奥様!…アナタ方は……」
「アンタこそ何で城のメイドがこんな所に?」
「エレメイラか、外の騒ぎは何事だ⁉︎」
彼女の訪問にいち早く反応したのはエレメイラだった。
エレメイラは飛び込んできたメイドにかけたのだろう、奥の部屋から焦った声で訊ねる。
切羽詰まった状況の最中、零葉たちはスラム街に住んでいるエレメイラと王城のメイド、一見結びつきの全くないはずの両者による会話の一部が頭の中で疑問符を生み出していた。
「メイドと同じ名前…?」
「朝からドッカンドッカン…いったい何事ですの…?煩いですわよ…」
「師匠…来客ですかぁ…?」
その時すっかり話についていけないであろう、起きたばかりで髪はボサボサ、目元を擦りながらうつらうつらとしているコゼットとリリアナが寝室からリビングに顔を出す。
そんな女子力の欠片もない2人のうち、リリアナを見たメイドの表情が驚きに変わる。
「リリアナ様、何故このような場所に⁉︎」
「あら、誰かと思えばお城のメイド長さん…御機嫌よう…」
未だに寝ぼけ半分のリリアナは呑気にメイドへ会釈をする。
どうやらメイドが何故この家にいるのかには寝起きのせいで頭が回らないのか全く気にしていないようである。
「リリアナ…ゴルディエール家のか?」
「そういえば、すっかりコゼットのお師匠さまにご挨拶が遅れてしまっていましたわ…」
寝ぼけたままのリリアナは思い出したようにフラフラとエレメイラのいる奥の部屋に入っていった。
「ご挨拶が遅くなり失礼いたしました、ワタク…シ………⁉︎にみぎゃあぁぁぁ⁉︎」
刹那、奥の部屋からリリアナが飛び出してきた。
その表情は信じられないものを見たという驚愕に染まったものだった。
「な…なな…何故アナタ…いえ、貴女様がこのような所に⁉︎」
「奥様、至急国外へお逃げ下さい…城内にて謀反が発生致しました。ライゾット様は反逆者の不意討ちにより重傷、賊は鳥人、蟲人を含めた数百の軍隊を形成して城の内外から攻撃中。また、城内の衛兵の複数が関与しています。城下に被害が及ぶのも時間の問題かと」
パクパクを口を動かして絶句しているリリアナを余所にメイドがエレメイラの前に跪いて現状を報告する。
「…どういう事だ…彼らとは同盟を結んでいたはずでは?…それを今考えても分からないか…それよりも国民の避難は」
「現在、加担していない衛兵を分散させていますが、発生したばかりという事と後手に回っているという事でいまだ避難率は4割程度かと」
「あの、水を差すようで申し訳ないんだけど、何がどうなってるんだ?」
空気が読めないと思われるのは重々承知で、零葉はエレメイラとメイドの会話に割って入ると、メイドが血相を変えて跪いたまま彼を見上げる。
「王妃の御前であられるぞ!この方はライゾット王が第一王妃、レオナ・イーシア・レオリオン様であられる!」
零葉の腕をグイッと引っ張って自身の隣に跪かせたメイドが大仰にエレメイラの本当の名前を明かすが、いまいちピンと来ていないのか零葉はキョトンとしている。
その様子を見かねたのか横からセレネが耳打ちしてきた。
「レオナ王妃はライゾット王の奥様で、10年前消息不明になったはずでした。そして何よりも、フィーナさんの実のお母様です」
「………フィーナのお袋さんだぁ⁉︎」
耳打ちされて尚、ポカンとしていた零葉だったが、一拍置いて目を見開いて後ずさった。
零葉同様に驚いているヴァルと、何か納得したように「なるほどね」と呟く百葉。
「フィーナ?君たちはあの子を知っているのか?」
「知ってるも何も…仲間だし」
「そうか…それならば安心だな。で、あの子は今どこに?」
レオナのその質問にピシッと固まる一同。
自分たちの記憶が正しければ彼女は10年前の事件の際、フィーナを命懸けで国外へ逃がした。
自身の命よりも大切な娘が再びこの国に戻り、ましてや今現在戦場と化している城の中にいると知ったらどうなるか想像に難くなかったからである。
「リフィナス様なら今は城内のどこかに…」
どうにかして話をはぐらかそうと巡らせていた思考を、能天気メイド長のエレメイラがあっという間にぶち壊してくれた。
「うぉぉいっ!何ソッコーでバラしてくれてんだアンタはぁ‼︎」
「えー、だって見え見えのウソ吐こうとしてたんで、バラしても同じかなーって。ワタシ人類なんて知恵の付いたサル程度にしか思ってませんから、一度くらい痛い目見た方が宜しいのではというワタシなりの配慮ですよ」
「後半のは完全に本音だよな⁉︎」
エレメイラの肩を掴みガクガクと揺さぶる零葉だが、横から流れてきた凄まじい怒気に再度フリーズしてぎこちない動作でそちらへ視線を移す。
案の定、そこには拳をキツく握り締めてワナワナと震えるレオナの姿があった。
直感的に殺されるかもと思った零葉は慌てて弁解しようとまくし立てるように喋り出す。
「…えーっと…これは違くて……いや、そうじゃないんですよ、手違いと言いますかなんと言いますか。とにかくここに来るまで俺たちまさかフィーナが皇女だなんて知らなくて!」
「はぁ…今更過ぎた事を咎めても仕方がない。それに、君たちの事だ、君たちなりの考えがあってあの子をこの国に連れて来たのだろう?」
大きく息を吐き拳を下ろしたレオナは、いたずらっ子を怒る時に向けるような困った様子の笑顔を零葉に見せた。
その話題をそこでスッパリと終わりにして、彼女は手をちょいちょいと動かしてエレメイラを傍に呼び寄せてある事を頼む。
「エレメイラ、一つ頼み事があるのだが聞いてくれるか」
「何なりと、奥様」
「お前はこれから彼らを隠し通路から城の中に案内するんだ、その後は城に残っている者たちと合流、逆賊どもの城内への侵攻を可能な範囲で食い止めるんだ」
「承知しました…ですがそれだと奥様の避難が…そもそも何故このサル共を再び我らの神聖な地に土足で上がり込ませなくてはならないのですか?」
「彼らしかこの事態を打開出来る者は居ないということだ。流石に無策で娘をこの国に連れ帰った訳ではないのだろう?それに私のことならば心配には及ばない、心強い弟子もいる。コゼット、すまないが手伝ってくれるか?」
「何で…黙ってたの…?」
「コゼット…?」
「アタシは皇女様の代わりでしかなかったんだな…師匠は裏切らないと思ってたのに…」
「おい!外は危ない…」
「お待ちになって下さい!」
急過ぎる展開に頭の整理が追いつかないのか、それとも信じていた師匠であるレオナに隠し事をされていたのが余程ショックだったのか涙を零して家を飛び出してしまったコゼット。
追い掛けようとした零葉を止めたのは意外にもリリアナだった。
「ネコ娘…」
「その呼び方、今更ツッコミませんわよ……きっとコゼットは1人ぼっちになるのが怖かったんですのよ」
「そんな事するわけ…」
リリアナがコゼットの心情を代弁し、それをレオナが否定しようとした時、すぐ近くに爆発が起こる。
ズズンッという地鳴りと共に爆発の衝撃波が窓ガラスを激しく震わせる。
「うーん、黒幕さんは2人が仲直りするまで待ってくれるつもりはないみたいね」
「一刻の猶予も無しか…俺たちはエレメイラさんと一緒に城へ、レオナさんはリリアナと一緒にコゼットを探しつつ住民の避難を」
「分かった。零葉くん、この国を…フィーナを頼む」
「国ごと救えるかは分からないっすけど、仲間の1人も救えないようじゃ魔殺の名折れですから」
「フッ…それは頼もしいばかりだ。すまない、任せたぞ」
レオナの言葉に黙って頷いた零葉が飛び出したのを皮切りに、その背中をエレメイラがすぐさま追い、ヴァル、セレネが続く。
最後に残った百葉はレオナの方へ振り返り微笑んだ。
「貴女にとってコゼットちゃんも大切な娘なのよね?だったらそれをちゃんと伝えてあげて…人類も獣人も大切な事は言葉にしないと自分の想いは伝わらないんだから」
「そうだな…助言、ありがとう。気を付けて…」
「貴女もね」
強き母たちは自分の目的を果たすべく、互いに別れを告げる。
「エレメイラさん、今回のクーデターの主犯は?」
「アナタに教えるのは本当に心の底から反吐を吐きそうなほど不本意ですがお教えします。伝令のためすぐさま飛び出したのでそこまでは不明…ですが、賊は突然城内に現れたので何者かが手引きをしたと見て間違いないかと」
スラム街を疾走しながら並走するエレメイラに質問をぶつけてみるが返ってきたのはある程度想定していたの答えだった。
「やっぱり黒幕はライゾットさんの部下の誰かだろうな」
「皆さん、こちらです」
唐突にエレメイラが立ち止まり、それに合わせて4人は一軒の民家の前で立ち止まる。
外観は周囲に立ち並ぶ民家となんら大差は無く、窓から中の様子を伺うと、人の気配どころか家具の一つすらない殺風景な内部だった。
そしてクルリとこちらに振り向いたエレメイラが民家を指差す。
「ここが隠し通路の入り口です」
「今更ながら聞いておくけどそんな重要な事、部外者の俺たちに教えて良かったのか?」
「えぇ、勿論良くありませんとも。状況が状況でなければ斬首刑でも良い方です。オマケにそれを教えるのがよりによって人類だなんて…ですが今は緊急事態、イレギュラーを認めざるを得ない状況ですから」
彼女も今回の内乱の首謀者同様、獣人至上主義の立場なのだろう。
しかし、零葉たちに協力したりレオナに従っていることを考えると、彼らのような過激思想の持ち主ではないようだが、それでも本音を漏らす辺りは零葉たちをあまり好いてはいない事が伝わってきて思わず苦笑する。
上辺だけの御託を並べられるより、信用できる相手だと判断したからである。
そして、彼女が民家の扉を開けると、空き家の内部には繋がっておらず、代わりに地下へとまっすぐ伸びている真っ暗な階段が口を開いていた。
「暗いですから足元にお気を付けを」
そう言いつつ、自分は夜目が利くのかスタスタと降りていくエレメイラ。
当然、後続の零葉たちには足元すら視認できないので壁伝いにゆっくりと一段一段確かめつつ降りていく。
「母さん、俺のリュックから懐中電灯取ってくれない?」
このままではエレメイラに置いて行かれる、そう判断した零葉は真っ暗闇の中、そこにいるであろう百葉に声を掛ける。
零葉の頼みに百葉は無言で彼の背負うリュックをゴソゴソと漁ると中から懐中電灯を取り出して手渡す。
「何ですかそれは。ここでは魔法は使えない様に結界が張られている筈ですが…」
背後で突然着いた明かりの方へ振り返ったエレメイラは、眩しそうに手で目を軽く覆うと怪訝そうな表情でこちらを見る。
「こりゃ、文明の利器だ。気にしないでくれ」
「本当にあなた方は不思議な人たちですね」
「よく言われる」
ようやく階段が終わり、そこは長い横穴になっていた。
再び振り返ったエレメイラがさらりと恐ろしい事を口にし始めた。
「まだここは敵には見つかっていないようですね。進む前に一つ忠告を。絶対にはぐれないでください。侵入者除けのために迷いの結界を張り巡らせてありますから、もしはぐれて迷えば死んでも出られませんので。ですがご安心を、キチンとした手順さえ守ればそのような事は万が一でも起こり得ませんから」
「本音は?」
「マジ同じ空気吸うのも気持ち悪いので、さっさと迷っておっ死んでくださいな」
「絶◯要◯もビックリの殺人迷宮だな」
もう既に慣れたエレメイラの毒舌を軽く聞き流しながら彼女の後に続く。
しばらく右に曲がったり左に曲がったり、階段を上ったり下りたりしていた一行だったが、エレメイラに先導されているおかげか、あっという間に出口らしき扉が暗闇の中から浮かび上がるように突然彼らの目の前に姿を現す。
「ここから先は城内部に突入することになりますので、くれぐれもご注意を」
そう言って扉を少し開け、外の様子を伺うエレメイラ。
どうやらレオナから命令を受けた手前、率先して危険な偵察役を買って出てくれるようだ。
「進路クリア、行きましょう」
隠し通路の出口は城内の客間の一つだろうか、高価そうな家具が揃得られた部屋に備え付けてある暖炉の奥に繋がっていた。
運良く部屋には敵がうろついている事も無いようで意外にもすんなりと城内へ侵入することができた。
「先ずは味方を見つけましょう、行動よりも先に情報が必要です」
全員部屋に入り終えると後ろで隠し通路の扉が閉まる音が聞こえた。
そしてエレメイラの言葉に全員が同意し頷いた瞬間、部屋の扉が激しく開け放たれる。
当然身構える零葉たちだったが、入ってきた人物を見てエレメイラが安堵の息を吐く。
「アル、無事でしたか」
「メイド長の方こそ、よくぞご無事で。奥様のご様子は?」
アルと呼ばれた腕が翼になっている獣人、つまり鳥人もエレメイラを見て安心したのか翼で胸をなで下ろす。
「奥様も無事でした。それも大事ですが、現在の状況は?」
「はい、現在城内の複数箇所にて逆賊に対して衛兵、メイド部隊が戦闘を繰り広げております。ですが、逆賊に加えて大臣数名とその支配下にある軍人百数人が離反、防戦一方になっていて防衛線が破られるのは時間の問題かと…」
アルの報告を受け苦虫を噛み潰したような難しい表情を浮かべるエレメイラ。
既に怒りは頂点らしく額と拳に青筋が浮かんでいた。
「己が保身のために我らが王に反旗を翻すとは…獣人の面汚しどもめ…殿下は今どちらに?」
「殿下は蟲人の長、ガイザ氏の奇襲を受け深手を。今は隠し部屋にて応急処置を施しております」
「アル、アナタは一度下がりなさい…前線にはワタシが出ます」
「でしたらワタシも…」
アルの進言を首を振って却下するエレメイラは零葉たちを見やる。
「その代わりに彼らの道案内を。彼らはこの国を救えるかもしれない唯一のカギです」
「どういうことです?」
エレメイラの言葉が理解できないアルは首を傾げるだけだが、その時、曲がり角から蟲型の獣人とアルと似た鳥型の獣人が複数名現れる。
彼らはこちらを見つけると奇声を上げながら襲い掛かってきた。
「キシャアァァァ!」
「ケェェェェ!」
「行きなさいアル、これは命令です!」
飛び掛かってきた敵兵を強靭な腕力で薙ぎ払うと彼らの来た道とは別の方向を指差すエレメイラ。
アルは後ろ髪を引かれながらも命令に逆らう事はせず上司に背を向け走り出した。
「皆様も早く!」
「エレメイラさん、死なないで下さいよ!」
「お互い様です」
零葉たちの背中が曲がり角に消えるのを最後まで見送ったエレメイラは、再び立ち上がった敵兵に目を向けて指を鳴らす。
「我こそはモニカ・エレメイラ。誇り高き王都守護騎士団特別隊隊長なり。我が王に刃を向ける不届き者たちよ…主君に捧げし、この拳で粉砕してくれる!」
「エレメイラさんのこと、本当に1人にして良かったのか?」
「あの場では誰かが食い止める以外時間を無駄にせずに済む方法はありませんでした…それに見縊らないで下さい…ワタシたちのメイド長はそう簡単に死ぬ方なんかじゃありませんから!」
「信用してるんだな」
「もちろんです、ワタシもメイド長もこう見えて元は騎士ですから。ところで皆さんは何故ここに?」
「フィーナがどこにいるか分かるか?」
廊下や部屋を次々と走り抜けながらアルに並走する零葉が1人あの場に残してきたエレメイラへの心配を口にするが、泣き出しそうになりながら自分たちのリーダーの強さを自身に言い聞かせるようにして涙を堪えているアルの様子を見てバツが悪くなった零葉は無理やり話題を変える。
「申し訳ありません、姫様の消息は王殿下襲撃の時点で既に不明で、城内のどこにもいらっしゃらないのです。ただ一カ所を除いてですが…」
「その一カ所ってのは?」
「玉座の間です。姫殿下の捜索で入ろうとしたのですが、何故か魔術的な細工によって扉が閉ざされていたんです」
「そんで、原因究明の前に攻撃が始まったのか」
「はい」
零葉はそれを聞いて頭上を飛んでいたヴァルと目配せして頷く。
「じゃあ目的地は玉座の間で決まりだな」
「でしたら玄関ホールに向かいましょう。ここからですとそれが最短ルートです。この扉を抜ければホール脇に出ます!」
廊下の突き当たり、備え付けられていた扉を抜けて玄関ホールに飛び出した一行を待ち受けていたのは無数に光る赤い眼、バスケットコートほどの広さがある玄関ホールは敵の獣人たちで埋め尽くされていた。
「これは予想してなかったって言えばウソになるけどよ…いくら何でも多すぎじゃね?」
向けられた無数の殺意にガックリと肩を落として大きくため息をつく零葉、他のメンバーも同じ気持ちのようで白目をむいていた。
「とは言え、時間もねぇし無理やり通してもらうしかないか」
観念したのか零葉は手元に魔法陣を発動させると、そこから大剣"永劫"を抜き放つ。
そして彼が先頭をきって飛び出すと続いてアルを除く全員が敵目掛けて切り込んでいった。
「凄い…あの人たちは一体…」
アルは目の前で起きている光景に驚嘆の声を漏らす。
獣人よりもずっと遥かに劣る身体能力しか持たない人類、しかし彼女の目に映る人類は剣1本で何体もの獣人たちを薙ぎ払い、彼らを次々と地に伏せてゆく。
それだけでは無い、数十年前まで相入れることのなかった人類以外の種族であるはずの機甲人、龍までもが、自分と大して年の差もない少年に背中を預け、繋がりなど濃くもない獣人国の姫君を救おうと共に戦っている。
アルはエレメイラの先刻の言葉、その意味が少しだけ理解できたような気がした。
「ザッとこんなもんだな」
多少の傷は負いながらも群がっていた敵を全て蹴散らした零葉たち、その場を後にしようとホールの半ば辺りまで進んだ時、周囲に異変が起こる。
「グガッ…」
「ゲギッ…」
倒れていたはずの敵兵のうち数体が不自然な動きで起き上がると、それが続々と他の兵にも伝播して何事も無かったかのように起き上がる。
ただ先程までと明らかに違うのは、手足や首があらぬ方向へ向いているにも関わらず、その顔が苦痛に歪んでいる様子もなく目の前の目標を食い殺すという狂気にも等しい闘争心だけだった。
「洗脳の類か?」
「いんや、どっちかって言うとあちこち弄くり回された結果ぶっ壊れたって感じだな」
今起きている不気味な光景に零葉たちも息を呑む。
変化はこれだけに留まらず、敵兵たちの身体が僅かに震えたかと思いきや、それぞれの身体の至る所が隆起、変形しその姿を異形と化してゆく。
「こいつら全員が覇獣個体だってのか?」
「それにしては様子がおかしい…こりゃまさか…」
「神獣化…」
敵兵だった者たちは今や全てが巨大な鳥や昆虫そのものになっており、零葉たちを捕食対象と見なしたのか鋭い牙や嘴をガキンガキンと打ち鳴らして威嚇してきた。
「避けろッ!」
零葉が叫び全員がその場を離脱した次の瞬間、巨大なカワセミが弾丸のように落下してきて床に嘴が埋まるほどの勢いで突き刺さった。
「あんなの食らったらひとたまりも無いわよ⁉︎」
百葉でさえ予測の範疇を超える展開だったのか目を丸くして飛び退いていた。
「こんなに覇獣個体が大量に現れるなんて有り得ません…そもそも覇獣個体は王族のごく限られた一部の者にしか遺伝しないはず…」
「クソッ…どうやったらこの状況を切り抜けられる…」
"そもそも姉様たちを欠いた俺にそんな事が出来るのか…"
心強い2人の姉たちの不在が零葉にどうしようも無い絶望感を与える。
この窮地を何とか脱しようと必死に思考を巡らせるが、すぐにそれを絶望が掻き消す。
「俺じゃ…無理なのか…?」
思わず剣を握る手から力が抜ける。
膝から崩れる零葉の様子を見ていたセレネは彼の前に立つと、掌をそちらへ向けた。
「諦めるのですか?」
「ッ…そんなつもりじゃ…」
「でしたら先ほどの言葉の真意は?」
「それは…」
言い淀んだ零葉を見てセレネが溜息と共に向けていた腕を銃身へと変える。
その銃口はまっすぐ零葉へ向けられていた。
「アナタがこれ程度で挫けるようなつまらない方だとは思いもしませんでした…期待はずれもいいところですね…」
ドウゥッという駆動音に伴って砲身に魔力が充填されてゆく。
しかし、それを止める者はいない、百葉たちは神獣たちに掛かりきりになっているのだ。
「もう少し面白みのある方だと思っていたのですが残念です…サヨウナラ、零葉さん」
「零葉!」
「零くん!」
「ゼロハさん!」
至近距離で放たれた砲撃、目前に迫る死を目の当たりにして零葉の脳裏には走馬灯が駆け巡っていた。
"やっぱり、姉様たちみたいにはなれないのか…"
"零葉さん…助けてッ…!"
諦めかけた零葉の耳に聞こえてくるはずの無いフィーナの助けを求める声が聞こえた。
その瞬間、身体が勝手に動き出して普通であれば回避など不可能な超至近距離の砲撃を大剣で真っ二つに切り裂いた。
掠った砲撃で僅かに身を焼かれながらも彼の瞳には再び光が宿っていた。
「悪いセレネ…ちょっとだけ弱気になってた。でも、もう大丈夫だ。フィーナを助けに行くぞ」
「……世話が焼けますね…ですがそれでこそワタシのお慕いする方です。道を開くのであればお任せを」
再び立ち上がった零葉にセレネは優しく微笑むと銃口を今度は獣たちに向けて零葉に放った時の数倍の威力であろう濃密な魔力の塊を撃ち出した。
「スッゲ…」
床が余波で抉れるほどの強力な魔力砲に舌を捲く零葉をセレネが鼓舞する。
「さぁ、旦那さま道は開けました。アナタの前に立ちはだかる壁は多く大きいものだと思います…ですが、それを御構いなしに壊せる力を他でも無いアナタ自身が持っている事を忘れないで下さい」
「ありがとうセレネ。そうだよな、俺は俺に出来ることを全力でやるそれだけだ!」
そう言ってセレネが切り開いた扉までの道を走り出す。
途中、再び起き上がった神獣たちが襲い掛かってくるが、セレネやヴァル、百葉とアルがそれを阻む。
「ゼロハさん、援護します!」
「旦那さまには指一本触れさせません」
「とりあえず強行突破しかねえよな!」
ようやく扉に辿り着いた一行、すぐにその向こうへと飛び込むが神獣たちの追随は止まらない。
「このままじゃ玉座の間までついて来るぞ、どうする零葉」
「ワタシが足止めします!」
そう言って玄関ホールに戻り神獣たちの前に立ちはだかったのはアルだった。
絶望的に不利な状況であるにも関わらずアルは臆する事なく剣を抜き放ち構えた。
「無茶だ、これだけの数を1人で相手にするなんて!」
「ここで逃げては戦士の名折れ、この戦いで散る運命ならば1秒でも多く国の為に戦いたいんです!」
しかし、そんなアルの横に並び立つ者がいた。
「旦那さま、進んで下さい。2人ならば不安も解消されるはずです」
「セレネ!」
飛び出したセレネに零葉手を伸ばそうとするがその腕を百葉が掴んで止めさせる。
「零くん、女の子の覚悟を無碍にするつもり?あの子は命懸けで時間を稼ごうとしてくれてる。それに応えるのが今の零くんがしなくちゃならない事だと思うの」
百葉の説得に伸ばしかけた手を引っ込める零葉にセレネは困った様に笑う。
「旦那さまが言ってくださったあの言葉、とっても嬉しかったです。少しだけ恋という概念を理解できた様な気がします」
「セレネ…んな最後みたいな事言ってんじゃねぇ!」
突然声を荒げた零葉にセレネだけでなく周りの誰もが、神獣たちでさえ彼の気迫に押されフリーズしてしまった。
「死ぬな、俺からの命令だ。とっとと黒幕ぶっ飛ばしてフィーナを助けてお前を迎えに来る。だからそれまで死ぬな」
零葉の命令にプッと吹き出すセレネ、笑われ恥ずかしくなったのか途端に顔を真っ赤にする零葉を愛おしく思いながら答える。
「旦那さま、ワタシは機械ですから死の概念なんてものは存在しませんよ…でもありがとうございます。その言葉を聞いて意地でも死ねなくなりました」
「せっかく人間っぽさが出てきたんだ、まだ知りたい事山ほどあるだろ?」
「そうですね、待ってますから早く来てくださいね、約束ですよ?」
そんな二人を別つように扉が閉ざされた。
そして零葉は漏れかけた嗚咽を呑み込み走り出した。
目指すは玉座の間、フィーナと黒幕の待つであろう決戦の場所に向かうのだった。
「セレネさん、本当に良かったんですか?」
扉が閉じた後、セレネと共に玄関ホールに残ったアルが声を掛ける。
「何がでしょうか?」
何の事か分からないといった様子で首を傾げるセレネにアルは短く息を吐いて指先で自分の胸の辺りをトントンと叩く。
「ハァ…魔力の残量、先程の砲撃で殆ど残っていないのでしょう?」
「さすが獣人族分かりますか」
「会った時と比べると魔力の匂いが薄くなってますから」
「普段は旦那さまに影響が出ない程度に補給させてもらってますが、今日は武装の連続使用と砲撃でだいぶ使ってしまいましたからね。挙句、供給源の旦那さまとも離れてしまいましたからあのレベルの砲撃はあと撃てて3発ほどかと」
アルはセレネの告白を聞いて一層険しい表情になる。
「それなら尚更セレネさんは零葉さんと一緒にいるべきだったんじゃ?」
心配を余所に、自分が残るのは正解だったと主張するセレネに唇を噛み締めるアル。
「いいえ、旦那さまにはワタシなんかよりも遥かに強いお二方が付いてらっしゃいます。そこに同行しても足手まといになるのが目に見えてますから。」
「確かに、零葉さんは至って普通の感じでしたが他の2人…一体何者なんですか、まるで魔力の塊がヒトの形を成してるかのような…」
そこまで言ってアルは零葉に同行していた得体の知れない2人の顔を思い出し、その何処となく常人とかけ離れた雰囲気と魔力を思い出して身震いする。
「それはワタシにも分かりません。それよりも先の旦那さまとの会話、あれはなんでも"死亡ふらぐ"と呼ぶのだとか。それが何なのかはイマイチ分かりませんが、なんとなく不吉なので、死なないでくださいねアルさん」
「なんですか、その死亡ふらぐって…随分と物騒で嫌な響きですね。取り敢えずその死亡ふらぐとやらの世話にならないように善処します」
そう言ってアルとセレネは大量の怪物たちに向けて武器を構えるのだった