雪ときどき蜂
「じゃあ、そろそろ出発しましょうか!」
森精族の占い師、クワンタが去ってから少しして、朝食を食べ終えた百葉がお腹をポンポンと叩いて斬葉とヴァルに声をかける。
「そうですね、日が暮れる前にはここに戻っておきたいですから出発は早いに越したことはありませんね」
「俺も賛成だ、いつまた天気が崩れるか分かったもんじゃねーからな」
百葉の提案を皮切りに立ち上がる2人、しかし、ヴァルの頭に過ぎったのはクワンタの残した不吉な予言。
"近いうちにろくでもないことが起きるよ"
「ヴァル君どうしたの?」
「いんや、なんでもない」
彼の表情に気付いた百葉が顔を覗き込んでくる。
どうやら先ほどのクワンタとの会話は聞こえていなかったようだ。
出発前に余計な不安を煽りたくない。そう思ったヴァルは笑顔を作るとやんわりと言葉を濁した。
「この辺りがベルベットホーネットの生息地だと思うのですが………いませんね」
村を出発して1時間ほど歩いて辿り着いたのは針葉樹がポツポツと自生する平原だった。
斬葉や百葉の知るハチといえば森や山、時には民家の軒下などに巣を作る習性を持つが、この平原にはそのような物は全くもって見当たらなかった。
「おっかしいなぁ、この時期だったら何匹かは飛び回っててるはずなのに」
「斬ちゃん」
キョロキョロと辺りを見回すヴァルだったが、唐突に百葉が斬葉の名を呼ぶ。
斬葉もその意味が分かったのかジッとしたまま視線だけを忙しなく動かしていた。
ヴァルも2人の様子を見て初めて気付いた。
「誰か…見てるな…」
ネットリと絡みつくような気配を感じ、自分たちが何者かに見られているという事に気付いたヴァルは、斬葉や百葉同様に周囲に気を配りながら視線を動かす。
「いやはや、早くもバレてしまいましたか。本来であれば皆さんがベルベットホーネットの討伐に疲れたところを襲撃させていただくつもりだったのですが…予定が狂ってしまいましたね」
何もない場所から滲み出るように現れたのは闇のような黒髪に黒縁メガネ、藍色の瞳を持つ20代後半ほどの見た目の白衣を着た男だった。
男は柔和そうな笑みを浮かべていたが、言葉と同様に穏やかではない殺気を放っていた。
「そんな事より何の用でしょうか?それにここにベルベットホーネットがいないのは貴方がいるからでしょう?」
相手の計画を偶然とはいえ未然に防いでおきながら、それをそんな事呼ばわりした斬葉。
彼女は既に刀に手を掛け臨戦態勢に移っていた。
「おっと、そんな物騒なモノは納めてください。自己紹介が遅れました。どうも皆さん、お初にお目にかかります。ワタシ、"悪欲の魔神"ヴォルドスと申します。是非とも皆さんを研究させて頂きたく…」
「お断りします」
魔神と聞いて、まず頭に浮かんだのは先日の紫髪の魔神の姿だったが、目の前の男はそれとはまた別の雰囲気を纏っていた。
「おやおや、まだ言い終えていないのにせっかちなお嬢さんですね。それにワタシも言い方が悪かったかもしれませんね………いいから大人しく調べさせろ」
男はやれやれと首を振っていたが、貼り付けたような笑顔を浮かべたまま不気味に言い放つと、それに呼応してか雪の中から無数の赤黒い甲殻を持つ蜂が飛び出してくる。
「ベルベットホーネット、こんな大群でだと⁉︎」
ブンブンと羽を鳴らし敵意を剥き出しにしている巨大バチの大群にヴァルは目を見開く。
彼の知っているベルベットホーネットは少数の群れを作り行動する魔物だが、今目の前にいるそれはザッと見て50近くはいるだろうか、100もの複眼がこちらに向けられていた。
「これだけの数の凶暴化させたこの子たちを相手にして何分耐えられるでしょうか?」
ヴォルドスがパチンと指を鳴らすと巨大バチが一斉に襲い掛かってくる。
「疾ッ…!」
それに真っ先に反応したのは斬葉だった。
彼女は迫り来る巨大バチの先頭に肉薄すると、刀を抜き放ち横薙ぎに振るう。
生半可な武器では傷一つ付けることもできないはずのベルベットホーネットの堅牢な甲殻は、まるで紙切れのように真一文字に切り裂かれた。
「確かにろくでもないことに巻き込まれたな…あの占い師余計なこと当てやがって…」
森精族の占い師が残した予言が的中したことに悪態をつきながら、次から次へと繰り出される毒針の嵐を躱し続けるヴァル。
「邪魔…ですっ…!」
斬っても斬っても減る様子のない巨大バチに周りを囲まれると円形に斬撃を飛ばして薙ぎ払う斬葉、その視界の端に奇妙なものが映り込んだ。
「なっ…何をなさっているのでしょうか、お母様?」
「え?ハチって言うから効くかなーって思って持ってきたの。ハチアブ○ーパージェッ○」
プシュゥゥゥと気の抜けるような音を立てながらブンブンと飛び回る巨大バチ目掛けて殺虫スプレーを吹き付ける百葉に思わず手を止めてしまう斬葉。
「お母様、さすがにそんなものは効くわけが…」
「あ、落ちた」
「…………」
天然をマッハで通り越していった百葉のド阿呆ぶりに眩暈を覚えて頭を押さえる斬葉だったが、次の瞬間ボトッとひっくり返りながら落下して足をひくつかせたまま二度と起き上がらなくなった巨大バチを見て、なんとも微妙な表情を浮かべた。
「何ですかアレは⁉︎新たな魔法とでも言うのですか⁉︎」
「それはこっちが聞きたいくらいですよ…というかこの世界の魔物はどうしてこうも欠陥だらけなんですか」
驚愕の表情を浮かべるヴォルドスに釈然としない様子の斬葉は腹に溜まった鬱憤を晴らすが如く、八つ当たり同然に巨大バチを次々と斬り伏せていった。
「まさかワタシの作品たちがものの10分少々で全滅とは…どうやら皆さんを過小評価し過ぎていたようですね」
大量に転がる巨大バチの死骸を足で蹴りながらヴォルドスが変わらずに笑顔を浮かべ、しかし言葉には不快感を露わにして斬葉たちを見やる。
相変わらず息の切れた様子のない斬葉は持っていた刀、黒椿を軽く振って刀身に付いていた巨大バチの体液を振り払った。
「主様には手出し無用と言われていましたが、このまま帰るのも研究者の名折れですね。でしたらこれはどうでしょうか?」
再びヴォルドスが指を鳴らすと地面が大きく揺れる。
不意に起きた揺れに斬葉たちは足を捕られ体勢を崩してしまった。
「カハッ…⁉︎」
刹那、斬葉の足元から象牙のような漆黒の棘が飛び出して正面から彼女のわき腹を易々と貫いて串刺しにする。
「斬ちゃん!」
「斬葉ッ!」
突然のことで呆気に取られたのもつかの間、大地を突き破るように現れたのは先ほどまでの巨大バチよりはるかに巨大、10メートルはあろうかというほどの昆虫だった。
「さぁ、今度は彼らの女王と戦っていただきましょうか。兵隊たちのように飛び回ることはできませんがそれを補えるほどの耐久性。どう対処しますか?」
ガチガチと顎を打ち鳴らしながら赤い複眼を百葉とヴァルに向ける女王。
斬葉はというと女王の毒針に腹部を貫かれて苦しそうに悶えていた。
「彼女の毒は強烈でしょう?全身が麻痺していずれは心肺機能まで麻痺、ジワジワと嬲り殺されてください」
「グ…こんなもの…」
何とか脱出を試みる斬葉だが、普段の彼女であれば簡単にへし折ることの出来る程度の太さなのだが、すでに毒によって指先や足先が麻痺しはじめている上に、毒針には細かいかえしが付いていてなかなか引き抜けずにいた。
しかも、もがいている内に腹部や口から真っ赤な鮮血が溢れその顔はどんどん血の気を失っていく。
「ジッとしてろ!クソッ…どうすれば…」
「おやおや、毒が回りきる前に出血多量で死んでしまいそうですね。それならそれで見当違いだったということでしょうね」
刻一刻と迫る斬葉の限界に焦るヴァル、そんな彼を煽るようにヴォルドスが挑発してくる。
「全く…世話が焼けるな」
その時、聞き慣れない声が雪の止んだ雪原に響く。
次の瞬間、ドンッという鈍い音と共に女王の巨大な体躯が僅かに宙に浮く。
突然の出来事に目を白黒させるヴァルだが、声の主の姿が見当たらない。
「返してもらうぞ」
そんな一言が聞こえた時にはもう遅く、女王の毒針がバキンッと折れて斬葉が地面に投げ出される。
慌てて彼女の傍に駆け寄り様子を見るが、素人目でも分かるほど斬葉の状態は悪化していた。
今では油断した自分への皮肉も言えないほど衰弱しており、瞼を閉じたまま荒く浅い呼吸をしていた。
「何だ…何が起こっている⁉︎」
「百葉さん逃げま…百葉さん?」
兎に角、一刻も早く斬葉に治療と解毒を施さなければ命に係わると判断したヴァルはすぐさま百葉の姿を探すが、どこを見ても見当たらない。
そうこうしている内に女王バチが大きな体躯を揺らして迫ってきた。
「逃がしませんよ?」
目を細めて笑うヴォルドスが指を鳴らすと女王バチが2人目掛けて大きな顎をこれでもかと開いて噛み付いてきた。
それを跳躍で間一髪避けるヴァルだったが、着地するタイミングを狙ってもう一度噛み付きをしてくる。
「間に合わない…!」
今から両翼を羽ばたかせても逃げられない、その時ヴァルの脳内に疑問が沸き起こる。
"何で彼女を助ける?"
"自分の暇潰しのために付き合っているだけではないか"
"それなのに自分が死んでしまっては元も子もないじゃないか"
"別に彼女に恩や借りがある訳でもない"
"そもそも何故、他種族に手を貸す?"
"今彼女を犠牲にすれば助かるかもしれない"
しかし、彼が導き出した結論は考えていたものとは全く別のものだった。
「俺の暇潰しには一つとして捨て駒があっちゃいけねーんだよ」
ヴァルは自分の口から出た答えに笑みを浮かべると、瞬時に右腕を巨大な爬虫類の腕に変えて女王の横っ面を殴りつける。
思わぬ反撃に驚いたのかヨロヨロとした足取りで数歩後退する女王。
「良くやった、褒めてやる」
三度、聞き覚えのない声が今度はヴァルに向けてなのか笑いながら労いと思える言葉を投げかける。
「悪いがこれで終わりにさせてもらう」
「誰なんだ…?」
「百鬼夜行が現と成れば、此処に集うは魑魅魍魎。凍土を溶かし焦土と化すは黒き薙刀、魔を滅さん。黒夜叉、来い」
謎の声が詠うと同時に、穏やかだった雪原に再び突風が吹き荒れる。
舞い上げられた雪の向こうに誰かいたように見えたが、ヴァルの視界はすぐに白く染められてしまう。
数メートル先も見えない状態で油断すれば身体ごと吹き飛ばされてしまいそうなほどの猛烈な突風に煽られながら重傷の斬葉を護るように抱き寄せた。
「ワケがわからねぇ…」
ズズゥンッという腹の底に響くような地鳴りの直後、突風が止んで舞い上げられた雪がヒラヒラと降る中、ヴァルは目を凝らして女王バチの居た方を見る。
風が激しさを増す直前、雪煙の中に巨大な影が見えたような気がしたのである。
しかし、雪煙が晴れた頃にそこに居たのは縦に真っ二つにされた女王バチの死骸と驚愕で目を見開いているヴォルドスだった。
「アレは…そんなバカな…だがそれなら全ての辻褄が……フフ…ハハハッそうか、そういう事か!」
初めは爪をガリガリと噛みながら何やらブツブツと呟いていたヴォルドスであったが、何かに合点がいったのか高笑いし始める。
「お陰で実のある結果が出ましたね。ワタシとしては大満足ですから退散するとしましょう。それでは皆さんご機嫌よう」
意味不明な言葉を残して瞬きの間に姿を消したヴォルドス。
首を傾げていたヴァルの背後から聞き慣れた声が聞こえてくる。
「ヴァルくーん!」
「百葉さん、どこに行ってたんすか!」
「そんな事より早く斬ちゃんを運ばないと!」
「そうだった、急ぎましょう!」
どんどんと顔色の悪くなる斬葉を見て、さすがの百葉もいつものマイペースを捨てて焦りの色を浮かべる。
そんな彼女の焦りがヴァルに伝播したのか斬葉を担ぎ上げて漆黒の翼を大きく広げて飛び立った。
「あと少し遅れていたら手遅れじゃったぞ…運が良かったのぅ」
「突然押し掛けた上、無茶をお願いしてすみませんでした」
あれから村にトンボ返りした2人はすぐに斬葉を抱えたまま村にある唯一の診療所へと駆け込み、ギリギリで大事には至らなかった。
最初は診療時間外に訪ねてきた百葉たちに怪訝そうな眼差しを向けていた村医者の老人だったが、斬葉がベルベットホーネットに刺されたと聞いて血相を変えてすぐに処置を施してくれたのである。
老人は解毒剤を斬葉に投与するとこれで一安心だと2人に告げて診察室の椅子に腰掛けた。
百葉も一大事だったとはいえ、相手に迷惑と思われても仕方ない行為に礼儀正しく頭を下げる。
「いやいや、気にするでないお母上。子供が命の危機に陥れば何が何でも助けようとするのが母として当然の本能じゃからの」
「そう言っていただけるのなら幸いです」
「しかし、何故またベルベットホーネットの住処なんぞに行ったのじゃ?この時期のヤツらは繁殖期前で獰猛さが増しておるのだぞ?」
「知り合いの魔具職人にどうしてもベルベットホーネットの毒針が必要になってしまったと言われまして…自分の力を過信したせいで娘を危険な目に合わせて…母親失格ですよ…」
「そう自分を責めるでない、女王バチが自ら巣を出るなど今まで60と5の年を生きてきたワシでも初めて聞く事じゃ…何か凶兆の前触れなのかもしれないのぅ」
自分があの場で周囲に気を配っていれば斬葉があんな目に遭わずに済んだかもしれないと自己嫌悪に陥る百葉を老人は優しく慰めてくれたが、珍しく本気で落ち込んでいる今の百葉には焼け石に水の言葉だった。
「とにかく、解毒剤を投与したとはいえ女王の毒じゃからな、全身に巡るスピードが速すぎる…完治するまではしばらくかかるじゃろう。良ければあの子の治るまでは其方らもここで寝泊まりするがいい」
老人はそれでも優しく彼女らに休む場所を提供するなどとても親切に対応してくれた。
「ヴァルくん、お願い事があるんだけど聞いてもらえるかな?」
「何ですか?」
「零くんたちを呼んできて欲しいんだけど出来るかな?」
「その位なら良お安い御用ですよ。ここからなら飛んでいけば半日もかからずラグ・バルに戻れるでしょうから」
「じゃあ、お願いします。わたしはこのまま斬ちゃんに付き添ってるわ」
百葉に頼まれて村の外に出たヴァルは周囲に人影がない事を確認して大きく飛び上がった。
あっという間に雲の中まで飛び上がると地上とは違い、空は夕暮れで赤く染まり日が沈もうとしていた。
じきに夜が訪れるだろう、あまり遅くならないうちに戻るべきだろうと判断したヴァルは高速でラグ・バルのある方角に羽ばたいていった。
「本当に帰ってきちゃって良かったんでしょうか?」
「別に良いんじゃねーか?グラードのおっさんも見逃してくれたんだし」
「そういうものなんでしょうか?」
日もすっかり暮れた頃、フィーナの体力が回復してクロムシェイド魔具店に戻った零葉と狩葉、フィーナ、セレネの4人は自宅部分で休みながら問題が先送りされていることについて意見を交わしている。
ちなみにこの場に狩葉はいないのだが、理由として帰ってくるなりすぐに自分の部屋に戻って眠ってしまっていたのだ。
「それに狩葉さんも大丈夫なんですか?帰ってくるなり部屋で寝ちゃってるみたいですけど…」
「それも心配すんな、多分力を使い過ぎただけだから。しばらく寝りゃ回復するだろうよ」
「私のせいですよね……痛ッ⁉︎」
狩葉の様子を聞いてまた自分を責めようとしたフィーナの額に零葉のチョップがビシッと浴びせられる。
「だからお前のせいじゃねーってーの。あくまでも俺らが好き勝手に暴れて周りにお前らが居ただけの話なんだよ、オーケー?」
「でも…」
「でももヘチマもあるか!この話は終わりだからな!」
「はい…」
どれだけ零葉たちが気にするなと言っても迷惑をかけてしまった事実には変わりないが、零葉の言葉に少しだけ気が楽になるのを感じたフィーナだった。
「………旦那さま、上空から未確認物体が接近中。迎撃しますか?」
その時、ふと天井に視線を向けたセレネが零葉に警告を発する。
彼女の問いかけに、とりあえず様子を見ようと答えた零葉。
どうやらそれは店の前に落下したようでドンッという地面への激突音が聞こえた。
「零葉いるか!いるな!すぐに出かける準備しろ!」
バンッと扉を開け放って現れたのは斬葉たちと行動を共にしていたはずのヴァルディヘイトだった。
彼は焦った様子で店内に駆け込んでくると、呆気に取られている零葉とフィーナを無視して用件だけ伝えるが、何の事かさっぱり分からない2人は首を傾げていた。
「いや、急に戻ってくるなり出かけるぞって…俺たちもついさっき帰ってきたばっかなんだけど」
「そんな事より斬葉が魔神に襲われて倒れた。今は百葉さんが付き添ってる」
「どういう事?姉様が魔神なんかに負けたの?」
ヴァルの切羽詰った様子にたじろぐ零葉だったが、斬葉が倒れたと聞いて表情が一変する。
そしていつの間に起きていたのか、狩葉が信じられないという顔を浮かべて階段を下りてきた。
「別に魔神と直接戦った訳じゃないんだが、不意打ちでベルベットホーネットの毒を貰っちまって近くの村の診療所で休んでる」
それを聞いた零葉と狩葉は顔を見合わせて何かを話し合い始めた。
「そういえば、獣人の国もあっちの方だったよな」
「手間が省けそうじゃない、行った方が良いと思うわ」
「なぁフィーナ、アイツら何をコソコソ話してんだ?」
「それが私にも教えてくれないんですよ…」
2人で話し合っている零葉と狩葉は一先ず放っておいて、事情を知っているであろうフィーナに尋ねるが、彼女も何一つ知らされておらず、蚊帳の外にされているのが原因か少し寂しそうな顔をする。
しかしヴァルはそんな中、質問に答えたフィーナに引っかかりを覚える。
「ん?お前って自分のこと”私”なんて言ってたっけ?」
「あ…そこの辺りは道すがらにでもお話しします」
「ヴァル案内してくれ。俺たちもその村に向かうことに決めた」
ようやく話し終えた零葉がヴァルとフィーナの会話に割って入るようにして案内を頼んだのだった。
「ところで、自然過ぎて最初は全然気が付かなかったんだけどよ……誰?」
フィーナが店の戸締りを確認している間、出発の準備をしていた零葉に彼の準備をぎこちないながらにも手伝っていたセレネをヴァルが指差す。
「セレネ、ヴァルに自己紹介してやってくれないか?」
「旦那さまのご指示とあらば」
「おま……旦那さまって…」
「そこは気にしないでくれ…っていうか聞き流してくれ…」
セレネの零葉に対する呼称にツッコミを入れるヴァルだが、零葉の表情に諦めの色を感じたヴァルはそれ以上言及しないことにした。
「本機体は機甲人種、製造番号外機体。セレネです」
「こいつは驚いた……お前いつの間に機甲人種まで手籠めにしたんだ?脅迫か?」
「人聞きの悪いこと言うな!それは…」
ヴァルの容赦無い罵声に思わず涙目で反論する零葉だったが、反論し終える前にフィーナが戸締りを終えて合流して遮られてしまった。
「お待たせしました!」
「フィーナちゃんも来たことだし、早いところ姉様の見舞いに行きましょうよ」
狩葉の言葉に頷いた一同、まずは見舞い品と称して大通りの市場で買い物をしていくことにした。
「フィーナちゃん、また出掛けるのかい?」
大通りに出たところでいつものように仕立て屋のライムがフィーナに声を掛けてきた。
「あ、ライムさん。はい、実はベルベットホーネットの毒針の調達をお願いした斬葉さんがその毒を受けて倒れてしまったらしくて…これからお迎えを兼ねたお見舞いに行こうと思って…」
「斬葉ちゃんが!?そうか、ウチからは何も見舞いの品は出せないが帰ってきたら寄ってくれよ。全快祝いでサービスしてやっからさ!」
「ありがとうございます」
「え、斬葉ちゃん病気なのかぃ!?それならこれを持っていっておくれ。あの子には店番とか売り子を何度もやってもらう上に、いるときは毎回売り上げが良いからね!」
「はぁ…?」
ライムの隣に店を出している食料品店の女店主、メリアが零葉たちに果物をたくさん詰めたカゴを持たせてくれた。
その後も、斬葉のことをどこからか聞きつけた様々な店の店主や店員が彼らの行く先々で見舞い品にしてくれと大量の食糧を渡されたのだった。
「さすがに多過ぎだろ……」
「つか、姉様この世界に順応するの早過ぎ…どんだけ既に人望厚いのよ」
「この荷物どうする、さすがに全部持って行くなんて重労働この上ないぞ?」
「旦那さま、本機体には四次元収納機能が備えられています。どうぞお使い下さい」
「「それだっ‼︎」」
山のように積み上げられた見舞いの品を前に斬葉の適応力に唖然とする零葉、狩葉、ヴァルの3人だったが、セレネの予想外の進言に零葉と狩葉は声を揃えて彼女を指差す。
そしてセレネが背中のファスナーを器用に1人で下げるとそこには別の空間が広がっていた。
「やっぱり持つべきものはセレネだよなー」
そんな調子のいいことを言いながら鼻歌交じりに上機嫌で彼女に備えられた四次元収納に荷物を収めていく零葉。
バケツリレー方式で詰め込んでいたので、ものの5分足らずで全て収まってしまった。
「あんなに大量の荷物、セレネちゃん大丈夫?」
あまりにも優秀過ぎるセレネの収納力に感心を通り越して心配してしまう狩葉にセレネは首を傾げて答える。
「ご心配なく、保管場所は別次元ですので本機に影響は何らありません」
「ところでもう夜よ?魔物だけじゃなくて夜盗とかロクでも無いものが出ると思うんだけど」
「それなら心配するな。えっと、セレネっていったっけ?お前飛べるか?」
「肯定、本機には飛行機能も搭載されています」
時間の心配をする狩葉だったが、そこはもちろんヴァルにも考えがあるらしくセレネに話題を振る。
セレネは彼の質問に頷くと背中から補助翼とブースター付きのバックパックが飛び出した。
「本当に何でもアリだな」
「お褒めいただき光栄です」
「そんなに褒めてないがな。それより1度に何人運べる?」
「本機は運搬用では無いので1人が限界です」
「それなら全員まとめて運んだほうが楽だな。とはいえ、この身体じゃちょっとばかり不便だし…見つかったら見つかったで面倒だが仕方ねぇか」
完璧に等しいと思っていたセレネの思わぬ欠点に苦笑しつつ、頭を掻いたヴァルが軽く背伸びするとその姿に変化が生じる。
バキバキッと骨の軋む音と共に巨大化していく体躯、浅黒かった肌は漆黒の鱗に覆われ、顔は爬虫類のそれに変貌した。
骨の軋む音が鳴り止む頃、ヴァルが居たはずの場所には頭から尾まで10メートル以上はゆうにあるであろう漆黒の龍が佇んでいた。
彼の変身に呆気を取られていた一同、恐る恐る口を開いたのは零葉である。
「ヴァル…だよな?」
「お前がいつの間にやら大所帯にしたせいだろう。文句あるか?」
大地を震わせるような声で答えたヴァルに少し後ずさりする零葉は蛇に睨まれた蛙とは正にこのような状況だろうかなどと考えていた。
蹴られれば骨折どころか跡形もなく木っ端微塵にされてしまうのではないかと言わんばかりに筋肉質な後ろ足を撫でている狩葉がふとヴァルに尋ねる。
「龍族ってみんなこんなにデカいの?」
「そりゃ個体によるさ。とにかく早く乗れ、夜のうちに向こうに戻るぞ」
何となく彼の答えに引っかかるものを感じた狩葉だったが、これ以上の詮索は今はすべきではないと思い大人しく彼の背中に跨った。
「さしずめドラゴンライダーって感じね。ワクワクするわ」
「はしゃぐのは一向に構わないが落ちるなよ」
全員が乗り込んだのを確認したヴァルは周囲の草木が根こそぎ吹き飛んでしまうのではないかというほど巨大な翼を羽ばたかせて飛び上がった。
「よっしゃ、目指すは姉様たちのところ!その後は獣人の国だ!」
夜の空に高らかに目的を叫ぶ零葉の声が響いたのだった。