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亜狼と鬼剣と巫女と

「ウグッ…⁉︎」


幾度となく繰り返したグラードへの突進をヒラリと躱され、すれ違い様に蹴りを浴びせられ続けたフィーナはすでにボロボロになっており美しかった茶色の髪や獣耳には血糊や泥がこびり付き、見る影も無くなっていた。


「オラ、どうした。威勢の割には大したことないじゃねーか」


「フザけるな!」


「あらよっ」


「グッ⁉︎」


すでに周りや自分の状態など目に入らないのか、血反吐を吐きながら再度グラードに詰め寄るフィーナ。

だが、それも僅かな動きだけで去なされまた地面に叩きつけられる。


「フィーナ、もう止めろ…ッ!」


「邪魔をしないで…母さまの仇…やっと見つけたの…」


さすがにマズイと感じた零葉がフィーナを抱き起こすが、彼女の瞳を見て息を呑む。

その瞳は怨嗟の炎に染まりきっており、底冷えするような蒼色に変わっていた。

彼女の眼は既に零葉のことも認識出来なくなっているようで、彼の肩に血塗れの爪を立てながら起き上がると同時に突き飛ばす。

喉を鳴らして唸る彼女の髪は、狼の(たてがみ)のように(ざわ)めき、異様な雰囲気を醸し出していた。


「見覚えのある顔だと思っていたが…やっぱりあの時の亜狼(フェンリル)の娘だったか。あの頃にはまだちっこかったが、今じゃ覇獣(はじゅう)の力も覚醒済みと来た…こりゃ散々嬲るようなマネして悪かった、次の一撃でお前もあの女のところに送ってやる」


「黙れ!」


「くっ…セレネ!」


「こちらも手が離せません!」


何かを理解して目を丸くするグラードは不敵に笑うとフィーナが突進していた間納めていた曲剣をようやく抜き、剣を持つ手をユラユラと揺らす独特な構えを見せる。

一方、対するフィーナは丸腰。

この後の展開は想像に難くなかったが彼女を必死に抑えていた零葉は突き飛ばされてしまっていて体制が崩れている。

セレネにフィーナを止めるように頼むが、セレネも他の兵士たちを一挙に相手取り立ち回っていたため止める手立てが無くなっていた。


「ふざけた事を二度と()かせないように、その喉笛を今ここで食い破ってやる!」


「フィーナ!」


「オラァ!」


ボゴンッと地面を踏み抜きグラードに向けて飛び出したフィーナの背中に向けて零葉は懸命に手を伸ばすが、今の彼に届くはずも無く虚しく空を掴む。

そして、彼女の拳が届くよりも速くグラードは無慈悲に曲剣を振り下ろした。


「……ホント面倒臭いけど、可愛い女の子がボロボロにされてるのを黙って見てられるほど心捨て去っちゃいないのよね」


時間にすれば僅かな静寂、曲剣の奏でる鈍い切断音ではなくギィンッという金属同士のぶつかり合う音。

その場にいた全員が今しがた起こった出来事を注視している。

理由は単純、グラードとフィーナの最後の一撃の交差、誰しも2人を止めることなど不可能などちらかが死ぬはずだった一瞬…否、1人だけそれが可能な人物が両者の間に割って入ったからだ。


「フィーナちゃん、せっかくの仇討ちの機会…アタシもアイツもそれを聞いて止めるつもりはなかったんだけど…ゴメンね。これ以上、アナタが傷付くのはやっぱり見たくないの、もちろんアイツもそう思ってる」


「う…ぐ…狩葉…さ…」


いつの間に着替えたのか紅白の着物、巫女服のような装いを身に纏っていた狩葉が乱入していた。

左手に持つ刀でグラードの曲剣を受け止め、右手に持つもう一本の刀の(つか)をフィーナの鳩尾(みぞおち)を抉るように突き立て、恨めしそうな表情で自分を見つめる彼女に申し訳なさそうに眉を下げて昏倒させる。


「そこの超が付くほどのド阿呆、早くフィーナちゃんを助けに来なさいよ」


狩葉は気絶したフィーナが崩れ落ちる前に空いた右腕で抱えるとその光景に唖然としていた零葉を呼び受け渡す。

その間にも左の刀はグラードの剣を抑え続けていたが片腕であるにも関わらず、大の大人が放った渾身の一撃を受け止めたとは思えぬほどだった。


「姉さん…悪い、助かった」


「はいはい、礼なら後で現物(カネ)にして返して頂戴、今は目の前にいる女の子の敵に鉄槌を下さないと気が済まないから」


「多少骨のあるヤツが出てきたか」


「うっさいクソオヤジ、アタシだってホントは働きたくないのよ。不本意極まりないわ」


ガキンッと剣を弾かれ押し負けたグラードは面白そうに笑むが、狩葉は悪態で一蹴する。

そして、頭上で左手の紅い刀身の刀と右手の蒼い刀身の刀を交差させる。


「とはいえ、アンタみたいな思い上がりヤローはムカつくから超絶不本意だけど相手してあげる。初撃で墜ちるなんてつまんないからヤメてよね?」


次の瞬間、交差させた一対の刀を十字を切るように振るう。

すると剣圧が衝撃波と化して地面を抉りながらグラードに迫る。


「ヌオッ⁉︎」


これは想定外だったのか、曲剣で受け止めるが彼女の細腕から放たれた一撃とは思えないほど重い斬撃に打ち負けそうになり、ギリギリのところで軌道を横に逸らしてかすり傷程度で済ませる。


「なーにこの程度で驚いてるのよ、こんなの小手調べに過ぎないわ」


「⁉︎」


グラードが安堵したのも束の間、背後から声を掛けられそちらを振り向くと回り込んでいた狩葉の蹴りが目前に迫っており慌てて右腕でガードする。


「久しぶりでも意外と動けるものね」


華麗なローリングソバットを浴びせスタッと地面に着地した狩葉は軽く首を回して笑う。

先ほどから激しく動き回る彼女の足元は足袋(たび)草鞋(わらじ)を履いており、明らかに悪い足元はどうすればあの動きができるのか疑問に思うほどだった。

あまりの重さに蹴りを防いだ右腕がビリビリと痺れるが、グラードは高らかに笑い声を上げる。


「ハハハハハッ!面白い、そう来なくちゃな。鬼剣の本気を見せてやる」


次の瞬間、彼の纏っていた闘気が掻き消える。

否、彼の持つ剣に集約される。

すると普通の曲剣だった筈の彼の剣が二回りも巨大になる。


「コイツは魔剣ラースっつーシロモノでな、所有者の感情に合わせて性能が上がる面白え剣なんだよ」


刹那、狩葉が吹き飛ばされる。

何が起こったか分からないのか、目を白黒させる狩葉だったが、巫女服の胸元がパックリと斬り開かれていた。


「お、気付かなかったか?そりゃそうだよな、今のコイツの太刀筋を見るのは叶わねー話だろうよ」


「趣味悪過ぎ…女の子の服を斬って何が楽しいのよ」


思いのほか動揺とダメージは少なかったのかすぐに調子を取り戻して悪態を吐く狩葉だが、ナメて掛かればひとたまりも無い。

そう感じたのか間合いを慎重に測る。


「今のは軽い挨拶だ、いつまでその減らず口を叩けるか見ものだな」


グラードが巨剣を振り下ろすと再び彼女の服の一部が切断される。

それに伴って身体にも小さな切り傷が増えていく。


「姉さん!」


「うっさい来んなバカ、気が散る!」


心配の声を上げて飛び込もうとする零葉だったが、それすらも罵声で返す狩葉。

しかし、見えない斬撃に対応できないのか徐々にその表情に焦りと苛立ちが浮かび始める。


「さっきまでの威勢はどうした、オラオラオラ!」


「あーもー…カチンと来た。クソオヤジ、もう後悔しても絶対に許さないから」


止むことのないグラードの攻撃にとうとう我慢の限界を迎えた狩葉は全身が斬られ続けるのも(いと)わずに動きを止めて瞼を閉じた。


「ようやく観念したか、安心しろ痛いのは一瞬だけだからな!」


これを好機とみたグラードは神速の剣を彼女の頭上から真っ二つにするように離れた場所から縦に振り下ろす。


「いつまでもチョーシ乗ってんじゃないわよ」


が、彼の刃が狩葉の美しい黒髪に触れる寸前で弾き返される。


「なっ……マグレに決まってる!」


再度、別方向から剣撃を放つグラード。

だが2度目も同じように弾き返される。


「神速って言う割には遅いわね、姉様ならアンタの一撃の間に四撃…いや五撃は叩き込めるかしら。てゆーか、神速どころか単純な透明化だなんて…こんな子供だましのトリックで焦った上に気付けないなんて、我ながら呆れちゃうわ。それでも普段のアタシには充分すぎる虚仮威(こけおど)しだったわ。そこは素直に褒めてあげる」


「どうやってそれを見破った…」


「透明化だろうと何だろうと魔力の残滓さえ見えてればこの位どうってこと無いのよ」


「何だその眼は…?」


己の技を看破されたグラードは狼狽するが、狩葉の双眸を見て驚く。

彼女の深紅の双眸が今は左側だけ翡翠色の瞳に変わっていた。


「旦那さま、アレは?」


いつの間にか兵士たちを片付け拘束し終えたセレネが零葉の横に座っており、狩葉の変貌を見て首を傾げる。


「アレが姉さんの本気、日緋(ひひ)色の瞳と翡翠(ひすい)色の瞳を持つ巫女…元の世界じゃ"緋翠(ひすい)の鬼巫女"って呼ばれるちょっとした有名人でな。オッサンご愁傷様、こっからの姉さんは容赦ねーぞ」


「クッ…」


先ほどから一変した狩葉の雰囲気に僅かにたじろぐグラードだが、さすがは歴戦の戦士といったところだろう。

すぐに持ち直し次の一撃を放つ。


「だから見えない斬撃が見えてたら意味ないわよ」


「ナメるな!」


透明化を解いたのか視認できるようになった曲大剣が大蛇のようにしなりながら次々と斬撃を繰り出すが、彼女は全く動じずにそれを左の紅い刀で弾き続けながら右の蒼い刀を振りかぶる。


「鬼剣っていうからどんな剣士かと少し期待してたんだけど…拍子抜けね。蒼菫(あおすみれ)雹閃(ひょうせん)!」


「なんの!」


「双刀使いを甘く見ない方が良いわよ。紅蓮華(べにれんげ)業火閃(ごうかせん)!」


回避行動を取ろうとして一瞬だけ攻撃の手を緩めたグラードの隙を突くように紅い刀で追撃を加える。

流石の彼も一撃目を回避した直後だったため僅かながら次の動作に移るために硬直時間が生まれる。

そこを逃すことなく放たれた二撃目が彼のわき腹を抉るように刈り取る。


「グフッ…!」


口から血を溢れさせ膝をつきかけるグラードだったが、地面に剣を突き立て堪える。


「呆気ない…クッ!」


「よく受け止めたな。今のはさすがに仕留めたと思ったのだが、そう上手くはいかないか」


グラードの元に歩み寄る狩葉だったが、そばまで近づいてからふと違和感を感じた。

そして考えるよりも速く、振り向きざまに刀をクロスさせて防御すると、突然現れたもう1人のグラードが一撃を浴びせてきた。

もう少しのところでそれを受け止めた狩葉の口から苦悶の声が漏れる。


「幻影ね…ふぅ…つまらない手品師かと思ったらそれなりにマシなもの使うじゃない」


「伊達に鬼剣を名乗っちゃいないさ。今のは受け切れたようだがこれはどうかな?」


僅かに息の切れ始めた狩葉と彼女を見て笑みを浮かべるグラード、彼が剣を振るうと今度は4人に分身して一斉に襲いかかる。


「弐式、焔華円(ほむらかえん)!」


しかし狩葉もタダでやられるはずもなく、右足を軸にして回転しながら紅蓮華を横に振るうと空気との摩擦熱で生じた炎の渦が幻影を燃やし尽くす。


「残念だったな、この幻影は本体である俺を倒さなければ延々と増え続けるぞ!」


先ほどの倍の数になったグラードの幻影が再び狩葉に飛びかかる。


「伍式、逆氷麗(さかつらら)!」


ギリギリまで幻影を引きつけた狩葉は地面に蒼菫を突き立てると、彼女を中心に無数の氷麗(つらら)が地面から飛び出して串刺しにした。


「あーウザったいー!正々堂々勝負しなさいよ、こンの卑怯者!」


本体は無事だったのかさらに増える幻影を見て、狩葉はダンダンダンッと地団駄を踏みながら目の前の集団の中にいるはずのグラードに向けて罵声を浴びせる。


「悪いな、戦場じゃ卑怯者ほどよく生き残るんだよ。それに俺は卑怯者だからな、お前とマトモにやり合ってたら勝ち目なんてあるはずねぇ」


「あっそ、認められちゃったらもう何も言えないわ。零葉パース」


「はぁ⁉︎」


罵声に激昂するどころか開き直ったグラードに心理戦は無駄だと感じた狩葉は零葉に丸投げするそぶりを見せると、当然の如く彼は急なメンバーチェンジに目を見開く。


「冗談よ、このオッサンはアタシが仕留めるって決めたんだから。たとえ姉様でもこれには手出しさせないわ」


「ジリ貧の状態でよくもまぁそんな強がりを吐けたものだ褒めてやろう。だが安心しろ、次の一撃で終わりにしてくれる」


「……確かに次の一撃で決まるっていうのは同意してあげる。あと間違えてるようだから教えてあげるけど、アタシはいつでもこんな調子よ。負けそうだからって心まで折れたらそれこそ正真正銘の負けなんだから」


その言葉に偽りはないのか幻影たちが一斉に剣を構えると同様の殺気を全身から立ちのぼらせる。

一方、狩葉も両手の刀に闘気を集中させると、それに共鳴しているのか双眸の輝きが一段と増す。

両者の間につかの間の静寂が訪れた次の瞬間、グラードの幻影軍団は同時に四方八方から狩葉に向けて距離を詰めて剣を振り下ろす。

狩葉は静かにその姿を目で追いながらゆっくりと刀を構える。


千裂断首(せんれつだんしゅ)!」


蒼氷炎紅(そうひょうえんく)!」


目にも留まらぬ刹那の一閃。


「グフッ…⁉︎」


一拍の間を置いて身体から血が噴き出したのはグラード。

倒れ伏した後もその眼には燃え盛る闘志が宿る中に敗北の原因が分からないのか狼狽の色が混じっていた。


「どうして…見破れた…俺の幻影は完璧だったはず」


「そうね、確かにアンタの創り出した幻影はアタシの眼でも判別できないくらいに完璧だったわ。小さな一つの綻びを見つけるまでわね」


彼の創り出す幻影の完成度の高さに素直に賞賛を送る狩葉だったが、投げかけられた問いに自身の頬をチョンチョンと突いて指し示す。

彼女の示すまま自分の頬に触れたグラードはすぐに理解した。


「血…か…」


「アンタが根っからの戦闘狂で助かったわ。新しい傷まで再現してたけど、戦いに熱中しすぎて噴き出してた血をアイツらに投影するまでに意識が回らなかったのかしら?」


「ふふ…面白い小娘だ、それをあの一瞬で見極めて本体だけを叩く…なかなか出来ることじゃあない。完敗だ…と言いたいところだが…-精霊よ、汝らの御霊の欠片を我に貸し傷を癒し給へ-フルヒール」


瞬きよりも短い時間で本物を見破った狩葉の判断力に舌を巻きながらフラフラと立ち上がったグラード。

彼は指先で空中に何かを描き短く呟くと、その身体が淡い光に包まれ、それが止んだ時そこに立っていたのは数分前の無傷の姿で笑みを浮かべる彼の姿だった。


「アンタ…エルフだからまさかとは思ってたけど治癒魔法まで使えるとか…さっすがに血とスタミナが足りないんだけど…」


さすがに血を流し過ぎたのか乾いた笑いを浮かべながらへたり込んでしまう狩葉。

しかし、次にグラードの取った行動は意外なものだった。


「-()の者の傷を癒し給へ-ヒール」


その詠唱と共に狩葉の身体も先ほどの彼同様、淡い光に呑み込まれそれが止むと服は激しい戦いの痕を残しボロボロながらも、身体にできていた傷はキレイさっぱり消え去っていた。


「どういうつもり?」


「なーに、素晴らしい戦いを提供してくれた礼さ。別に感謝される謂れはねぇ」


「ハナからそんなつもりないわよ。むしろこの位してもらわないと、こちとらやりたくも無い戦いに巻き込まれて迷惑したんだから」


「ハハハッ!そうだな、こりゃ一本取られた」


礼はいらないと背を向けるグラードは、投げつけられた狩葉の悪態を聞いて豪快に笑う。

そして、何事もなかったかのように去ろうとして思い出したのかこちらを振り向いて口を開いた。


「先に言っておくがエルフィーの王、ゼーブルは俺より何倍も強えぞ。ありゃ本物の英雄だ、生半可な気持ちで相手してみろ、すぐに御陀仏だ」


「どうしてそんな事を俺らに教えてくれる」


彼からの思わぬ忠告に零葉が反応する。


「お前らは面白い、そんなヤツらにここでくたばって欲しくないってのが本音だな」


「身も蓋も無いわね」


「そこまで軍勢は迫ってる、相手するってんなら止めはしねぇが…これから先お前らがどうするかは俺の知ったことじゃないが、そこの嬢ちゃんは特に用心しろや」


そして、セレネに拘束されていた兵士たちを解放すると彼らを引き連れて去っていった。

去り際、兵士たちが口々に「どうして我らが敵を放っておくんですか!」「このようなこと我らが王に何と報告すればいいか」と言っていたが、グラードは一切聞き入れる様子はなかった。



「う…ここは…?」


暫くしてようやく目を覚ましたフィーナは全身が痛むのか目だけを動かして周囲の様子を見ていると、零葉が何故か視界の上側からどアップでヌッと現れる。


「目ぇ覚めたか?」


「ほぁぁぁぁ⁉︎零葉しゃん⁉︎」


あまりにも突然だったために思わず名前を噛んでしまうフィーナだが、身体が動かないので目だけが気まずそうに泳ぎ回る。

そこでフィーナは何故こんなにも近くに零葉の顔があるのか、そして先ほどから自分が頭を乗せている芯がありながらもちょうど良い具合に柔らかいものに気付く。

しばらく逡巡したフィーナは一つの結論にたどり着く。


「あのー…零葉さん、もしかして…いや、もしかしなくてもこれって膝枕です?」


「そうだけど?」


アッサリと答える零葉に悶々としながら思考を巡らせる。


(ほぁぁぁぁっ!こっ…これが狩葉さんの言っていた膝枕ですかっ!いい感じに寝心地の良い…ってあれ?そういえば狩葉さんの言っていたのは自分がする側じゃ…)


「…ナ…フィーナ、どうしたボーッとして。まだどこか痛いのか?」


彼女が堂々巡りしている間に何度か呼ばれていたのだろう、心配そうに零葉が再びジッと見つめてきていた。


「なっ…なんでもないですわってんだ⁉︎」


気が動転しているのか口調までおかしくなりながら否定するフィーナに零葉は何を勘違いをしたのか眉を下げる。


「ゴメンな、もっと早く止めてやれば良かった…不甲斐ないな」


「零葉さん…」


己を不甲斐ないと言った零葉に声を掛けようとしてある一点に視線が釘付けになる。


「それ…自分がやったんですよね…」


彼の肩の赤い染みと爪痕、グラードとの戦いで我を忘れたフィーナが付けてしまった傷だ。


「覚えてるのか?」


「朧げながらですが……自分は獣人族(ビーストール)の数ある部族、その中に分類される人狼族の中で更に希少な亜狼人(フェンリル)という一族の生まれで、獣人族の中でも数個体しか確認されていない覇獣(はじゅう)という特異体質を持っているようで…」


「覇獣って一体何なんだ、そこにお前の豹変も関係してるのか?」


「はい、覇獣…別名を『始まりの獣の血族』と言って自分たち獣人族の祖先である始まりの獣、真獣 スヴァンシーグの血を色濃く受け継いだ存在のことを指します」


フィーナはポツポツと自分の身体の内に眠っている凶暴な獣のことを打ち明け始める。


「覇獣個体は感情が昂ぶると戦う以外のことが目に入らなくなり、その状態が長引くと神獣化という暴走状態に陥ります。その姿になった獣人族はその目に映るもの全てを破壊し尽くすか死ぬまで止まることはないと言われています」


「あれがそうなのか」


「はいです。正直なところ、狩葉さんが止めてくれてホッとしたんです…。それが無かったら今頃、自分は零葉さんをもっと傷付けたかもしれなかった…」


「フィーナ…」


「それだけじゃない、狩葉さんや他の皆さん、ひょっとしたら関係ない人たちまで巻き込むかもしれなかった。この狂った力のせいでまた大切な人と場所を失うかもしれなかった…10年前、母さまを犠牲にした時のように…」



「母さま!見てくださいっ、お花で輪っかを作ったんです!」


「あらフィーナ、よく出来てるわ。着けて見せてちょうだい?」


タッタッタッと廊下を小走りしながら幼い頃のフィーナは探していた人物を見つけると笑顔を咲かせながら駆け寄る。

フィーナが駆け寄ったのは彼女のように綺麗な茶色の長髪を靡かせる1人の女性だった。

フィーナに母さまと呼ばれた女性は茶色の耳をピクンと動かして振り向くと駆け寄って来た娘を微笑みながら抱き上げる。


「んーん、これ母さまにプレゼントしようと思って作ったの!えーっとね、イサベラに作り方を聞いてね、それでそれでメリッサと一緒に作ったの!」


そう言って抱き上げられたフィーナは持っていた花冠を母親の頭に乗せる。

最初はキョトンとしていた彼女の母はすぐに嬉しそうに表情を綻ばせると愛娘の頭を優しく撫でた。


「ありがとうフィーナ、宝物にするわね」


「えへへー、フィーナえらい?」


「ええ、偉いわイサベラとメリッサにはちゃんとお礼を言ったかしら?」


「うんっ!」


「よく出来ました」


母親に褒められたのがよほど嬉しかったのか幼いフィーナは満面の笑みで耳をピコピコと動かしていた。

しかし、その平和な日常も長くは続かなかった。

戦火が静かに、そして着実に2人を飲み込もうとしていたのだ。


「母さまは獣人族の中でも伝説と呼ばれるほどの女戦士でした…種族間での戦争が激化していく中、母さまは自ら戦地に赴くことを決めたんです」


思い返されるのは母の勇ましい後ろ姿とそれに鼓舞される数多の戦士たちの姿。



「皆が戦い、傷ついてゆく中…己だけ安全な場所で過ごして何が伝説の戦士か!私はレオナ・クロムシェイド、悪しきを絶ち友を守る亜狼の戦士。必ずやこの剣で我らに再びの平和をもたらさん!」


「「ウォォォォォッ!」」


大勢の戦士たちの前で高らかに剣を天に向けて掲げるフィーナの母、レオナは鎧を着込み、今まさに戦の最前線へ向かおうとしていた。


「母さま…どこかに行ってしまうのですか?」


「ゴメンなさいフィーナ…でもね、お母さんの事を大勢の人たちが待っているの…だから行かなくちゃいけない」


出発前、戦士たちは各々の家族とのまた会えるとも知れぬ明日を思い別れを交わしていた。

そんな中、フィーナは目の前に立つ母をどうにか戦地に行かせたくないが為に無駄と分かっていながらもいくつも言葉を並べ立てる。


「でもでも…フィーナはまだ1人じゃ何もできません…お勉強にお稽古…着替えだって…」


「心配ないわ…どれもメイドたちがキチンと面倒を見てくれるわ。ちゃんと言うことを聞くのよ?」


「だけど…だけどっ…」


「フィーナ…」


何か言葉を紡ごうとしたフィーナはレオナに抱きしめられその先が言えなくなる。

ヒンヤリとした鎧の感触の奥に母の確かな温もりを感じた。


「お母さんは必ず帰ってくるわ…だってこんなにも愛おしいアナタが…家族が待ってくれているんですもの…」


その時、フィーナの耳に一粒の雫が当たる。

何かと思って見上げた彼女の目に飛び込んできたのは、涙を堪えながら抑えきれなくなったものが瞳から次々に溢れ出している、フィーナが生まれて初めて見た母の涙だった。


「ダメね…昔だったらこんなことなんて無かったのに…すっかりあの人に感化されちゃったみたい…でもこれでまたしばらく涙は見せないで済むわね…」


苦笑しながら涙を拭い、両頬をパンッと叩いたレオナの表情は先程までの凛々しいそれに戻っていた。

フィーナも母に負けじと精一杯強がるのは、この先どうなるか分からない未来を恐れ母を引き止めようと困らせるよりも母が決めた事を精一杯後押しする事が今の自分に出来る最大限のエールだと気付いたからだ。


「母さまが帰ってくるまでにフィーナも強くなります!だから、ぜったいに帰ってきてください!」



「それからしばらくして、獣人族の劣勢が国内に広がり始めました。ある者は諦めて国外に逃げ、ある者は先代の国王を叩き、ある者は自ら命を絶つ…歴史上、最悪の国内状況でした」


唇を噛み締める彼女の口元から血が滲み赤く染める。



「フィーナ!」


深夜、バンッと扉を開け放ってフィーナの自室に現れたのは傷だらけのレオナだった。

戦地にいるはずの彼女の突然の帰還に驚いて飛び起きるフィーナ。


「母さま⁉︎」


「良かった…無事だったのね…」


ギュッと抱きしめたレオナから漂うのは微かな硝煙の匂いと血の匂いだった。

むせ返りそうな匂いだったが、フィーナはそれよりも母が帰ってきてくれたことがよほど嬉しかったのか気にならなかった。


「来たかっ…!」


バッと扉の方へ振り向くレオナ、その視線の先には曲剣を肩に担いだ男が立っていた。


「みーつけた、その子が捕縛対象か。クロムシェイド、大人しくこっちに差し出せばアンタをこれ以上傷つける理由も無くなるんだ。どうするよ」


「愚問だな…己が生き残るために愛娘を犠牲にしろと?バカも休み休み言え、グラード」


「天下の冥狼さまが家族第一か…変われば変わるもんだねぇ」


「黙れ下衆が…誰に雇われている」


飄々とした態度のグラードに苛立った様子のレオナが睨みを利かせながら問うと、片眉を吊り上げて嗤う。


「ハッ…生憎、俺は口が堅くてなぁ。クライアントについては情報を一切明かさないことを前提にバカみてーな大金を貰ってんだ」


「ならば力尽くで聞き出してくれる!」


「やれるもんならやってみな!」


刹那、両者の剣が火花を散らして交錯する。

烈火の如き連撃を繰り出すレオナとそれを紙一重で躱し続けるグラード。


「全盛期よりおっかねーな。家族の為にこんなに我武者羅に突っ込んできやがるか」


「ハァァァッ!」


「ヘッ…いよっと!」


裂帛の気合いを見せるレオナに壁際へと追い詰められるグラードだったが、笑みを浮かべると足元に魔法陣を出現させ、次の瞬間何もない空間を足場にして踏み抜くと彼女の頭上を飛び越える。


「クッ…風魔術で空気を足場にしたか…」


「わりーな冥狼さんよぉ、俺もこう見えて森精族(エルフィー)の端くれなんだわ」


「フンッ…であれば魔力が枯渇するまで使わせるだけだ!」


自分の知っている母とは似ても似つかない、闘争を楽しんでいるレオナの表情にフィーナは不安を覚える。


「母さま…」


フィーナは小さく母を呼ぶが、レオナの耳にその呟きが届くことはない。


「ハハッ!冥狼さんも久しぶりの実戦だもんなぁ、流石に息が切れてきたか」


数度目の一進一退の撃ち合いを引き分け、距離を取るグラードが僅かに息の荒くなってきたレオナを見て笑みを浮かべる。


「貴様のような下衆は首だけになってでも道連れにしてくれる」


「おぉ怖え、じゃあ早いとこ黙ってもらわなくちゃな」


グラードがそう言い終わるや否や、懐からナイフを取り出しフィーナに向かって投げ放つ。


「貴様っ!」


咄嗟に彼女を覆い被さるように守ったレオナの背中にナイフが深々と突き刺さる。


「アァァァッ!」


その激痛に目を見開いて仰け反るレオナの髪をグラードが掴む。


「母さま!」


「見ろよお嬢ちゃん、これがお前の大好きな母さまが苦しんでる顔だ」


「…な…」


「あ?」


「母さまをいじめるなァァァ!」


レオナの表情を見て凍りつくフィーナが何かを呟き、グラードが聞き直そうと顔を近付けた瞬間、ベキッという骨の折れる音と共にグラードがフィーナの居たベッドから数メートル離れた部屋の入り口まで吹き飛ぶ。


「何が起こりやがった…⁉︎」


突然の出来事で呆気に取られていたグラードが視線をフィーナに戻すと、そこには瞳を凍てつくような蒼に染め茶色だった髪は金色に染まり、殴った影響か血が滴り骨も折れてグチャグチャになった右手を握りしめる彼女の姿が映った。


「フーッ…フーッ…」


「フィーナ…貴女まさか…」


唖然としたのはレオナも同じだったのか震える声で豹変した娘の名を呼ぶ。


「このタイミングで覚醒しやがったか…こりゃ無傷で連れて行くってのは難しそうだな」


「っ…そんなことはさせない!」


そう言ってフィーナを抱きかかえると部屋の窓から外に飛び出すレオナは地面に着地すると怪我をしているとは思えないスピードで逃げ去った。


「ありゃ…逃げられちまったか…。まぁいいや、冥狼の方はナイフに仕込んでおいた毒でじきに指一本動かせなくなるだろうからな」


あとはゆっくり娘共々追い詰めるだけだ。と呟いて、口に溜まった血を吐き出すとグラードは下卑た笑みを浮かべた。


「あっ…!」


彼女たちの住んでいた家が見えなくなりどことも分からない森の中を突き進んでいたレオナだったが、不意に足が(もつ)れフィーナを投げ出すように倒れてしまう。


「くっ…フィーナ…。あのナイフ…毒が塗られていたのね…」


すぐに彼女の元に駆け寄ろうと思ったレオナは自分の身体が動かなくなり始めていることに初めて気付いた。


「母さまっ…痛いよぉ…」


投げ出され地面に叩きつけられたからか、グラードを殴った右拳のせいかは分からないが痛みに呻くフィーナが必死に母を呼ぶが、そのレオナは徐々に麻痺してきている自分の感覚に抗いながら引き摺るように這って彼女の元に辿り着く。


「フィーナ…もう大丈夫よ…」


レオナは震える左手をフィーナに翳すと、そこから淡い緑色の光が放たれあっという間にフィーナの傷や右手が治った。

気力、体力を完全に使い果たしたレオナは途絶えそうな意識を必死に繫ぎ止め、娘に最期の言葉を遺す。


「母…さま…?」


「多分すぐにさっきの男が追いかけてくる…その前に貴女をお母さんの魔術で出来るだけ遠くに逃がすわ…貴女のことを誰も知らない場所に…お母さんとはここでお別れ…貴女には覇獣という凄い力が宿ってる…でもそれを使ってあの男に復讐するなんて考えないで…逃げて…逃げ延びて…」


状況の呑み込めないフィーナは母の言葉を受け止めきれずにいた。


「母さま…フィーナを1人にしないって約束したよね…?」


母と交わした約束を口にしながらフィーナはフルフルと弱々しく首を振る。


「ゴメンね…でもこれだけは言わせて…お母さんは貴女のお母さんで幸せだった…フィーナに会えてよかった…お母さんの娘として産まれてきてくれて…ありがとう…」


次の瞬間、レオナの残していた魔力で発動した転移魔法がフィーナを包む。

その中、彼女が最後に見たのは大粒の涙を零しながら微笑む母の顔だった。

お陰様で「魔刃と魔神」も22話目まで続けることができました。

もちろんまだまだ続きますが2回目のゾロ目ということでこの場でこんな拙い文章を読んでくださっている皆様に感謝の意を述べながら今回のあとがきとさせていただきます。


この後も続々と新キャラや強敵を出すつもりでいるのでお楽しみに、そしてこれからも「魔刃と魔神」をよろしくお願い致します!

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