いざ国外逃亡
「そんなことより岩窟竜の相手なんかしてたせいで予定よりだいぶ遅れてると思うんだが?」
ようやくお互いの自己紹介も終わり、ヴァルが溜息交じりにぼやくように告げる。
彼の言う通り、本来であれば今頃は洞窟も抜けてラグ・バルまでの街道をあと数時間歩くだけの予定だったのだ。
そうは言うものの、ここで岩窟竜に遭遇するのは想定外だったため仕方のないことだったのだが、そこでフィーナがなんとも空気の読めない一言を手を挙げながら発する。
「あのー、出発の前にバシリスクの鱗と牙を回収させてください…」
「はぁ…早くしろよ?」
「はいです!」
そうしてバシリスクの死骸のそばでしゃがみ込んだフィーナは、腰元からナイフを抜くとバシリスクの堅い鱗と鱗の隙間にその刃を滑り込ませ梃子の原理でベリッと嫌な音を立てながら引き剥がす。
その要領で数十枚の鱗をあっという間に集めたフィーナは今度は上顎の牙を回収するために腰の両サイドに携えてあったポーチの片方から鉄鎚と鑿を取り出すと、斬葉がバシリスクを一刀両断した際に砕けた牙の欠片を拾う。
それを牙の根元に置いて鉄鎚で力強く叩くと、牙の根元に僅かな亀裂が入る。
作った取っ掛かりを目印にして鑿をあてがうと、先ほどよりも強く鉄鎚を振り下ろす。
その作業を数回繰り返すとパキンッという音と共に牙が折れる。
数本の牙を採取した後、道具入れとして使っていたポーチとは反対側のポーチを開けてそれらの素材を全てしまい込んだ。
「お待たせしましたです、やっぱりバシリスクの牙は頑丈ですね。これなら良いものが作れそうです」
「待たせ過ぎだ!1時間もまた無駄に時間ロスしちまったじゃねーか!」
「もっ…申し訳ありませんです!」
「まーまー、別にアタシたちもそんなに急ぐ旅じゃないんだから良いじゃない。フィーナちゃん、その素材って一体どんなものに使うの?」
額に滲んだ汗を拭いながら達成感に満ちた良い笑顔でペコリと頭を下げて礼を言うフィーナ。
彼女の作業は想像以上に時間が掛かり、痺れを切らしかけていたヴァルがウガーッと両手を振り上げながら怒ると、彼女はビクッと跳ねてその大きな瞳に涙を浮かべて謝罪する。
そんなヴァルを宥める狩葉が素材の使い道について彼女に尋ねる。
「今ですね、新しいライトメイルとアームの試作を行っているのですが、どうにも強度が基準値を下回ってまして…ですからバシリスクの鱗を織り交ぜながら作れば中々の強度になるのではと考えたわけです」
「牙は?」
「牙は主に武器の素材になるものですね、例えばランスやスピアの先端だとか…量産さえ出来るようになれば鏃になんて使い道もありますけど」
そう言いながらも早く戻って試したいのかソワソワと落ち着かない様子で言うフィーナ、根っからの職人気質なのだろうと零葉が考えていると。
「おい、チンタラやってるうちになんか来たぞ」
ヴァルの一言に一行が洞窟の入ってきた方へと振り向くと無数の魔物がバシリスクの血と肉の臭いに引き寄せられたのか大群になって迫ってきていた。
その数、百は優に超えるだろうか大量の魔物の大行列が奥の方まで途切れることなく続いていた。
「逃げましょう」
最初にそう言ったのは意外なことに斬葉だった。
彼女はバシリスクとの戦闘になった際、狩葉に預けて先ほどまでは地面に置いてあった自分の荷物とフィーナを両肩に担ぎ上げると脱兎の如く走り出した。
その速さはウ〇イン・ボ〇トもビックリの超全力疾走、瞬く間に洞窟の奥へと消えていった。
その姿を呆気にとられながら見送る残された4人だったが、魔物たちの咆哮で現実に引き戻される。
「どわぁぁぁぁぁっ!」
「きゃあぁぁぁぁっ!」
「叫んでないで逃げましょ?」
「お先に」
すぐ後ろに迫った魔物の波に思わず絶叫する零葉と狩葉、そんな2人に百葉はツッコミを入れながらもヴァルの背中に跨ったまま低空飛行で飛び去ってしまった。
「待てやぁぁぁぁぁっ!」
「アタシを置いて行かないでよぉっ!」
そそくさとその場から退散したヴァルと百葉に怒号を浴びせながら追掛け、置いてけぼりを食らって涙目の狩葉が後に続く。
思いの外、先行していた斬葉やヴァルは近くにいた。
そこに息を切らしながらも無事に合流した零葉と狩葉の2人はそのまま地面に座り込んだ。
「はぁ…はぁ…ようやく追いついた…」
「な…なんで真っ先に姉様が逃げるんですか。珍しいこともあるんですね…」
「あの程度の魔物の大群、殲滅したところで一銭の得にもならないですから。無駄に体力を使うくらいならラグ・バルへの道を急ぎますよ」
斬葉の至極真っ当な意見に「確かに…」と苦笑交じりに賛同する2人。
彼女は担ぎ上げていたフィーナを降ろすと荷物を担ぎなおす。
「あ、アレは自分の荷車です!…えいっ!」
そう言ってフィーナが指差した先には、先ほどバシリスクに襲撃された際にそうなったのだろう横倒しになった荷車が壁に突っ込んでいた。
トコトコとその荷車に歩み寄ったフィーナは少女のような見た目にそぐわない怪力で荷車を元の向きに直す。
どこか見たことのある光景に思わず苦笑いしてしまう零葉と狩葉。
「ん?どうしたんですかお二人さん」
「いや、何か…」
「既視感が凄まじくて…」
「なんのことかしら~?」
そんな2人の表情を見てキョトンとした顔で首を傾げるフィーナと、あからさまにしらばっくれながら口笛を吹く百葉だったが、上手くできないのか空気の抜けるようなプヒューっという音が洞窟に虚しく木霊する。
「ホロはダメになっちゃってますけど皆さんが乗れるくらいには広いので良かったらラグ・バルまで乗っていきませんか?」
「それは願ってもない申し出だが、荷車を引くための牛馬はどうするんだ?」
一通り荷車を点検し、再使用が可能だと判断したフィーナが提案を持ちかけるが口を挟んだヴァルの言う通りで、肝心の荷車を牽引をするための動物がいないのだ。
しかしフィーナは特に気にした様子もなくキョロキョロと周りを見渡し指を咥えるとピィーッと指笛を鳴らす。
すると洞窟の分かれ道の一つ、その奥からドスッドスッドスッと重めな足音を響かせながら何かが近づいてきた。
そして現れたのは真っ赤な鱗を身に纏った小さめのドラゴン、それを見たヴァルが驚いて目を見開く。
「こりゃ驚いた…ヴォルカニスドラグーンの幼竜じゃないか。絶滅したかと思ってたがまさかこんなところでお目に掛かれるとは…」
「ピー助!無事でよかった…」
どこぞの青いネコ型ロボットの家に一時期飼われていた恐竜よろしく、ピー助と呼ばれた幼竜はグルルゥと喉を鳴らして甘えるようにフィーナにすり寄る。
彼女はピー助が無事だったことに喜びを隠しきれないといった様子で優しくその頭を抱きしめて再会を喜んだ。
「その竜はもしかして…」
「はいです、この子はピー助っていって自分の商売の大切な相棒なのです。先のバシリスクに襲われた時にどこかに避難していたみたいですね」
「これで牽引の問題も解決か」
安堵した様子でうんうんと頷きながらピー助に触れようと手を伸ばす零葉。
ピー助はというと人懐っこいのか特に拒絶する様子もなくむしろ撫でてもらうことを催促するように自分から零葉の方へ頭を寄せた。
「珍しいですね、この子普段は初対面の人にはこんな風に近寄ったりしないんですよ?」
「とりあえず世間話はこのくらいにして進まない?何か、さっきの魔物の大群とは別に2.3個別の気配が近付いてきてるみたい」
のほほんとした雰囲気を醸し出している零葉、フィーナ、ピー助の2人と1匹に狩葉が目を閉じたまま声を掛ける。
バラバラとした魔物の足音に紛れて重い足音が混ざっていることを彼女の能力で強化された聴力が聴き漏らすことなく拾い上げたのだ。
「あーもしかして他のバシリスクがさっきのヤツの断末魔に引き寄せられたか…逃げた方が良さそうだな。あんなのをいくつも同時に相手にしてたら身が保たないぞ」
ヴァルの不吉すぎる予測を聞いてフィーナは先ほどの九死に一生な場面を思い出して小さく身震いする。
そして、手慣れた様子であっという間にピー助と荷車を繋いで御者台に飛び乗ると全員に乗車を促す。
「皆さん、準備ができましたです!乗ってください、すぐに出発します!」
急いで全員が乗り込むとそれを肩越しに確認したフィーナは手綱をしっかりと握るとヒュンッと振ってピー助に出発を促す。
幼竜といえど竜は竜、ピー助は洞窟内を震わせるように大きく一鳴きすると数回足踏みした後荷車を牽引して出発する。
最初は人の歩くスピード程だったのが徐々に自転車のそれに、そして。
「皆さんスピードアップしますよ!しっかりどこかに捕まっていてくださいね!あ、あと口は閉じておいてください、舌を噛んじゃうかもしれませんから」
「へ?それどういう…いっ⁉︎」
そんなフィーナの一言が聞こえたかと思うや否や、自動車ぐらいのスピードに加速し、数秒後には身を屈めていなければ吹き飛ばされてしまうほどの風圧を感じるスピードになっていた。
そんな速度で舗装など当然されていないデコボコの道を走るものだから小さな石に乗り上げるだけで木造の荷車はピョンッと飛び跳ね、その度に御者台に乗っているフィーナはもちろん荷台に乗っている零葉たちは荷台の縁に捕まっている手だけを残してボヨーンボヨーンと身体が宙に浮いたりしていた。
「出口ですよ!止まれピー助!」
曲りくねった道の先に光が溢れていたどうやら出口のようだ。
そこから飛び出した瞬間、フィーナは手綱を引っ張り急ブレーキをかけた。
それによる猛烈なGが前方に掛かり、フィーナ以外の全員はポーンと前に投げ出された。
スタッと問題なく綺麗に着地する斬葉と狩葉、ヴァルに抱きかかえられてゆっくりと地面に降りる百葉、零葉はどうやら投げ出された角度が急だったらしく受身も取れないまま近くにうず高く積まれていた干し草の山に頭から深々と突き刺さっていた。
「外に出れば一安心です…はぁー死ぬかと思いましたよ」
「何で…急ブレーキ…かけた…」
気を張っていたせいか額に滲んでいた汗を拭い、はふぅと息を吐くフィーナに対して干し草に頭を突っ込んだままの零葉がもがきながら文句を垂れる。
狩葉はそんな零葉に近付き、その右足を掴むとグイッと引っ張って引き上げる。
そうして現れたのは顔中に干し草を張り付けた不機嫌な表情の零葉。
「はうっ…申し訳ありませんです…ですが関所の前ですので…」
「関所ですか、お母様、今現在私の脳内で生じた一番最悪で面倒な展開があるのですが…」
「奇遇ね斬ちゃん、お母さんも今全く同じ事考えてると思うの」
ギロリと零葉に睨みつけられたフィーナは涙目になりながら謝罪する中、斬葉と百葉がフィーナの指差した関所らしき建物を見て何やら相談をしながら嘆息していた。
そんなやり取りを各々が繰り広げていたが、関所から現れた人影にそれも中断させられる。
何故なら、その人影は長い耳、つまりエルフィーだったからである。
「お前たち、まさかルヤを通ってきたのか?」
エルフィーの男性はそれなりに頑丈そうな鎧を身にまとい、腰には一振りの剣が携えられていた。
彼は驚いたような表情で零葉たちの元に歩み寄ってきた。
「何やら王都のほうで一悶着あって侵入者を外に逃がさないようにバシリスクを壁の中に大量に放って封鎖してたらしいぞ。そんな危険地帯をよく無事に抜けてきたな」
どうやらその一悶着の原因である零葉たちのことは知らないらしい。
そうと分かるとフィーナとピー助、ヴァル以外の魔殺家の面々は警戒を解く。
そして極力男性に疑いの目を向けられないように話の調子を合わせる。
「いやーホントですよ、王都での荷下ろしが済んでいざラグ・バルに帰ろうと思ってバシリスクの滞在周期から外れたルヤを選んだんですけどそんな事があったせいで危うくバシリスクの腹の中に収まりそうになりましたよ」
「そりゃー災難だったな。ま、お偉いさん方もあんたら商人に被害が及ぶなんて想像もしてなかったんだろ、許してやってくれや」
「もちろんですよ、常日頃から魔具を発注してくれるエルフィーの皆様に感謝する事はあれど、恨むことなんてこんなヒューマンにはできませんから。今回は少しばかり運が悪かっただけですよ」
こういった会話で相手を欺く事も仕事の一部と化している零葉の口からフィーナやヴァル、そしてエルフィーのゼノンの会話や態度から得ていた情報を使っていけしゃあしゃあと嘘の話をでっち上げる。
話を聞いて「えっ⁉︎」と声を上げてしまいそうになるフィーナの口を咄嗟に塞いだ狩葉のファインプレーにも助けられて、関所での手続きは何の滞りもなく終わった。
「んじゃ、次のウチでの取引も頼むよー」
「はいでは」
男性は思いの外、人類という種族を嫌ってはいないようだった。
零葉に促されてフィーナが荷車を走らせ出したその後ろ姿を彼は暫くの間手を振りながら見送ってくれた。
「プッ…アハハハハッ!まったく、アンタもすっかり嘘ばっかり吐くようになったわね。誰のせいかしら」
「止めてくれよ、あのオッサン思ってた以上に良い人過ぎて久しぶりに俺の良心が痛んでんだから」
「そろそろ説明していただけますよね零葉さん。何故関所で嘘を吐いたんですか?」
男性が見えなくなり、とうとう笑いを堪え切れなくなった狩葉が吹き出して零葉の背中をバンバンと叩く。
そんな彼女に耳が痛いと言わんばかりに片目を瞑ってしかめっ面になる零葉。
しかし、未だに状況の飲み込めないフィーナが少し怒った様子で零葉を問いただす。
「悪い悪い、実はだな俺らエルフィーのヤツらに追われてんの」
その短絡的な言い方にフィーナは口をあんぐりと開けて呆然とし、狩葉は語弊があると言って言い直す。
「正確には度重なる正当防衛の結果、追われる身になっちゃったってだけ」
それにも若干の語弊があるような気がするが、フィーナは明らかに危なっかしいこの家族にそんなツッコミを入れられるほど命知らずではなかった。
喉まで出かかったその言葉を奥に押し戻して更に質問を重ねる。
「エルフィーの土地でいざこざを起こすなんて常人のやることではないと思うのですが?」
「だってなんも知らねーんだもんよ、この世界のこと」
おかしい、いくら何でも種族間で暗黙の了解的に存在する階級序列を知らない知的生命体はいないはず。
とフィーナはそこまで考えてはたとあることに気付く、零葉の言った「この世界」という単語。
まるで別の世界があるような話ぶりではないか、そんなことを一人黙り込んで思慮していたフィーナの視界に斬葉が音もなく顔を覗かせる。
思わぬ不意打ちにヒィッと小さく悲鳴を上げてしまうフィーナ。
怯える彼女に斬葉が告げたのは彼女にだけ聞こえるような小さな一言。
「まさにその通りです」その一言でフィーナの仮説は確信に変わる。
「皆さんは…別の世界のヒトなのですか?」
フィーナの投じた一石で水を打ったように静まり返る一行。
刹那、言葉では形容できない恐怖が彼女を襲った。
見ると先ほどまであっけらかんとしていた零葉や狩葉が寒気を感じるほどの鋭い視線を向けてきていたのである。
そして風景も心なしか暗く澱んでいるように感じる。
命の恩人と思っていた人物たちの豹変に涙が溢れそうになるフィーナ。
自分はここで殺されるのかもしれないと覚悟を決めた次の瞬間。
「いやーさすがにヒント出し過ぎちゃったかー」
「もー、こういうのはこっちから明かしてリアクションを見るのがフツーでしょー」
「ゴメンゴメン、つい口が滑っちまって。つか姉さんの目つき怖すぎ」
「アンタも大概よ…というか、姉様が分かりやすい大ヒントをあげちゃったからですよ」
「何となく勘付いているのにそのままモヤモヤさせておくのも可哀想だと思ったので。そもそも、それを無闇に明かすのは止めなさいと言ったでしょう?」
パチンと蛍光灯が点けられるようにフィーナの世界が元の明るさに戻ると同時に零葉や狩葉が笑い声を上げながらお互いのダメ出しを始める。
コロコロと変わる雰囲気に目の端に涙を溜めたまま「え、え?」と説明を求めるフィーナ。
「ほら3人が意地悪するからフィーナちゃんが泣いちゃったじゃない。大丈夫よ、この子たちの悪ふざけだから」
フィーナを置いてけぼりにしている3人をたしなめるように百葉が珍しく声に少しの怒気を混ぜて一喝する。
そして涙目のフィーナを優しく抱きしめるようにして、その獣耳の付いた頭をそっと撫でる。
その温かさに安堵したのか悪ふざけと教えられたからなのかは分からないがボロボロと大粒の涙を流し始めるフィーナ。
さすがにこれはやり過ぎたと思ったのか慌てて彼女を慰めようとする零葉と狩葉。
「うわーーーん!怖かったよぉー!」
「え、あ、悪かったってフィーナ!まさか泣くなんて思わなくて、そもそもこれは姉さんの発案で…」
「なっ…アンタこんな時ばっかりアタシだけに押し付けて…アンタもアンタでノリノリだったじゃない!」
「ぜっ…」
「?」
「零葉さんの…バカぁー!」
大号泣のフィーナの放った右ビンタは狂いなく零葉の横っ面をブチ抜いてその身体を天高く宙に吹っ飛ばした。
そういえば…薄れゆく意識の中零葉の脳裏をよぎったのは数刻前のワンシーン。
荷車を1人で持ち上げるフィーナの姿だった。
「フィーナも馬鹿力だった…」
「おー飛んだわねー」
「なんで俺だけ…」
少し下から我関せずと言わんばかりに呑気な狩葉の声が聞こえ本気で彼女への殺意が芽生える零葉だったが、ポロッと零れた最期の言葉は誰にも届くことなく空に呑まれて視界はブラックアウトした。