真実は時に残酷
千里眼の隠れ家で”辻斬り一閃”に関する重要な手掛かりを掴んだ川間と黒姫の2人は急いでその場を後にし、容疑者である藤沢 雅美の家のある住所へプロフィールを頼りにそこへと移動した。
「すっかり日が暮れちまったな。今までの事件の傾向を踏まえて考えると、藤沢がターゲットを襲うのは深夜。まだ若干の時間はあるか?」
千里眼の店から藤沢 雅美の家までは、さほど離れてはおらず全力で走って5分弱の場所だった。
そこは、並外れた身体能力を持つ2人にかかれば全力で走って目的地に着いても息一つ切らしていなかった。
そして、一応と念には念を入れて藤沢 雅美に気付かれないように路地裏から息を潜めて、彼女の住むであろうアパートを監視することにした。
「部屋の明かりは点いてるから居るみたいだな」
「そのようですね。ところで川間さん、1つお願いがあるのですが聞いていただけますか?」
路地の角から縦に連なるようにアパートを見ていた川間と黒姫だったが、唐突に黒姫が願いを聞いてほしいと言ってきた。
あまりの唐突さに一瞬呆気にとられる川間だったがすぐに苦笑して頷く。
「ああ良いぞ。俺で叶えられる願いだったらだけどな」
「簡単なことなのでご心配なく。藤沢 雅美が現れたら起こしてください、それまで私は仮眠を摂らせて頂きます」
そう言って彼女は川間の返答も聞かず、背負っていた細長い風呂敷包みを抱えるようにして座ったまま眠ってしまった。
すぐに小さな寝息の聞こえてきた少女を見て、普段は大人びている黒姫も寝ている時は歳相応なんだなと思わず微笑んでしまう川間に、何故か眠っているはずの黒姫から”何かしたら問答無用で斬り捨てる”と言わんばかりの殺気が向けられて浮かべていた笑みを引き攣らせるのであった。
「まだ20時前か…こりゃ長丁場になりそうだな」
暫くして川間が時計を見ると体感時間は3時間以上だったにも関わらず、実際はまだ1時間弱しか経っていないと分かったことで、あまりの時間経過の遅さに苦笑せざるを得ない。
そしてアパートの方を見ると未だに明かりが煌々と点いているのがカーテン越しにも分かった。
もしかしたら電気を消し忘れたまま外出したのではとも考えたが、遠目でも分かるカーテンの年季の入り具合に長いこと同じ場所に住んでいる人間が電気を消し忘れるなど初歩的なミスをするとも考えにくかったのだ。
「22時…まだ動かないか…」
時折カーテンの向こうに人影がちらつくのが見てとれたが、一向に外出する気配は無かった。
もしかしたら今日は動かないのかもしれない。
そもそも彼女は全く無関係なのかもしれないという考えが頭を過ぎり始めた頃、フッと部屋の電気が消えた。
寝るだけなのかもしれないという考えを持ちつつ、耳をそばだてて様子を探る。
幸いにもこのアパートは繁華街からかなり離れた住宅街の中にあり、この時間帯であればかなり広範囲の音を聞き取れる。
そして、暫くしてからドアの開閉音と施錠音、そして鉄の階段を降りるヒールのカツンカツンという音が聞こえてきた。
「黒姫…起きろ…動いたぞ」
その音に仮眠をとっていた黒姫を起こそうと出来る限り小さな声で呼び掛けながら彼女の方へ振り向くと、既に目を開け川間を見つめる黒姫がいた。
路地裏の暗がりの中、彼を見つめる翡翠色の瞳だけが輝いている。
「起きてたのか…いつからだ?」
「彼女が部屋の電気を消した音で気付きました。消す前に布団などの寝具を整えているような音もしなかったので」
どうやら彼女は周囲の音を聞き集めながら眠っていたようだ、何という並外れた能力だろうか。
それだけでなく、普通の人間ならばまず聞き取れないような遠くの、尚且つ窓とカーテンに隔てられた部屋の中の音が彼女の耳には届いていたことを知り、川間は舌を巻くしかなかった。
そうこうしているうちにアパート沿いの道の向こうに藤沢 雅美と思わしき人影が繁華街の方に向け歩いてゆく後ろ姿が見えた。
「追いますよ」
「分かってる」
お互い短い一言だけを交わし、息を潜めたまま藤沢を尾行し始める2人。
夜の繁華街はこんな時間にも関わらず多くの人がいた。
辿り着いた2人は逆に怪しまれないように出来るだけ普通に歩きながら藤沢の後を追う。
「ギリギリまで手を出さないようにしましょう…あくまでも現行犯で取り押えることを考えてください」
「言われなくても…決定的な証拠が無い以上は動かないさ」
しばらく歩いて藤沢が一軒のビルの前で立ち止まった。
それに合わせて2人は街路樹の陰に身を隠す。
キョロキョロと挙動不審のように周囲を見回して藤沢はそのビルの中に入っていった。
「ここは…」
「あれですね」
「キャバクラだな…」
「ですね。行きましょうか」
「いや待て待て待て!…ってこのやり取りさっきもやったから!」
そう言いつつ、躊躇いもなく入っていこうとする黒姫。
それを慌てて止める川間。
先刻とデジャブしている気もするが先ほどとは比べ物にならない危険な香りがすることは言うまでもない。
事前に藤沢の襲うであろうターゲットの詳細を教えてもらっていたので、水商売をやっているとは聞いていたのだが、いざ少女とこんな場所に入るとなると躊躇われるものがあった
「いいから行きますよ」
そんな川間の心の葛藤をよそに、腕を掴まれている黒姫は少女とは思えない怪力で川間ごと引き摺ってビルに足を踏み入れていった。
店に入ると黒服の男性が張り付けたような営業スマイルを2人に向けてくる。
だがその視線が黒姫に向くと途端に表情が険しくなる。
「いらっしゃいませ。…お客様、当店はお子様同伴での入店はお断りしています」
当然の如く入店を拒否されるが、黒姫が財布を取出し免許証らしきものを渡す。
すると黒服の視線が免許証と彼女の顔を数回往復する。
「失礼致しました。ようこそお客様、当店は初めてでございますね。ご指名の女の子はございますか?」
「あー…だったら香澄さんお願いします」
「畏まりました、少々お待ちください」
前以て聞いていたターゲットの源氏名を告げて案内された席に移動する。
意外とすんなり席に通されたことを川間は訝しく思いつつも黒姫に小声で尋ねる。
黒姫も彼に合わせて囁くように答えてきた。
「てか何で免許証なんて持ってんだ?」
「それはもちろん捜査の為の偽造品に決まっているでしょう」
「さらっと法を犯してるんじゃねぇよ」
「失礼な、正義のための必要悪ですよ」
「何か必要悪の意味を取り違えてる気がするが…」
軽い漫才になりかけていた2人の会話に割って入るように黒服が再び現れ、申し訳なさそうな表情をしながら口を開く。
それなりに人気のある店のようで客入りからして黒服の言いたい事は何となくだが川間にも見当がついていた。
「お客様、申し訳ございません。ただいま香澄さんは…」
「キャー!」
そう言いかけた瞬間、別の席から甲高い悲鳴が上がる。
急いで悲鳴の元に向かって2人が目にしたものは、緩くパーマの掛かった茶髪と胸元の大きく開いた露出度の高いドレスが印象的な女性。
しかし、今その姿は嵐に突っ込んだ後のようにクシャクシャになり、腕にできた深い切り傷を必死に押さえながら涙を滲ませていた。
その恐怖に染まった眼差しは藤沢 雅美と思しき女性を見つめ、床にへたり込むように倒れていた。
「アナタたちが悪いのよ…アナタたちがワタシを除け者にするから…」
藤沢はというと、心ここに在らずといった様子の虚ろな目で呪いのように同じ言葉を繰り返していた。
彼女が手を振り上げようとすると、更に女性がヒィッと息が詰まったような悲鳴を上げる。
「動くな!」
堪らず藤沢と女性の間に割って入った川間は拳銃型の魔導器を藤沢に向けて突きつける。
突然の乱入者に驚き、一瞬動きの止まる藤沢だったがすぐさまヒステリックに叫びながら腕を振り下ろす。
「邪魔をするなァァァァッ‼︎」
「早ッ…⁉︎」
腕から生じた無数の風の刃が川間を切り刻むべく目前に迫る。
風の塊一つ一つが鋭い刃を持ち、少しでも擦ればそれだけで致命傷になるのは容易に判断できた。
更に予想以上のスピードと量に反応が遅れた川間はせめてもと思い、傷付いた女性を守るように覆い被さると同時に背後からギンッという金属同士がぶつかり合うような甲高い音が響く。
「まったく…無鉄砲過ぎますよ。私がいなければ今頃2人まとめて細切れにされてるところです」
その声にハッとして振り向いた川間の目に飛び込んできたのは、黒姫が2人を守るように立ち、風呂敷包みに入っていたのであろう漆黒の刀身を持つ日本刀で藤沢 雅美の攻撃をすべて弾き飛ばし、その代償に店の調度品が弾かれた風魔術によって次々に切り刻まれていく様子だった。
「川間さん、ここは私が引き受けます。貴方は彼女と店内にいる方々の避難をお願いします」
遠距離戦は埒が明かないと感じたのか、人間とは思えないスピードで黒姫に肉薄した藤沢が掌に小さな旋風を創り出し、黒姫の喉元に突き立てようとする。
しかし、黒姫も異常な反応速度で刀を下から切り上げ、旋風の軌道を自身の頭上スレスレに逸らす。
見事に付け入る隙のない2人の激しい攻防に川間は自身の無力さを痛感して唇を噛み締めながらも黒姫の指示に従って逃げ遅れた人々の避難をすることしかできなかった。
彼がその間に割り込もうものならば黒姫の足手まといになる事は目に見えていたし、何よりも巻き込まれた人々をそのままにして戦うほど川間は戦闘狂でもない。
故に黒姫の指示に素直に従うことが今の彼が取れる最善の策なのである。
「みなさん、慌てずに落ち着いて避難してください!」
さすがは警察官ということだろうか、的確な誘導でものの2分足らずで民間人の避難を完了して、店内に残っているのは黒姫と川間、藤沢 雅美と彼女に襲われていた女性だけだった。
「どうしてこんなことをしたんだ」
店内にあるものだけで女性の応急処置を済ませた川間が藤沢を睨みながら立ち上がる。
その言葉に藤沢はケタケタと笑いながら怯える女性を指さす。
「どうしてですって?アハハハッ元はと言えば全部コイツらが悪いのよ。コイツら、アタシとシュヴァイツァーとの仲を引き裂くから…」
「違うわ…それはクレファ、アナタの勘違いよ。シュヴァイツァーはギルドを解散してあのゲームを辞めるつもりだったのよ。だから親しい間柄のメンバー以外は早めに強制脱退させてたの」
「そんなこと彼は一言も…う…ウソつかないでよ!」
「ウソじゃないわ、強制脱退と同時に彼からメールが届くてはずなんだけど、アナタは読まなかったのね。それにアタシはシュヴァイツァーのリアルでの恋人、申し訳ないけどアナタの入り込む余地はないわ」
どうしてこの女性は命の瀬戸際だというのに、何故この状況を作った張本人に向かってそのような言葉が出てくるのか。
それが相手を刺激するということは考えなかったのだろうかと、川間は額に手をやりながら軽い眩暈に襲われる。
「フザケルナァァァ!」
案の定、キレた藤沢は鞭のように腕をしならせ振り下ろし、先程とは比べ物にならない量の風の刃を女性に向けて放つ。
だが、それも一瞬で間に割って入った黒姫の一閃によって全て霧散させられる。
「何でアタシの邪魔をするのよォォォ…アタシは被害者なのよォォォ」
「確かに貴女は被害者なのかもしれませんね。ですが、それによって貴女が悪魔と契約を結び、人を殺めたのは紛れも無い事実、罪は償わなければなりません」
「うるさ…い…うるさい…ウルサイ…ウルサァァァァイッ‼︎」
黒姫の正論に藤沢は駄々をこねる子供のように腕を振り回すと、そこから無差別に風の刃が発生して周囲を無残に切り裂いてゆく。
そんな凶器の嵐の中を黒姫は持った刀を振るうことなく、彼女の負った心の傷を分かち合うように、その華奢な身体に無数の傷を作りながら一歩、また一歩と藤沢 雅美の元へと足を進める。
どれだけ傷つけようと怯む事なく歩み寄ってくる黒姫を見て僅かな恐怖を感じながら藤沢は風の刃の矛先を全て黒姫に向ける。
「貴女の心の痛みはこんなものではないでしょう?私に全てぶつけてごらんなさい」
「こっちに来るなァァァッ!」
致命傷を外しながらも風の刃を漏らす事なくその身に受け続ける黒姫のゴシックドレスは所々で破れ、裂けた皮膚からは白い肌と対照的な真紅の血が流れ出していた。
その異様な光景に、恐怖を隠す事なく露わにした藤沢は風を一点に凝縮させた巨大な塊を黒姫へと撃ち出す。
それを黒姫は避ける事なく全身で受け止め、パァンッという破裂音と共に血を辺りに撒き散らしながら大きく仰け反る。
「黒姫、もう止めてくれ!」
さすがに黙っていられなくなった川間が藤沢から黒姫を守るように大きく腕を広げながら2人の間に割り込む。
墜魔導師相手に丸腰で立ち向かうなど正気の沙汰ではない、自分でもそう感じていた川間は身体を小刻みに震わせても尚、彼女たちの間に立ち続けた。
そんな彼の震える肩がガッと力強く何者かに掴まれる。
川間が慌てて後ろを振り返ると、頭も傷を負ったのか顔も血塗れになった黒姫が彼の肩を掴みながら呟いた。
「まだ彼女との話は終わってません…お願いですから水を差さないでもらえますか?」
そう言う彼女の瞳に強い意志を見た川間は息を呑んで道を開けた。
それに黒姫が「どうも」と短く礼を言いながら再び藤沢へと歩を進め始める。
これだけ傷付いているのに意識を保って自分に向かってきている黒姫にとうとう藤沢は怖気づいて何も出来なくなり、そんな彼女の目前に自らの血に染まった漆黒の姫君がその黒く長い髪を揺らして立つ。
「辻斬り一閃こと藤沢 雅美、貴女を国家魔導師法2条、悪魔との直接契約の疑い、及び殺人未遂の現行犯でご同行願います」
そして、彼女は漆黒の刀で藤沢を一閃する。
突然の事に言葉を失う川間と藤沢。
斬られた藤沢は糸の切れた操り人形の様に意識を失ってその場に倒れた。
「どうして斬った!もう無抵抗だったじゃないか!」
黒姫の行き過ぎた行動に怒りを露わにしながら掴み掛かろうとする川間の手を彼女は手負いとは思えない素早さでスルリと避けて短く息を吐きながら倒れ伏す藤沢を指差す。
「別に彼女と悪魔の契約の際に結ばれた同調回路を強引に断ち斬っただけです。それに犯人が気絶していれば護送も楽になるでしょう?ご心配なく、彼女の身体には傷一つ付いていませんから」
それから一拍おいて、川間の顔が耳まで赤くなる。
「そっ…そうだったのか…なんか…すまん」
川間の謝罪に何か言おうと口を開いた黒姫のドレスから軽快な電子音が鳴り出す。
ゴソゴソとドレスを弄る黒姫が取り出したのは携帯電話、そして彼女は通話ボタンとスピーカーボタンを押すと聞き覚えのある声が聴こえてくる。
「やーやーお二人さん、事件は無事に解決したみたいだな。全部見てたぜ」
「千里眼何ですか、用が無いなら切りますよ。まだ事後処理があるので…「残念ながら事後処理はもうちょい後だ、出てくるぞ」
千里眼の忠告じみた言葉に黒姫はハッとして藤沢の方を見る。
すると突然、藤沢の倒れる少し後ろの空間が歪み始める。
その状況に川間がポカンとしていると、黒姫が指示を飛ばしてきた。
「川間さん、すぐに被疑者と被害者を連れて店の外へ」
「いきなりどうした…」
「いいから早く!」
少し焦りの混じった黒姫の声に事の異常さを感じ取った川間は彼女に言われるがまま、未だ意識の戻らない藤沢を肩に担ぐと女性の手を引いて店の外に脱出する。
彼らがビルの外へと出たとほぼ同時に店のある階層が爆発を起こした。
「なっ…黒姫ェッ!」
予想外の出来事に頭上から降り注ぐガラスを払いのけながら、凄まじい熱と光量に眩む目を空いている腕で庇いながら中に残っていたはずの少女の名を叫んだが、その声は爆発の轟音にあっさりと掻き消されてしまった。