最悪の邂逅、そして調査開始
「んで、何で俺は天下の黒姫さんと夕食の席を共にしてるんですかね?」
仏頂面の川間が、隣に座る幼い少女、黒く長い髪そして前髪の合間から覗く翡翠色の瞳は暗く怪しく煌き、漆黒のゴシックドレスから覗くのは雪のように白く、触れば折れてしまいそうなほど細く華奢な四肢…というのは見た目ばかりで、一度戦いとなればその外見からは想像もつかない圧倒的な力にて、巨大な魔獣や魔導課に所属する人員の一個小隊を投入しても確保が難しい墜魔導士をたった1人で討滅する存在。
「血化粧の黒姫」と呼ばれ恐れられる少女に尋ねる。
すると黒姫は品書きを眺めながら淡々と答える。
「それは勿論、捜査の前の腹ごしらえです。私、小父様の所に行くまで何も口にしていなかったので」
「そうは言うけど、時間くらいあったでしょう。それにここって最近某ガイド誌で三ツ星取った高級料亭じゃないですか。3ヶ月先まで予約でいっぱいだって聞いたんですけど」
そう言って川間は自分の目の前にある品書きに目を通すと衝撃の金額に目が点になった。
それから一拍遅れて慌てて財布を取り出す。
すると財布をゆっくりしまい、汗をダラダラと流しながら引き攣った笑みを浮かべる。
そんな彼の表情を見て黒姫は不思議そうに小首を傾げながら尋ねる。
「大将…すみません、お冷やください」
「あら、川間さんは何もお食べにならないんですか?」
「それがですね、黒姫さん…俺…いや自分、給料日前なんで持ち合わせが…」
「それはお気になさらず。ここの店主は父の古くからの友人でして、多少の融通は利きますから。それにここで無くても、お誘いしたのは私なので支払いはお任せください」
その言葉に一瞬ガッツポーズしそうになる川間だが、ふと彼女の年齢を思い出し慌てて首を振る。
大人びた雰囲気を放ってはいるが、彼女はまだ15歳の少女。
まだ高校入学前後の年齢である。
「いやいやいや、いくらなんでも黒姫さん…年下に奢ってもらうなんて申し訳ないっていうかみっともないっていうか…」
「それもお気になさらず。正直なお話、私は貴方より稼いでいる自信がありますので」
「そうですよね、一公務員の俺よりそりゃ稼いでますよね」
どうやら彼女は思ったことをストレートに口に出す子らしい。
その一言にごっそりハートを抉られた川間は薄っすら涙を浮かべながら品書きに目を戻す。
「遠慮なく何でも好きなものを注文してください。大将、いつものをお願いします。」
川間の様子を気にすることもしない無表情の少女は目の前の大将に注文する。
2人が今いるのはこじんまりとした高級料亭で、店にはカウンターしかなく、他の客も席一杯に座っていた。
少しして、彼女の前に置かれたのはグラスに入った
「牛乳…ですか…?」
出てきたものに川間は目をパチクリさせる。
黒姫は特に気にすることもなくグラスに口をつけ傾ける。
「てっきり紅茶とかお茶とかなんかを飲むのかと思いました。意外と…」
「意外と子供っぽい。ですか?」
彼の言葉に黒姫が半眼で珍しく不機嫌そうな様子を見せる。
その様子を見て慌てて川間は弁明する。
「べっ…別にそういう事じゃなくて、意外と可愛いところがあるんだなって思っただけです」
「そうですか」
普通の女の子であれば可愛いと言われれば多少なりとも反応を示すものだが、川間の言葉を聞いた彼女の表情は再び無表情に戻る。
妙な間が出来てしまい何か話のきっかけを作ろうと脳ミソをフル回転させる川間だが、結局何も浮かばず暫くの間無言の時間が過ぎる。
漸く川間が話題を見つけ口を開いた瞬間、タイミングが良いのか悪いのか、彼女の頼んだ料理が運ばれてきた。
「お嬢、お待たせいたしました。いつものです」
大将が彼女の目の前に置いた料理を見た川間は目を丸くする。
そう言って並べられた料理は高級料亭の雰囲気をまるで感じさせない異常なまでの大盛り、それが5品となると圧巻で、隣の川間だけでなく周りの客も少女の目の前に置かれた山のような料理たちを見て唖然としていた。
「え…黒姫…さん?もしかしてその量をお一人で…?」
「その通りですが、何か問題でも?」
まさかと思い尋ねる川間だったが、黒姫から帰ってきたのは予想通りの答えだった。
そして手を合わせて「いただきます」と小さく呟くと箸を手に取り食べ始めた。
「お待ちどう、天ぷら4種盛り御膳です。それにしてもお嬢がご友人を連れてこられるとは珍しいですな」
その後すぐ、川間の目の前にも料理が並べられると大将が彼女に話し掛ける。
「いいえ、彼は仕事のパートナーなだけで友人でも何もありませんよ。それに私、友人という仕事で足枷になりそうなものは作らない主義ですから」
「これは失礼、そういえばお嬢は仕事一筋でしたな。とはいえ、たまにはお父上のように肩の力を抜かなければ疲れてしまいますよ」
大将の言葉に黒姫は首を横に振り呆れ顔を浮かべながら答える。
川間は彼女の父親との面識は無いが、表情から彼女の苦手な人なのだと思った。
「あの方は日頃から羽目を外し過ぎなのです。仕事中は真面目だとしても日常があれですから」
黒姫は表情を戻してその後も大将の話に答えながら山盛りの料理を次々と平らげていく。
その様子を周りの客も箸を止めて見ていた。
「ところで、例の辻斬りについて川間さんの方で現状分かっていることを全て教えて頂けますか?報告書などを見せていただけるのならば是非お願いします」
口に含んでいた料理を呑み込んだところで、黒姫が川間へと唐突に質問を投げかける。
急な話題の変更に初めはキョトンとしていた川間だったが、すぐにハッと我に帰ると椅子の下に置いていたバッグの中から幾つかの資料を取り出し彼女へ手渡す。
そこには、現場の様子や目撃者の有無、犯行のおおよその手口など事細かに記されていた。
「今現在分かっていることはそれに書かれていることが全てです。やはり、目撃者無しで犯人に繋がる痕跡も現場に残っていないとなるとなかなか骨が折れる作業ですよ」
「ふむ…事件のある程度の概要は聞いていましたが、やはり刃物というよりはカマイタチのようなものに切り裂かれたと言った方が良さそうですね」
「カマイタチ…ですか…?」
異能が生活に無くてはならないものでも、妖怪や幽霊など存在するかどうかが曖昧なものは非科学的なものとして捉えられているこの世界。
川間も勿論その方面の知識に詳しいわけでは無いが、それでも「カマイタチ」という名前は何度か聞いた事がある。
名前の通り、前足が鎌になったイタチのような妖怪で物や人を切り裂く妖怪…という本に書かれていたのを読んだというだけの朧げな記憶を頼りに頭に思い浮かべる。
「あくまでもカマイタチというのは例えです。
殺傷力を持った斬撃系の風魔法を総称してそう呼んだりすることもありますから。それにしても己の目的の物以外には全く痕跡を残さないことが相手の能力の高さを示していますね」
そう言いながら被害者の写真を眺めると共に和牛のにぎり寿司を口に運ぶ黒姫に川間は彼女の神経を疑いながら軽く吐き気を催す。
写真には彼女の言う風魔法で無残に切り裂かれた被害者が写っているのだが、彼女は別段気にする様子も無く霜降りの牛肉を咀嚼していた。
「よくそんな写真を見ながら肉食えますね…見てるだけで気持ち悪い…」
思わず黒姫に苦言を呈してしまう川間に彼女は視線だけ向けて答える。
その視線は「この人は何を言っているのか」と言わんばかりの思いを宿しながら向けられていた。
「人は人、牛肉は牛肉ですから」
「そうですけど…」
その答えに胃液のせり上がってくる感覚に襲われる川間だった。
それと同時に、彼女は歳不相応なほどに場慣れし過ぎてしまっているという事実に自分と彼女は別の生き物なのではないかという恐怖にも似た錯覚に陥ってしまった。
「ご馳走様でした。黒姫さん、これから何をしますか?」
色々あった食事も終わり、店の外に出た川間が黒姫に一礼をしてこれからのことを尋ねる。
支払いを終えて出てきた黒姫は少しの間逡巡した後、何か思いついたように小さく頷いて口を開く。
「その前に、川間さん一言よろしいですか?」
「へ?」
彼女の言葉が自分に向けられていることに一瞬反応が遅れた川間は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「さん付けは止めてください、それと敬語も。短期間とはいえ貴方は私のパートナー、共に仕事をする相手に敬語を使われるのはあまり好きではないので」
「でも…」
黒姫からのまさかの提案に思わず口籠ってしまう。
そんな川間に対して彼女は更に続ける。
それは軽い罵倒の言葉とも取れる毒のある一言だった。
「川間さん、独身ですか。それどころか彼女さんもいませんね。女性と会話することに慣れていらっしゃらないようですから」
「うぐっ…」
図星だったのか川間がすっかり黙り込んでしまった様子を見て言い当てたことを偉そうに自慢するでもなく黒姫は眉を下げて苦笑する。
「所詮私は15歳の子供です。そんなのに敬語を使うなんて疲れますし、馬鹿げているでしょう?」
「はぁ…分かったよ黒姫」
一応年下でも格上の相手ということで敬語を止めるつもりはなかったのだが、彼女の方から止めてくれと言われた手前、無駄に刃向かう必要もないため素直に受け入れて黒姫と呼び捨てする。
「では川間さん、今日はここで解散しましょう。明日、10時前には署の方に顔を出しますのでここで」
黒姫は川間が自分を呼び捨てしたのを確認すると明日の訪問時間だけを伝えて踵を返し去ろうとスタスタと歩き出してしまう。
「はっ…ちょちょちょちょっ!今日はこれで終わりなのか⁉︎調査とかしたりしないのか⁉︎」
いきなりの出来事に棒立ちしていた川間だったが、ハッと我に帰ると慌てて彼女の腕を掴み引き留める。
すると彼女は振り返り何か思い出したように先程の言葉に付け足す。
「伝達不足でした、いくら私が理外者とはいえ側から見れば親子とも見えない男と少女が夜の街を徘徊しているというだけで通報に値するものでしょう?ですから川間さんの体裁を守る為にも今日はここで解散。と言ったわけです。あと今腕を掴んでいる手も離した方が良いかと周囲から不審者に間違えられてもおかしくありませんよ?」
「すっ…すまん!」
これまた彼女なりの気遣いで言っているのだろうが川間の心は再び抉られる。
それだけならまだしも、周囲の通行人たちが「やだ誘拐…?」「通報しなきゃ」などとあまりよろしくないヒソヒソ話が聞こえてきて慌てて彼女の腕を掴んでいた手を離す。
「いえ、お気になさらず。それではまた明日」
そして黒姫はそうとだけ言い残して夜の雑踏の中に消えていった。
「おやっさん…あの子って本当に何者なんすか…」
翌日、昨晩の出来事にグッタリした様子の川間が、少し遅れて出勤してきた冴木へと机に突っ伏したまま愚痴をこぼすと、冴木も川間の様子に心当たりがあるのか苦笑して答える。
「その様子だと昨日は飯食ってお開きだったか。それにしても凄いだろうあの子の食欲は」
「ええ、俺だって食う方ですけどあんな食うヤツ見たことないっすよ」
「それだけじゃなく彼女には飯を食うときには報告書を読むなって言い聞かせていたんだがな…アメリカの生活が元通りにしちまったみたいだな」
「なんでそんなことまで分かったんすか…?」
「お前の前任者も彼女と組ませた翌日には同じような顔してたからな」
どうやら彼女が渡米する前のパートナーもその性格に苦労したようで被害者が自分だけじゃないことを知った川間も幾分か気持ちが晴れたようで、表情を明るくして上体を起こした。
しかし、そんな川間を冴木が再び突き落すような一言を発する。
「まあ、そいつは組んで1週間も経たずに失踪したけどな。お前は頑張れよ」
「なんで今そんな不吉なこと言うんですか!」
「そろそろ黒姫が来るんじゃないか?」
川間が時計を見やると9時30分、確かに彼女が来てもおかしくない時間になっていた。
するとドアを開けて黒姫が姿を見せた。
「やあ黒姫。今日から本格的によろしく頼むな」
「小父さまお任せください。最大限、川間さんのサポーターとして立ち回らせていただきますわ」
そう言って黒姫は微笑むが、川間には彼女の笑みが普段の表情と同様に感情の欠落しているもののように思えてならなかった。
そんなことも冴木は分かっているのだろうが、別段気にした様子もなく二人の肩にポンッと手を置く。
「それじゃ、二人とも頑張ってくれよ」
そして冴木は去り際に川間だけに聞こえる声で囁いた。
「この子は何かと無茶をしすぎる癖がある、そん時は無理にでも止めてやってくれ。それがお前の、彼女の相棒としての役割だ」
こう言い残すと冴木は川間の答えも聞かずさっさと居なくなってしまった。
なんて理不尽なと思う川間であったが、同時に冴木が彼の答えを聞かなかったのはその役目を必ず果たしてくれるだろうという川間への絶対的な信頼の表れでもあるのだろうと彼自身も感じていた。
「では、小父さまにも後押ししていただきましたし、出発しましょうか」
「どこかアテはあるのか?」
尋ねられた黒姫は口元を僅かに笑ませると「ヒミツです」と答える。
その彼女の雰囲気に川間は若干うすら寒いものを感じずにはいられなかった。