僕の異世界脱出劇!
ここはどこぉ? 僕は……えっと、井上隆志だけど。
僕はさっきまで、憂鬱な気分で帰ってきてから、ずっとネットサーフィンしていたはずだ。あ、ネットサーフィンっていうのは、インターネットで遊ぶことだよ。宿題がたくさん出ていたのだけど、中一の僕に内申点だなんて難しい単語は似合わない。美女に花が似合わないようにね。あれそうじゃないっけ。
それはともかく、僕は気付けば草原にいた。草原だよ草原。草が父さんの脚みたいに生い茂ってる原っぱだよ。父さんの脚ね、あれはまあどうでもいいのだけど、足の臭さはどうにかしてほしいよね。帰ってきたら即行で洗ってほしいよ。
と、そのとき(どのときだよ)、呻き声がしたんだ。呻き声。
「うぅ」
てな感じの。
僕のちょうど真下からしたんだ。僕の真下といっても、お腹が空いて鳴ったわけじゃないんだよ。確かに僕はうつ伏せになってはいるけれど、僕はまだお腹空いてないんだ。でもだからといって、僕のお腹で人が下敷きになってなんて……うおぉ!
僕はすぐに起き上がったんだ。僕の下敷きになっている人がいたんだ。びっくりだね。なにがなんだか分からないけど驚いたよ。
「おーい、アシュリー」
そのとき(だからどのときだよ)また声がしたんだ。下敷きになっていた人の声ではなくて、もっと遠くから。
「あ、ここにいたかアシュリー。探したぞ」
背の高い草を掻き分けて、女の人が顔を出したんだ。緑色の……えっと、ボブカットっていうんだっけ。染めてるのかな。
「ナ、ナツミ姐さ……ん」
アシュリーと呼ばれた男の人はどうにか声を絞り出したんだ。どうやら体力を大幅に消耗しているみたい。僕がそんなに重かったのだろうか。ってまさか、そんなわけない。中一だよ? 小柄だよ?
昨日なんて、体育の授業で大きな体の連中にイジワルされたし。そんな僕が乗っただけで、それほどダメージを受けるわけないよ。最近の子供は、栄養を摂り過ぎなんだ。余分なんだよ。古き良き日本文化はどうしちゃったんだろう。熱でも出したのかな。それにしても治るのが遅いよ。
「うん? きみは?」
アシュリーからは一旦目を離して、ナツミというらしい女の人は僕に視線を向けたんだ。ちょっとドキッとした。瞳も緑色なんだ。植物のツルに捕らえられたみたいな気分。
ナツミさんは、真っ赤な服を着ている。そういえばゲーム機は、普段は緑色のランプがついているけど、電池が少なくなってきたら赤くなるよね。美術の時間で習ったけど、赤と緑は反対の色なんだよ。そういうわけだから、似合っているといえば似合っていた。ただ、肩が完全に見えてるのが……。これは服というよりも布って感じがする。激しく動いたら、その、ポロッとなりそうだ。
「どこから来たの?」
優しげにナツミさんはいう。そういえばアシュリーを呼ぶときはちょっと男っぽい声だったけど。
僕はそう訊かれてからちょっとだけ考えて、首を左右に振ったんだ。分からないって意味のつもり。
「ここは危ないから、オレと一緒においで」
ナツミさんはそういいながら手を僕に差し出したんだ。僕はその手を、ちょっと時間をかけて見る。日に焼けているけど、黒くなってはいない肌だ。
僕は慎重に、その手をとった。アシュリーは未だに呻いている。この人は助けなくていいのだろうか。
「ほらアシュリー、行くぞ」
僕の手を引っ張って、ナツミさんは厳しい声でそういったんだ。ちょっと怖いや。だけど手は温かかった。アシュリーもちょっと離れてはいるけど後ろからついてきていた。
なんだか、よく分かんないけど草原を歩く。草はどれも背が高かった。僕の腰よりは高い。歩いていると足が絡まりそうだ。足が絡まるといえば、昨日の体育の時間、体のでかいやつに転ばされたんだ。走ってるところを、急に足を出してきたんだ。まったく、あれは迷惑だよ。転んだ僕を見て、げらげら笑ってくるんだ。まわりのやつらもそう。イヤになっちゃうよ。
そのとき(どのとき……)、ふいになにかが飛んできたんだ。草を掻っ切って、ナツミさん目掛けてまっすぐと。ナツミさんは咄嗟に僕から手を離して、僕を手で押したんだ。すごく強くて、僕はどうもできずに尻餅。そうしながらナツミさんは、もう片方の手で飛んできたものを掴んだみたい。すごい速さだったのに、掴んで受け止めるなんてすごいや。
それは槍だった。腕よりも長い棒の先に、鋭い金属がついている。ナツミさんは金属の付け根のあたりを掴んでいた。先っぽは真っ直ぐナツミさんの鼻を向いている。もう〇・五秒でも遅れていたら血がだらだらと流れてたに違いないよ。
ナツミさんは槍を片手に、周りを見渡し始めたんだ。そう、周りには槍を投げた者がいるはずなんだ。きっとナツミさんを殺そうとしている人だ。そしてナツミさんは、草原のある一点に向かって思い切り槍を投げたんだ。
「ひぃっ!?」
すぐさまそんな悲鳴がした。そして草原から真っ黒な服を着た男が跳び上がったんだ。槍は刺さらなかったみたいで、槍は地面に立っている。
ナツミさんはすごい見幕で、その男の人へ向かって走ったんだ。男が地面に着く前に目の前にまで来て、そのまま男の胸倉を掴んだんだ。映画で見たことある光景だ。不良の人が胸倉を掴んで金を手に入れるんだ。それとよく似ていた。
「お、お許しをぉ!」
男は高い声をそう張り上げたんだ。ここからはよく見えなかったけど、きっとナツミさんはとても怖い顔をしてるんだ。震え上がってしまうような顔。もしかしたら教頭先生よりも怖いのかもしれない。
「てめぇか、アシュリーに攻撃したのは!」
ナツミさんの声はなんだか肉食獣みたいで、そのせいか草が風に揺られていた。
「ひぃええ。左様です! わたくしでございま――」
「んじゃー死ね」
ナツミさんはそういって、大きく拳を振り上げたんだ。そして一気に振り下ろす。僕はつい目を瞑ってしまった。……だけど目を開けたときには、男の人はナツミさんに土下座しているようだったんだ。草でよく見えないけど。ナツミさんは「死ね」っていったけど、本当に殺したわけじゃなかったんだね。慈悲っていうんだっけ。
ずっと歩いていくと、御殿があったんだ。門の前には鎧を着た兵士が二人いる。門番さんだと思う。
門番さんはナツミさんを見て、慌てて礼をしたんだ。二人のうちの一人が、「おかえりなさいませ」っていったんだ。メイドみたいだけど、口にしたのはでかいおっさん。ナツミさんは「おう。たでーまー」って満足そうにいって笑ったんだ。
ただいまってことは、この大きな御殿は……。
「ここがオレの家だ」
ナツミさんは、堂々とそういい放った。お金持ちなんだ。着てる服はどっかで拾ったようなものなのに。……あ、だけど、あんなに速く走ったのに全然乱れてないや。
そのままナツミさんの部屋に案内された。部屋とはいえないほど広かった。僕の部屋なんて……いや、僕には部屋なんてないんだ。居間にあるコンピュータの椅子が、いうなれば僕の部屋だ。とても狭いんだ。インターネットは、きっとナツミさんの部屋よりも広いけどね。
「それで、きみはどこから来たんだ?」
召使いが持ってきたジュースを飲みながら、ナツミさんはそういったんだ。豪華な椅子に深く腰を下ろしている。僕も促されて椅子に座った。ふかふかしてはいないけどなんだか心地いい。
「僕は……三鷹台に住んでいます。だけど、気付いたらここにいて」
「ミタカダイ? 聞いたことないな。それは、どのエリアの地名なんだ?」
ジュースが入っていたコップは、もう空っぽになっている。一気に飲み干したんだ。召使いがコップを片付けていく。今頃になって僕のところにもジュースが運ばれてきた。なんの果実だろう。透明に近い赤色だ。
「エリアって……えっと、東京です」
「トーキョー? そんなエリア聞いたことねぇぞ」
「ええ?」
東京を知らないだなんて、やっぱりここは日本ではないのだろうか。僕は一瞬のうちに、海を越えて知らない国に行ってしまったのかもしれない。そんな事例はたくさんあるのだし。それとももしかしたら、僕は過去に飛ばされたのかもしれない。東京が存在する前の日本に。それもきっとありえるんじゃないかな。アニメや映画を観てると、そういうのよくあるし。
「も、もしかしてパラレルワールド……」
僕は考えを纏めて、そうナツミさんにいったんだ。同意を求めるつもりで。
「おう。なるほど。きみは異世界から来たってことだな」
ナツミさんは物分りがとても良かった。
「か、帰るにはどうすればいいんでしょう」
僕はナツミさんにそう訊いた。僕ひとりで考えるには、難しすぎるんだ。だけどナツミさんにも、さすがに的確な答えは分からないんだろうなぁ。
「ああ、それなら簡単だ。魔法使いに頼めばいい。知り合いの魔法使いがいるから、そいつに頼めば大丈夫だ」
あっさり解決した。
魔法使いの名前はルーっていうんだって。熱を加えながら掻き混ぜたら美味しくなりそうな名前だね。
その人の家は、案外近くにあった。その人を探しに、壮大な冒険が始まるんじゃないのかと思っていたのだけど、現実はそうはいかないみたい。時間もあるからね。早く帰らないと。
ナツミさんと一緒にルーさんの家に向かった。ナツミさんは槍を持っている。使い勝手を調べたいそうだ。
だけど、ルーさんはいなかったんだ。代わりに白いヒゲを生やしたおじいさんがいて、ナツミさんを見ていったんだ。
「ルーは魔王にさらわれたぞい」って。
「なんだと……」
ナツミさんが顔を青ざめた。魔王って……もしかしてゲームとかである、あの魔王?
「魔王のところまで案内してやろう」
おじいさんがそういって、その瞬間には既に僕たちは魔王の目の前にいたんだ。家でネットサーフィンをしていたのと同じやつだ。いつの間にか移動してる。
「これは……」
ナツミさんが、あたりを見渡した。一瞬のことに驚いているんだ。飛んできた槍は一瞬で掴めるけど、この一瞬は、それよりも速いのだろうか。
「よくぞいらした。アマゾネスの長であるナツミよ」
魔王が偉そうな声でそういったんだ。ナツミさんは魔王を目で捉えて、落ち着きを取り戻していう。
「アマゾネス? はっ、なにを誤解している魔王。オレは男だぞ」
ナツミさんが……男?
そういえば胸が小さい……というよりもない。肩が完全に露出している服なのに走っても乱れなかったのは、乱すような胸がなかったから?
「……ふぅむ。『ナツミ』という名前は、日本のものではなかったのか。そういえばこの世界に日本は存在せぬな」
魔王が、そういって頷いた。魔王は顔を黒い布で隠しているから、表情は窺えない。
「よしてよく来たな。隆志」
魔王の名前を呼ばれてびくっとした。聞き覚えのある声だった。
「私の、息子よ」
魔王が顔を隠していた布を外す。その顔は……僕の父さんってことになっている顔だった!
「なんだと……?」
ナツミさんが、槍を強く握った。
「あの魔王の息子だと?」
「ああ、そうだ。我が息子だ」
それを聞いて、ナツミさんは持っていた槍を思い切り振り回した。僕を殺す気なんだ! 魔王といえば、民衆にイジワルばかりして、生きてても邪魔なだけな存在だ。だから魔王の息子も、生きてる意味はないんだ。
だけど槍が僕を薙ぐことはなかった。僕の背が低いからだ。僕はクラスで一番背が低い。それをみんなからかうけど、それが槍から守ってくれたんだ。槍が僕の頭上を通り過ぎる。
魔王が――父さんがその隙にナツミさんを捕らえた。ナツミさんはあっという間にどこかへ飛ばされてしまう。
「父さん!」
僕はそう叫んで、父さんに抱きついた。やっぱり父さんは僕の父さんだ。足は臭いけど。
「こうして、隆志は魔王と共に三鷹台へと帰っていきましたとさ」
ナレーターが最後にそういって、幕が閉じていく。
拍手が巻き起こった。きっとこの拍手の中には、僕の本当の父さんのもあるんだろうなぁ。
脚本を書いたのは僕だ。背の低い子を主人公にして、僕が主人公になるように仕向けたんだ。いつもイジワルされて、それに男子校だから色めいたこともなくて、いつも帰り道は憂鬱だったから、そのストレス発散みたいなものなんだよ。
実は今日、文化祭なんだ。