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第10話 医師としての覚悟

 異変は、静かに始まった。


 施療院に運ばれてくる患者の多くが、同じ症状を訴え始めたのだ。


「高熱……激しい下痢……」


「咳も止まりません……」


 吟子は一人ひとりの脈を取り、喉を見、腹部を確かめる。


 嫌な予感が、胸の奥で形を成していく。


「……感染症です」


 その言葉に、周囲が凍りついた。


     


 王都では、疫病という言葉は“死”と同義だった。


 過去、流行が起きるたび、街は封鎖され、多くが見捨てられてきた。


「ギルドに報告すべきだ」


 グラウスが言う。


「ですが、そうなれば――」


「施療院ごと閉鎖される」


 誰もが、それを理解していた。


 患者は治療を受けられず、ただ隔離され、死を待つ。


 吟子は、唇を噛んだ。


「……それでも、隠すわけにはいきません」


「報告すれば、あんたは真っ先に責任を問われる」


「医師だからです」


 その声は、揺るがなかった。


     


 医療ギルドから派遣された視察団は、冷酷だった。


「流行性熱病の疑いあり」


「直ちに施療院を封鎖」


「患者の外出を禁ずる」


 兵士たちが扉を閉め、外に鎖をかける。


 中には、叫び声が満ちた。


「出してくれ!」


「まだ治ってない!」


「死ねって言うのか!」


 吟子は扉の前に立った。


「待ってください」


「女医に発言権はない」


「では、医師として申し上げます」


 吟子は一歩も退かなかった。


「この病は、適切な水分補給と隔離、清潔管理で致死率を下げられます」


「根拠は?」


「経験です」


「信用できん」


 その瞬間、吟子は静かに言った。


「では、私もここに残ります」


「……何?」


「患者と共に隔離してください」


 ざわめきが起こる。


「正気か」


「命を落とすぞ」


「それでも、医師です」


 それが、彼女の答えだった。


     


 施療院は完全隔離区域となった。


 外との接触は禁止。


 食料と水は最低限。


 死と隣り合わせの日々が始まる。


 吟子は、休む間もなく動き続けた。


 煮沸。清拭。換気。


 患者の配置を分け、症状別に看る。


「咳のある人はこちらへ」


「水は少しずつ、必ず飲ませて」


 声が枯れても、止まらない。


     


 三日目。


 最初の死者が出た。


 老女だった。


 吟子は、その手を静かに胸の上で組んだ。


「……力及ばず、申し訳ありません」


 医師である限り、避けられない瞬間。


 だが、彼女は背を向けなかった。


     


 五日目。


 回復する患者が、現れ始めた。


「……熱が、下がった」


「咳が……」


 希望が、ほんのわずかに芽吹く。


 ギルドの医師たちは、驚きを隠せなかった。


「致死率が……下がっている?」


「従来の半分以下だと?」


 彼らは、吟子の指示書を読み返す。


「水分補給の頻度」


「隔離の区分」


「手洗いの徹底……?」


 誰もが、言葉を失った。


     


 七日目。


 疫病は、収束の兆しを見せた。


 封鎖解除が決定される。


 扉が開いた瞬間、陽光が差し込む。


 患者たちが、涙を流して外の空気を吸った。


     


 医療ギルドの会議。


 沈黙ののち、年配の医師が立ち上がった。


「……彼女の判断が、多くの命を救った」


 反論は、出なかった。


「女であるか否かは……もはや関係あるまい」


 吟子は、静かに頭を下げた。


「私は、称号が欲しいのではありません」


「ただ、医師として在りたいだけです」


     


 その夜。


 施療院の屋上で、リオが言った。


「先生……怖くなかったんですか」


 吟子は、夜風に髪を揺らしながら答えた。


「怖いですよ。いつも」


「それでも?」


「患者の前で、逃げるわけにはいきません」


 それが、彼女の覚悟だった。


 かつて日本で誓った言葉。


――この国には、女医が必要だ。


 異世界でも、その想いは変わらない。


 こうして第二章

「再び医師の道へ」は、静かに幕を閉じた。


 次なる舞台は――

 正式な“女性医師誕生”という歴史そのものである。

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