第1話-安定を選び続けた銀行員、〇漢冤罪で死んで異世界冒険者に
はじめまして。
本作は「異世界転生 × 内政」寄りの物語です。
主人公は派手な無双タイプではありませんが、
判断と積み重ねで少しずつ世界を変えていきます。
主人公の内面の成長が、物語のカギになります。
ゆっくりお付き合いいただけると嬉しいです。
あとがきまでぜひお読みください。
死ぬ直前まで、ずっと同じ夢を見ていた。
泣いている少女がいる。
銀に近い髪。透き通った瞳。
小さな口が必死に何かを訴えるのに――声だけが、届かない。
(……聞こえないなら、俺にできることはない)
そうやって、いつも目を逸らした。
夢の中の俺は、現実の俺と同じだった。
目が覚めるといつも割れるような頭痛と、
胸の奥の不快勘にさいなまれ、痛み止めを大量の水で流し込んだ。
壁にかかった黒いスーツ、中古の腕時計、使い古した眼鏡を手に取り、
今日も職場に向かう。
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現実の俺――スズキ・マサヒトは、生まれ育った地元に根差した銀行の銀行員だった。
子供のころは親の言うことに従えばほめられたので、そのままに生きた。
地元のそこそこの大学に言われるがまま進学し、
体育会に入れば安泰とおもい、中学から続けた剣道部にそのまま入った。
大学の間はそんな平凡な人生にあきあきし、
起業や芸能人にあこがれる時もあった。
それがいつしか、とりあえず地元に役立つという単純な動機で、
公務員か銀行員を目指し、地元では普通の銀行に入社し、熱のない人生を送っていた。
法人審査。投資案件の精査。リスク評価。
数字は読める。損益分岐も、倒産確率も、資金繰りの限界点も。
毎日毎日、お金を求める会社からたくさんの書類が届く。
なのに、自分の人生の分岐点だけは、いつも読めなかった。
やろうと思えば、何かはできたはずだ。
起業でも、転職でも、政治家でも、タレントでも。
でも「できるかも」の段階で、脳内会議が止まる。
――その企画、最悪ケースの損失は?
――撤退するときは?
――失敗したときの俺のキャリアは?
――誰が責任を取る?
(……やめとくか)
結論はいつも同じだ。
大きな失敗はない。
大きな達成もない。
何者にもなれないまま、気づけば三十代半ば。
「安定」という正解を、きれいに選び続けた結果だった。
そんな人生が、ある日、きっぱりと終わった。
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毎朝同じ通勤経路。いつもギリギリで走りこんでくる女の子。
その姿にほのぼのしながら電車に乗ったはいいが、今日はやけに混む。
二駅ほど進んだところで、右手から怒号が響く。
「この人、、痴漢です!」
びくっとして右手を見ると、自分の手が捕まれていた。
(……終わった...)
ニュースやドキュメンタリーで見ていたような事件に、巻き込まれたみたいだ。
女の子の向こうで俺の顔を見る中年のおじ。
(……コイツだ!!!)
そう思ってもあまりに突然なできごとに、口がパクパクするだけで声が出ない。
パニックで電車が止まりドアが開いた瞬間に駆け出す。
さっきの中年が追いかけてくる。
俺に濡れぎぬを着せる気だ。
正面から駅員が止めに入る。
思わず反対側の線路に飛び降りた。
けたたましいブレーキ音とともに、、、
――グシャッ
(……終わった。)
どうやら俺は、濡れ衣を着たまま、SNSやニュースで見たような死にざまを迎えたらしい。
一瞬の全身の痛みとともに、視界が黒に塗りつぶされる。
音が消える。
時間が裂け、空間が反転し、魂の芯を――なにかに掴まれる不快感。
初めての感覚なのに、自分の魂の輪郭を明確に認識できた。
(……おいおい。彼女もいたことがないのに、これって俺、死んだのか?)
胸の奥の不快感と急激な渦動に全力で叫んだが、声が出ない。
息を吸う間もなく、巨大な宇宙のような壮大な景色の中、濁流に巻き込まれる。
ところが、見えない壁のようなものにぶつかり、それ以上先に進めない。
ここで止まったら俺はどうなるんだろう。
体は動かず何一つ自分の思い通りにならないが、止まってすぐ目の前に人型の光の玉が現れ、すれ違うように壁をすり抜けた。
召喚じゃない。祝福でもない。
「選ばれた」感じが、まるでしない。
事故だ。
雑な事故で、俺は人生ごと落とされた。
小説やアニメの主人公のような劇的な転移劇ではなく、現実とはこうも冷酷なのか。
見たことのない記憶が実感として、映画のように無数の光景が流れ込む。
焼け焦げた都市。
見たことのない廃墟。
食べ物を求めてさまようエルフの子供。
斧を持つドワーフと人間が殺し合う戦場。
国境線が塗り替えられる瞬間。
そして――
あの少女の瞳。
胸の奥で、何かが軋んだ。
宇宙のような景色が遠のき、より深く深く落ちていく感じがした。
――深く、、深く、、
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どれくらい時間がたっただろうか。
目を開けると、石の天井だった。
湿った土の匂い。冷えた空気。
洞窟――らしい。
「知らない天井だ」
言ってみたかったセリフを、言えた。
言えた瞬間に、ひとりでむずがゆくなった。
(……今、俺、何をやってるんだ)
上半身を起こす。身体が妙に軽い。
スーツと眼鏡はそのままだが、世界がぼやけていた。
眼鏡をはずし、目をこすると、手元がくっきり見えた。
(……こんな視力いつぶりだ??)
俺は眼鏡を捨て洞窟の外へ出る。
朝の光が降り注ぐ。
俺は目を閉じて深呼吸した。
空気の中に、濃密な“何か”が満ちている。
風と一緒に、流動するエネルギーが肌を撫でる。
(……あ、これ。魔力ってやつか? ほんとに?)
スピリチュアルは信じない。
だが漫画とアニメと小説は、それなりに嗜んできた。
つまり俺の中には、役に立たない知識が大量にある。
川の音がする。まずは水を確保する。
生存の優先順位は、どこの世界でも変わらない。
水面に映る自分の顔を見て、固まった。
「……若っ」
十七歳前後の少年が、そこにいた。
前世の面影はある。だが、現実の俺より三割くらい盛られている。
(……ここって日本だったりしないかな?)
学園ハーレムものの主人公になれないかと妄想が膨らむ。
目を凝らすと賑やかな町が見える。
恐ろしく遠くの町なのに、くっきりと見える自分の目に驚く。
建物は古風なヨーロッパ風。
ここはどうやら日本ではないらしい。
視界も、聴覚も、妙に研ぎ澄まされている。
若返り。身体能力の上昇。
そして、この空気に満ちるエネルギー。
(……転生? 転移? いや、転移事故寄りか。)
理由は分からない。
前世で培ったサブカル知識で、すぐに分かった。
でも――悪くない。
人生で一度くらい、無計画に生きてみたいと思ったことはある。
会社経営とか。政治とか。社会変革とか。
(……いや、重い重い。いきなり重い)
俺は肩の力を抜くように、息を吐いた。
「まずは……水だな」
言いながら、ふと気づく。
声に出していないのに、喉が乾いていない。
身体が整っている。
(健康診断、A判定ってこういうことか)
洞窟の近くに流れる細い川へ膝をつく。
手で掬おうとして――俺は止まった。
水面が、俺の指先に反応した。
揺らいだ。
いや、揺らいだのは水じゃない。水の“形”が、俺の意志に沿った。
(……は?)
試しに、指を軽く動かす。
水が、指の動きに合わせて“寄る”。
もう一度。今度は、少しだけ強く念じる。
水が、細い糸のように持ち上がり、空中で止まった。
「……」
(……無詠唱魔術ってやつ?)
口の中に、呪文らしい言葉はひとつもない。
それなのに、水は動く。
(あ、これ。俺……魔法、使えるわ)
分かった瞬間、妙に冷静になった。
(いや、待て。嬉しがる前に安全確認だ。火とか出ないよな? 暴発しないよな?)
俺は水を、ゆっくり地面へ戻した。
次に、少しだけ“圧”をかけるイメージをする。
水が、ほんの一瞬だけ硬質な塊になり、石に当たって跳ねた。
(……携帯制御。圧縮・拡散・指向性。属性じゃなくて運用で差が出るタイプか)
使い方次第で、いくらでも実用に寄せられる。
(強火力でドカーン、じゃないのは助かる。俺は派手な魔法より、再現性のある仕組みが好きだ)
思考が、銀行員のそれに戻りかけて、俺は苦笑した。
(……いや、今は自由だ。俺は今、自由)
そう、自由。
ただし、“自由にはコストがある”。
衣食住、全部自分で調達。
詐欺も盗賊も自己責任。
社会保障はゼロ。
(……まぁ、現実も大体そうだったけどな)
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数日、森の縁を歩いて、石造りの城壁都市へ辿り着いた。
門をくぐると、匂いが変わる。
人の匂い。油。肉。パン。汗。
ボロボロのスーツ姿の少年――俺は、場違いだ。
なんなら日本でこんな姿で歩いたら、即警察に連行される。
(スーツで異世界……この時点で説明コストが高い)
道行く人々の視線を受けながら、目についた看板へ向かった。
ギルド。
掲示板には依頼書が並ぶ。
討伐。採取。護衛。行方不明者捜索。
報酬。危険度。期限。支払い条件。
(……ここ、仕事がちゃんと“契約”になってる。いい。話が早い)
魔力鑑定では何やら大仰な占い師風の老婆に鑑定された。
俺は依頼書を数枚眺めて、即座に現実的なものを選んだ。
危険度C。森の魔獣討伐。報酬は食事数日分+銀貨少々。
ギルドの受付も目を丸くしながら、一人で討伐可能である旨を告げた。
どうやらすでにそこそこ強いらしい。
受付で登録を済ませる。
冒険者証はカードではなく、簡素な札だった。
ステータスウィンドウも、レベル表示もない。
壁にかかった一番安い短剣を指さし、金はないからと後払いで借りる交渉をした。
この世界ではレンタルのビジネスはないらしい。
どうやら代わりに「等級」と「実績」で信用が積み上がる仕組みらしい。
(数字がないの、逆に好きだな。数値で人間が単純化されない。……でも運用は面倒だろうな)
そんなことを考えながら、森へ向かった。
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森は静かだった。
低級魔獣が現れる。猪型。突進。速い。
だが単純だ。
真正面で受けない。
傾斜を使う。視界を切る。足を取らせる。
短剣で喉元を狙う。
一撃で終わった。
(この世界、レベルやマナ量だけで勝敗は決まらないな。情報と位置取りと判断速度)
短剣でイノシシを解体しながら、
息を整え、周囲を確認する。
余裕があるように見せるのは、交渉でも戦闘でも基本だ。
――そして、水魔法。
さっきの感覚を思い出す。
掌を開き、目の前の空気に意志を通す。
空中に、薄い水膜を作る。
森の光を反射して、きらりと揺れる。
(……便利すぎる。洗濯できるし、飲めるし、目隠しにもなる。生活魔法として強い。いや、飲めるのか??)
詠唱はない。
ただ、意志とイメージだけ。
(俺、もしかして……当たりの個体か?)
すぐにその発想を打ち消す。
当たりとか外れとか、そういうのは後で痛い目を見る。
現実は、いつも後から請求書を持ってくる。
依頼は完了。報酬も手に入った。
俺は都市へ戻った。
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問題は、帰ってからだった。
宿に入ろうとすると、値段が二段階くらい違う。
酒場で食事を頼むと、妙に量が少ない。
路地を曲がれば、視線がついてくる。
(……なるほど。“金”はある。でも“信用”がない)
異世界は優しい――という幻想は、二日で剥がれた。
この都市は、ちゃんと市場だ。
市場には、必ず搾取がある。
俺は酒場のカウンターに座って、パンと薄いスープをすすりながら、耳を澄ませた。
周囲の会話は断片的だ。
「王都が……」
「検問が増えた」
「混血が見つかったって……」
「なんだって??まだ王都にそんな奴らが……」
(デミ……混血のことか。呼称が差別の匂いをしてる)
(いやだいやだ。異世界に来てまで差別なんて、、関わり合いになりたくないもんだ)
俺は表情を変えずに、スープを飲み干した。
ここで正義感を出すのは簡単だ。
でも、正義感は腹を満たさない。
必要なのは、まず“安全”だ。
宿の主人に声をかける。
価格交渉――というより、条件交渉。
「一泊いくら?」
「銀貨二枚」
「高いな。相場は?」
主人の目が細くなる。
この少年、ただの田舎者じゃない、と顔に出た。
俺は笑って、手元の銀貨をいじる。
「俺は依頼で魔獣を狩った。森の奥の動きも見てきてる。……危険地帯の情報がいるだろ」
主人の眉が動く。
酒場の空気が少し変わる。
(情報は、金より価値がある。供給が少ないほど)
俺は続けた。
「俺は泊まりたい。あんたは安全が欲しい。
だから――一泊銀貨一枚。代わりに、森の状況を話す」
主人が黙る。
視線が泳ぎ、計算が走る。
「……銀貨一枚と、夕飯は普通の量だ」
「成立」
俺は即答した。
契約に感情は要らない。要るのは条件だけだ。
部屋へ案内される途中、主人がぼそりと呟く。
「王都方面がきな臭い。あんた、森を抜けるなら気をつけろ」
(王都方面……)
あの夢の少女。
さっき聞いた“デミ”。
検問。混血。きな臭さ。
部屋に入ると、鍵は内側からしかかからない簡易なものだった。
俺は水魔法で、ドアの隙間に薄い水膜を作り、微かな振動を拾えるようにする。
(警報装置。簡易でいい。完璧じゃなくていい)
詠唱はない。
ただ、意志だけで水は働く。
ベッドに腰を下ろし、天井を見上げた。
(この世界にはどんな魔法があるんだろう。ほかの人も詠唱なしで使えるのかな)
前世の俺は、ずっと“安全な不自由”にいた。
今の俺は、“危険な自由”の中にいる。
だが、不思議と嫌ではない。
そして――この都市の空気は、どこか湿っている。
初仕事を終えた達成感と、異世界の街という不慣れな環境で、
たまった疲れが布団に入った瞬間にあふれ出し、
心地よい眠気とともに目を閉じる。
夜。窓の外で、遠くの方から叫び声が聞こえた。
すぐに静かになる。
(揉め事は日常。ここはそういう場所だ)
その瞬間、ふと、王都方面の道を思い出した。
主人の言葉。
酒場の噂。
「デミ」という蔑称。
(……明日、森を抜ける。王都方面じゃない。情報の流れがある方へ)
しばらくは、討伐依頼を一人でこなして旅をしよう。可能な限りこの世界を知り、だれよりも自由に生きてやろうじゃないか。
自由には金が要る。
日本じゃないから力もいりそうだ。
商人か冒険者か。
この世界に金融のシステムをつくるのもいい。
ここでは何をしても先駆者だ。
まずはレベル上げをして、、
そんな考えを逡巡させながら、幸せな気持ちのまま俺は眠りにおちた。
眠りに落ちる直前、頭の片隅に、あの夢の少女の瞳が浮かんだ。
銀髪の短く美しい髪に、引き込まれるような銀色の瞳。
そしてネックレス。
くぐもった声で、必死に訴えかけてくる。
少女に傷ははいが、髪の毛と顔には銀色の髪と対照的に鮮やかな血がついている。
――でも。
この世界は、俺が思っていたより、ずっと単純じゃない。
第一話を読んでいただきありがとうございます。
次話では、森の魔獣との本格戦闘と、
王都方面の不穏な動きが描かれます。
今回のお話しでは、前世のコンプレックスである、
何かに挑戦して、何者かになりたかったが、足を踏み出せなかった主人公が、
国を作るでも自由のために戦うでもなく、挑戦せずにまたもや安定な選択肢を、無意識に選んでしまいます。
次のお話しから少しずつ物語が動き出します。
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