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第1話 煙霧の中の少女

その日は晴天だった。日差しが暖かい。


君は嬉しそうに小さな白い花を摘むと、その場に座り込んで何かを作り始めた。僕は何を作ろうとしているのか分からなかったが、しばらく君の手元をじっと見つめていると、いくつもの白い花が集まって一つの円を象っていることに気づいた。どうやら花冠を作っていたらしい。

君は嬉しそうに笑って、その花冠を僕の頭に乗せた。でも、僕なんかより君のほうがずっと似合うだろう。心からそう思った。

風が吹いて、花びらが君を包むように舞う。


君は遠くへ行ってしまった。

手を伸ばしても届かないほどに。


***


少し肌寒さを感じる秋の朝。

ピピピッ、とアラームの音が部屋に鳴り響くと、目雛楓(めびなかえで)は重い瞼を開けた。枕元に置いてあるデジタル時計は午前6時30分を示している。

今日も一日が始まる。楓は学ランに着替えてリビングへ下りていった。


「おはよう、父さん」


楓が声をかけると、父の将樹(まさき)は微笑んだ。食卓には既に楓の分の朝食。焼き鮭や湯気の立つ味噌汁が並んでいる。楓はいただきます、とそっと手を合わせると、味噌汁のお椀を口へ運んだ。


「楓。父さんはそろそろ出るから、食べ終わったら皿は自分で洗っておいてくれ」


「あぁ、分かった」


何気ない会話の中、楓はふとタンスに飾られた写真立てに目をやる。そこに写っているのは、10歳の楓と――7年前、突然この家を去った義理の妹の有亜(ありあ)。楓が8歳のときに、将樹が有亜を孤児院から引き取ったのだ。楓は箸を置いて、ゆっくり口を開いた。


「…有亜が出て行って、もう7年も経つんだね」


「…そうだな」


将樹の返事が一瞬遅れた。2人の間に重い沈黙が流れる。


将樹は以前、考古学研究室の職員だった。

かつてこの世界にはものすごい文明があって、父さんはその謎を解き明かすために毎日研究室に通っているんだよと、幼い楓に誇らしげに語っていたことがあった。その頃から、楓は父に買ってもらった図鑑を見るのが好きだった。夜は父の研究の話を聞くのが楽しみだった。いつしか楓は父に憧れ、父と同じ考古学者を志すようになった。


けれど、7年前。将暉が突然研究室を辞めた。理由は教えてくれなかった。そして同じ頃、妹が――有亜が家を出て行った。父は「いい預け先が見つかったんだよ」の一点張りだった。このままこの家にいればいいじゃないかと言い続けたが、結局預け先の場所も知らされないまま、有亜はいなくなってしまった。


沈黙。楓はもう一度口を開く。


「有亜は今、どこに…」


言いかけたところで、将樹が突然ガシャン、と音を立てて皿を机に置いた。楓は驚いて、一瞬肩をビクッと震わせる。


「…彼女の話はもうしないと約束しただろう」


皿を掴んだままの将樹の手はわずかに震えていた。目を見開いて、楓を見つめたまま動かない。


「…ごめん」


将樹の剣幕に押された楓は、目を逸らして言った。気まずい空気が朝のリビングを包んだ。


もう有亜の名前を出すことすら許されなくても――楓の中にある、一目でいいから会いたいという思いは消えそうになかった。


***


夕方。

今日もまた一つ、つまらない学校が終わった。

楓は都心の喧騒の中を歩いて、駅からバス停へ向かう。この時間帯は学生やら会社員やらが多い。

楓はいつも通り、スマホを見ながら大通りの交差点の信号が変わるのを待つ。


そのときだった。


突如、ドンッ、と脳を震わせ、耳をつんざくような音がした。

顔を上げると目線の先。交差点の向かい側のビルの上層が弾け飛び、黒い煙が辺りを覆う。


爆発に気づいた通行人は、砕け散る瓦礫やガラスから逃げるように遠くへ走って行く。


楓はどこか瓦礫が飛んで来ない安全な場所へ隠れようと、辺りを見回しながらビルの反対方向へ走った。


「痛ッ…?!」


右腕に鋭い痛みを感じてその場に膝をつく。

恐る恐る腕を見ると、ガラスの破片が深く刺さっていた。さっきの爆発でここまで飛んできたらしい。


「……っ、はぁ…ッ」


深呼吸。血が噴き出さないようにゆっくりとガラスを腕から引き抜き、左手で強く押える。


気づけば、辺りに他の通行人はほとんどいなくなっていた。怪我のせいで逃げ遅れているらしい。早く安全な所へ避難しなければ。立ち上がろうとしたその時。


目の前に佇む"怪物"の姿を見て、足がすくんだ。


身長は2メートル程だろうか。頭部は無機質な歯車のようなものでできていて――中央に巨大な目のようなものが浮かんでいて、真っ直ぐに楓の赤い瞳を射貫いている。胴体も歯車が集まってできているようだが、ところどころ、隙間に人間の内臓のようなものが詰まっている。手足は枝のように細く、長かった。


きっと、さっきの爆発のショックで幻覚を見ているだけだ。こんなものがこの世に存在できるはずがない。無人の道路の真ん中に座り込んだまま、楓はそう信じようとした。


その瞬間――怪物の瞳孔が大きく開き、細長い腕が楓の喉元に向かって伸びた。


「……ッ!!」


楓は叫ぶこともできず、ぎゅっと目を閉じたその時。


パンッ、と鋭い銃声。

楓は震える瞼を開けると――金色の銃弾が怪物の眼孔に命中し、黒い液体が傷口から溢れ出していた。


「え……」


一体何が起こったのか。唖然とする楓の背後から、パタパタと軽快な足音が近づいてきた。


「大丈夫?怪我してない?」


振り返ると、そこには深紅の軍服に身を包んだ黒髪の少年がいた。楓より少し背が低いが、軍帽の影から見える澄んだ水色の瞳が輝いている。片手に銃を持っているのを見て、楓は、この少年が自分を助けてくれたのだと確信し、震える唇を開いた。


「…ありがとう、助かった…君は、一体…?」


楓の問いかけに、少年は銃を腰のホルスターに戻すと、胸のポケットから手帳のようなものを取り出し、楓に見せた。


「僕は朝霧真弘(あさぎりまひろ)Aether(エーテル)の精鋭候補生だよ」


Aether、精鋭候補生。楓には何のことか分からなかったが、この少年の他にも『Aether』の仲間が到着しているようで、通行人を次々に安全な場所へ誘導している。

真弘と名乗るその少年の後方には、辺りを覆う黒い煙が見える。なんとなくそれを見つめていた楓は、煙のなかに人影のようなものを見つけた。


「あれは……?」


「どうしたの?何か見つけた?」


「今、煙の中に人が……」


楓の言葉はそこで止まった。

今、確かに黒い煙の向こうに、かすかに見えた。


橙色と茶色の間のような、優しい色の髪。

そして、吸い込まれそうな――アメジストのような紫色の瞳。


「…有亜」


楓はかすれた声で呟いた。そして――我を忘れたように、煙の中に向かって一直線で走る。


「ま、待って!そっちは危ない――」


背後から真弘が楓を追いかけるが、真弘の声はもう楓の耳には届いていなかった。


――あの少女は有亜だ。楓はそう確信した。

成長して少し姿が変わっていたけれど、楓には分かった。


いまだに夢に見る、有亜が花冠を作ってくれた記憶。楓にとってはまるで昨日のことのように鮮明だった。有亜がまったく別の人生を歩んでいても、自分のことを覚えていなくても――有亜が幸せなら、楓はそれでいいと思っていた。


「――有亜…!」


楓は息を切らして、崩れたビルの前で立ち止まる。有亜はまだ煙の中に立っていた。有亜の表情までよく見える距離。楓は顔を上げると――すぐに言葉を失った。


有亜は深い藍色の軍服のようなものを身に纏っていた。優しい色の髪も、アメジストのような瞳も、昔と変わらない。確かに有亜本人のものだった。

しかし――楓を見つめる瞳が、別人のようにひどく冷たかった。感情を失ったような表情には、かつての面影がまったく感じられなかった。


「――有亜、なのか…?」


「………」


楓の言葉にも、有亜はまるで認識していないかのように、まったく反応しなかった。楓のことを覚えているのか、覚えていないのか。それも分からない。ただ、黙って楓を見つめている。


その時、突然どこからともなく煙の中にもう一つの人影が現れた。


「有亜!撤退命令だ。急いで!」


有亜と同じ色の軍服。楓と同い年くらいの男。


有亜は呆然と立ち尽くす楓を一瞥すると、その男とともに飛び立つように去っていった。


「…はぁっ、はぁっ…どうしたの急に…?!」


はっと我に返り振り返ると、先程"怪物"から楓を助けてくれた少年、真弘が息を切らして立っていた。突然走り出した楓を心配して、ここまで追いかけてきたのだ。


「…有亜」


もう一度、その名前を呼んだ。

楓の目に映るのは、変わり果てた街だけだった。


***


通行人全員の避難を終えた大通り。

崩れたビルの瓦礫の影に、2人の人物が息を潜めて立っていた。


「…任務完了だよ、有亜。今回もAetherの避難誘導のおかけで、民間人の犠牲は少なかったみたいだね」


有亜の隣にいる男は、ふわぁ、と気だるそうにあくびをすると、有亜に問いかけた。


「ところで…さっきの子、知り合い?」


沈黙が流れ、砂が混じった風が有亜の髪を揺らす。


「…分かりません」


有亜と呼ばれる少女は、静かに答えた。

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