雑巾令嬢は涙を拭けない
一人の聖女がいた。
魔物の瘴気を浄化することのできる、強い神聖力を持つ聖女だ。
身体に取り込んだ瘴気は、黒い痣という形で彼女の肌に現れる。時が経てば消えるが、その前に別の瘴気によって新たな痣ができる為、顔から足の先まで、彼女の全身は常に痣だらけだ。
伯爵家の私生児として元々蔑まれていた彼女は、その見た目から薄汚い雑巾にたとえられ、『雑巾令嬢』などと罵られていたが……
十三歳で神聖力が正式に認められ、聖女として神殿に上がると、皆、手のひらを返すように彼女に感謝し、敬うようになった。
『聖女様のお蔭でこの国の平和が守られている』
『ご自分の容姿を犠牲にしても瘴気を浄化し続けるなんて、なんと素晴らしい方だ』
『真の美人とは、聖女様のようなお方だ』
平民から、かつて彼女を蔑んだ貴族まで、国民は口々に聖女を褒め称えた。
『それに引きかえあの女は……』
軽蔑の眼差しを向けられるのは、伯爵家のもう一人の令嬢。本妻が生んだ嫡女である彼女は、幼い頃から贅沢を享受して育った。
腹違いの妹である聖女とは異なり、染み一つない真っ白な肌を持つ美しい彼女。微量の神聖力はあるものの、瘴気を浄化できるほどではない為、聖女にはなれなかった。
神殿で祈り続ける聖女の妹とは違い、屋敷で自由に暮らす無能の姉。その上、私生児の妹に冷たく当たっていたという噂が広れば、非難を受けるのも当然だった。
真の『雑巾令嬢』は、心が醜い姉の方だと──
そんな姉シーラは、今日も屋敷にこもっていた。
跡継ぎには兄がいるし、花嫁修業はとうに終えている。通常であれば、結婚相手を探す為、茶会なり夜会なりに必死に参加する年齢だが……
最近では招待状も届かなくなっていた。
(別にいいわ。どうせ結婚なんてできないのだし)
妹の身分と容姿を蔑み、『雑巾令嬢』と散々罵った令嬢達は、今では全てシーラの指示でやったのだと言いふらしていた。
七歳まで市井で育った妹に、貴族の礼儀作法を厳しく教えていたのは事実だが、手を上げただの虐待だのと、誇張されて広まってしまった。
(……あの娘は大丈夫かしら)
聖女に認定された妹レミとは、神殿に祈りを捧げに行く時にしか会えない。可愛かった妹の円らな瞳は、次第に変化し、自分の声は届かなくなっていった。
シーラは窓を開けると、すうと息を吸い込む。咳き込みそうになるのを堪えながら、胸を押さえ、ゆっくり瘴気の残骸を吐き出した。
(またすごいものを取り込んでしまったわ。……神官長様にご報告しないと)
今日はもうこれ以上は難しいと、窓を閉め、神殿へ出掛ける支度を始めた。
『シーラ様が神殿へ入って行くわよ』
『いやね、信仰心も神聖力もないくせに。わざわざ聖女様を虐めに来たのかしら』
『聖女様に嫉妬して、“ 祈りを捧げる優しい私 ” を演じてるだけだろ。雑巾令嬢のくせに』
今日もそんな言葉を浴びせられるシーラは、実は正式な聖女であった。レミよりも高い神聖力を持ち、神殿で祈りを捧げなくても、遥か遠くの瘴気まで浄化することができる。あまりに強すぎるその力は、近頃関係が悪化している隣国に悪用されないようにと、国王の命で隠された。その為、表向きは普通の令嬢として暮らしているのだ。
どんなに瘴気を取り入れても、レミとは違い、彼女の身体は何の影響も受けない……ように見える。だが実際は、目に見えない内臓が蝕まれ、悲鳴を上げていた。
(瘴気を取り入れなければ消えるレミの痣とは違って、私の身体は元には戻らず、日に日に寿命を縮めている。それでも……あの娘の方がずっと可哀想)
彼女はいつも遠い妹を想い、哀れみ、その心身を案じていた。
シーラから報告を受けた神官長は、顔色を変え唸った。
「……よくないな。陛下にご報告しないと。そなたも有事に備えておくように」
「はい。あの、レミと話はできますか?」
「ああ……彼女なら、祈りの間で民を癒しているよ。それよりも、今は瘴気を浄化することに専念して欲しいのだが」
ため息を吐く神官長に、瘴気を吸い込んだばかりの胸が爆ぜそうになる。
「……そうですか。では、今日も会わずに帰ります。自分を大切にと、それだけお伝えください」
シーラは祈りの間の方を見やると、悲しげに目を伏せた。もうこのまま二度と会えないかもしれない、そんな気がしたからだ。
それから僅か三日後、国は揺れた。
隣国が国境のバリケードを破壊し、大量の魔物を送り込んできたからだ。
民は比較的安全な地へと避難し、国内の聖女という聖女は、魔物の討伐に向かう兵に同行する為駆り出された。それでも日々状況は悪化し……民の不満と不安は、避難しながらも瘴気を浄化し続けるシーラへと向かった。
「あんたも少しは神聖力があるなら、逃げずに国の役に立て!」
「そうだ! 妹の聖女様は、飲まず食わずで必死に祈りを捧げているというのに!」
「役立たずの雑巾令嬢!」
興奮した民は何をしでかすか分からない。このままでは自分だけでなく、共に避難している家族にまで危険が及ぶかも。そう考えたシーラは、一番被害の大きな危険地帯へ赴くことを志願した。過酷な避難生活と、強い瘴気を取り込み続けたせいで、もう先が長くないと分かっていたからだ。
「役に立たなければ、魔物の生贄にでもなってこい!」
そんな言葉の矢を、痩せた背中に受けながら。
同行する兵達はシーラが聖女だということを知らない。だが、危険地帯までの旅を共にする内に、噂の『雑巾令嬢』とはかけ離れた、心優しく思慮深い女性であることに気付いた。
役立たずだろうが何だろうが、彼女を全力で守ろう。兵達がそう団結し始めた時……行く手を遮るようにして、一匹の魔物が現れた。今まで倒してきた魔物と姿は同じなのに、どの魔物とも違う凄まじいオーラを纏っている。
シーラは直感した。
これを倒せば、他の魔物達も鎮まると。
瘴気を放たれる前に、自ら魔物の前に歩み出て、両手を広げた。
「私を取り込みなさい!」
その言葉に兵達は驚き、口々に叫ぶ。
「お止めください!」
「止めろ!」
「あなたが犠牲になっても意味はない!」
瘴気とは魔物の悲しみや苦痛。それを癒すことのできる神聖力は、魔物の大好物だった。力の強い聖女を生贄に捧げることで、魔物が聖獣に変わった例もあるが……弱い彼女が自分を犠牲にしたところで、無駄死にだと兵達は考える。
魔物に飛びかかろうとする兵を、シーラは制す。
「刺激してはダメ! 瘴気を放たれれば、全滅してしまうわ」
更に一歩、前へ出たシーラは、魔物の尖った瞳を見上げ思う。今の妹によく似ていると。
「あなたも変わってしまったのかしら……」
そう呟き、哀れな巨体を抱き締めた。
シーラが生贄になったことにより、魔物達は鎮まった。それ以上瘴気を放つことなく、元居た場所……隣国へと戻っていった。
自国の魔物を他国へ送り込むという、最大の違法行為を犯した隣国は、多額の賠償金を支払うことになった。近隣諸国からも責められ、攻め入られ、やがて魔物の瘴気により滅びていった。
あの時の兵達は語る。
シーラ様を取り込んだ魔物は、七色の翼を持つ美しい聖獣へと変わり、他の魔物達を引き連れて隣国の空へ飛び立ったと。
国を救った立派な聖女として崇められるようになったシーラ。国王もその功績を称え、彼女の父親に豊かな領地を贈り、伯爵から侯爵へと陞爵させた。
しかし家族は泣いた。一番幸せになるべき娘は、もうどこにも居ないのにと。
その頃、神殿の窓からは、『雑巾令嬢』が遠い空を眺めていた。
(……バカなお姉様。“ 無駄 ” な神聖力を持ったばかりに、誰からも感謝されることなく、魔物なんかの餌食になって)
『レミ、わざと痣をつくる為に、害のない瘴気まで取り込むのは止めなさい。もっと自分を大切にして』
(自分を大切に? ええ。私は私を大切にするわ。この汚い顔を活かして、チヤホヤされながら生きていくの。聖女は一生結婚もできないんだから、それくらいいいでしょ。……安心してちょうだい。私はお姉様みたいに愚かで……可哀想な『道具』にはならないんだから)
痣だらけの歪んだ顔には、涙が一筋伝っていた。
──滅びた国の昏い森。
誰も近寄らない、魔物だらけのここに、二人の男女が暮らしている。
男はかつてこの国の第二王子だったが、彼を疎む王太子の呪いで、魔物へ姿を変えられ、隣国に攻め入る為の道具にされた。
女はかつてその隣国の聖女だったが、神聖力を隠された為に、聖女である妹と比較され『雑巾令嬢』などと蔑まれていた。
強力な神聖力を持つ女を喰らった男は聖獣になり、故国の森に帰った後、口から女を吐き出した。飲み込んだはずの女の身体は無傷なばかりか、使い古した雑巾のようだった内臓も、聖獣の治癒力で健康を取り戻していたのである。
美しい彼女を保護し、慈しむ内に、聖獣は王子だった頃の記憶を取り戻し、人間の姿に自由に戻れるようになった。
これからは自分を大切にしたい。
もう道具にはなりたくない。
二人の願いは同じ。
故国では流せなかった彼女の涙を、優しい手が何度も拭う。その手が震える時は、彼女が何度も温めた。
やがて二人は夫婦になった。
王子は妻を何よりも大切にし、彼女も夫を……
優しい魔物達が護る森の中で、愛を育みながら、いつまでも幸せに暮らした。
ありがとうございました。




