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第5節『蛇と蛙』

 バレンシア山脈で『手長翼竜の眼』を無事に入手したシーファ、リアン、アイラの3人がアカデミーを経由してから南端の漁村オッテン・ドット地区に入ったのはそれから5日後のことであった。そこは古くから漁業で栄える港町で、最近で言えば、『三医人の反乱』の際、上陸作戦を敢行されて占領を受けた地域でもある。そのため戦禍はただならぬものがあり、辺境ということもあってその復興の足取りは鈍くもあったが、それでもなお、そこに住まう人々は力強く生活を再建し、新しい生活を紡ぎ始めていた。


 少女たちが求める『メドゥーサの頭蛇とうだ』の持ち主は、その地域に古くからある『ゴルギアスの洞穴』に潜んでいた。この世界のメドゥーサは、それと視線を合わせた者を無差別に石化させるというほどの脅威ではなかったが、しかし蛇の下半身の上に座主、鱗に覆われた人型の上半身には4本の腕が伸びていて、その指先の鋭い鉤爪に傷つけられると、そこからたちまちに石化させるという能力を有していた。それは、人の歴史よりも遥か以前から存在する魔法生物である。幸いにしてその石化能力は致死性のものではなく、万能薬や高位の治癒術式によって治療自体は可能であった。それでも、オッテン・ドット地区の人々は災厄の象徴であるとしてその棲み処に近づくことはしなかった。


 少女たちは今、険しい岩肌に囲まれた洞穴の中で、その禁忌の生き物と相まみえている。ヒカリゴケに覆われた黒曜石の頑強な壁は、魔法光とはまた違う不気味な生物的微光をたたえていた。自然が放つ薄緑色のぼんやりした明るさの中で、その威容はぶしつけに押し入ってきた外敵に対し、おぞましい敵意を剝き出している。その瞳の不気味な照りが、周囲の緑を一層濃くしていた。その場を激しい緊張が支配していく。


挿絵(By みてみん)

*招かざる突然の訪問客に怒りを露わにするメドゥーサ。


* * *


「なんとも気味が悪いわね。」

 そう言うシーファの額に大粒の汗が沸く。

「頭蛇の群れに、石化能力をもつ4本の腕、蛇の下半身による俊敏巧みな運動能力、これはずいぶんと骨が折れそうです。」

 アイラは錬金銃砲の照準器を通してその異形の生物を見つめていた。すでに臨戦態勢にある二人とは対照的に、リアンだけは何事かを躊躇うようにその構えが定まらない。


「いきますよ!」

 『徹甲法弾』を装填したアイラの錬金銃砲が火を噴いた。彼女の射撃速度は早い!弾倉は高速に回転して強力に法弾を射出していく。しかしメドゥーサは、洞窟の床に這わせた蛇の尻尾を軸にしながら巧みに上半身を揺らしてその砲弾をことごとくかわしていった。それでも幾発かはその身体をとらえたが、全身を覆う鱗は『徹甲法弾』ですら満足に傷つけることができない代物のようである。

「腹側を狙わなければいけませんね。しかし、どう当てたものか。」

 ふたたび照準器を覗き見るが、なかなか思うように狙いが定まらない。


「距離を取ってだめなら、こうするしかないわね!」

 そう言うや、シーファは片手にあの美しい長剣を携えて踊るように異形の前に舞い出ると、一気呵成に刃を振るった。シーファの剣は1本、それに応じる腕は4本だ。流れるような身のこなしで、その身体をとらえようと刃を繰り出すが、数に任せるメドゥーサの腕と洞窟の狭さが仇となる。シーファの剣の切っ先がメデゥーサの顔面をかすめた瞬間、それと交差するようにして、鉤爪が彼女の左腕を捕えた。ひっかき傷自体はたいしたことはない。だが、シーファの左上腕はその傷を中心にして瞬く間に石と化してしまった。指先にはわずかに生身の色があるが、もうほとんど思うようには動かなかった。

「なるほど、こういうことなのね。」

 冷たく固くなったそれを見て、シーファは唇をなめた。


「アイラ、リアン、気を付けて。噂通りよ!」

 頷きながらも照準器から一瞬たりとも目を離さずに、鱗のない腹側を狙うアイラ。その命中精度が高まるほどに、彼女の視野は狭くなる。その時だった!メドゥーサは、銃砲を構えるアイラめがけてその髪の毛の蛇のうちの何匹かを鞭をしならせるようにして繰り出してきた。

 それは、メドゥーサの意志のままに伸びるのではないかと思われるほどに長く、瞬く間にアイラの左手と右脚にかみついた!牙が肌を刺し通す激痛が彼女の身体に襲い掛かる。しかし脅威は痛みとは異なるところにあったのだ。なんと蛇にかみつかれたその場所が、先ほどのシーファの左腕同様石化するではないか!

「!!」

 思いがけない出来事に、アイラの顔には驚きと焦りの表情が浮かぶ。片脚の自由を奪われた上に左腕が利かないのだ。にわかに錬金銃砲を思うように構えられなくなった。

「どういうこと!頭蛇に石化能力があるなんて聞いてないわよ!」

「魔法学の教科書もずいぶんとあてになりませんね!」

 強がっては見せるが、このままでは追い込まれるのは必至だ。まだ両脚の利くシーファが、アイラをかばうように身を乗り出して剣を構えなおす。再び二人を襲おうとして、メドゥーサがその蛇で怒髪天を衝いた。


 ただ、どうしたことだ?リアンは二人の少し後ろで、強力な『ルビーの法弾』を装填した錬金銃砲を構えてこそいるが、恐怖とは違う何ものかにその心をすっかり捉えられて、一向に引き金を引こうとしない。その様が気にはなるが、シーファとアイラにはリアンをおもんばかるだけの余裕はもはやなかった。


 洞穴の奥から、異様な湿度を帯びたもやのようなものが立ち込めて来て辺りを包む。ヒカリゴケの放つ薄明りはそのヴェールによって複雑に拡散し、一層その色を妖しくしていった。むせかえる土のにおいが鼻についてならない。いや、もしかするとそれは石化した四肢の匂いということもある。不快がその場を支配していった。


* * *


 刹那、その頭蛇の群れが再びシーファとアイラに襲い掛かる!片脚の利かないアイラを反射的に守ろうとしたが、シーファのその勇気は全く裏目に出てしまった。咄嗟にアイラをかばったシーファの身体に、複数の牙が襲い掛かってくる。それは彼女の右肩と左腿を捉え、その美しい肢体を醜い石に変えた。かろうじて動く上腕だけを振り動かして、幾匹かの頭蛇を散髪して見せるが、そんなことではまったく追いつくわけもない。シーファの身体の横脇から、アイラも錬金銃砲を発砲するが、右手だけで重いその照準を十分に保つことはさすがのアイラにもできなかった。弾丸はその鱗の表面にわずかな傷をつけるばかりで、力なく固い石床の上に転げて行った。


 優勢を悟ったのか、それまでは絶妙に二人との距離を取っていたメドゥーサの行動が大胆になる。蛇が鎌首をもたげるように上半身を構えたかと思うとそれを勢い良く繰り出して、腕の1つでシーファの右上腕を乱暴にねじり上げた。


「あああぁぁぁぁぁ!」


 化け物の握力に腕を締め上げられて、シーファが悲鳴を上げる。皮膚には鉤爪が食い込み、たちまちそこが石に変わった。シーファの手から力なく剣が落ちる。狭い洞窟の中で固い岩と金属がかちあう嫌な音が共鳴した。


「シーファ、もう下がって!」

 そう言うと、アイラは錬金銃砲に備え付けられた銃剣を右手一本の根限りの力で薙いだ。その刃はシーファの右腕をねじり上げるメドゥーサの腕を切断しる。思わぬ反撃に驚いたのか、怪物は少しばかり距離を取る。だが、その全身ににじむ敵意は一層大きなものとなって頻りに次の機会を狙っているではないか!両腕と片脚の自由を奪われたシーファにもう戦う力はない。この状態では魔法の術式行使も無理である。尻もちをつくような格好で、かろうじて動く右脚を搔い繰って、シーファはいくばくかの距離を取った。

 アイラは右手だけで射撃を続けるが、状況を変えるには至らない。敗北の色が一気に濃くなってくる。その状況をリアンの青い瞳は、何かしらの想念におぼれながら、迷うように惑うようにして見つめている。構えた錬金銃砲はなお沈黙していた。


 美しく揺れる青い瞳の脳裏を駆けめぐるものがあった。


* * *


 どうしたらいい?なぜ私たちは今こんなところにいるのか?そう、そもそもそれは私の身勝手な願いから出たことなのだ。そのために、シーファとアイラが傷ついている。このままではだめだ。私が何とかしなければ!でも、そのために、ただカレンに会いたいという私の我儘わがままをかなえるためだけに、他者の生命を奪っていいものなのか?


 わからない。カレンは生命を愛しむ人だった。その優しさと美しさが私の心を染めたのではないか?でも、このままではいけない!このままでは、カレンに会えなくなってしまう。

 それだけは、それだけはどうしても嫌だ!何を犠牲にしても、何を奪ってでも、私はもう一度カレンに会う!今、今、為さなければ、さもなくば私はあの笑顔を永遠に失ってしまう!それだけは絶対に嫌だ!!


 リアンの身体を俄かに禍々(まがまが)しい色の魔法光が包む。その色が、はたしてこの洞穴の不気味さの影響を受けたものなのかは分からない。しかしそれは悍ましい力を滾らせるようにして、リアンの周囲に煙のように立ち上っていった。その美しい瞳は一層輝きを増し、決意とはまた違う、そう、何かしらの狂気のような色を帯びて煌めいていた。


 リアンは、清水のような動作ですっと構えを新たにすると、奥で様子をうかがうメドゥーサに向けて整然と発砲した。撃ち出された法弾は、彼女を取り巻く魔法光によって威力拡張されている!!


 刹那、その突然の暴虐がメドゥーサの身体を蹂躙した。鱗は砕け散り、皮は裂け、砕かれた脊椎が蛇尾だびを押し潰さんばかりにして、その身体を岩場に組み伏せた。残された3本の腕で這いつくばるようにして上体を支えながら、なおもその哀れな生物は威嚇の慟哭を響かせている。

 その鬼気迫る有様が、満身創痍のシーファとアイラの瞳が映していた。


挿絵(By みてみん)

*これまでに見たことのない色をその瞳にたたえて術式を繰り出すリアン。


 その小さな体から溢れんばかりにほとばしり出るおびただしい魔法光を滾らせて、リアンは『(最大出力の)氷刃の豪雨:- maximized - Squall of Ice-Swords』の術式を繰り出した。


 その氷刃の群れは、その狭い洞窟の中を埋め尽くさんばかりにして、一斉に目の前の蛇女に襲い掛かり、その全身をすっかりずたずたに引き裂いてしまった。頭部から乱雑に切断された頭蛇の群れが、石床の上で弱々しくのたうっている。


 そこに向かって、リアンは静かに歩みを進めていった。

「ねぇ…。」

 彼女が横を通ったときシーファが声をかけようとしたが、リアンのその圧倒的な威容を前にして、二の句を継ぐことができなかった。ほんの1年前まで、魔力の出力制御が苦手だからと、13歳を過ぎてもなお自主的に『制御の魔帽』を身に着けていた、あの幼いリアンの面影はもうどこにもない。それは何か、覚悟とでも呼ぶべき一種の狂気に囚われた決意を体現しているように感じられた。


 無慈悲に生命を奪われたその哀れなむくろの周りに残る幾匹かの頭蛇を拾い上げると、先日『バレンシア山脈』で手長翼竜にしたのと同じようにして防腐術式を施してから、丁寧に革袋に収めていった。しかしその日、その目にこぼれるものはなかった。


挿絵(By みてみん)

*『メドゥーサの頭蛇』を腐敗防止術式で処理したもの。


* * *


 獲物の回収を一通り終えたリアンが二人の少女に近づいてくる。

「大丈夫ですか?」

 そう問う声は、いつもの声色を留めていた。瞳の色と声色のコントラストが、シーファとアイラを当惑させる。

「ええ、大丈夫よ。」

「私もです。とにかくまずは石化を解かないと。」

 そう言ってアイラがどうにか身体の動く部分を動かしてカバンから万能薬を取り出そうとするとリアンはその手をそっと止め、二人の方を見やってからその歳のソーサラーが到底使えるはずのない高位の治癒術式を駆使して、二人の石化をすっかり解いて見せた。

 その手際に大いに驚きながらも、シーファとアイラはようやく身体の自由を取り戻したことに安堵する。


「それでは、行きますですよ。」

 おもむろにそう言うリアンに、二人は驚きを隠せなかった。

「行くって、これからオグの所に行こうというの?」

「もちろん、それしかないのです。ここまで来たのですから。」

「しかし、被害も甚大です。一度オッテン・ドットに戻るか、またはケトル・セラーに移動して態勢を立て直しましょう。」

 シーファとアイラの二人で止めにかかるが、リアンは首を振って二人の顔をじっと見る。その瞳の気魄きはくに二人は何も言えなくなってしまった。

「わかりました。しかし、現実の問題があります。これから『ミレイの森』にある『オグの隠れ家』まで歩いたのでは深夜になってしまいます。その点をひとまず考慮しましょう。最低でも一晩キャンプをしてからというのではどうですか?」

 アイラの合理的な提案にもリアンは耳をかさない。


「時間のことは、こうすれば問題ないのですよ。」

 そう言うや、リアンは『転移:Magic Transport』の術式を展開した。狭い洞穴の石床の全面に巨大な魔法陣が展開する。その瞬間、三人はまばゆい魔法光の束に飲まれたかと思うと、それは人型の光に変わり、やがて粒子と化して中空に消え始めた。

 恐ろしい喧騒を奏で続けていた薄緑の洞穴に、にわかに静寂が戻り来る。天上から滴る水滴の音が、その静けさを一層際立たせていた。


* * *


 魔法による転移を終えた3人は、今『ミレイの森』にある隠者『オグの隠れ家』の前にいる。

「あなた、ここの場所を知っていたの?」

 驚くシーファに、

「アカデミーに戻った時、中央図書館で調べたですよ。ご丁寧に座標まであったです。」

 リアンはそう答えた。

「そうなの…。」

 シーファはそうとしか言えなかった。


 太陽はすっかり地平の裏側に姿を隠し、あたりはどんどんと暗くなっていく。洞穴内でのアイラの提案は実に正鵠を射たものであった。しかしここに降り立ってしまった以上、もう後戻りもできない。

 『オグの隠れ家』があるミレイの森は深い針葉樹林で、南東部にあるお馴染み『ダイアニンストの森』とはまた違う様相を呈していた。整然とまっすぐに伸びる巨木の間を縫うようにして、月明かりの中にその隠れ家は照らし出されていた。


挿絵(By みてみん)

*隠者オグが住む『オグの隠れ家』。


 屋根がすっかり苔むしたその古い木造の家屋の窓からは明かりがのぞいていて、そこに難物の隠者『オグ』が滞在していることをうかがわせていた。これから夜が深まろうという時に、誰もが嫌う森の隠者を訪れるというのは正直ぞっとしない話であるが、何ものかを心に宿した今のリアンにはそんなことはお構いなしだった。


* * *


 戸口に近づき、リアンはその扉をおもむろにノックする。

「誰かいないですか?お願いがあるですよ。」

 その声を聞いてドアが内側からゆっくりと開いた。中の空気が漏れ出てくるとともに、腐敗臭とも薬物の刺激臭ともつかない、なんとも形容しがたいが、間違いなく不快きわまる匂いがあたりに立ち込めてきた。シーファとアイラは思わずローブの裾で口元を覆う。

 やがてその隠れ家の主が戸口に姿を現した。それは、口元どころか目元まで覆いたくなるような醜悪な姿をしている。おそらくオグであろうその人物は、魔法薬草で自然染色したかのような濃い黄土色のローブを目深にかぶり、奇妙にねじり曲がった魔法の杖を右手に携えていた。そのシルエットは確かに人間を思わせたが、全身は朽ちたアンデッドのように皮膚が干からびており、ローブから覗き見える顔や手には深いしわが刻まれている。何より特徴的なのは、薄気味悪く輝く瞳のない白い目であった。


挿絵(By みてみん)

*見るからに恐ろしい姿を現した森の隠者『オグ』。


「こんな夕刻にちんを訪ねて来るとはとんだもの好きもいたものだ。」

 乾いたしわがれ声でそれは言った。

「朕を『隠者オグ』と知って訪ねてきたのか?」

 不気味な声が言葉を続ける。


「はいなのです。『オグの糖蜜』を譲って欲しいのですよ。」

 それを聞いて、オグは音を伴わない息だけの笑い声を高らかに上げて言った。

「お前のような小娘が『オグの糖蜜』を欲しいと言うのか?これはいい!これはきっとこの世の末の暗示であろう。」

 不気味な声で嘲笑うように言うオグ。その評判に間違いはないようだ。


「どうすれば譲っていただけるですか?」

 青い瞳を白い瞳に重ねて問うリアン。

「簡単なことだ。これから朕が出す問いに正しく答えられたならば、くれてやるぞ。」

 そう言って、オグはほくそ笑むように口元を歪にゆがめた。


「そんなことでいいのですか?」

「ああ、もちろん。朕は嘘などつかぬ。ただし…。」

「ただし、何なのです?」

「答えられなければその命をもらう。」

 シーファとアイラの表情がにわかに険しくなる。しかしリアンだけは眉一つ動かさなかった。 

「ほう、おぬしはなかなか面白そうだ。糖蜜のために命を賭けるか?」

 その問いに、リアンはただ頷いて答える。

「よかろう。おぬしらは全部で三人。すなわち機会は三度だ。よいな?一度始めれば途中でやめることは許さん。」

 リアンはしかと頷いた。


「では、そこの金髪から始めよう。ここに来い。」

 緊張で顔を強張らせながらオグの前に進み出るシーファ。

「こやつに巻き込まれてかわいそうなことよ。覚悟はよいのだな?」

 シーファの膝は震えていたが、仲間思いで正義感の塊のようなシーファが今更拒むということもない。


「発する問いは一つだ。機会は三度、代償は命。」

 念を押すようにルールを繰り返した後でオグはその問いを発した。


「朕は汝に問う。『この世で最も恐ろしいもの』それは何だ?」


 よくわからない質問だ。答えの候補はすぐにいくつも見つかる。しかし、間違えた時の代償があまりにも大きい。慎重にならなければ…。唇を固く噛み、膝の震えを必死にこらえながら懸命に思考を巡らせる。

 よく考えろ。この状況で最も恐ろしい事態があるとすればそれは何だ?今、我々は自分と仲間の命を人質に取られている。失敗は命の喪失だ。命の喪失…、!!そうだ、命が潰えればすべてが終わる。即ち、命の喪失以上に恐ろしいことはない!


 シーファの美しい唇が震えるようにして音を紡いだ。

「それは『死』よ。」


「かあぁぁぁぁぁ、はっはっはっ。」

 不気味な声で大笑いをしてから、侮蔑するようにしてオグが言った。

「『死』か。それは若さゆえの答えである。死がその身からまだ遥かに遠いからこそ、そう、およそその身に直接関わるとは思えぬからこそ口をつくものよ。残念ながらいま、死がお前を捉えるだろう。」


 そう言うと、オグは手にした魔法杖から光の輪を発してその古びた小屋の今にも崩れ落ちそうな梁にシーファ縛り上げた。縄のようになった光の筋に身体をがんじがらめにされて、その身体は宙づりになる。


「安心せよ。すぐには殺さん。朕はお前のような美しい顔が苦悶にゆがむのを見るのが何より好きなのだ。存分に楽しませてもらってから、その命を頂戴する。」

 そう言うや、シーファを縛る縄が激しくシーファの身体に食い込んだ。首元を締め付けられて満足に息ができない。その艶やかな苦悶の表情をなめるようにオグは見やっていた。


* * *


「さて、お前はどう答える。聞かせよ。」

 瞳のない白い目が今度は不気味にアイラを捉える。あのアイラの相貌に恐怖の色を浮かんでいた。彼女もまた必死に答えを探す…。


 『死』よりも恐ろしいもの、そんなものがあるだろうか?死は生の喪失、それは人生の終わりを意味する。しかし視点を変えれば、それは生にまとわりつく苦痛からの解放と言えるのかもしれない。そう考えるなら、本当に恐ろしいものは生の中にあって生の価値を失わせるものかもしれない。それはなんだろう?生を、人生を生き辛くするもの…。それは…。


「それは『拒絶』です。」

 自分の心を探るようにしてアイラは答えを絞り出した。それを聞いたオグはシーファの時のように嘲笑うようなことはしないでいる。しかし、不気味な笑みを浮かべながら言葉を発した。


「『拒絶』か。なるほど…、確かにひとはよすがの喪失を過度に恐れる生き物だ。その喪失は人生から多くの色を奪うであろう。それを恐怖と感じるのには無理からぬところがある。しかし、お前は大切なことを見逃しておる。」

 その声がにわかに不気味に呪わしい歌のような旋律を帯び始めた。

「ひとは生と死のその瞬間、すなわちその存在のはじまりとおわりにおいて孤独なのだ。お前らがいかによすがを望もうとも、最初と最後の刹那だけは全ての存在から拒絶された状態で迎えることになる。それを避けられる者はおらぬのだ。故に、朕はお前を拒絶しよう。」

 先ほどと同じようにして、アイラの身体を瞬く間に梁に宙づりにすると、またもや不気味な表情を浮かべてその苦悶を楽しみつくした。


 やがてそのおぞましい視線が、リアンを捉えようと眼窩をなぞる。


* * *


「それは『自分自身』なのですよ。」

 オグの視線を受けるよりも早く、リアンは言い放った。


「ほう…、もう少し聞かせよ。」

 瞳のない目が照りを巻く。

「私の心には全てを犠牲にし、全てを奪ってでも叶えたい我欲があるのです。事実、それを果たすために罪のない生命を二つもこの手にかけました。それほど恐ろしいことはないのです。」


「おぉ…、お前は我欲に駆られて他の者から奪うことの恐ろしさを理解するのか?」

 供された答えに対し、初めてオグが問いを重ねた。リアンはただ頷く。

「ならば、なぜそれを思いとどまらなかった?」

 これまでずっと枯れ果てた風のようにしか聞こえなかったその語りに初めて声のような音が乗った。


 その問いにリアンは一瞬怯みを見せたが、なおその可憐な唇を震わせて答えを紡ぎ出す。


「我欲とは、それが忘れられない願いであり、棄てられない愛だからなのですよ。理性を奪い、欲望の為に全てを為さしめるです。なにかを犠牲にすることも奪うことも厭わず、ただその愛を得ることしか考えられなくするものなのです。ですから、私はあなたの問いに答えるですよ。『この世で最も恐ろしいもの』、それは『我欲に囚われた愛』なのです!」

 凛とした響きがあたりの静寂を鋭敏に研ぎ澄ました。


「おおおお、なんという愚か者よ。その若さでそれを知っているとは!お前の魂は実におぞましく穢らわしい。いまいましい、実にいまいましいぞ。お前こそ、まさに人間、すばらしくこの上なき人間である!ああ、呪わしき者よ。生まれ出てから死がお前を迎えるまで、ただ愛という幻想に駆られて生命をもてあそび、自然と摂理への尊崇を踏みにじってその気を済ませようというのか?美しさという狂気を身にまとい、正義という悪を成す真正の外道よ…。ああこわい、ああこわい。朕はもう人間など見とうない。金輪際…、永遠に…。」

 

 これ以上ないほどの罵りと嘲笑の言葉を残してオグは魔法光の中に消えていった。その光がゆっくりとかげると、今しがたまでオグが立っていたその場所に魔法の小瓶が残されている。


挿絵(By みてみん)

*オグが去ったあとに残された魔法の小瓶。


 その場におよそ似つかわしくない麗しい神秘の魔法光を放つ小瓶を拾い上げると、しばらくの間リアンは何も言わずにじっとそれを見つめていた。ラベルには今では忘れられた古い魔法文字で『オグの糖蜜』と刻まれている。しかし、リアンの瞳はそれとは異なるものを見ているようであった。


* * *


 やがて、暖炉に灯された火が、その空間に日常の色を取り戻していく。佇むリアンの頭上から声が聞こえた。

「ねぇ、リアン。お願いよ。はやく助けて。痛いったらないのよ。」

 それはシーファだった。彼女をからめとる戒めは、尽きることのない重力によって彼女を責め苛んでいる。アイラも同様だ。


「ごめんなさい。ちょっと待つですよ。すぐに…。」

 そう言うとリアンは腰に帯びたクリスタルの剣を抜き出し、それを用いて二人の戒めを解いてやった。


「石にされたり、縛り上げられたり、散々な一日だわ。」

「まったくですね。今日は厄日です。」

 苦痛から解放されて、二人はやっと安堵の声を取り戻した。


「それにしても、リアン。あなたあんなことを考えていたのね。」

 いつものようにこくこくと頷くリアン。洞穴以降、鬼気迫る威圧の気配を絶やすことのなかったリアンであったが、オグとの問答を通して自身の葛藤と決意に言葉の輪郭を与えたことで、いくぶんか内心の整理がついたのかもしれない。顔つきも声色もずいぶんといつもの調子に戻っていた。なによりその美しい瞳に、あの呪わしい狂気の色はもう見えなくなっている。


「カレンさんは幸せですね…。」

 ふとそんなことをアイラがこぼした。

「アイラ?」

 心配そうに顔を覗き込むシーファに、

「いえ、なんでもありません。大丈夫です。それよりこれからどうしますか?」

 そう言って応じるアイラ。

「ここで一泊して、明朝インディゴ・モースに発てばいいことですよ。」

 ふとリアンが珍妙な提案をする。あの不気味な隠者の姿はもうないにしても、相変わらず腐臭と薬剤の不快な香りが入り混じり、未知の不気味な品々に溢れかえるこんな場所で一夜を過ごすなど、シーファとアイラにはとても受け入れられる相談ではなかった。


「何言ってるの!まっぴらごめんよ!」

 思わず声を上げるシーファ。さすがのアイラも同調の表情を浮かべていた。

「いい、リアン。無計画に私たちをここまで引っ張って来たのはあなたなんだから、責任はちゃんと取ってもらうわよ!」

 そう言ってシーファは詰め寄る。

「そう言ってもですよ。こんな夜中にどうするですか?」

 すっかりいつものリアンだ。洞穴での様子が嘘のようである。

「ぜひ、インディゴ・モースまで運んでもらえると助かります。来た時と同じようにして。」

 アイラが少し意地悪そうな表情を浮かべて言った。しかしその要求は至極正当なものでもある。


「わかりましたですよ。でもその前に、『真紅の雄牛』か何か欲しいのです。どちらか持ってないですか?もうくたくたなのですよ。」


「そんなのありません!!」

 その二重奏を後追いするように床に大きな魔法陣が広がって三人を包んでいく。やがて、文字通り来た時と同じようにしてその姿は光の粒となって中空に消えていった。


 不快な匂いだけが、なおその場に残されている。

Echoes after the Episode

 今回もお読みいただき、誠にありがとうございました。今回のエピソードを通して、

・お目にとまったキャラクター、

・ご興味を引いた場面、

・そのほか今後へのご要望やご感想、

などなど、コメントでお寄せいただけましたら大変うれしく思います。これからも、愛で紡ぐ現代架空魔術目録シリーズをよろしくお願い申し上げます。

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