第3節『雷鳴のその向こう』
『ダイアニンストの森』を巡ってからハッカー侯爵と出会ったその日の夕、昨夜と同じ宿で三人はこれからのことを計画していた。外では夕立の雷鳴が轟いており、山際は真夏の夕刻に相応しからぬ不穏な暗さで、時々ほとばしる青白い稲妻がその闇を明滅させている。雷はどんどんと近くなり、辺りが一瞬昼のようになったと思うや、腹の底から振動するような恐ろしい音を立てて、少女たちの心に不安を突き上げていた。雨音だけが一本調子のメロディーを奏でている。
「カレンさん達が今『アーカム』にいらっしゃること、ハッカー侯爵がお仕込みになるという特別のお酒をユーティーさんにお届けすれば、そこに至る方法を教えていただけることが明らかになりました。」
激しく動揺する窓越しの騒乱に目をやりながらアイラが言った。
「そうね、大きな収穫だったわ。けれど問題はそのお酒の材料よ。」
机の上に広げたハッカー侯爵のレシピの写しを改めて見ながら、いよいよ困ったという風に言うシーファ。
「とにかく、集めなければならないですよ。そうしないとカレンに会えないのです!」
リアンだけは相変わらずの調子だが、しかし言葉とは裏腹に彼女にもその困難がどういうものであるのかは、少なくとも頭では理解できているようである。具体的にどうすべきか懸命に考えを巡らせながら、青く美しい視線をその写し書きの上に一心不乱に落としている。
先ほど済ませた夕食の残り香と、雨に蒸しかえる山土の独特のにおいが室内に入り混じっていた。
「ひとまず。」
アイラが話始める。
「にんにく、とりかぶと、マンドレイクの根、魔法鷹の爪は、カリーナ様にお願いすれば、お店で極上のものを揃えてもらうことができると思います。」
「確かにそうね。『ハルトマン・マギックス』社なら、これらを揃えるのは造作もないことだと思うわ。」
そう言いつつも、
「ただ、やっぱり問題はその次よ。『メドゥーサの頭蛇』に、バレンシア山脈に生息すると言われる『手長翼竜の眼』、挙句の果てにはミレイの森に巣食う難物隠者オグが作る『オグの糖蜜』まで要るなんてね。一体全体どこから手を付けていいものか、正直皆目見当がつかないわ。」
ため息交じりにシーファがこぼした。
「ひとつひとつ集めていくのではだめなのですか?それしかないのですよ!」
リアンだけは前のめりだが、あとの二人の表情は重い。
「でも確かにリアンの言うことには一理ありますね。」
そう言ったのはアイラだ。
「予想される困難はともかく、手長翼竜とオグについては居場所が知れています。となるとメドゥーサの棲み処さえわかれば、ひとまず手がかりだけは揃ったということになるでしょう。」
「ええ、それはその通りね。ただ、メドゥーサは魔法生物よ。その棲み処を突き止めるのは容易ではないわ。何かいい方法があるかしら。」
シーファが訊ねる。
「そうですね…。」
窓越しに騒がしい夏の空を再びアイラは仰いだ。
「様々な魔法具や魔法薬の材料について記された、先々代から続く帳面がお店にあると聞いたことがあります。メドゥーサの頭蛇は古くから魔法薬の材料として用いられてきましたから、そこに何かヒントがあるかもしれません。」
それから、アイラは右手の親指の爪を噛むようにしてうつむいて何事かを考えていた。しばらくして再び口を開く。
「とにかく、こうしていても埒があきません。ひとまず、明日ここを発ったら、インディゴ・モースのお店に行ってみませんか?いずれにしても、交易で手に入る材料を手配する必要もあります。後のものについては、ひとまずカリーナ様にご相談してみましょう。」
雷鳴は相変わらずだが、明滅から轟きまでの間隔はいくばくか長くなったような気もする。少しずつ遠ざかりつつあるのかもしれない。
「アイラ、どうかお願いするのですよ。それしかカレンにたどり着く道はないのです!」
すっかり声色をくすませていたリアンは懇願するように言った。シーファもアイラの顔を見つめている。
「もちろんです。明日の朝、みんなでインディゴ・モースに行きましょう。ここからはずいぶん距離がありますが、それでもお昼までには着けるでしょう。カリーナ様には私からあらかじめご連絡をしておきますから。とにかく何かしら新しい手掛かりが得られることを期待しましょう。」
そう言ってからアイラはシーファとリアンの方を見た。シーファは微笑み、リアンは瞳の色を期待と不安で濃くしている。
* * *
翌朝はうってかわって真夏の晴天であった。朝から蝉が賑やかに時雨ており、暑さと湿度はすでに箍が外れている。三人は朝食もそこそこに、荷物をまとめて出発の支度にとりかかった。アイラの話では、午後2時にカリーナが直接会ってくれるそうだ。何としてもそれまでにはインディゴ・モースに移動しなければならなかった。
一通りの準備が整うとすぐに入り口の広間まで移動した。アイラは受付で手続きを行っている。どうやらツケの伝票にサインをしているようだ。
「請求はいつものように『ハルトマン・マギックス』社までお願いします。」
「はい。いつも御贔屓にしていただき、こちらこそ誠にありがとうございます。社長様にはくれぐれもよろしくお伝えください。」
宿の女将と思しき女性が受付でアイラに丁寧にあいさつをしていた。
「かしこまりました。きっとお伝えいたします。この度は本当にお世話になりました。ありがとうございます。」
それから、アイラが二人の下に戻ってきた。
「お待たせしました。さあ、行きましょう。カリーナ様がお待ちです。」
アイラはいつでも礼儀正しく、その振る舞いは社会的関係においてすでに完成の領域にあった。しかしあまりにもきっちりとしすぎたその姿にシーファはいくばくかの違和感を覚えていた。アイラのことをそっと気遣うようにして、
「ありがとうアイラ。じゃあ、行きましょう!」
そう声をかける。こくこくと頷きながら、リアンも一緒に歩き始めた。夏の朝はまだ始まったばかりだが、それでもあたりはすっかり明るく、三人の横顔を日差しが容赦なく照らしている。
宿を出た三人は、ルート35からタマンストリートを入り、そこから南大通りを経て中央市街区に戻っていく。北部の大都市インディゴ・モースまではそこから更に距離があった。マーチン通りからサンフレッチェ大橋を北に抜け、更にインディゴ通りを行った先にそこはあるのだ。幸い、主要幹線道路であるそれらの道々は美しいタイルできっちりと舗装されているが、しかしこの時期のそれらは激しい照り返しにまぶしく、あつく、思う以上に小さな少女たちの体力を奪っていった。
額から沸いた汗が頬を伝って首筋に流れていく。時折吹き抜ける風がその汗をさらうほんの一瞬だけ涼しさを感じることができたが、うだるような暑さがその快感をすぐに忘却させた。
北に進むにつれて街は活気にあふれ、人々の往来は都会のそれになっていく。戦禍に傷ついた日常を取り返そうと皆懸命に今という時間を紡いでいる。喧騒という名の活気をかき分けながら、6つの小さな足はなおも一層北に向かって繰り出されていた。
暑さと不快の源である太陽がゆっくりと天頂に差し掛かっていく。アイラはそれを仰ぎ見ながら残りの行程の兼ね合いを算用していた。
やがてサンフレッチェ大橋の南端に差し掛かる。そこを抜ければ、インディゴ・モースの街はほどなく視界に捉えられるであろう。
* * *
「ここまでくればもうすぐですね。お昼過ぎにはお店に着けるでしょう。十分に間に合いそうですね。」
疲労と安堵の入り混じった声でアイラが言った。
「そうね、思ったより順調だったわ。あと少し頑張りましょう。」
そう言ってシーファがリアンの顔を見ると、彼女は真剣なまなざしのままでその両足を繰り出している。カレンに会える道筋がようやく見つかった。しかも、それらの点はもうすぐ線を成し、面になってやがて神秘の酒を形作るであろう。そうすれば、あの笑顔をもう一度とらえることができるのだ。その漠然とした希望が、リアンの小さく繊細な心を確かに支えていた。その希望を形にするためのきっかけのひとつを、先を行くアイラがいま示してくれている。自分よりは幾分大きなその背中を橋の上で追いながら、リアンはなお心を閉ざしにかかる不安と心配とひたすらに格闘していた。
そうこうしているうちにも三人は橋を渡り終え、そこから先は東に進路をとってインディゴ・モース街へと入って行った。
インディゴ・モースは中央市街地の北に位置する見事に洗練された、いわば瀟洒な大人の大都会で、活気の点ではほかの街々と同じであるものの、その趣は、若者の聖地であるフィールド・インや文化交流のるつぼたるポンド・ザックなどとは全く違うものである。またそこは、『三医人の反乱』の際に実害を受けなかった数少ない都市のひとつでもあり、以前と変わらない落ち着きと繁栄を保っていた。
大通り沿いを進んで行くと、ついに少女たちを『ハルトマン・マギックス』が出迎えてくれる。
*インディゴ・モースに位置する『ハルトマン・マギックス』本店。
繰り返しにはなるが、そこはこの魔法社会で1,2を争う大企業であり、『人為のルビー』と呼ばれる人為の法石の錬成に初めて成功した功績がその地位をゆるぎないものにしていた。十代の少女が足を踏み入れるには、少々、というよりむしろ多分に躊躇いのあるその威厳ある入り口に向かって、アイラは帰っていく。
「おかえりなさいませ、アイラお嬢様。」
入り口で客を迎えていた女給が、アイラの姿を見とがめて挨拶をする。アイラがこの『ハルトマン・マギックス』の養女であることは、シーファもリアンももちろん知っていたが、その現実に直接触れることは、特にこうした社会にあまり馴染みのないシーファにとっては新鮮な驚きだった。貴族令嬢のリアンはある意味でアイラと同じ境遇にあったが、それでも、いつもは控えめで礼儀正しいアイラの少し違う表情を垣間見て、こうした世界で生きることの難しさを改めて思いやるような、そんな表情を浮かべている。
「友人をお連れしました。2時にカリーナ様とお約束があるのですが、それまで少々余裕があります。彼女たちを客間でもてなしていただけますか?」
アイラがそう言うと女給はすぐに備え付けの魔術式通信装置を繰ってどこぞかに連絡をいれる。やがて、通路奥の階段を別の女給が降りて来て、三人を客間へと通してくれた。
タマンの海を一望するハッカー侯爵の客間も素晴らしかったが、ここはまたそれとは異なる一流ビジネスの気高さを感じさせる凛とした表情をたたえていた。
*『ハルトマン・マギックス』社の応接室。一流を思わせる荘厳な佇まいである。
気の強いあのシーファがすっかり恐縮しきりで、おずおずとアイラの後について行く。リアンはその後に続いた。時刻は1時をわずかに回っている。
「どうぞおかけください。歩き通しで疲れたでしょう。約束の時間までくつろいでください。」
そう言って、アイラが二人に席を進めてくれた。ソファに腰かけるシーファとリアン。ここでもアイラは二人をよく気遣ってくれた。
「昼食をとるほどの時間はありませんから、お茶にしましょう。そう言えば、『ハルトマン・ビスケット』が新しくなったんですよ。」
そう言って、アイラが女給にお茶の用意を頼んでくれた。
しばらくすると、応接用の給仕カートにお茶とお菓子を載せた女給たちが応接室に入ってくる。
* * *
美しい総銀の皿は意匠を変えた銘菓『ハルトマン・ビスケット』で彩られていた。
*美しく盛られた『ハルトマン・ビスケット』。
「どうぞ。」
女給がめいめいの前に、それが盛られた皿とお茶を供してくれる。ビスケットとクリームの甘い匂いとお茶のさわやかな香りがなんともいえないコントラストを奏でており、朝から歩き詰めで胃の腑に少々余裕のある少女たちの食欲を巧みにとらえていった。
「お時間まで、少々あります。ゆっくりお召し上がりください。」
アイラの勧めに従ってそれを口に運ぶと、ビスケットのさっくりと歯切れのよい触感の後に舌先に触れるクリームが甘みを齎すが、そのすぐ後に酸味の効いたルビー色のジャムが口内をすっきりとさせてくれるそんな絶妙な味わいで、高級店が接客用に供する菓子として申し分ないように感じられた。シーファは一つ、また一つとそれをほおばっていく。
お茶を楽しみながら談笑しつつ、長歩きの疲れを癒しているうちに、柱時計の鐘が2時を打った。ドアをノックする音が聞こえる。
* * *
「アイラお嬢様、CEO(最高経営責任者)がおいでになられました。」
女給の声が聞こえるや、アイラは席を立って直立不動になり、
「どうぞ、お入りください。」
緊張の乗った声でそう応えた。応接室の戸がゆっくりと開き、そこから、真紅のローブを身に着けた人物が入出してくる。その人こそが、この会社の最高経営責任者であり、アイラの義理姉であるカリーナ・ハルトマンその人なのだ。その姿はゆるぎない威厳をたたえており、歩みからは確固たる自信が感じられた。
*応接室に入室したカリーナ・ハルトマン。
シーファとリアンが立ち上がって挨拶をしようとすると、
「そのままで結構よ。」
そう言って二人を制止し、彼女たちの正面にある椅子にゆっくりと腰を下ろした。
「アイラ、お疲れだったわね。あなたもおかけなさい。」
「かしこまりました、カリーナ様。」
それからアイラは直立不動をとき、リアンの横に小さく腰かける。
「ようこそ、『ハルトマン・マギックス』へ。タマンからではお疲れになったでしょう。話は事前にアイラから聞いています。まずはゆっくりなさってくださいな。」
そう言って、カリーナは微笑みを見せた。
「カリーナさん、この度はすっかりお心遣いをいただいて、本当にありがとうございました。」
シーファが丁寧に頭を下げ、礼を述べる。
「よろしいのですよ。どうぞお気になさらず。みなさんはアイラの大切な御学友なのですから。」
その声はカップから紅茶を一口傾けた。
「そう言えば、今回はずいぶんと大変な探し物をなさっているようね。」
赤く美しい瞳を少女たちに向けてカリーナが言う。
「はい。実は、そのことでカリーナ様にお願いとご相談がございまして。」
アイラが説明を始めた。
「どうぞ。」
「昨日お伝えしました通り私たちは今、あるお酒の醸造のため魔法薬剤を集める必要に迫られております。」
「そのようね。」
「ひとまず必要となりますのは、にんにく、とりかぶと。それからマンドレイクの根と魔法鷹の爪です。これをお店で取り寄せていただくことはできないでしょうか。」
そういうアイラの言葉は心なしか緊張に震えているようだ。少なくとも、到底姉妹の会話には感じられなかった。
「それくらいなら、問題ないでしょう。」
そう言うと、カリーナは近くに控える執事を呼び、在庫を確認させる。
しばらくして戻ってきた執事がカリーナに耳打ちした。
「にんにく、とりかぶと、魔法鷹の爪については問題ありません。インディゴ・モースの本店にすでにあるそうです。ただ、マンドレイクの根だけは今在庫を切らしているようで、ポンド・ザックの問屋から入れる必要があるです。2週間も待ってもらえば入るでしょう。それで大丈夫かしら?」
アイラの方を見てカリーナが言った。
「はい、カリーナ様。問題ございません。お手を煩わせて申し訳ございませんが、何卒、お取り寄せをお願いいたします。」
アイラの調子を変えない。
「わかりました。入荷したら連絡しましょう。」
「感謝いたします。」
その声に、僅かばかり安堵の音色が乗った。
「その他にも必要なものがあるのでしょう?」
そう続けるカリーナ。
「はい。ひとまず調べねばならないのはメドゥーサの棲み処です。頭蛇が必要でして。」
「まあ、それはずいぶんと骨折りなことね。」
そう言うとカリーナは再び紅茶を口に含んだ。
「メドゥーサの頭蛇なら、確かおばあさまの残した秘伝の魔法素材帳に記載があったはずよ。後でごらんなさいな。誰かにあなたの部屋まで届けさせます。」
その言葉に、アイラはずいぶんと驚いている。
「カリーナ様、私めがあれを拝見してもよろしいのですか?」
「もちろんですよ、アイラ。あなたはハルトマン家の者なのですから。」
「なんとも恐縮なことです。ありがとうございます。」
そのアイラの声は文字通り恐縮していた。
「これでひとまず必要なことはできたのかしら?」
「はい、カリーナ様。感謝いたします。他に2つ必要なものがございますが、幸いにしましてそれらの所在地は判明しておりますので、私共で回収に参ろうと存じております。」
「そう。それでは、少し別の話をしてもよろしいわけね?」
そう言うとカリーナはカップをソーサーに戻し、奥に控える給仕に片手で何事か合図を送った。その者はすぐに何かを携えてこちらに近づいて来る。
* * *
布に包まれた長尺のものを給仕から受け取ると、カリーナが言った。
「シーファさん、だったわね?あなたの得意とするのは美しいルビーのレイピアであると伺っています。」
「はい、その通りです。しかし、長く使っていますからあちこち傷んでおりまして…。」
シーファは少し言いよどんだ。
「それはあなたがご活躍の証拠でもあるわ。恥じることでなくてよ。」
そう言うと、カリーナは給仕から受け取った長尺ものを机の上に置き、それを包んでいる布を拭い去った。すると、法石エメラルドとルビーをあしらった美しい長剣が姿を現す。
*カリーナが披露した、エメラルドとルビーがあしらわれた美しい長剣。
「これは…?」
驚くシーファをよそに、
「あなたのレイピアを私共に預けませんか?これからのあなたに役立つようにきっと直して差し上げましょう。これはそれまでの間のあなたの新しい得物です。」
「しかし、そんなことをお願いしてもよろしいのですか?」
動揺を隠せないシーファにカリーナは言った。
「もちろんですとも。今後は大変な旅になるとアイラから聞いています。傷んだレイピアでは何かと不自由でしょう。これはお役に立ちますわ。」
そう言って目配せすると、給仕が剣を取り上げてシーファの前に差し出した。おずおずと両手でそれを受け取るシーファ。その剣は美しいだけでなくその全てが特別な錬金金属で鍛造されており、その身は外見よりもはるかに軽くすばらしい取り回しを提供してくれそうな設えであった。
「いかがかしら?」
「はい、感謝いたします。それではお言葉に甘えてこれをお預けし、こちらの剣をお預かりいたします。」
両手に抱いた剣を静かに机上に戻すと、傍に置いていたレイピアを給仕に手渡した。
「楽しみにしていてくださいね。きっと素晴らしいものに変えてあなたにお返ししますわ。」
そう言うとカリーナは更に給仕に合図した。シーファのレイピアを奥に持っていったのとは別の者が、やはり何ものかを携えて傍にやって来た。今度は幾分と小さい。
「あなたがリアンさんね。アイラからお噂はかねがね。」
そう言うとカリーナはその小さなものを覆っている布を静かにはぐった。そこには手のひらサイズで見たこともない形をした、しかし見事な大口径の錬金銃砲が鎮座している。
*カリーナがリアンに差し出した錬金銃砲。
「これをあなたに差し上げます。魔法使いふたりと術士ひとりの長旅というのは何かと大変でしょう。あなたが錬金銃砲の扱いに長けていらっしゃると聞いたものですから、ぜひこれでアイラを助けてやってください。」
そう言ってカリーナの赤い瞳がアイラを見るが、アイラは一層緊張するばかりだ。
「いただいてもよろしいのですか?」
「ええ、もちろん。これはこう見えて『ルビーの法弾』の使用にも耐える強力な錬金銃砲です。きっとお役に立ちますわ。」
「ありがとうなのです。それでは、頂戴いたしますですよ。」
そう言って、リアンは両手でそれを手元に引き寄せた。
「あとはあなたよ。」
その言葉を聞くや、また別の給仕が姿を現して、アイラのために用意された得物を机上に置いた。今度は布には包まれていない。
*アイラの為にとカリーナが用意させた武具。
それは、錬金銃砲の銃身下部に頑強な刃を携えた、銃砲と刀剣のハイブリッドで、術士のアイラにはうってつけという代物である。
「よいですかアイラ。あなたはハルトマン家の一員です。みなさんと共に旅に出かけるということは、それは皆さんをお守りする責務を負っているということ。これを存分に活用して、ハルトマン家の者の務めを果たしなさい。」
カリーナのその言葉に、アイラはすっかり身体を硬直させた。
「恐れ入ります、カリーナ様。必ずやご期待に沿う働きをして御覧に入れます。お心遣いに心より感謝いたします。」
「結構ですわ。それでは、私はそろそろ次の約束がありますのでこの辺りで。あとは、アイラの部屋でおくつろぎください。旅の準備もおありでしょう。必要なものは店の者に言いつけてくだされば、なんでも用意させます。」
そう言うと、カリーナは颯爽と立ち上がり、応接室を後にした。忙しい身なのであろう、疲れているのか途中で少しふらりとする場面もあったが、彼女はすぐに居住まいをただして扉をくぐっていった。戸の脇で控える給仕がその背を見送りながらゆっくりと扉を閉める。室内の緊張が一気にとけるようであった。
* * *
隣にいるシーファとリアンに分からないように安堵のため息をこぼした後で、アイラが言った。
「それでは、私の部屋に移動しましょう。そちらの方がくつろげます。これからの準備もありますから、今日はお二人とも泊っていってください。」
そう言って立ち上がると、アイラは二人を誘うようにして応接室を出た。その場に集っていた給仕たちが一斉に目礼する。カリーナやアイラの居所も兼ねる店舗は思う以上に大きかった。部屋はいくつもあり、奉公人の数も数えきれないほどだ。
アイラの部屋は3階にあるようで、二人は彼女の後について階段を昇って行った。3階の広い廊下の奥にその部屋はある。
「どうぞ、お入りください。あまりお客人をお招きすることはないのでお恥ずかしいのですが…。」
そう言ってアイラは扉を開いた。そこは、先ほどの応接室ほどではないが、高級な調度品があしらわれた美しい部屋で、アイラがハルトマン家の養女であるという事実を確かに証拠づけていた。普段の寮の部屋とは全く違うその雰囲気にシーファはすっかりのぼせ上っている。リアンだけは複雑な表情を変えなかった。
*アイラの私室。さほど広いわけではないが、その充実ぶりはさすがである。
「どうぞ、ここだけが、それでもこの家での私の居場所なんです。」
ふとアイラがそんなことを言った。その言葉をリアンは聞き漏らさなかったが、気づかぬようにして部屋の中へと入って行く。
「すごいわアイラ。まるでお姫様ね!」
興奮冷めやらぬシーファ。
「お恥ずかしいです。そんなこともないんですよ。さあ、どうぞ。」
アイラは二人に席を奨めた。二人はそれぞれ手近な場所に腰かける。アイラはベッド前に置かれたオットマンに腰かけた。
ここの養女になる前はどのような暮らしだったのか、養女になってからは、そんなことを取り留めもなく話していると、ドアをノックする音が聞こえた。
「アイラお嬢様、魔法材料帳をお持ちいたしました。」
「ありがとう。開いています。」
アイラがそう応えると静かに扉が開いて女給が部屋に入ってきた。彼女はアイラの傍まで行くと、手にした魔法材料帳をアイラに手渡す。
「これは大切なものです。用はすぐに済みますから、ちょっと待っていてください。」
「かしこまりました、お嬢様。」
帳面を受け取るとアイラはそれを持ってきた女給をしばらく自室で待たせ、そのページを繰っていった。万の魔法材料を記したその古い帳面は手書きで、各ページにはそれぞれの材料がやはり手書きのスケッチとともにびっしりと書き揃えられている。手作りのページは辞書式に並んでいるわけではないため、アイラは見落とすことのないように慎重に繰っていった。やがて、その手が止まる。メドゥーサの頭蛇に関する記述を見つけたようだ。
*ハルトマン家秘伝の魔法材料帳に記された『メドゥーサの頭蛇』に関する記述。
「ありました!どうやらメドゥーサはオッテン・ドット地区の沿岸にある『ゴルギアスの洞穴』に生息しているようですね。これで、手がかりは得られました!」
その言葉に、シーファとリアンも目を輝かせた。二人は帳面をのぞき込もうとするが、それは他人の眼に触れさせてはならぬのであろう。アイラは申し訳なさそうに二人の視線から隠していた。
近くの便箋に必要な事項を書き写すとアイラは帳面を閉じ、待たせていた女給にそれを手渡した。
「ありがとうございました。これをきっとカリーナ様にお返しください。」
「はい、お嬢様。ご心配なく。」
それを受け取ると女給はお辞儀をしてアイラの部屋を後にした。静かに戸が閉められる。
アイラはふたたびため息をつくが、それでもその表情は幾分か和らいでいるようにも見えた。
「しかし、あなたここの養女なのにずいぶんと他人行儀なのね。」
何気なしにそう言うシーファ。それを聞いて、アイラは少しバツが悪そうにしながら、
「そうかもしれませんね。ずっとここの奉公人でしたから…。リセーナ様ももうおいででないですし…。」
窓から差し込む夕日に照らされたその横顔は寂し気な翳りを浮かべている。アイラの口元はほんのわずかに笑みをたたえているようにも見えたが、その色は自虐的であった。
「何にしましても、これで手がかりは揃いました。幸い、材料の約半分はお店の方で揃えてもらえます。残るもののうち、所在不明であったメドゥーサの頭蛇についても手がかりはもはや我々の手中にあるわけですから、あとは勇気と力が試されるばかりです。」
居住まいをただしてアイラが言った。
「そうなのです。とりあえず、目標は定まりましたですよ!」
「そうね、大変なことに変わりはないけれど、やるしかないわ。」
そう言って、三人は固く手を取った。しっかり頷くその顔を夕日が美しい赤色に照らしている。三人の旅がまもなく始まるのだ。その時をめがけて、夏の陽が静かに西に傾いて行く。
* * *
その日の夕食は、アイラの部屋で取ることになった。食堂にカリーナがお客を晩餐に迎えているというのもあったが、どうやらそれはアイラのたっての願いでもあるらしかったようだ。
食後、めいめいにシャワーを済ませる。店側としてはシーファとリアンに客間の寝室を用意していたが、遅くまで明日からの旅路に思いを馳せていた三人の少女たちは、だれからということなく、そのままアイラのベッドで一緒に眠りに落ちていった。キングサイズのそのベッドは、少女を三人抱えてもなお十分なゆとりを残している。静かな寝息だけがあたりを包んでいた。
*出発の前に身体を休める三人の少女たち。夜明けは近い。
Echoes after the Episode
今回もお読みいただき、誠にありがとうございました。今回のエピソードを通して、
・お目にとまったキャラクター、
・ご興味を引いた場面、
・そのほか今後へのご要望やご感想、
などなど、コメントでお寄せいただけましたら大変うれしく思います。これからも、愛で紡ぐ現代架空魔術目録シリーズをよろしくお願い申し上げます。




