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第5節『天幕と聖典と』

 シーファ、カステル、セラの三人は、赤いローブのアンデッドが逃げ込んだ古代地下墓地の深部へと続く階段をゆっくりと下っていく。土と埃、すえた油と黴の匂いに不快な金属臭を重ねた冷たい風が、地下から吹き付けては彼女たちの嗅覚を激しく刺激した。墓地内部の全体に耐えがたい複雑かつ異様な匂いが入り混じっていた。

 辺りは真っ暗で、片手に魔法の火を灯したシーファが先頭を行き、そのすぐ傍にぴたりと寄り添うカステルの後にセラがついてくるという格好だ。


「あの。カステル警部、どうかなさったのですか?」

 あまりに自分の方に身を寄せて歩くカステルを不思議に思ってシーファが訊いた。

「こう見えて、この人、こういうのが苦手なのでしてよ。」

 それに応えたのはセラだった。

「誰にでも苦手というものはある。ここのいかにも何か出てきそうな雰囲気は耐えがたいとは思わんかね?二人ともよく平気でいられるね。」

「まぁ、さしものカステル警部も肩なしですわね。そんなんじゃ前を行くシーファさんが歩きにくくて仕方がなくてよ。さあ、しゃんとなすって。」

 檄を飛ばすセラに苦笑の表情を向けて、相変わらずカステルは今にもシーファにしがみつかんばかりの格好で石段を降りて行った。もうずいぶんと歩いているがまだ下に着く様子がない。相当深い位置に作られた地下墓地なのだろう。石段は深く苔むしていて、巧みに三人の足音を隠していた。

 シーファの手にある小さな魔法の灯火だけが、彼女たちの美しい顔に光と闇に揺らぐ境界を刻んでいる。


 その時だった。

「あの…。」

 何かを察したように、絞り出すような小声でシーファが言う。

「気づいたかね?」

「はい。」

「後ろに誰かおりますわね。」

「つけられているのでしょうか?」

 そう言って後ろを観ようとするシーファに、

「振り返らないで!このまま静かに進もう。我々が感づいていることを知られない方がいい。」

 そう言って、カステルがたしなめた。シーファは小さく頷くと、なおも足元を照らしていく。やがて長かった石段も終わり、三人の眼前に地下墓地の埋葬部が姿を現した。

 周囲の気温は入り口よりも一層下がり、冷たい風に汗をさらわれて全身に震えを催す。そこは度重なる盗難にでもあったのか内部は随分と荒れていて、剥き身のしゃれこうべがあちこちに散乱しているだけでなく、丁重に閉じられていなければならないはずの重い石の棺の蓋がずれ動いている箇所がいくつもあった。所々にろうそくの火が見える。今まさに、ここで何者かが何事かを行っているのは一見して明らかだった。

 少しずつ慣れてきた目を凝らして遠くを見やると、埃と苔、泥と砂利にまみれた広い通路の奥に一層開けた広間のような場所があり、そこに明かりの群れが見える。耳を澄ますと、そこからは何か祈りとも呪いともつかない言葉を念じる声が聞こえてくるように感じられた。


「幸い、足元は泥と苔だ。足音を消すには好都合だな。このまま静かにあの明かりに近づいて行こう。」

 カステルが足元を慎重に確認しながら言う。

「そうですわね。真夏の真夜中にこのような場所にいるなんてごめんですけれど。」

「そう言ってくれるな、セラ。それは私も同じことだよ。」

「まぁ、素直でよろしいことですわ。」

 カステルとセラがそんな軽口をたたいる。この状況でも熟練エージェントの二人には余裕というものがあるようだ。一方のシーファは、周囲をとりまく不気味な冷たさと、のどを刺す不快な臭いに苛まれながら、緊張の汗を額から流し、手にもそれを握っていた。


 三人が歩みを止めると、後からつけてくる者もまた歩みを止めるようだ。彼女たちを監視しているのかもしれない…。カステルはその存在にも細心の注意を払いつつ、勘付いていると悟られないように用心しながら、少しずつ奥へと歩みを進めていった。足元のしゃれこうべは何かで磨いたように不思議に輝いているものもあれば、あるものは土くれに還りつつあった。何者かの手でそこかしこに配置されたろうそくの小さな明かりの中で、かつての生命の持ち主は、干からびて黄ばんだ姿を闇の中に晒している。


挿絵(By みてみん)

 *地下墓地の奥へと続く通路。奥からは何か儀式のような声が聞こえる。


 * * *


 更に近づくと、広間から漏れ聞こえてくる声がよりはっきりとした輪郭を帯びてきた。どうやら何らかの儀式を執り行っているようだ。墓石の影に身を隠しながら、目を凝らしてその明かりの先を見やると、赤い血染めのローブを身にまとったおよそ人間とは思えぬ小柄な存在が、まるで聖所のように整えられた祭壇を取り囲んで一心不乱に祈りを捧げているのが見えた。これは総合的な儀式なのであろう、式次第のような進行の声がしたかと思うと、古代語のような音律をもつ不思議な歌声も響いてくる。楽器の音は魔法的な方法で演奏されているのだろうが、その全体は大天使への賛美のために毎週末魔法社会で行われる礼拝の儀式のようであった。そこに集う者たちの頭上には何か薄衣を集めて作られたかのような天幕が張られている。


「一体何をやっているんだろうな?」

「私に聞かれても困りますけれど、ろくな儀式でないことだけは間違いございませんわね。」

 カステルとセラがそんなやり取りをしている。シーファは恐怖にわらう膝と懸命に格闘しながら、喉元を駆け上がってくる恐怖心と戦っていた。手元の魔法光を少しばかり大きくすると、その聖所らしき場所の様子がもう少しだけはっきりと見てとれるようになった。


「いいぞ、シーファ君。コントロールを慎重にな。もう少し、もう少し明るくしてくれ。」

 カステルが片手をあげてちょうどよいと思しきところを合図する。セラもその光の先に黄金色の瞳を釘付けにしていた。

 しばらく儀式の次第を見守っていると、人間と思しき背格好の、やはり血染めの赤いローブをまとった人物が、祭壇の上に何か書物のようなものを慎重な手つきで据え始めた。それが彼らにとっての聖典なのであろうか?


挿絵(By みてみん)

 *祭壇の中央にうやうやしく書物を設置する人間の祭司のような人物。


 不思議なのはその上に張られた天幕の方で、一見すると大きな一枚布を何枚か用いたもののように見えたが、よくよく目を凝らすと違った面持ちが見て取れる。シーファが慎重に手元の魔法光を一層大きく、明るくすると、やがてそれの正体が明らかとなった。


「!!」

「なんとまぁ、こんなことのために盗んだ肌着を使っていたのか?」

「どうにも恐れ入る趣向ですわ。若気の至りもびっくりですわよ。」

 そう、三人が驚くのも無理はない。その祭壇を覆うそれは、なんとこれまでにアカデミーの学徒たち―大多数の女学徒と一部の男子学徒―から盗まれた各種の肌着を縫い留めてひとつの天幕状にしたものだったのだ!肌着で作られた珍妙な覆いの下で、祭司らしき人物がうやうやしく聖典を扱って、何事が深遠な言葉を古代の魔術語で語っている。既に失われた時代のもののようで、その場にいるシーファたちは意味を理解することができなかった。

 飾り台から祭壇の上に丁重に聖典を移すと、祭司はゆっくり祈り始める。しかしその祈りもまた、アカデミーで学ぶ古典魔術語よりも一層古い神話の時代の言語のようで、それを聞く三人は、意味を理解できないことにいら立ちを覚え始めていた。


挿絵(By みてみん)

 *祭壇の上に置かれた聖典に向かって一心に祈りを捧げる祭司。


「あの破廉恥極まる天幕の下で古代語を用いたこの荘厳な儀式とは…。」

 思わずカステルが言葉をこぼす。

「まったく正気を疑いますわ。変態というよりもう常人の理解の及ばぬ奇行ですわ。」

 セラも言葉を失っていた。シーファはただただ理解がついて行かないようで、不安に怒りと恐怖の入り混じった複雑な感情を唾液と一緒に飲み込んでいる。その額からは汗がぽろぽろと流れていた。


 その祈りの声は永遠に続くかのように響き渡る。祭司の周りを取り巻く小柄の存在はその祈りの声にこうべを垂れていた。


挿絵(By みてみん)

 *天幕の下で聖典に向かい手を合わせる小さき者たち。


 祭司の荘厳なる声はいよいよ高みに達し、願いと希求を天に委ねるようなひとしきりの昂揚を見せた後で次第に穏やかさを取り戻し、囁くような声になったかと思うやようやく途絶えた。

 張り詰めた空気が緩むのがわかり、小さき者達の身体からも幾ばくか力が抜けているようだ。

 それから祭司はゆっくりと上体を起こし、その目を開いた。


 * * *


 それは、視線をシーファたちのいる通路の方に向けるとおもむろに話し始める。

「ようこそ。『アカデミー治安維持部隊』の方々。よくぞこの神秘の儀式においでくださいました。」

 その声に三人が驚いたのは言うまでもない。慎重に慎重を期して見回りにあたっていたつもりであったが、ここにいることを見透かされていたのだ。


「そんなに驚くことはありません。墓地での騒ぎのあと、あなたたちが追いかけてくるのは分かりました。ぜひ、あなた方にもこの尊い儀式にご参加いただきたくて、それでお招きしたのです…。」

 祭司はそう言った。

「それはどういう意味かね?」

 カステルが問うと、

「そのままの意味ですよ、カステル警部。」

 意外な言葉を祭司は返した。

「!?君は、私の名前を知っているのかね?」

「もちろんですとも。捜査のためとはいえ、我々の嗜好や興味を汲み取って巧みに話を誘導できるあなたは、場合によっては我々のよき理解者となる可能性を秘めておいでですから…。」

 そう言って祭司はほくそ笑んで見せる。だがカステルも臆することはない。


「それはなかなか難しい相談であろうなぁ、祭司殿。しかし、こんな夜更けに、地下墓地のこんなところでいったい何をしているのか、ぜひ教えていただきたいものだ。この天幕を見るに、君たちがアカデミーを騒がす泥棒だと思って間違いないのだろうね?」

 それを聞いて、祭司はますます分からないことを言い始めた。


「ここは花と花が実を結ぶための尊い在り方を称賛し、新しい生命が紡がれることを賛美して喜ぶところですよ。花は美しい。それは見事な花弁、放たれる芳醇な香り、その麗しい手触り、それだけではない。その美しさの本質は実を結ぶための一連の営みそれ自体の中にありありと息づいている。それは快楽にあふれ、快楽は心の悦びと繋がりを生み出し、そしてその営みはやがて新しい実をつける。その実はついに新たな生命を芽吹くのだ。これほどまでに素晴らしい営みが他にあろうか?あらゆる苦痛からの解放、相互理解と受容、自我の融解と混成…、花と花が一つとなり快楽の先に新しい萌芽をもたらす。ここはその麗しくも偉大なる摂理を賛美する場なのですよ。あなた方もぜひ、その美と悦楽の極致を知るとよろしい。」


 そう語る祭司の声は歌うようでありながら呪うようでもあり、陶酔と狂気にからめとられた不気味な独白である。


「あなたは何を言っているのですか?」

 その言葉を遮ったのはシーファだった。

「こんな破廉恥な天幕をぶらさげて、花と実を語るなんて。まるで快楽愉快犯そのものではありませんか!あなた方の行いはアカデミーの禁に触れます。今すぐに異常行動をやめ、我々に同行しなさい!」

 彼女は毅然と言い放ったが、祭司は歯牙にもかけていないようである。


「ああ、美しいもの、快いものを認められないとはなんという狭隘きょうあいな心の持ち主なのだ…。それほど美しく咲きながら、実をなすことを拒むとは!カステルさん、あなたになら僕の言うこと、すなわち美しい花々が紡ぐ生命の実の尊さがわかるでしょう?」

 祭司はカステルに話を振り向けた。


「確かに君の言わんとすることは分からないではない。我々はそれ自体が美しい存在ではある。しかし美しいもの同士だから即座に交わって実をなせばよいという訳でもあるまい?もし君の言う通りなら、心の美と願いはどこに行くことになるのだろうか?ただ快楽の海におぼれて実をなせばそれでよいのか…?」

 カステルもまた、歌うようにして祭司に応える。


「ああ、やはり君には我々を理解する素質があるよ。どうだろう、悦楽を通じて花を交えてみないか?きっと素晴らしい熱情によって君の言う心もまた麗しさと愛で満たされるはずだ。そこには我々を苦痛と苦悩から解き放ち、生へと立ち戻らせる根源的な力がある。悦楽は善であり、すべての感情の母なのだから…。花と花を快楽の中で交えることで、心身は満たされ、ひとつの悦楽の中にとけていく。そんな素晴らしい経験をしてみたいとは思いませんか?」


「誌的なのか下劣なのかわからぬ口説きをありがとう、と言うべきなのかな?君は肉欲的な悦楽から愛が紡がれるのだと主張するが、あいにくと私はそうは思わんのだよ。愛は純粋に内面から沁み出ずるものだ。愛情なき快楽など麻薬と変わらぬ。快楽を伴わなくとも我々はきっと愛を紡げると、私はそう信じている。」

 カステルの声が幾分かの厳しさをその響きに乗せた。


「浅薄なことを…。精神のみの交流では実はつかぬでしょう。我々が肉という檻に囚われたた生き物である以上、愛の究極形は実を結ぶ仕方です。快楽はそれを後押しし、心を悦楽で満たし、その末に新しい生命を紡ぐ。それこそが創生の時代から続く自然であり摂理。それを理解できぬとは、残念きわまりない。この私も、そこにいる君たちも、すべてそうした快楽の産物なのだということを否定するとでも言うのだろうか!?」

 祭司の語気が俄かに変わる。


「なるほど、それは否定しえぬ事実であろうなぁ。快楽と花の交わり、それがなければ実を生じないことは認めねばなるまいて。しかしだよ?心の内から熱く燃え滾る相手への尊崇が愛を誘引し、それが原動力となって快楽へと導き、その結果麗しい喜びと熱情の発露の中で実が結ばれてもよいのではないかね?我々は人間だ。相互に思いやり、愛しむ存在でなければならない。それを一足飛びにして、ただすべてを悦楽で糊塗ことしてしまおうというのは乱暴であるし、我々の精神の本質に反するのではないかね?」

 カステルはそう続けた。その言葉を聞いて、祭司はフードをゆっくりとはぐってその顔を見せる。


「やはり、君はブルックマンであったか。」

 どうやらカステルにはすでにその正体が見えていたようであった。


挿絵(By みてみん)

 *三人の前に姿を現したトマス・ブルックリン。


「僕の名前は、トマス・ブルックリンだよ。でもまぁ、そんな些細なことはもうどうでもいい。カステル・ウィンザルフ。君とは愛の何たるか、悦楽の後の麗しい実りについて語り合えると思ったのだが…。しかしどうやら、君とは見ているものが違うようだ。僕は美しいものを、麗しいものをそのままに愛しいつくしみたいと願っている。しかし君はそこに裏切りや疎んじといった汚らわしい人間の精神性を持ち込もうというのだ。なんといじましいことじゃないか…。これ以上、僕たちが分かり合えることはないだろう。残念だよ。その点、僕たちの先生は実に純粋であられた。肉欲を喚起するその耐えがたい美を、隠すことなく心底から純粋に賛美なされたのだ。美しいものは美しい。それが分からぬというのなら、ここを見られた以上、君たちには静かに姿を消してもらわなければなるまい。」


 そう言うと、トマスの周囲は夥しい魔力のオーラに包まれた。どうやら彼は魔法使いとしても相当の手練れのようだ。

 対峙する三人の手にぐっと力がこもる。


 * * *


 その時、三人の背後からひとりの人物が現れた。キース・アーセンだ。息を切らしながら彼はトマスに言う。


「トマス、もうこんなバカなことはやめるんだ。どんなに君が追い求めても、ロッティ教授はもう帰ってこない。」

 落ち着き払ったトマスと対照的に、息を荒げるキース。

「そんなことはないよ。先生の足取りをずっと追っていて気が付いたんだ。先生の魂は今高次元空間に漂っている。」

「なんだって!?」

 驚きの声を上げたのはキースだが、その場に居合わせた三人も動揺を隠せない。

「先生の、いやかつて先生だったものの魂の欠片は、時に囚われたリセーナ・ハルトマンとともにある…。それを取り戻せば、先生を僕たちのもとへ連れ戻すことができるんだ。」

「高次元空間!?時にとらわれたリセーナ・ハルトマン!?いったいお前は何を言っているんだ。時空の外になんて出られるはずはないだろう!」

 キースにもトマスの言葉の意味は俄かに理解できないようだ。

「それがあるんだよ、キース。先生は神秘に直截して高次元空間をいわば『航行』する方法をこの聖典の中に記しておられた。あの方は実に素晴らしい人だよ。」


「何が素晴らしい人だ!ロッティ教授は結局初恋に敗れた心痛をぬぐい切れずに、リセーナ・ハルトマンとふしだらな関係におぼれただけじゃないか!そんな人間が尊敬に値するものか。ただ肉欲の穢れが欲するままに快楽をむさぼりあうだけ、そんなもののどこが愛だと言うんだ。そんなもののどこに美しさがある?目を覚ませ、トマス!」

 声を張り上げ、懇願するように言うキース。狭い地下墓地にその声がいつまでもこだました。


「キース、君にも分からないなんて残念だよ。美しいものは美しい。美は我々の肉欲を捉えて理性の箍を解放し、それによって我々は悦楽という耽美に沈むことができる。それは夢であり至上の悦びだ。その末に新しい生命まで紡ぐことができるというのだぞ。これを愛といわずして何と言おう。愛とは快楽、快楽とは悦び、悦びとは至福、そして至福は人生の究極だ。」

 一息でそう言ってから、トマスはふうと息を整えた。


「もういいだろう。わからないのなら仕方がない。血筋よりも遺志が勝ることもあるということなのだろうな。キース、今日までありがとう。そしてさようなら。」


 そう言うとトマスは右手に電を滾らせて、キースに向けて一気に撃ち出した!


挿絵(By みてみん)

 *キースに向かって雷を放つトマス。


「あぶない!!」

 シーファはとっさに飛び掛かって、キースの身体を横倒しにする。足元に散らばる白骨のむくろががらがらと音を立て、その一部は崩れるように砕けていった。間一髪、トマスの放った雷は的をそれて石畳に着弾し、はじけ散る。

「大丈夫ですか!?」

「ああ、なんということはない。トマス!本当にもう分かり合えないのか!?」

 胸を手繰るようにしてキースが言葉を絞り出す。その顔を横目で見ながら、トマスは言った。

「命拾いしたなキース。安心しろ、先生の御意志は僕が継ぐ。君の役目はここまでだ。『アカデミー治安維持部隊』の諸君、君らにもここで行方不明となってもらおう。僕にはまだやることがあるのでね。相手はこいつに任せることにするよ。」

 そう言ってトマスが石床に大きな魔法陣を描くと、そこからひときわ大きな骸骨のアンデッドが姿を現した。身の丈5メートルはあろうかという巨漢で、トマスと同じ血染めの赤いローブを身にまとっている。右手に魔法光を滾らせ、左手には巨大な杖を携えていた。その周りを小さな者たちが取り巻いている。


挿絵(By みてみん)

 *トマスが呼び出した巨大なアンデッド。


「お前たち、何をしている。仕事はミニオン(従者)に任せて我々はいくぞ!」

 トマスがそう声をかけると、小さき者たちは先を行くトマスの後を追いかけていった。

「待て!」

 その背を追おうとするが、巨大なミニオンが体いっぱいにその通路をふさいで邪魔をする。その巨躯が杖をひと薙ぎすると、辺りの柱や壁が崩れ去り、がらがらとけたたましい音を立てて地下墓地の空洞を塞ぎにかかった。


「大きすぎますわ。このまま暴れられましたら、皆揃って生き埋めですわよ。なんとかなりませんの?」

 そう言ったのはセラだ。

「そうだな。とっておきだが、これを使うか!」

 そう言うと、カステルはローブの裾から一つの錬金爆弾を取り出す。シーファは落ちてくる瓦礫を避けるようにして、キースを連れて洞窟の入り口方面へと退避を図った。


挿絵(By みてみん)

 *カステルが取り出した爆弾。


「まあ、また爆弾ですの?」

「そりゃあ私は錬金術師だからね。これは『重力子爆弾』という特別製さ。まあ、見ていたまえ。」

 セラの嫌味をかわすと、カステルは安全ピンを抜いてその爆弾を骸骨めがけて投げつけた。それは放物線を描いて飛んでいく。そしてミニオンの巨躯と接触した瞬間、まばゆい魔法光を放って黒く重い重力体を生み出し、魔法光と共にその巨体を押しつぶしにかかった。黒い球体を中心に広がる魔法光が幾重にもその身体を取り囲み、四方八方から絶え間なく重力をかけ続けて押しつぶしにかかる。


挿絵(By みてみん)

 *大きな重力を放つ球体と魔法光に押しつぶされてその身体が小さくなる。


 ミシミシ、ギシギシという音とともにその巨躯は球体と周囲の魔法光に圧縮され、5メートルはあったその身体は瞬く間に2メートルばかりに縮められた。

「まぁ、お見事ですこと。相変わらずあなたの技術は変わったものばかりですわね。」

 驚きを隠さずにセラが言う。

「君のように優秀な者にそう褒められると気恥ずかしいものだな。」

「まぁ、よくおっしゃいますこと。」

 そんなことを言いながら、小さくなったミニオンに向かって、セラが詠唱を始めた。


『水と氷を司る者よ。法具を介して助力を請わん。我は汝の敬虔な庇護者なり。今我が手に偽りの生命を形作らせよ。氷を積み上げそこに息吹を吹き込もう。アイスゴーレム召喚:Summon of Ice Golem!』


挿絵(By みてみん)

 *中空に巨大な魔法陣を展開し、そこから氷のゴーレムを召喚するセラ。


 詠唱に従ってセラの眼前の中空に巨大な魔法陣が広がり、そこに氷のゴーレムが形作られていく。純血魔導師でありながら、セラは召喚魔法もこなすようだ!魔法陣の上に集まる冷気が大きくなるほどにゴーレムは次第に明確な輪郭を与えられ、身の丈は3メートルほどになって、今しがた小さくされたミニオンと対峙した。


挿絵(By みてみん)

 *対峙するミニオンとアイスゴーレム


 アイスゴーレムは氷の拳をミニオンめがけて繰り出すが、そのミニオンはよほど強力な魔法で生成されているのであろう、膂力りょりょくに優れるだけでなく敏捷で、攻撃を悉くかわしてく。それどころかゴーレムの拳が外れるたびに、それをかいくぐるようにして手にした杖でその氷の身体を粉砕していくではないか!

 ゴーレムの四肢は度重なる杖での殴打を受けてひびが入り、砕け散り、ずいぶんと細くなって、ついには片膝をついてしまった。腿から下は完全に氷が砕けてしまっているようだ。それでも負けじと氷の拳を振るうが、更に腕にも杖を受け、ついには両腕を砕きもがれてしまった。


「ほう、やるな!あいつを相手に格闘は不利だ。攻め方を変えねばならんだろう!」

 そう言うが早いか、カステルは身をひねって前に踊り出すと、ローブの裾からいくつもの爆弾を取り出して、それを一気にミニオンめがけて繰り出した!


挿絵(By みてみん)

 *複数の爆弾を繰り出すカステル。


 それらは先ほどの重力性の効果とは異なり、閃光と火の力を込めた爆弾のようで、破壊力はいかにも高そうである。爆弾の群れがミニオンに襲い掛かった。それは身軽い体で爆発を巧みに避けながら時に杖でそれを払いのけていくが、その喧騒の中で流れ弾はことごとく哀れなアイスゴーレムに命中し、結局セラの力作だけが粉々になる。


「ちょっと、よく考えて爆弾を繰り出してくださいましな!」

 セラがヒステリックな声を上げた。

「どういうことですか?」

 シーファが咄嗟に問うと、

「この方、爆弾がお得意なのはいいのですが、弾切れを起こすんですのよ。継戦能力の短い術士なんて冗談じゃありませんわ。」

 セラがそう答えた。


「ならば、動きを止めればいいのですね!」

「それは、そうですけれど…。」

 セラの言葉を最後まで待たずに、シーファは詠唱を始めた。


『火と光を司る者よ。法具を介して助力を請う。今、我が手をして火を長き蔦となさしめよ。我が敵を絡めとり、それを戒めん。炎の鞭:Flame Wip!』 


挿絵(By みてみん)

 *『炎の鞭:Flame Wip』の術式を行使するシーファ。


 シーファの手から一筋の炎の流れが鞭のようにして撃ち出され、ミニオンの身体をからめとる。それはもつれるようにして襲い掛かり、振るいのけようにも身体に纏わりついてその動きを封じた。文字通りに炎の鞭である。


 ぐああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!


 自由を奪われたミニオンは怒りに任せて咆哮するが、もはや思い通りに手足を搔い繰ることができないでいた。

 そのとき、カステルがにやりと笑って得物を手にする。

「セラ、いつまでも私を爆弾魔のように言うなよ!」

「どういうことですの?」

 そう言うセラの瞳には、カステルが手にする禍々しい剣が映っていた。それは環鋸のような刃を取り囲んでおり、あまつさえそれが刀身をなぞるように回転して動くというもので、凶悪な破壊力を秘めているのであろうことを物語っていた。


挿絵(By みてみん)

 *カステルが取り出した錬金術製の剣。


「私も学習しない訳ではないのだよ。」

 そう言って、シーファの方を見ると不敵な笑みを浮かべた。

「助かった、シーファ君。君のおかげで、最高のお披露目ができそうだ。」

 そう言うと、その剣の周囲に巡る鋸刃がけたたましい音とともに魔術光を放ちながら回転し始めた。飛び散る火花のように、刃の周辺に魔術光の粒が煌めく。

 カステルはそれを水平に後ろ手に構えると、一気にそれを真横に振り出して、炎の鞭に捕らわれたミニオンの上半身と下半身を切断し、返す刀で首をもぎ取った。

 地下墓地の苔むした石畳の上にミニオンのしゃれこうべがごろりと転がり、その上に下半身と切り離された上半身がどしゃりと覆いかぶさって、着けていた赤いローブが、その凄惨を静かに覆い隠した。


 * * *


 襲い来る脅威を退けてからすぐにトマスたちの後をを追おうとしたが、すでにその姿は消えていて、静寂を取り戻した地下墓地の祭壇にはなお煌々(こうこう)とろうそくの火が灯っている。

 祭壇にはトマスが祈りを捧げていた聖典らしきものが残されていた。


「ふむ、これが奴らの聖典なのだろうか?」

 カステルは手に取ってそれを眺める。厚手の日記帳サイズの書物で、表紙には『パンツェ・ロッティの閻魔帳』と古典魔術文字で書かれていた。表紙の下部にも何やら文字が記されていたが、それは古典魔術よりももっと古い時代の魔法文字で、カステルたちには直ちに判読することはできなかった。ただ、何よりも特徴的だったのは、その書物には2か所、厳重に鍵がかけられていて中を観られないようになっていたことだ。かつ『透視:Scanning』の術式さえ通用しないように、何重もの障壁が懇切丁寧に施されていた。よほど見られたくないものがそこには記されているのだろう。

 カステルは隙間から中をのぞけないかとやってみたが、大小二つの鍵のうち、小さい方の鍵は実にきっちりと本を閉じており、僅かなりとも隙間を作るということはない念の入れようであった。


挿絵(By みてみん)

 *『パンツェ・ロッティの閻魔帳』、その中には何が隠されているのか…。


「『パンツェ・ロッティの閻魔帳』か…。亡きロッティ教授の遺品であることには間違いないが、こんなものにいったい何の価値があるのだろう?」

 本を片手に、あちこちと眺めまわしながらカステルが言った。

「まあ、開かないのではどうしようもないのではございませんでして?」

 やるかたないという調子でセラも言う。

「ひとまずあの天幕にされている盗品と一緒にこれを回収して帰りましょう。レイ警視監から魔法捜査研究所にまわして調査してもらえるかもしれません。今夜は逃しましたが、犯人も分かったことですし。」

 シーファはそう提案した。

「そうだな。君の言う通りだよ、シーファ君。我々は今後も彼の足取りを追うことになるが、しかし今日のところできることはもうこれ以上なさそうだ。どうやらこの奇妙な儀式やこの本については、彼も知らないようだしな…。」

 そう言って、カステルは欠けた墓標の後ろに身を隠していたキースに視線をやった。

「それとも、何か教えてもらえることはあるかね?」

 その言葉に、

「残念だが、俺もトマスが何をしようとしているのか、本当のところは知らないんだ。あいつはロッティ教授の魂を呼び戻すことを考えているようだが、そんなことできるはずがない。その本もあいつの持つ鍵がなければ絶対開かないようになっている。」

 キースは観念したと言った口調でそう答えた。

「まぁ、そうだろうな。さきほどブルックマンと対峙したときの君に嘘があるとは思えない。」

 そう言うカステルに、キースが言った。

「俺の知る限りのことは話すよ。トマスは…、あいつは俺を殺そうとしたけれど、それでも俺の、大切な友達なんだ。あいつを…、あんたらに止めてもらいたい。」

 そう語るキースの唇は震え、目尻には熱いものが込み上げていた。

「わかったよ、キッス君。これからは君の協力が不可欠になる。きっとブルックマンを止めてみせよう。別れ際の彼は間違いなく狂気に捕らわれていた。まずは正気に戻してやらないといけない。そうだろう?」

「ああ、どうかよろしくたのむ。ワイズマンも、どうか。」

 言い淀むようにしてセラの方を見るキース。

「まあ、ずいぶんと殊勝ですこと。よろしくてよ。これは我々エージェントの仕事ですから、気になさることではございませんわ。」

 セラはそう答えて見せた。

「それから、君にも無礼ばかりを働いてすまなかった。改めて、俺はキース・アーセン。どうか手を貸して欲しい。」

 キースはシーファに手を差し出した。その手をとってシーファは言う。

「大丈夫ですよ。こちらこそ、今宵は大事無くてよかったです。事件解決に向けて、ご協力を感謝します。」

 そう言って、残った方の手で敬礼して見せた。


 * * *


 地下墓地の中を相変わらず薄気味悪い冷たい風が吹き抜けていく。それは今しがた目にした脅威と狂気を洗い流すようなそんな面持ちにも感じられたが、それでも絶え間なく鼻を衝く黴とすえた油の匂いは、まだこの事件の入り口に立ったばかりに過ぎないことを物語っていた。

 厚い石畳の天上のはるか上を、中秋の名月が静かに宵闇を飾っている。

Echoes after the Episode

 今回もお読みいただき、誠にありがとうございました。今回のエピソードを通して、

・お目にとまったキャラクター、

・ご興味を引いた場面、

・そのほか今後へのご要望やご感想、

などなど、コメントでお寄せいただけましたら大変うれしく思います。これからも、愛で紡ぐ現代架空魔術目録シリーズをよろしくお願い申し上げます。

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