第3節『月夜の晩に』
『マジカル・エンジェルス・ギーク』での経緯をレイ警視監に報告した後に、シーファたちは六名からなる特別の応援を付けてもらい、自らを含めた計九名の人員で定例の夜回りの際、部活棟と寮棟周辺を重点捜査する体制を整えた。すなわち、毎夜3名ずつ交代でそれらを徹底的に見張って、相手が何かしらの動きを見せるのを待ち構える寸法である。
部活棟を訪れた日からすでに数日を経た。今日は美しい月夜の晩だ。シーファ、カステル、セラの三人は今、部活棟を見回るために中庭を歩いていた。
天頂まで塗りつくしたような漆黒が続く秋の夜を、満点の星座と、表面の模様までくっきりと見えるように輝く月光が彩っている。照らし出された石畳を探るようにして、三人は部活棟の三階をしきりに見やっていた。
「あそこだな。どうする。使い魔でも放つか?」
カステルが問うてみる。
「それもよろしいですけれど、見つかれば一層警戒されるだけではなくて?」
「確かにそれはある。今のところは、何らか現行犯で押さえないといけないからな。こちらの出方を知られるのは得策とは言えんだろう。」
「全くその通りですわ。」
カステルとセラのそんな話を耳にしながら何かいい方策を提案できないものかとシーファも思案を巡らせたが、なかなかこれという考えは思い浮かばずにいた。
『アカデミー治安維持部隊』による深夜の見回りは毎夜のことなので、特段姿を隠す必要はないのだが、できれば部活棟が重点監視対象となっていることをトマスたちに気づかれるのは避けたかった。そんな思いが三人の体をおのずから小さくしていく。
木立の枝を秋の夜風がさわさわと揺らした。月明かりの下で白く光る石畳の上に落ちるそれらの影が、少女たちの姿を見え隠れさせている。
部活棟の三階に視界を釘づけるようにしてあたりを慎重に見回るが、1度目の警邏の際にはこれといった動きを確認することはできなかった。
「特に変わった様子はないようだな。このまま寮棟の方へ移動しよう。」
カステルの指示で三人は部活棟のわきを抜けると、寮棟に向かっていく。時刻はもうすぐ日付が変わろうかという頃合いに差し掛かっていたが、多くの部屋がまだ明かりを灯していた。学徒たちは勉学などに励んでいるようだ。時期的に『全学魔法模擬戦大会』も近い。その準備にいそしむ者もあるのだろう。
初秋の生暖かくも乾いた風をその身に受けながら、シーファはその大会でかつて起こった騒動のことを思い出していた。それは戦慄すべき恐怖の体験であり、しかも同じことが遠からず自身の身にも起こったのだ。まさに脅威であったが、しかし少しずつ当時の細やかな機微は追憶の彼方へ消えつつあった。
* * *
「これだけの部屋に明かりがついている状況で、犯行に及ぶ愚か者もおりませんわ。もう少し遅い時間に改めて見回る必要がありますわね。」
寮棟の方を見やりながらセラが言う。
「同感です。もう一度、部活棟を見回ってはどうでしょうか?」
シーファはそう提案した。
「そうだな。再度、部活棟に戻ることにしよう。」
三人は今来た道を引き返し、寮棟を目指して再度一段小高くなった場所を降りて行く。
秋の月は美しかった。その光が闇夜を進む少女たちの肌を虚空のキャンバスに白く流麗に描き出している。足音が時を刻んでいった…。
再び寮棟がその目に映る。三階を見ようと下から視線を上に送ったとき、ふと二階に続く階段の途中に何か動く物陰が見えたように感じられた。足音が聞こえるのは確かだ。
「しっ。気づいただろう。だれか客人がいるようだ。」
後に続く二人に足音を止めるようにと静止を促してしてカステルが言った。
「確かに、階段を上がっていくようですわね。」
「ついに動きを見せるのでしょうか?」
全身に緊張が高まるのを感じつつ、シーファは言う。
「まだわからんな。とにかく後をつける価値はありそうだ。これから静かに尾行する。足音に細心の注意を払ってな。」
そう言うとカステルは『浮遊:Float』の術式を行使した。少女たちの体が地面から数センチふわりと浮き上がる。これは足跡と足音を殺すのにうってつけの術式だが、直接地面を踏みしめるのではないため歩きづらいのが玉に瑕だ。足を搔い繰るようにして、三人は不器用に階段を登って行った。各階の踊り場に出ると三人の影が月光に延びる。影の行方と動きに十分に注意を払いながら、なおも階段を昇り進めた。人影との距離が縮むにつれ、それが立てる足音がよりはっきりと耳に届くようになってくる。
「もうすぐだな。案の定、奴さんの目的は三階のようだ。」
カステルがささやいて示す先に視線を移すと、確かに黒い影が三階の廊下を奥に向かって進んでいるのが見えた。それは周囲をずいぶんと警戒しているようだ。お互いの息遣いが聞こえるほどの静寂の中で視線を釘づけにしていると、案の定それは『マジカル・エンジェルス・ギーク』の活動部屋の前で止まるではないか!何やらカチャカチャという金属音を立てている。鍵開けを試みているようだ。やがてカチャリと小さな音を立ててその戒めは解け、影は部屋の中に消えていった。
ドアが閉まるのを確認してからそっと近づいて三人が部屋の入り口付近を確認すると、ドアの隙間や鍵穴から微かに魔法光がこぼれてくるのが見える。部屋の中で何事かしているようだ。三人は、中の人物が再びドアの外に出てきたところでその身柄を抑えようと考え、カステルとセラは扉の裏側に当たる場所に、シーファは出口を正面に見据える箇所に陣取って、扉が再び開いて中から人影が姿を現すのをじっと待った。のどを鳴らすのもためらわれるほどの緊張が大いに高まって来るのがわかる。
大掛かりなことをしているというわけではないのだろう。室内から大きな音が漏れ聞こえてくることはほとんどなく、中に人がいることをかろうじて感知できる程度の気配だけが漂っている。
やがて、ドアの隙間から漏れていた魔法光が消え、それが黒い境界線に変わった。
* * *
「来るぞ!」
カステルのささやきに、他の二人も身構える。やがて、そのドアは無造作に開いた。
「今だ!取り押さえろ!」
あたりは暗いが、差し込む月あかりで人影とドアの位置関係は如実にわかる。シーファは距離を一気にずんと詰めると、相手の片手をとるや脚をかけてそれを薙ぎ払うように引き倒した。それを見定めたカステルとセラが暴れないように取り押さえる。
「大人しくしろ!我々は『アカデミー治安維持部隊』のエージェントだ。こんな深夜にいったい何をしている?」
問い質すカステルの声に合わせるように、セラが魔法光を灯してあたりを照らした。シーファとカステルに取り押さえられていたのは『マジカル・エンジェルス・ギーク』の副部長、キース・アーセンだ。
「おやおや、君はここの副部長殿ではないか?こんな夜更けにどうしたね?」
居住まいを正してカステルが訊いた。
「どうもこもうもない。部室に学徒証を忘れたから取りに来ただけだ。ここは俺の部室だぞ。別に問題はないだろう。痛いから放してくれ!」
キースは、後ろ手に腕を組み伏せられた痛みに耐えながら不満を漏らす。
「そうか、それはすまなかったな。シーファ君、放してやってくれ。」
そう言ってカステルが手を放すのを見て、シーファもまたそれに倣った。
「こちらは三人だ。逃げようなどとは考えるなよ。」
キースとの距離を慎重に測りながらカステルが言う。
「なぜ逃げる必要がある。遅い時間なのは間違いないが、自分の部室に自分の持ち物を取りに来たことの何が問題だ。こちらにはやましいことなんてないんでね。追及される覚えはないさ。」
足元の土ぼこりを手で払いながら、キースはふてぶてしく吐き捨てる。
「鍵を見せていただけるかしら?やましいかどうかはこちらが判断することでしてよ。」
そう言って、セラは鍵を差し出すように求めた。
「ほらよ、好きなだけ見ればいいさ。」
憮然として鍵を投げ渡すキース。受け取ったのとは反対の手に灯した魔法光にそれを照らしてセラは念入りに確認した。
*キースが投げ渡した部室の鍵。
「確かに、正規の鍵に間違いないようですわね…。」
その声には若干残念そうな音色が載っていた。
「だから言っただろう。何もやましいことはないって!」
キースはいらだちを隠さないでいる。
「それでは君が取りに来たという学徒証を念のため見せてくれるかな?それを取りに来たと言うのだから、まさか持っていないということはあるまい?」
探るようにしてカステルが訊ねた。
「当たり前だ。これで文句はないだろう。」
*キースの学徒証。
差し出された学徒証をカステルが慎重に確認する。
「よかろう。君の言葉に嘘はないようだ。」
やはりその瞳には落胆の色が若干見えた。
「ついでに部屋の中を見せろとは言うなよ。前に言ったようにこれ以上俺たちと関わりたいのなら令状を持って来てからだ!」
そう言うと、キースはカステルの手からひったくるようにして学徒証を取り返してポケットに押し込んだ。
「それは心得ているよ。しかし、いらぬ疑いを免れるためにも今後はこんな夜中に出歩かないように願いたいものだ。忘れ物の回収なら翌朝の講義前でも事足りるだろう?」
そう言い聞かせようとするカステルに対し、
「そんなことは俺の自由だろうが!まったく俺が何をやったって言うんだ。これだから権力は…。」
と言ってキースが踵を返してその場を去ろうとしたその時だった!
* * *
「きゃあああ!!!痴漢!!!泥棒よー!」
そう叫ぶ声が透き通るような秋夜の漆黒を貫いて耳に届いてきた!
「シーファ君、ここは頼んだ。念のため彼をまだ返さないでくれ。我々は声の方に行く。さあ!セラ!!」
そう言うが早いか、カステルとセラは声のする寮棟の方に向かって駆けていった。急ぐ必要があるのだろう、『浮遊:Float』の術式を切って全速力で走っている。石の階段を下る足音が闇の中で甲高く響いた。逃がすまいとしてシーファがキースの腕をとると、彼はその手を乱暴に振り払って声を荒げる。
「なんだっていうんだ!俺への疑いは晴れたんだろう。どうしてまだここに残らないといけない?」
その響きは苛立っていた。
「この時間に寮棟をうろついているだけで十分に問題です。」
シーファはたしなめるようにして言った。
「だから、それはもう済んだだろうが!ただ忘れ物を取りに来ただけだ!」
キースは不服を隠さない。
「それはわかりますが、カステル警部の許可が出るまでお返しすることはできません。大人しく従ってください。」
だが、シーファも負けていないようだ。
「従わないと言ったらどうなるんだ?」
彼女を下級生と見て侮るような口調で言うキースに、
「公務執行妨害として、改めて身柄を拘束するまでです。」
シーファは毅然と言い放った。
それを聞いてさすがに観念したのかキースは両手をすくめ、やれやれという格好で言った。
「で、あんたは現場に行かなくていいのか?」
そう言われてシーファははっとする。
「え、ええ。ではご同行願います。」
「はいはい、どこへなりとも。」
それから二人はゆっくりと部活棟の階段を下っていった。シーファは再び彼の腕をとろうとしたが、キースは頑なにそれを拒んだ。
「しつこいぞ!ここまできて逃げはしない。どうせあんたたちの本命はあっちの方だろう?むしろ今晩のことで俺が関与していないことがはっきりしたくらいじゃないか。」
その嫌味な物言いに心乱されながらもシーファは努めて冷静を保ち、後ろから監視するようにして彼とともに寮棟の方へ歩いて行った。
名月はいよいよ白い光を強くして辺りを照らし出している。闇と影を交錯するように枝を揺らす木々。中庭の石畳を踏むカツカツという靴音が妙に耳に刺さっていた。
進みゆくシーファとキースの視界に、やがて寮棟がとらえられる。先の見回りからかれこれ1時間ほどしか経過していないが、その時とは異なり多くの部屋が真っ暗だ。しかしそんな中、中等部棟の一角に煌々(こうこう)と明かりを灯している場所がある。
「きっとあそこです。こちらへ。」
「はいはい、どこへでも。」
シーファの声にだらしなくキースが応じた。
そこは、中等部生のシーファがよく見知った場所であった。その一角にドアの開いた部屋が見える。おそらくはそこが現場なのであろう。少し足を速めるようにと背中側からキースを促してシーファはそこを目指していった。
近づくにつれて話し声が耳に入ってくる。その声にはカステルとセラのものが混じっていた。
* * *
「君が眠ろうとベッドに入ってふとベランダの方を見ると、そいつはいたのだな?」
カステルが少女に向かって話しかけている。彼女はよほど怖い思いをしたのだろう、泣きべそをかいてその質問にただ頷いて答えていた。
「で、気づいた君が窓の方に近づくと、そいつは君の洗濯物をとって逃げたと?」
やはり少女は頷く。騒動を聞きつけた辺りの部屋が明かりを灯しだした。窓を開け、ドアからのぞく姿もあるようだ。
「カステル、ここでは野次馬に聞かれてよ。ひとまずあがらせてもらいましょう。」
そう耳打ちするセラ。
「そうだな、そうしよう。すまないが、部屋の中でもう少し話を聞かせてくれるか?」
そう言ってカステルたちが被害者少女の部屋に上がろうとしたところに、シーファたちが追いついてきた。
「警部!」
「おお、シーファ君。来たかね。後ろにいるのはキッス君だね。」
「俺はキースだ。」
憮然としてキースが言う。しかし、カステルは気にもかけない様子で続けた。
「私とセラは奥で彼女から詳しい話を聞く。シーファ君とキッス君は玄関で待っていてくれたまえ。よろしいかな?」
「かしこまりました、カステル警部!」
そう言うとシーファは部屋の奥へ進んでいく上司達と少女の背を見送りながら、入り口のドアを閉めて中から施錠した。
やがて、奥で事情聴取が始まる。そこで繰り広げられる会話はシーファの予想以上に玄関までよく聞こえた。今後のためにと彼女は耳を研ぎ澄ませる。
「ずいぶんと怖い思いをしたね。もう大丈夫かな?」
カステルが少女に声をかけた。少女はチリ紙で涙をぬぐい、鼻をかんでから少しずつその恐怖の現場について話しを始める。
「物音に気付いてベランダの方を窓越しに見ると、そこで私の洗濯物をあさる人影がいたんです。月明かりではっきりと見えたわけではありませんが、それは血染めの赤いローブを身に付けていたようでした。」
声を絞るようにして、少女は言った。
*少女は窓越しに血染めのローブの小柄な人影を見たという。
「血染めのローブか。昼間ならさぞ目立つだろうな…。」
カステルがこぼす。
「そいつの体格はわかるか?」
「あの、とっさのことだったのではっきりとは言えませんが、ずいぶん小柄な人物に見えました。」
そう語る少女の肩はまだ小さく震えていた。セラがそれを慰めるようにして、背後から両肩にそっと手を置いてやる。
「血染めのローブを身にまとった小柄な人物か…、ふむ。」
カステルは腕を組み、片手を顎に当てるようにして思案を巡らせた。
「その犯人は、あなたの声を聞いて、驚いて逃げ出したというわけですわね?」
「はい。」
セラのその問いに、うつむいて応える少女。
「そう。何にしても許しがたい犯行ですわ。こんな時間に寮棟に忍び込んでくるとは許せませんわね。」
そのセラの言葉に反応して玄関の方から声が聞こえた。
「しかしその許しがたい輩というのが俺たちでないことはこれではっきりしただろう?犯行のまさにその瞬間、俺はあんたらの勘違いで取り押さえられていたんだ。トマスは知っての通りあの大柄だしな。その子の言う犯人像とはてんでかけ離れている。つまり俺たち『マジカル・エンジェルス・ギーク』とは無関係だと証明されたわけだ。もう帰っていいか?」
それはキースのものだった。冷たく皮肉な声が小さな部屋にこだまする。少女はそれが恐ろしいのか、また肩をすくめて泣き出しそうだ。そこに触れるセラの手に優しい力が入る。
「確かに君の言うことには一理ある。しかし、体格だけで判断することはできんよ。」
皮肉を皮肉で返すようにしてカステルが言った。
「どういうことだ?」
「どうもこうも、君とてこの魔法アカデミーで魔法を学習しているのだろう?ならば体格をある程度自由に大小できる術式があることは知っているはずだ。それに『魔法従者』を使う方法だってある。小人の召喚と使役も然りだ。まだまだとても君たちが完全にシロと決まったとは言いきれんぞ。そうは思わんかね?」
「くそ!」
カステルの指摘にキースは舌を打ち鳴らすようにして言い捨てた。
「しかしだ。いずれにしても、俺の無実だけは明白だろう。あんたたちに拘束されて以来、俺が魔法を使っていないことはこの嬢ちゃんが証明してくれるはずだ。嘘つきでなければだがな!」
その言葉にシーファは眉間を険しくする。
「私は嘘などつきません。あなたのいうことは残念ながら事実です。必要なら証言しましょう。」
毅然に言い放つその拳は怒りで小刻みに震えていた。
「私の部下を侮辱するのはやめたまえ、キッス君。今宵の顛末についてだけ言えば、君は間違いなく無実だ。あの時間に寮棟をうろついていたことは感心しないが、確かにそれが違反や犯罪というわけではない。君は自分の部室に私物を取りに行っていたに過ぎないのだ。ただ…。」
「ただ、何だ?それ以上に何がある?」
キースの声から皮肉っぽさが消え、露骨ないらだちを見せる。
「ただ、私たちがちょうど君を取り押さえたところで、これまで決して現場を目撃されなかった犯人が姿を晒し、剰え、さも君たちとは関係ないというような証言を引き出す絶妙な背格好をしていた。これは単なる偶然だろうか?どう思うね、キッス君?」
探るようにカステルが言うと、キースは感情を隠さずに声を荒げた。
「知ったことか。それを調べるのがあんたらの仕事だろうが。俺たちが収めた学業費でお前らの給金は支払われているんだ。四の五の言う前にそれに見合う仕事をして見せるのが筋だろう!」
「諫言、痛み入るよ。」
「とにかくだ。今宵のことは少なくともこの俺が例の泥棒騒ぎに無関係であることを如実に示しているだろう。これ以上拘束するのなら、綱紀委員会に訴え出るぞ。」
キースの言は一層厳しさを増す。
「そうか、それはずいぶんと恐ろしいことだな。しかし、今宵のところは君の勝ちだよ、キッス君。我々にはこれ以上君を拘束しておく理由はない。深夜にうろついていたことについては厳重注意するとして、今回のところはお引き取りいただいて結構だ。煩わせてすまなかった。」
そう言うとカステルはキースに軽く会釈をした。キースはふてぶてしい表情でその部屋を去る。ドアを閉める音が乱暴に響いた後で静けさが戻ってきた。
* * *
「あの人はいったい誰なのですか?」
少女が恐る恐る尋ねる。
「そうだな。教えてあげるべきなのだろうが、今夜は怖い思いをしたばかりだ。あまり気にかけない方がよい。あの男自身が言っていたように無実の男だ。君に悪さすることはないだろうよ。」
少女を安心させてやろうと努めるカステル。その言葉に、玄関先で控えるシーファもまたあたたかいものを感じていた。
「さあ、被害届については後日『アカデミー治安維持部隊』宛に出してもらうことになるが、今日のところは早く休んで嫌なことは忘れるとよい。」
そう言ってからカステルは現場であるベランダの魔術記録をいくつか取得し、それから引き上げの合図を出した。めいめい、部屋を後にする。
時刻はすでに午前2時に迫っていた。秋の夜風が冷たさを孕んでいる。少しずつだが秋は深まっているようだ。
寮棟の中等部棟と高等部等を隔てる十字路まで来てカステルが言った。
「二人とも今宵はご苦労だった。犯人を現行犯で取り押さえられなかったのは残念だが、得るものもいくらかあった。明日からは赤いローブの不審者の捜索を最優先しよう。おそらく同じくらいの時刻にまた活動するはずだ。私はレイ警視監に報告して夜回りの人数増強をお願いするとともに、今宵の情報を全部隊と共有する。とにかく今日はもう遅い。詳しい話はまた明日にしよう。しっかり休んでくれ。それも仕事のうちだからね。」
「わかりましたわ、カステル。では、シーファさん。また明日お会いしましょう。」
「はい。カステル警部、セラ警部補、お疲れさまでした。失礼いたします。」
そう言って、彼女たちは二手に分かれた。シーファは中等部棟の自室に戻り、カステルとセラは高等部棟のある方へと闇の中に姿を消していった。
天上をなお一層美しい星々が彩っており、白光を放つ大きな月がその間を駆け抜けていく。秋の世は長く夜明けまでにはまだずいぶんと時間が残されていた。
血染めのローブを身に付けた小柄な存在。今宵はそこまで迫ることができた。カステルの言う通り、これは『マジカル・エンジェルス・ギーク』の関係者が自身らの関与を否定するために弄した工作だったのか?それとも、本当に未知の存在が闇に蠢いているのか?真実はまだ闇の中からほんの少しだけその一端を垣間見せたに過ぎない。
しかし、これまでは決して被害者に気取られることなく行われていた犯行が、目撃されたことは大きい。少しずつ、その毒牙は大胆さを増しているのかもしれない。
部屋に戻りシャワーを浴びながら、シーファは今宵の出来事を反芻していた。優秀な上司カステルとセラ。早くそこに追いつきたいという焦燥を洗い流すようにして、温かく心地よい流水に身を任せていった。湯気が彼女の美しい肌を潤していく。
時計の針が静かに午前2時を超過した。湯あみで体の温まったシーファの精神を夜の静寂がとらえるのは早い。その場で動くものは、一定のリズムで時を刻む時計の針の音だけである。夜が更けていった。
Echoes after the Episode
今回もお読みいただき、誠にありがとうございました。今回のエピソードを通して、
・お目にとまったキャラクター、
・ご興味を引いた場面、
・そのほか今後へのご要望やご感想、
などなど、コメントでお寄せいただけましたら大変うれしく思います。これからも、愛で紡ぐ現代架空魔術目録シリーズをよろしくお願い申し上げます。




