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異世界恋愛(短編)シリーズ

愛しの第一王子殿下

 婚約破棄ネタ、のはずだったんだけどな~? という一作。

 どうしてこう、変な方向に話がそれていくのだろう?

 最後は話がまとまったので、結果オーライで投稿してみます。







 愛しの第一王子殿下が魔王討伐に赴かれてから、三年が経過した。


 私はもう十五歳、婚姻もできる年齢になったというのに、あの方はまだ帰られないのかな。


 社交シーズンで夜会続きの私は、今夜は王宮で開かれる夜会に出席していた。


 神経質そうな顔つきをした第二王子マティアス殿下が、今日も私に声をかけてくる。


「アリシア嬢、兄上の帰りをまだ待っているのか」


「悪いかしら。魔王くらい、あの方たちはすぐに倒して帰ってこられますわ」


 この国、ゴルテンファルの第一王子クラウス殿下、聖女アネット、宮廷屈指の魔導士ルーカス、そして隣国ヴィンタークローネ王国随一の剣士にして第一王子であらせられるラインハルト殿下。


 これだけのメンバーがそろっていて、魔王くらい倒せなければ嘘というものだろう。


 マティアス殿下がニヤリと口角を上げて笑みを浮かべた。


「いつ帰還するかわからない兄上のことなど忘れ、私と婚約を結び直してはどうだ。

 ローゼンガルテン公爵も、私との婚約には前向きに検討していると返答をもらっている。

 あとはあなたの意思次第だ」


 私は手を触れてこようとするマティアス殿下からサッと身をかわし、淑女の笑みで応える。


「申し訳ありません、マティアス殿下。

 それとこれとは話が別というものですわ。

 公爵家の娘として、婚約者の帰りを待つことこそが正しい姿だと認識していますの」


 早い話が『マティアス殿下は趣味じゃないからお断り』ということだ。


 こんな神経質そうな人と婚姻しようだなんて、世界がひっくり返っても考えられない。


 お父様ったら、勝手に婚約の話を進めようだなんて酷い話ね。


 マティアス殿下が、私の目の前で「チッ」と舌打ちをした――そういうところですわ。殿下を生理的に受け付けないのは。


 小さく息をついて、お父様に文句を言おうとホールを見渡す。


 お父様は私を遠くから眺めていて、困ったように眉をひそめて微笑んでいた。


 ……マティアス殿下から、無理やり話を飲まされかけてる、というところかしら。


 確かに、今のゴルテンファル王家で唯一残った王子ですものね。


 クラウス殿下が戻られなければ、マティアス殿下が王家を継ぎ、王となる。


 そんな人の要求を跳ね除けることが、難しいのだろう。


 事情は理解するけれど、お父様だって公爵家当主なのだからしっかりして欲しい。


 私が大きく息をつくのと、ホールに一人の兵士が駆け込んでくるのが同時だった。


 兵士が声を上げながら国王陛下に駆け寄っていく。


「ご帰還! クラウス殿下がご帰還です!」


 ざわつくホールの招待客の中で、私はその言葉に胸を打たれていた。


 ――ようやく帰ってこられたのね!


 苦虫を噛み潰したようなマティアス殿下の傍で、私は心からの微笑みを浮かべ、殿下たちの到着を喜んだ。





****


 夜会会場に姿を現したのは三人、クラウス殿下と聖女アネット、宮廷魔導士ルーカスだけだった。


 静まり返ったホールの中で、クラウス殿下が国王陛下の前で告げる。


「父上、魔王を無事、討伐して参りました」


 クラウス殿下は三年前より背が伸びていた――今年で十七歳の殿下は、すっかり立派な青年になっていた。


 幼かった聖女アネットも、私と同じ十五歳。今では立派な一人の女性に見えた。


 二人は寄り添うように立ち、妙に近い距離感を覚えた。


 真面目な顔の国王陛下が厳かに頷き、応える。


「ごくろうだった。旅の疲れをゆっくりと癒すが良い。

 ところで、ラインハルト王子はどうした」


 クラウス殿下が顔をしかめて応える。


「魔王との戦闘の最中さなか、ラインハルト殿下は魔王の手により、命を落としました」


 ホールの招待客がざわついていた。


 ……え? 隣国でも並ぶ者が居ないと言われた、あのラインハルト殿下が?


 国王陛下が難しい顔で告げる。


「そうか……それほど厳しい戦いだったのだな。

 ヴィンタークローネ王国へ、報せを走らせねばなるまい。

 幸い、あの国には第二王子が居る。

 王家を存続させることは可能だろう」


 クラウス殿下が、顔を引き締めて国王陛下に告げる。


「それと――父上にご報告があります。

 私は聖女アネットと愛し合っております。

 よって公爵令嬢アリシアとの婚約を破棄し、アネットを妃としたく思っています」


 なにそれ? どういうこと?


 困惑する私を前に、聖女アネットがクラウス殿下の腕に抱き着いていた。


 どうやら、三年間の厳しい戦いの旅で、二人の間に絆が生まれたらしい。


 だからって、これはあんまりじゃない?


 国王陛下が顔をほころばせて頷いた。


「よかろう、お前とアネットとの婚姻を認めよう。

 ――ローゼンガルテン公爵、構わぬな?」


 お父様が難しい顔で恭しく頭を下げた。


「……わかりました。婚約破棄を受諾いたしましょう」


 やにわにホールの招待客が喝采を上げ、拍手を鳴り響かせた。


 私は雷鳴のような拍手が響き渡る中、一人で呆然とクラウス殿下たちを眺めていた。





****


「いくらなんでも、あんまりじゃありませんか?」


 帰りの馬車の中で、私はお父様に愚痴っていた。


 お父様は力が抜けた顔で、小さく息をついて応える。


「魔王討伐とクラウス殿下の妃が決まるという、祝いの場になってしまったな。

 三年間待ち続けていたお前の立つ瀬がないというものだ」


「そういうことを言っているのではありません!

 ラインハルト殿下が命を落とされたという訃報の直後ですわよ?!

 それを祝賀ムードで空気を塗り替えるなど、人としてどうかと問うているのです!」


 仮にも隣国の王族、その訃報だ。


 もっと嘆き悲しむべきじゃないのかしら。


 だというのに、ラインハルト殿下の命などどうでもいいと言わんばかりのクラウス殿下や国王陛下、そして貴族たちの様子。


 人間性というものを疑ってしまう態度だ。


「……アリシア、泣いているのか」


 私はハンカチで目元を拭って応える。


「私一人くらい、ラインハルト殿下の死を嘆いてもばちは当たりませんわ!」


 お父様がため息をついて告げる。


「三年間待たされたお前の婚約を破棄され、この国の貴族たちの品性まで疑う場になってしまった。

 良識派の貴族など、私以外にはもう残っていないのかもわからないな。

 ――このままでは、お前はマティアス殿下との婚約を進めることになるだろう。

 どうするつもりだ? 婚約に頷けるのか、アリシア」


「――絶対に! お断りいたします!」


 悔しさで涙が止まらない。


 これほどまで、この国の王侯貴族に失望する日が来るだなんて!


 私は一人、痛む胸を抱えながら馬車に揺られ、公爵邸に戻っていった。





****


 それからの私は、社交場にも出ずに公爵邸の中で過ごしていた。


 この国の誰も悲しまなくても、私一人くらいはラインハルト殿下の死を悼んでいいはずだ。


 公爵邸に訪れるマティアス殿下との面会も断り続け、一か月――


「お嬢様、お客様がお見えです」


 侍女が告げる言葉に、私は眉をひそめて応える。


「またマティアス殿下かしら? お断りして頂戴」


「それが……エドガーと名乗る旅の戦士がお見えです」


 誰それ? まったく覚えがない。


「どういうこと? 私には覚えがないのだけれど」


「お客様からは『直接お渡ししたいものがある』と伺っています。

 なんでも『ラインハルト殿下の遺品』だとか……」


 ――彼の遺品?! なんでそんなものを、旅の戦士が?!


「すぐにお通しして!」


 私は侍女の答えも聞かずに、応接間へと向かっていった。





****


 応接間に現れたのは、フードを目深まぶかにかぶった背の高い青年だった。


 まるで激しい戦いを経験した後のように、ズタボロになった服を着ている。


 フードの奥の顔には大きな紫色の痣があり、それをフードで隠しているのだろうと思えた。


 衛兵たちが警戒する中、私はエドガーにソファに座るよう勧める。


「どうぞ、おかけになって? 少し、詳しくお話を伺ってもいいかしら」


 エドガーはソファに座ると、ゆっくりと静かに頷いた。


「俺はエドガー・トラントフ。旅の戦士だ。

 魔王が倒されたと聞いて、魔王城を調査していた。

 倒しそびれた魔物が居ても困るからな」


 私は頷いて、エドガーの話を促した。


 彼が言葉を続ける。


「謁見の間まで辿り着くと、玉座の付近で輝くものがあった。

 近くに行くと、剣士の死体のようだった。

 彼が手のひらに握っていたこれが、光り輝いていたんだ」


 そう言ってエドガーは、イヤリングをテーブルに置いた。


 ――これは、三年前に私がラインハルト殿下に渡したもの。


 今も私の耳に片方だけ付いている、イヤリングの片割れ。


 彼が『お守りに頂けないか』というので渡したもの――お父様から十歳の誕生日プレゼントでもらった、お気に入りのイヤリング。


 小さな宝石こそついているけど、所詮は子供用のアクセサリー。大した価値のない品だ。


 私も殿下たちが無事に戻ってこられるようにと、願をかけて手渡した思い出がある。


 それを、死の直前まで握っていたというの?


 いったい、どれほど帰還を夢見ていたのだろうか。


 涙ぐんでイヤリングを手に取る私は、エドガーに告げる。


「なぜこれが私のものだと?」


「彼が死の間際、床に血文字で遺言を残していた。

 『どうかこのイヤリングをローゼンガルテン公爵家のアリシア嬢に返してほしい』とな」


 エドガーは周囲を見回し、改めて告げる。


「すまないが、人払いを頼めるか。ここからは他人に知られたくない事だ」


 警戒する衛兵たちを手で制し、私はエドガーに頷いた。


「ええ、構いませんわ――みんな、部屋から出ていって頂戴」


 私は渋る侍女や衛兵たちを部屋から追い出し、扉を閉めた。


 振り返ってエドガーに告げる。


「これでいいかしら? 知らせたい事とは何?」


 エドガーが固い声で告げる。


「遺言には他のことも書いてあった。

 あの剣士は仲間に裏切られて殺された。

 決して彼らを信用するな、とな」


 ――クラウス殿下たちが、ラインハルト殿下を殺したというの?!


「なぜ?! なぜクラウス殿下がラインハルト殿下を殺すの?!」


「……そうか、彼はヴィンタークローネ王国のラインハルト王子か。

 詳しいことは、遺言ではわからなかった。

 だが殺される理由は推測できる。

 おそらくゴルテンファル王家は、ヴィンタークローネ王国への侵攻を考えているんだろう」


 私は呆然とその言葉を聞いていた。


「どういうこと? この国が、ヴィンタークローネ王国へ?」


 エドガーがフードの奥で頷いた。


「ヴィンタークローネ王国のラインハルト王子を亡き者にできれば、残るのは幼い第二王子だけ。

 ラインハルト王子が居なければ、あの国の軍も恐れるほどではない。

 そこに魔王を討伐したクラウス王子たちが攻撃を仕掛ければ、兵たちの士気でも分が悪い。

 充分に勝算があると見たのだろう」


 そんな……そんな事のために、ラインハルト殿下を謀殺したというの?


 言葉を失っている私に、エドガーが告げる。


「あんたはこの国を抜けだした方が良いかもわからん。

 この国の王族はろくなもんじゃない。貴族も大差はないだろう。

 逃げ出したいなら、隣国くらいまでは見送ってやれる」


 混乱する頭を、私は必死に整理していった。



 立太子が目される第一王子クラウス殿下やその妃となる聖女アネット、彼らは一番信用してはいけない。


 クラウス殿下に迎合する国王陛下も、信用してはいけない人だろう。


 今回のことで筆頭宮廷魔導士の地位が確定したルーカスもまた、信用してはいけない人間だ。


 さらにマティアス殿下という、しつこく私に求婚を迫ってくる人までいる。


 王宮の中枢で力を持つ人は、軒並み私の敵ばかりじゃないか。


 ……この国に私が居る価値なんて、ないんじゃないかしら。



 私は深く息をついて、エドガーに告げる。


「エドガーあなた、当てのある国はあるの?」


「……ヴィンタークローネ王国なら、多少は土地勘がある。

 俺の両親は、あの国の出身だったからな。

 だがこれからヴィンタークローネはゴルテンファルから攻められるはずだ。

 戦乱を避けるなら、別の国がいいだろう」


 ――そうだとしても、私の心は決まっていた。


「構わないわ。ヴィンタークローネ王国へ移り住みます。

 あなたも一緒についてきてくださるのよね?」


 エドガーはうつむいて考えこんだ後、静かな声で応える。


「……あんたが決断するなら、それに従おう。

 道中の安全は、俺が必ず守って見せる。ラインハルト王子の分までな」


 私は涙をハンカチで拭ってから、エドガーに告げる。


「そう、それじゃあよろしく頼むわね、エドガー。

 私はお父様と出立の相談をしてくるわ。

 準備が整うまで、この屋敷でくつろいでいて」


 私は部屋を出ると、侍女たちに客間を用意するように伝え、エドガーを案内するように指示を出した。


 そのまま私はお父様の居る書斎へと向かっていった。





****


 お父様は困惑しながら、大きく息をついた。


「――そうか、この国を離れるか。

 そのような真相を知りながら、王家に嫁ぐ気にはなれまい。

 マティアス殿下との婚姻にも、乗り気ではないようだしな。

 公爵家のことは、私とエリックに任せておきなさい。

 お前はお前の思う人生を歩むがいい」


 弟のエリックは十三歳、次期公爵家当主として教育は受けてるけど、まだまだ幼い子だ。


「あの子に全てを背負わせることをお許しください」


 お父様が弱々しく微笑んだ。


「なに、エリックとて公爵家の男だ。気にする必要はない。

 お前は公爵家の娘として、いつかは家を出ていかねばならぬ身。

 お前が案じるようなことではないよ」


 私は深々とお父様に頭を下げた。


「今までお世話になりました、お父様。

 どうか、末永くお元気で」


 お父様がフッと笑った。


「この国で何ができるかはわからないが、私たちもやれるだけのことはやろうじゃないか。

 陛下や殿下たちを諫め、戦争など起こらないように手を回してみるとしよう」


 私はお父様に抱き着き、最後の抱擁を交わした後、書斎から辞去していった。





****


 それから三日かけて、私とエドガーは旅の支度を整えた。


 三日目の夜、私はエドガーと共に二人きりで馬車に乗り、公爵邸を出立した。


 馬車の中で、エドガーがフードの奥でぽつりとつぶやく。


「……あんた、会ったばかりの男と二人旅なんて、よく頷けたな」


 私はクスリと笑みをこぼして応える。


「信用できる人間と、そうではない人間の区別ぐらいはつきますわ。

 あなたは魔王城から、子供用のイヤリングを拾ってわざわざ届けてくれるような人。

 そんなエドガーが悪人な訳、ありませんもの」


 平民の旅装に着替えた私の耳には、変わらずあのイヤリングが輝いていた。


 こんどは一対、ようやくつがいと再会できたイヤリングは、どこか嬉しそうに輝いて見えた。


 公爵家を出た私はもう、貴族ではなくただの平民だ。


 これからは平民として、ヴィンタークローネ王国で生きていくことになる。


 エドガーはフードの奥から私の顔を見て、言いづらそうに告げる。


「あんた、公爵令嬢だったんだろう?

 平民の暮らしなんか、できるのか?」


 私はニコリと微笑んで応える。


「公爵家の娘として、覚えるべきことは覚えてきたわ。

 魔法だって、宮廷魔導士に負けない実力があるのよ?

 働き口ならいくらでも見つかるはずよ」


 エドガーが頭をフードの上からぼりぼりと掻いていた。


「そうじゃなくてだな……平民は自分のことは自分でやるんだ。

 食うものも、貴族の食事とは比べ物にならん。

 寝床にだってノミが出る。

 そんな底辺の暮らしに、あんたは耐えられるのか?」


「マティアス殿下に嫁ぐ未来に比べたら、何億倍もましね。

 私が至らないところは、エドガーが教えてくださるのでしょう?

 頼りにしてますわよ?」


 私がウィンクを飛ばして告げた言葉に、エドガーは反論する気が失せたようだった。


「……できる限り教えてやるが、手伝ってはやらんからな。

 女物の衣服など、俺が洗っていい物でもない。

 洗濯も、自分でやるんだぞ」


「ええ、わかってますわ」


 私はエドガーが抱えている禍々しい空気の剣を見て告げる。


「その剣、どうなさったの? 人間が持つような物ではありませんわよね?」


 エドガーがフードの奥でニッと笑った。


「魔物が持っていた剣だ。普通の人間が触れば、呪われて身体が腐り落ちる。

 あんたは決して、これに触れるなよ?」


 私はエドガーのフードの奥を見据えて応える。


「……その顔の痣、それも魔物の呪いですわね?

 とても強くて禍々しい呪い、どこでそのようなものをお受けになったの?」


 エドガーはスッと顔を背け、窓の外を見て応える。


「あんたが気にする事じゃない。

 それと、なるだけ顔は見ないでくれ。

 これでも気にしてるんだ」


「そう……ごめんなさいね、気になってしまって。

 でも、言いたくないなら構わないわ。

 あなたはエドガー・トラントフ、旅の戦士。

 それだけわかって居れば、私には充分ですもの」



 宿場町に辿り着くと、私たちは馬車を降りた。


 目立たないように隣国へ行くのに、公爵家の馬車なんて使えない。


 ここからは歩いて国境へ向かわないと。


 私は御者に笑顔で告げる。


「ここまでありがとう。元気でね」


 御者が涙を隠すように、帽子を目深まぶかにかぶって応える。


「お嬢様も、どうぞご健勝で」



 去っていく馬車を見送ると、エドガーが私に告げる。


「早速で悪いが、夜通し歩くぞ。

 遅かれ早かれ、あんたに追手がかかる。

 今のうちに、距離を稼げるだけ稼ぐ」


「そうね、マティアス殿下なら、それぐらいするわね。

 そうと決まれば、歩きましょうか!」


 私が勢いよく歩きだした途端、襟を掴まれて引き戻された。


「……そっちじゃない、ヴィンタークローネはあっちだ」


 ため息をついたエドガーが先導する背中を、私は顔を真っ赤にして付いて行った。





****


 翌日の明け方、私たちは街道から少し外れた森の中に居た。


 木陰に隠れるように、木の根を枕にして横になる。


 毛布にくるまる私に、エドガーが告げる。


「あんた、十五歳だろう? 俺と二人旅なんかして、不安にならないのか?」


「あら、私を襲いたくなってしまったの?

 それなら先に言ってくれるかしら、結界魔法を発動しておかないといけないわ」


「ククク……しっかりしてるな。

 オーケー、わかっているならそれでいい。

 自分の身は極力、自分で守ってくれ。

 あんたが守りを固めて居れば、その間に俺が賊を潰して回る」


 私は楽しそうなエドガーを見て、ぼんやりと告げる。


「……エドガーって、十八歳くらいよね、たぶん。

 ラインハルト殿下も、生きておられたら十八歳だったの。

 殿下もあなたくらい、背が高くおなりだったのかしら」


 エドガーが言いづらそうに私に応える。


「……死んだ人間の事など、もう忘れてしまえ。

 お前も死に引きずり込まれるぞ」


 私はニコリと微笑んで応える。


「あら、ラインハルト殿下のことを覚えている人間は、一人でも多い方が良いわ。

 たった一人、魔王城で裏切られて息絶えられた殿下の冥福を祈るくらい、するべきだと思うの。

 クラウス殿下たちには、いつか報いを与えたいところよね。

 やられっぱなしじゃ、ラインハルト殿下も浮かばれないわ」


 エドガーは木の根元に腰を下ろし、つまらなそうに鼻を鳴らした。


「フン……報いなど、どうやって与えるというんだ」


「殿下と同じ目に合わせるのが一番よね。

 でも信じる仲間が居ないクラウス殿下たちに、仲間から裏切られる思いを味わわせるのは不可能ね。

 何か、他にないのかしら……」


 エドガーはうつむいて、何かを考えこんでいるようだった。


「……くだらない事など考えてないで、今のうちに寝ておけ。

 日が高くなったらまた歩く。それまできっちり休んでおけ」


「はいはい、わかったわよ」


 私はエドガーに見守られながら、ゆっくりと目を閉じた。





****


 それから私たちは、ヴィンタークローネを目指して旅をしていった。


 野宿を繰り返し、最初の宿屋に着くと、宿の主人にエドガーが告げる。


「一人部屋を二つだ」


「いいえ、二人部屋を一つよ」


 驚いて振り向くエドガーに、私は微笑んで告げる。


「今まで一緒に寝泊まりしてたのよ? 今さら遠慮する必要はないわ。

 路銀がもったいないのだし、一部屋でいいじゃない」


「だがお前、婚姻前の淑女だろうが!」


 私はニッコリと微笑んで応える。


「今は、ただの平民のアリシアよ。

 淑女のアリシアなんて、もうどこにも居ないわ」



 そのまま私は二人部屋を押し切り、二人で一つの部屋に止まった。


 エドガーは旅装のままベッドに横たわり、呆れたように私に告げる。


「あんた、何を考えてるんだ?

 これで嫁入りに支障が出たら、どうするつもりだ?」


「あら、平民が男性と一つの部屋で寝ていても、大した問題ではないわ。

 それに問題になったら、その時はエドガーが責任を取って下されば良いのではないの?」


 エドガーが疲れたように息をついた。


「あんたな……そんだけ綺麗なんだから、望めば下位貴族や裕福な商人に嫁ぐくらいはできるんだぞ?

 それを今からふいにしてどうするんだ」


「綺麗と言ってくださるの? ありがとう、エドガー。

 三年間、頑張って美貌を磨いてきた甲斐があるわね」


 エドガーがフードの奥からこちらを見た。


「……あんたは、あの国で王族に嫁いだ方がよかったんじゃないのか?」


「今さらそれを言うの?

 あんな誠意の欠片もない人たちの一員になるくらいなら、エドガーに嫁ぐ方を選ぶわ。

 あなたはとても誠実な人だもの。夫として欠けているものなんて、見当たらないくらいよ」


 くしゃくしゃと前髪をかきむしりながら、エドガーが天井を向いて告げる。


「意味が分からん。俺は見ての通り、魔物に呪われた醜い男だ。

 あんたなんかとは、釣り合わんよ」


 私はエドガーを見ながら微笑んで告げる。


「それを決めるのは私の心よ。

 あなたは間違いなく、クラウス殿下たちよりも綺麗な心を持っている。

 こうして何日も共に過ごしていて、あなたは私に指一本触れようとしてこなかった。

 それだけでも、充分に過ぎる証よ」


「……俺が触れると、呪いが移るかもしれん。

 あんたみたいな綺麗な女を、俺と同じ目に遭わせる訳には行かん」


 私はクスリと笑みをこぼした。


「そういうところよ。自分で気が付いてないのかしら。

 ――ねぇ、その呪いはどうやったら解呪できるのか、知ってる?」


 天井を見上げていたエドガーが、ぽつりと応える。


「……聖女が命を懸けた祈り、そんなものがあれば、この呪いは解けるらしい。

 だが失敗すれば、聖女に呪いが伝染し、共に身を滅ぼしてしまう。

 厄介な呪いだよ」


 聖女は聖魔法の使い手。聖魔法でなら、解呪の可能性があるという事ね。


「それなら、聖女アネットにお願いしてみたらどうかしら。

 解呪してもらえるのではないの?」


 エドガーがニヤリと口角を上げて笑った。


「あいつじゃ無理さ。我が身可愛さで、命がけで他人を救おうなどとは考えられない人種だ。

 クラウス王子に近づいたのも、ただ王族になりたかったからだ。

 王族となって贅沢の限りを尽くしたい――あいつの願いは、とてもシンプルだ。

 相手を愛する心など、あいつにはないのさ。

 性根の腐った女だよ、あれは」


 私はエドガーを見つめながら告げる。


「随分と詳しいのね」


「……一年前に、旅をするあいつらに出会った。

 そんときに奴らの性根を知ることがあっただけだ」


「その時、ラインハルト殿下はどうされていたか、知ってる?」


 エドガーはごろりと向こうを向いて応える。


「仲間内からは、便利な道具として扱われていたようだ。

 本人は気づいてなかったようだが、あの時からあいつらは、ラインハルト王子を切り捨てることを考えていたのかもな。

 放っておいても勝手に魔物を討伐していく王子に、奴らは加勢することなく見ているだけだった。

 それで『ああ、こいつらは性根が腐ってるんだな』と思ったよ」


「そう……」


「いいからもう寝ろ。明日も早いぞ」


 毛布をかぶってしまったエドガーに、私は「ええ、おやすみなさい」と告げ、ゆっくりと目を閉じた。





****


 私たちは旅程を、順調に消化していった。


 マティアス殿下の差し向ける追っ手に会うこともなく、私たちは進んでいく。



 海辺に来ると、私ははしゃいでエドガーに告げる。


「海よ! 私、海なんて初めて見るわ!」


「そうなのか? だが先を急ぐぞ」


「あら、少しくらいいいじゃない。浜に行ってみましょう?」



 夏の日差しの中、私は素足になって波に足を浸す。


「わぁ、エドガー見て! 波って面白いのね!

 波が引いて行くと、私の身体も海に持っていかれそうになるわ!

 話に聞いていた海とは、こんなものなのね!」


 エドガーは静かに私の様子を眺めているようだった。


「子供みたいにはしゃいで……十五歳だろう、あんた」


「悪いかしら? エドガーも足を浸してみたら? とても気持ちがいいわよ?」


 エドガーはフードの奥で、私を眩しそうに見つめながら応える。


「……水を伝ってあんたに呪いが移ったらまずい。俺は遠慮しておく」


「もう! 考え過ぎよ。ここまで呪いが移る兆候はなかったわ。

 あなたも少しは、旅を楽しんでみたらどうかしら?」


 私がなんどか催促すると、エドガーは渋々ブーツを脱いで裸足になった。


 彼の武骨な足首が夏の日差しにさらされれる。


 エドガーはその足を波に浸すと、静かに波に身をさらしていた。


「……懐かしいな、海の感触も」


「あらそう? エドガーは海の経験があるのかしら」


「子供の頃は何度か、海で泳いだこともある。

 広くて深くて、興味深い生き物の宝庫だぞ、海は」


 私はクスクスと笑みをこぼして応える。


「それは是非、いつか知りたいものね。

 女性が海で泳ぐなんて、できるのかしら?」


「水着はあるが、淑女が着るようなものではない。

 肌を露出させる服だからな。

 あんたが海を知ることはあるまい」


「だから、私はもう平民よ?

 なんならこの場で、服を全て脱ぎ捨てて、裸で海に飛び込んでみようかしら?」


 エドガーが慌てて私を止めに走った。


「――馬鹿! やめろ!

 平民でも、裸になって泳ぐなんて子供しかやらんぞ!」


「ふふ、冗談よ。でも止めてくれてありがとう、エドガー」


 エドガーは私から顔を背けて応える。


「……フン! あんたがみっともない真似をすると、俺が恥をかく。それを止めただけだ」


 クスクスと笑う私に、エドガーはバツが悪そうに告げる。


「そろそろ上がれ。先を急ぐぞ」


「ええ、わかってるわ。わがままを聞いてくれてありがとう」


 私たちは海から上がり足を拭くと、靴を履いて国境へ向かい進んでいった。





****


 ヴィンタークローネとの国境に辿り着き、私はお父様が用意して下さった通行証を見せる。


 身分が怪しい人間を通さない衛兵たちも、ローゼンガルテン公爵家の署名がある通行証ですんなり道を空けてくれた。


 私たちはそのまま国境を抜け、ヴィンタークローネの地を踏んだ。


 エドガーが歩きながら私に告げる。


「もうこれで、マティアス王子の追手が迫ることはあるまい。

 だがヴィンタークローネの王都まであと一週間、気を抜かずに行くぞ」


 私はきょとんとエドガーを見た。


「王都まで行くの? それは何故?」


「あんたみたいな世間知らず、そこらの町で暮らさせる訳にはいかないだろう。

 王都には少ないが伝手がある。それを頼ってあんたを預ける」


 私は歩きながら、ニコリと微笑んでエドガーを見つめた。


「どうしてそこまでしてくださるのかしら。

 私はもうただの平民の娘よ? 返せるものなんて、この心と体以外に有りはしないわ」


 エドガーが深いため息をついて応える。


「そんなものを、気軽に俺なんかに渡そうとするんじゃない。

 あんたは王都で、下位貴族とでも縁談を組んでもらうといい。

 俺が何とか、伝手で話を付けてやる」


「だから、なぜそこまでしてくださるの?

 エドガーに取って、私は見ず知らずの元公爵令嬢でしょう?」


「……世間知らずのあんたを放っておけないだけだ。

 夢見が悪くなる真似は、俺にはできん」


 先を急ぐエドガーの背中を見ながら、私はクスリと笑みを漏らす。


 ――本当に、お変わりないんだから。


 エドガーがこちらに振り返り告げる。


「なんだ? なにを笑った?」


「いーえ、なんでもありませんわ。お気になさらないで」



 私たちはこれまで通り、並んで王都へ伸びる街道を歩いて行った。





****


 王都の城門、その前でエドガーが私に告げる。


「何があっても黙って居ろ。いいな?」


 私は笑顔で頷いた。


「ええ、構いませんわ」


 フードを目深まぶかに被るエドガーを、衛兵は不審がっていた。


 だけどエドガーが懐から短剣を差し出して見せると、衛兵は顔色を変えて直立し、敬礼をしていた。


 エドガーが衛兵に耳打ちすると、何かを衛兵は小声で応えていく。


 そのうちエドガーが何かを告げると、衛兵は慌てて王都の中へ走っていった。


 私はエドガーに促され、そのまま城門の中に入っていく。



 王都の入り口、そこは大きな広場になっていた。


 露店が立ち並び、休憩所になる屋台がいくつも出ていた。


「ここで少し、休憩していく」


「ええ、わかったわ」



 屋台の出しているベンチに座り、私たちは飲み物と一緒に軽食を口にしていた。


 その鮮烈な香りに驚いて、私は声を上げる。


「――これはなに?! とても爽やかね!」


 エドガーがフードの奥でクスリと笑った。


「ヴィンタークローネ特産のハーブを練り込んだパンだ。

 口にすると、清涼感のある風味が広がる。

 夏の風物詩だな」


 飲み物も、ハーブを混ぜ込んだ甘いお茶のようだった。


 私はヴィンタークローネの味を楽しみながら、パンを完食した。


「――はぁ、美味しかった。

 ヴィンタークローネって、不思議な食べ物があるのね」


「気に入ったようでよかった。

 あんたはこれから、この王都で暮らしていく。

 早くこの国での暮らしになれるといいんだがな」


 私はじっとエドガーを見つめて告げる。


「エドガーはこのあと、どうするつもり?」


 エドガーがうつむいて、言いづらそうに応える。


「……俺はこの呪いで、いつ死ぬか分からない身体だ。

 よくもここまで命が持ったと、我ながら驚いている。

 あんたを無事に王都に送り届けられて良かったと、心底思っているよ」


「答えになってないわ。あなたはどうするつもりか、教えてくださらない?」


「……やり残したことがある。

 この王都でやるべきことをやったら、そのやり残しを果たしに行くさ」


 それ以上詳しいことを、エドガーは語る気がないようだった。


 私は黙って広場に居る民衆の姿を見る。


 誰も彼も、笑顔に溢れて楽しそうだ。


 そんな喧騒の中から、ひとつの話し声が聞こえてくる。



「ねぇお父さん、ラインハルト殿下はいつお戻りになるんだろうね!」


「なーに、もう間もなくさ。殿下が魔王ごときに破れるわけが無い。

 しばらくすれば、我が国に凱旋なさるはずだ」



 私はきょとんとして、エドガーに尋ねる。


「ねぇエドガー、ゴルテンファルから王子の訃報は届いてないのかしら」


 王家が馬で報せを走らせたなら、徒歩の私たちよりずっと早く情報がもたらされてるはずだ。


 いくらなんでも、訃報が届いていれば民衆にだって噂は広まる。


 だけどそんな様子が、少なくともこの広場には見当たらないようだった。


 エドガーは口角を上げて笑みを作る。


「おそらく、王子の訃報を届ける気がないのだろう」


「それは何故? 一刻も早く知らせるべきではないのかしら」


 国王陛下はあの日の夜会で『ヴィンタークローネに報せを走らせる』と告げた。


 それをしていなかったことになる。


「油断を誘っているのだろう。

 そして攻め入ってから王子の訃報を伝え、兵や民の混乱を誘発するつもりなのだ。

 なんとも、姑息な手段だよ。実に奴ららしい手口だ」


 つまり、すでにゴルテンファル王国はヴィンタークローネ王国へ侵攻する準備を進めているのだ。


 軍を攻め込ませ、混乱するヴィンタークローネ王国軍に王子が死んだと伝え、さらに人心を惑わせようというのだろう。


 求心力が高かった第一王子が魔王との戦いで命を落としたと知れば、その場の戦況は間違いなくゴルテンファル王国軍に有利になる。


 真相を知ろうにも、それを知ってる国が攻め込んできている。


 混乱する兵や貴族たちは、十全には戦えないままだろう。


 私は小さく息をついて告げる。


「そんなことで勝利を収めて、誇りや矜持はないのかしら」


「奴らにそんなものを期待するだけ、無駄だろうさ」



 しばらく待っていると、私たちの前に一台の馬車が止まった。


 中から身なりの良い貴族の老人が現れ、エドガーが彼に頷くと、老人もエドガーに頷き返した。


「アリシア嬢、馬車に乗るぞ」


 私は老人の手を借りてエドガーと共に馬車に乗りこみ、どこかへと連れていかれることになった。





****


 馬車の中では会話がなく、貴族の屋敷に馬車が入ると、私たちは応接間へと通された。


 エドガーが私に告げる。


「少しここで待っていろ。俺はこの男と話がある」


 私を応接間に残し、貴族の老人とエドガーは部屋の外に行ってしまった。



 私はぽつんと取り残され、侍女に給仕された紅茶を飲んで時間を潰していた。


 ……良い茶葉ね。下位貴族が飲むような紅茶じゃない。


 調度品や侍女たちの態度からして、高位貴族の家かしら。



 しばらくして老人と共に戻ってきたエドガーが、私の向かいに老人と腰を下ろした。


 エドガーがフードを被ったまま私に告げる。


「待たせたな、話が付いた。

 こいつはワイエンマイアー伯爵、あんたの身元を引き受けてくれることになった。

 公爵令嬢のような贅沢はできないが、平民のような暮らしをすることもない。

 こいつは顔が広いからな。下位貴族との縁談でも組んでもらうといい」


 ワイエンマイアー伯爵が優しく微笑みながら私に告げる。


「ヘルムート・ワイエンマイアーだ。

 ゴルテンファルのローゼンガルテン公爵家の令嬢と伺っている。

 平民になったということだが、我が伯爵家で身柄を預かり、養子としよう。

 なるだけ手を尽くし、あなたに相応しい男性を紹介すると約束する」


「私はアリシアですわ。

 ローゼンガルテン公爵家を捨てた私に、姓はありません。

 養子だなんて、この身に余る光栄ですわ。

 そんなことをして、ワイエンマイアー伯爵にご迷惑にならないのかしら」


 ワイエンマイアー伯爵はニコリと微笑んだ。


「大丈夫、あなたが心配するようなことは何もない。

 所作も教養も、あなたは充分に備えているはずだ。

 我が家の養子となれば、下位貴族の嫁ぎ先くらいは簡単に見つかるだろう」


 私はエドガーを見て告げる。


「それでエドガーは、私を伯爵に預けて、ご自分はどうなさるおつもり?」


「……俺にはやり残したことがある。

 あんたをワイエンマイアー伯爵に預けて、これで安心してやり残しに専念できる」


「ゴルテンファル王国に、戻るつもりなのね?」


 エドガーは黙って口を引き結んだ。


 私はワイエンマイアー伯爵に告げる。


「人払いをしてくださらない?」


 彼は、黙って頷いた。





****


 私たち三人だけになった応接間で、私は改めてエドガーに告げる。


「そろそろ、全てを打ち明けてくれてもいい頃合いだと思うのだけど。

 まだ黙ってらっしゃるの? ――ねぇ? ラインハルト殿下」


 エドガーが驚いたように顔をこわばらせた。


「……なんの話だ? 王子は死んだと伝えただろう。俺は確かに死体を見た」


 私はニコリと微笑んで応える。


「私を舐めてらっしゃるの? 三年間も殿下をお待ちしていた、私を。

 呪いを受けて醜く変わって居ようと、殿下のお顔を見間違うはずがありませんわ。

 そのお声も、何度も夢の中で繰り返し聞いたもの。

 私が殿下をわからないと、本当に思ってらしたの?」


 エドガーは困惑したように硬直した後、観念したようにゆっくりとフードを下ろした。


 フードから覗くプラチナブロンド。髪の毛は、ずいぶん伸びたな。


 顔全体から首筋にかけて、醜い紫色の痣で覆われている。


 だけどその顔は、三年前から男性らしさを増したけれど、間違いなく私が夢にまで見た、ラインハルト殿下そのものだった。


「ああ、私の愛しいラインハルト第一王子殿下。お会いしとうございました」


 エドガー――ラインハルト殿下は、不機嫌そうに顔をしかめた。


「やめてくれ。私の顔は呪いで醜く変わり果てている。

 本来、アリシア嬢に見せるようなものじゃない」


 私はゆっくりと首を横に振った。


「いいえ、どのように変わられようと、ラインハルト殿下はラインハルト殿下ですわ。

 顔を見せて頂いたということは、全てをお話頂けると思っても構いませんわね?」


 ラインハルト殿下が小さく息をついて応える。


「……あの日、魔王城で決戦があった。

 クラウス王子や聖女アネット、魔導士ルーカスは、いつものように見ているだけで、戦いの全てを私に任せた。

 私は彼らに落胆しながら、魔王と刃を交わし、ついには討ち果たしたのだ」


 あのクラウス殿下たち、最後の最後までラインハルト殿下に任せきりだったというの?


 それで英雄面して凱旋なんて、恥というものを持ち合わせていないのかしら。


「では、その呪いは魔王のものなのですか?」


 ラインハルト殿下が頷いた。


「これは魔王を討った者にかかる呪い、魔王の断末魔だ。

 今はまだ私の精神力と生命力で耐えているが、徐々に私の身体を蝕んでいる。

 最後には、私はこの呪いによって命を落とすだろう。

 聖女がこの呪いを浄化しなければ、私の命を吸った呪いが、いつか魔王を再生させる。

 ――だというのに! あの聖女アネットは呪いの浄化を拒んだのだ!」


 私は純粋な疑問をラインハルト殿下に投げかける。


「なぜ聖女アネットは、浄化を拒んだのでしょうか」


「聖女の祈りを込めた口づけで呪いは浄化されるらしい。

 だがアネットは、醜く変容した私の顔に口づけをすることを拒んだのだ。

 解呪に失敗すれば、呪いは聖女をも蝕み、命を食らう。

 そのような危険を冒すこともまた、彼女は拒んだのだ」


 一人で戦わせ、その責任を全て背負わせ、呪いで苦しみながら死んでいくのをただ黙って見捨てる――聞くだけで気分が悪くなる話だ。


 ラインハルト殿下は、悔しそうに口を歪めて告げる。


「薄れゆく意識の中、クラウスやルーカスが『私がいなくなれば、ヴィンタークローネも容易く落とせる』と話しているのが聞こえた。

 奴らは最初から、あの魔王討伐の旅の中で私の命を狙い続けていたのだろう。

 たとえ魔王の呪いがなくても、疲れ切った私の命を奴らは狙っていた。

 だからこそ、あらゆる戦いで自分たちの力を使うことがなかったのだろう」


 つまり、旅の最初からラインハルト殿下の抹殺をくわだてていたことになる。


 旅の仲間だなんてとんでもない、最初から敵国の王子として見ていたということだ。


 ラインハルト殿下が、口角を上げて笑みを作った。


「だが、私は今もこうして生きている。

 この手には魔王の剣もある。

 なんとかしてクラウスの近くに接近し、奴らにこの刃を見舞ってくれる。

 己の責務を果たさなかった報いを、その身に刻み付けてやろう。

 それでこの命を失うことになるだろうが、一矢報いれるのであれば、もうそれで構わん」


 それで、こんな禍々しい剣を持ち歩いていたのね。


 私は大きく息をつくと、ラインハルト殿下に告げる。


「殿下、すこし冷静になられませんか?

 あなたは本来、もっと健やかで明るい精神を持った人。

 呪いに蝕まれて、心が少し病んでおられるのでは?」


 ラインハルト殿下が、バツが悪そうに私から目をそらした。


「……そうかもしれん。

 彼らに裏切られた傷に呪いが沁み込み、前の私自身の姿を思い出せないくらいだ。

 今も私の胸にあるのは、彼らへの憎しみのみ。

 この恨みを晴らせるならば、我が身など惜しくはない」


「殿下? そんな殿下がなぜ、私にイヤリングを届けてくださったの?

 この王都まで私を送ってくださったのは、なぜかしら?

 本当にそのお心にあるのは、彼らへの憎しみだけなのですか?」


 戸惑うように私を見るラインハルト殿下が、私に告げる。


「それは……そのイヤリングだけが、私の心の支えだった。

 クラウスの婚約者だったアリシア嬢からお借りしたイヤリング、それを持っているだけで私は、疲れを忘れることが出来た。

 私を支え続けてくれた大切なイヤリングは、せめて持ち主であるあなたに返すべきだと思ったのだ」


 私はニコリと微笑んで応える。


「もう今は、クラウス王子との婚約は破棄されてしまいましたわ。

 ですからもう、あなたの想いを遮るものは、なにもありませんわよ?

 それでもなお、あなたは復讐で人生を終えてしまうおつもりですか?」


 ラインハルト殿下が、苦悩するように眉をひそめた。


「しかし、彼らへの恨みを忘れることは、今の私には難しいように思える。

 これもまた、魔王の呪いなのかもしれない。

 だがあなたという気がかりをワイエンマイアー伯爵に預けることが出来た以上、もう心残りは――」


 私はラインハルト殿下の口を、人差し指で塞いでいた。


 ニコリと微笑んで、私は告げる。


「実は私、この三年間で聖魔法を修得していますの。

 聖女ほど立派には使えないでしょうが、どうか私にその呪いの解呪を挑ませていただけませんか」


 ラインハルト殿下が慌てて立ち上がり、声を上げる。


「それは駄目だ! 正当な聖女であるアネットですら、この呪いを解呪できるかわからない!

 ただ聖魔法を習っただけのアリシア嬢では、命を落とすことになる!」


 私も立ち上がり、背の高くなったラインハルト殿下を見上げて微笑み、告げる。


「聖女が命を懸けた祈り、それだけがその呪いを浄化できるのでしょう?

 どのみちラインハルト殿下が亡くなられてしまえば、私にも生きる意味など見い出せません。

 侵攻してくるゴルテンファル王国に対抗するためにも、この国には殿下のお力が必要なのです。

 どうか、私に解呪を試させてくださいませ」


 呆気に取られたラインハルト殿下は、困惑したまま私の瞳を見つめていた。





****


 応接間で木椅子に腰を下ろしたラインハルト殿下に、私は告げる。


「では、参ります。

 しっかりと魔王の剣を持っていてくださいね」


 戸惑いながら頷いたラインハルト殿下、その醜い痣に覆われた顔にそっと近づき、私は聖魔法を込めて口づけを交わした。


 眩い光が応接間を照らし出し、パキリ、パキリと音が響く。


 最後にパキン、と甲高い音が鳴り響くと同時に、私の魔力が底をついて、そのまま倒れ込んだところをラインハルト殿下に支えられた。


「――アリシア嬢! しっかりしろ!

 魔力を全て使うなど、なんて無茶をするんだ!」


 私はふらつく頭で、なんとかラインハルト殿下を視界に収め、ニコリと微笑んだ。


「魔王の剣はどうなりましたか?」


 ラインハルト殿下が、自分の手を見ているようだった。


「……粉々に砕け散っている。もう跡形も残っていない。

 いったい、アリシア嬢は何をしたのだ?」


「ふふ、私の魔法では、魔王の断末魔を全て浄化することはできません。

 ですから、聖魔法の一つ、≪呪詛返し≫で別の人間に呪いを移し替えましたの。

 魔王の剣に宿っていた邪悪な魔力も上乗せして、ゴルテンファル王家の方々にね」


「なん……だと? それは、どういうことだ?!」


「私は公爵家、ゴルテンファル王家の血筋を引くものです。

 ですからその血脈を辿り、クラウス王子やマティアス王子、ゴルテンファル国王に呪いをお渡ししたのですわ。

 聖女アネットが命がけの祈りを行えば、彼らは救われるでしょう。

 本来、彼女がやるべき仕事をお返ししただけですわよ?」


 かすんで見えるラインハルト殿下の顔から、紫色の痣も消え去っている。


 おそらくは今頃、ゴルテンファル王家の直系たちに、分散して呪いが襲い掛かっていることだろう。


 分散している以上、魔王の剣の魔力が上乗せされていても、一人分の解呪の難易度は本来の呪いより下がっているはずだ。


 正当な聖女なら、これぐらいはこなしてほしい。


「これで、ゴルテンファル王国がヴィンタークローネ王国に攻め込む余裕もなくなったはずです。

 たとえ聖女アネットが解呪できたとしても、数か月は時間が稼げるのではなくて?」


 ラインハルト殿下は、私を戸惑うように見つめて告げる。


「……アリシア嬢、あなたは三年見ない間に、恐ろしい女性に育ったのだな」


 私は上目遣いでラインハルト殿下の目を見つめる。


「幻滅、されてしまったかしら?

 でもラインハルト殿下をいじめた方々に、そしてあなたの死を顧みなかった王族たちに、きちんとあなたの苦難を思い知って欲しかったのです。

 殿下は立派な方です。たとえ孤独でも戦い抜き、最後に魔王すら打ち倒した。

 そんなあなたの命こそが尊いのだと、彼らに知って欲しかったのです」


 私の敬愛するラインハルト殿下は、世界で最も素晴らしい男性なのだと、胸を張って言いたかった。


 そんな彼を陥れたクラウス王子や、彼の訃報をなかったことにした国王、ついでに無理やり私を手に入れようとしたマティアス王子に、ラインハルト殿下と同じ苦しみを味わわせただけだ。


 ラインハルト殿下が、戸惑いながら私に告げる。


「なぜ、そこまでして私などを救ったのだ」


 私は最後の力を振り絞って、ニコリと微笑んだ。


「お気づきになられなかったの?

 三年前、お会いした時から私の心はあなただけのもの。

 あなたが魔王討伐からお帰りになったら、クラウス王子との婚約を破棄して、あなたに婚約を申し込むつもりでしたの。

 少し予定が変わってしまいましたけど、私のこの願い、叶えてくださるかしら?」


 クラウス王子との婚約は、私が幼い頃に王家とお父様が勝手に結んだもの。そこに私の意思など、なかったのだ。


 ラインハルト殿下が苦笑を浮かべたあと、私の額に口づけを落とした。


 私はそれで満足してしまい、急速に意識を手放していった。





****


 私はワイエンマイアー伯爵の養女となり、ラインハルト殿下と婚約を締結した。


 元ローゼンガルテン公爵家の令嬢だったこともあり、私と殿下の婚約は反対する者もなく、民衆からも祝いの声が上がった。


 国王陛下が仰るには、今回の私の働き――殿下の解呪と呪詛返しによるゴルテンファル王国軍の侵攻を未然に防いだ功績が、密かに評価されたらしい。


 ゴルテンファル王国から帰国した使者の話では、ゴルテンファル王家の直系――国王とクラウス王子、マティアス王子は呪いで立て続けに命を落としたという。


 彼らの呪いの解呪を拒み続けた聖女アネットは、『偽聖女』の烙印を押され、処刑されたとも。


 あの国はお父様が王統を継ぎ、ローゼンガルテン公爵家が新しい王家となったそうだ。


 となると、弟のエリックが次の国王になるのかな。


 私は新しい王家の王女筋になるわけだから、私とラインハルト殿下の婚約に反対する者なんて、いるわけもないか。



 リビングで静かに紅茶を飲む私に、穏やかな顔のラインハルト殿下が告げる。


「いつか、おそらく数百年後には再び魔王が復活するだろう。

 その時までに、立ち向かえるだけの国家に我が国を育てておかねばならないな」


「私と殿下の子孫ですわよ?

 きっと強く優しく、賢い王子が、魔王に立ち向かってくれるはずですわ。

 ゴルテンファル王国も、弟の子孫が魔王に立ち向かっていく。

 今度こそ、手と手を取り合って魔王を打倒してくれますわよ」


 殿下がクスリと笑みを漏らした。


「アリシアの子孫なら、きっと謀略だろうと屈せずに跳ね返すのだろうな」


「あら? それはどういう意味でして?」


 私が頬を膨らませて抗議の意を示すと、殿下が優しい笑みで頬に口づけを落とした。


「お前の強さを受け継ぐ子供を作らねばな、という話だよ」


「もう! ごまかされませんわよ?!」



 今日もヴィンタークローネ王国は平和だ。


 争いもなく、人々が笑いあっている。


 やがて私とラインハルト殿下は婚姻し、子供を産み育てていく。


 だけど今は――


「ねぇ殿下、今日も海に出かけてみませんか?」


「また海か? アリシアは海が気に入ったのだな」


「だって! 殿下と過ごせなかった三年間、その分を取り戻さなければ嘘というものでしょう?

 今は公務も一区切りついていますし、少し遊びにいくくらいは大丈夫ではなくて?」


 ラインハルト殿下が私の手を取り、その甲に唇を落とした。


「もちろんだとも、我が愛しのアリシア。

 今の私があるのは、全て君のおかげだ。

 君が望むことなら、私は全力で叶えよう」


 私たちは微笑みあいながら立ち上がり、出かける準備をするためにリビングを後にした。







 いかがだったでしょうか。婚約破棄からの復讐劇、になってるのかな~? ちょっと自信がないです。


 「ざまぁ」成分はなくもない、といったところでしょうか。


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[気になる点] 呪いは解けたし、自国では死亡説なんて出てないし、普通にラインハルトは表舞台に復帰したんじゃないかと思うけれど…… 訃報出してたゴルデンファルはどんな反応したんだろう。 ……聖女との婚約…
[一言] 聖女様、国王やマティアス王子はともかくとして、夫になる予定のクラウス王子の解呪ぐらいはすれば良かったのにと思いましたね。 しなくても偽聖女として処刑されたんだから余計にね。
[一言] アリシアみたいな強くて聡明な性格大好きです。 と言うかコレで15歳?! 円満に終わって良かったです。
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