聖騎士の心臓 ―帰路―
◆◇◆
絢爛な蔦模様の這う赤い緞帳を背に、オデットは人形になっていた。
背筋を伸ばして椅子に座り、揃えた足は軽く左へ流す。両手は膝の上で重ね、首をわずかに左へ向けて、十歩ほど離れたところにある画布が貼られた板をぼんやりと眺めていた。
時折、画布から壮年の男が顔を出し、オデットに視線を向けては絵筆を走らせている。舐めるような視線に肌が粟立つ不快感を覚えたが、唇の内側を小さく噛んで表情に出すのを堪えた。
二度も神殿の鐘が鳴るほどの時間を、オデットは椅子に座っていた。途中で画家の休憩はあったが、オデットは水を飲むのを許されたくらいで休憩にはなっていない。
椅子に座らされ、使用人の手で髪や衣服を整えられる自分は、文字通り人形の扱いだった。
「できたかね?」
部屋の扉が開いて現れたのは、オデットの両親、父のアルバンと継母のジョルジェットだ。画家の意識がそちらへ向いた隙に、オデットは重ねていた指先を握る――震えを押さえたかった。
画家に促されたアルバンは画布を見て、丸い顔に満足そうな笑みを浮かべた。
「よろしい! 美しく描けているようで安心したよ」
「えぇ、本当!」
アルバンに続いて、ジョルジェットも真っ赤な唇を繊月のように吊り上げて笑った。
「肌の色も透き通る水晶のように描いてくださる? 頬ももっとふっくらと、健康そうにしてちょうだい」
「この子の見合い用の肖像画だからね、今後もこの調子で頼むよ」
「恐れ入ります、マークヴァインド様」
上機嫌なアルバンに肩を叩かれた画家は、今日の分の報酬を受け取って帰っていった。
扉が閉まると同時に、ふたりの表情が冷たく凍る。口髭を指で抓みながら、アルバンが舌打ちをした。
「まったく……女の見合い支度は金がかかることこの上ないな。次は何だ? 服か?」
「えぇ、仕立て屋を呼んでいるわ。仕方ないでしょう、早く売るためには多少見た目を飾らなくてはいけないんですから」
吐き捨てるように言ったふたりは、描きかけのオデットの絵に再度目を向ける。先程とは全く違う、嫌悪に満ちた眼差しだった。
ジョルジェットは霙翼鷺の純白の羽根を束ねた扇で、歪んだ口元を隠す。
「青白い肌……まるで死んだ魚のようね。その陰気臭い顔、もう少しまともにならないの?」
「……ごめんなさい」
謝った拍子に、オデットの腹がきゅうと小さく鳴った。今日は朝食の後から何も口にせず、椅子に座り続けていたのだ。
広く静かな空間だったためか、音はアルバンたちにも聞こえてしまったらしい。面倒臭さと侮蔑の籠った四つの瞳が刺さり、オデットは俯いた。
「浅ましいったらないわね。食べるのは果物だけにしなさいよ。これ以上肥られたら売り物にならないわ」
「……はい」
「貴様は見た目だけが取り柄なのを、いい加減理解しろ。まったく、運よく混人狙いの好事家が見つかったからいいものの……こんな不良品、引き取らねば良かった」
「あなたが蒔いた種でしょう!」
他人事のようなアルバンの言葉に、ジョルジェットは眦を吊り上げて扇を彼に突きつけた。
「仕事先で旅芸人の女などに手を付けて、面倒な子供をこしらえたのはあなたでしょう! お陰で我が家は阿婆擦れ女に大枚をはたいた上、混人の娘まで引き取ることになって! わたくしとエリオットがどれだけ被害を受けたと思っているのです!」
「だったら別の孤児院に捨てるなりすればよかったんだ、体裁が悪いと言い出したのはお前だぞ!」
「エリオットの縁談を壊すわけにはいかないでしょう!」
オデットなど見えていないかのように、アルバンとジョルジェットは互いに罵り合う。
オデットはアルバンとしか血は繋がっていない。母のアーシェは亜人族虹鱗人魚種で、各地を旅する芸人一座の歌姫だったと聞いている。
もちろん、直接聞いたわけではない。アーシェはオデットを産んで、すぐに死んでしまった。オデットが母から遺されたのは己の名前と、一冊の古い絵本だけだ。
だからオデットが知る己の出自に関しては、こうしてアルバンたちが喧嘩した弾みで出た言葉や、使用人たちが秘めやかに叩く陰口で知った。
アルバンが宝石を仕入れるために立ち寄った村に、たまたまアーシェが属する旅芸人一座も逗留していたのだ。アルバンはこの時既にジョルジェットとの間に息子のエリオットをもうけていたのに、アーシェにも手を出した。
子供を身籠ったアーシェは一座にいられなくなり、放浪している内に体を壊したが運よくブランシェールの療養院に入ることができた。オデットを産むことはできたが、出産は致命傷にもなってしまった。
死の間際、己の人生を壊した男に復讐したかったのだろう。アーシェは自分を襲った男がマークヴァインド家の当主であると突き止め手紙を出した。あの夜のアルバンとの姦通や、『期日までに子供を引き取らねばこの事実を五大貴族にも知らせる』と書かれていた。オデットとアルバンの共通している金の髪や、抵抗した時に引き千切った腕輪の宝石も証拠として同封されていた。ジョルジェットは暗い茶髪で、腕輪は彼女が結婚の証としてアルバンへ贈ったものだったから、動かぬ証拠になったのである。
その時のマークヴァインド家では、エリオットの縁談が決まりかけていた。
相手はロッシュニール家という、神官の帽子を作ることを許された縫製工場を抱える商会の令嬢だ。マークヴァインド家と同じ、五大貴族の一角、ヘルツォーゲンベルク家の傘下に入っている。しかし、資産や地位はマークヴァインド家よりも上だ。妻がいるのに旅芸人の女に手を出し、産ませた子供を捨てたなどという醜聞が知られれば、清廉で知られるロッシュニール家との婚姻は破談になるだろう。
それを嫌ったふたりは秘密裏にオデットを引き取り、このことを知る療養院や孤児院には口止め料として少なくない金貨を払った。――アーシェはその五日後に死んだらしい。
その後のふたりは『親を喪った混人の子供を引き取り、慈しみ育てる優しい貴族』の仮面を被ることにしたようだった。全てはエリオットと婚約するロッシュニール家への忖度のために。
とにかく、と鼻息を荒くしたアルバンがオデットを睨んだ。真っ赤に膨れた蛸に似ていると、オデットは他人事のようにぼんやりと考えていた。
「これだけの金と時間をかけてやったんだ! 婚約を成功させねば、家から叩き出すからな!」
「エリオットにも近づかないでちょうだい。あの子まで幻獣狂いだと思われたら、迷惑極まりないもの」
「はい……」
小さく恭順したオデットを残し、ふたりは広間を出ていった。
入れ替わるように使用人が音もなく入ってきて、三人がかりでオデットの身嗜みを整え始めた。これから仕立て屋が持ってきた生地の中から、婚礼用の装束に使うものを選ばねばならない。もちろん、あのふたりも一緒にだ。今とは打って変わって、オデットを可愛がる親の顔をするのだろう。
オデットと同じくらいの少女から、果物の盛られた椀を差し出される。切り分けられたベリマの実を齧ると、酸っぱい果汁が口の中に満ちた。オデットは自分が思っている以上に空腹だったらしい。
しかし、オデットはベリマの実を三切れ食べただけで、椀を少女へと押しやった。
「……もういらないわ」
「え、で、でもお嬢様、朝からずっと召し上がっていらっしゃらないじゃないですか。せめてもうひと切れだけでも……」
「いいえ、いらないわ……。もしわたしが残すことで、あなたたちがあの人たちから折檻を受けるようなら……そっちで食べてちょうだい」
使用人の少女は尚も椀を差し出そうとしてきたが、オデットは椅子から立ち上がって部屋を出た。
年嵩の使用人に案内された客間では、予想通り慈悲深い貴族の仮面を被ったアルバンとジョルジェットの笑顔に出迎えられた。
この仕立て屋は何も知らないのだろう、仲の良い親子ですねと微笑まれ、オデットは吐き気を呑み下すのに精一杯だった。
着る本人を置いてきぼりにして、アルバンら大人たちが顔を突き合わせてオデットの服を決めていった。夜会用の礼装や、午餐会用の軽装など、様々な意匠の服をオデットは人形のようにまとい続けた。
婚礼衣装の生地の選定は夕刻まで行われたが、結局決まることはなかった。婚礼衣装は純白の中に何か一色を足すのが通例だが、仕立て屋が持ってきたものの中にアルバンたちが気に入るものはなかったようだ。また後日、別の生地を準備して検討することになった。
「お嬢様は、どのお色が好みでしょうか」
「……わたし?」
仕立て屋から問いを、オデットは一瞬、自分に向けられたものだと分からなかった。貴族の婚礼衣装を両親が決めるのは普通のことであり、子供の意見が通ることは少ない。仕立て屋がオデットに声をかけたのは、叶えられないけれど一応あなたの希望も聞きますよ、わたしは優しくて気が利くでしょう、という体裁と傲慢さからだろう。
だが、問われたのだから答えねばならない。オデットは長方卓の上に広げられた色とりどりの生地をさっと眺めた。その中で、真っ赤な生地を指さす。
「……赤は嫌……それ以外なら、何でもいい……」
「あら、赤がお嫌ですか。こちらの青みがかった深い赤は今年の流行色で、女性の方には好評だったのですが……」
綿のように軽い言葉を連ねる仕立て屋を、オデットは無言で睨んだ。喋り過ぎたことを自覚したのか、取り繕った笑みを浮かべた人間族の仕立て屋は、広げた生地を手早くまとめて帰っていった。
オデットに好きな色はない。だが赤だけは駄目だ。血を思わせるあの色だけは、どうしても好きになれなかった。
夕食前に、オデットは使用人から書類を受け取った。職業体験期間の報告書だ。一応、オデットはマークヴァインド家の宝石販売店で働いていることになっている。今日は最終日であるため、業務内容の報告を学校にしなければならない。書類には店頭に立ち、商品の説明をつつがなくできたとか、働くことの大変さが身に染みたとか、薄っぺらい嘘が並んでいた。
対人用の慈悲深い仮面を脱ぎ、不機嫌な蛙のような顔つきに戻ったアルバンが、果実酒の入った盃を傾けた。
「職業体験期間を使ってひと通り準備を終えようと思ったが、間に合わなかったか。お前が難癖ばかりつけるからだぞジョルジェット」
「わたくしは予算の調整をしていただけです! 混人の娘にお金をかけたところでどうせ無駄になるというのに、あなたが折衝もせずに買おうとするから!」
「また儂のせいか! マークヴァインド家の当主が、仕立て屋ごときに値切りの相談などできるわけがないだろう! だいたい――」
罵倒の応酬に興じるふたりに気づかれないよう、オデットは静かに部屋を出た。
自室に戻ると、四角い金の籠の中で、窮屈そうに羽を畳んでいたチュチュが嬉しそうにギィと鳴いた。ゆったりとした部屋着から稽古着と学校の制服に着替え、籠の扉を開けてチュチュを肩に乗せた。露台で歌うと白い光と共に一角天馬のシャクティが現れた。オデットがその背に乗ると、シャクティは純白の翼を羽ばたかせて学校へ向かう。
狭い籠に閉じ込められていたからか、チュチュは思い切り羽や首を伸ばしていた。オデットはその顎の下を、指先で掻いてやった。
「ごめんね、チュチュ……籠の中、息苦しいでしょう」
オデットの言葉に、チュチュが木の軋むような声でギィと鳴く。慣れたよ、と拗ねた少年のような声が、オデットの耳に聞こえた。
学校へ向かう途中、ブランシェールからは様々な『声』が聞こえてくる。夕食の献立に迷う主婦や、商品を全て売り捌きたい商人の呼び声、駆け回る子供のはしゃぎ声に混じって、ヒトではないものもオデットには聞こえる。
遠路はるばる荷車を曳いてきたのに報酬の野菜が少ないと嘆く馬。路地裏ではぐれた子供を探す犬。取り留めのない噂話を繰り返す灰紅鳩。常人には聞こえないものが、はっきりと形として認識できると気づいたのは、オデットが七歳くらいの時だ。
最初は誰かが歌っているのだと思った。弾んだ声音で「木の実を見つけた」と歌うのは誰か、屋敷の中を探しても見つからず、窓の外にいる灰紅鳩だと気づいた。
この頃はまだ出自について何も知らなかったから、無邪気にアルバンやジョルジェットに「鳩が喋ってたの」と話していた。だがふたりからは「そんなはずはない」と邪険に突っぱねられた。オデットが初めて味わう絶望だった。
その後も犬が喋った、猫が喋ったと言ったが、アルバンたちは一切信じてくれなかった。それどころか「幻獣が喋るわけがない」とオデットを嘘つき呼ばわりした。
ヒトとケモノを分ける境界線は『言葉を使えるか』だ。言葉は姿かたちの違うそれぞれの種族を繋ぐために女神が与えた祝福であり、幻獣はヒトの糧となるように創られた存在であるからそれが与えられなかった――神話ではそう伝わっている。
いつしかオデットは大人たちから『幻獣狂い』と呼ばれ、孤立を深めることになった。ただひとり、兄のエリオットだけが、オデットを妹として扱い優しく接してくれた。だがそんな兄にも幻獣の声は聞こえず、完全に信じてもらえなかったことで、オデットの心は深い絶望の底へと叩き落された。
いっそ幻獣に生まれたかった――そう考えながら、オデットはシャクティの首に頭を預ける。
母から受け継いだ虹の欠片が散りばめられた翠の瞳も、騎士に褒められる治癒の魔法も要らない。チュチュたち幻獣と歌を歌い、血や争いという腥いものから離れて穏やかに暮らしたかった。
そんな小さな願いを夢想しては、叶えられない現状に落胆する。オデットはもはや、絶望の底から這い上がる気力など持っていなかった。
やがてシャクティは学校の門前に降り立ち、オデットはその背から地面に足を降ろす。白く滑らかな鼻先を撫でてやれば、シャクティは気持ちよさそうに白金色の睫毛を伏せた。
「すぐ戻るから……ちょっと待っててね」
オデットの言葉に応えるように、待ってる、と柔らかなシャクティの声が聞こえた。一角天馬は光に体を溶け込ませることができる。シャクティの輪郭も夕日の中に揺らいで消えた。
オデットは教師棟でミランダ教師に書類を提出する。彼女はそれにさらりと目を通し、お疲れ様、と労いの言葉をくれた。
教師も分かっているのだ――貴族の子供は、職業体験期間に働いてなどいないことを。
職業体験期間は、将来就きたい職業や進路をはっきりと自覚するための期間だ。しかしそれは庶民の子供だけの話で、生まれた時からある程度の未来が決められている貴族の子供には無駄な時間でもあるのだ。
だから騎士にならない貴族の子供はこの期間を使って、婚姻や婚礼の準備を行う。そもそも貴族が士官学校に子供を通わせているのは、結婚を有利に進めるためだ。家が繁栄していくために、家にとって都合のいい相手からしっかり選ばれるように。
アルバンたちがオデットの肖像画を描かせていたのも、服を何着も作らせていたのも、冬に社交界で貴族たちにオデットを売り込むためだ。
オデットは子をなしづらい混人だ。その上、幻獣に傾倒していることはいつの間にか貴族の間でも広まっている。
子孫繁栄の役に立たない幻獣狂いの女を買いたいと思う家など、余程の酔狂しかいない。それをアルバンたちも分かっているから、オデットを飾り立てることに必死なのだ。
貴族の子供は売り物だ。オデットだけでなく兄のエリオットもそうであるし、かつてのアルバンとジョルジェットもそうだったのだろう。他の冠姓を持つ級友たちも同じだ。
これは貴族として生まれた者の、決して逃れられない呪いのようなものだった。
斜陽の射しこむ廊下を歩いていると、強い鉄の匂いがオデットの鼻を掠めた。
反射的に俯きがちだった顔を上げると、廊下の向こうから黒い影が歩いてきた。
心の鋭さが表層に浮き出たような短い黒髪に、右側だけ寂しく残された赫い角。稽古着も白い制服も血と泥にまみれさせたラルフだった。
血をまとわせた刃のような赫金色の瞳に捉えられた瞬間、オデットは体が固まった。ラルフもまたオデットに気づいたのか、踏み出そうとしていた足を中途半端に降ろす形で止まる。
「……よォ」
ラルフが片手を上げて挨拶をする。だがオデットは返事ができなかった。彼が腕を上げた時、濃い血の匂いが辺りに振りまかれたから。
ラルフは友人で、去年の秋の一件以来、ヨスガの秘密を共有する仲間である。しかし、正直なところ、オデットはラルフが苦手だった。
刺々しい雰囲気も、粗暴な言葉遣いも、上流階級にはないものだ。世の中にはこんなに乱暴で、他人に牙を剥いて怒鳴る人がいるなど知らなかった。
男子にしつこく絡まれていたら追い払ってくれたり、形見の絵本を見つけてくれたりと優しい所があることも知っている。だが、あの赫い瞳を見てしまうと、どうしても恐怖を覚えてしまうのだ。
そんなオデットの胸中など知らないのだろう、ラルフが歩み寄ってきた。
「お前、これから帰るのか?」
「……うん」
「そっか。オレ、遠征の報告書を教師に出しに行けって言われたんだけど、ハインケルいたか?」
「いた……と思う。よく見なかった……」
「あー……まァ、行きゃァ分かるか。え……っと、オレ、凍雲騎士団に世話になっててよ。初日からずーっとあちこち連れ回されて、さっきブランシェールに帰ってきたとこだ」
「……そう」
オデットは制服の裾を握りしめ、素っ気なく返事をする。血の臭気を吸いたくなくて、あまり呼吸をしたくなかった。
凍雲騎士団は魔物退治を専門としている団だと聞いている。ラルフもこの十日間、ずっと魔物を殺していたのだろう。臓物が腐ったような禍々《まがまが》しい、死の匂いが強く漂っていた。彼はそれが分からなくなるほど、死に慣れてしまったのだろう。
言葉を探していたラルフが、オデットに一歩近づこうとしてきた。それを、肩に乗せていたチュチュが鋭く鳴いて牽制する。
近づくなと威嚇するチュチュに、ラルフは頭を掻いた。
「……悪かったよ。血、臭ェんだろ」
「……うん。怪我、したの……?」
「ンなわけねェだろ。全部クソ魔物どもの返り血だ。あの団長の竜人女、散々こき使いやがって……服を洗う暇もねェ」
嘘だ。オデットはそう直感する。
腐肉のような臭いの魔物の体液に混じって、ラルフ自身の血の臭いもしている。兄のエリオットの話では、凍雲騎士団に所属する騎士はみな、魔物に強い恨みを持ち、仲間も己の体も顧みずに戦い続ける団だ。昨日の友が斃れても、その屍を踏みつけて魔物を殺し続ける。恨みで心を壊した者が入る団なのだと、オデットは聞いた。
腥く、悍ましい場所で、きっとラルフは生き続けるのだろう。自分の血が流れきる、最後の瞬間まで。
オデットは彼の脹脛に見つけた傷を治してやりたいと思ったが、拒否感が募って後退ってしまった。
「……お大事に」
「お……おう……」
オデットは息を止めて、ラルフの横を駆け足で通り過ぎた。
血の臭気にあてられたのか、視界が歪んで勝手に涙が溢れる。足を止めることなく学校を出て、校門の脇で待っていたシャクティの首に縋りついた。
翼でオデットの肩を包みながら、シャクティが頬に鼻を擦り寄せてきた。
『どうしたの、オデット』
「何でもない……分からないけれど、涙が出るの……」
『……少し、血の臭いがするわ。あの片角の竜人と会ったのね』
彼は嫌い、とシャクティが不機嫌そうに鼻を鳴らす。同意するように、チュチュやいつの間にか頭上を飛んでいた天楽鳥のアリュールも頷いていた。
幻獣は血を流すことを嫌う。死んだ魔力であり穢れであるからだ。
魔力と血は深く関連している。だが、それを認知しているヒトは少ない。怪我などで流血すると、大気の魔力と反応して血に含まれる魔力は変容してしまうのだ。鈍感なヒトはともかく、繊細な幻獣は血にあてられると死んでしまうこともある。
ヒトは生きている以上、必ずどこかで獣の肉を食い、殺している。普段は穏やかで、不義の子であるオデットにも隔てなく優しくしてくれるヨスガたちでさえ、かすかに血の臭いをまとっている。
その中でもラルフは一際強く感じるのだ。並の聖騎士など、比べ物にならないほど。
『オデット、気にしなくていいわ。貴女と彼の道は交わらない……あと一年だけ我慢したら、この腥い学び舎から出られるわ』
「うん……分かってる」
目元を指で拭ったオデットはシャクティの背に跨り家へと飛び立つ。
シャクティの言う通り、オデットは士官学校に三年しかいられない。卒業したらすぐに誰かと結婚させられて、ブランシェールにいられるかも分からない。オデットの乗る『滔月の船』に櫂はなく、自分で行き先を決めることはできないのだ。
――少しだけ……さみしい。
士官学校に入学した当初、オデットは誰とも関わらずに過ごすものだと思っていた。だがヨスガたちとの出会いは、オデットの世界が色づけてくれたことは確かだ。
オデットがどれだけシャクティたちにべったりでも、偏見も全くなく接してくれた。
シャロンやティーナなど、年の近い同性の友達と話すのも楽しかった。
鳩翔祭の時は裁縫で頼られたことも嬉しかった。ジョルジェットから淑女の嗜みだと強制的に学ばされていたが、誰かの役に立つことができたのは人生で初めてのことだった。
あと一年ほどで、オデットはその全てを手放さねばならない。みんなが聖騎士として、職人として、貴族として、力強く羽撃いて行くのをオデットは地べたで這いつくばりながら、見上げるしかない。
――それが、オデットの運命なのだ。
「……ねぇ、ヨスガ……。どうしてあなたは、前を向けるの……?」
秋の薄雲に拡散する夕日を受けて、オデットの頬で透明な雫がまた一粒、きらめいた。




