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黄昏と宵闇のヨスガ  作者: 琥珀さそり
孵化の章
3/79

黄昏の世界 ―神託の夜―

 星も月もない夜だった。

 白亜はくあの首都、ブランシェールは眠りに沈み、つじに立つ不寝番ふしんばんの騎士を魔鉱燈まこうとうあかい光だけが柔らかく照らしていた。調子外れな歌が響く酒場もあかりを落とし、今は風と珀眼梟スォーニーパル夜啼よなきが遠くに聞こえるだけの、何も変わらない静かな夜がけていく。


 ――だが、それを見た者は多かった。


 ブランシェールの遥か上空に亀裂きれつが生まれた。それはまばゆい光に押されるように広がり、やがて太陽の如く煌々《こうこう》と街を照らしていく。

 光に気づいた騎士たちが空を指さしながら慌ただしく動き始め、朝日と勘違いしたカンライどりが甲高く鳴き、眠りから叩き起こされた住人は窓から身を乗り出した。――静かだった夜が、にわかに騒がしくなる。


 亀裂から溢れる光は、ブランシェールの中心にたたずむ黄昏神殿に降り注いでいた。神殿の守護を任されていた金環きんかん騎士団団長のレオンハルト・ノエンドルフは、波打った朝焼け色の髪を適当に束ね、しかし鎧はすきもなく装着し早足で回廊かいろうを進んでいた。


「ブランシェールの内側は流星騎士団と烈日れつじつ騎士団、外側は四方を天涯てんがい騎士団、銀鉤ぎんこう騎士団、碧天へきてん騎士団、凍雲とううん騎士団で固めろ。住人には家屋かおくから出ず、身の安全を確保するよう伝えるんだ。月虹げっこう騎士団と星雲せいうん騎士団は騎士学校と寄宿舎の守護を頼む。くれぐれも雛鳥たちを混乱させないように」

「はっ!」


 緊張した面持ちで短く一礼した若い騎士たちは、小走りで駆けていく。

 入れ替わるように、ふたりの騎士がレオンハルトを呼びながら駆け寄ってきた。赤紫色の髪を編み上げた女騎士と、深い蜜色の短髪が美しい男騎士だ。

 女騎士が先に口を開いた。


「レオンハルト総帥そうすい、神殿上空の亀裂は依然いぜん拡大を続けているようです。今のところ宵闇の魔物が出現したという報告はありません」

「分かった。魔物が出る前に、コトが終息しゅうそくすればいいんだがなぁ」

「クラリア川上にいる碇星いかりぼし騎士団と各地に散った空明くうめい騎士団からの報告では、ブランシェールから離れた場所の魔物も活性化している様子はないそうです。むしろ、どこか恐れているような感じもすると……」

「恐れる? 魔物が?」


 レオンハルトが問い返すと、彼女も複雑な表情で頷いた。報告内容に嘘がないことは知っているが、信じられないとでも言いた気だ。生真面目きまじめで不明を許さない彼女にしては、珍しく歯切れも悪い。


 情報が満足に集まっていない現状は焦燥しょうそうと混乱をあおるが、ここで聖騎士を取りまとめる立場であるレオンハルトが平常心を崩せば、部下も惑う。異常事態にじょうじて魔物が街に攻め込んで来ないならそれでいい。

 つとめて普段通りの口調と表情で、金髪の男騎士を振り返った。


「亀裂について、月虹団長殿は何か言ってたかい?」

「それが……不明、とのことです」

「はぁ?」


 簡潔な男騎士の返答に声を荒げたのは女騎士だ。涼やかなまなじりを吊り上げ、頭ひとつ分上にある男騎士を睨みつける。彼女の反応は予想済みのようで、彼はさして取り乱すこともなく困ったように肩をすくめた。


「正直、それしか言うことはないからそのまま総帥に報告しろと言われました。空が割れるなんて生まれて初めてだと、笑っておられましたよ」

森羅万象しんらばんしょうを知る方でも分からない事象か……はっははは、これは本当に困った、対策の立てようがない」

「笑っている場合ですか! 亀裂が観測されてから、かなりの時間が経過しています。事態が長引くほど民たちは不安になり、混乱が起きるかもしれないんですよ!」

「それは街に配置した騎士たちが上手くやることを信じるしかないさ。――そろそろお前たちも警備につけ。何かしら進展があれば、逐一私に報告しろ」

「はっ!」


 ふたりが一礼し遠ざかる足音を背中で聞きながら、レオンハルトは回廊を抜けた。

『女神の間』へと続く廊下は、魔鉱燈まこうとうの灯りも不要なほどに明るかった。高くゆるやかに曲線を描く天井にめ込まれた色硝子いろがらすが、黄昏色の絨毯に落とす彩影さいえいは色鮮やかで濃い。真昼の太陽より強い光に、レオンハルトの柳眉りゅうびがわずかに寄った。


 進んだ先には、光輪こうりんと大樹が刻まれた石造りの扉がそびえている。その前に、白い僧衣の上に鎧をまとったひとりの女神官が立っていた。彼女はレオンハルトの足音に気づくと、深く頭を下げた。


「レオンハルト総帥。夜分遅くにお疲れ様でございます。それとも……わたくしが見えていないだけで、もう日の出なのでしょうか?」

「いや、まだ真夜中だよ。神官たちに混乱はないか?」


 レオンハルトの問いに、女神官は瞑目めいもくしたまま頷いた。


「最初こそ多少慌てる者もおりましたが、巫女様がお声をかけて下さり今は平生へいぜいを取り戻しております。――それより中へ。巫女様がお待ちです」

「分かった。君はこのまま神殿で待機していてくれ。魔物が出たという報告は今のところないが、混乱した民衆によるいさかいが起こるかも分からない。白夜騎士団としていつでも救護に駆け付けられるよう、準備を頼む」

心得こころえました」


 深々と一礼した彼女は、身の丈より大きな錫杖しゃくじょうを杖代わりにしながら、確かな足取りで去っていった。

 レオンハルトが名乗りを上げると、重厚な石扉がひとりでに開かれた。天から降り注ぐ光が扉の隙間から溢れて、レオンハルトのまぶたいた。


 円形になった室内の中心、十二枚の花弁を持つ黄昏花を模した台座の上に、ひとりの少女が座っていた。

 汚れなど知らない新雪を思わせる白く長い髪の彼女こそ、黄昏の巫女ライラだ。その瞳は静かに閉じられ、口元にはあわい微笑みをたたえている。彼女を中心とした空気が震え、レオンハルトの頭に玲瓏れいろうな声が響いた。


『お待ちしておりました、レオンハルト総帥』

「ライラ様、神殿上空に詳細不明の亀裂が発生し、真昼のような光が差し込んでいます。今のところ宵闇の魔物の強襲を心配する必要はありませんが、ブランシェールには聖騎士団を配備し民の安全を最優先に警戒させております。こちらに異常は?」

『ありません。――そう警戒なさらずとも、貴方が考えているようなことは起こらないと思いますよ』

「それは、どういう……?」


 首をかしげたレオンハルトの頬を、一陣いちじんの風がでていった。

 ライラの背後に開け放たれた庭園には、夜露よつゆを乗せた背の低い草と色とりどりの小さな花々が、亀裂から注がれる光を受けてきらめいている。


 その中に、彼女はいた。薄い黄昏色の寝間着に濃い蜜色の豊かな髪がしどけなくかかる、ライラより小さな体躯たいくの少女がたたずんでいる。その丸い大きな瞳はまっすぐに天上てんじょうへ向けられ、光を受けて黄金色に染まっていた。


『お喜び下さい、お兄様。アリスは今、初めて女神様の声を聴いているのです』


 少女――アリスが空へ向かって両腕を伸ばす。応えるように光がアリスを包み、亀裂の隙間からひとつの玉がこぼれ落ちてきた。無意識に、レオンハルトの手が腰に挿した剣に伸びる。

 玉は歪みながら綿毛わたげのように緩やかに落下し、やがて人の形を作った。裸身らしんで、短い髪は黒い。アリスと同じくらいの少年だ。


 アリスの腕の上に、少年の体が横臥よこたわる。肋骨ろっこつの線が見えるほどせた、腹に大きな傷跡のある枯れ木のような子供だった。少年を両腕に抱いたまま、アリスはレオンハルトへ向き直る。

 何ひとつ感情のない黄昏色の双眸そうぼうに射抜かれ、レオンハルトは剣のつぁから手を離してその場にひざまずいた。


 己の目の前にいるのは、幼い巫女見習いの子供ではない。『女神』なのだ。


『予言は成就じょうじゅせり』


 アリスの花弁かべんのようなくちびるが動き、いとけない高さと老練ろうれんな低さが混ざった声が大気を震わせる。


『――世に宵闇に来たりぬ。

 水は泥に、風は毒に、花は石に、黄昏は宵闇に。

 あまねく命はみな、無限の闇に沈み一切の光を喪うだろう。

 れど、恐るるなかれ。

 双子月が四度重なる晩夏ばんか雲間くもま暁光ぎょうこうと共にひとりの子供が生まれるであろう。

 その子供こそ、黎明れいめいの子。

 黄昏を背負い、宵闇を封ずる黎明の子なり。

 剣を持たせよ。らば彼はなんじらの敵を切り裂くであろう。

 盾を持たせよ。らば彼はなんじらの友を守り抜くであろう。

 れど、宵闇は黎明の子をほふらんとするであろう。

 宵闇が空を覆うその時まで、黎明の子を守り抜け。

 我が愛しい黄昏の子等よ恐るるなかれ。

 光は常になんじらと共にるのだから』


 彼女の唇からつむがれたのは、十二年前に常春万聖節で先代の巫女が告げた女神からの予言だ。


 ――そうか、彼が。


 レオンハルトはアリスの腕から受け渡された少年の裸身らしんを、鎧から外した黄昏色の外套がいとうでくるんだ。


「女神様の神託のままに」


 レオンハルトの恭順きょうじゅんに女神は美しく微笑んだと思えば、唐突に糸が切れたように少女の身体が揺らいだ。咄嗟とっさに彼女の背中へ右腕を差し込み支えたことで倒れることはなかったが、アリスは穏やかな顔で眠っている。


 左右に昏々《こんこん》と眠る少年少女を抱え、空をあおげばまぶしかった空は嘘のように暗く黙している。どこか呆然ぼうぜんながめる背中に、ライラから『お兄様』と声をかけられ我に返った。


『動き出してしまうのですね、運命が』

「あぁ……そうだね、ライラ」

『例え何があろうと、私たちのすべきことは変わりません。ただ女神様のお言葉に従い、女神様の愛する民を守るだけ――レオンハルト総帥、聖騎士たちに警戒を解くよう伝えてください。今宵こよいはもう何も起きることはないでしょう』

「はっ」

『ふたりは神殿で休ませましょう。くれぐれも内密に。……ふふ、アリスは今夜のことを明日もちゃんと覚えているかしら』


 短く頭を下げ、いつの間にか背後にひかえていた女神官たちにアリスと少年をたくして、レオンハルトは巫女の間を後にした。 


 ブランシェールの内外に配備した騎士たちにも、元通りの夜空に戻ったことは見えているだろう。まずは騎士団長を集め、顛末てんまつを説明せねばならない。総帥や巫女からの言葉があっても、しばらくは騎士団も街も騒がしくなるだろうが、それは各団長たちの口も借りながら沈静化させていけばいい。


 仄暗ほのぐら回廊かいろうを歩きながら、レオンハルトの髪を冷たい夜風が揺らした。東の山際やまぎわ、そのなだらかな稜線りょうせんがうっすらと視認できるようになっている。暗澹あんたんたる漆黒の夜が白い朝陽に染まるまで、もう間もなくだろう。


 どうやら徹夜になりそうだと、レオンハルトは口の中で欠伸あくびみ殺しながら駆け寄ってくる部下の元に急いだのだった。

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