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黄昏と宵闇のヨスガ  作者: 琥珀さそり
孵化の章
21/87

居場所 ―薬草を求めて―

  ◆◇◆


 ブランシェールからスーロの森までは、馬を使えばそう遠くない。

 なだらかな星篝ほしかがりの丘を越え、ヒューゲル川を渡れば、鬱蒼うっそうと木々の茂る深い森がある。みきの黒い雷號樹バルノア整然せいぜんと並ぶこけのない道を、ルーベンとナタリーを乗せた蒼毛あおげの馬が駆けて行く。


 これは水玲馬アノールと呼ばれる幻獣げんじゅうで、体毛たいもうたてがみには常に水をまとっている。多湿たしつ雨天うてんである方が調子の良くなる性質であるから、予想よりも早く森へ着くことができた。


「この先に、みきの曲がった木があります。そこで止まって下さい」


 手綱を持つ腕で囲むように支えられているナタリーが、前方右側を指さした。

 その先には確かに一本だけ、右に大きく湾曲わんきょくした木があった。馬上からナタリーを降ろし、ここで待ってろとルーベンが指示すると、馬は了承したように首を振った。


 枝葉えだはの先まで黒い雷號樹バルノアの森は、真昼であっても仄暗ほのぐらい。雨であれば尚更のことで、手提てさげの魔鉱燈まこうとうを灯さねば十歩先も危うかった。


 外套がいとうの下で剣を握る手に力を籠めながら、ルーベンは迷いなく獣道を歩いていくナタリーの後へ続く。


「なぁ、ナタリーはいつもここに来てるのか?」

「最後に来たのは、春の始め頃でしょうか。母の調子が悪くなってしまったのと、魔物が多く出てきたことで最近は来れていなかったんです。薬草が荒らされていないといいんですが……」

「お母さんがどんな病気か、聞いてもいいか?」

「……『紫骸病』です。六年ほど前に病気にかかって、二年前に寝たきりになってしまいました」


紫骸病しがいびょう』は、現段階で有効な治療法のない難病だ。腕や足に紫斑しはんができ、骨が異常な発達をする。例えば、真っ直ぐであるはずの前腕ぜんわんの骨が魚のひれのような巾広はばひろのものに変形し、肉を突き破って出てくる――その頃には紫斑しはんが全身に回り、死んでしまう。

 症例しょうれいが少ないことから研究も遅々として進んでおらず、今は骨の変形に伴う激痛を緩和かんわさせる鎮痛薬ちんつうやくを飲むしか対処はできない。


「お父さんは? ブランシェールで働いているのか?」

「父は……今、どこにいるのか……。四年前に出稼ぎに行ったっきり、帰ってないんです。北の炭鉱で仕事を見つけて、手紙やお金を送ってくれていたんですが……それも二年前に途切れてしまいました」

「そうか……悪かったな、辛いこと聞いて」

「いいえ、誰だって辛いことのひとつやふたつはあります。確かにお父さんから連絡がないのも、お母さんの病気がどんどん進んでいるのも、悲しくて寂しいことですけど、ふたりとも言っていました。『何事にも素直に優しさを持って生きていれば、必ず女神様は見ていてくださる』って。だから、またお父さんとお母さんと三人で仲良く暮らせますようにって、毎日朝日にお祈りをしてるんです」


 そう笑うナタリーの顔は、身の上に降りかかった不幸を一切感じさせない、晴れやかなものだった。ルーベンにはその気丈きじょうさがまぶしくて、いじらしく思えた。


 背の高い草をき分けて、ナタリーが森の奥へと進んでいく。やがて、巨岩の間を転がり落ちるような小川おがわに着いた。雨のせいで水嵩みずかさと勢いは増しているが、けられた古い吊り橋をさらうほどではない。

 揺れる橋を渡り、また一見すると風景の変わらない森の中を進むと、ひらけた場所に出た。背の高い赤い花がまとまって咲いており、その根元にナタリーが膝をつく。


「ありました!」


 小さな手を泥にまみれさせながら、あおがかった小さな草をルーベンに差し出した。丸い葉の形と、根元が赤いくきは確かにロアン草の特徴だ。それは十五歩ほどの範囲に、花と共に地面を埋めるほど生えていた。


「本当にあった……ナタリー、お手柄だぞ! だが、何でこんなところに……?」

「基本的にロアン草は日の当たる場所であればどこでも育つんですが、たまに暗い森の中でも成長することがあるんです。この赤い花はルジャといって、ロアン草の根に自分の根を絡めて共生します。花には毒があって獣とかが寄りつかないから、ロアン草も安心して育つことができるんだと思います。その分、ロアン草が吸収した栄養をルジャにもあげているんですよ」


 毒があると聞いて、ルーベンはルジャの剣先のような細い花弁に伸ばしていた指を引っ込めた。鼻の奥を殴りつける甘ったるい芳香ほうこうも、獲物を惑わせる餌なのだろう。


 メルジュ病の薬になるのはロアン草の葉の部分であるが、根も咳の薬になる。ふたりで複雑にからむルジャの根を避けながらロアン草だけを採取さいしゅしていると、ルーベンの耳がかすかな葉擦はすれの音を聞いた。


 ルーベンは弾かれたように剣のつかに手をかけ、周囲に視線を滑らせる。突然動いたルーベンに、ナタリーが戸惑ったように顔を上げた。


「だ、旦那様? どうかしましたか?」


 ナタリーの言葉を短く息を吐いて制し、木立こだち隙間すきまに目をらす。

 針のような白い雨雫あめしずくが横切る視界――その端で、低木の葉が不自然に揺れた。

 絵の具で塗り込めたような仄暗ほのぐらい霧の中にふたつの赤い光が浮かび上がった。


 それはふたつずつ増えていく。あっという間に十六個になり、鍋から蒸気が漏れるようなシュウシュウという呼吸音が聞こえた。


「宵闇の魔物か……!」


 闇が明確な輪郭りんかくを持ち、太い四肢を持つヴォルネを形作る。ドロドロと黒い油のようなよだれをしたたらせ、ふたりの周囲をゆっくりと歩きながら、距離を確実に詰めていく。


「ど、どうしましょう……旦那様……」


 ナタリーが両目に涙を浮かべながら、ルーベンの背中にすがる。その頭に手を乗せて、安心させるように優しく撫でてやった。

 ルーベンは腰に巻いていた鞄から黒く薄手の外套がいとう――薄霧翅モーシュを出し、ナタリーに頭から被せる。すると彼女の姿が、すっと影に溶けてぼやけた。


「ナタリーはこのままロアン草の採取を続けてくれ。魔物は俺に任せろ」

「で、ですが……」

「なんだ、不安か? うーん……突然だが、ナタリーはいくつだ?」

「え? じゅ、十歳になりましたが……」


 唐突とうとつな問い掛けに、疑問符を瞳に浮かべながら答えたナタリーに、ルーベンは頭をいた。


「十歳か……じゃあ知らなくても仕方ねぇかなぁ。これでもオジサンはな、昔は聖騎士だったんだぞぉ」

「え……えぇぇ!?」

「そんな驚くことかねぇ? ……ま、そういうことだから、安心して薬草に集中してくれ。ナタリーの方には魔物を行かせねぇさ、絶対にな」


 ルーベンは剣を引き抜く。厚く重なる鈍色にびの雲と枝葉えだはから漏れる太陽のかすかな光を受けて、白銀の剣身けんしんきらめめいた。


 飛びかかってきた狼の牙が己の首に届く前に、その胴を両断する。狼はびた金属を擦り合わせたような断末魔を響かせて、黒い泥になって消えた。

 足元に迫るあごを蹴り上げ、腕を振り抜いて二匹を同時に切り裂いた。一匹、また一匹と斬り殺す度に、影から新手の魔物が現われる。


 キリがねぇな――そう思った時、ナタリーの引きった吐息が聞こえた。

 薄霧翅モーシュは姿を隠せても、匂いや音は隠せない。運悪く匂いを嗅ぎつけられてしまったのだろう、一匹の魔物がナタリーに狙いを定めていた。


「や、やめて……こないで……!」


 狼がナタリーを目掛けて跳躍する。黒く歪な牙が噛んだのは彼女の喉笛のどぶえではなく、白銀の刃だった。

 ルーベンの剣が魔物を口から腹まで貫き、骨ごと両断する。地面に落ちた死骸を蹴飛ばせば、泥の塊を蹴ったような感触がした。


「――さぁ、次はどいつだ? 向かってきた奴から斬ってやるよ」


 ルーベンは剣の切っ先を狼へ向け、低く告げる。

 しかし、十五体ほどほふられて、魔物は勝ち目がないことを悟ったのか、闇の中へと逃げ去っていった。しばらくルーベンは警戒するように辺りを見渡し、気配がなくなったことを感じ取り剣を収めた。


「悪い、ナタリー。そっちに行かせねぇって言ったのに、約束破っちまったな。怪我はねぇか?」

「いいえ、大丈夫です」

「そりゃ良かった。……あーあ、俺も年かねぇ? 小せぇ魔物にてこずったなんて、ヴィンスに笑われちまう」


 ルーベンはナタリーを助け起こし、彼女の外套がいとうについた泥を払ってやる。

 風が吹いて、雨が強くふたりの身体を叩いた。目的だったロアン草はナタリーの籠いっぱいに採取できたから、また魔物に見つかる前に森を出ることにした。

 来た道を引き返し、みきの曲がった木の下に水玲馬アノールはいた。先程の魔物には襲われなかったようだ。

 ルーベンは来た時と同じように、ナタリーをくらの前方に乗せて小さな体を両腕で支えるように手綱たづなを引いた。


「全速力で帰るぞ、ガルディ! ナタリーも降り落とされるなよ!」

「はいっ!」


 泥を蹴りながら黒い森を抜け、魔物も幻獣も振り切って街門がいもんを潜ることができた。

 本来は街中まちなかでの乗馬は危険で禁止されているが、今は雨で人通りも少ない上、緊急事態だ。細い裏道を駆け抜け、セオドールの診療所に着くと籠ごとナタリーを抱えて馬上から降りた。そのまま勢いよく診療所へと飛び込む。


「薬草採ってきたぞ、セオドー……ル……」

「お帰りなさい、ルーベン」


 帰還の挨拶を述べたのは、待合室の長椅子バノットに座り悠然ゆうぜん小杯ピクレを傾けるヴィンセントだった。彼は茶を飲み干し、組んでいた足を解いて笑顔でルーベンへ歩み寄る。青褪あおざめて口元を引きらせたルーベンから、ナタリーをひょいと抱え上げ、丁寧に床に降ろした。


「旦那様は……あの時ヨスガくんといた、聖騎士様?」

「事情はセオドール先生から聞いております、ナタリー嬢。さぁ、薬草を早く持って行って差し上げてください」

「あ、はい、失礼します!」


 奥の病室で待つセオドールへ向かうナタリーの背中を見送った後、ヴィンセントがくるりとルーベンへ向き直る。氷のような笑顔だ。


「貴方はこちらでゆっ……くりお話ししましょうか。騎士団の厩舎きゅうしゃに正規の手続きを踏まずに無断で立ち入り、私のガルディを勝手に連れ出しましたね?」

「いや、えっと、それはその……訳があって……」

「言い訳は外で聞きましょう。治療にさわりますからね」


 ヴィンセントに襟首えりくびを掴まれ、ルーベンは雷も鳴り始めた屋外へ引きずられて行ったのだった。

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