新しい暮らし ―街へ―
「さて、まずは近い店から回っていくか。馴染みの服屋があるんだ……って、おいおいヨスガ、余所見して歩いたら危ないぞ」
「す、すみません……! 他の人種の方は見慣れないから、つい目が行っちゃって……」
「そうか、お前の世界にはいなかったのか」
先刻ヴィンセントから軽く説明されたが、クレイスト大陸には人間の他に三つの種族が存在しているという。
動物の特徴を持つ獣人。三角の長い耳を持ち魔法に長けた少数人種の総称である亜人。大きな角と鱗を持つ竜人――見た目も文化も異なる多くの人種が、ブランシェールでは争うこともなく暮らしている。
武力を以て他部族に侵攻することは、法律で禁じられているらしい。人間だけが暮らす地球でも戦争は絶えず起こっていたから、法律程度で防げるのかヨスガは疑問だった。しかし、ルーベンが言うには歴史上で関係が悪くなっても武器を使った戦争は、一度もないという。
実際、ルーベンは擦れ違う他人種の人々と明るく挨拶を交わす。彼は顔が広いようで、街道を数歩歩けばすぐ誰かに声をかけられた。
時には二歩後ろに佇むヨスガについても聞かれた。その全てに、彼は「身寄りのなくなった遠縁の子供を引き取った」と説明する。
「ヨスガが予言の子であることは、なるべく秘密にしろと神殿から言われたのさ。変に噂が立ったら、お前も俺も普通に生活することがままならなくなっちまう。店が有名になるのは大歓迎だが、悪い意味で目立つのは勘弁だしな」
「じゃあ、僕も話を合わせた方がいいですね」
「そうしてくれると助かるぜ。ヨスガは察しがいいなぁ」
ヨスガの仮の素性など細かいことは後で考えることにして、目的地の服屋に着いた。
木を燻したような煙たい香りに、鼻をひと撫でされる。壁一面の棚に詰め込まれた色とりどりの布と糸、そして猫を象った木彫りの工芸品に出迎えられた。
カウンターの奥で細かく手を動かしていた人影が、ドアベルに気づいて振り向いた。
黒い斑紋に彩られた茶色い毛並みと、ツンと立った幅広な耳を持つ猫の獣人だ。
「オヤ、おはようルーベン。今日は随分とお早いじゃないか。またジャクリーンに叩かれて尻でも破いたのかい?」
「おはようさん、クリスティーナ。俺がいつもケツを破いているような言い方はやめてくれ。今日は子供用の服を探しに来たんだ」
「子供だって?」
クリスティーナと呼ばれた獣人の女店主は、刺繍の手を止めてかけていた丸眼鏡を外す。
ルーベンの背中に隠れているヨスガに、彼女は首を傾げた。
「オヤオヤ、このおチビさんはどうしたんだい。ルーベン、アンタまさか攫ってきたんじゃないだろうね?」
「ンなことするかよ! 遠縁の子を預かることになったんだが、急な話だったもんで服が少ないんだ。下着とか季節ものとか、数着くらい見繕ってくれねぇか?」
「ふゥん、なるほどねェ。確かに、この街とは少し違う匂いがするよ」
「分かるんですか?」
「獣人の鼻をナメるんじゃないよ。マ、そういうことなら任せな。ここは赤ん坊の産着から年寄りの死装束まで揃う、最先端の服屋だからね」
おいで坊や、とクリスティーナに腕を引かれるまま、ヨスガは床から天井まである大きな姿見の前に立たされる。
メジャーで胸囲や腰回りだけでなく、肩幅や手足の長さと太さ、足の裏まで測られ、ヨスガはただされるがままに立っていた。
「今流行りの色は深い緑なんだけど、ちょっとこの子には渋すぎるかねぇ。ルーベンに預けられたってことは、坊やは騎士を目指しているのかい?」
「はい、一応……」
「そうかい。だったら、こっちの薄紅色はやめておこうかね。未来の騎士様には、ちょいと柔しすぎる。鮮やかな黄色や青なんてどうだい?」
「ちょっと地味じゃないか? もっと全体に模様とかあった方が……」
「アンタにゃ聞いてないよ」
いくつか布を当てられた後、クリスティーナから勧められた普段着と麻の寝間着に下着、それから稽古着をルーベンが買った。最後までもっと柄の多い派手なものを、とルーベンはボヤいていたが、クリスティーナの眦の吊り上がった緑の瞳に鋭く睨まれて、すごすごと口を噤んでいた。
「またいつでも来な、坊や。ルーベンはああ見えて面倒見は良い。けど、いつまで経っても悪ガキみたいなモンだから、真似はするんじゃないよ」
「は、はい……」
「余計なことをヨスガに吹き込むな、クリスティーナ! 服、ありがとな。また来るぜ」
大きな牙を見せてケラケラと笑うクリスティーナに礼を言って、ヨスガは服屋を出た。
ルーベンが次に向かったのは、深緑色の蔦が建物全体を覆う雑貨屋だった。一見しただけでは廃屋のように見えたから、ルーベンが蔦を掻き分けて入っていったことにヨスガは驚いた。
よく晴れた朝だというのに、店内は薄暗かった。花の形をしたランプがひとりでに灯り、ヨスガたちや背の高い陳列棚がほのかに照される。
ぼんやりとした光の先には、大きな書斎机が置かれていた。その上に乱雑に積まれた本や紙、何に使うのか見当もつかない道具に埋もれていた、淡い金の髪をルーベンがつつく。
「起きろ、ヨナタン」
「ん……? あぁ、ルーベンじゃないか。こんばんは、夜遅くにどうしたんだい?」
「もうとっくに日も昇ってるぞ。ほら、客の前なんだからシャキッとしろ」
ルーベンに肩を揺すられ、顔を上げたのは宗教画の天使のような容姿の少年だった。
ヨナタンと呼ばれた彼は椅子の上で大きな背伸びと欠伸をすると、寝惚け眼をこすりながら頬杖をつく。
「ようこそぉ、今日は何をご希望かな?」
「生活用品を見に来たんだ。今日からウチにひとり増えるもんだから、食器とか色々と入用でよ」
ルーベンがヨスガを指し示すと、ヨナタンの青い目がわずかに見開かれた。二度瞬きをした後、ルーベンに向かって怖々《こわごわ》と口を開いた。
「……誘拐?」
「お前もか。攫ったりなんてしてねぇよ」
「じゃあ隠し子とか? よくジャクリーンが許したね!」
「もっと酷い想像するな! ヨスガは誘拐したわけでも不義の子でもねぇ! 俺の遠縁の子だよ!」
ヨスガもルーベンの言葉を保証するように大きく頷くと、ヨナタンも信じてくれたようだ。彼は大仰に胸を撫で下ろす。
「いやぁ、ごめんごめん。ついにルーベンが人の道から一線を越えたかと思っちゃった」
「失礼な奴だな、本当に。適当に店内見て回るぜ、いいよな?」
「いいよいいよ、ご自由にぃ」
間延びした声を上げて、ヨナタンはまたふわりと欠伸を浮かべて頬杖をつく。なんだかもうひと眠りしてしまいそうだった。
陽の光が入らない中、商品が整頓されていない棚をつぶさに見ていくのは想像以上の根気と時間が必要だった。ヨスガは商品を落としてしまわないよう気を付けながら、棚の奥まで確認していると、肩を誰かに軽く叩かれた。
ルーベンかと思い振り向くと、目の前にあったのは彼でもヨナタンでもなく、細い葉を枝垂れされた蔦だった。屋内にも張り巡っていたそれは、まるで礼をするように上下に動いた。
「わっ!?」
「どうした、ヨスガ!?」
思わず上げた悲鳴は高い天井に響き、聞きつけたルーベンがすぐに飛んできた。二度寝をしようとしていたヨナタンも歩み寄ってきて、ヨスガの反応に焦ったように葉を揺らす蔦を見て軽く笑った。
「驚かせちゃったね、でも危険はないから大丈夫だよ。こいつはボクが研究の末に完成させた、植物に似せた魔導具さ」
「ヨナタンは魔導具の職人でな。ここにあるガラクタみたいな物とか、全部こいつが作ったんだ」
「ま、まどうぐ……?」
「あれ、知らない? キミってどれだけ田舎から出てきたの? まぁいいや、魔導具っていうのは、名前の通り魔力を込めて作られた工作品のこと。子供の玩具から騎士の武器まで幅が広くて、どれだけ便利で独創性を出せるかが職人の腕の見せ所と言われていてね……――」
先程までの眠そうな態度とは打って変わって、彼は碧玉の瞳を爛々《らんらん》とさせながら早口で説明を始めた。しかし、内容はどんどん専門的になっていき、ヨスガの頭では理解しきれないまま置いてきぼりになってしまった。
それはルーベンも同じようで、慣れている様子で「ああなると長いんだ」と溜息をついた。
「ま、放っといてもいいだろ。食器と卓上の魔鉱燈は見つけたから、ついでに家具も見てくか」
「あの、僕はどれだけ古くても大丈夫ですから、そんなに買わなくても……」
「新しい生活を送るんだ。なるべく新調した方が縁起がいいっていうだろ? ……お、この外套掛けもいいなぁ」
ヨスガがどれだけ遠慮しても聞き入れられず、結局、本棚や机などの家具もいくつか購入することとなった。家具類は後でヨナタンが店まで届けてくれるらしい。ヨスガより少し年上くらいの子供のような出で立ちで、大きく大量の家具を運べるのかと心配したが、運搬用の魔導具があるから問題ないそうだ。
店を出る直前、ヨスガはまた蔦に肩を叩かれた。赤ん坊の掌のような形の葉の上に、小さな壺が乗っている。
あげるよ、と言ったのはヨナタンだ。
「それはボクから未来の騎士への餞別さ。子供の少ない魔力でも作動する『枯れない墨壺』だよ。騎士になるなら腕っぷしだけじゃなくて、頭の中身も磨かなきゃね。使い方はジャクリーンに教えてもらうといいよ」
「ありがとうございます。大切にします」
「うんうん、素直な子供は好きだよ。またね、不思議な魔力のキミ」
ヨナタンはひらひらとおざなりに手を振り、ふたりが店の扉を潜るのも待たずに再び机に突っ伏してしまった。
建物に巻き付いている蔦に見送られ、ヨスガたちは別の路地へと入っていった。ヨスガに土地勘はまだないが、どこへ行っても小高い場所にある神殿が目に入るから、街のどの辺りにいるのかはおおよその予想は立てられた。今は北側へ向かっているらしい。




