第六話 出会いイベント
「ねぇ、そんなベタなやり方で本当に上手くいくの?」
エリィの提案したライノルト殿下との出会いは、まんま悪役令嬢モノの腹黒ヒロインのやり方そのものだった。
「攻略対象との出会いは全て同じ。入学式に満開の桜並木を走るヒロインが転んで、それを通りかかった攻略対象が助けるの」
『遅刻、遅刻〜!』ってか? 昭和過ぎじゃない?
「安心して。トースト咥えろとは言わないわ」
エリィの真剣そのものの物言いに、かえって笑ってしまった。
* * *
寮の食堂で朝食を食べて、自室に戻って制服に着替える。エリィとは別々に登校するらしい。出会いイベントは私ひとりで乗り切らなくてはいけない。制服のジャケットに袖を通すと、不思議と気合が入る。
今日は入学式とオリエンテーションのみなので、カバンの中身は日記帳と筆記用具、ハンカチ、リップクリーム程度。日記帳はエリィが持っていたものと同じだ。これに日々の出来事、攻略メモなどを書いてゆく。
その攻略情報は、私がトゥルーエンドへと辿り着けなかった際に使うのだろうか。今のエリィのようにサポートキャラになって。その場合、エリィは……。
寮の玄関を出ると、学校まではほぼ一本道だ。桜並木は思っていたよりも長く、壮観だった。
春のそよ風というには強すぎる風が後ろから吹き、私のピンク色の髪をかき乱す。桜の枝がザワザワと揺れて花びらが舞う。人気のない並木道はピンク一色だった。
「誰もいないじゃない……。こんなでちゃんと出会えるの?」
誰もいないのは、時間のせいだろう。そろそろ入学式が始まる。このまま歩いては間に合わない。だからヒロインは走るのだ。
カバンからヘアゴムを取り出して、高い位置で結びポニーテールをつくる。カバンをショルダータイプにして背中へと回す。靴紐をキツめに結び直して足首をグルグルと回す。どうせ走るのならば本気でいこう。
私は高校も大学も陸上部だった。
とはいえ、全力疾走は就活のために陸上部を引退して以来だから、四、五年ぶりだ。足が上手く動くのかも自信がない。ましてや、この身体は本来の私のものではないのだ。
けれど私はときめいていた。攻略対象に出会うからじゃない。誰もいない桜舞い散る真っ直ぐな道を、全力疾走するというシチュエーションにだ。これはもう陸上部のサガだろう。
流れるようにクラウチングスタートの体勢をとると、そのタイミングでカーンカーンと鐘が鳴りはじめた。それは私にはスタートの合図に聞こえた。
斜め前方へと身体を投げ出す。低い体勢から地面をとらえた最初の一歩を、思い切って前方への推進力に変える。
路面の状態は悪くない。高校の校庭よりは良いくらいだ。そしてヒロインのポテンシャルもなかなかのものだ。若いってすごい。そういえば朝のスキンケアの時にもびっくりした。化粧水がスーッと肌に馴染んで、あっという間にモチモチ肌だ。
ぐんぐんと並木道が後ろに流れてゆく。時折り花びらが顔を打つが、それすらもテンションが上がる。鳴り続ける鐘の音にリズムを合わせて走る、走る、走る!
気持ちイイ!
校門までの距離は約半分、100メートルほどだろうか。この調子ならば鐘が鳴り終わるまでに校門へ走り込めるだろう。
自然に口角が上がり笑顔になる。客観的に考えるとヤバイかも知れない。
満面の笑みを浮かべて陸上競技のペースで桜並木を激走する新入生だ。案の定、入学式の案内係りであろう女生徒のギョッとした表情が目に入った。
その時若干の羞恥と共に、私は本来の目的を思い出した。
転ばなければ!
もしこの勢いで転んだとしたら。絶対に『痛ぁ〜い♡』では済まない。このまま出会いイベントが発生して、ライノルト殿下とぶつかったりしたらお互いに無事ではないだろう。王族に怪我を負わせても、ヒロイン補正でなんとかなるのだろうか?
だが、校門前で急にスピードを緩めて転び、『痛ぁ〜い♡』などとやるのは、余りにも不審人物が過ぎる。
こ、転ばねばならん! なぜならこの出会いには二つの命が賭かっているのだ。
覚悟を決めて足首を内側に倒す。ガキッと嫌な音がして身体が前方に倒れた。勢いは止まらずに、ゴロゴロと三回半、校門へと転がり込んだ。
これは……選手生命が断たれたかも知れない。痛みと絶望感でうめき声と涙が出る。
いやいや! 私はすでに陸上選手ではなく魔法学校の新入生なのだ。選手生命は関係ない。人間は全力疾走出来なくても生きてゆけることを、私は知っている。
だがしかし。無理矢理捻った足首は折れている気がする。半端ない痛みで目の奥に火花が散る。
「あ、あなた、大丈夫?」
声をかけてくれたのは、先ほど目が合った門の前に立っていた女生徒。私と同じ制服だがリボンのが臙脂色だ。私の学年は水色だからおそらく先輩なのだろう。
先輩の問いかけにフルフルと首を横に振って応える。痛みでうめき声しか出てこない。だが根性で『痛ぁ……い♡』と言ってみる。しばらく待ってみたが助け起こしてくれるライノルト殿下は現れてはくれなかった。
額から血を滴らせての渾身の『痛ぁ……い♡』は、最後の鐘の音と共に風に流れて行った。
口の中も切れているのだろう、血の味がした。固形物が舌にあたり、手のひらに出してみると、どうやら歯が折れたらしい。思いの外の大惨事だ。
私の手のひらの歯を見た先輩が、真っ青になってへなへなと座り込んだ。被害が拡大しているが、私自身も限界だった。
徐々に目の前が暗くなり、私は意識を手放した。