第二話 乙女ゲームの世界
彼女の名前は『エリィ』。ゲームに登場した、主人公のルームメイトでありサポートキャラだ。主人公であるユーザーに、学校のことやゲームの進め方について教えてくれる。
「一時期、『〇〇しないと出られない部屋』って流行ったでしょう? あんな感じよ」
目の前のエリィも役割りは同じらしい。戸惑いしかない私に、説明をはじめた。この際なので、色々質問してみることにした。
「どんな原理なの? VRゲームみたいな感じ?」
「その質問には答えられないわ」
「エリィは運営の人間じゃないの?」
この場合、運営はどういった存在なのだろう。人智を超えた存在か、あるいは未来人……?
「……とにかくあなたには、このゲームをプレイするしか選択肢がないの。攻略対象の好感度を上げて、トゥルーエンド(真のエンディング)を目指す。やり直しもリセットも出来ないし、もちろんログアウトも不可能。バッドエンドは……文字通りよ」
エリィが親指を立てて首に当て、スーッと横に引いた。
「王国ごと、この大陸が瘴気に染まるわ。魔物以外の生き物は全て死に絶える」
そうだった。私は元々ファンタジー系のRPGゲームが好きで、乙女ゲームをはじめようと思った時もその要素があるものを選んだのだ。この乙女ゲームには、魔物とのバトルや戦闘力のステータスがある。
「やり直しが出来ないって……私も死んじゃうってこと?」
「わからない。でも、そうかも知れない。どうする? 試してみる?」
エリィが自嘲の混じった、ニヒルな笑みを浮かべた。人畜無害なサポートキャラとは思えないクワセモノ感だ。
「バッドエンドが全滅なら、他のエンディングはどんな感じなの?」
「私はノーマルエンドしか知らないわ」
「ノーマルだけでも知りたい。教えて」
「瘴気の発生源である魔界の扉を、攻略対象者と一緒に封じる。それがノーマルの条件よ」
「エンディング後はゲームから出られるの?」
「今が……私が、ノーマルエンドの成れの果てよ。サポートキャラになって、次のヒロインを導く。だから、私とあなたは一蓮托生なの。たぶん……私にはもう、後がない」
エリィの声は切実で、私を深刻にするには充分な響きを持っていた。私は笑い飛ばすことも、エリィを振り切って逃げ出すことも出来なくなった。
「信じる信じないは別にして、とりあえずあなたの話を聞くしかないね……」
「ええ、座ってちょうだい。お茶を淹れるわ」
* * *
「あなたが攻略するのは、第三王子のライノルト殿下。資料の二枚目の方よ」
茶封筒から、クリップで止めた資料を取り出して渡された。
「乙女ゲームなのに、資料は紙媒体なんだね」
ゲーム世界なのになぜアナログ。ここはシステムウィンドウが開いて、テキストによる説明文が表示される場面ではないのだろうか?
それに魔法学校や王子殿下と、現実で見慣れた銀色のクリップや印刷された資料にも違和感がある。世界観で言ったら、羊皮紙に羽ペンがふさわしいのでは?
「……細かいわね。そんなことを気にしてる場合じゃないのに……」
エリィが、半分独り言のように呟いた。私がエリィの説明の綻びを探していることが気に入らないようだ。
ここが乙女ゲーム世界で、攻略を成功させないと死んでしまうなんて、受け入れられるはずがない。私は今の状況が馬鹿馬鹿しい茶番である証拠を、必死になって探していた。
けれど……『だったらどういう状況なのか』という自分の疑問の答えが、どうしても思い浮かばない。
なぜなら、エリィに促されて見た鏡に映っていたのは、いわゆる『ピンク髪の小動物系ヒロイン』そのものだったから。
あまりに元の自分の姿とかけ離れているので、鏡ではなく映像かもと思って、鏡の前で妙な動きをしてしまった。
ピンク髪の美少女は、私と同じ動きをして、絶望的な顔になった。
「何なの? その変な踊り……」
エリィに胡乱な目つきで眺められた。
「ねぇ……これって『ざまぁ』されちゃうタイプのヒロインじゃない? 悪役令嬢に……」
淡いピンク色の毛先を、指で弄びながら聞いてみる。手触りといい、反対に擦った時の軋み具合といい、作り物とは思えない。引っ張ったら痛かったので、カツラの可能性が消えた。
「悪役令嬢? なにそれ」
「エリィは令嬢モノのの小説とか漫画は読んだことないの?」
「ええ、読まないわ。ゲームは好きだけど」
『悪役令嬢』は、ゲームよりは小説や漫画の人気ジャンルに登場する。ヒロインを虐める性格の悪いライバル役の女性が、実は転生者や憑依者で……という設定だ。
悪役令嬢たちは前世や過去の記憶を頼りに、原作や元々の人生に抗い、幸せな人生を勝ち取る。このジャンルの真の悪役は、色仕掛けやあざといぶりっ子で悪役令嬢の婚約者を誑し込むヒロインや、悪役令嬢を毛嫌いして貶める婚約者である。
その『悪役令嬢モノ』を象徴する、性悪で女の武器を躊躇なく使う真の悪役こそ『ピンク髪の小動物系ヒロイン』なのだ。
そんなピンク髪の少女を、私はさっき見たばかりだ。……鏡の中で、私と同じ動きをしていた。
「難易度が……」
思ったよりも低い声が出た。とてもではないが、ピンク色の髪の毛の可憐な少女の口から出たとは思えない。
「難易度が高すぎる! 二十六歳喪女の恋愛偏差値舐めんなよ! 普通の恋愛さえ敷居が高いのに、こんな美人の婚約者がいる王子様とか無理……!」
ピンク髪ヒロインは、令嬢ジャンル全般でこれでもかというくらい性悪女として描かれて、最後にはとんでもなく酷い目に遭う。国外追放や幽閉は良い方で娼館に売られたり、処刑まである。
その一連の流れは『ざまぁみろ!』という意味で『ざまぁ』と呼ばれている。
あざといぶりっ子も、悲劇のヒロイン気取りのイジメ捏造も、もしかしなくても色仕掛けも。
これから私は、生きてゲームから脱出するために、ライノルト殿下相手に繰り出していかなければならないのだろうか。
少しの心も伴わない相手を、自分の都合でたらし込むのだ。性悪女で間違いない。
「悪役令嬢……ピンク髪ヒロイン……『ざまぁ』回避……絶対、無理!」
テンパっている自覚はある。認めたくない。信じたくない。一度寝て『起きたら夢落ちだった』ってならないだろうか?
「出来る出来ないの話じゃないの。二つ命を背負ってるのよ。やってもらうしかないわ」
自分とエリィの命……だろうか。勘弁して欲しい。そんな重い荷物を背負って、何の因果で好きでもないキラキラ王子を口説かなければならないのか。
頭を抱えたい気分を落ち着かせるために、エリィに渡された資料に意識を落とす。パラリと一枚めくり、二枚目。
『カルディア王国 第三王子 ライノルト・アルドバルド・カルディア』
資料には絵姿が添付されている。
無雑作に整えられた柔らかそうな金髪、夏空のように澄み切った青い瞳……。わずかに垂れた目尻が、作り物めいた顔立ちを絶妙のバランスで色気へと変換している。
写実的な絵の中で、現実にはとても存在するとは思えないようなイケメンが微笑していた。
「ダダ漏れフェロモン系王子……!」
現実にいたら、確実に痛いやつ来た……。




