マスクのある日常
マスクが必要になった生活は最初自分たちにとって不慣れで、邪魔で、いつまで身につけないといけないんだろうと不安を掻き立てるものでしかなかった。身につけていないと目線を感じる、それによって指を指されたり、口々に何かを言われる人もいただろう。そんな生活が当たり前になって丁度1年ぐらい、それはあんなに邪魔だった存在が当たり前になり、逆に身につけていないと違和感さえ覚えるようになってしまったことは事実であった。家を出る度にマスクを身につけていないと分かると焦って取りに戻るくらいには当たり前になった。逆にマスクを身につけていない人が目立つくらいには生活をするには必需品である。
以前はマスク等まったくと言っても良いほど身につけることのなかった私もまたマスクは当たり前の生活になっていた。
呼吸がしずらく、顔に身につけるマスクは違和感でしかなかったのにいつの間にか当たり前になって、身につけるのが当たり前になったマスクを今日も今日とて身につける。
私はマスクをして外に出て、人があまりいないことを確認してからマスクを外すその瞬間が好きだ。
太陽の暖かな日差しとまだ春には早い冷たい風を頬全体で受けて、爽やかな空気の香りを鼻で感じて、ああ、いい天気だと思う瞬間が好きだ。冷たい風と一緒に誰かの香水の香りや飲食店からするいい香りがすればまた1日が始まったんだと実感できる。
雨の日も、ふとマスクを外したら雨の香りを感じるのも好きだ。憂鬱になるはずの雨がその時はまた別のものへと変わる。雨が降る前の湿った香りも、降った時の香りもマスク越しでは分からない。色々なものを遮断しているものから解放された時はその光景や本来感じる香りや頬に触れるはずの風がこんなにも本来心地いいものなんだとわかる。木々の揺らめきも葉の揺れる音も、車のエンジンの音も実際香りや感触に関係の無い音も1つ人間の大切な日常を感じるべき場所を遮断されていては何かが欠けているような感覚になり、そしてそれが開放されただけでもまた格別に感じる。
朝、仕事に行く時。仕事から帰る夜の道、休みの買い物の途中、夕方、夕飯の買い出しの帰り、ふと周りに人が近くにいないと思った時マスクを外したらきっとすぐそこまで来ている春を強く感じることだろう。
息を深く吸い込んで、吐き出した時にあぁ、こんなに空気は心地のいいものだったのかと思う。
こんな爽やかな空気とこんないい天気なら、もしかしたら何か素晴らしい出会いと青春が始まるかもしれない、なんて思う。来ないけれど。
時折強く吹く強い風もあと少ししたらきっと暖かな風になる、花粉症の人からしたら今の時期からかなりキツいものだろうが、それでも春はやってくるのだ。
私は花粉症ではないから大丈夫ではある。
ふと空を見上げるのも好きだ、仕事で疲れて何でこんなことをしなくてはいけないのか、また今日の仕事も嫌だと社会人ならば思う瞬間があるだろう、私にはある。そんな時、ふと天気のいい空を見上げると少しだけ気分が軽くなる。真っ青な空と雲をふと立ち止まって見上げるだけで頑張ろうと思う。
たまに空って見ないとダメなんだな、と同時に思ったりするが同じように感じる人はいるだろうか。
マスクを悪いとは思わないけれど、普段感じていた当たり前のものを感じられなくなると寂しく感じるもので、暖かな日差しや少し冷たい風が心地いいと思う、それがまた普通になるといい。いつ、また普段からマスクをしなくて良くなるのか、もうこれからずっとマスクは付けたまま過ごす事になるのか、それはこの世界で誰も知らないことで、全員ではないかもしれないけれど少なからず私はマスクを毎日しなくてもいい、そんな日がまた来るといいなと思う。
また皆が桜の木の下でお酒を飲んで美味しいものを食べたり、ビーチでバナナボートが暴れ狂っていたり、雪が積もればかまくらを作って中で皆で鍋がしたい。
いい天気だねえ、と空を見上げて散歩をしたり雨が続きますなぁと傘を並べて皆も同じように雨宿りしてるのを見て自分たちも何処かカフェに入ったり、紅葉を見に遠出をしたり、年が開ければたくさんの人がいる神社へ初詣でも行きたい。
それが当たり前になって、周りを気にしないでその時の空気とその季節と、風を感じられるような、そんなまた毎日に戻ることを私は祈っている。
メモに残っていた、いつ書いたか覚えていない話の供養です。




