「明日を生きて死ね」
先に言っておこう。
これは、一人の男が英雄になった話だ。
妻を持ち、子を持つ男が、どちらでもない一人の少女のために英雄になった戦い。
その戦いの詳細を知る人は居らず、人知れずその戦いは始まり、そして終わった。
しかしながら、あの男の偉業は世界に認められ、そして詠われることになる。
それでは、オレも語るとしよう。
男の争いを見届けた、ただ一匹のオレが。
題名に相応しいのは、やはりこの言葉。
英雄を英雄たらしめた、願いの咆哮。
あの男が絶対にと掲げた、誓いの咆哮。
魔族という邪悪との戦争で、国ではなく一人の少女へと捧げた、生命の咆哮。
『明日を生きて死ね』
*
────男が初めて『勇者』を見たのは、仲間がみんな、死体となった中だった。
怒りと決意と共に、魔の者に剣を振るう姿だった。
────男が初めて『彼女』を見たのは、仲間と敵がみんな、死体となった中だった。
「ありがとう」と何度も感謝の言葉をぶつけ、涙を流し、男を抱きしめる姿だった。
────その時の戦い……いや、『出来事』は、あまりに凄惨だった故に、『血壊の死線』と呼ばれ、その中で生き残ったのは男を含めて、たった2人だけ。
────生き残った男は、もう一人の生き残り……『勇者』と共に英雄と担ぎ上げられた。
しかし男はただ戦場の恐ろしさに自らの身だけを案じていた、ただの臆病者で。
────生き残った『勇者』は、そのあまりの力に畏怖された。
しかし『彼女』は人々の死を悼み、遅れる自らを嘆くただの少女だった。
男は自身を、仲間たちの屍の下に埋もれて生きのこった、臆病者だと理解している。
おぞましい光景を見ていることしかできなかった、最低のクズだと理解している。
強者を相手にすれば逃げることしかできない、ただの弱者だと理解している。
臆病者で、最低のクズで、ただの弱者。
しかしそれでも、生き残ったというみっともない事実から英雄だと称賛される。
男は嘆いた。
何故だ。何故、俺のような者が英雄なんだ。
俺を襲ってきた魔族を切り伏せ、それと同時に他の魔族に喰われた友人は、なぜ英雄と呼ばれない?
精霊の力で敵戦力を削いで、生命を枯らしたあの術者こそ、英雄と語られるべきではないのか!?
何より、仲間たちの死を見ていることしかできず、隠れることしかできなかった俺が、英雄であって堪るものか!
しかしその叫びは、戦いの後に見た『彼女』の涙を思い返させ、喉を通ることを許さなかった。
『勇者』はまさに一騎当千────いや、幾万の敵が襲い掛かろうと蹴散らすだろう存在だ。
しかし『勇者』は異邦の地から国の勝手な都合によって召喚された、たった一人の少女だったのだ。
決して戦うことを好ましくは思っておらず、されど国からの切願を前に押し切られてしまった少女は、勇者として国を歩き回ることとなった。
このあまりに無法的な世界で、『彼女』は様々な人々と出会った。
いい人とも悪い人とも知り合い、見聞を広げ、友好の輪が広がり────
────多くの同族の死を見た。
『彼女』にとって、人の死はあまりにもツラい現実であり、それも数えれば百では利かないだろう数だ。
そしてその果てに、後手に回らざるを得なかった『彼女』がやっとたどり着いた先では、仲間が全滅したと確信せざるを得なかった地獄そのもの。
戦争の凄惨さを前に、『勇者』は修羅と化す。
不意を打って千の魔族を消し飛ばし、迫りくる万の波の一切を切り伏せた。
そしてその場の全てを終わらせた『勇者』は、誰一人助けられなかったという絶望を前に壊れかけ。
そんな中、死体の山の中から出てきた男を見つけ────
────……男が生きていた故に、『勇者』は壊れずに済んだ。
その事実が、男が弱音を吐くことを許さなかった。
何故か?そんなもの、弱音を吐く前にできることがあると、男が理解していたからだ。
『勇者』に救われた男が、『彼女』のために出来ることは何か?
出来る限り多くの者に、戦いの中で生き残る術を伝えることだ。
その為に、男は英雄として帰還した報酬として、自らの部隊を求めた。
そして男は戦場で戦果を挙げることでは無く、生存することを厳命として、己の持つすべてを賭して生き残ることに特化した────いや、時間を稼ぐことに特化した部隊を完成させる。
生き残っていれば、『勇者』が間に合いさえすれば、その戦いはどんなに絶望的な状況であろうと勝利へと変わると、強く信じることができたから。
日々、生き残るための『手札』を増やす努力をしながら、その技術の全てを部隊の全員に、ある時は他部隊であろうと伝えた。
かくして、人と魔族の戦争は激化の一途を辿りながらも、人の戦死者は激減することとなる。
そんな戦争が半年も経過したころ、ついにその日が訪れる。
諜報部隊からの情報曰く、「ついに魔族の王が動いた。そして、魔族の全軍が動いた」と。
決戦が近いことを知った男は、己の妻と語り合ったという。
語らいの多くを、オレは知らない。
しかし、一点だけ。
『生きて、明日をお前と生きる』と、妻を抱きしめ告げたという。
そして男と女は重なり、互いを求め合い、貪り合ったという。
『明日を生きる』という言葉の真意を、互いに確かめ合うように。
*
決戦の時、戦争の戦略云々についてオレはよく知らないため納得できてないのだが、男は一人で戦争の激戦区からは離れていた。
あぁ、その通り。オレもその場にいたのさ。
オレたち精霊は『魔』が大嫌いだからな。男の切願を聴いて、手を貸すことにしたんだ。
そして本当に、その場にその化物が訪れたのだから恐ろしい。
────そう、『魔族の王』がそこにやってきたのだ。
以降は魔王と呼ぶが、男曰く「そもそもの魔王の目的が、この土地の支配ではなく魔族の間引きだった」とのことだ。
魔王もそのことを認めていたし、しかしながらそれがどう関係してくるのか?
それは単純なことで、魔王が自ら動けば、人の国を滅ぼすなど容易いのだ。
最初から宣戦布告した後、たった一人で国に赴き、己の『魔』の半分ほどを使ってしまえば、人の国はあっさりと潰せてしまうほどの力がある。
では何故そうしなかったのかと問われれば、先の言葉の通り。
魔族を減らす目的で行われた戦争で、誰一人被害の出ない勝利の納め方をしてどうするのだ?
そしてついに魔王が動き出した。
それは魔族の間引きが十分に済んだことを意味していて、つまり人の国の敗北を意味していた────
────はずだった。
魔王がただ一人、激戦区より遠回りして人の国を目指したのは、当然ながら理由がある。
それこそまさに、『勇者』の存在だ。
魔王にとって、『勇者』はまさに天敵そのもの。
何をどうしようと、魔王の敗北は運命に定められている、そのような世の理なのだ。
ゆえに、魔王は己の影武者を激戦区に投じ、ただ一人で人の国を目指したのである。
そのような経緯を男が読んだのか、あるいは国の戦略家が読んだのか。
男は、魔王の前に立ちふさがった。
魔王は問うた。
「貴様一人で如何とする?」
男は答えた。
「貴様をここで終わらせる」
その問答を最後に、人知れず決戦の火蓋が切られた。
魔王からの長い攻勢が始まろうとした。
しかしながら、絶望的な時間が始まるにも関わらず、男は落ち着き払って言葉を呟いた。
それはこの男が己の全てを賭して捧げた、願いの咆哮。
妻に告げた、誓いの咆哮。
『彼女』の涙をこれ以上流させないための、生命の咆哮────!
「明日を生きて死ね」
────男は迫りくる必殺の悉くを捌いてみせた。
首を狙った斬撃はギリギリのところでどうにか逸らし、焼き払わんと放たれる魔の法は精霊に生命を捧げることで皮膚を焼く程度に抑えた。
さらにオレに追加で生命を捧げ、霧を発生させて視界を制限させていたことも、生き残った要因になるだろう。
あの時のアイツは大盤振る舞いと言わんばかりに、生命力をくれたからな。
人の寿命に換算すれば、四十年分にはなったんじゃないか?
あの時で三十路目前って話だったし、まあとんでもないことをやっていたのはわかるだろ?
そこまでしてようやく、男は毎秒を生き残ることしかできなかったんだから、理不尽はここに極まっていた。
そうして十分ほど凌いだ後、急に魔王は動きを止めた。
そしてあろうことか、剣を降ろして称賛の言葉を告げだした。
曰く、「貴様が今も生きているのは紛うことなき偉業である」と。
そして魔王は願うように、男に言った。
「貴様を殺すのはあまりに惜しい。あと数合も打ち合えば、貴様は追いつけなくなる。もう、そこをどけ」
魔王は男の限界を見抜いて、見逃すと言ったのだ。
確かに、男の限界は既に近かった。
それは肉体の限界ではなく、精神の限界。
一瞬一瞬に命を賭けていたのだ。
たかが十分?それは違う。
男の体感時間に換算するのであれば、既に半年を超えている。
男は、既に万にも及ぶだろう回数、殺されたと錯覚している。
こんな話を聞いたことはあるだろうか?
『走馬灯とは死に直面した際に、記憶から生き残る術を引っ張り出しているのだ』という話。
その間は驚くほど体感時間が怠慢になるとも、聞いたことはないだろうか?
そう、男は既に万に及ぶだろう回数の走馬灯を駆け巡り、その全てで正解を引っ張り出してみせたのだ。
どれだけ精神がボロボロだろうと、限界を超えて駆動させ続けた己の身体に、更なる鞭を打ち続け。
その果てに、魔王から見逃してもらえるという、恐らくこれ以上は望めないだろう偉業を果たしてみせ────
「────『解放』」と。
極光が迸ったよ。
いや、オレはもう十分だよなって思って、見逃されて終わりだとばかり思ってたんだよ。
これ以上戦ったところで、明日を生きるっていう約束が果たせなくなるだろうって。
ならばここが潮時だろうってさ。
だが。そんな中で男は。
ほんの一瞬だけ緩んだ気配を逃すことなく。
『勇者』に頼んで剣に込めてもらった『聖哮』を解き放ち、不意打ちで魔王に叩き込んでみせたのだ。
あの時は思わず呆然としたよ。
魔王は『聖哮』に焼かれて、全身の『魔』を大きく消耗してさ。
唖然として己を見据えている魔王に向けて、男は言ったんだ。
「死ぬわけねえだろうが。俺達は、明日を生きるんだからよ」
既に限界を迎えようとしているにもかかわらず、嘲笑と共に。
その言葉を聞いた魔王は怒り出すと思ったんだが、オレの予想はよく外れるようでな。
「無礼を詫びよう」
ただ一言。
そう告げて、戦士の目を宿してたよ。
その後は、ただの最終局面だった。
『聖哮』の直撃が響いて動きが鈍ったのだろう、ボロボロの男でもどうにかついていくことができた。
魔王は魔王で、一切攻勢を緩めることができなかった。
なんせ、『聖哮』が一発きりなんていう保証は無いんだ。
先ほどのように大きな隙を見せてしまえば、どうなるか分かったものではない。
結果起こる争いは、一方的なようでしかし拮抗することとなり────
「────あとは任せてください」
幾万の剣戟の末、英雄は死ぬことなく時間稼ぎを果たし、『勇者』のその言葉を耳にしたのを最後に、意識を手放した。
*
かくして人の国は死傷者ゼロで勝利し、望んだ明日を生き抜いた英雄は、妻の腕の中でその生涯を終えた。
めでたしめでたし、ってな。
読んでいただきありがとうございました。
それではいきなりですが、あとがきを使ってこの世界の世界観について、ざっくりと説明させていただきます。
まずこの世界はよくある、テンプレの異世界と認識していただいて構いません。
その中で一点だけオリジナルの要素として、『魔法』の仕様を考えました。
まず、『魔法』を使えるのは魔族だけ────もっと厳密に言えば、邪神が生み出した生物のみが持つ『魔』を消費することで使える『魔の法』です。
しかし『魔』は魔族たちにとっての生命力のようなもので、ゲーム的に言ってしまえばHPを消費して使うものです。
MPなんて都合のいいものは、この世界にはありません。
そして『魔』を持たない者は、精霊に生命力を捧げることで力を借りることができます。
ただし、こちらはこちらで自然由来の現象しか起こせない仕様になっています。
まあ、考えてある設定なんてこんなものです。
これ以上の設定の開示を求められれば、「ありません」と答えるくらいに。
以上、ざっくり世界観解説でした。