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森のおとしもの  作者: 二木
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09

 森で娘――チアキを拾ってから十日が過ぎた。あっという間だったなとジークヴァルドは思う。

 何を与えても腹を下して熱を出していたのから、湯冷ましで対応すれば一応ジークヴァルドと同じものが食べられるようになってずいぶんと楽になった。

 相変わらず言葉は通じないし、今ひとつ生活習慣もわかっていないようだがここでの暮らしにだいぶ慣れたように見える。

 ジークヴァルドは、いろいろ確かめようとチアキに向かい合う。


「チアキ」


 呼ばれてチアキが近づいてくる。



 元気になってからは主に掃除と食器洗いをやってくれている。

 正直、助かる。料理は火加減というか薪の扱いがほとんど出来ず、ぶすぶすと煙を出すか鍋を焦がすかなのでジークヴァルドが。洗濯は桶に洗濯物を入れ、石鹸水を少量浸けて足で踏んでくれるまでをやってくれる。服の裾をからげて裸足で洗濯物を踏みつけるのは楽しいらしい。

 ただジークヴァルドにはくるぶしとか踵とか足趾を目の当たりにするのは刺激が強く、踏んで後はすすぎになる頃合いまで川には近づけない。力のいるすすぎはジークヴァルドの仕事だ。何度かすすいではぎゅっと水を切り、木の間に渡した綱にひっかけて干す。


 ただチアキは最初に身につけていたものだけはジークヴァルドには触らせず、丁寧に手洗いをしていた。干す時も布の下にして、ジークヴァルドの目に触れないようにとの気の使いようだった。一度風に飛ばされて近くの植物の上に落ちていたので、ジークヴァルドは何気なく手に取ったことがある。

 ずいぶんと小さい。チアキが身につけていたのはもっと大きかった。洗濯で縮んだのならこれでは用をなさないのではないかと、まじまじと眺める。くしゃくしゃに丸まっていたので広げてみると、不思議によくのびる。

 これは珍しい。面白いと三角形に近い布きれを伸ばしたり、縮めたりしていると顔を真っ赤にしたチアキに奪い取られてしまった。それ以後、チアキは絶対にジークヴァルドに触らせず見せずを通した。


 食器を洗い終えたチアキは、ジークヴァルドの前に腰を下ろす。


「チアキ、これを見てほしい」


 折りたたんだ地図をチアキの前に広げる。ジークヴァルドが秘蔵している詳細なものではなく、ごく簡単にこの国と周辺の国を記載してあるものだ。

 チアキは何度かまばたきして、地図を食い入るように見つめた。ささいな表情の変化も見逃すまいと、ジークヴァルドはチアキを観察する。

 

「中央にあるのがこの国で、俺たちはこのあたりにいる。チアキはどこから来たんだ?」


 指先を地図の当該箇所に置いて、チアキに尋ねる。

 ここか? それともこっちか? と近隣の国を指すとチアキの視線は移動するが、どこにも特別な反応を示さない。ただただ、困惑している。しまいには表情を硬くして小さくかぶりをふった。

 

「地図の国に見覚えがないの、か?」


 ならば、次の手段をとるまでだ。

 ジークヴァルドはチアキの前に紙と筆記具とインクを置いた。不思議そうなチアキにわかりやすいように紙を一枚取り、そこに自国の地図を描く。

 そして自分の胸に手を当てる。


「これが俺の国」


 チアキに地図と今描いた自国の地図を並べて見せて、とんとんと自分の胸を叩いた。繰り返せばジークヴァルドの意図を理解したらしい。チアキも筆記具を手にする。

 筆記具の扱いに難渋しながらも紙に描かれたのは、ジークヴァルドが今まで見たことのない形をした国だった。ジークヴァルドの頭の中には、知られている全ての国の地図が入っている。

 大まかな内情もだ。チアキが描いたのは、そのどれでもなかった。

 いくつかの島か海に隔てられた大陸の集合のように見えるその国の、ある一点をチアキは指し示した。


「……これが、チアキの、国なのか?」

『日本』

「ニッポン」


 初めて聞く国名。見知らぬ国の形。これはいよいよ、出自が不明だと認識を新たにする。

 未知の大陸からとしてもどうやってここまで来たのか。女性一人で痕跡を残さずに潜入するのは、考えづらい。しかもあからさまに異様な風体で言葉も通じないなら、どんな目的で潜入したとしても成果は得にくい。

 これらが全て演技なら大したものだが、食あたりは事実だった。ジークヴァルドの目を盗んでわざと病気になるのは無理だ。演技でないなら、ジークヴァルドのまるで知らないところから来たという結論になる。


「ずいぶんと遠くから来たのか、それとも……」


 腕組みしながら唸ると、チアキが唇を引き結んだ。

 視線はジークヴァルドが最初に出した地図に固定されている。自慢ではないがジークヴァルドの国はこの大陸では最大の面積を有し、武力や文化でも抜きんでている。別の大陸出身であれ、まずこの国を知らないはずがない。

 

「ヴェーシェン」


 自国を指しながら教える。チアキには意味のない単語のようだ。


『ベ、ベーシェン』

「違う、ヴェーシェン」

『ブ……ヴェ?』

「ヴェ」


 発音が難しいのか何度もベーシェンと繰り返し、そのたびジークヴァルドは律儀に訂正する。

 十日の収穫はチアキの名前と国の名前だけ。なんともお粗末な成果だが、チアキには情報を隠そうとする意図は見受けれない。少なくとも素直に教えてくれるし、知ろうとしている。


 とにかく意思疎通を図らなければ、情報は引き出せない。

 言葉がだめなら教えるしかない。

 とはいえ、基本からとなると字母表からか。元騎士と猟師に加えて、家庭教師という役割も担わなければならないらしい。家にいて一人もてあましていた時間を、教えるのに当てよう。

 まあいい、指導は得意だ。――得意だった。

 ジークヴァルドは次に街に行ったら、子供向けの本と筆記具を手に入れようと考える。

 綴りは苦手だったなと自分の子供の頃を思い出し、チアキがそれよりは覚えがよいことを祈る。


「チアキ、これからは物の名前を教えよう。俺の名前も呼んでくれ。ジークヴァルドだ」

『ジーク、ブアルド』


 発音が難しいか。間違えられたのには地味に傷つくが、何度か教えればきちんと呼んでくれるだろう。さしあたりは、言いやすい名でいい。


「ジーク。親しい者はそう呼ぶ。ジーク」

 

 チアキはジークヴァルドの唇の動きを見つめようとするが、ひげのせいでよくわからないらしい。眉をひそめる表情で、そのことに気づく。

 ひげをかき分け、大きく発音する。


「ジーク」


 そして、名を呼ばれる。


『ジーク』


 たったそれだけだ。ただ、ほっとしたのと同時に別の何かも感じた。










 


 

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