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森のおとしもの  作者: 二木
8/10

08

 目覚めたらすでに夜なのに娘――チアキは驚いているようだったが、用意した夕食を全部ではないが食べて茶に寛いだ様子を見せた。

 向かい合わせで座っているチアキが身につけているのは、男の中でも体格のいいジークヴァルドの服だ。丈も身幅も大きいのはもちろんだが、襟ぐりが広く鎖骨はもとよりどうかすると肩まで見えてしまう。

 これは早く着替えてもらわなければ、とジークヴァルドはチアキに今日持ってきた物を手渡した。チアキは怪訝そうな顔でそれらを受け取り、一つ一つを確かめる。


「それは下着で、それの上にこれかこの上着を着るんだ……ああ、それが今、俺が着ているのを同じような物で」


 つい口走りながら自分の服を引っ張りながら指し示す。チアキは手にした物とジークヴァルドを交互に見ながら、だんだんと迷いが消えていくようだった。

 チアキが服を胸に抱えて頷いた時、ジークヴァルドは安堵に充たされるのを感じた。


「俺のようなむさ苦しい奴のをいつまでも着せるわけにもいかないから、着替えてほしい。あ、もう夜だから寝るとしたら寝間着はこれだ」


 寝間着を渡し、どう説明しようかと迷う。

 しばらくあーとかうーとか意味をなさない言葉しか出なかったが、ふと思いついて寝台に近寄る。枕をぽんぽんと叩いて横になる真似をし、寝間着を自分の身体の上にかけてチアキを見つめた。

 頼む、これでわかってくれと内心焦っていると、チアキはまた頷いた。

 ――通じた、らしい。

 ほっとして、自分のものだった寝台に沈み込みそうになったが、慌てて起き上がる。

 いけない、これは今はチアキの寝台だ。失礼なことはできない。

 枕の側に寝間着を置いて、あとの物を卓に並べる。チアキは神妙な顔付きで一つ一つを手に取り、また戻す。


「まとめてここに置くからな」


 棚の一段を開けて、チアキの物を並べるとまた頭を下げられた。何かあると頭を下げるのが癖らしい。

 身振り手振りでどうにかなったとほっとすると、気を揉んだのと遠出の疲れがあいまってひどく眠たくなった。

 器や匙を水を汲んである桶に浸けて、娘が歯みがきなどをしている間に素早く着替える。炉の前に敷いてある熊の毛皮の上であぐらをかいて、娘に背中を向ける。ごそごそと聞こえてくる衣擦れの音が途絶え、チアキが横たわった気配までを確かめると自分も上掛けを羽織る。

 すぐにでも眠り込みそうなのを耐えて、チアキの気配に耳を澄ます。しばらくは何度か寝返りをうっていたが、そのうち静かになった。

 ――済まない。もう一度、最初よりは少ないが眠り薬を盛ったジークヴァルドは、胸の内で謝罪する。

 中途半端な時間に目を覚ましたから、遅くなっても眠れないだろう。そう思って、茶に薬を盛った。今のチアキに必要なのは十分な食事と睡眠だ。前者は十分ではないかもしれないが、後者なら。

 卑劣な行為をしている自覚はある。ただ、深い森の中の夜は恐ろしく長い。獣も夜によく動き、遠吠えや鳴き声も響くから、眠ってやり過ごす方がいい。

 少なくともジークヴァルドにとってはそうだ。


 夜は、特に森の夜は人間のものではない。獣や、普段は信じてもいないが闇の気配を色濃く醸し出すものたちの世界だと思っている。


 チアキの寝息がジークヴァルドも眠りに誘う。


「おやすみ」


 しばらくの間、誰にもなげかけたことのない挨拶を呟いて、ジークヴァルドも目を閉じた。



 決まった時刻に起きるのは、ジークヴァルドの身についた習性だ。

 目覚めてまず自分と周囲の様子を確認するのも。チアキは、まだ眠っている。

 昨日働いてくれたロバをはじめとした家畜に餌をやりながら、様子を確かめる。今日も産んでくれた卵を籠に入れた。湯を沸かす間に、水浴び。ついでにチアキが身につけていた自分の服を洗う。適当に絞って木の間に渡してある綱にひっかければ終わりだ。

 チアキの器を大急ぎで煮て、風通しのよい家の外で乾かす。

 雲の動きでこれからの天気を推し量る。チアキがいるからあまり遠くには行けないが、罠を回収くらいはできるだろう。

 戻ってきたら畑の世話をして、と頭の中に予定を組み立てる。

 

 一人の時はなにごとも淡々とこなしていた。予定もそこまで大きく狂うこともない。

 それに比べて、チアキを拾ってからはずいぶんと違う。なにより声を出し、言葉を口にする機会が格段に増えた。


「とはいっても、通じてはいないが」


 苦笑しつつ朝の仕事を終えて、食事作りに取りかかる。チアキの粥はかなりパンの形が残るものに仕上げる。いい塩と、ジークヴァルドの自慢の干し肉で味を調える。用心のために煮立たせなければいけないのが残念だが、仕方ない。

 昨日、かなり寝ていても腹下しで起きる気配がなかったから、そろそろ制約を緩めてもいいかもしれない。


「俺の野菜の美味いところ、食べてくれれば」


 森の果実もだ。王都の洗練された食事も美味いが、森での素朴な味わいをジークヴァルドはいいと思っている。

 どんな状況でも食べられるし食べてきたが、自分で作るようになってからは出来が気になるようになった。ましてや、今は自分の作ったものを食べる人間がいる。


「美味いと思ってくれたらいいんだが……」


 自分用の鍋に適当に切った野菜と肉を放り込みながら、ジークヴァルドは呟く。

 チアキが元気になったら、食事を分ける必要もなくなるから手間が減る。そうすれば、味付けをチアキがどう思うかがわかる。

 なんとなく楽しみだが、緊張もしそうだ。



 朝食の支度が終わり、チアキを起こしてみる。

 昨晩のような不自然な深い眠りではなく、何度か声をかけたらチアキは目を覚ました。


「おはよう。食事ができている」


 声をかけると少し慌てて寝台に起き直る。寝間着の寸法はよかったらしい。肩がずれることもなかった。

 女性の身支度の間は家の外で待機、とジークヴァルドは寝台の側を離れた。

 切り株を壁際に置いた簡易の椅子に腰掛けていると、チアキが扉から顔をのぞかせる。その姿に、ジークヴァルドはしばし言葉を失った。

 寸法の合った、そして娘らしい色合いの服が場違いな華やかさを生んでいる。

 きれいな花が飾られているみたいだ――ジークヴァルドはそんな、とりとめのない考えを抱いてチアキを観察していた。

 チアキは服の裾を汚さないように注意しながら、便所に向かっていった。

 長い髪の毛は後ろでくくって、紐でまとめてある。


「――驚いた。ずいぶんと、印象が変わる。この格好のほうがいいな。ずっと、いい」


 思った以上に似合っているし、一気に華やかになった。今まで別のところの人間だと認識していたチアキがいきなり自分と同じ世界にいるのだと思い至った途端、ジークヴァルドはなぜか動悸を覚えた。

 戻ってくるチアキの長い服で隠されて時折垣間見える靴下とか、まだ慣れていないらしい裾捌きなどがいちいちジークヴァルドを刺激する。

 結局チアキが家を出て戻るまで、ぼんやりしてしまった。

 鳥の鳴き声に我に返り家に入る。いつもよりばたばたした動きで、朝食をチアキの前に置いた。それをじっとながめ、チアキは両手をあわせて何かを呟いてから匙を手にする。

 ジークヴァルドはチアキが粥を口に運びこくりと飲み込むまでずっと見守っていた。表情や仕草から、口に合うかどうか推察する。顔をしかめることもなく、すぐに匙を置く様子もない。


「美味いか?」


 ついそう尋ねると、チアキが顔をあげ粥を一匙すくい、ジークヴァルドに微笑んで見せた。

 自覚はなかったがずっと緊張して見守り、いや睨んでいたジークヴァルドはほっと息を吐く。すると猛烈な空腹を覚えた。

 自分の分を取り、豪快に食べ始める。自分で作っておいてなんだが、美味い。特に会話するわけでもなく各自が黙々と食べているだけなのに、不思議に美味い。ジークヴァルドは皿を空にして、満足しつつ食事を終えた。

 さて片付けて罠の回収に出るかと器をまとめていると、チアキが自分の器を手に取りジークヴァルドを見上げた。


「チアキ、手伝ってくれるのか」


 ジークヴァルドの後ろにくっついて、チアキは水くみ場まで降りてきた。手本を見せてやると器用に洗い始める。さして時間もかからず終わる。ジークヴァルドの分は拭いて終わりだが、チアキの分はそうはいかない。

 チアキはジークヴァルドが器を取り上げるのを不思議そうに眺めていたが、洗ったばかりのそれを鍋で煮始めたのに真面目な顔付きになった。どうやら煮沸の原理は知っているらしい。横目で確かめジークヴァルドは、また一つチアキに関しての知識を積み上げる。

 

 ぐつぐつと鍋が煮立ってきたところで火種だけ残して火を消す。

 ざっと室内を見回す。報告書は渡しているから、危険な文書は残っていない、武具は家の外に隠してあるからまず見つけられないだろう。

 意識のない時にチアキの全身を確認していて、毒物の類いは帯びていないのは確かめてある。

 あの物騒な武器はジークヴァルドが所持したままだ。逃亡されればそれまでだが、最も近い村ではよそ者は目立つ。どこに行こうとジークヴァルドの耳に入る。

 ――いなくなれば、それまでか。

 不在の間、家に拘束しておくかと考えたこともあるが、得策でない気がする。

 何度も眠らせるのも不自然で、チアキの身体にどんな影響があるかと思うとこれも有用ではない。


 物騒な考えは内に秘めてジークヴァルドは武器を改めて確認し、縄などを入れた袋を腰にくくり弓矢を背負う。


「出かけてくる。すぐに戻るから」


 通じてはいなくても声をかける。チアキは寝台の乱れをなおしていた。

 掃除をしてくれるつもりなら、と箒とちりとりのありかを示す。両手で箒の柄を握りしめるさまは自然で、またジークヴァルドの疑念を刺激した。

 

「行ってくる」


 なるべく近くの罠だけを回収して戻ろう。通い慣れた獣道に分け入りながら、ジークヴァルドはちらりと家を眺めやる。



 ジークヴァルドの期待に反して、罠には獲物はかかっていなかった。家の干し肉では備蓄は心許ないが、家畜の豚を屠るにはまだ時期が早い。もう少し足を伸ばせば、あと一つ罠が回収できる。それで家に戻ろうと、ジークヴァルドは森の奥に歩を進める。

 日差しをさえぎる密集した木々のせいか、かなり歩いたがそれほど汗をかいていない。意識も澄んで自分の周囲の気配を自然に探っている。


 このまま心まで猟師になれれば、どんなに安らかだろう。


 殺伐とした日々から遠くなるにつれてそんな思いがわき上がることがあり、最近は猟師として朽ちるのもいいかと誘惑を覚えていた。

 そんな日々にチアキは痛烈な風穴を開けた。吹き込む風が順風か逆風かは神のみぞ知る、だがとジークヴァルドは罠にたどり着くと同時に微笑していた。

 家に戻りたくなる、戻らなければと思うのは久しぶりだ。

 かかっていたアナグマを仕留め、ジークヴァルドは明るい顔で来た道へと身体をひねる。



 家が視界に入り、ジークヴァルドは思わず立ち止まる。

 戻って誰もいなかったらとの恐れがよぎったのだ。――いなくなれば、それまでか。そう事前に言い聞かせることで対応しようとしていたのに、意識はびしばしと家へ飛ばしてしまっている。

 いるか、いないか。

 アナグマを縛った縄を握りしめ、ジークヴァルドは一つきりの扉を開けた。

 チアキは、いた。驚いたことにぞうきんを手にあちこち拭き掃除をしている最中だった。

 必要な物、無骨な品しかない家はそれでもチアキの手によってこざっぱりと拭きあげられている。


「これは……驚いた」


 素直に口にすればチアキがぱっと振り向いた。

 チアキを運び入れて以来、掃除もできていなかったからありがたい。

 すぐに昼食の準備に取りかかれる。アナグマの解体はチアキの目の届かないところでやり、臭みを抜く香辛料を塗り込める。

 食べ頃の野菜をいささか乱暴に集めて、素早く刻む。干し肉もチアキの分は知らないうちに大きめに切っていた。

 

 昼食はやはり黙々と終わったが、ジークヴァルドには不思議と心地よい。

 チアキがしっかりと食べたのと、身振り手振りではあるがどうやら腹を壊さなかったと知れたからかもしれない。

 一緒に片付けをしてふと自分より小さいチアキのつむじが目に入る。

 長いまつげが目にとまる。

 不審な人間なのは変わらないのに、これは側に寄せすぎなのかもしれない。

 しかしジークヴァルドに危害を食わせようとする気配は感じ取れない。


 チアキをどんな位置づけにするのか。

 ジークヴァルドには悩ましい問題に思えた。







 












 


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