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森のおとしもの  作者: 二木
7/10

07

 かなり情けない面持ちで待っていたらしい。戻ってきたデニスはジークヴァルドを一目見るなり、小さく吹き出す。


「なんて顔しているんだ。王都の連中が知ったら大笑いだ」

「抜かせ。何を買ってきたか説明してくれ」


 勘定用の木の台に、食料品などの他に華やかな色合いの物がとりどりに並ぶ。

 ジークヴァルドはもうこれだけで半分逃げ腰になる。森のあの家にこんな色彩を持ち込むなんて、考えたこともなかった。


「下着、靴下、靴下止め。靴は寸法がわからないから一応標準的なものにしている。足首を紐でしばるやつだから、多少大きくてもいいだろう」

「お、おう……」

「こっちが着替え。明るい色のと落ち着いた色のを選んでやったから、組み合わせろ。髪は長いんだな? なら紐や頭巾もだ」


 ベルトとベルトに取り付けて使う小物入れ。室内履き。

 寝間着や肩掛けもぬかりなく用意されていて、ジークヴァルドはもう唸るしかなかった。


「さすがだデニス。俺にはとても買えなかった」

「当たり前だ。お前が器用なら、テレージア・レーヴ嬢と婚約破棄にはならなかった」


 思いがけない名を出され、ジークヴァルドはつかの間動きを止める。が、もうかつてのように激昂に近い動揺は起きなかった。こんなことで二年の月日を感じるか、と黙ってデニスの買ってきた物を袋に詰める。

 デニスもジークヴァルドの反応にきまり悪かったのか、ジークヴァルドの邪魔はせず最後に小さな包みをよこした。


「これは?」

「適当な薬と、砂糖菓子だ。美味いぞ」

「――食べても支障がなくなったら、渡す。世話になった。そろそろ戻る」

「次は定時で来るか?」

「そのつもりだ」


 来た時とそう変わらない大きさの荷を肩にかついで、ジークヴァルドは店を出ようとした。

 そこにデニスの忠告が飛ぶ。


「気を付けろ。リュッカーがまだお前を狙っている」

「――まだ諦めていないのか? 暇な奴だ」

「自尊心は天より高い奴だ。お前に恥をかかされたと思い込んでいるから、いつまでも付け狙うだろう」

「勘弁してくれ」


 心底うんざりして、ジークヴァルドは肩をすくめる。ただでさえ懸念材料が多いのに、この上厄介ごとは抱えたくない。抱えるのは娘だけで十分だ。

 手際よく馬の世話をしてくれたデニスの配下に礼を言い、荷を乗せる。


「行きより軽いだろう? 頑張ってくれ」


 馬の首を撫で声をかける。田舎の村の馬でも、人の声に慣れているのか素直に馬首を巡らせる。見送りに出てきたデニスに頷き、また、と約束して村へと戻る。

 できる限り急いで、ただ馬をつぶさないようにと注意して戻った村では、ロバはのんびりジークヴァルドを待っていた。


「おお、帰ったか。また大荷物だな」

「世話になりました。寝具がもうどうにもならなくなったので、代わりのです」

「何かあったら声をかけてくれ」

「ありがとうございます」


 村長と言葉を交わしてロバに荷をのせ替える。村を外れ、細い道に分け入り、だんだんその幅が狭くなる。

 いつも森に戻るときには森の香りと緑に、飲み込まれてしまいそうな気がする。

 人と離れ孤独な世界へと入り込む。心細さと自由を同時に感じる。

 ただ、今は違う。戻るべき家には気がかりな存在がいる。どんな状態なのか気が逸る。ロバの手綱を引き、つい早足になっていくのにジークヴァルドは気づかない。

 そっと家の扉を開ける。中は、静かだ。寝台に目をこらすと、出て行った時と同じような光景が広がっている。


 娘はまだ眠っていた。


 起こさないよう細心の注意を払って、手足の戒めを外す。痕は残っていないのを確かめてほっと息をついた。

 これでジークヴァルドの非道な振る舞いはなかったことになる。娘から軽蔑であるとか嫌悪の視線を向けられないと思うと気分が軽くなり、ジークヴァルドはいそいそと夕食の準備に取りかかる。

 デニスの店からいろいろ香辛料や調味料も手に入れられたから、煮込みの味付けを変えてみよう。そろそろ同じ味は飽きるんじゃないかと考えていたから、ちょうどよかった。

 自分にはパンとあぶった肉、野菜の付け合わせ。そしてデニスの店の酒。

 娘は目を覚まさないので、先に自分の分を平らげる。自分の器は適当に洗って乾かして構わない。

 そうやって片付けまで終えたのに、娘は目覚めない。



 はじめはそうでもなかったのに、だんだん、娘の目覚めが遅いのが気になってきた。効き目の目安の半日程度は、もう過ぎている。起きてもいい頃なのに、寝息は深いまま。

 寝台の側に立ち、娘の様子をうかがう。

 娘は穏やかな表情のまま、規則正しく胸を上下させていた。一人きりで過ごしてきた家に響く、他の者の気配や物音を今更ながらに意識する。

 今はこの娘の一挙手一投足、いや息づかいを意識してやまなくなってしまった。


 薬による不自然な眠りからは脱しているように見えたが、ならば目を覚ましてくれてもいいのに。もしかして薬が効きすぎたのか。それとも思いもよらない作用を示しているのか。

 最悪このまま目覚めないのではないか。その可能性に思い至り、ジークヴァルドは慌てた。

 控えめに娘の肩を揺する。


「……おおい、起きてくれないか」


 最初は遠慮がちだったのが、娘の反応がない心までことからだんだんと強い刺激になっていく。

 ぴたぴたと頬に掌を当ててみても、娘は物語の姫君のように深い眠りに落ちたままだ。

 呼びかけようと口を開きかけて――ジークヴァルドは声を発することができなかった。

 ジークヴァルドは娘の名前を、知らなかった。


「名前、そういえば聞いていなかった、か」


 言葉が通じていなかったからだが、自己紹介もしていない。

 このまま目覚めなければ、ジークヴァルドは娘の名も知らないままになってしまう。ジークヴァルドはうかつさに、ぴしゃりと自分の額を打つ。

 相手の素性を確認するのは任務では初歩の初歩なのに、それを怠って過ごしてしまっていた自分が信じられない。

 いつの間に鈍感になっていたのか。心まで猟師に浸ってしまったのかと情けない。

 これはどうしても娘を目覚めさせなければ。そして初対面なら当然するように、ことを運ぶのだ。

 すなわち、私はジークヴァルド・シュテルンです。あなたは誰ですか? と。


「おい、起きてくれ。頼む」


 両肩を掴んで揺する。知らないうちに力が入っていたが、なりふり構っていられない。

 早く、できるだけ早く娘を目覚めさせないとと切迫したものに支配されていた。娘の顔をのぞきこみ、片手を頬に、もう片手を肩において必死に呼びかけた。意識は眠る娘にしか向いていない。

 どれくらいそうしていたのか、娘がかすかな反応を示した。軽く眉をしかめ、ゆるく唇が開く。首を横向けて――うっすらまつげが震えた。

 息をつめたジークヴァルドの前で、娘はゆっくりと目を開きぼんやりとした視線をよこす。

 何度かまばたきをして、次第に目に力が戻ってきたようだった。


「――よかった。起きたか」


 目覚めてくれた。心底ジークヴァルドは安堵した。卑怯な手段に走ったのに加えて娘の名前も知らないのも後ろめたかったので、無事に目覚めてくれた感動に舞い上がりそうだ。

 娘は不思議そうにジークヴァルドを見上げている。起きようと肘を寝台について、身体をねじる。それにつれて身につけていた、娘には大きすぎるジークヴァルドの服の胸元がずれて、肩があらわになった。

 間近で眺めていて、ジークヴァルドは我に返る。寝台に腰掛け、娘の頬とあらわになったのと反対側の肩には未だ手をかけたままだった。

 慌てて立ち上がり大きく後ろに下がる。

 そんな自分をごまかすために、わざとらしい咳払いをしてしまう。


「おはよう、といってももう夜だが。気分は悪くないか? ええと」


 娘に呼びかけようとして、そうだったとジークヴァルドは自分の胸に掌を当てる。


「ジークヴァルド・シュテルンだ。俺の名はジークヴァルド」


 何度かジークヴァルドと繰り返すと、娘はジークヴァルドの胸に当てた手と顔を交互に見つめて口を開く。

 初めてと言ってもいいくらいに落ち着いた声だった。


『千晶。井藤千晶』

「チアキ」


 発音しづらいがなんとかチアキと言ってみる。娘、チアキはこっくりと頷いた。

 それまでのどこか得体が知れない感が、少し薄れていく。名前を知ったところで素性はまだわからない。怪しいという点ではほとんど変わらないが、ジークヴァルドはほっとした。

 ようやく、一歩踏み込んだ意思の疎通が図れたような気がしたから。


「チアキ。食事ができている。食べるか?」


 卓を示せば娘も首を巡らせる。ろうそくが灯されていることでもう夜なのかと驚いていたが、眠っていても腹は減ったのか素直に卓についた。

 冷めてしまった粥を温め直して娘の前に置く。

 娘は粥を前に少しの間じっとしていて、両掌を胸の前で合わせた。何かを呟いて、匙を手に取る。

 一匙、そして一口。

 娘は小さく笑った。ジークヴァルドには理解できない言葉を紡ぐ。

 ただ表情で、わかる。


「美味いか? チアキはこの味付けが好きか?」


 確信めいて問うと、娘はチアキという音に反応して顔を上げジークヴァルドに頷いて見せる。


 娘を拾って数日。ようやく平穏が訪れた夜になった。


 



 

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