06
買い物に行くとして娘をどうすべきかという問題に直面する。
連れて行く――ジークヴァルドの下着を着ている娘を? 上着も着せたが娘にはぶかぶかで、連れ歩くにはためらう姿だ。マントを着せればいいかもしれない。ただ、ジークヴァルドが他人を連れ歩いているのを目撃されると、村では悪目立ちするし噂になる。
それは避けたかった。
かといって、言葉の通じない娘が留守番してくれるとも思えない。
もし周辺国の間者だったら。ジークヴァルドを探りに来たとしたら。
「さて、どうしたものか」
がりがりと頭をかいて、ジークヴァルドは娘をうかがう。
水浴びでさっぱりし、体調も崩さなくなった娘は落ち着いたように見える。こちらを詮索する気配はないように思えるが、油断はできない。
さんざん考え、ジークヴァルドは卑怯な手段を使うことに決めた。
娘のために湧かした湯と湯冷ましを使って、食事を作った。粥や煮込みは薄味で仕上げてある。
食後の茶はいつもより、少し濃いめに煎じた。そこにこっそりと薬を入れる。娘はジークヴァルドの出した茶を何の疑いもなく飲み干して、ぺこりと頭を下げた。
時間をかけて器を洗い、家に戻ると娘は卓に突っ伏していた。
――どうやら、眠り薬は効いたらしい。
寝息を確かめ寝台に横たえる。普通なら半日程度眠るはずだが、この娘にはどこまで効くかわからない。済まないと思いつつ手足を戒め、寝台にくくりつける。
手早く荷物を用意して、ロバに乗せた。
出がけに確かめると娘は深い寝息をたてている。
「済まない」
聞こえるはずもないが、娘に呟いて家を離れる。
なるべく急いで村へと足を運ぶ。まっすぐ村の中心まで行って村長に声をかけた。
「馬を貸してくれ。街に行きたいんだ」
「シュテルン。それは構わないが、街に何用だね」
「ああ、ちょっと薬が欲しいんだ」
ジークヴァルドの話を疑わずに、村長は馬を貸してくれた。借り賃を硬貨で支払い、シュテルンは荷物をロバから積み替えて馬に乗る。器用に馬を操り、街へと駆けだした。
村長は家の者にロバを厩へ連れて行くように言いつけた。
「ずいぶんと急いでいるな。それにしても猟師のくせに馬の扱いに慣れているようだ」
みるみるうちに小さくなる人馬を眺めて、呟いた。
慣れ親しんだ馬ではないので抑えながらも、ジークヴァルドは馬を走らせる。普段獣道しか通らないので、街道がいやに広く平坦に見える。
途中の賊に注意しつつ、爽快さと共に手綱を握った。
目的の街には予定通りについた。少し手前で馬からおり、手綱を引く。さすがに村より賑やかな通りと家並みを迷いなく通り、裏通りに入り込む。
とある店で、ジークヴァルドは扉を叩いて顔を覗かせた。
「いらっしゃ……お前か」
「急いでいる。馬に水と餌をやって欲しい」
「裏に回れ」
店主はジークヴァルドを認めて無愛想に顎をしゃくった。おとなしく馬を裏手に連れて行き、そこに待っている店員に渡す。
荷物を抱えて店に入れば、ジークヴァルド以外に客はいなかった。
「どうした? いつもより早い」
「予定外の事態に遭遇した」
店主は表情を引き締め、ジークヴァルドもそれにならう。
懐から防水の紙に包んだ書類を店主に渡す。素早く目を通し、店主は何か言いたげな顔付きになった。それをジークヴァルドが制す。
「森と国境には特に変化はない」
「なら……」
「おかしな人物が現れた。若い娘だ。言葉は通じない」
「流れ者か? それとも言葉が通じない振りをした間者か?」
ジークヴァルドは娘を思い浮かべつつ、曖昧に首を振った。
「どうも……違うように思う。殺気もないし、俺を探る様子もない。ただ、こんな物を持っていた」
店主にこれも懐から出した物を渡すといぶかしげな顔付きになり、次第に眉間の皺が深くなる。
「これは、何だ?」
「適当にあちこち触れていて、どうやら使い方はわかったが実演する方が話が早い」
店主から取り戻した品を目の高さまで上げて、親指をくぼみに当てる。
薄暗い店内につかの間光が生まれる。店主は瞬きもせずに光が生じて消えるのを見つめた。
「今のは」
「おそらく、こう使うものだ」
店主の腹に先端を押し当て、同じ動作を行う。途端、店主が跳ね上がる。
「ぐっ、うっ」
腹をかばい前屈みになったと同時に、ジークヴァルドをにらみあげて、よろめく。ジークヴァルドは重々しく頷いて、娘から取り上げた謎の品を店主に渡す。
店主が落ち着くまでの間、ジークヴァルドは必要と思われる品を勝手に取っては袋に詰める。
よい酒も見つけ出して味見かたがた一口飲んだ。
「おい、少しは遠慮しろ。――それにしても今のは何だ? これを持っていて間者ではないと言うのか?」
「断定はできないが、どう見てもこの国はもちろん、どこの職人にも作れそうにないと思わないか?」
握って、雷を自由自在におこせる品。衝撃を与えて自由を奪う。おそろしく滑らかで継ぎ目もぴたりと閉じている。こんな精巧な品を作れる職人を、ジークヴァルドは知らない。
店主もその点については同意した。
「確かに。だが、これを持っている娘、か。どんな娘だ?」
「年の頃は十代半ばか少し過ぎている。服装は変わっていて上下に分かれている。下はチュニックより短くて、膝丈だ」
言葉では通じそうにないのでさらさらと紙に書くと、店主はますます難しい顔になる。
無理もないとジークヴァルドは思う。知っている限りのどこの国にもどの民族の服としても当てはまらない。
「靴下止めがなくてもぴたりと足に沿う靴下と、あつらえと思われる靴も履いていた」
「貴族の娘か? それにしても足を見せるなど聞いたことはないし……」
「食べ物の知識はなさそうだった。タヌの実を食べようとしていた」
最初に会った時、娘がかじりつきそうになった果実の名を口にして思わず肩をすくめる。
自死目的でもない限り、あれを食べようとする者はいない。加えてこちらの食べ物や水が身体に合わなかったことも告げた。今は眠らせて転がしているとも。
「そうだ、腹くだしに効く薬も頼む」
「酒、薬、調味料。その他には? 全く根こそぎ持って行く気か?」
「ああ……っと、何か、その……若い娘が着るような服が、欲しい」
最後は気恥ずかしくてもごもご呟くと、店主がぽかんと口を開ける。
「――何、だって?」
「だから、その、娘の着替えのための服を一式。他に必要な物があったらそれも頼む」
年頃の娘が必要とする物なんてまるで知らないから、ジークヴァルド店主にほぼ丸投げする。
店主の――雑貨屋の店主として常駐しているデニス・デュッケは無言でジークヴァルドをにらむ。
任務から逸脱しているのを、ジークヴァルドは自覚している。ただ周囲に女性がほとんどいない環境だったジークヴァルドには、娘が必要とするだろうあれこれを想像して買うなんて、無理難題だった。
必然的に頼れるのはデニス・デュッケだけだった。懇願し、半分恫喝するジークヴァルドには差し迫った問題もあった。
「早く戻らないと、娘が目を覚ますかもしれない。最悪逃亡される」
「素性もわからないのに消えられては面倒だ。――この貸しは高くつくぞ」
「ああ、恩に着る」
ひげ面のジークヴァルドより何倍も洗練された容姿を持つデニス・デュッケは、まず自分の店からいい香りのする石鹸、王都で流行しているという化粧水と軟膏を無造作にジークヴァルドの前に置く。
「その娘の体格は?」
「あ、あ、ええと、身長は俺の肩くらいで体重は、普通だと思う」
「お前の普通の基準は?」
「鎧くらいだ」
「……堅物のお前に聞いたのが間違いかもな。その娘の特徴は? 髪や目の色とか、肌の色を教えろ」
デニスから聞かれて娘のことを思い出す。
腕におさまるくらいの大きさで、髪は黒く長くてまっすぐ、娘の顔を縁取っていた。
ようやく開けた目は黒に近い茶色で、まつげは長かった……。
肌は、ああ、白くてきれいだと。
「おい、おおい、ジークヴァルド・シュテルン。白昼夢でも見ているのか?」
「あ? す、済まない。髪、髪は黒。目も黒に近い茶色だ。肌は白くて、少しクリームがかっていて……なんとも」
「なんとも?」
「きれいな、色合いだと」
聞かれるままに答えていたジークヴァルドは沈黙に気づき、デニスに注意を払う。
呆れを隠そうともせずに、デニスは立っている。
「しっかりしろよ、ジークヴァルド・シュテルン。王都騎士団第二連隊隊長の名が泣くぞ」
「元、だ。今の俺は猟師にすぎない」
は、とデニスが鼻で笑う。そう、ジークヴァルドはある事情から、騎士の地位と名誉を捨てて森に住んでいる一介の猟師だ。
獣を狩り加工して売っては日々の糧を得る。ただそれだけの存在だ。
「まあ、そういうことにしておいてやる。半刻待て、店は閉めるから中で好きに過ごしていい」
手際よく店を閉め、デニスは表に出て行く。
ジークヴァルドはデニスが座っていた椅子に腰掛け、酒の封を開ける。ジークヴァルドのために取っておいてある酒は極上で、いつだって喉をすぎれば感動ものなはずだったが、今日ばかりは素直に酔えない。
突然現れた怪しすぎる娘に、なぜこんなに振り回されているのか。
かつてのジークヴァルドなら即座に無力化して王都に送り、尋問でも何でもして素性を明らかにし、しかるべき対処をする。
それが任務だったし本分だったから。
間違っても娘の容姿を説明する途中で言いよどんだり、ぼうっとしたりしない。
娘の仕草や寝顔を思い出すたびに、いたたまれなくなったりしない。
酒を飲む気も失せて、ジークヴァルドはデニスが戻るのをじりじりと待つ。
森の家で娘はどうしているだろう。まだ眠っていてくれるだろうか。ジークヴァルドの非道な振る舞いに気づかないまま。
どうか眠っていてほしい。心のどこかでそう、願う。