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森のおとしもの  作者: 二木
5/10

05

 ジークヴァルドの願いも空しく、娘は二度ほど外に出て行った。

 その気配に内心失望してしまう。あの薬でも駄目なら、どうすればいいのだろう。熊の毛皮の感触を肌で確かめても、慰めにならない。もっと強い薬は村では入手できない。

 ただあんな娘を置いて街まで行くのも不安だ。まだ娘への嫌疑は晴れていないし、なんといっても病人なのだ。

 もう少しすれば夜も明ける。朝食を、作らなくては。


 あれこれ考えているうちに、誰かから聞いた話を思い出す。

 異国の食べ物や飲み物がまるで合わない男が、徹底的に清潔にしたのだと。具体的な方法はどうだったか。確か水も一度湧かしてから冷ましたものでしのいだと言っていなかったか?

 今の状況に当てはまるかはわからない。ただやってみる価値はあるだろう。

 戻った娘がまた眠るのを待って、ジークヴァルドはそっと起き出した。


 大きめの鍋に水を入れて炉にかける。この湯や冷ました水を使って、娘用の食事を作れば腹下しもおさまるかもしれない。

 とにかくたくさん湧かそう。もう一つ二つ鍋を買っておけばよかったと、ジークヴァルドは後悔した。



 娘にはとにかく薄く作った粥と、ひたすらに煮込んだ野菜を食べさせる。

 今朝の娘の様子は、ジークヴァルドの顔と卓に置かれた食事を交互に見つめていた。その視線の動きはジークヴァルドには、なじみのあるものだった。

 警戒していた。

 もしかすると不調の原因はジークヴァルドの作る食事にあるのではないかと、思っているようだ。毒や害するものなど与えない。ジークヴァルドは娘の前に置いた椀をいささか乱暴に取り上げ、一息に飲み干す。野菜の煮込みも同じように食べてしまい、鍋を娘の前にどんと置き、ゆっくり粥をよそった。

 今の行動のどこにも毒を盛る機会はない。

 じっと娘を見つめていると、娘がそろりと椀に手を伸ばした。一瞥して、ジークヴァルドを真似して椀に口を付ける。野菜はさすがにさじを使って食べた。

 茶も一つの茶器からそれぞれ杯に移したものを飲む。


 さすがにもう大丈夫だと思っていたのに。

 娘が腹を押さえたのは、しばらく後のことだった。

 よろりと立ち上がり、外に出ようとした娘はきっとジークヴァルドをにらむ。無言の糾弾に怯むがもとよりジークヴァルドに害意はない。ただあれだけやったのに、結局娘は体調を崩してしまった。


 この状態が続けばよくないのは想像できる。食事が十分にとれないと、やせて、他の病も呼び込んでしまう。やはり街まで行くべきだろうか。

 口元を押さえて戻ってきた娘が心配になる。

 皿洗いをしながら心は寝台に伏せっている娘のことばかり。

 一連の行動を細かいところまで確かめる。大きな鍋で新鮮な水を湧かした。それを使って料理をした。

 どこにも、不潔なものが入り込む余地などなかった。――なかった、はずだ。

 強い酒は悪いものを殺すのは知っていたがまさか粥と煮込みに混ぜるわけにもいかない。

 何が悪かったのだろう。無意識に手は動いて皿をすすいでいた。布巾で拭こうとして、手元に注意がいく。


 水は湧かした。それを用いた料理を作った。

 だが、器は? それに歯みがきに渡してあるブラシは?

 おそらく娘が触れるもの全てをきれいにしないと、繰り返すのだと気づいた。娘用の器とさじ、ブラシなどを鍋に放り込み薪を増やす。昼までに湧かしたこれらを触れるくらいまで冷やさないと。

 面倒だが仕方ない。

 ジークヴァルドは苦々しい思いで、鍋と向き合った。



 どうやら触れるもの全てを湧かした湯に放り込むか、ジークヴァルド秘蔵の強い酒で拭くという処置は正しかったようだ。重い雰囲気で取った昼食後は娘の不調の回数はぐっと減ったし、夕食後はさらによくなった。

 しばらくは薄い粥と煮込んだものだけを食べてもらわなければならないが、どうにか問題は解決したようだ。ジークヴァルドは安らかな気持ちで、夜を過ごした。



 翌日の朝日にはすがすがしささえ覚えた。

 

「いい朝だ」


 娘もまとまった眠りがとれたせいか、やつれた感じが薄れほんのりとした血色も戻っている。

 ジークヴァルド自慢の野菜や、森でとれる熟れた果実を食べさせられないのが残念だが我慢してもらうか。

 小さな達成感に気を良くしたジークヴァルドだったが、すぐに次の試練を迎える。

 朝食を終えた娘がどうも落ち着かない様子を見せる。腹具合がまだ悪いのかと思ったが、腹を押さえたり便所に急ぐことはない。ただ髪に手をやったり、脱いだ靴下を複雑な面持ちで見つめていたりする。


「何だ? 何が不満なんだ?」


 わけがわからずについ声を出すと、娘はそわそわというか、もじもじとする。

 そして意を決したのかジークヴァルドに、娘の方から近づいた。

 襲うつもりか? 思わず短剣に手をかけたジークヴァルドの前に立ち、娘は縛られたままの手を伸ばし――濡れた髪に触れる。


「う、わっ」


 若い娘と触れあうなど、ついぞなかったジークヴァルドは思わずのけぞる。女性から男性に手を出すなどはしたない。どうしてこの娘は平気な顔なのだ。むしろ大まじめだ。

 娘の意図が読めず突っ立っている。娘の手が濡れた髪を執拗につまんでいる。

 ここで、ようやく娘の要求というか欲求を察する。


「髪を、洗いたいのか」


 髪だけでなく身体や、服もだろうか。

 ――困った。困る。

 ここにはまともな湯浴みの設備はない。たいていは川で、寒い季節は洗濯用を兼ねたたらいで湯を頭からかけて済ませていたから。

 しかし娘の瞳には切実な光が宿っている。

 顔だけは洗っていたが、その他は連れてきて以来何もしていない。若い娘には気の毒な状況か。ただ娘の湯浴みでも水浴びでも言い方はどうあれ、服を脱ぎ裸になって洗うことには変わりない。


 どうする? 川に連れて行くか。まさかたらいに湯をはってジークヴァルドが世話するわけにもいかないし。

 湯を沸かすための鍋は娘のものを入れて冷ましている途中で、あけられない。

 両手を頭にやってかきむしりたい気分だが、娘も我慢できなかったからジークヴァルドに訴えてきたのだ。

 しばらく考えて、ジークヴァルドは覚悟を決めた。



 娘の手首の戒めを切る。うっすら縄の痕がついていて、自分で縛ったのに申し訳ないと思う。

 石鹸と手桶、布を渡し、着替えをと考えそこで動きが止まる。

 着替えなど、ない。若い娘用の着替えなど、全くの想定外で置いているわけがない。あるのは数少ないジークヴァルドの着替えだけだ。不本意だが、本当に不本意だがとりあえずそれでしのぐしかない。

 なぜ自分の下着を渡さねばならないのか。

 情けない。それ以上に気まずくて仕方ない。

 娘にしても、こんなひげ面の着ているものを身につけるのは気が進まないだろう。


 済まないと思いつつ布に重ねて下着を渡した。


 ついてこいと身振りで示し、家の裏手を流れている小川に案内する。洗濯場もかねて何枚か板を置いている、そこがジークヴァルドの浴室だった。


「ここで洗え」

 

 川と湯浴み用の品々を交互に指させば、娘は理解したのかぎゅっとそれらを胸に抱いて、また頭を下げた。

 どうやら理解したとか感謝をこの動作で表しているらしい。

 ジークヴァルドは頷いて、その場を離れる。ただ家には入らずに、気配を探る。そう待つこともなく、小川から水音が上がる。

 直接水を飲んだりしなければ、腹は壊さないだろう。

 確かに湯浴みに思い至らなかったのはジークヴァルドの落ち度だ。


「若い娘だ。悪いことをしたな」


 独りごちてはいるが、意識は小川に集中していた。

 どこをどんな風に洗うのだろう。今の水音はどの段階なのか。

 一度想像しだすと、加速してしまう。娘が体格差のあるジークヴァルドの下着の中で身体を遊ばせて戻ってきたとき、汗が噴き出したのをみっともないと思ったが止められなかった。


 それに強めの日差しがいけない。うっすら身体の線が透けて見える。

 慌てて振り向き、菜園に急ぐ。ぶちぶちと野菜の葉をむしり、畝の間を歩き回った。

 

「俺は何をやっているんだ……」


 これはもう、街に行かなければ。

 買い込むものを書いて、全てそろえてこなければ。

 ただどんな顔をして、娘用の服や――下着などを買えばいいのか。

 

 新たに課せられた任務は、かつてないほど困難を極めそうだった。






 









 


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