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森のおとしもの  作者: 二木
4/10

04

 上と下から食べたものはほとんど出てしまったのではないだろうか。ジークヴァルドは疲れた様子の娘を前に、そんな想像を巡らせた。尻を拭くための葉を便所には置いてあるが、後で補充しておこう。

 家に戻り、ジークヴァルドの用意していた水で口をゆすいで娘は、杯をジークヴァルドに渡すと同時に頭を下げた。


 驚いた。


 警戒心をあらわにしていた、野良猫のような娘といきなり意思疎通が図れた。少なくともこちらの気遣いは受け入れた、らしい。

 ただ娘はすぐに寝台に戻り膝を抱える。ジークヴァルドも気を引き締めた。娘が危険人物でないとはっきりするまでは、監視は緩められない。

 杯を受け取り、ジークヴァルドは扉の近くで腰を下ろす。

 手首の戒めをどうしようか迷う。内心は外しても構わないのだが、まだ時期尚早だろう。足を自由にしただけでも感謝してもらわないと。


 娘がいるせいで朝の入浴という名の水浴びもできていない。

 他人がいるといろいろ調子が狂うのだと、久しぶりに思い出す。

 朝食に使ったものを洗って乾かし、根を煎じた茶を淹れる。朝食が終わったばかりだが、昼は何を作ろうか。娘には何か新鮮なものや、甘いものでも……と頭を悩ましていてふと気づくと、娘が壁にもたれて目を閉じていた。


 しばらく見ていても動きがない。これは眠ってしまったのか。


 徹夜だったから当然かと、起こさないよう静かに掃除や片付けをした。気にするなと思うのに、つい何かの折に娘に視線を向けてしまう。

 髪の毛が頬にかかり、まっすぐにたれている。器用に寝ているが姿勢が窮屈ではないかと、親切心がわいた。


 音を立てずに近寄り、膝の下に腕を差し入れる。そっと横たえて、毛布をかける。

 額のこぶは色こそ派手だが腫れは引き始めている。吐いて下した後としては、息は規則正しく熱もない。

 これは静かに寝かせておこう。

 睡眠を十分に取った後なら、もう少し意思の疎通も図れるだろうか。

 ジークヴァルドは眠る娘を眺め、そっと後ずさる。



 手早く家畜の世話をし、ついでに自分の身だしなみも整えてささやかな菜園で作っている野菜を取ってきた。腹の調子が悪そうだし昼は粥にするかと、内容を決める。

 今のうちに作っておこう。そうすれば余裕ができる。一人でもやらなければならないことは多いのに、予定外の人間が増えればなおさらだ。

 この二年のうちで最も作業について考え、段取りを組んで実行する。

 そんなきびきびとした行動は嫌でない。かつての生活では規律が何より重んじられ、それを遂行したものだ。ジークヴァルドは自分でも驚くくらいに、この状況を受け入れ楽しんでいた。


「……ん」


 娘が声をあげて、ジークヴァルドは危うく肉を切っていたナイフを取り落としそうになった。

 単なる音だから伝わったのだと理解するまで、少しかかる。娘をうかがうと起きる気配もなく、すうすうと寝息を立てている。

 寝返りをうった拍子に、ジークヴァルドには短すぎると思う下衣からむき出しの腿と膝がのぞく。慌てて身体をねじって視界に入らないようにする。落ち着け、落ち着くんだ。

 あれは単なる寝言と寝返りだ。ただ、それだけのことだ。

 動揺を押し隠し、それからは料理に専念する。娘が起きる前に粥を作っておこう。

 そして、もう一度顔を洗って頭を冷やそう。



 娘はジークヴァルドの粥を食べた。手は縛ったままなので食べにくそうだが、さじを使って器用に腕を空にした。茶も飲んで歯みがきも済ませたが、しばらくするとまた腹具合がおかしくなった。椅子に座ったまま娘が呻く。

 外に案内してたしなみとして少し離れて待っていると、今度はなかなか戻ってこなかった。

 逃げ出した足音は聞こえない。つまりは、かなり長い間上からか下からかその場で出していたということになる。

 腹下しに効く薬があったはずと記憶をたどる。

 ただ粥でもだめなら、夕食には何を出せばいいのか。難しい問題を突きつけられた気分だった。



 薬を飲ませたがあまり状態はよくないようで、午後も何度か家と便所を往復する。脱水は怖いので水と岩塩を取らせる。何度か吐いたのか娘の目は潤みがちだ。

 そんな場合ではないのに、無駄に動悸がしてジークヴァルドは落ち着かない。

 なるべく娘とまともに向き合わないよう努力して、同じ空間に居続ける。


 さて夕食。あぶった肉と野菜の煮込みで十分に火を通したものを自分用に、昼より水を多くした粥とくたくたに煮込んだ野菜を娘に食べさせた。

 食後に薬も飲ませた、が、やはり駄目だ。何を食べても飲んでも具合を悪くするので、ジークヴァルドはくじけそうになる。

 異国の者らしく思える娘には、この国の食べ物は口に合わないのか。

 火を通していない果物や野菜は食べさせていないのに、このありさまか。

 まるで、幼い子供や赤ん坊のようだ。あいつらは食べたらすぐに出すのだから。


「赤ん坊……?」


 つらつらと考えていて、ジークヴァルドはふと気になる言葉を拾い上げる。確かに赤ん坊は大人と同じものは食べられない。粥も水のようにのばしたものだ。

 スープの上澄みだけを飲ませるか。腕組みをして、ジークヴァルドはあれこれ献立を思い浮かべる。

 いつもなら夜は酒をのむのだが、今夜はそんな気分にならない。

 よろりと戻ってきた娘が枕に力なく頭を乗せるのを確かめ、急に吐き気が襲ってきた場合に備えて寝台近くに桶を置く。


「すまないが手首の戒めは朝まではほどけない」


 濡らした布を手渡すと、口の周りをぬぐって娘は何かを呟いた。

 ジークヴァルドにはわからない音の羅列。ただ警戒は薄れてきたようで、ジークヴァルドの接近にも昨日のような緊張を見せない。


 娘は壁の方を向いた。背中を向けられた。


 ジークヴァルドは暖炉の前に、売り物にしようと思っていた熊の敷物を広げる。

 寝台は一つきり。さすがに二晩続けての徹夜は堪えるからジークヴァルドも横になりたい。

 女性に寝台を譲るのは、元騎士としては当然の行いだから必然的にジークヴァルドの寝床は床になる。

 森の夜更けは冷える。板を張ってあるとはいえ、床からの冷気は軽くしたい。

 熊の毛皮はその意味では役に立つ。剣を側に、短剣も腰帯に佩いたままジークヴァルドはごろりと横になった。


 娘が夜中に起き出さないよう、安らかに眠れるといいと思いながら。






 

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