03
意識のない娘は案外に重く、家にたどり着いた頃にはジークヴァルドは疲れ切っていた。
連れて行かなかった猟犬が尻尾を振りつつ、しきりににおいをかいでいる。
とりあえずは一つしかない寝台に娘を寝かせた。どさりと寝台に横たえても、意識が戻る気配はない。
今の間に、と警戒を怠らないよう注意しながら娘の身体を探る。胸の隠しには他には何も入っていない。腰のところにもあった隠しには、手巾が収まっている。
慎重に服の上から触れると、胸の下で左右ともに固い感触がした。
武器を仕込んでいるのか。にわかに緊張しつつ、服が腰のあたりで上下に分かれているのをさいわい、腹側からそっとめくってみる。胸の下の曲線に合わせて胸当てのようなものが見えた。かなり精緻な刺繍が施されていて、手が込んでいるように思える。
触れるとさっき固いと思ったのは、下乳に沿って胸当てを構成しているものだった。
いったいこれは何だろう。この娘は下着は身につけていない。ただ胸だけを覆うものを付けている。
服も謎だらけなら、その下も理解しがたい。
上はとりあえずこれくらいにして、今度は下の探索なのだが。
さすがに若い娘の服の裾をめくりあげるのには、葛藤と多大な努力を要した。上から触れた感じでは、特に不審は覚えない。
たださきほど痛い目にあったのは事実だ。思いもよらない武器を隠し持っている可能性はある。ジークヴァルドはいっそうの注意をもって、娘の服をめくりあげた。
靴下は膝下まで。柔らかそうで白い腿が見え、その上は……。胸当てと同じ模様のものが足の付け根から下腹を覆っている。歪な三角形に見えるこれは、触れても固い感触などなかった。
胸当て以外危険そうなものは、ない。
服も変わっている。靴もここいらでは見かけない形だ。紐で編み上げることもなく、足にぴたりと合っているのはわざわざあつらえているのか。靴はつやつやとした革で、縫い目も細かく均一だ。相当高価なものに違いない。
ジークヴァルドは困惑しながら娘を見下ろす。かなり、いや相当変わった格好の娘はかなり高価な品を身につけているとしか思えない。
いったいどこから来たのか。何者なのか。
謎は深まるばかりだ。
油断せず、額のこぶに水で濡らした布を置いて、ジークヴァルドは娘の目覚めを待った。
目を配りながら暖炉に鍋をかけ、スープを温める。頃合いを見て腕に移しパンを浸しながら口に運ぶ。今日は酒はなしだ。
猟師の特権で肉は多く入っているが、今日ばかりは味がよくわからない。それが娘のせいなのか、娘からの攻撃の影響なのかは判断できない。
規則正しく胸は上下しているから、単なる気絶と思うがずっと一人きりでいた空間に別の人間、しかも若い娘がいるのはどうにも調子が狂う。
結局どこに入れたのかも意識しないまま食事を終え、ひげだらけの顎下で手を組んで娘を見守る。猟犬が側に座り、不安げにジークヴァルドを見上げる。
撫でてやりながら視線は娘に固定していた。
ふと、娘が身じろぎをした。ゆっくりと固く閉じられていたまぶたが持ち上がる。
ぼんやりとした視線を天井に当てて、娘は何度か瞬きをする。それから首を巡らせ、ジークヴァルドを認めた。
徐々に記憶が戻ったのかにわかに緊張した面持ちで起き上がろうとして、縛られている手足に気づく。その顔に浮かんでいるのは、純粋な恐怖だった。
これが敵意とか探る気配であれば訓練された人間だと思ったのに、どうも違う。
ジークヴァルドは何も見逃すまいと思いながら、娘に質問する。
「お前は誰だ? どこの者だ?」
娘は小さく頭を振る。寝台に起き上がり手足を縮こまらせて、ジークヴァルドから遠くの隅に逃れる。まさしく追い詰められた獲物さながらだった。
ジークヴァルドは言語を変えて同じ質問を繰り返すが、反応はない。
言葉が、通じないのか?
演技の否定はできないが、ジークヴァルドはその結論に達しそうになる。娘が発した言葉は聞き取れなかった。ただ耳は聞こえているのは間違いない。
遠い異国から何かの理由で森に、迷い込んだのか? たった一人で?
ああ、とジークヴァルドは冷徹に考える。この娘が斥候で森に仲間が潜んでいる可能性はある。優れた騎士や兵士なら気配を消すのも可能だ。あの場所からまっすぐ家まで戻ったのに後悔を覚えたが、表情には出さない。
獣よけの意味合いもあるが、周囲に罠はしかけてある。家の中には多くの武器も置いてある。
この娘を取り戻しに来るか、単に攻めてこようとも、簡単にやられるつもりはない。
剣を抜いて娘に向ける。
怯えた表情が演技でないなら大したものだ。
何かすれば、斬る。殺気や闘気で興奮を高めながら、ジークヴァルドは娘と周囲に注意を払う。
娘にも、ジークヴァルドにも長い夜が過ぎた。
結局襲撃はなく、夜は明ける。家畜の目覚めた気配がした。耳を澄まし、こちらの姿を見られないように窓に近寄り周囲を見渡す。人のいる様子はない。ジークヴァルドはようやく緊張を解いた。
娘も寝台の上で夜明かしをした。疲労を顔面に貼り付けて、ジークヴァルドの挙動ひとつに痛いほどの注意を払っている。
一晩絶やさなかった暖炉の火に薪を足し、ジークヴァルドは鍋をかける。昨日の残りに水と干し肉を足した。鍋の中をかき回し、腕に盛る。パンを添えて盆にのせて娘に差し出した。
「食え」
一晩何も食べていない娘は空腹だろう。でも娘は、盆を受け取ろうとしない。
ああ手首を縛ったままだからか。しかし腕に入れたスープとパンなら手は縛られたままでも食べられるから、ほどくつもりはない。
ジークヴァルドは黙って盆を寝台に置いた。自分は食卓で同じものを口に運ぶ。
娘はジークヴァルドが食べているのを、目だけを忙しく動かして眺めている。
「毒は入っていない。空腹じゃないのか?」
ジークヴァルドの言葉には反応を示さない。ジークヴァルドが食べ終えた頃に、盛大に娘の腹が鳴った。途端に顔を赤らめて娘が居住まいを正す。そろりとジークヴァルドをうかがいながら、パンに手を伸ばした。
何でもかじりつくのが娘の流儀なのだろうか。いきなりパンを口に入れたはいいが、固くてかみ切れていない。ここでパンは焼いていない。村で買ってきておいてあるものだから、かちかちになっている。
文字通り歯が立たないだろう。娘もそれと悟って諦めたのか、ジークヴァルドの真似をする。
スープに浸し、柔らかくして、食べる方式に。
椀が空になりジークヴァルド少しだけ安堵する。ここで飢え死にの結末は免れた。次は歯を磨かせようか。専用の葉と小さなブラシを渡し、娘の前で歯を磨いてみせる。娘も葉を砕きながら磨いた。
生活習慣は似通っているのか。杯に水をくんで盆に置く。口をゆすぎ少し迷っていたが、椀に空けていた。
一応食事は済んだ。ただ今日は娘を残して家は空けられない。まだ仲間がいる可能性は否定できない。天気はよいのに家に籠もらなければいけないのかと、残念に思う。
娘は寝台の上に座ったままだ。
少し落ち着いたようだが、緊張は続いている。
ジークヴァルドは昨日とらえた兎を処理することに決めた。石の床のところで皮をはぎ、下に桶を置いてつるす。血抜きが遅れたから肉に臭みが残るが、仕方ない。
作業をしていると娘がもじもじし始めた。横目でうかがいながら、ジークヴァルドは特に何もしない。そのうち、娘の様子が変わる。
腹部を押さえて苦しげな表情になった。
空腹時にならすのとは別の音が、腹部から聞こえる。これは、下すときの音だ。
「腹を壊したのか?」
娘は返事はしなかったが、いかにも辛そうだ。
わずかに逡巡して、ジークヴァルドは足の戒めをほどく。腕をつかんで寝台から下ろすと、家の外に作ってある便所に案内した。
逃げるのではないか。仲間が襲ってくるのではないか。
そう警戒していたが、どちらでもなかった。盛大に吐いてくだす音が続いている。
あぶない病持ちか?
次から次へと厄介ごとが起こるかと、ジークヴァルドは娘が憔悴した様子で戻ってくるまで考え続けた。