9月12日(火)夕方~夜
結局俺と七海は一緒に帰ることにした。
俺も七海も、どうしようもなく不器用だけど、お互いにこの距離感を何とかしたいと思っているのは間違いない。
二人で言葉少なく自転車置き場に向かった。
「今日はいいの?」
七海は不思議研究会に所属していて、放課後は毎日タロットや占いをしてたけど。
鞄を前のカゴに入れて、七海は自転車の鍵を差し込んで、顔を上げた。
「いいの。当分、いい」
七海はそう言って、自転車に跨がった。
珍しい。七海は本当にタロットが好きで、一番ハマっていた時期は、鞄の中に入れて持ち歩いて、どこでもタロットしていたのに。
俺たちは自転車で坂を下りていった。川沿いまで出ると椎名病院が見えてくる。
その奥に椎名が住んでいるマンション。
本当に何でも入っていて、プールから小さなホール、ミニシアターまである。
今日はカイロス……じゃない三本地所の婚約者が来ると言っていたからか、家の敷地には沢山の車が停まっている。
婚約者は都内に住んでいるから、ここまでかなり時間がかかると思うけど、頻繁に来ている。
深夜に散歩してたら、この橋の真ん中にカイロスが立っていて、危うく球を投げる所だった。
16世紀じゃあるまいし、愛のない結婚なんて、あり得るのだろうか。
でも、神宮司財閥のトップと椎名が結婚したら、この町を巻き込んだ戦いは終わるだろう。
いつでも誰かと付き合ってて、特別に好きな子も居ないみたいだし、いっそ結婚しちゃえばいいのに……なんて思う俺も居る。
椎名に本当に好きな子とか、いたことあるのか?
マンションに女の形跡なんて常にあるし、布団から長い髪の毛がビローンなんて日常なんだけど、結局俺と居るような。
わかんね。
明日学校で聞いてみよう。
同時に思う。絶対に答えないな。
俺は考えながら、椎名のマンションを見上げた。
「……ごめんね、行きたかった? パーティー」
七海の声に俺は顔を戻した。
「いや、全然。パーティーには興味がない」
「そうなの?」
赤信号で停まった俺たちは、自転車を止めたまま話した。
「すごい量の飯が余るんだよ。それを食べたかっただけ」
「本当に、諒真は食いしん坊だね」
信号が青になり、七海は思いっきり自転車のペダルを踏み込んだ。
七海の後ろをついて自転車を走らせる。
川の上は風が強い。向かい風に、俺はサドルから立ち上がり、ペダルを踏み込んだ。重いけど、気持ちが良い。
九月くらいの風が、季節が、俺は一番好きだ。
夏が終わって、それでももう、すぐ後ろに秋が来ているような淋しさ。
この町の唯一良い所は、山々の紅葉が見事なことだ。
この橋から見える神宮司研究所の山は、10月も後半になると見事に紅葉する。
俺はそれを、この橋から見るのが好きだ。
「ねえ」
前から七海の声が流れてくる。俺の返事もまたずに七海が続ける。
「福茶堂に寄っていかない?」
俺はその店の名前を聞いて、自転車を加速させて、七海の隣に並んだ。
「いいな」
思いっきりサムアップした。
「でしょ?」
七海は微笑んだ。
垂れ目がマスクで少し見えにくい。俺は微笑むと垂れる七海の目が気に入っている。
「……あのさあ、そんなに風邪っぽく見えないし、マスク取ったら?」
俺は横に並んで、小さな声で言った。
「あはは、うん、でも取れないんだ」
七海はマスクの位置を正しながら言った。
福茶堂は駅の北側にある甘味処だ。
地元の有名店で、名前入りの紅白饅頭とか、昔ながらの商品が多いのだが、息子さんが店に入り、突然パフェが出現した。
それがまた大きい。高さ30㎝ほどあり、上にそのパフェにしか入ってない大福が何個も乗っている。
女の子は四人がかりでそのパフェを食べるらしい。
俺もずっと気になっていたけど、椎名や浜島と来るなんて、なんだか悲しくないか?
椎名は「普通だったよ」とか平然と言い放ちやがって。甘い物なんて得意じゃないのに、どの女の子と行ったんだよ。
店につくと、テーブルに通された。
四人が座れる席だ。七海は窓際の席に座った。
……俺はどこに座るのが正解なんだ? 分からずに一瞬悩んだ。
隣……は食べにくい。だってここにきたらパフェを食べるんだろ?
じゃあ、向かい側だな……と、七海の目の前の席に座った。
すると目の前に七海が居て「……席の選択を間違えたか……?」と一瞬で後悔した。
どこに視線を置くべきなのか、分からない。
机はかなり小さめで、七海が近い。
俺は窓に背中をむけて座った。
注文を聞きに来た人に、七海はパフェを一つ注文した。
分かっちゃいたけど、二人で一つのパフェを食べるなんて……恋人みたいだ。
俺はもの凄く興奮していたが「中で食べるの久しぶりだわ」と、慣れた風をよそおって話した。
心の中は、女の子と食べ物をシェアするとき、どうすればいいのか会議が開催されていた。
落ち着かずにスマホを取り出して、【女の子 食べもの シェア】で検索してしまう。
そこでシェアしてくれる時点で脈あり! なんてサイトを見て、そうじゃなくてシェアするためのマナーみたいなものは無いのか?! と焦るが、その前にパフェが届いた。
「おおー、今月は草餅だよ。諒真草餅好きだよね?」
七海はパフェをみて目を輝かせた。
そしてパフェの向こうから、俺の方を見て
「大福全部出していいよ? このパフェの大福、全部種類が違うんだから」
七海はマスクを持ち上げながら言った。
一瞬にして、七海は誰と来たのだろう……と考えるが、よく考えたらここは神宮司御用達の店で、ということは神宮司さくらと親友の七海は、よく来ているはずだ。
道理でお店の人が何度も俺の顔を見るわけだ。
いつもは神宮司と来てる……のかな? まさか佐伯と来たことがあったり……。
そこまで考えて、俺は心の中で首を振った。
とりあえず、今俺の目の前にいるのは、七海で、七海の目の前にいるのは俺だ。
その事実から、認識しようと思う。
「大福、俺が貰っても良いのか?」
「私は、この下に入ってるアイスが目的なの。美味しいんだから!」
七海は目を細めた。
アイスも好きだけど、このパフェ初体験の俺は、まず大福だ。
「じゃあ……」
そう言って、スプーンで大福をすべて取り出した。
パフェの食べ方として正解かどうか、分からない。
最初に準備されていた皿に大福を並べた。
草餅……苺大福……甘酒饅頭に豆大福……全部このパフェ専用に作られたもので、皮が薄い。
その上に七海がアイスをどんどん乗せてくれる。おお……豪華だ。
いただきまーすと言うと、目の前の七海が「どうぞどうぞ」と言った。
俺は皮が薄くて、アイスがついた大福を食べ始めた。
んん、皮とアイスが混ざって……美味しいい!!
「これはいいな!」
俺の目は間違いなく輝いていた。
七海は思いっきり吹き出した。その目元は思いっきり垂れて、本当にたぬきのようだ。
いや、もちろん可愛いという意味で。
「良かった!」
そう言ってマスクを少しずらして、アイスを食べ始めた。
お弁当を食べた時も思ったけど、こうして向かい合って食事をするのは、久しぶりだ。
お弁当の時は緊張して、冷静になれなかったけど、今日二度目の七海と食事で……俺は少し冷静に七海を見ていた。
アイスを食べる時に、左手で髪の毛を耳にかけている指先の細さ。
スプーンを裏返しにして口に入れるんだな。どのタイミングでスプーンをひっくり返してるんだ?
スプーンを口の中に入れて、動かしているのが、ウサギみたいだ。
俺はアイスを食べる七海をずっと見ていた。
小学生の時は、毎日と言っても過言じゃないほど、七海は俺の家に遊びに来て、一緒にお菓子を食べた。
俺の両親は仕事が忙しく、夕食はよく姉貴が作った。
料理があまり好きではない姉貴は、いつもホットプレートを取り出して、たこ焼きばかり作っていた。
ああ、そういえば、たこ焼きの時はいつも椎名も一緒だった。
アイツはたこ焼きを作るのがやたら上手くて、椎名が焼いたたこ焼きは外がカリカリしてるのに、中がトロトロで。どうしてそんな風に出来るのか分からないけど、それが出来るのは椎名だけだった。俺が作ると同じ材料、機材なのにカチカチでパサパサ。料理は材料じゃないな。
姉貴も七海も、椎名が焼いたたこ焼きだけは、すげぇ食べてたなあ。
陽がさす店の窓際で、俺たちはのんびりとパフェを食べた。
本当に何年ぶりだろう。
こんな風に二人で、ゆっくりと食事が出来るのは。
「……また、たこ焼き食べたいなあ」
その時七海が呟いた。
俺は何度も瞬きをした。七海が同じ事を、考えていた。
「模試が終わったら、やる?」
俺はスマホを取り出して言った。
この空気なら、久しぶりに七海が家に来て、姉貴と、椎名も呼んで、一緒に楽しめそうだ。
七海は、口元にスプーンを入れて、目を閉じた。
斜めにはいる陽が、睫に影を落とす。それが涙のように見えた。
「……そうだね、やろう? 久しぶりにたこ焼きパーティー。食べたいな」
七海は目を閉じたまま、言った。
オッケー。俺は嬉しくなってスマホのスケジュールにたこ焼きパーティーを入れた。
土曜日だから姉貴も居るし、スポンサーになってもらおう。
駅前の魚沼にタコを頼もうかな。紅ショウガをたっぷり入れて天かすも大盛りで。
帰宅して夕食を済ませて、部屋に入った。
姉貴はしつこく「どうだった? 七海ちゃんが彼女になった初日はどうだった? 仲直りした?」と聞いてきたけど、どうしてケンカが前提なんだ。
まあ……ケンカしたけど。でも、必死な七海をみて、俺は少し楽になったのだ。
たこ焼きパーティーをしたいと言ったら「いいじゃん!」と楽しそうにスマホをいじり「よし、タコの準備オッケー」と言っていた。
即予約したようだ。俺も楽しみだ。椎名にもラインしたら、オッケーマークをした骸骨のスタンプが送られてきた。
要するに俺はパーティーに疲れた、と。椎名は婚約者に会うといつの骸骨のスタンプを使う。
やがて骸骨の墓に入って行くスタンプが流れてきた。婚約者は帰ったようだ。
おつかれーと俺はラインを打った。
七海と居るのは楽しい。
でも、同じくらい、やっぱりそれより少し上回って椎名といるのは楽なんだ。
明日は椎名とゆっくり話したいと思う。
俺は結構話ながら自分の考えをまとめるタイプで、椎名みたいな冷静なタイプに聞いてもらうのが一番楽なんだ。
ベッドに座り、少しカーテンを開ける。
深夜12時を過ぎたが、七海の部屋の電気はついている。
最近ずっと、夜に何をしてるんだろう。
少し話せるようになったのだし、今日聞けば良かった。
そこまで考えて、なんで今までは12時前に寝てたことを知ってるんだと言われたらお終いだ! と思った。
今日もパフェを食べていたとき「日当たりがいいと、眠くなるねえ……」とボンヤリしていた。
昔から深夜まで起きててゲームをしてる俺を「効率が悪い」と言っていたのに。
カーテンの隙間から七海の部屋を見ていると、七海の部屋のカーテンが動いた。
俺はカーテンを戻して、一瞬で布団に隠れた。
するとポン……と久しぶりに七海からラインが来た。
七海【寝てた?】
俺は少し考えて【起きてる】と打った。
そしてカーテンを少し動かして、顔を出した。
七海の部屋からも、顔が見えた。そして七海はすぐに顔を隠した。
その顔はマスクをしてないように見えた。
七海【またゲームしてんの?】
俺【しようかな】
七海【好きだねえ】
俺【もう手癖みたいなもんだ】
七海【そっか】
俺は、スマホの上で指を踊らせた。聞こう……かな。
俺【七海は、何してるの? こんな遅くに】
これなら変じゃない。どうだ!
七海【簿記の勉強。受かりたいし、二級】
……そうだった。週末は簿記の模試だ。俺も問題を解くべきだな……と机の上を見たが、そのまま布団に潜り込んだ。
また明日……。
俺【そうか、頑張れよ】
七海【うん】
俺はカーテンを退けて、七海の部屋のほうを見た。
七海も開けていた。そして俺に光っているスマホと共に、手を振った。
光の線が、美しく半円を描いている。
俺もまねしようと思い、スマホを動かした。
ブブ、と再びラインが入った。
七海【そのTシャツ、まだ着てくれてるんだ】
へ? Tシャツ? 見ると中学の時、七海が奈良に行ったときにお土産で買ってきた大仏の絵が書かれたものだった。
絵柄が面白くて、俺は気に入っていた。
俺【二日に一度は着てる】
七海【マジで? 見れて良かった】
そう書いて、再びスマホが揺れて、カーテンが閉まった。
俺もベットに転がった。
……やべえ、なんだかこのやりとり、楽しすぎる。
俺は布団に潜り込んで虫のように転がって奇声を発した。
もちろん隣の部屋の姉貴に聞こえないように気をつけながら。