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9月10~12日(火)朝6時

 息が苦しいのは、この世界が水没したからでも、熱中症だったからでもない。

 俺は完全に風邪をひいて、発熱していた。

 あのあと先生に言われて熱を測ったら、38度を超えていて、そのまま保健室で休み、両親と帰宅した。

 次の日は学校が休みだったので、一日寝ていた。なるべく振替休日の月曜までに治したかった……というのもある。

 土曜日が運動会だったので、月曜日は振替休日で、神宮司家がまた湖畔でパーティーを開催。

 クラスメイトの俺たちは全員(当然椎名はこないけど)誘われていた。

 長い休みと季節の変わり目にあるパーティーを正直俺は楽しみにしていた。

 とにかく飯が旨い。見たことない食材に、食べたことない料理に、最後に一人ずつ準備されるデザート、そして今回はマグロの解体ショーらしい。

 食べたい……! 正直俺は食いしん坊だ。美味しいもの大好き。

 それにクラスメイトは神宮司に貸して貰ったドレスを着てる子もいて、見ていて楽しい。

 夏のパーティーでは、七海もサマードレスを借りていて、露出の多さに恥ずかしくなって、上からパーカーを着ていたんだ。

 むしろそれが俺のストライクで!

 白のサマードレスの上に羽織られたパーカー……、今思い出しても良い組み合わせだ。

 それに最近クラスメイトの佐伯が七海にちょっかい出してて、見張らないと……。

 そこまで考えて、布団をかぶった。


 見張るって、我ながら怖いな。しかも見張っても、特に何もしない。

 前も佐伯と七海が談笑していたのを遠くで見ていただけだ。

 椎名がいないとツッコミ不在。俺は一人でおい七海に近づきすぎじゃないか? おい何だその笑顔は? んー? 七海や嫌がってるんじゃないのかねー? なんて小姑のようにイライラするだけだ。

 だったら行っても行かなくても同じじゃないかと思って、イヤ違うと一人で布団の中で戦った。


 とにかく寝てりゃ治るだろと転がっていたが結局ゲームをしたり深夜まで漫画を読んだりして次の月曜日も熱は下がらず、俺は神宮司のパーティーを欠席することになった。

 ものすごく悲しい。マグロの解体ショー……大トロ……。

 神宮司のパーティーに椎名以外全員が行くので、俺はクラスラインに熱が出たことを報告した。

 すぐにほとんどのヤツが「残念オツ」的な反応をしてくれたけど、七海だけは返事がない。

 既読の数と、返信くれたヤツを照合までしてしまった。

 暇人にも限度がある。

 やっぱり反応がないのは、七海だけだ。


 んだよ……ついには完全に無視かよ。


 個人的に送ってやろうと思ったが、トークを確認したら、前回のやりとりが三ヶ月以上前で、なんだか悲しくなり、閉じた。

 文句を言えるほど、近い距離に居ない。


 俺は次々とラインに流れてくる旨そうな飯の写真を見ながら、悶えた。

 母さんが「二日目も辛いなら、インフルエンザかも」と俺を病院に連れて行ってくれた。

 検査したが、結果は白。咳もなく熱だけだったので、常温のアクエリアスを抱えて部屋に向かった。

 そういえば……。


「運動会の日にさあ、ポカリ準備してくれたのって、母さん?」

「なにそれ」

「……いや、いい」


 やっぱり七海か。

 俺はアクエリアスを舐めながら、外を見た。

 七海の部屋は、俺の部屋の斜め前だ。中学生までは隣の部屋(おなじ形の家なので、必然的に子ども部屋の位置も同じだ)だったけど、高校のタイミングで弟の奨太と変わった。

 きっと俺と並びの部屋がイヤだったからだ。俺も意識して、イヤだった。カーテンから向こうが少し感じられて、それをチラチラみてしまうのが。

 まあ正直、斜め前になった今も、見てるけど……。


 パーティーも終わり、ラインが完全に途絶えた深夜二時。俺はチラリと窓の外の七海の部屋を見ていた。

 まだ電気がついている。

 俺は病院から貰った薬が効いて昼間に眠ってしまい、この時間に目が覚めた。

 断じて七海の部屋を確認するためでは、ない。

 七海は頭がいいけど、深夜まで勉強するタイプじゃない。

 俺はゲームでいつも遅くまで起きてるけど、七海はいつも12時には寝ている。

 断じて毎日見ているわけではない。たまに。二日に一度くらいだ。

 二時過ぎまで起きてるのは、珍しい。電気をつけたまま眠ってしまったのか? 俺みたいに風邪をひくんじゃないか?

 スマホを取り出すが、ラインを立ち上げると、さっきのパーティーで撮った写真が目に入った。

 佐伯と七海が隣同士で写真にうつっている。

 佐伯のだらしない笑顔……くそ。

 俺はラインを閉じた。


 次の朝、起きると体が軽かった。

 枕元にある体温計で測ると五秒で平熱をたたき出した。

 俺はいつも通りカーテンを少しあけて電柱を見て、空を確認。良い天気だ。

 階段を降りていくと、いつも通り洗面所から姉貴が支度する音が聞こえる。

 台所からは、母さんが朝ご飯を作っている音……がしない。



「おはよう」



 台所には、もう制服に着替えた七海が座っていた。


「……は?」


 俺は俺はパジャマ姿のまま、口を間抜けに開いて言った。

 母さんも父さんも、そんな俺をニコニコ微笑んで見ている。

 いやいや、どう考えても朝の6時半に七海が俺の家に居るのは、おかしいだろ?

 どうして普通に受け入れてるんだ。


「熱は下がったの?」

 七海は普通に言う……が口にマスクをしていて、表情はよく分からない。

 やっぱり昨日遅くまで起きてて風邪をひいたのか?

 なんか用事があるって、ね? 七海ちゃん? 母さんはそう言って俺の顔を見た。


「熱は、良さそうね。はい、どうぞ」


 母さんは俺の席にホットミルク蜂蜜入りを置いた。

 風邪を引いてるときは、いつもこれを飲むんだけど、それを七海に知られるのは恥ずかしくて、自分のほうに引き寄せた。

 液体がポチャンと音を立てる。

 七海ちゃんもどうぞ? と母さんはコーヒーを出した。

 ありがとうございます、と七海は頭をさげた。でもマスクをずらして飲もうとはしない。

 七海はコーヒーが好きなのに。

 俺は戸惑いながらも、ホットミルクを飲んだ。甘くて美味しい。

 姉貴も洗面所から戻ってきて驚いていた。「え? 七海ちゃん? え?」 

 だよなあ、その反応だよなあ。

 おはようございます。すいません、朝からお邪魔して。

 そう言って七海は、姿勢を正した。

 俺は落ち着かなくて、ホットミルクのカップを口元に寄せた。


 朝から何の用事だよ。まったく想像が出来ずに、マグカップの持ち手をいじった。

 七海はまっすぐに俺のほうを見ている。

 俺は直視できず、ずっとホットミルクを舐めていた。

 そしてチラリ、と七海の顔をのぞき見る。

 ……少し顔色悪いな。目の下にクマが出来ている。

 大きな、しかも高そうな、しっかりとしたマスクをしているので、少ししか顔は見えないけど、俺には分かった。

 体調が悪いなら、休めばいいのに。

 昨日のパーティーで楽しくしてて、風邪ひいたのかな。

 俺がいないパーティーで、佐伯と楽しそうにしてたもんな。

 一緒にマグロ食べたり、これが大トロ? とか楽しんだのかな。

 写真にはいつもの服装でうつってたけど、何かドレスを借りたのかな。

 要らないことを考えながら、ホットミルクを舐めた。

 七海の唇が開く。

「あの……ほんと、突然なんですが、言いたいことがあって……、こんな朝早くにすいません……」

 七海は消えていくような小さな声で言う。

 んだよ……と俺は小さく続きを促した。

 父さんも母さんも気にしすぎないように動いてるが、視線は完全に七海にロックしている。

 姉貴に限っては、俺の隣で、ニコニコ微笑んで居る。

 ずっと恥ずかしそうに言葉を探していた七海は決意したように、顔をあげた。

 あの……。



「突然ですが、今日から諒真くんとお付合いさせていただきます」



 俺は口に含んでいたホットミルクをリアルに吹き出した。

 慌ててタオル入れからタオルを取り出して、机を拭く。

 何度も拭く。ちょっとまて、七海は今、何を言った?


 今日から、俺と、付き合う?


「あらまあ、あらあら。じゃあ何か作らないと。朝から何がいいからしら、お祝い……紅白餅? 餅……赤飯……小豆……あるわね……浸す……浸すわ……」

 母さんは意味もなく冷蔵庫を何度も開けて閉めてを繰り返した。

「苦節15年……ついに娘ができた……」

 父さんは眼鏡をあげた。あれ? 姉貴は娘じゃないの?

「おめでとう!! どっちから? どのように? いつから? どのような距離感の詰め方で? 運動会の時はまだ付き合って無かったよね?」

 姉貴はスマホで録画を始めた。

 俺はタオルを握りしめたまま立ち尽くした。

 七海はまっすぐに俺を見ている。

 今日から付き合うって、何だよ? 運動会のあの距離感で、突然何だよ?

 昨日なんてラインも返してくれなかったのに、何なんだよ?

 俺に一言もなく、突然これかよ?


 騒ぐ姉貴たちの声が、空から振ってくるように遠い。

 七海を見ると、母さんや父さんにからかわれて、恥ずかしそうに微笑んでいる。

 俺はその笑顔を、遠くの国の戦争を眺めるような心境で見ていた。


 突然すぎて、何の理解も出来ない。


 付き合うって……一緒に買い物に付き合えとかじゃなくて?


 だっておかしいだろ、気持ちの……ほら、確認とかもしてないのに?


 だったらこの後告白しろよ。黒い俺が言う。


 いやいや、コレはもう七海なりの告白だろ? 七海はお前が好きなんだよ! もう付き合うの。白い俺が笑う。


 七海を見ると、七海が俺の視線に気が付いて、恥ずかしそうに目を反らした。耳が赤くて、すごく可愛い。


 ……買い物じゃなくて、ちゃんと、彼氏彼女的な、話、かもしれない。


 でも突然なんで? 運動会の時は、こんな雰囲気じゃなかった。

 

 告白なら、天むすくれた時にしてくれれば良いじゃないか。


 どうして当然こんな風に切り込んできたんだ。


 お前が煮え切らない態度だから、乗り込んできたんだろ? 黒い俺が笑う。


 でも突然すぎるだろ? 告白っていうのは、もっと丁寧なものだろ?


 丁寧? なにそれ、さすが妄想ばかりしてて動かない人間は違うな。

 

 おかしい、おかしいだろ!!


 俺の中で二人がせめぎ合う。

 とにかく全く理解が追いつかなかった。

 分かるのは、七海と俺は、今日から付き合う宣言を朝の六時に突然されたということ。


 ……付き合う。七海と、俺が、恋人に?


「……いやいや、突然、なんで?」


 ついに俺は口に出した。きっと100年おくれのリアクションだ。

 それをきいて母さんも父さんも姉貴も爆笑した。七海も目元をみると、微笑んでいるのが分かった。

 朝ご飯を食べてきたので、大丈夫ですと七海は食事を断った。

 俺は簡単に食事を済ませて、一緒に登校することになった。

 正直食いしん坊の俺が、食べ物喉通らす、ホットミルクで飲み込んだ。

 息が、苦しい。



「いってらっしゃぁぁいイヤッフォォォォ七海ちゃんが私の妹になる日がキターー!」

 姉貴は叫びながらバイクに跨がった。

 ここから山の上の研究所まで姉貴はバイクで通っている。XL230。ホンダのバイクだ。

 お幸せにいい~~と雄叫びたを上げて、姉貴は去って行った。

 七海は小さくお辞儀をして見送った。俺はずっと制服のネクタイをいじっていた。もの凄く落ち着かない。

 今日は昨日の続きなのに、今日と昨日が繋がってない気がする。

 なんで七海俺の隣にいるんだ。

 混乱している俺の首元のネクタイに、七海が手を伸ばしてきた。

 もう、グチャグチャだよ? そう小さな声で言いながら。

 手を伸ばしてきて、はっ……と気が付いたように顔がゆがめた。

 一瞬泣き出しそうな表情になり、目を細めた。

 その目はゆっくりと閉じられて、七海は軽く、それでも何度も首を振った。

 俺に向かって伸ばした指先を下ろして、掌を握った。強く。

 そして、腕をさげた。

 力無く、ダラリと。



「……ネクタイくらい、自分でちゃんとしなさいよ」



 そう小さな声で呟いた。

 何より俺が気になったのは、七海が手袋をしていたことだ。

 今は九月で、寒くない。むしろ暑い。

 よく考えたら、家の中では袖に手を隠していた気がする。


「どうしたんだよ、その手袋」


 ああ、うん、と七海は手袋ごと、パーカーの袖に隠した。

「少しアレルギーが出て。それ対応。見せたくないし」

 そういって俺から目を反らした。

 アレルギー? 七海そんなものあったっけ?

 はて……? と思っていた俺に、七海が体当たりしてきた。

「いてっ!!」

 足下がふらついたが、なんとか体制を立て直す。

「なんだよ!」

 七海を見ると、俺に体をぶつけたまま、顔を斜めにして、地面を睨んでいる。

「……なん、だよ」

 俺は続けられずに黙る。

 七海は俺に体を密着させてまま、動かない。

 派手に動く心臓の音が七海に聞こえてしまうんじゃないかと不安になる。

 七海は地面をみたまま、動かない。


 俺は聞きたいと思う。


 突然「付き合う」なんて言い出した理由を。

 突然どうしたんだよ。

 声に出そうとするが、出てこない。

 いや、正確には、ただ聞きたいんだ。七海の、俺を、諒真が好きだという言葉を。

 だったら俺から言えばいいのに、そんなことあり得なくて、バカみたいに黙る。

 突然グンと下に引っ張られた。

 七海が顔をそらしたまま、俺の制服の袖を引っ張っていた。

 そして地面を見ていた顔を、俺の方に向けた。


 顔全体がゆでだこのように赤い。

 そしてマスクをほんの少しずらして



「……今日から、カノジョで、よろしく、おねがい、します」


 そう言った。


 くそ。

 くそ。

 くそみたいに可愛い。


 俺だって、七海と恋人になりたかった。

 なれるもんなら、なりたかった。

 そんなのずっと前から。

 どんどんキレイになっていく七海を隣で見ながら、何も出来なくて苦しかった。

 俺は卑屈になるばかりで何も言わず、常に逃げて。

 こんなチャンスまで七海に貰ってしまった。


 ここで素直にならないとダメだ。

 絶対に憎まれ口を言うな。

 俺は俺自身を押し込んだ。

 何か言うんだ、気の利いたこと。

 七海が喜びそうなこと……!


 なんとか口を開いて、空気を吸い込む。


「は……は……恥ずかしくて、限界だ」


 なんとか出てきた言葉はそれだった。

 七海は俺の制服の袖を思いっきり引っ張り、背中を殴った。


「こっちの台詞よ!!」


 そう叫んだ。

 なっ……?!

 だったらなんでこんなことするんだよ?!

 俺は口をポカンと開けたが、それを飲み込んだ。

 七海が「バーカ! バーカ!」と叫びながら自転車に乗ったので、俺も慌てて自転車を取りに行った。

 なんとなく、このタイミングで置いて行かれたら、学校についてから「全て嘘でした」と言われそうで、自転車に向かってダッシュした。

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