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9月11日(月)・神宮司パーティー・8

「着替えてください」

 榊さんは運転しながら言った。

 車の後部座席には男性が一人座っていて、俺に服を渡してくれた。

 俺は無言で首をふった。とにかく疲れていて、もう動けない。でも体中が興奮していて、頭がガンガンと痛かった。

「では、足のケガの治療だけでも」

 俺の横に座っていた男性が口を開いた。

 ケガ……?

 足を見ると、無数のキズがあり、大きなキズからは大量の血が流れていた。

 森の中や道を裸足で走ったのだ。これくらいのケガはするだろう。冷静になると痛みが分かってきた。

「……お願いします」

 俺が足を上げると、足元からバケツを出してきてペットボトルの水で洗ってくれた。

 水がしみて痛い。

「っ……」

「痛みを感じますか。ならば大丈夫です」

 運転しながら榊さんが言う。

「どういう意味ですか……っ痛っ……」

 俺は痛みに耐えながら言った。

「何かに心を奪われすぎると、痛みさえ感じなくなります。その状態では、誰かの痛みを感じることも出来ない」

 赤信号で榊さんは止り、俺の方を見た。

「誰かを守るためには、痛みを知れる状態でなければ、ならないのです」

 俺は無言で頷いた。

 椎名が大人びる理由がわかる。

 こんな人とずっと居たら愚痴を理論的に返されて閉口しそうだ。

 でもきっと……すごく椎名を大切にしてるんだろうな……。

「……椎名はいつから俺の姉貴と付き合ってたんですか」

「お答えできません」

 分かってて聞いている。

「榊さんっておいくつなんですか」

「お答えできません」

 分かってて聞いている。

「榊さんは……椎名のためなら死にますか」

「死にません。守るために」

「……あははは!」

 俺は声をだして笑った。

 そうだよな、死んでいたら、守れない。


 榊さんの車が七海の家に着くのと、姉貴の車が到着するのは、ほぼ同時だった。

「七海!」

 榊さんが準備してくれたスリッパを履いて外に出た。

 姉貴が抱っこして外に連れてきた七海は、体中を紫に発光させて、息荒く汗だくだった。

「諒真……」

 まだ意識はあるのか、目を閉じまま呟いた。

 すぐに手を繋ぐが、発光は止まらない。

「姉貴!!」

「とりあえず部屋に行こう」

 俺たちは七海の部屋に入った。

 

 七海をベッドに寝かせる。七海は完全にぐったりとしていて、無力だ。

 汗をかなりかいているので、椎名が持ってきたタオルで拭いた。 

 タオルごしに感じる体温……

「姉貴これ!」

 姉貴は持っていた数秒で測れる体温計を七海の耳にあてた。電子音がなり、そこに表示された体温は39.8……。

「これ……なあ、大丈夫かよ」

「人間の体温の限界は○だから、まだ大丈夫だけど、まあ大丈夫じゃないわね。この汗からすると脱水にもなるけど……そんなレベルじゃないか」

 姉貴は唇を噛んだ。

「どうなってるんだよ、この前は全身が紫に発光したら牙が映えてっ……!!」

 俺は思い出して叫んだ。

「全く同じ状態になったのね。じゃあもうならないとおかしい。でもなってない……あの薬がある程度効いてるのかしら。でもこの熱は……」

「抗がん剤的な役割を果たしてるのでは?」

 後ろから椎名が言う。

「ああ、それはあるかもしれないわね。体に住み着いた細胞を攻撃してるのかもしれない。でもそんなの……」

「……わからない、と」

 俺はうな垂れた。

 七海が薄く目を開いた。

「あ……部屋だあ……」

「七海、大丈夫か。何か飲むか。汗がすごいから……」

 七海は静かに首を振った。そして自分の机の引き出しを指さした。

「あの中に入ってるもの、出してくれないかな」

「わかった」

 俺は立ち上がって引き出しを開けた。

 そこに入っていたものを見て、俺は言葉を失った。

「これは……」

「持ってきて?」

 七海に言われてその束を持つ。

 何枚あるんだ……何枚も……何枚も……。

 七海はそれを力無く受け取って、震える指先で見た。

「上手でしょ……塗ったの」

「七海っ……」

 俺は七海の胸元に崩れ落ちた。

 涙が出てきて止まらなかった。

 後ろのドアが閉じて、椎名や姉貴たちが出て行ったのが分かる。

 もう終わりなのか。もうダメなのか。

 でも……そんなの分かってる……七海、こんなの……。

「これ、一番最初のヤツかな。小学校四年生の時の。すごく好きだったの、これ」

「んだよ……これ、ヘタクソすぎて限界だよ……」

「次にお気に入りなのは、これ。似てるよ、すごく似てる……」

「今一番みたくない顔じゃねーか……」

「あと、とっておきはコレ……」

「完全に走り書きじゃないか。こんなの七海……」

「どれもこれも好きで、捨てるなんて出来なくて、塗ったの。ずーっとね、諒真の絵、取って置いてたよ。もっときれいにしたくて、全部色、勝手に塗ってごめんね」

 俺は俺の上に振り落ちてくる何枚も何十枚物絵に囲まれて、首を振った。

 小学校四年生からずっと俺の絵取っておくとかバカかよ。

 なんだよこの下手くそな花の絵は。

 どうしてこのタイミングで神宮司の似顔絵だよ……ああそういえば隣の席で書いたな……。

 ノートのすみに書いた落書き、教室のスケッチ、走る七海の足元、指先、七海の、笑顔。

 何枚も何枚もあって、色が塗ってあって、日付が書いてある。

 全部俺の絵で、全部七海と重なって、ずっと机の引き出しの中で俺たちは一緒だった。

 絞り出すように泣き続けた。声の出し方を忘れてたように、言葉というものを忘れたように泣き続けた。

「諒真……」

 俺の手が握られた。熱くて熱くて燃えそうな手。俺は握り返した。

 七海は俺に笑顔を見せた。目を細めて、その薄い唇を左右に丁寧に引いて。

「私、諒真の絵好きだから、続けてね」

「ん……」

「諒真の絵を書いてる所、好きだよ」

「ん……」

「諒真の優しい所が何より好き」

「やめろ……」

「諒真はわかりにくいけどさあ……すごく優しいんだよね……」

「やめろ……」

「重たいものは全部持ってくれるし……あ、秘密基地完成させたかったなあ……」

「やめろ……」

「足元悪いと、いつも一歩先で待ってくれて……そういう所が好きだった」

「やめろって……」

「間に合ったって、椎名くんに聞いた」

「ん……」

「ありがとう……私を救ってくれて……」

「救えてねーじゃん……」

「救ってくれたよ、心を」

「そんなんじゃ……意味ねーよ……」

「良かったよお……またあんなことするハメにならなくて……良かった……ありがとう、諒真本当にありがとう……」

「やめろ!!」

 俺は七海にしがみついた。

 七海は静かに俺の肩を抱いた。

 体が手が、燃えるように熱い。

 抱きついている腕に力は全く無く、無力。俺の上に乗っただけだ。

 それでも俺たちは静かに抱き合っていた。

 もうどうしようもない。

 もうお終いなら、このまま七海を抱きしめていたい。

 抱きしめた視界に、一枚の絵が落ちてきた。



 それは俺が書いたタロット、世界のカード。



 中学の時に書いたものだろうか。

 俺はこの絵柄を何度も描いていて、七海が丁寧に色を塗っていて、まるで……。


「……?! なあ、七海、タロットカードあるか」


 俺は叫んだ。

「え……机の上にあるけど……でも諒真……戻っても……体がこれじゃ……」

 俺の脳内がどんどんパズルをはめていく音がする。

 そうだ、どうして今まで思いつかなかったんだ。

 七海は何度も時をループしている。

 体はそのままで意識だけ持ち直したまま。


 どうして他の皆の体は「何も無かったようになっている」んだ?


 どうして七海だけ体にアザが残ったまま時間を繰り返してるんだ?



 それは七海が、一度も死んでないからじゃないか?




 そう。




 七海が体に入れられたのは【死んだ時に活性化して、記憶を保有する遺伝子】なのだ。




 みんな死んでるから、だから「体がリセットされてるんじゃないのか?」




 俺はそれを早口で、でも丁寧に伝えた。

 七海は目を見開いて、静かに頷いた。

 俺はその事をドアの外にいる椎名と姉貴に伝えた。

 そして七海の部屋に転がっていた金属バットを取り出した。

 これは七海が「あの時」使うために準備していたものだ。

 

「いいか?」

「お願い」

  

 七海はベットに座った。

 俺はベットに上に足をかけた。

 そして振りかぶった。

 ……怖い。

 七海の頭を殴りつけるなんて、怖い。

 なんて怖いんだ……。

 手が震えた。


「諒真」

 七海が静かに言う。

「言ったでしょ。最後は諒真に殺されたいって」

 はっ……はっ……と浅く息を吐き続ける。そうだ、もう方法はない。

 このままいって牙が生えたりする状態を七海が好むと思えない。

 いけっ……!

 俺は再びバットを振りかぶった。

「……ありがとう、今から殺します」

 俺は呟いた。

 顔は見えない。でも七海の頬には涙が見えた。

 俺は思いっきりバットを振りかぶって、七海の頭を殴りつけた。

 手が痺れて、思わずバットを離した。バウンと濁った音と共に七海が倒れた。

 部屋の外で待っていた姉貴が走りこんで来て状態を確認する。

 脈……瞳孔……全てを確認する。

 そして頷いた。


 ころ、した。



 俺が七海を殺した。



 息が苦しくなってその場に倒れ込む。

「諒真、そんなことしてないで、早く! ここから10分が一番活性化するんだよ!」

 姉貴が叫ぶ。俺は目からあふれ出す涙を手でぬぐってベットに横にされた七海の横でタロットの展開を始めた。

 ベットの中で、七海の体は更に紫色の発光を始めた。 

 もう紫色のライトがベットの中にあるようだ。 

 俺は何度も涙をぬぐいながらタロットを握った。

 そして半分に切れた「世界」のカードを抜き、俺が書いて七海が塗った「世界」のカードを手に持った。

 ねじれた世界に微笑むガブリエル。これは俺が書いた七海だ。何枚も何枚も書いた絵。

 でも捨てたと思ってた。自分の絵に執着なんて無くて。

 でもこんな風に七海が心を足してくれていたなんて。

 大丈夫、きっと大丈夫。

 俺は二人で作った世界のカードを、中に入れた。

 同じサイズで切り取られていて、全く違和感はない。

 そしてひとまとめにして、握りしめた。



 ……頼む、頼むよ。



 俺は震える手でシャッフルして、最初のカードに手を伸ばした。

 指先が震えている。

 最初の一枚目が同じじゃないと飛べないことは分かっている。

 横で紫色の発光する七海に触れた。

 もう熱くない……そうだ、俺が殺したから。

「っ……」

 目を閉じた。もう一度会いたい。七海に。お願いだから……お願いだから…震える指先でカードを引く。


 出てきたのは……死に神。


 ああ……俺は頭から崩れ落ちた。

 同じカード。ああ、良かった。

 椎名と姉貴が固唾を飲んで見守っている。

 俺は頷いた。大きく頷いた。

 展開が同じであることに、二人が泣き崩れる。

 いける、必ず行ける。

 展開は全く同じだ。

 二人で時を超えたあの時と。

 そして最後の一枚になった。


 手元に残ったのは……世界。



 俺はそれを置いた。

 飛べる、間違いなく飛べる。

 ただ……俺は横になっている【もう死んでいるのに発光している七海】の顔に触れた。

 熱くはない。でも冷たくもない。まだ体に体温が残って生きてるみたいだ。

 イヤ、ダメだ、生きたまま一緒に飛んでも同じ事の繰り返しになるんだ。

 死んでる、死んでいるのが……正解なんだ。

 

 飛べるけど、七海と一緒に飛ばないと、意味がないっ……!!


 俺は横になっている七海のアゴに触れて、唇に親指で触れた。

 そして唇の間に俺の親指を入れて、開かせる。 

 口の中に親指を入れた。濡れた音と共に温度が指先に伝わってくる。

 ……熱い、まだ体の中は燃えるように熱い。

 俺は顔を近づけて、紫の光の物体になった七海の唇に、キスをした。

 薄い唇を開かせて舌から唾液を舐め取る。

 何度も何度も舌を吸い、七海の唾液を吸った。


 死んで活性化する遺伝子なんてものがあって、それに「記憶」が入っているなら……遺伝子と一緒に時間を飛べないか?

 いや、もう飛ぶしかない。

 それしか方法はない……!!


 七海、俺と一緒に時を超えよう。

 お願いだから、お願いだから一緒についてきてくれ。


 何度もキスして唾液を吸う。

 顔に触れる。長い睫、サラサラとした髪の毛。蒸気したままの頬に、広いオデコ。

 お願いだ、七海……!!


 その瞬間に俺の体も七海と同じ紫の光に包まれた。

 七海の中に入っていく感覚。ずぶずぶと濡れた肉襞に囲まれて、狭い道を進むような快感と恍惚に俺は喘いだ。

 体中が狭くて濡れた世界に飲み込まれて行く。それは全く不快ではなく、壮絶な快感だった。

 押されて潰されてる。直後に芯から広げられるような開放感が、交互に訪れる。

 頭の先が固い物に押されているような狭さに手を動かすと視界が広がって、その先が見えた。

 生ぬるい温度に湿った手が伸びてきて、俺はそれを必死で握った。

 濡れているので、すり抜けていく。

 ダメだ、絶対に。

 絶対にこの手を離しちゃいけない。

 俺は強く強く握った。

 爪を立てて、血が出ても構わない。

 長い長い滑り台を裸で下りていくような開放感と、体を絞り上げる快感に吐息を上げる。

 上も下も無い、ただ漂う空間に穴があり、吸い込まれていく……!

 飲み込まれながら、押しつぶされそうになりながら、運動会の後にしたタロットカードの七海の見解を思い出していた。




「……死を受け入れて、それでも奇跡を信じれば……世界は審判される……!!」



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